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みんなに言いたいこと。
私が福祉の仕事を始めたおおもとの興味は「ボランティアってなんだろう」ってところでした。
大学時代にハンセン病や手話の関係でボランティアをやっていて、「うーむ・・・」と思って福祉の勉強をはじめ、ぐるっと回って最近やっぱりボランティアに戻ってきたんですが。
この選挙のことでもやっぱり「ボランティアってなんだろう・・・」ということをしみじみと考えてきました。
よく、アカデミー賞とか、何か賞を取ると感謝の言葉でずらずらと関係者の名前を挙げる挨拶があって、一体なんなんだろうと思ってたけれど、今ようやく私自身落ち着いてきて、やっぱ名前を挙げたい気持ちは分かる気がします。区内の人は近所関係など色々ありそうだからとりあえずあんまり挙げないようにしますが、ボランティアさんの中でも「これこそボランティアか!」と思った素晴らしい人たちの名前を、挙げてみたいと思います。ローマ字で書けば、誰だか分からないかなあと思って。それでもいやだ、と思った方はメールください。
ボランティアというと、日本では特に「無償」というところに重きが置かれるでしょうか。でもそれだけではないと思うのです。「自分がこれをやりたい!」という思いであったり、「まだ誰もやっていない」という先駆性であったりね。逆に、金銭的に無償であっても、名声を求めたり何らかの評価を求めるのは本当の意味でのボランティアではないと思います。
ものすごく主観的になっちゃいますが、私は主観的な人間なので、すみません。
私がどう福祉に貢献できるか悩んでいるときに、「議員になれば地域に貢献できるよ」と教えてくれたKUBOTAさん。それが今回の活動の出発点でした。どんなことで悩んでも、原点としてはKUBOTAさんの冷静な意見に戻ることで、私は自分を見失わずに来られました。
よし、じゃあ出てみようと、私一人で勝手に決めて、事後報告的に言ったにもかかわらず、一生懸命応援してくれた私の父。私がこの年齢で選挙に出るからには、身近に政治家がいたかと思われがちですが、全然そうではありませんでした。むしろ私の両親なんて、どうやって投票すれば良いのかよく分からない、みたいなぼんやり夫婦でしたから(^^;)母はすでに亡くなってますが、ぼんやりの片割れの私の父が、私が勝手に決めた「選挙に出る」という意思に振り回されながら、ほんとに一生懸命にこの1年頑張ってくれたのは、とても意外なことでした。
そしてその父の友達。TAKASAKIさんとTSURUGIさん。最初は私が出る祝いに来たつもりが、いつの間にか手伝ってくれていた。どんなことがあっても嫌な顔もせず、いつも温かい気持ちで、支えてくださいました。母が亡くなって以来、世の中の人は冷たいものだと思って私は生きてきました。40代、50代になったいい大人でも、20代の私に心無い言葉をぶつける人はたくさんいるということ、母が亡くなったときにしみじみ感じてきたので。世の中なんてまあそんなものかと思いながら生きてきた中で、久しぶりに心が温かくなったのは、TAKASAKIさんとTSURUGIさんのおかげ。「えー、人って、こんなに温かくなり得るんだ」って、しみじみ思ったのでした。
親戚のTERUMASAさん。その友人のCHIDAさんはじめ、お仲間の皆様。民主党から出る私とは、ちょっと立場は違ったけど、それを越えて、私が出たいと思う信念に共感してくださった。
TERUMASAさんの息子さんで、私の従兄弟の朗さん、和力の皆様も。ほんとは政治に関わったりしたくないはずなのに、私の存在そのものを心配してくださったこと、とても感じました。
福祉関係の方は、私は民主党じゃなくて違うところから出たほうが良いんじゃないのという声はたくさんありました。でも私は、浅野史郎さんについて書いたときに書いたように、新しいことをできる一つの方法だと思いましたし、本当にやりたいことがあれば党って関係ないと思ってます。どちらかというと私の知り合いやら友人やらは共産党に多い気もしますし(^^;)でもそんな狭いところじゃなくて、「社会がどうあるべきか」で共感しあえる仲間を増やすことが一番だと思うのです。党を超えたところで共感しあえる仲間が増えたのは嬉しかったです。前に書いた、無所属のでんだひろみさんもそうだけど。
自分が選挙準備中にも関わらず何度も大泉に足を運んでくださった川田虎男さん。川田さんは日高市議会議員選挙でトップ当選です。これからも自分を見失わないように、お互いにチェックしあって頑張ろうね。
