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今日の活動
変更になるといけないので、今までは事前に予定を書かないようにしてましたが、今までほとんど予定変更はなかったので…と思って書いた途端に変更が生じる…。うまくいかないものです。
ところで、昨日のブログの補足。
区役所には、皆さんが足を運ぶ立派な本庁舎の脇に東庁舎と西庁舎というのがあります。
東庁舎は、私がやりたいことと似た活動をしている社会福祉協議会やまちづくりセンターが入っていますが、本庁舎をはさんで逆側にある西庁舎が議会に関するものがある棟です。
本会議や委員会をやる部屋、事務局がありますが、その6階が議員控え室。イメージとしては職員室みたいな部屋。
昨日のブログで「立ち寄ってください」と書きましたが、わざわざいらっしゃるほどのことはないです(笑)
ただ、今私の東大泉の事務所はまだ整理がつかず物置状態ですので、何かお話をする必要がある場合は区役所の方が良いかもしれません。
今日は町会連合会の集まりに参加しました。
私が今まで働いてきたようなNPOもそうですが、5月6月は総会の時期ですね。
私は、大学の頃に実家のある地元で手話講習会に参加してた時も、仕事をしていた新宿で区民会議に参加していた時も、最後の修了式の時だけ普段は来ない議員さんや区長さん市長さんが来るんだなぁと思っていたひねくれ者ですので、式典だけじゃなくて日頃から地域の活動をお手伝いしたり参加するようにしていきたいなと思っています。
まあ、式典は地域活動に入っていくための入り口ではありますね。車の両輪だと思います。
初登庁
午後1時にバッジをいただくということで、民主党の仲間は昼頃に集まって打ち合わせ。
バッジをもらったら区役所の1階で記念撮影。
学校で撮った集合写真みたいなものです。区役所のピアノのあるあたりで。
たまたま居合わせた区民の方は驚くんだろうなと思いつつ。
考えると集合写真なんて高校以来です。50名もの人がきれいに写るように並ぶのは大変なことで、写真屋さんが大変そうでした。「そこの緑の先生、もう少し右へ!」など…
緑の先生…。
服が緑の議員さんということですが…。
早く撮らなきゃと慌てるほどめちゃくちゃになる感じで、なんだか面白かったです。
2時からは議員さん全員と区長、区の職員さんたちが一堂に集まって自己紹介。
始業式みたいなもんですね。私は今までは新入社員は私だけ、みたいなところしか働いたことないけど、入社式もこんなものでしょうか。
今日の正式な動きはこれで終了ですが、あとは民主党の会派の模様替えをしてました。
今までより人数が増え、メンバーもかなり変わったので、大幅な部屋の模様替え。
時々通る他の党の方が「ありゃ!」というほどゴタゴタになって皆疲労困憊していましたが、一応すっきりしましたので、何かありましたらぜひお立ち寄りください。
今日はそんなものでした。
松岡さんの自殺について、政治の面からではなく日本の自殺者が多いという視点から書きたいと思ってます。数日中に。
ほんとは真っ先に書きたかったんですが、今日初登庁だったのでまずはその報告からさせていただきました。
和力
今までお会いした方、お世話になった方でお名前が分かってる方にはこれからも報告をしていきたいと思って、毎日時間を見つけては整理をしているんですが、膨大な量でまったく間に合いません…。でも、お名前、ご住所が分かってる方にはできるだけ早く定期的な報告の体制を整えたいと思っております。あわせて、読んでくださった方、お会いしたことがある方で今まで名刺交換等したことがない方、そして私からお手紙送って良い方はぜひご連絡をいただければ幸いです。
以前もお知らせしました、6月14日の和力コンサート、おかげさまでだいぶ人が集まりつつあります。ありがたいことです。ぜひ、お申し込みがまだの方もいらしてください。
和力のお手伝いは、2年ほど前から始めました。
今回の公演は、私が主たる責任者として準備をしています。政治活動とは離れたところで、一個人として皆さんに楽しんでほしいという思いでやっています。
今までお世話になった方、気にかけてくださった方がたくさん見に来てくださることになりそうで、ちょっと緊張しております…。
