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大阪その6―新世界


長々と続いてしまいました、大阪旅行記がようやく今回で完結です。


13日、けま喜楽苑見学の後、午後の時間がぽこっと空いてしまいました。特に何も考えてなかったけれど、帰るまでにまだ時間があるので・・・


そうだ、大阪ってホームレスが多かったよな、とふと思いついて、「新今宮駅周辺に行ってみては」というアドバイスを、大阪ボランティア協会の白井さんからもらって、ひょいと出かけました。


ここはほんとに無計画に行ってしまったので、電車を降りたら見えた通天閣に惹かれて、そっちにフラフラと歩いていってしまい、後でよく調べてみたらホームレスが多い「あいりん地区」は逆側だったと気づきましたが・・・(^^;


ところで駅を降りて、なぜ私が通天閣に惹かれて行ったのかというと・・・


この長い一連の旅行記の2回目にチラッと書きましたが、私は大阪へ行くのはたしか6年ぶり。6年前の参議院選挙でハンセン病の元患者さんの選挙を手伝い、終わってホッとして、高校の友人と一緒にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に行くために出かけたのです。そのときもUSJ以外については無計画で、「なんか大阪らしいものを見ねば」と通天閣の駅に降りたのです。


6年前の私は大学3年生で、国文学を勉強していて、ホームレスのことは良く知らなかった。新宿駅なんかで「目には入っていた」のだろうけれど、「しっかりと見て」はいなかったんだと思います。だから問題意識はなかった。


そんな私が何も分からず通天閣に向かう道々、何ともいえない独特な街の雰囲気に「??」という気持ちになったのでした。何か、うまくは言葉にできないんだけれど、無知な私にとっては「うーん、女の子が2人で歩いたらあまり良くなかったのかしら」とドキドキするような雰囲気が漂っていたという印象が残っていた。


6年前には何も知らずにただ「通天閣の駅」と降りた新今宮駅に、6年後の今は「ホームレスがいて、その支援に取り組んでいる人もいるまち」と思って降り立った。降り立ってみてから、6年前のあの不思議なまちに再び来たんだなということを思い出したのです。あのとき、何を不思議に感じたのかを確かめたくて、通天閣に向かう道を進んでいったのでした。



駅から降りてすぐに、遊園地があった。経営破たんして今は営業していない遊園地。


6年前に来た時にはやっていたんだったろうなあ・・・と記憶をたどったけれど、ちょっと思い出せない。


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こぎれいな建物の真中に、ジェットコースターが通っている。ジェットコースターだけは最近までやっていたけれど、ジェットコースター事故が起きたのをきっかけにその運転も終わってしまったんだとか。


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白井さんから「遊園地の跡の建物で、NPOが活動している」と教えてもらったので、一緒に行った友人と共に、「うーん、一体どこにNPOが・・・?」とウロウロ。



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傘をさして写真を撮ってしまったので、馬鹿なことに何も見えませんが、後ろには池状のものがあって、使えないようにテープが貼ってある。きっと元は噴水があったのだろうな、という感じ。


建物は全体的にきれいで、まだそんなに古くないんだろうなという感じ。きっと盛況時にはカップルが並んで座っていたんであろうベンチに、缶チューハイを持ったおじさんたちがぽつり、ぽつりと座っている。


以前は確実に「生きていた」はずの遊園地が、今はもう動かなくなってしまっている。確かにそこにいて楽しく遊んでいたはずの大勢の人が、今はここにはいない。世の移り変わりの早さとはかなさを、動かなくなったジェットコースターの線路を見て感じる。雨は降るし、NPOの事務所なんてどこにあるんだかなかなか見つからないし、一緒にいる友人は歩きつかれて眠そうになってくるし(笑)、私はだんだん孤独な気分になってくる。


そうしてようやくみつけた。NPO。


遊園地に付随する建物は、ジェットコースターを中心としてぐるっと丸く作られている。その円周の一角が、NPOに事務所を貸すスペースになっているようでした。いくつものNPOが、一部屋ずつ使っている。芸術関係のNPOや、若者の就労支援をしているNPOなど。


