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さくら
大泉学園通り、日当たりのいいところの桜は少し開いてきました。今日は快晴。ああ、青空に桜は映えるんだなあとしみじみ。
自然の美しさに惹かれる気持ちは、10代の頃にはなかったような気がします。
桜の花は、咲く少し前から、幹自体がほんのり桜色になるんだと、柳家小三治がまくらで言っていたことを、毎年この時期思い出します。(私は落語が好きなのです。特に小三治と志ん朝が。)
大泉は4月1日が桜まつり。暖冬だからどうなるかと思ってたけど、ここのところの寒さもあって、なんとかもつかな?
大泉学園周辺のこと
私が住んでいる大泉学園町には、将来大江戸線を延伸させるという動きがあります。
ちょうど私の住んでいる大泉学園町4丁目あたりに駅ができるという計画があるそうです。
たしかに、大泉学園町、特に関越を越えた側に行くのは大変です。自転車で15分~20分。疲れているときは一苦労です。バス通りも混雑するから、バスに乗っても時間的には自転車とあまり変わらない…。
前回報告した意見交換会でも、「練馬の困っているところは交通の便が悪いところ」という意見が出ましたが、自由に動ける私でも大変なのに、これが高齢者であったり子連れの人、障害のある人、車や自転車に乗れない人だったらさらに大変でしょう。
だから学園町の人にとって、大江戸線延伸は長年の悲願なのです。
一方で、大江戸線の駅と西武線の駅はつながらないらしい。そうすると、西武線近くに住んでいる人は、大江戸線ができたら生活環境が変わってしまうのではないかという不安を持っているという話を聞きました。
一つの出来事に対して、おかれている立場や住んでいる環境が少し異なると、望むことも少しずつ異なっている。「すべての人が幸せ」という状況を作るのはなかなか難しいことだなあと改めて考えました。
だから、「すべての人が幸せ」に一歩でも近づけるためには、いろんな立場の人が話し合う場を作ってそれぞれが「今何に困っているのか」「これからどうなったら困るのか、どうなって欲しいのか」を挙げていって、お互い歩み寄れる点を見つけていくことが必要なのではないかと思います。役所や誰かが決めるというのではなくて、そこに住んでいる人たちが自分達で意見を出し合っていくということをもっと増やしていければ、地域は少しずつ変わってくるのではないかと思っています。
それから、前回の日記にもチラッと書きましたが、今の練馬の良さに、住んでいる人自身がちゃんと気づいて、それを守って行くことも必要だと思います。
私は小さいころから東京近郊あちこちに住んできたので、その分練馬(特に大泉)と他の区の違いにはたくさん気づくことができるところがあると思います。近くにいる人ほど、気づかないことってありますよね。例えば東京に住んでいる人ほど東京タワーには行かなかったり(笑)
ずっと昔のブログにも書きましたが、畑で野菜を売っているというのはとても素敵なところだと思います。
それから、駅から離れたところに、おいしいお店、素敵なお店が多い。前にも書きましたが、素敵な店に行きなれると、チェーン店には行けなくなっちゃいます。
都内のほかの場所に行くと、駅を降りたらここはあの駅とそっくりだ、と思うことがたくさんあります。年末に荒川区の親戚に会いに行って、その後友人に会いに立川に行ったら、駅前にある店の数店がまったく同じ店だったのにびっくりしました。
大泉にはそうではない文化の豊かさがあるように、私は感じています。
一般的に、お店は駅周辺で発展するものだと思いますが、大泉はどうして駅から離れても面白いところがいっぱいあるのかなあ、と思うと、交通の不便さが逆にその地域の文化を育み深めている部分もあるのかな、なんて思います。ゆったりゆったり、一つひとつの店が個性を育てている感じ。
その素晴らしさに、住んでいる人が気づいていないと、大江戸線が通った時にせっかくの文化が崩れてしまいかねないと思います。交通自体便利にはなってほしいけど、大型スーパーやチェーン店ばかりの一般的な駅周辺みたいになるんだったら、なんだかいやだなと私は思います。素敵なお店はそのままたくさんあってほしい。