当日はきっと私がどこかのタイミングで少しお話をさせていただくと思いますが、知ってる人ばかりがいっぱいいる前で話すと思うと余計に緊張しそうです。。選挙の時も思っておりましたが、今までの人生の中でとってもお世話になった方だとか仲良かった友達だとか、私にとっては特別に大事な人がいっぺんに集まるというのは、普通ならば結婚式だとかお葬式だとかしかないようなことですからね…。
和力に関しては言いたいことが色々とあるのですが、ここで書いてしまうと当日話すことがなくなってしまうので、しばらく我慢します。
話すのが下手なのでどれだけ言いたいことを伝えられるやら…。
頑張りますので、ぜひ皆さんご参加ください。
ホームページを覗いてくださった、ということも含めて私とのつながりのあった人同士の横のつながりができることも、とても嬉しいことなのです。
そして3月10日の意見交換会と同様、「出席」「観覧」ではなく、「参加」だと思っています。あなたがいるから成立する会です。
和力コンサート
大泉学園ゆめりあホール
6月14日(木) 18時15分開場 18時45分開演
申し込みは、参加人数、住所、氏名をご記入ください。
sakurako_happy_society@yahoo.co.jp
03-3978-4154(留守電もしくはFAX)
さて、明日はまた月曜日。月日が経つのが早いというのは年寄りが言うことだよ、とよく言われるんですが、どうも早く感じます。。
明日は大泉学園北口駅頭に立つ予定。今週は、火曜は参議院議員選挙予定候補者の鈴木寛さんと練馬駅、木曜日に保谷駅北口、金曜日に石神井公園北口の予定です。配るのは先週と同じチラシです。石神井はこの前の金曜日も行ったんですが、あいにくの大雨で誰もチラシを受け取ってくれなかったので、リベンジです。
参議院選挙が近づいてきました。今日は私も鈴木寛さんの応援に行きました。ボツボツとまた駅頭などが騒がしくなることでしょう。統一地方選終了後は駅前で場所とりの争いもなく自由気ままに演説をさせていただいてましたが、ボツボツとまた大変になるのでしょう…。
民主党は東京では大河原まさ子さんと鈴木寛さんを公認して頑張っていく予定です。その関係でも今後はぼつぼつと街に出没すると思いますので、どうぞ温かく見守ってやってください。
施設見学で思い出したこと
私は高齢者のヘルパーを半年強、デイサービスで一年、保育園の短期アルバイトを一ヶ月、あとは難病の方のヘルパー(これは病気の方なので高齢者とは限りません)をやって計四年福祉の仕事をしていますが、やはり色々な活動を始めた原点は高齢者福祉だなと思い出しました。
ヘルパーをやってると、施設に行ったり他の職種の人とも話す機会もありますが、そんな中で高齢者の方に「今困ってることは?」と聞くと、多くの場合「こんなに良くしてもらってありがたい。何にも困ることはありません」とおっしゃる。今回の視察でもそうおっしゃった方がいた。
団塊の世代の方が介護を受ける時代が来たら、かなりはっきり意志を表明するんではないかと思うのですが、今の高齢者の世代の方はそうではないんだと思います。
だから、「ありがたい」と言ってくださるその言葉に、介護に携わる者は甘えてはいけないと考えながら仕事をしてきました。
介護というと、大手の介護会社や有料老人ホームの宣伝なんかで、介護職員と高齢者がさわやかに笑顔を見せてるイメージなんかがあって、デイサービスなどでは「利用者さんに笑顔で過ごしていただきたい」なんて言ったりしますが、ひねくれ者の私としては、笑顔だから幸せだなんて限らないじゃないかとも思っていました。
私自身は、腹が立ったり嫌いな人としゃべってる時も笑ってますし(笑)
逆に本当に安心した時はそんなにニッコニッコと笑ってはいないように思います。
感情は複雑なものだと思います。
お葬式では本当に近い身内よりもちょっとご無沙汰してた知人の方が激しく泣いてたりする。
目に見える表情と心の奥の感情は必ずしも一致するわけではないと思います。
では、人が幸せになるのはどんなときなのか。誰かが幸せになるために周りは何ができるのか。
表情で判断できないなら永遠の課題です。
この人との関わり方は本当にこれで良かったのかと、常に問うていかなければならないのが福祉の仕事ではないかと思っています。
議員になることは、人の幸せを探求するための手段であり、議員になることそのものが目的ではないとも思っています。