大阪市が、NPOとの協働をやっていた「新世界アーツパーク事業」というものらしい。


「でもあと少ししたらここは出て行かないといけないんです」とNPOの人。詳しくは分からないけど、建物自体を取り壊すとか。


経営破たんした遊園地のことも、新世界アーツパーク事業も、インターネットで調べるとなかなか正確な情報が出てこなくて、なんだか幻みたいな感じですが・・・。


空き店舗部分を有効活用するためにNPOに貸したのかな、とか、新世界アーツパーク事業は、東京で言うならば歌舞伎町ルネッサンスみたいなものだったのかしらとか、色々考えながら、遊園地跡を離れました。


そして通天閣に向かう。


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うーん、歩いてみるとやっぱり不思議なまち。


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店舗みたいなところで、おじさんたちがずらーっと並んで、囲碁をしている店があったり。


飲食店は大体、焼き鳥屋風のカウンターの並んだ小さな店。


そして、食べているものは・・・


・・・おや。これは、私が梅田に降り立って最初に仰天した、串に刺さった揚げ物。看板には「串かつ」と書いてある。そうか・・・大阪でおじさん達が昼から食べている揚げ物は、串かつだったのかと、合点。


上に載せた写真は、6年前にも私が「不思議」を感じたところを写したんだけれど、やっぱり写真じゃうまく伝わらないのですね・・・


 


この「不思議」の気持ちはなんだろう。何か心の奥にチクリとするものがある雰囲気。


自分自身が3歳とか、4歳とか、「物心がつく」という年齢の記憶って、まだらだけれど所々覚えていて、ふとお母さんに抱っこされて入ったお店だとか、セピア色がかって思い出すことがありませんか?そこがどこだったのか、思い出せないんだけど、確かにある人生最初の記憶。思い出すと心がなぜかチクッとするような。その心の「チクリ」に似た気分でした。


囲碁をしたり、揚げ物を食べたり、この地域の中にもいろんな生活をしている人がいる。その日常の風景と、それにはミスマッチな雰囲気のある遊園地・・・。なんだか、人間って不思議だなあとしみじみしながら帰ってきました。


あいりん地区と大阪のホームレス対策については次に関西に行った時にはちゃんと見てきたいと思います・・・。


 


ちなみに、今回の旅行は、授業のゲストスピーカーも施設見学も、旅費は全部自己負担で行ってまいりました。


議員には政務調査費というのがあり、他自治体の試みを視察に行く場合には旅費をそこから出すことができます。今回は茨木市や大阪市の試みも視察しているといえばしているんだけれど、なにせその場その場の出会いによって次の見学場所につながっていったという旅行でしたので、自腹です。それから、以前地域福祉学会の大会で出かけた山口も自腹。


政務調査費を使う場合は、それと分かる形で報告させていただきます。明朗会計を目指します


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大阪 その5―兵庫県のけま喜楽苑


また少しブログの更新の間があいてしまいました・・・。 


712日の武庫川女子大の授業のために出かけた関西旅行。13日も残って施設見学をしました。 


13日の午前中に行ったのは、兵庫県尼崎市のけま喜楽苑。これまた12日の授業の講師である室田信一さんがセッティングしてくれました。 


施設そのものがユニークな作りなので、建築の観点からの見学者も多い、というお話だけ先に聞いて、出かけました。 


ちなみに「けま」というのは地名で、「食満」と書くそうです。


行って話を聞いてから、「あ、この施設に関するドキュメント番組を学生時代に見たことがあった」と思い出した・・・(^^; 


私が見たビデオの内容、記憶をたどって思い出してみると― 


喜楽苑は、特別養護老人ホーム(特養)。 


今は質を上げるために努力をしている施設も増えている。ベッドに縛り付けられている、なんていうのは虐待と認識されて、縛らない介護をしている施設が増えている。それでも、報道されている通りに虐待をしている職員がまだいるのも現状。 


喜楽苑ができたのは、昭和58年。その頃は今よりももっと施設は大変な状況だったと思います。施設の部屋は4人部屋など複数人数で、病院の入院する部屋みたいなイメージ。「住む場所」という感じはしないですよね。 


施設に入った高齢者の活気がなくなってしまう原因はなんなのか。


家とは認識できないだだっ広い建物に突然置かれてしまうこと。子どもか孫かという年齢のスタッフから赤ちゃん言葉で話しかけられたり命令口調で話をされること。食事の時間など、自分の意思で動く時間が少なくなること。そんなことを理事長さんが話してくれました。


今でこそ減ってきていると思いますが、スタッフが目を離した間に動こうとしてベッドや車椅子から落ちてしまって怪我をするのは困るからと、高齢者が縛り付けられているなんてこともあった。


