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日曜日の出来事その② 和力

私の従兄弟が和力という団体をやっています。


和太鼓だけではなく、独楽や獅子舞など、日本の伝統芸能をやる団体です。


伝統芸能をやる団体…大切だなあとは思うけれど、わざわざ見に行きますか???


それは福祉も同じ。大切なものだってことは多くの人に分かるけれど、でもあえて関わりたいと思いますか?


私がもし福祉とは関係ない会社に就職してたら、気になりつつも少し距離を置いて眺めるんじゃないかなあと思います。


和力の加藤木朗さん―私の従兄弟ですが―からは、いつも、「すべての人に楽しんでもらうためにどうしたらいいか」という思いを感じます。


少し距離を置いている人に、少しでも近づいてもらうために何ができるか。


私が今練馬でやろうとしている活動も同じ。ただ一部の人ではなく、すべての人が幸せになるために、今まで関心のなかった人も含めて地域みんなで良くしていくために何ができるか―


私はいつもそのヒントを、和力からもらっている気がしています。


和力の舞台は本当に素敵です。従兄弟であることに関係なく、とても素敵です。


うーん・・・語彙の限界(笑)


いつか練馬でも企画しますからぜひおいでください。百聞は一見に如かず。


 


29日の公演は、吉祥寺で行われました。私は前回日記に書いた同窓会を抜け出して、若干遅刻して参加。


今回は、横山茂さんという歌い手さんと合同のコンサート。


横山さんはシベリアに抑留されていた方です。現在80歳。


捕虜になっているときに、そばにいるひとたちを励ましたいとの想いから歌い始めた人です。


その後、戦後仕事を探す人々を励ますために職安の前でも歌うなどの活動を重ねた後、秋田に移り「わらび座」という団体を作りました。


わらび座をやめた後、神奈川に移り住み、薬屋をやりながら時折コンサートを開く活動を続けてきたそうです。


そんなわらび座で活動をしていたのが、私の叔父でした。


その中で生まれ育ったのが私の従兄弟・加藤木朗。


 


横山茂さんは現在、アルツハイマーを患い、介護保険の分類である要介護4になっています。


要介護4…私はヘルパーの仕事をしてますが、かなり重いです。


 


日常会話もままならない中、歌い続けています。


 


私が和力に関わり始めたのは昨年から。親戚関係は今まで薄く、親戚とは「法事で会う人」だと思っていました。


でも和力を知って、活動のみならず、その根底に流れている理念に、私は心を奪われました。


そんなつながりから知り合った横山茂さん。


今回のコンサートを聞いて、初めてお会いした1年前よりも格段に記憶力が落ちている横山さんを感じ、なんともいえない切なさも感じました。昨年初めてお会いしたときには、日常会話がままならないなんて分からないくらいに完璧な歌を披露していただいたのに、お会いするたびに増えていく「歌詞が分からない部分」というのが、切なかった。


私は横山さんの歌の中で「鶴」という歌に一目ぼれ?一声ぼれ?をしました。


改めて歌詞を読んでみて、たぶん横山さんの声で聞くと何倍も素敵なのに、と思いました。


横山さんのCDも出るそうです。ぜひ聞いてみてください。


 


戦争を前提とした歌ですね。横山さんの伴奏をしている安達さんのお話によると「ロシアでは、人は亡くなった後も鶴としてよみがえるという言い伝えがある」とか。


でも、戦争ということだけではなく、人と人との間に生まれる情感すべてに共通する思いを、「鶴」という歌を聴くたびに感じます。


 



空を飛ぶ鶴の群れの中に あなたはきっといる


きっと この私を 待っている


激しいたたかいの日も 空に群れて飛ぶ


美しい鶴の群れ あなたはそこにいる


 


いくさにいのち捨てても 死んではいない


あなたは きっといるきっと生きている


この私を待っている


激しいたたかいの日も 空に群れて飛ぶ


美しい鶴の群れ あなたはそこにいる

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日曜日の出来事 その① 桐朋同窓会

29日の日曜日には、いろんな人との出会いがもりだくさんでした。


今日はまず、一つ目の「桐朋同窓会」について書きます。


私は、調布市にある桐朋女子中学校、高校を出ました。


私は大学を出た後にさらに専門学校にも行っているし、よっぽど学校好きなのかというほどたくさんの学校に行っていますが、桐朋は特別に「帰属意識」を感じる学校です。6年間も通っていたせいでしょうか…。


非常にユニークな学校でした。


まず入試が2日間あり、ほとんど面接で成り立っていた。


私の入試…ああ、かれこれ15年も前ですが!