今日はこれから久々に福祉の仕事をするために、移動中に書いています。
手段と目的を混同しないために、初心を失わないために、これからも、支障のない範囲で福祉の仕事と勉強を続けたいと思います。
新人研修第2弾
今日と明日は再び新人研修、「区内視察」です。
今日は豊玉、貫井、光が丘のあたりにある区の関係の施設の見学に行きました。明日は西側。朝から昼頃まで地元・大泉周辺に出没する予定です。午後は関町など。
今日は福祉事務所や障害者関係の施設など興味深く、なんとなく社会福祉士の学生だった時代の見学実習を思い出しましたが、1つずつにはあまり時間をかけてみることができなかったのでまた改めて行きたいなと思っております。
今日回った中で特にもっと知りたいと思ったのは、教育相談室です。子どもの心理相談や教育相談を受けるところ。保護者からの申し込みで相談がスタートします。相談室では親と子と別々の部屋で相談に乗ることができる。まだうまく言葉で表せない年齢の子のためには箱庭や遊びで感情表現してもらう。
・・・教育相談室には初めて来るはずなのに、まったく同じ説明を聞いたことがある。デジャブか!?と一瞬思いましたが、これは児童相談所の見学に行った時にされた説明と同じだったのでした。
児童相談所-児童虐待の問題が報道される時に必ず出てくる名前なので皆さんも聞いた覚えがあるかもしれません。これは、都道府県の管轄のものです。練馬区は、新宿(高田馬場)にある児童相談センターが担当しています。
児童相談所は今はかなり虐待の対応に追われていてその他の相談になかなか対応できない、なんて話も聞いたことがありましたが、それにしても同じような機能が区のレベルであったり都のレベルであったり。具体的にはどんな住み分けがされているんだろうかと。
お聞きしましたら、面接の頻度を増やしてきめ細かに対応できるのが区の相談室。心理検査など詳しくやることができるのは児童相談所。そして、虐待事例に対して強制力を持っているのも児童相談所。だから、役割分担をしてやっているんだそうです。それは児童相談所だけではなく保健センターなどとも連携している、とのことでした。
これは話を聞いて私が想像したことですが、多分こういうことです。例えば子どもの落ち着きがないという相談をお母さんがしてきた。面接に来たお母さんの様子や子どもの雰囲気で、「もしかしたら虐待かもしれない。お母さんが育児で疲れているみたいだから少し休ませてあげたほうがいいのではないか」と感じ取ったとする。でもお母さんはとても一生懸命だから、子どもをどこかに預けるということを認めたがらない。
そんな事例があったとしたら、虐待について権限を持っている児童相談所や、その家族の住んでいる地域の民生委員さんと協力しながら、虐待をなくしていくということが必要になる。
お母さんは教育相談でやってきても、それは違うシグナルかもしれない。それを見分けていくのが福祉の専門家の仕事の1つです。
他にも福祉事務所と保健所だとか、機能が重複している機関はたくさんあります。それじゃあ区民の皆さんが困った時にはどれに相談すれば良いのかが分かりにくい部分があると思います。
お話を聞いてみて分かったことは、どこでも良いからとにかく相談することだということです。
相談する場所でもっと適切な機関がある場合は必ず紹介してもらうことができます。
また前に書いた赤ちゃんポストの話ですが。3歳児が置かれた時に、福祉関係者は「なんで児童相談所に相談してくれなかったんだろう」と嘆いていましたが、きっとそのご両親にとっては児童相談所があることが分からなかったんでしょうね。赤ちゃんポストの場合、匿名というところがあるから、ご両親が名乗り出てこない限りはご両親と話し合うことができないという難しさはありますが、そうやってあらゆる方向から窓口が開いているというのは必要なことではないかと思います。
どの窓から入っていっても適切なところにつながっていく、網の目・くもの巣のような支え合いのしくみ。
区の機関に関してはさらに皆さんにとって身近に感じてもらえるようになることも必要だと思います。赤ちゃんポストまで行かなくても身近にも助けてくれる人はいるよ、と。
最近の事件から考えること
★少年の事件
お母さんを殺してしまった犯罪が最近起きて、報道されています。ぎょっとするような事件がよく起こるようになったのはいつごろからでしょうか。オウムの事件が起こって以来常にぎょっとする事件が起きているような印象が私にはありますが。