一定の時間にお風呂に入れるために、ずらっと並べて流れ作業的にお風呂に入れる、なんていうのは私がヘルパー実習をやったときにも行われていましたし。


ご飯の時間も決まっていることが多い。しかも、職員の勤務体制に合わせて夕飯が16時とか17時とかってことも。これは病院も同じですね。そして、病院でも今は18時頃食べられるような工夫をしているところも増えてはいますが。


喜楽苑の理事長は、そんな福祉施設を見て、「高齢者が最後までもっと自分らしく生きられるような施設を作りたい」と思ったということでした。



私も、初めてヘルパーをやった頃、ケアマネさんが高齢者に「また物忘れなの!?」と怒鳴っているのに遭遇しました。物忘れをするから福祉を利用してるのに、なんで怒られなくちゃいけないんだろうか、と思いました。


そんなのを見ていると、「私みたいに自分の好きなように生きている人間は、年をとって介護が必要になって施設にでも入ったら、『加藤木さんはわがままだから』『また加藤木さんが問題行動よ』なんて介護士さんに言われたりするんだろうなあ」としみじみ。福祉の仕事をしていながらこんなこと考えるのは良くないですが、正直長生きを頑張る自信がないなあと思いました。


そんなときに出会ったのが喜楽苑のビデオ。


ビデオでは、認知症の高齢者同士がなにやら楽しげに話し合っている。言葉の内容を聞いているだけだと、どうも理解しにくいことを言っていたりするわけですが(^^;


でも「うん、うん、そうだね。大丈夫大丈夫」と、認知症の人同士が相手の話に相槌を打っている。言葉を超えたもっと深いところで共感しあってるのかなあという印象。


認知症の高齢者は「家に帰ります」等と言って、一人で出かけていってしまうことがあります。一般に「徘徊」と呼ばれ、「問題行動」とされるその行為を、喜楽苑では「外出」と捉えていて、出かける高齢者を少し離れたところで見守っている。それでもどうしても見失ってしまった時には、近所の人が助けてくれている。


利用者さんで連れ立って近所の居酒屋に飲みにも行く。


良かった。こんな施設があるならば、私も安心して長生きできると、ビデオを見てホッとしたものです。



それでも、昭和58年に作った施設は4人部屋。カーテンをきっちりと引くなど、プライバシーの確保には努力をしていたものの、もっとハードも良くしたい、という思いで作られたのが、今回私が見学に行ったけま喜楽苑です。


けま喜楽苑には、特養とグループホームがある。グループホームの入り口はこんな感じ。


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なんか素敵な料理屋さん、という感じですね。


特養のほうもそうですが、「ここは住む場所だな」と分かりやすい造りになっています。


壁沿いにずーっと手すりをつける、なんていうことも「普通の家ではあり得ないこと」だからやっていない。代わりに、歩きにくい人には杖や歩行器、車椅子といった道具を充実したものにしている。


特養はすべて個室で、自分の家から好きな家具を持ち込むこともできる。



ところで、私が学生時代にビデオで見た施設と、今回見学に行った施設が同じだとハタと気づいたのは、「この施設にはバーのような部屋がある」と紹介されたからでした。


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カウンターがあって、スタッフが仕事の後に懇親を深めるためにも使っているし、利用者さんも使っている。「喜楽苑は元々、居酒屋に行ってたんですよ。けまの施設は繁華街に少し遠いので、こうして中でも飲めるスペースを作ったんです」という説明。これでハッと学生時代のビデオを思い出したわけです。


(私の琴線に触れるキーワードが「酒」であるということが改めてよく分かったわけですが・・・ ^^;)


喜楽苑では、食事時間も幅を持たせている。朝ごはんは早くに食べる人もいれば、「昨日飲み過ぎたから」と遅く食べる人もいる、ということでした。


ちなみに、練馬区の社会福祉事業団がやっている高齢者施設に視察に行った時、「食事時間に幅はありますか?」と質問したところ、「いいえ。みんな一緒です。みんな一緒に食べたいと思ってるみたいですよ」という返事が返ってきました。


多くの施設が、そんな感じなんだと思います。



学生時代のビデオの記憶とあわせて考えてみて、喜楽苑の魅力は、ただ施設が良いということではないということを感じます。ただ施設の良さだけを考えれば、いくら上を見てもきりがなく、有料老人ホームとの比較もあって、どこまでを「公的施設」とするかという難しさも出てきます。