一つの物語を読んで、最後に主人公が何ていったのか、それぞれ自分で考える、というような問題でした。それを、面接で先生に説明するの。


答えがあるわけではない。その物語を読んで、何を感じたのか自分の言葉で説明できるかどうか、を見られていたんだろうと思います。


理科系の問題でも、雲ができるのは、気温の関係だというようなことを聞いた後に、では部屋の外と中で温度差ができることで窓に水滴がつく仕組みについてどう考える?というような質問を、されたような…。


今までに基礎知識があったかどうかではなくて、今聞いたことの中で自分はどう判断するか、考えるかを問われる内容で、受験といえども楽しんで2日間を過ごした記憶があります。


桐朋の6年間はすべてがそうだったと思います。


周りがどう考えるかではなくて、自分は何をしたいのか。自分で考えてやった行動については、お互いに認め合うような空気もあったと思います。誰かがやってるからやるのでもなく、誰かに言われたからやるのでもなく、自分の頭で考えて正しいと思ったからやる、ということを学んだ6年間でした。


桐朋にいた間は、どちらかというとおとなしくしていたように思いますが、卒業してからしみじみ、たしかに私は桐朋の卒業生だなあと感じています。


29日は、その桐朋の同窓会でした。


私の学校は調布にあって女子校でしたが、国立に男子校がありまして、そちらとも合同の同窓会。しかも、創立以来のすべての人が対象でした。同窓会設立60周年の会だったとか。


なんでだか、私の学年は私しか来てなかった(ダメじゃないか、55期紫…)んだけど、同い年の男子校の人ともお話ができて、楽しい時間でした。


久しぶり!な先生方ともお会いできたし。


英語の先生に「あらー。加藤木さん、同じ顔のままねえ」としみじみ言われて若干複雑な気分になりましたが。。


 


いろんな人と会えて、とても豊かな気持ちになれました。


桐朋だけじゃなくて、自分がやりたいこと、やるべきことを自分の頭で考えられるような教育が、日本の中に増えていくと良いなと思います。

朝の駅でのご挨拶

7月のはじめから、月曜日は大泉学園、金曜日は石神井公園でご挨拶させていただいていましたが、10月26日木曜日から保谷駅でもスタートしました。


これから先は木曜日朝の活動もスタートです。事務局長をやってくださっている水藤さんの実家の地元である江古田駅でもやるかもしれないので、木曜日は保谷と江古田が交互になるかもしれませんが、とりあえずしばらくは保谷です。また予定が確定したらお知らせします。どうぞよろしく。


金曜日はいつものように石神井公園。若干怪しい雲行きではありましたが、大泉学園町の自宅から、東大泉の事務所まで、7時前に自転車で向かっていました。せっせと漕いでいたら、上から何かが降ってきて、私の身に若干の衝撃が走りました。


空を見上げてもまだ雨は降っていない。


木の実が落ちたのかしらと、良いように解釈してみるものの、頭上に木はなく、あるのは電線のみ。


 


・・・・・・・・


 


鳥ですよね。


たぶん。


 


ズボンが若干汚れたので、事務所で軽く洗濯。


頭ではなくて良かった。


気づかずにそのまま駅頭に臨まなくて良かった。


と、でき得る限りの良い解釈をして、出かけました。


手伝っていただいている方々には、運がつくというから、とか、大当たりだ、とか、励まし(??)をいただきましたが。


というわけで、10月27日の石神井公園駅頭でのご挨拶は7時ちょっとすぎからのスタートとなりました。


 


朝は冷える日が増えてきていますね。


私は7時~8時半まで駅に立っていますが、天気の悪い日は8時くらいになってぐっとまた冷えるというときもあります。


近所のクリーニング屋さんいわく、明日からまた冷えるのだとか。


風邪をひかないように頑張りましょう!