特に少年事件が起こるたびに、ゲームの影響ではないかと言われますが、ゲームに影響されるほど人間は愚かだとは私はあんまり思いたくないのですが…。
教育関係の先生いわく、若年者の事件はいつの時代にもあったけど、報道の仕方でセンセーショナルに伝えられているだけだ、ということで、そうであってほしいと思いますが。
ゲームの影響といわれると、あまり私にはピンと来ない(私自身にあんまりゲームをする習慣がないので)のですが、文学に置き換えるとちょっと分かる気がします。
私は大学で近代文学(明治、大正、昭和初期くらい)を専門にしていたんですが、「どうせ近いところならばなぜ現代に関心を持たなかったの?」とよく言われました。
私の印象としては、現代文学はなんだかグロテスクで、性的にも暴力的にも、あまり美しいとは思えなかったからでした。
逆に、現代芸術って、グロテスクにすることが芸術だ、という感じがします。私は好きじゃないけど、まあ百歩譲ってそれはそれで芸術として良いとしても、それは本来芸術という枠のものであるべきで、それが現実と見極められなくなったらちょっと怖いなとも思っていました。
現在のぎょっとする事件の犯行声明分はちょっと不可解で、見ようによっては芸術的なものと紙一重な気がします。
私が文学を離れた理由は、ずっと前にブログでも書きましたが、そんなところです。文学的、芸術的、といわれるところと、現実の社会がかけ離れると、気持ち悪いことが起こる怖さを感じたからです。
★赤ちゃんポスト
私は何が起こっても赤ちゃんポストは賛成です。
赤ちゃんポストって呼び方はいやだけど。こうのとりのゆりかご、ですね。
設置した院長の話と熊本県知事の意見に触れる機会があり、私自身保育士の資格も持つという状況での判断です。
反対派の人は、命が粗末にされるのではないかという。
賛成派の人は、それでも命が救われるではないかという。
そういう議論だと、3歳児が置き去りにされたと聞いて動揺が起こる。
私はそのどちらもちょっと違うと思っています。
その子の命を何らかの方法で救うことは、その親の命を救うことにもなるんじゃないかな、というところで、私は賛成の立場にいます。
反対派の意見を見てしみじみ思いますが、日本の社会は「臭いものにはフタ」ですね。赤ちゃんポストがなくたって、命は粗末にされてますよね。
でも、赤ちゃんポストは、粗末にされずに済むはずの命を救うことができる可能性があると思うのです。
子どもをトイレだとか外だとかに産み落として結果的に殺してしまうお母さん達の供述を聞くと、「どうして良いか分からないし、誰に相談して良いか分からないうちに産む時期になってしまった」というのがかなり多いと思います。それは、未成年であったり、知的障害のボーダー(知的障害の状態だけど、日常生活ができるからか周りの人も自分も知的障害があることに気づかずにいる、社会で生きにくい状態の人たち)であったり、とにかく、社会とのつながり方が分からないままにいる女性がたくさんいるということなのだと思います。
赤ちゃんを捨てる人が悪人だといわれるけど、そうとも言い切れない。産む人、産ませる人がそもそもまだ社会的に成熟していなかったり、誰かにサポートして貰うべきなのにされていない人がいるのだと思うのです。
だから、「なんで育てられないんだ」というのではなくて、「どうして周りが支えられなかったのか」というところから考えて行かなければ本当の解決にはならないのではないでしょうか。
それからあまり言われてないけど、3歳児が置き去りにされたと公表したのは誰なんでしょうか。病院は、赤ちゃんポストに置かれた子の情報は公表しないと明言しています。その子のプライバシーのためです。それじゃあ誰が公表したのかというのが気になっています。もしそれを報道機関に伝えたのが医療・福祉関係者ならば私は同じ立場の人間としては許せないと思います。どんな立場であれ、立場を超えて利用者の存在を守るのが福祉従事者の義務です。誰かは分かりませんが、3歳児が置かれたということは公表するべきではなかったし、どうにかしてそれを公表した人を罰するべきだと私は思うのですが、どなたかご意見があればお願いします。利用者に対する守秘義務も含めて、職業人として守るべきものに対して福祉関係者は少し甘い気がするのです。