喜楽苑の先駆性は単に施設が個室である等の表面の問題ではなくて、誰もがどんな身体状況になっても自分らしく生きる方法を追求した表れであるということなんだと思います。


かとうぎ桜子を育てる会


大阪 その4―精神障害

712日は、前々回のブログで書いた、M-CANのスタッフの方の紹介で、精神障害者の関係の施設にお邪魔しました。


まず、地域活動支援センター菜の花。


 


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障害者自立支援法ができて、障害者の分野はいろんなところが変わりました。


自立支援法はいろいろと問題が指摘されていますが、特徴として


     今まで障害ごとにばらばらだったサービス体系が、精神・知的・身体で統一した法律で定められたこと


     地域生活の支援と就労支援という大きな柱があること


     今まで、本人の所得によって利用料が決まっていた(つまり、障害によって障害年金しかもらっていない場合は利用料はゼロだった)のが、一律1割負担となったこと


 


といったことが挙げられます。


 


利用者の目線からの問題点として一番言われているのは、1割負担の部分。多くの方が障害年金によって生活を成り立たせていたのに、例えばトイレに行く介助といった生きるために必要な支援を受けるのにも1割分の負担をしなくてはならなくなった。だから、食費とか家賃とか健常者でも必要な生活費の部分が払えなくなってしまう。



つまり、収入は健常者よりも少ないのに、必要最低限の出費が健常者よりも多くなるということです。これだと、家族に負担してもらうか、生活保護を受けるか、といった選択をせざるを得なくなってきて、「自立支援法という名前なのに、実態は全然自立じゃないじゃないか」と多くの利用者・福祉従事者が怒っているわけです。


また、事業者側からすると、今までやってきたのと施設の区分などの体系が変わるので、役所に提出する報告書類が変わってくる。


私がNPOで働いていたころはちょうど自立支援法に移行する時期で、経過措置期間の書類なんてのもあったりして、ようやく様式の書き方を理解し始めたらまた書類が変わったりしていました。しかも、一般的な感覚からすると「どっちでも良いんじゃないか」と思うような変更が多かった気がする。例えば、「この紙の中で名前を書く位置が変更になりました」といったようなものが多かった記憶があります。



自立支援法が始まった時期と介護保険改正は同じ2006年春でしたので、そんな事務的なところで、介護保険事業所も障害者関係事業所もやたらと大変な思いをしたものです。


役所の人も説明会で「私どももまだ分からないながら進めていますので、皆さんと一緒に走りながらやっていきたいと思います」と話していました。「こんな重要な制度の変更を走りながら考えないでくれよ・・・」と思いながら書類を眺めていたものです(^^;


 


どうして、こんなよく分からない変更がされたかというと・・・これは私の個人的な理解の仕方ではありますが、財政難で「障害者に全額出す余裕がない」となってしまったということと、「介護保険制度と障害者制度を将来的には統合したい」というのがあると思います。介護保険と障害者の制度を一緒にする場合には、今40歳以上の皆さんが支払っている介護保険料を20歳から徴収して、20歳以上の介護が必要な人全員の保険制度という形をとりたいということです。


そもそもなぜ障害者の制度と介護保険がまったく別に動いていたかというと、障害者は自分自身で社会を変える運動をしてきたという歴史があります。介護保険のケアマネジャーのような形で誰かにケアプランを立ててもらうのではなくて、自分のことは自分で決めるんだ、という考えで動いてきたのが障害者の方々。


本当は高齢者だって自分のことは自分で決めたいはずなんですけどね・・・。



でも、実際のところ介護保険のやり方は事務的にはすっきりしているのも事実。統合したら利用者も事業所も役所も事務が整理されるのは確かだなあと思います。40代以上の障害者や病気の方は、介護保険と障害者制度を併用している場合も多いですから。



本当は自立支援法を作るときに「統合しよう」という話になっていたと思いますが、やっぱり障害者の方にとって納得いかない部分もあり、また20歳から保険料を取ることに対して経済界の反対もあったりして、とりあえずは別々のスタートとなったように記憶しています。


ただ、自立支援法になって実質的には介護保険にかなり近い部分があって、例えば障害の判定の仕方はかなり介護保険の判定と似ています。(これは、「障害ごとの特徴が反映されなくて使いづらい」という声があります))


地域生活の支援と就労支援という分け方にしたのも、「就労支援」というのは高齢者の介護保険制度には入らないものだから、別に分けたほうが介護保険と統合しやすいからかなあ、なんて私は思っています。


