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でんだひろみさんのこと
私の友人・でんだひろみさんはさいたま市議会議員ですが、昨日の選挙で無事2期目に入ることができました。
私が今回練馬で活動をすることになって、以前からの知人がでんださんを紹介してくださったご縁で、昨年の秋ごろだったか、初めてお会いしました。
お家にお邪魔して、お鍋をやりましたが、「私はお酒は要るけどおつまみは要らないの」というでんださんを見て、「私と同じような人が世の中にはいるもんなんだ」と思いました(^^;
すっかり意気投合しましたが、その後は私自身がバタバタしていて連絡がなかなかできないままでした。でも、一足早く選挙戦に入るでんださんのこと、いつも「お元気にしているかな…」と気になっていました。
私自身、またでんださんとおいしいお酒を飲めるように、頑張らなくちゃと思いつつ。
でんださんは車椅子で生活をしていらっしゃる方。無所属で、なかなか厳しい状況だとご本人はおっしゃる。でも、障害者自立支援法ができるなど、福祉が必要な人にとってとても生活しづらい社会になりつつある今、皆の声を市政に届けるために、どうしても頑張りたいんだとおっしゃっていました。
東京では昨日都知事選が終わり(これについてはまた改めて書きます)、制約の多かった私の活動も今日から復活。都知事選はやたらと早く結果が出ていましたが、さいたま市のホームページを覗いてもまだ結果は出ないなあと気になりつつ、今朝から駅頭でのご挨拶が復活するため、床に就きました。
すると夜中に友人から「でんださん、当選したよ」との電話。
都知事選の結果にはがっかりしていた私ですが、ああ、ほっとした、と思いました。思いはちゃんと届いたんだな、と。
今日になって、でんださんに電話してみました。
「桜子ちゃんのほうはどう?」とでんださん。「うーん、さっぱりどうなんだか分かりません…」と嘆く私にでんださんは一言「大丈夫よ」と言いました。
でんださんの「大丈夫よ」という声を聞いたときに、なんだか私は、お腹の中からほっとするような感覚になりました。
2週間後にある練馬区議選の結果がどうなるか、というところよりももっと深くにあるなにか。
私はどちらかというと、「ちゃんと就職して、きちんと生きていく」というところから外れがちな生き方をしている。自分で考えてそのときそのときに選んでいるのだから後悔はないし、むしろ誇りに思っている気持ちでいるけれど・・・でも、特に今の状況の中では、自分自身でも知らず知らずに抱えていた心の奥のストレスが、でんださんの一言ですーっと解放されたような感覚です。
なんだか、私自身が生きてることそのものに対して「それで大丈夫よ」と言ってもらえたような・・・。
先日、東大泉にお住まいの知り合いと話をしているときに、「今の子どもって、間違えるということをとても怖がるのよね」とその方がおっしゃいました。「どうして今の日本はこんなになってしまったんだろう」と。
そのご意見を聞いて以来、「たしかにそうだけど、それはなんでなんだろう」とずっと考えてました。
それで私が行き着いた私なりの答えは、「何かの条件付でないと愛されないのではないかという不安があるからではないか」ということです。
勉強ができるから認めてもらえる。何かができるから好かれる。逆に、できないことがあれば嫌われてしまうかもしれない。
そんな思いがあるから、「できない」ということが怖いのではないかな、と。
「できなくたって、ダメなところがあったって、そんなところも含めて、あなた自身がかけがえの無い存在だよ」と言い合える社会を作りたいなあと思います。
とは言いつつ、私は自分自身の変わり者なところや、間抜けなところが、どこかで不安で、ストレスだったのかもしれないと思いました。でんださんに、「それも含めて、大丈夫だよ」と言ってもらえたような、なんだかそんな気がして、今日はちょっと元気になりました。
障害のある当事者として、というようなことの以前に、でんだひろみさんという人そのものが、さいたま市の市民の代表になっていることは、とても素敵なことだと思います。
さいたま市にお住まいの方はぜひでんださんに会ってみてください。
でんださんの結果は出たので、おいしいお酒を飲むためにはあとは私が頑張るだけですね…。