Entries
終わりました
ご報告が遅くなりましたが、無事練馬区議会議員選挙が終わりました。
定数50に対し、68名の候補者でした。私は、6位で当選いたしました。
今週も毎朝駅頭に立ってますし、なんだかんだでバタバタしていて、あんまり「終わった!」という実感はないのですが…。
大泉学園の皆様は、今まで福祉の仕事をしていて政治の世界への挑戦が完全に初めてである私のことを、かなり心配して見守ってくださっていたようで、終わってから本当に温かいお言葉をいただきます。
「おめでとう」も嬉しいけど、「頑張ったね」「よかったね」「いっぱいとったね」というお言葉も温かくてとても嬉しいです。そういう言葉を、地域のおじさんおばさん、おじいさんおばあさんからいただくと、なんだか心がほんわりとします。
選挙に出る準備をしてみようと思ったのは、昨年の春頃。すごく興味深い体験だったと思っています。
人生の中に起きる様々な山や谷や波をすべて集約したような1年でした。うまく言葉にはできないけど、なかなかないような経験です。
事務作業ひとつ考えても、「明日までにやらねば」がごちゃっといっぱいやってくる。でも時間は24時間しかない。何を優先するべきか。・・・これは生きていればいつでも起きることですが、期間が限られているだけに、切実さの密度が濃い。
それだけの切実さでやっていると、人との関係も凝縮したものになる。
長崎市長が亡くなったとき、支援してた方が崩れ落ちそうに嘆いていたけれど、それは今の私には感覚として分かる気がします。手伝ってくださった方との関係は、友達や恋人ともまた違う、不思議な強い結びつきがあるような。関係が濃いだけに、反発心もあったりする、難しいところもあるんですが(笑)
とにかく、作業的にも人間関係的にも、選挙は人生のいろんなものが集約されていました。
人は生きていれば、その時々で何かを選択しながら進んでいきます。「選ぶこと」は「捨てること」でもある。「選択する」というのは、とても厳しいものだと思います。私に投票してくださった方は、もしかして他の候補者とどちらにするか迷ったうえで私にしてくださったかもしれない。私を選ぶということは、他の可能性を捨てるということでもある。
選挙事務所に来てくださったボランティアさんも同じ。家族との時間をとるか、私へのボランティアに時間を割くかで悩んでいた方もいらっしゃった。一つを選べばもう一方は捨てることになるのです。
だから尊いのですね。
意見交換会についてのブログでも書きましたが、人が行動をするときにはいっぱい背景があって、その中から今の行動を選んでいるのですね。
投票に行くか、家にいるか。投票に行かないでどこかに出かけるか。投票に行ったら誰に入れるか。やっぱやめて帰るか。たくさん選択肢があると思います。
選択肢の一つを選べばもう一つの選択肢は消える。そのいくつかの積み重ねで私の名前を書いてみようかなあと思った人が、私自身の分を除いて5742人。その数の多さではなくて、その一人ひとりが抱えているであろう背景を思っています。
私は、とにかく「若い女性だから受かっただけだ」と言われないような4年間を過ごしたいと思っています。選んでもらった心に対して応える責任があると思っています。
一方で、まだまだ今の社会の中で薄いのは「選ぶ責任」。
介護保険以来、福祉でも「本人が選択して利用する」という考えが広まっていますが、そもそも「自分で選択する」というところがまだ薄いから、今の福祉、あまりうまくいっていないのではないかという気がします。
自分から言葉にしなくても行動にしなくても誰かが分かってくれるだろう。分かってくれなければ、分かってくれない人が悪い。そう思いがち。・・・でもどんなに消極的な行為であれ、何か行為をするということには責任が伴うのだという意識を育てて行くことが必要なのではないかと思います。
とても漠然としていますが、私が一番やりたいことは「議員は何かをしてくれる人」ではなくて、「議員は市民が自ら考えて決めたことについてサポートする人」に代わっていくことだと思っています。
皆で一緒に、きちんと責任を持って考えて行く地域社会を、私はめざしたいです。