 


それで、この「菜の花」は地域生活の支援のほうです。


隣接して精神病院「茨木病院」がありますが、ここの患者さんだけではなく、広く地域の精神障害者が利用できる施設だそうです。訓練をする施設ではなく、精神障害を持った方が地域の中での生活を日々楽しんで送ることができるように支援するための施設。例えばスポーツをしたり、クッキングをしたり。また、日々生活をする中で悩んでいることを相談できる「生活相談」も行っている。


 


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(休憩スペースの前で)


 


「菜の花」は、茨木病院の法人である医療法人清風会がやっています。


茨木病院のほうには、自立支援法で新しく始まった「就労支援センター」もあるということで、案内してくださいました。


 


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精神障害は、昔精神分裂病と呼ばれた統合失調症や、うつ病などです。精神障害は、「障害」であると認識されたのが比較的新しく、病気としてしか認識されていなかったため、「病気が治ったら自分の力で就労する。病気が治らなければずっと入院」ということが多かった。


精神障害とつきあいながら地域で暮らして、可能な範囲での就労をするというのはまだまだこれからやっていかなくてはならない部分です。だから、知的障害者や身体障害者に対する就労支援は各地でいろいろな試みがあったものの、精神障害に関しては自立支援法ができてまったく初めて就労支援事業が始まるということで、全国各地で試行錯誤だということでした。


 


それから、茨木病院内のデイケアセンターも見せていただいた。デイケアは、リハビリのために日中通う施設。


 


そこのスタッフの方としばしお話。


 


デイケアに、近所の小学生が夏休みを利用してボランティアに来ている、とのこと。


子どもが精神病院の一室に来る事業・・・それはどんなきっかけで始まったのですか?と質問してみました。


小学生が茨木病院にやってくるのは12年前から始まったそうです。


 


茨木病院の前を通学する子ども達がいる。まだ精神状態の落ち着かない患者さんが大声を上げているところを通らなくてはいけない場合もある。


親御さんたちはとても心配する。「走って帰ってきなさい。あそこは怖いところ」と教えることもある。


でも、病院と学校、子ども達の関係がそんな状態でいいのかしら?と思った教師がいた。そして、病院ともつながりのあるお母さんに「なんとかできないかしら」と声をかけた。


で、私が今度お話を聞いたスタッフの方につながった。


「そしたら、話で聞くだけじゃなくて、子ども達が実際に来てみたらどうですか?」ということになった。


以来、交流が続いている。


親御さんは子どもを思えばこそ、不安を持つ。子どもがボランティアで行くと言っても最初は「そんなところに行くんじゃありません」という人もいる。


でも、実際に子どもがボランティアに参加してみる。で、「なんだ、なんてことないじゃん。精神病院に入ってる人だって、お友達に話すのと同じように大切に思いあって話をするだけで良いんじゃないか」と思いながら帰っていく。スタッフが子ども達に何も教えなくても、子ども達自身が肌で感じて帰っていく。そして親御さんに「大丈夫なんだよ。普通に接すれば良いんだよ。」と教えてあげてくれる。


それが、じんわりじんわりと広がっていく。活動を始めて12年経つからこそ、思いがけないところで芽を出している。もう少ししたら、初めてボランティアに来てた子達の子どもが小学生になってまたボランティアに来てくれるかもしれない。そうやって少しずつ少しずつ意識が変わっていくのかもしれない。


 


ながーい目で見なくてはならないのですね。苗木が育つのと同じ。細胞が生まれ変わるのと同じ。人の意識はなかなか変わらないけど、でも確実に変えていくことはできるのですね。


 


今回のエピソードも、ここ数回のブログと同じ結論になってしまいますが・・・。


精神病院と小学校の交流の架け橋は、一人の教師と親御さんだった。大きく物事を動かしていくのは、一人の人の意思なんですね。制度ではなくて一人の人の思いが重要。


 


そこで大泉のホームレスの話に戻りますが・・・


ホームレス自体が不安だという意見の方については、これからの動きの中で一緒に考えていくことができると思うんです。どうにかしたいという人の協力関係で良い方向に進むかもしれない。