わざわざ京都から来てくれたshin1さん。このブログではくじらベーコンの話で登場しましたが。。関東圏に住む友人でも忙しくて来られないという中で、わざわざ来てくれたなんて、どうやってお返ししたらいいのやら。
私の親戚TERUMASAさん、CHIDAさん、川田虎男さん、shin1さんが知り合ったきっかけはボランタリーフォーラムですが、その事務局だったANDOさん、SHIMIZUさん、SHIBATAさんがいつも気にかけてくださっていたことも、私の昔の職場の方々、特にGOTOさん、KOSHIIKIZAWAさんがよくメールくださったことも。実際に来てくださったかどうかがボランティアではないと思うのです。その人たちがいてくれると思うことで、私の心がどれだけ助かったか。
幼稚園の担任だったISO先生も、ピアノのFUJITA先生も、小学校のASADA先生も。
石神井台のMさん、大泉学園町1丁目のとんかつやさん、飲み屋さん。駅前の飲み屋さん。しょっちゅう事務所に来て黙々と作業をしてくれたHさん、Sさん。光が丘でいつも気にしてくれていたTさん、Nさん。
高校の友達で、自身がまだ仕事を始めたばかりで忙しいだろうにずっと気にかけてくれたYOSHIEちゃん。この子は誰よりも私のおバカな所も含めて知ってるはずなのに、ほんとに温かく見守ってくれたなあとありがたく思っています。
それからみんなに優しい中山幹雄さん。中山さんはほんとに優しくて、それは本当に社交辞令でない温かさで、いつも励まされました。選挙期間中にさめじま宗明さんの車に乗ってた中山さんが車から顔を出して「あとちょっとだから頑張るんだよ!」と言ってくれたその言葉で、私は選挙期間を乗り越えられたと思っています。
そして、大泉学園町と東大泉と、南大泉の皆様。その他、私を心配してくださったすべての皆様。
選挙が終わってありがとうって言っちゃいけないという決まりがあるんだって言われたんです。私は今回が初めてだからそういう決まりは全然分からないんですが。
友達から、「議員になったら、自分が皆さんに感謝される活動をするべきだから、皆に感謝する必要はないんじゃないか」っていわれたんだけど、でもやっぱ当たり前の感情としては感謝したいのですが。
だって私にはまだ何もないんだもの。
何もないのに、あり得ないくらい応援してくれた人がいるんだもの。
せめて「ありがとう」ってくらい言いたいんだけど。
でも言っちゃだめみたいだから、せめて、皆さんに見える形で頑張っていきます。
ボランティアについて改めて勉強したいと思ってます。
ボランティアってただ単に何かを無償でやることではないと思います。
無償って、お金のことだけではないと思うのです。
何もしなくても、心の問題。
「好きだよ」「楽しいね」と言い合える関係なのかなと思うのです。
私の力で返しきれるとは思いませんが、返せるように最大限頑張りますので、これからもどうぞ見守ってやってください。
終わりました
ご報告が遅くなりましたが、無事練馬区議会議員選挙が終わりました。
定数50に対し、68名の候補者でした。私は、6位で当選いたしました。
今週も毎朝駅頭に立ってますし、なんだかんだでバタバタしていて、あんまり「終わった!」という実感はないのですが…。
大泉学園の皆様は、今まで福祉の仕事をしていて政治の世界への挑戦が完全に初めてである私のことを、かなり心配して見守ってくださっていたようで、終わってから本当に温かいお言葉をいただきます。
「おめでとう」も嬉しいけど、「頑張ったね」「よかったね」「いっぱいとったね」というお言葉も温かくてとても嬉しいです。そういう言葉を、地域のおじさんおばさん、おじいさんおばあさんからいただくと、なんだか心がほんわりとします。
選挙に出る準備をしてみようと思ったのは、昨年の春頃。すごく興味深い体験だったと思っています。
人生の中に起きる様々な山や谷や波をすべて集約したような1年でした。うまく言葉にはできないけど、なかなかないような経験です。
事務作業ひとつ考えても、「明日までにやらねば」がごちゃっといっぱいやってくる。でも時間は24時間しかない。何を優先するべきか。・・・これは生きていればいつでも起きることですが、期間が限られているだけに、切実さの密度が濃い。
それだけの切実さでやっていると、人との関係も凝縮したものになる。