それは西武線の駅周辺も同じで、その地域独自の文化を温めて守り、それを多くの人に伝えていくことが必要になってくるんだろうなと思います。
文化が豊かなことは、心が豊かなことにつながるのでしょう。より便利になることを目指しつつも、便利さ一辺倒になるのではなく、心の豊かさも保っていけたらいいですね。
私も一緒に、どうしたら良いか考えていきたいと思います。
意見交換会、無事終了しました
おかげさまでたくさんの方に来ていただき、無事終了いたしました。
スタッフは、私の中学や高校、福祉関係の友人、父の友人、区内にお住まいの方でした。
意見交換会の司会は埼玉県日高市で民主党で活動している川田虎男さん。たまたま同時期に民主党で活動を始めたけれど、以前にもちらっと書きましたがボランタリーフォーラムというイベント以来の福祉つながりの友人です。
緊張を解くための「アイスブレーク」としてゲームをやったあと、皆さんに「練馬の好きなところ」「課題」を一つずつカードに書いてもらいました。
そのカードを分類していき、意見を整理していくのを「KJ法」というのですが、今回の意見交換会はその手法を用いました。
もっと詳しいことはいつかきちんとした報告を出したいと思っていますが、とりあえず今回出た意見を簡単にまとめると、
好きなところは自然が豊かで、野菜も売っていて人が温かく、家族が住みやすいところ。
課題は交通の便が悪く、道幅が狭くて危険なところ。これは練馬の中でも住んでる地域によるのかもしれませんが病院や店が少なくて不便、という意見もありました。
練馬の良いところはこれからも残しつつ、他の地域に住んでる人にも練馬の良さをもっとアピールする必要があるかもしれませんね。
また、課題については、今「心のバリアフリー」と言われますけどやはりハードの面のバリアフリーは最低限実現していかなければならないと思いました。
その後、参加者の皆さんと連絡を取りましたが、皆様楽しんでいただけたようで、良かったです。写真にも載せましたが、アイスブレーク中、いい表情されてますねー。良かったー。
今回の参加者一人ひとりに、物語がありました。
仕事の合間を縫ってきてくれた方。ご家族との約束をおいて来てくださった方。体調が悪くて会そのものには参加できないけど、と会場まで来て挨拶だけしてお帰りになった方。ホームページを見てきてくれた方(思いがけないことですごく嬉しかったです)。終わった後に会ったときに「行ってあげたかったんだけどどうしても無理だったんだ」と声をかけてくださった方。
会場に足を運ぶまでの間には一人一人いろんな思いや事情があって、そして今ここにいるんだな、と一人一人の顔を見て考えていました。
ある瞬間の出会いや行動は、その人の人生を背負っているんだな、と。
朝の駅頭の挨拶もそうです。駅で立っている私に声をかけてくださる方、ほんの短い言葉しか交わせないけど、どんな思いでわざわざ声をかけてくれたんだろう、といつも思いを馳せています。
私の好きな映画に「めぐりあう時間たち」というのがありますが、これはある3人の女性の1日を描いています。その1日にその人の人生が集約されている。
それをふと思い出しました。
ちょっと大袈裟かもしれないですが、一瞬の出来事の後ろにはたくさんの背景、その人の人生そのものがあるんだと。だからこそ、人と人が出会うということはかけがえのないことなのだと。
参加してくださった方、参加したいと思ってくださった方、ありがとうございました。
手と心
今日、近所を走り回っていたら、ご自宅で手作りのバッグを販売している方に出会いました。
幼稚園の子が通園に使うようなバッグ。一つ一つ丁寧に作られていて、可愛らしい絵がついている。
挨拶に伺ったんだけれど、あんまり可愛らしい雰囲気に惹かれて、中までお邪魔しました。
作っている女性が、一つひとつの作品に対してとっても愛情を持った接し方をしていて、すごく大切そうに説明してくださる。それを買ってくれる方、使ってくれる子ども達、訪れる人々についても、愛情を込めて説明してくださる。
その方の体全体に愛情が満ち溢れている。その温かさが作品にも家全体にも漂っている。「心のふわふわ」をいただいてきました。
自分の手で何かを大切に作っていくということは、心の充実につながるのかもしれないと思いました。