10年の月日

私のホームページに最近、私が昔々に書いた文章が載りました。高校生の頃の文章です。(こちらから)


10年近くぶりに読み返してみると、なんとも気恥ずかしいですね(^^;


なんだか、だいぶ世の中に怒ってたんだなあ、としみじみ…。


16歳から18歳くらいまで、なんだか腹が立って仕方がなかった時期がありました。思えば反抗期だったんでしょうね。最初、なんだかモヤモヤしていて、その怒りが、新聞の投稿になったんですね…。思春期のイライラが、「政府が悪い」という方向に向けられるというのが、我ながら変わり者だなあという気がして、なんだか恥ずかしい気分になっておりますが。。


その「怒り」が少しずつ変化していった理由は、ひとつだけではないと思いますが、一つには母の闘病と死があったのかもしれません。


母は私が18の頃に体調を崩し、しばらく闘病生活を続け、私がもうすぐ20歳になるときに亡くなりました。その頃の私にとっては、他の何を失くしてもいいから母だけは失いたくないと思っていました。


だけどどんなに願っても叶わないことは世の中にはあるのですね。


そしてそれは誰のせいにもできない。誰のせいでもない。


怒りの矛先を誰かに向けるのは、ある意味楽なことです。だけど「どうしようもない現実」というものを、誰か他人のせいにするのではなく、自分自身どうやって向き合っていくかということ、考えていくことが必要なのではないかというのが、17,8の頃とは違う、26歳の私の考えです。


 

少し前の話になりますが

NHKのドラマの桜子ちゃんは、やっぱり死んでしまいましたねえ(涙)


もう、ほんとに可愛かったから、私は今CMで宮崎あおいを見るたびに「嗚呼、桜子ちゃん…」と言っておりますが…。娘が生まれたら桜子と名づけたいくらいですが、残念ながら私自身が桜子なもので…(^^;


ドラマの桜子ちゃんは、音楽の才能があって、愛情深い人でした。好きな人もたくさんできて、だけどどうも「幸せ!」ってところまでは行き着かないのね。


ようやく戦争が終わって、何年も待った好きな人と結婚することができて、子どもができて、音楽の才能も認められた、というときに結核になっていたことが分かって、それでも子どもを産んで、死んでしまうのだけど。


正確な言葉ではないけど、最終回に、「人から見たら私の人生はあっという間で、何も成し遂げられず、かわいそうに思えるかもしれないけれど、私にとってはとてもいい人生だった。輝かない人生なんて、ない」というような趣旨のことを桜子ちゃんが子どもに言い残していて、なんだかとても共感したのでした。


人から見て、立派だと言えるような形には残らなくても、一人ひとりの人生、誰の人生でも、他の誰とも違う、特別な一つの人生です。


負け組、勝ち組、という言葉があるけれど、負けとか勝ちは人との比較の中で決まるもの。負けようが勝とうが、そんなことはどうでも良いじゃないか、と私は思うんです。そんなことよりも、どんな人生も何にも替え難い、特別な人生です。他にはどこにもない、たったひとつのものです。


そしてお互いのかけがえなさを認め合える世の中に、一歩でも近づけるためのお手伝いをしたいと、私は思っています。


 

練馬まつりとみのり祭

またまたちょっとご無沙汰しました。


今日、15日はおまつりがたくさん。


★まず、練馬駅近くでやっている「練馬まつり」に、初めて出かけました。


かなり規模の大きいお祭りですね。いくらいても飽きないような、そんな雰囲気でした。


駅近くの広場では、工作教室や福祉の体験なんかのブースがずらりとありました。ぽけーっと見ていたら声をかけていただいて、私も車椅子体験。仕事で車椅子を押すこともあるし、学校で学生同士車椅子を押し合ったこともあったけど、何度乗っても「ひぃ」と思います…。


段差を上がる時に、車椅子の前輪を持ち上げるんですけど。宙に浮く感じがして。私はジェットコースターが嫌いなせいもあるのか、一人でひいひい言って暴れてしまいます・・・そして、しみじみ、車椅子は丁寧に押そうと心に誓うのであります。


車椅子コーナーでは、私に「いつもご苦労様」と声をかけてくださった方もいて、嬉しかった。声をかけてくださることにちゃんと応えられるような仕事をしていきたいものです。


