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意見交換会のご案内
3月10日(土)18時30分~20時
勤労福祉会館2階会議室にて(大泉学園南口徒歩3分 東大泉5‐40‐36 03‐3923‐5511)
上記の日程で意見交換会を行います。
今、社会問題はとても複雑になっていて、福祉について考えてみても、介護や貧困対策だけではなくて、例えばニートやフリーター、多重債務、虐待、少子化対策など、支えるべき課題は多様になってきています。
どんな課題を抱えた人も、自分らしく楽しく暮らしていけるまちを作るためには、制度を作るだけではなくてお互いに支えあえる地域のしくみを作る必要があると思います。
そのためには区民が自ら住みやすいまちについて考え、提案しあっていくことが必要です。今回の集会はそのための一つの試みにしたいと考えています。
今まで私と一緒に福祉の仕事をしてきた仲間が中心になって、楽しい会にできるように考えています。
皆が参加しながらより住みやすいまちを作るために、ぜひご参加ください!
自分にとって「練馬区のここが好き」「ここが課題だと思う」というものを1つずつ考えてきてください。
参加希望の方は
お名前
ご住所
連絡先
この集会を知ったきっかけ
をご記入の上、
FAX 03‐3978‐4154またはメール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp にご連絡ください。
人と人の対立
私が大学時代に興味を持ち、福祉に進もうと思ったきっかけは、「人と人の対立」の部分でした。
大学時代に入っていたダンスのサークルでも(女の子だけのダンスサークルに入ってました)、ボランティア活動をしていても、必ず人と人の対立がある。
例えばAさんとBさんの対立。
Aさん曰く、「私はこんなに頑張っているのに、それに比べてBさんの活動が少ないと思う。Bさんは根性がないんじゃないだろうか」。
Bさん曰く、「私は私の立場でできる精一杯をやっているのに、Aさんはなんだか冷たいので、会うのが気が重い」。
どちらか一方がとてもわがままだったりいやな奴なわけでもなく、不真面目なわけでもないのに、なぜか対立が起きる。
なんでなのかな、と興味深く思ったのです。
そして、間に仲裁に入る役割の面白さ。特段に場を設けて話し合うわけではなくても、「そうなんだね」と話を聞いたり、「もしかしたら相手は相手なりに頑張ってるのかも」なんて言ったりするうちに、少し関係が和らいだりする。
一対一では穴に落ち込んでしまうけど、間に誰かが入って、関係が三角形、四角形、となるにつれて、対立に変化を生むことができる。
この仲裁役を仕事にしたくて、福祉の道を選びました。
悪人なわけではないのに対立する、というのは、虐待の問題や、さらには国と国の戦争にも共通する部分があるように思います。
子どもや高齢者を虐待してしまう人は、悪人なわけではなく、相手を憎んでいるとも限らず、例えば「私はこんなに頑張ってお世話しているのに、この子はちっとも分かってくれないで、ぐずってばかりいる」という気持ちがあるかもしれません。
国と国の対立も「我が国はこんなに良い考えを持ってるというのに、あの国はなぜ分からないのか」というのがあるんではないかと。
それは一体なんなんだろうか、とここのところ考えるでもなく考えていてふと、社会福祉士の学校で習ったマズローの欲求段階説というのを思い出しました。
人間の欲求には段階がいくつかあり、まず生理的な欲求を満たしたい。
それが満たされると「安全」に対する欲求。
そして次に所属に対する欲求。
例えば私が「民主党のかとうぎ桜子です。」と名乗るのもそのひとつかもしれませんね。「ただのかとうぎ桜子です」と名乗るよりは安心なのかもしれません(笑)
所属の欲求が満たされると次に、誰かに認められたい、という欲求が生まれる。例えばうまく仕事を進めて、皆に「よくやった。ありがとう」と言われたい、という欲求ですね。
今まで書いてきた「私はこんなに頑張ってるのに」というせりふは、この「認められたい欲求」が満たされないことによるのではないかと、ふと思ったのです。
社会の中で生まれる問題―差別やいじめ―これらの元にはもしかしたら「認められたい欲求」のぶつかり合いがあるのではないでしょうか。
そうであれば、社会問題を解決するには大枠の制度を作るだけでは足りないはずです。
「なんであの人は私を認められないのか」と思うならば、相手の状況を理解し合うことが必要。
そして、自分自身の心に起きる無意識の欲求を知ることも必要になるのではないでしょうか。
「女性は子どもを産む機械」という発言が問題になりましたが、言ったご本人は謝りつつも、なぜ怒られてるのか分からないような顔をしていらっしゃった。
「機械」という表現自体が衝撃的ですが、それだけではなく「女子供を食わせてやるのは俺だ」という意識につながるものがあるのかなと思います。
どんなに頑張ってもなかなか無くならない女性蔑視は、男性が「女性より優位にいると認めてほしい」欲求のためかと。
だから本当に誰もが住みやすく愉快な気分で生きられる社会を目指すためには、まずは個人や地域に寄り添う必要があると感じています。