長崎市長が亡くなったとき、支援してた方が崩れ落ちそうに嘆いていたけれど、それは今の私には感覚として分かる気がします。手伝ってくださった方との関係は、友達や恋人ともまた違う、不思議な強い結びつきがあるような。関係が濃いだけに、反発心もあったりする、難しいところもあるんですが(笑)
とにかく、作業的にも人間関係的にも、選挙は人生のいろんなものが集約されていました。
人は生きていれば、その時々で何かを選択しながら進んでいきます。「選ぶこと」は「捨てること」でもある。「選択する」というのは、とても厳しいものだと思います。私に投票してくださった方は、もしかして他の候補者とどちらにするか迷ったうえで私にしてくださったかもしれない。私を選ぶということは、他の可能性を捨てるということでもある。
選挙事務所に来てくださったボランティアさんも同じ。家族との時間をとるか、私へのボランティアに時間を割くかで悩んでいた方もいらっしゃった。一つを選べばもう一方は捨てることになるのです。
だから尊いのですね。
意見交換会についてのブログでも書きましたが、人が行動をするときにはいっぱい背景があって、その中から今の行動を選んでいるのですね。
投票に行くか、家にいるか。投票に行かないでどこかに出かけるか。投票に行ったら誰に入れるか。やっぱやめて帰るか。たくさん選択肢があると思います。
選択肢の一つを選べばもう一つの選択肢は消える。そのいくつかの積み重ねで私の名前を書いてみようかなあと思った人が、私自身の分を除いて5742人。その数の多さではなくて、その一人ひとりが抱えているであろう背景を思っています。
私は、とにかく「若い女性だから受かっただけだ」と言われないような4年間を過ごしたいと思っています。選んでもらった心に対して応える責任があると思っています。
一方で、まだまだ今の社会の中で薄いのは「選ぶ責任」。
介護保険以来、福祉でも「本人が選択して利用する」という考えが広まっていますが、そもそも「自分で選択する」というところがまだ薄いから、今の福祉、あまりうまくいっていないのではないかという気がします。
自分から言葉にしなくても行動にしなくても誰かが分かってくれるだろう。分かってくれなければ、分かってくれない人が悪い。そう思いがち。・・・でもどんなに消極的な行為であれ、何か行為をするということには責任が伴うのだという意識を育てて行くことが必要なのではないかと思います。
とても漠然としていますが、私が一番やりたいことは「議員は何かをしてくれる人」ではなくて、「議員は市民が自ら考えて決めたことについてサポートする人」に代わっていくことだと思っています。
皆で一緒に、きちんと責任を持って考えて行く地域社会を、私はめざしたいです。
都知事
大変遅くなりましたが、都知事選について私が思ったこと…。
残念ながら民主党が応援した浅野史郎さんは結果は出せませんでしたが、福祉で有名な浅野さんの言う内容を聞いて、今回浅野さんが知事選に挑戦したこと自体に一つの意味があるのではないかと思いました。
福祉というと、お金をかけて何かを作るということが中心だったのが従来の公約だったのではないでしょうか。
例えば「特養を作る」とか「待機児童をなくす」とか。
それがなくては最低限度の生活も保障されない人がいるからには、作ることももちろん必要ではあると思いますが、それだけではない工夫の仕方があると思います。
例えば、定年後にボランティアをしたい方が子どもを預かることができるような仕組みを作れば、大きな保育園を作らなくても、よりきめ細かな保育ができるかもしれない。もちろん、そこに専門家の力も必要だとは思いますが。
目に見える形にすること、建物などの形にすることは、誰の目にも分かりやすいことだから約束もしやすい。でも、今必要なのはそういうことではないのではないか。立派な建物はもうすでにたくさんある。なかなか社会が住みやすくならないのは、人の知恵を生かしきれていないからではないか。
人と人がつながりあっていく工夫ができれば、お金をかけなくても社会はもっと住みやすくなるのではないかと思います。
3月28日に大泉学園駅前に浅野さんが来て話してるのを聞いて、浅野さんと一緒に仕事ができたら、住みやすいまちを作りやすくなるんだろうなあと思っていました。だから、今回の結果は本当に残念。
ただ、「モノではなくて人のつながり」という提案をできる人が知事選に出る、というのは、社会全体が「人のつながり」を求め始めてるからなんだろうなと思いました。
練馬区長予定候補の鮫島さんも、同様にソフト面を重視しています。
今でもいるはずの、「近所の困ってる人を支えたい」というボランティアさんの力をさらに引き出していけるような、楽しいまちを作っていけたら良いなと思います。