しかし、そうなると5年じゃ短いんですよね。


板橋の施設に見学に行ったとき、その近所に住む人に「なんだ、もうあの施設使わなくなっちゃうの?もったいないね」と言われました。


そもそも、緊急一時保護施設に関わる事業を始めるときに、「緊急一時保護施設は迷惑施設だ」という前提で、各区5年おきで交代すると決めたところに問題があるのかもしれません。「皆の反対を少しでも抑えていくために、各区5年と説明できれば良いだろう」と。



せっかく施設を作る機会は、茨木病院のように、時間をかけてもプラスの方向に持っていくのが、専門家の役割かなあと思います。「専門家」というのは、福祉職も、行政も、です。



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ホームレス緊急一時保護施設

大阪で見学してきたことについてはまだまだ、あと3つくらい書かなくてはならないことがあるんですが、そうこうしているうちに日々も動きます。というわけで、今日は身近な大泉学園に戻ります。


今日もまた、ホームレスの緊急一時保護施設についての集まりがありました。


今日は、これまでと違うのは、住民団体が企画した集まりだったこと。


しかし、話が平行線であることは変わりませんね。見ていて気が遠くなりそう。14時~16時30分まで行われました。


住民団体「ホームレスの施設が安全だってことは分かってるんです、必要だとも分かってるんです。でも不安なんです」


区職員「不安に思わなくても大丈夫ですよ」


住民団体「そう言われたって不安なんですよ」


 


うーむ・・・


以前にも書きましたが、前提となる部分が区側と住民側と、かみ合ってないんですよね。


住民側は、なぜ大泉学園高校を使うことになったのか、いつ決定したかというプロセスが見えない、そんな不透明な決め方をする区とは協働はできないからこれから5年間がどうなることかと不安だと言っている。


でも、区側は、はじめから「ホームレスが怖いから不安だと思ってるんだろう」という頭で聞いているから「そんなに不安がらなくても大丈夫ですよ」と言う。


おかしな会話です。


区の職員さんは、まさかホームレスの存在以上に自分達の存在が不安を催しているとは理解できないってことかしら?と思ってしまうくらいまったくかみ合っていない。


私は5月末から議員の仕事を始めて、その間見ているだけでも、どうやら練馬区政には民主主義はないらしいということがだんだん分かってきました。大変だ・・・区議一人が努力して直せるくらいのもんじゃなくて、根本からなんだかおかしいみたいです。


 


住民団体「もし、ホームレスの施設を着工するまでの間に、住民との合意形成ができなかったら、着工を延期するんですか?」


区職員「合意形成ができるよう、最大限努力します」


 


延々とこんな会話が続きます。


住民団体「努力しても合意形成できなければどうするんですか?」


区職員「ですので、そうならないように合意形成ができるよう最大限努力するのです」


 


・・・・。


 


住民団体「あなたはさっきから、最大限努力するだとか、なんだかさっぱりこちらに意味が伝わってこない言葉を使うんですけど、もっと分かりやすい言葉でしゃべってくれませんか」


区職員「しゃべり方は、どうしてもこうなっちゃうんです・・・。うーんと、だから、えーと、合意に至るように一生懸命頑張ります。」


 


・・・・。


たしかに、区の職員さんが遠まわしな言い方しかできないようになってしまっているのは、事実かもしれない、本人も気づかないうちになってしまっている「職業病」かもしれない、とちょっと思いました(^^;


困りましたねえ・・・。何から手をつけていったら良いのやら。


 


区の体制を変えなくてはいけなくて、それをどうして良いか分からないのはまず1つ問題ですが、あと少し、気になったこと。


今は、行政vs住民という構図になっているので、大同小異で住民側がまとまっていますが、よく一人ひとりの発言を聞いていると、必ずしも同じではないこと。


本当に行政のプロセスの問題を問うている人もいる。


自分の子どもが通う学校の近くにホームレスが居て欲しくないというところが大きい人もいる。


そもそもホームレスが自分の家の近くにいるだけで嫌!という人もいたと思う。


もう、めちゃくちゃですね。


ホームレスが嫌か、そうではないかという対立になってしまえばそれはそれで分かりやすいと思うんだけど、住民自治はどうなってるんだ、という問題が絡まっているから混乱です。


 


5月末から議会や地域の集まりに出てみてしみじみ。やっぱり日本の文化の中には、「議論する」という文化が薄いんでしょうか。


議会の会議で野次があって、私はそれを下品だと感じたと以前ブログで書いたことがありました。


異なる意見があるのは仕方ないことです。差別の心がある人もいるかもしれない。同じ問題でも違う角度でとらえる人がいるかもしれない。でも、多様であることは当然のことです。イラクの戦争が起きる直前に「フセイン大統領の支持率は100%」と出ていたことがありましたが、皆が同じ意見になるということは、そういうことなんだと思います。異なる意見が出てくるのは、健全な社会である証拠。