駅前の広場を通り越して、道に出ると、いろんな踊りの団体が次々に練り歩いています。私が行ったときにはちょうどサンバの人たちが。


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お祭りの中でやってるサンバって、映像ではなんとなく見たことあったけど、実際に動いてるのは初めて。いい感じですね。楽しそう。周りにいる人皆の気持ちがふーっとそちらに寄っていってしまうような、力を持っていると思いました。


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その先に行くと、いろんな団体が出店を出している会場。すごい人だった。


いろんな県人会だとか、会社だとか、福祉団体だとか、いろんなところが食べ物屋さんやバザーをやってました。


そんな中に思いがけず知り合いを発見。思いがけないところで会えるとなんとなく嬉しいもんですね。


 


また別の会場では、「健康」をテーマにしていた。


災害が起きた時のペットの保護について取り組んでいる獣医師会の人たち、食育に取り組んでいる保育園の人たち、介護予防・健康維持のための活動をしている団体の人たち・・・うーん。やっぱり区内にも、いろんな取り組みをしてる人がたくさんいるのよね。


楽しみながら、いろんな活動を知ることのできる、とても良いおまつりでした。


ちなみに下の写真は、災害救助犬がくんくんして歩いているところ。


人がどこかに隠れているか、見つけることのできる犬さんでした。


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★午前中は練馬まつり。名残惜しいなあと思いつつ、練馬駅をあとにして、昼からは大泉学園町9丁目にある練馬福祉園のみのり祭に出かけました。これまた面白かった。


練馬福祉園の隣の就労支援ホームも「ホーム祭」として、二つ並んでお祭りをしてましたが、そこで点字の体験ができました。車椅子とかアイマスクとか、色々な体験があるけど、点字は私は初めて。緊張して肩が凝りましたが、とても興味深かった。左右3つずつの点で、いろんなルールのもとに文字が記されるのですね。点字のサークルの方々が説明してくださって、いつかサークルにもお邪魔してみたいものだと思いました。


練馬福祉園の庭では、音楽のステージ。心地の良い庭で、きれいな空で、家族連れがのんびり過ごしてました。とても居心地の良いお祭りだったと思いました。こちらも長時間はいられなかったけど、また来たいものだと思いました。


★朝晩ちょっと冷えるのが、風邪引きそうで怖いけど、昼間は空が真っ青。雲がぷかぷか。ぼんやり眺めているとその雲がふわりふわりと流れていって、んーっと深呼吸のできる空です。


疲れても、いやなことがあっても、たった10秒でもいい、空を見るとちょっと気分がすっきりする。そんな良い季節です。皆さんも疲れたら、ちょびっと一瞬外に出て、10秒空を眺めてみてください。

桜台を歩いてみました

しばらくご無沙汰しました。


ここのところ、何をしてたのかというと…最近仕事で忙しくてなかなか会えなかった大事な友達にたくさん会ってエネルギー吸収してました。そんな話はまたそのうち書きます。


今回はまた違う話。


少し前のことになりますが・・・桜台のまちを歩いてきました。


 一戸建ての多い地域です。その中に、新しくマンションが建ったり、戸建ての家でも今までの家を分割して2,3戸の家に作り変えて売っている所もある。


大きいマンションで、屋根のあたりが斜めに切り取られたような建物って、あるでしょう。


なんじゃい、あれは。こじゃれた風を装ってるのか、と長年思っていましたが、あれは、住宅街に高い建物を建てるために、条件を満たす工夫なのですね。


あとは、新しい戸建て住宅で、似た雰囲気の家が何戸もある場所。まあ、可愛らしいこと、と思って見ていましたが、同じ業者が一連で建てた建物ということが多いのですね。その中でちょっと奥まって建つ家があるのも、基準を満たすための工夫だとか。


普段何気なく見ていたまちの中にいろんな工夫によって建てられた家があるということ、初めて意識してみることができました。


面白いですよ。皆さんもぜひ、まちを歩く時、一つ一つの家を観察してみてください。


古くからの一戸建て、新しく建てた戸建て住宅たち、そしてマンション。いろんな建ち方をしてますね。


 私の住む大泉学園はまた少し雰囲気は違うかもしれないけど、勉強になったひとときでした。

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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