都知事に関しては、私は福祉の立場からも石原慎太郎さんは嫌いですが、大学で国文学をやってきた者としても、「文学に携わってる者があんなに汚い言葉を使うのか」ということにいつも腹を立てています。知事選の掲示板の浅野史郎さんのポスター貼りをお手伝いしましたが、上に貼ってある石原さんの顔を見るだけで腹が立つ、と思っていました(笑)
とにかく、今回はまずは市区町村レベルから住みやすいまちを実現していって、都知事は4年後に期待したいものです。
写真は、大泉学園に浅野さんがいらしたときのもの。慌てて携帯のカメラで撮ったので、画像が粗くて顔がモザイクみたいになってますが(^^;
右から順に、元都議の中山幹雄さん、浅野史郎さん、私、です。
さて、いよいよ15日の日曜日から練馬区長選・区議選が始まります。ブログもしばらくお休みします。
でんだひろみさんのこと
私の友人・でんだひろみさんはさいたま市議会議員ですが、昨日の選挙で無事2期目に入ることができました。
私が今回練馬で活動をすることになって、以前からの知人がでんださんを紹介してくださったご縁で、昨年の秋ごろだったか、初めてお会いしました。
お家にお邪魔して、お鍋をやりましたが、「私はお酒は要るけどおつまみは要らないの」というでんださんを見て、「私と同じような人が世の中にはいるもんなんだ」と思いました(^^;
すっかり意気投合しましたが、その後は私自身がバタバタしていて連絡がなかなかできないままでした。でも、一足早く選挙戦に入るでんださんのこと、いつも「お元気にしているかな…」と気になっていました。
私自身、またでんださんとおいしいお酒を飲めるように、頑張らなくちゃと思いつつ。
でんださんは車椅子で生活をしていらっしゃる方。無所属で、なかなか厳しい状況だとご本人はおっしゃる。でも、障害者自立支援法ができるなど、福祉が必要な人にとってとても生活しづらい社会になりつつある今、皆の声を市政に届けるために、どうしても頑張りたいんだとおっしゃっていました。
東京では昨日都知事選が終わり(これについてはまた改めて書きます)、制約の多かった私の活動も今日から復活。都知事選はやたらと早く結果が出ていましたが、さいたま市のホームページを覗いてもまだ結果は出ないなあと気になりつつ、今朝から駅頭でのご挨拶が復活するため、床に就きました。
すると夜中に友人から「でんださん、当選したよ」との電話。
都知事選の結果にはがっかりしていた私ですが、ああ、ほっとした、と思いました。思いはちゃんと届いたんだな、と。
今日になって、でんださんに電話してみました。
「桜子ちゃんのほうはどう?」とでんださん。「うーん、さっぱりどうなんだか分かりません…」と嘆く私にでんださんは一言「大丈夫よ」と言いました。
でんださんの「大丈夫よ」という声を聞いたときに、なんだか私は、お腹の中からほっとするような感覚になりました。
2週間後にある練馬区議選の結果がどうなるか、というところよりももっと深くにあるなにか。
私はどちらかというと、「ちゃんと就職して、きちんと生きていく」というところから外れがちな生き方をしている。自分で考えてそのときそのときに選んでいるのだから後悔はないし、むしろ誇りに思っている気持ちでいるけれど・・・でも、特に今の状況の中では、自分自身でも知らず知らずに抱えていた心の奥のストレスが、でんださんの一言ですーっと解放されたような感覚です。
なんだか、私自身が生きてることそのものに対して「それで大丈夫よ」と言ってもらえたような・・・。
先日、東大泉にお住まいの知り合いと話をしているときに、「今の子どもって、間違えるということをとても怖がるのよね」とその方がおっしゃいました。「どうして今の日本はこんなになってしまったんだろう」と。
そのご意見を聞いて以来、「たしかにそうだけど、それはなんでなんだろう」とずっと考えてました。
それで私が行き着いた私なりの答えは、「何かの条件付でないと愛されないのではないかという不安があるからではないか」ということです。
勉強ができるから認めてもらえる。何かができるから好かれる。逆に、できないことがあれば嫌われてしまうかもしれない。
そんな思いがあるから、「できない」ということが怖いのではないかな、と。
「できなくたって、ダメなところがあったって、そんなところも含めて、あなた自身がかけがえの無い存在だよ」と言い合える社会を作りたいなあと思います。