で、多様な意見が出たときに、どう対応していくかが良質な民主主義かどうかだと思います。違う意見も一度よく聞いてみて、異なる意見があるならばそれを相手にぶつける。その間にあるのは「議論」であって、「いがみ合い」でもなければ「憎しみ」でも「野次」でもないはず。たとえ、意見が違ったとしても、議論することによって歩み寄っていって、お互いの良いところを認め合って行くのが民主主義かと。


自分と違う意見だからと野次ったり、きっと相手は違う意見だろうからと事実を隠していては、いつまで経っても理解し合うことはできないだろうなと私は思います。


近くに住む人との合意形成については、大阪で見学に行った精神病院の方の言っていた言葉にヒントがあったので、それは次回のブログにて。


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大阪 その3―総持寺いのち・愛・ゆめセンター


12日の授業が終わった後、室田さんが昨年度仕事をしていた茨木市内を案内して貰いました。


総持寺いのち・愛・ゆめセンター


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同和地区の人権問題についての拠点として位置づけられているようです。


人権問題のために設置されたという意味では練馬ならば女性センターみたいな位置づけでしょうか・・・。


同和問題というのは、なぜ起きているのか、私にはどうしても理解しがたいんですが・・・


日本の歴史のずーっと昔、身分制度があった時代に、差別を受ける人たちの「部落」があって、そこの出身の人が今の時代に至るまでずーっと差別されてるのですね。島崎藤村の「破戒」に出てくるのもそれですね。被差別部落の出身である主人公が、お父さんから「ここの出身ってことだけは言ってはならない」と言われていたけれども、ついに皆に明かして心が解き放たれる話。


これを読んだのは高校生の時ですが、なんだか釈然としなかった。ハンセン病の差別だとか女性差別だとか黒人差別だとか、それもいけないことだけど、「病気か健康か」「女性か男性か」「黒人か白人か」という、「違い」があるのは事実なわけで、差別を解消するためにはこの「違い」を認め合うことができるようになれば良いわけです。


しかし、同和問題の場合、その地域に住んでいる人の家柄かどうかという、とっても見えにくいことによる差別で、どういう線引きなのかが分からない。ナチスだとか内紛だとか、何でどう線引きしたのか分からない憎しみ合いにも通じるんでしょうか。


しかし、こうなると小学生の頃のいじめみたいなもんで、ただなんとなくの気分次第でのけ者にされている感じがして、一体どう解決していくのか分からなくなってきますね。


同和問題については、近年黒い組織が絡んでるとかも言われて、だから余計本質が見えにくいような。そもそも、なんで差別をするのかよく分からない問題だから、根本的な解決に至らないうちにねじ曲がっていってしまうんでしょうか・・・??


 


まあ、そんな感じで室田さんから「同和地区の施設に行く」と言われてから、道中私の頭の中は高校生以来の謎である「同和問題って結局何なんだろう・・・」という思いがぐるぐると回り始めましたが、とにかくそこで活動しているNPOのワーカーさんの活動が素晴らしいということで伺いました。


NPO法人 三島コミュニティ・アクションネットワーク(M-CAN)。


いのち・愛・ゆめセンターに事務局をおいて活動している団体。


一言で言えばこの地域の「住民のお互いの支え合い」をサポートしている団体、というところでしょうか。


介護保険を使っていない高齢者のためのミニデイサービス(街かどデイ・サービス)や、配食サービス、そして子育て支援。どれも、支える側も利用する側も地域の方。


そうした活動の中で見えてくる「ちょっと心配な人」を支えているのがM-CANのスタッフの皆さんのようです。一人暮らしの方が、福祉制度につながるまでの間、ちゃんと水分補給をしているか、お金がなくなってご飯も食べられないなんて状態になっている方をどう支えるか、など日々悩みつつ頑張っている姿が垣間見えました。


地域の中で支えあうには一つの団体だけで頑張っても足りない部分は出てきてしまう。そのため、近所の精神障害者の施設などとも協力し合っているということでした。(三島地域コミュニティサイトもあります)


地域の団体と協力し合いながら、地域限定で聞くことのできるミニFMを作ることも考えているとか。ホームページだけでは一部の人しか得られない地域の情報を、より幅広い住民と共有するための手段ですね。


あと、話を聞いていて印象的だったのは、隣接する総持寺青少年センターとの関係。ここは、児童館のようなところなので、教育委員会の管轄になる。


だけど、いのち・愛・ゆめセンターの中にある街かどデイ・サービスの利用者さんが、青少年センターの子どものイベントに歩いて出かけていく。


当たり前の感覚からしたら、「隣にある建物なんだから、興味あることがあれば出かけていくのは当たり前」と思うでしょう?


