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自殺について

松岡農水相が自殺したことについて、少し遅くなりましたが、思ったことを書きます。


以前予告したように、政治という視点ではなくて、私の思ったところで。


黒い闇があるというのは、私には分かりません。あるのかもしれないし無いのかも知れない。少なくとも区議会レベルならば、そんなに闇だとも思えないようなところが疑心暗鬼で闇だと噂されてるようなこともあって、人の心は分からないものですので。


芥川龍之介の小説に「奉教人の死」というのがあります。ずーっと男性として描かれていた主人公が最後の最後に死を遂げた時点で女性と判明する。私が大学時代に一番好きな授業をしていた白百合大学の高橋博史先生は言いました。「人は、自分に見えていない部分が実は真実なのではないかと疑うところがある」と。


例えば私が酔っ払って道で寝ていたとする。私が選挙に出る準備を始めた後に知り合った人がそれを見たら「かとうぎさんって、普段は真面目そうだけど、実はただの酒飲みらしい」と判断するかもしれない。


一方で、学生時代にいつもお酒を飲んで馬鹿話をしている私しか知らない友達が、私が選挙に出ると聞いたら「桜子ちゃんって、ただの酒飲みかと思っていたけど、実は選挙に出る真面目な人だったらしい」と判断するかもしれない。


人は、自分の知っている部分ではない別の顔が真実だと思うところがあるのではないか。「奉教人の死」の終盤を読んだとき、多くの読者は自分が今まで見えていなかった主人公の裏の顔を真実と思いたがるのではないかと。


だけど、どちらが真実でどちらが偽りというわけでもない。酒飲みの私も本当の私、選挙に出た私も本当の私、というのが実際のところです(←!?)


だから、松岡さんが本当は黒いところがあるのか、実際はもっと単純な話なのか、それは結局、本人にしか分からないことだと思います。


 


でも、何はともあれ、とにかく私が今回一番感じたのは、何があったって、死ななくたって良いじゃないか、ということでした。その部分に、とても痛みを感じました。


今、日本の自殺者は年間3万人です。7割が男性だとか。動機は健康問題と経済問題が多いらしい。


今日、地域の方とも話していたのですが、「死んでしまおう」と思ってしまうのは、うつ状態にあるからなんだろうねと。


私も、人生の節目節目で辛いことがあったとき、自分の存在が否定されたように感じたとき、「死んでしまったほうが楽なんじゃないかな」と思ったこともあります。例えば、真剣に看病をした母親が死んでしまって、「なんだ、一生懸命やったって結局ダメなのか」と思ったとき。


けれど、なんだかんだで今も元気に生きています。とにかく生きてみようと思うか、死んじゃえと思うか、というところは、紙一重な気がします。


だから、自殺者が3万人ということも、松岡さんの死も、「命の尊さを云々」という一般論としてではなくて、死んでしまった方が良いと思ってしまう気持ちが分かる者として「でも死なないでよ」と言いたい、悔しい気持ちになりました。


仕事の関係で死を選ぶ人は、特に男の人には多い気がしますが、どうでしょうか。死ぬかどうかは別として、仕事と自分自身がほとんどイコールという男性は多い気がします。


ワークライフバランス(注※仕事と自分の生活をバランスよく両立すること。少子化対策と連動して最近よく言われています。)ということを、子育て支援の面だけでなく自殺予防の面からも考えていかなくてはいけないのではないでしょうか。「もう死にたい」と思ってからいくら何を言われても止めることはできません。死にたいと思う前に、バランスのある心を保たなくてはいけません。


松岡さんは生れ落ちた瞬間に大臣だったわけではなく、農林水産のために生きて死んでいってもらうためにお母さんは松岡さんを育てたわけではないでしょう。一人の人が人生を送るには、多くの人の愛が関わっています。


だから、松岡さんの死に伴う周りの人の心の痛みを想像すると、心がチクチクと痛みました。


悪いことをしたなら、生きてきちんと清算すれば良いと思うのは、まだまだ私が若輩者だからでしょうか。死ぬことで清算しないでほしいです。


 


 


私は国文学出身ですが、文学者も多く自殺しています。先にも出した芥川龍之介のほか、川端康成、太宰治などなど。


でも私は、痛みの中でも生き続けた森鴎外が好きです。


森鴎外が、源義経の愛人・静について書いた「静」という戯曲があります。


静のお腹には義経の子どもがいた。でも、義経は頼朝に敵視されていて、静は頼朝側に捉えられた中で出産し、男の子だからという理由で産まれた途端に子どもを殺されてしまう。そんな静の心境を描いた戯曲の中で、こんな描写があります。


静と、頼朝の家来・安達の会話です。


(現代仮名遣いに変えてます)


 


静:思うお方(=義経)には別れてしまう。そのお方がまた世に出ていらっしゃるということは、まず覚束ないのでございますね。それにおめおめと生きながらえていますでしょう。そしてこちら(=頼朝側)へ引かれて参って、お化粧をして、衣装を着飾って、舞を舞ったり、歌ったりしますでしょう。それもまあいいとして、女の子なら助けてやる、男の子なら殺すと仰った、その赤さんが男の子で、それを殺されてしまったのに、まだおめおめとこうしています。死んでしまいも致しません。尼法師にもなりません。人間らしい考えがないといって、人様を責めるには、それより先に自分で自分を責めなくてはなりますまい。まあ、そうしたものではございますまいか。


安達: なるほど、それはそんなものだ。しかし、ね、静さん、その美しい黒髪をあなたが切らずにおおきなさるのも、わたしなんぞの目から見れば、不思議なことはないのです、わたしなんぞの心には、そのあなたの心持が好く分かっているのです。(静微笑む。)侍の意気地では、切死をするのもいい。腹を切って死ぬるもいい。しかし命を惜しみさえしなければ、死ななくても好いのです。それも再び世に出たい、身を立てたいと思うのを目当てにしてながらえているのがいいというのではありません。目当てなんぞはなくてもいい。一度火に当てれば、壊れてしまう器もある。百年割れない器もある。喜怒哀楽の火の中を、大股に歩いて行く人もあっていい筈です。男には限りません。女だってそうじゃあありませんか。貴い玉は多くは出ない。優れた人物も同じことです。あなたなんぞが尼になったり、自害をしたりしないのは、実に頼もしいというものです。


他人からどう言われようとも、実際に行動そのもの批判されることであろうとも、死ぬことでは何も解決しない。死なないで償うことを考えることが重要だし、死ぬことで人生を狂わされる人が自分の周りにいるはずだということも忘れてはいけないと思います。

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桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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