私はそんなに素敵なものは作れないけど、でも例えば忙しくて心がガサガサしてくるとそれに比例して部屋が汚くなってくる(^^;)だから逆に、イライラしがちなときに部屋を掃除したり洗濯をしたり、それから文章を書いたりすると、それとともに頭の中が整理されて心も落ち着いてくる気がします。
手を使うことというのは、心に直結しているのかなと。
最近、近所にあるいろんなお店で夕飯を食べることが多くなりましたが、そういうお店も同じかもしれない。ちゃんとそこに腰をすえてやっているお店で食べると心が満ち足りてくる気がします。
そういうのに慣れちゃうと、たまにチェーン店の飲食店に入ると物足りないですね。味も雰囲気も、店員がマニュアル通りにしかしゃべらないのも。
これもまた、きちんと自分の手を使って大事に食べ物を作ったかどうか、ということに関係しているのかもしれません。
そう考えると、今の社会がどこかギスギスしていたり人と人がつながり合うことが難しくなっているのは、自分の手を使って何かを大切に作ること、それを誰かにあげること、そういう機会が減っているからなのかな、なんていう気がします。
今日出会った女性のもとには、手作りの品に惹かれていろんな人が立ち寄るそうです。子どもも、高齢者の方も。愛があるところに人は自然と寄って行くのでしょうね。可愛らしいバッグを見ているだけで、なんだかほっとした気持ちになりました。
「地域の拠点」を作るには、立派な施設を作ることが必要なのではなく、愛情の満ちた場所を増やしていくことだと思います。
今日は私はお金を持たずに走り回っていたので、とても可愛いバッグを一つとっておいてもらう約束をしました。
また行く日が楽しみです。
くじらベーコン
年が明けてから月日の経つのが早く、そして3月10日の集会準備(※18時30分~20時、勤労福祉会館です。参加してくださいね。前回の日記参照。)のためにあたふたしていて、かなりバタバタな毎日。
思っている通りに作業も進まないので、気づくと眉間にしわが。いけないいけない。
しわを寄せつつ、久々に家でご飯を食べようと、買い物をしていたらくじらベーコンに出会いました。
以前、ブログにコメントを寄せてくれたshin1さん。
くじらベーコンを見かけるたびに、私はこのshin1さんを思い出します。
shin1さんと初めて会ったのは、ボランタリーフォーラムというイベントの企画をしたときだったので、たった1年ちょっと前です。たしか昨年の正月前後に電話で話したのが初めてでした。
今、埼玉県の日高で私と同じように民主党で活動している川田とらおさんという方もこのボランタリーフォーラムの企画をしたことから知り合った友人なのですが、川田さんもshin1さんも、私の中ではなんとなく学生時代からの友人のような感覚があります。
二人とも元は練馬区民だったのに、今は違うのが非常に残念ですが…。
shin1さんは、今は関西地方で福祉の勉強をされていて、先日帰京した際に石神井公園付近で一緒にご飯を食べたのです。
たいてい、福祉関係で仲の良い友人との話の内容は、地域社会の話になるのですが。
ご飯を食べながら、今の地域の現状と課題を話していました。
「地域の中では…」と真面目に話していると、急にshin1さんが「ゴムみたいだ」と言いました。
地域社会がゴムみたいとはどういう意味だろうか。柔軟だということだろうか。やはり大学院で勉強している人の言うことは難しいんだろうか。さっぱり意味が分からない。
そう思ってshin1さんの顔をまじまじと見ていたら、「ほら、これ、食べた?ゴムみたいだよ」と、指した先にはくじらベーコン。
うん、たしかに噛み切れない。ゴムみたいだ。
そんなわけで、私はくじらベーコンを見かける度にshin1さんと地域社会のことを思い出します。
いつかshin1さんは関西から練馬に戻ってこられるんでしょうか。
できれば戻ってきて欲しいですけど、まあどこに住んでいたとしても、どんな立場でも、これからも地域社会について語り合える仲間でいられたらと思います。
できれば4月中に一度戻ってきて欲しいですけど(笑)
食品売り場で会ったくじらベーコンのおかげで、そんなことを思い出して、ちょっと眉間のしわが伸びました。