現に、これだけ「3歳児が置き去りにされて、なんてかわいそうなんだ」と報道されてしまって、その子が大きくなった時にそれを知ったらどれだけ傷つくか。病院の体制としてこの「ゆりかご」を作る際に情報は公開しないと決めた以上、それを守るべきなのが専門職だと私は思います。
とかく、制度は「強者」の立場で作られてしまう。私は「弱者」という言葉は嫌いだけど、現行の制度の中にある「当たり前」の感覚では生きられない人っていっぱいいるんだよということ、理解し合える社会を作りたいと思います。
新人への説明会に参加しました
新人議員への3日間の説明会が今日終了しました。新人議員は11名。(民主が4、自民1、公明3、共産1、国民新党1、生活者ネット1)
区役所の各部署の説明を、それぞれ1時間くらいずつ聞く、というものでした。
具体的に書くと―名前を並べて書くだけでも目がチラチラしそうですが…区議会の事務局、区長室、選管、監査、企画部、危機管理室、総務部、区民部、産業地域振興部、福祉部、健康部、児童青少年部、環境清掃部、都市整備部、土木部、収入役室、教育委員会。
小さなダンボール1箱分にもなりそうな膨大な資料。そしてその説明。
区の職員は緻密で頭が良いんだろうなと改めて思いました。
前々から思っていたんですが、頭が良くて緻密な役人と、それを前にして呆然としてぼーっとしている私のような議員によって日本という国は成り立っているのかもしれない、と…。
ただ、区民の皆さんから相談いただいたときに、どこの部署の人に話をつなげれば良いのかが少し見えた気がします。これから1箱分の資料をよく読んでもう少し勉強しますが…。
社会福祉士という資格は、相談援助をするための資格なんです。高齢者の方の生活の相談に乗ったり、病院から退院する方の今後の身の振り方の相談に乗ったり、生活保護の相談に乗ったり…役所や病院や施設や、色々なところで社会福祉士は働いています。
相談の内容の事細かな1つ1つの手続きについて詳しくなるというよりも、「どこの誰に話をつなげればより良い解決ができるのか」、社会資源を良く知っていることが必要なんだと先生から言われたことがありました。
そういう意味で今回の説明会は、(あまりの膨大さにちょっと気が遠くなりましたが)意義深いものだったと思います。
それから説明の後の質疑応答。たぶんこれは議会の一般質問も同じようなことなんだと思いますが、うーん、なんとも。
例えば
議員「このサービスはどうやって区民に周知してるんですか」
区職員「区報とホームページです」
議員「・・・そうですか」
というやり取りが何度も何度もありました(^^;
これは私が以前お配りしていたチラシにも書いていたことですが、区報を見そびれた人、高齢で細かい字が見えにくい人、パソコンを使えない人はどうするんだろうということがあると思います。そして区のサービスが本当に必要なのはそういう方たちのはずなんだと思うのですが…。
ただ、区の職員さんは緻密で公平で平等で決まりに従って仕事をされているわけで、そこに「それじゃあ本当の区民のニーズに沿ってないよ」と文句をつけても物事は先に進んでいかないんだと思います。例えてみればそれは、ソフトドリンクを頼んだのに飲んでみて「アルコールが入ってない」と文句を言うようなものかと。
だから、必要なのは、一人一人の区民やNPOが、区のシステムをうまく利用して生きたものに変えていくことだと思います。制度は使わなければ意味がないわけですから。
それを、困りごとを持つ当事者任せにしてしまうから大変なことになるわけで、間を取り持つ担い手を育てることですね。それは、区民の創意工夫の力によると思います。私もその一端を担えるように頑張っていきたいと思います。
近況と抱負と選挙期間中の思い出
再開が遅くなりましたが、今週から再び駅でのご挨拶を始めました。配布資料(かとうぎ桜子を育てる会ニュース)をHPにも載せました(こちら)ので、ご覧ください。1号は4月23日からの1週間にお配りしたもの。2号が今週から配り始めたものです。
今回は、なかなかできなかった3月10日の意見交換会(ブログでも以前に書きましたが。)の詳しい報告を中心にしました。
そしてメインがもう一つ。6月14日18時45分からの和力のゆめりあホール公演のご案内。和力は私の従兄弟・加藤木朗がメンバーとなっている日本の伝統芸能のユニットです。和太鼓、獅子舞、独楽など。楽しいです。おススメですのでぜひどうぞ。前売り3000円で、ちょっと高いですけど、後悔はさせませんよ!(^^)
