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社会問題と教育
先日の日記のはちさんからのコメントで、環境問題についての話になり、私は「結局教育ではないか」というようなことをちょっと書きましたが、それからずっと考えていました。
それでふと思い出したことがありました。
数ヶ月前、豊作でできすぎたキャベツを廃棄処分にするという報道があり、「もったいない」というのがテレビで言われていたことがありました。
それを見て私は「おや」と思いました。
たしか私が小学生の頃、社会か何かの授業の時に「豊作でとれすぎたキャベツは捨ててしまうんです。もったいないけれど、あまりたくさんあると元が取れないくらい安くなってしまうし、どこかに寄付しようと思っても送料が高くなって農家が困るから、捨てるしかない。仕方ないんだ」と習った記憶があるのです。
何か釈然としないなあと思いつつも、「そうか、しかたないのか・・・」と小学生の私は思ったのでした。
私が小学生ならば、今から15年ほど前のことになりますが、それと同じ内容のことが「もったいないじゃないか」と今テレビで言われているということに、なんだかうまく言葉にはできませんが、感慨を覚えたのです。
釈然としないことに対して「仕方ない」という言葉で済ませてはいけないんだなと改めて感じたのです。
実際問題として、解決するのは簡単なことではないのでしょう。だけど「やっぱりおかしいよね」と考えることができる力を、一人ひとりがつけていかなくてはいけないんだと思いました。
環境問題も福祉の問題も、うまくいっていない部分はたくさんありますが、「そういう社会なんだから仕方ない」となるのではなくて、「どうやったら一歩でも解決に近づけるのか」考えていくことが必要だと思います。
考えて悩んで結果としてなかなか解決できなかったとしても、「どうしよう」と考えることそのものが大事なのではないかと。
思えば大人になるほど、「考えたってどうせ解決なんかできない」と諦めがちになるのかもしれません。
でも、15年前には「しかたない」で済まされていたことが、「おかしい」と話題になるようになったのは、少し成熟した社会になったとも言えるのかなと思いました。
不況になって、一人ひとりの心が痛んで、その結果社会が育ったところもあるのかなあと。
「しかたない」を教える教育ではなくて、「仕方ないといわれてるけど、どうしたらいいのかな」を考えられる教育ができるようになったら、社会はもっともっと成熟するのではないかと私は思います。
本文とは関係ありませんが、下の写真は大泉学園通りの桜です。
昨日今日の悪天候でだいぶ散ってしまったけど、写真は数日前の一番きれいなときのもの。
それでも肉眼には負けますね…。