とは言いつつ、私は自分自身の変わり者なところや、間抜けなところが、どこかで不安で、ストレスだったのかもしれないと思いました。でんださんに、「それも含めて、大丈夫だよ」と言ってもらえたような、なんだかそんな気がして、今日はちょっと元気になりました。
障害のある当事者として、というようなことの以前に、でんだひろみさんという人そのものが、さいたま市の市民の代表になっていることは、とても素敵なことだと思います。
さいたま市にお住まいの方はぜひでんださんに会ってみてください。
でんださんの結果は出たので、おいしいお酒を飲むためにはあとは私が頑張るだけですね…。
「地域」ってなんだろう
ここのところ、月日が飛ぶように過ぎていくので、なかなかご報告できませんでしたが…
3月26日、27日に友人・川田とらおさんのお手伝いに出かけました。
私の3月10日の集会の司会をやってくれた川田さんは、埼玉県日高市の市議会議員選挙に出るための準備をしていらっしゃいます。
ここのところ何度かブログにも書いていますが、私は川田さんとは、民主党関係のつながりではなくて、元々福祉の仕事をしていた時からの友達です。
忙しい時期に私の集会の司会をやっていただいたので、少しでもお返しをしなくてはと思い、出かけたのです。
その日についての川田さんのブログはこちら
私が今回練馬での活動を始めようと考えたのは、私がずっと関心を持ってきたのが「地域福祉」だったからです。高齢者・障害者・子どもなどに分類するのではなくて、誰もがいる「地域」というものに関心がありました。
高齢者はある日突然「高齢者」として登場する人物なのではなくて、若い頃は若者で、だんだん年を重ねて「高齢者」になる。福祉というと特別な人のものだと思われがちだけど、そうではなくて人間の人生は連続する中で少しずつ変化が生じて、困っている事柄も変わっていく。特別なニーズを持つ人だけを切り取るのではなくて「そこに住んでいる人みんな」という視点から考えていきたいと思っているのです。
けれど私は小さいころからあちこち転々としてきたし、中学から私立に入ったから、実感として「地域」というものはないんじゃないか、ということも感じてきました。
自分の住んでいるまちよりも、自分の働いているまちについてのほうが詳しい自分がいて、一方で「地域福祉」に関心を持つ自分がいて、なんだか矛盾を感じていて、「もっと自分の住んでいる場所と自分のやりたいことが一致する生き方をしなくては、本当の意味で地域福祉を語ることはできないのではないか」と思ったのです。
本当にこの1年、自分の住んでいるまちをこんなに隅々まで自転車で走るのは小学生の頃探検ごっこをして以来だなあと思う今日この頃、川田さんの日高市に出かけたのです。
日高は山や畑がいっぱい。練馬にも畑が多いと思っていたけど、全然違います。
私は夕方のスーパー前でのご挨拶と、翌朝の駅頭のご挨拶をお手伝いしましたが、大泉学園や石神井公園、保谷でやるのとはまったく違いました。まず通る人間の数が違うので。マイクを使っての挨拶なのに、まるで個々にしゃべっているようなかかわりができる。
住民が地域に対するかかわり方も、練馬と日高では違うのではないかと思いました。
私の持った印象ですが、私がいつも大泉等でしゃべっている時の印象は、多くの人が仕事のある場所と住む場所を切り分けて考えている。今までの私がそうだったように、もしかしたら職場のあるまちのことの方が詳しいかもしれないという人が多いように感じています。
日高のほうは、夕方のスーパーでやったから余計かもしれないけど、いつもそのまちにいて、そのまちがどうなっていくかが自分自身の人生そのものに深く関わるんだ、というような表情で川田さんを見守っている人が多かったように思います。
私が川田さんと知り合ったのは、これまたここのところ何度か書いていますが、ボランタリーフォーラムというイベントでした。
私はそのとき「福祉施設やサロンは地域の拠点となりうるか」というテーマの分科会を企画したのですが、そこで「そもそも“地域”ってなんなんだ」という話が出ていました。
今、自分の住んでいる大泉周辺と川田さんの日高を比較して改めて、「一口に地域というけれど、本当に、そもそも地域ってなんなんだろう。どの範囲を“地域”と呼ぶんだろう」と考えました。
市とか区のレベルを「地域」と呼ぶのは、ちょっと実感がわかないように思います。特に練馬のように広い場所だと、例えば光が丘・大泉・江古田・練馬をひとくくりに「地域」と呼べるかと言ったら、なんだか違うように思います。
小学校区とか中学校区が実感のある「地域」ではないかという意見を聞いたこともあります。