このゆめりあ公演の宣伝のために、ちょうど私の選挙が始まる4月15日に和力の皆さんが大泉学園に来てくれたのですが、そのときは選挙と重なっていたために演技ができないことになってしまいました。もし、このブログを読んでくださってる方で4月15日に和力を見たいと思って来てくださった方がいらっしゃったら、申し訳ありませんでした。今度は間違いなくやりますので、どうぞいらしてください。
チケットご希望の方はかとうぎ桜子宛に、送付先ご住所・枚数をお知らせください。電話・FAX(03-3978-4154 留守電の場合は吹き込んでください)もしくはメール(sakurako_happy_society@yahoo.co.jp)でお願いします。
今のところまだ席に余裕がありますが、ぜひお早めにどうぞ。
朝の駅頭は、私の最も地元である大泉学園駅北口では毎週月曜日。大泉学園駅南口の火曜日、保谷駅北口・南口の木曜日と石神井公園北口の金曜日は順番にやって、それぞれ月に1回はやるような日程でこれから4年間やっていきたいと思っています。「かとうぎ桜子を育てる会ニュース」も月に1回発行していきたいと思っています。
初めての議会は6月5日~27日ですが、議会中にも朝のご挨拶を続けられるか、配布資料は変えるべきかなど、まだどうなるか分からないので未定です。様子を見つつご報告いたします。
駅で立っていると意見を言ってくださる方がいらっしゃってありがたく思っています。昨日と今日は、「大泉学園駅北口の駅前のバス停が混みあうこと」「学童保育のこと」というご意見をいただきました。いただいた意見に正確に答えられるように調べて関係者からの回答をもらってから、詳しい内容を書きたいと思います。こういった皆さんのご意見とそれへの回答も、「育てる会ニュース」に載せていければと思っております。
なかなか新しいニュースが完成させられなかったもので、2週間ぶりの朝のご挨拶となりましたが、あんまり間をあけちゃいけないなあとしみじみ思いました。実際に私が駅で話しているのをご覧になった方は分かると思いますが、私は元々人前で話すのがとても苦手でして。ようやく最近は慣れてきたものの、多くの皆様から「昨年夏頃に初めて見たときはあまりにヘナチョコで心配していた」と声をかけていただいたほどですので(^^;)、間をあけてしまうとまたヘナチョコに戻ってしまうなあと思いました…。
選挙前だけではなくて4年間常にいるとなると本当に皆様には迷惑だと思いますので、小さめの音でやっていきます。どうぞ見守ってやってください。そしてご意見、アドバイスいただければ幸いです。
以上近況報告と今後の抱負でした。
駅に立っていて、今も思い出すこと。
選挙期間中(4月15日~21日。ちなみに投票日は22日でした)、朝の駅は色々な候補者で賑やか、というか騒がしかったことを皆様もご記憶かもしれません。私は数人のボランティアさんと父と一緒に毎朝、大泉・保谷・石神井のいずれかの駅に立っていました。ちょうど冬に逆戻りしたような1週間で、寒かった…。
選挙期間中はマイクで話をできるのが朝8時から夜8時までという決まりがあり、それまでの間は肉声で皆様にご挨拶をしていたのです。「おはようございます。かとうぎ桜子です」と、ボランティアさんも一緒に口々に言っていました。
ところで私の父は加藤木 雅義(かとうぎ まさよし)といいます。
保谷駅南口でみんな口々に「おはようございます」と言っていたときのこと。
父が声高らかに言いました。「おはようございます。加藤木 雅義です」と。
「加藤木」という珍しい苗字は、親戚以外にあまりなく、ましてやフルネームで名乗るなんて自分の名前以外にはありえないので、気持ちは分からなくもないのですが。
しかし、選挙期間中に、皆さんに向かって候補者の名前ではなくて自分の名前を叫ぶ人がいるだろうか…。候補者が朝の駅でゲラゲラ笑っていてはいけないと思えば思うほどおかしくて笑いが止まらず、苦しかった思い出です。
今でも駅に立つと思い出します。
さて、明日から3日間は新人議員への説明会が区役所であります。よく勉強してきたいと思います。
今の感覚
今の私は事務所の整理やら、家の片づけやら、実家の荷物の整理やら、今までできなかったことをしています。連休が明けたらまた、朝の駅頭での挨拶をスタートしたいと思っています。議員としての初登庁は5月30日。それまでは少しずつ説明会やら、何やらがある感じです。福祉の関係の活動もぼちぼち再開したいと思っています。
元々そんなに感情の起伏のない性格のせいか、うわーっと叫んで小躍りすることもなく、なんとなくまだ実感がわかないような不思議な感じです…。
絶対当選するとはもちろん思っていませんでした。とにかく感情があんまり顔にも出ないので、間際まで平常心みたいに見られたりもしたのですが、そんなことはありませんでした。当然焦る気持ちもあり、「開票日に、ほかの人の結果は確定するのにいつまでも私だけ決まらない」という夢でうーんとうなされて目が覚めたこともありました。
それでは絶対落選するだろうと思っていたかというと、当然落選を予想して出る決意をするわけはないので、それはないし…。
それじゃあ自分自身どう思っていたのかと改めて考えてみると、よく分からない…ということを今日なんだかしみじみと考えていました。
結局のところ、結論がどうなったとしても「あるがまま」であることなのかなあと。
私は自分の人生自体、そううまく行っていると思っていません。自分の人生というものを考えると、私が19歳の時に亡くなった私の母にはもっと長生きをしてほしかったし、できれば早く結婚して子どもを産みたいとも思っている。でもどっちも今のところ叶っていない。人生の中で一番大事にしたいものはなかなか叶わないものなのかもしれないと、半ば諦めているところもあります。
「ありのまま」と「あるがまま」は違うんだよ、と、知り合いから言われたことがありました。「ありのまま」は「なんでもかんでも今のままだって良いや」という状態。
「あるがまま」はそうではなくて、「本当はこの状態は嫌なんだけど今ある状態。いつかは変えたいと思っている状態。それも理解しながら、でもそれも含めた今の自分。」それが「あるがまま」。辛いことも含めて、これから成長したい思いも含めて。
それを言った知り合いはとても頭の良い人だったので、私の解釈が正確なのかは若干不安ですが、今、その言葉を思い出しました。選挙の結果について、なんだかわーっとはしゃぐ気分にならないのは、その「あるがまま」の気持ちがあるのかもしれない、と。
とにかく、私は地域の方に接したいという気持ちがあった。「選挙に出るためにはこれだけのことをやりなさい」というアドバイスもいただいていた。とにかくそれをひたすらやること。やった上で待っていたから、不安もあったけれども静かな気持ちで結果を受けいれることができたのかもしれないと思います。
人としてとても尊敬できる人なのに落選した人も何人かいました。その中で私が受かったのは、もしかしたら私が女性だったからかもしれない。そこは計り知れない部分です。だから、逆にもし私が落ちたとしてもそれはそれできっと静かな気持ちで受け容れられた気がする。
どっちにしても「意外」ということはなく、ただ「あるがまま」だという気がします。
社会福祉士の学校に行っていたときに、北島英治先生という東海大学の教授がいました。私は小学生の頃から授業を受けるのが大嫌いで、専門学校のときもたいていぼんやりしていたのですが、北島先生の授業は大好きで、この先生に出会えたことだけでも学校に行って良かったと思うほどです。
その北島先生がおっしゃっていたことがありました。
「どんなに頑張ってもどんなにこちらから押しても、開かない扉はある。でも、思いがけない方向でおのずと開く扉もある」と。
人生でどの扉を開けるか、自分で決めることはできないのかもしれない。でも思いがけないところに道が開けるかもしれない。この扉を絶対に開けてやろうと力むのではなくて、今の瞬間にできる精一杯のことをやっていれば、もしかしたら思いがけない方向かもしれないけれどもどこかに必ず道は開くんだ、と思います。
だから、今回の結果そのものに特化して特別にハイテンションな気持ちになるということではなく、ここに今私は扉を開いて貰ったんだというのが、実感です。
写真は、①選挙事務所前にて、参議院議員の小川敏夫さんとボランティアスタッフの皆様と。②ホームページにも載っていますが、珍しく私が良く撮れているので気に入っている写真(笑)多分、遠くで子どもが手を振ってくれて振り返していたときだと思います。