「地域」に対するイメージの持ち方も、上に書いた日高と練馬のように場所によって違うような気がします。
例えば練馬のような場合。職場は池袋周辺とか新宿周辺とか、ちょっと都心に行く場合が多い。そういう場所であれば、家に戻るのは夕方から夜、出て行くのは朝となる人も多い。日中の大半は区外で過ごす人にとって、自分の住んでいるまちを自分達の力でより良くしていくんだと思えるようになるには、どうしたらいいのだろうか。
日高の場合ならば、ずっと住んできた人がこれからも安心して日高の中で暮らしていくためにどうしたらいいのだろうか。車がないと移動が不便な場所で、高齢になったときにも安心してそこに住み続けられるのだろうか。
大きい枠で「どんなことがあっても安心して住めるまちにしていく」というところは共通するとしても、具体的に考えるべき課題は、そのまちによってまったく異なるのだということ、改めて感じました。
「地域」というとなんだか分かりにくいけど、「心のふるさと」と置き換えることもできるかもしれません。自分の住んでいるまちを、「心のふるさと」と呼べるようにするためには、何をしていったら良いのか。それが川田さんと私の共通の課題かもしれません。
今回は私がマイクを持って川田さんについての話をしたり、川田さんがしゃべっている間に私はチラシを配ったりというお手伝いをしました。
「民主党の川田とらおです」と言うべきところをついうっかり「民主党のかとうぎ桜子です」と言ってしまったり、それから恥ずかしくてここには書けない間抜けな失敗をしたり、お手伝いに行ったのか迷惑をかけに行ったのかよく分からない2日間でしたが(^^;)
さて、今日も本文とは関係ない写真ですが、1ヶ月ほど前の日記で書いた手作りバッグをようやく受け取ってきました。可愛い。大事に使いたいと思います。
社会問題と教育
先日の日記のはちさんからのコメントで、環境問題についての話になり、私は「結局教育ではないか」というようなことをちょっと書きましたが、それからずっと考えていました。
それでふと思い出したことがありました。
数ヶ月前、豊作でできすぎたキャベツを廃棄処分にするという報道があり、「もったいない」というのがテレビで言われていたことがありました。
それを見て私は「おや」と思いました。
たしか私が小学生の頃、社会か何かの授業の時に「豊作でとれすぎたキャベツは捨ててしまうんです。もったいないけれど、あまりたくさんあると元が取れないくらい安くなってしまうし、どこかに寄付しようと思っても送料が高くなって農家が困るから、捨てるしかない。仕方ないんだ」と習った記憶があるのです。
何か釈然としないなあと思いつつも、「そうか、しかたないのか・・・」と小学生の私は思ったのでした。
私が小学生ならば、今から15年ほど前のことになりますが、それと同じ内容のことが「もったいないじゃないか」と今テレビで言われているということに、なんだかうまく言葉にはできませんが、感慨を覚えたのです。
釈然としないことに対して「仕方ない」という言葉で済ませてはいけないんだなと改めて感じたのです。
実際問題として、解決するのは簡単なことではないのでしょう。だけど「やっぱりおかしいよね」と考えることができる力を、一人ひとりがつけていかなくてはいけないんだと思いました。
環境問題も福祉の問題も、うまくいっていない部分はたくさんありますが、「そういう社会なんだから仕方ない」となるのではなくて、「どうやったら一歩でも解決に近づけるのか」考えていくことが必要だと思います。
考えて悩んで結果としてなかなか解決できなかったとしても、「どうしよう」と考えることそのものが大事なのではないかと。
思えば大人になるほど、「考えたってどうせ解決なんかできない」と諦めがちになるのかもしれません。
でも、15年前には「しかたない」で済まされていたことが、「おかしい」と話題になるようになったのは、少し成熟した社会になったとも言えるのかなと思いました。
不況になって、一人ひとりの心が痛んで、その結果社会が育ったところもあるのかなあと。
「しかたない」を教える教育ではなくて、「仕方ないといわれてるけど、どうしたらいいのかな」を考えられる教育ができるようになったら、社会はもっともっと成熟するのではないかと私は思います。
本文とは関係ありませんが、下の写真は大泉学園通りの桜です。
昨日今日の悪天候でだいぶ散ってしまったけど、写真は数日前の一番きれいなときのもの。
それでも肉眼には負けますね…。