でも、私の経験からすると、「管轄が違うから」ということを盾にしてまったく交流をしていない場合も多いのです。ちなみに、いのち・愛・ゆめセンターの管轄は人権部、街かどデイサービスは高齢者福祉課、青少年センターは教育委員会の管轄。


以前私が見学に行った都内某市の建物は、1階部分が高齢者の憩いの家になっていて、2階部分は児童館になっていました。「日常的な交流はあるんですか?」と聞いたら「事故防止の観点から交流はしていません」という返事が返ってきたものです。


そんな事例を見てきたから、高齢者が当たり前に隣の子どもの施設に出かけていくのが私にはちょっと意外で、スタッフの方に聞いてみました。


私「あれ?隣に行っちゃうんですか?隣は、青少年なら、組織としては別なんですね」


スタッフさん「別ですよ」


私「ふむ、そんでも、行くんですね」


スタッフさん「行きますよ」


・・・「なんでそんな意味の分からない質問をするんだろう」という目で見られました(笑)


そう、きっとそれが普通の感覚であるべきなんですよね。


さっき挙げた某市のように「事故防止の観点」というと、なんとなくもっともらしい気がしてしまいますが、事故が起きないように細心の注意を払うのはどんな場面でも当然のこと。それでも万一事故が起こってしまった場合・・・誰が責任を取るのか、という処理が煩雑になるから、他管轄の団体とは交流しない、というのが実際のところなんでしょうね。


 


M-CANのスタッフさんには大変丁寧に説明をしていただき、施設見学もたっぷりさせていただきました。「最近連携を取っている障害者団体にも見学に行ってみては?今、電話しておいてあげるから」ということで、近くにある障害者の団体にも足を運ぶことに。これはまた次回のブログでご報告します。


今回、見学してお話を聞いてしみじみ思ったのは「人の力」のこと。前々回のブログでもちょっと書きましたが、今の社会の仕組みの中ではどうしても、目に見える建物や制度を作ることに力を入れがち。そして、それを活用して生きたものにしていくための人の力は軽視されがち。NPOが受けることのできる助成金の多くは、人件費として使えないのですが、そういうところでも人の力が軽視されていることがうかがえます。


例えば練馬区にもいのち・愛・ゆめセンターのようにその地域の人が活用できる新たなコミュニティスペースを作ったとしても、M-CANのスタッフさんのような人がいなければ、ただの箱でしかない。その施設の特徴を最大限活用して、地域の中で孤立する人を減らすために1軒ずつのお宅の事情を考え、ときに近くの他団体につないでいく力量・・・これは、福祉の仕事をしているから必ず持っているものとは言えず、なかなか普遍化されていないものです。


だからこそ、一方で「他管轄とは連携しません」と言い切る人もいれば、「連携するのは当たり前じゃないか」と思う人もいる。どう動くかはそれぞれ個人の持つ力量に任されてしまっているのが現状なのです。


どう普遍化していくかというのはとても難しいところだと思いますが、少なくとも「それは今の制度に当てはまらないからできない」「管轄が違うからできない」「縦割り行政が悪いんだ」というのはただの言い訳であって、今の状態の中でも間をすり抜けていきいきした活動をしている人はいるんだ、ということだけは分かりました。


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大阪 その2

12日は朝の9時から武庫川女子大の授業だったので、打ち合わせをするために前日夕方に大阪に着くように練馬を出発しました。


大阪は、6年くらい前に、ユニバーサルスタジオジャパンができた頃に行って以来です。


6年前となるとだいぶ記憶も薄らいでいましたが・・・大阪駅は東京駅と同様たくさんの路線が走り、地下街も広い。


東京駅ならばどの線に乗ろうと駅名は「東京駅」ですが、大阪は、線によって梅田駅、西梅田駅、東梅田駅と変わっていたりする。すべてが地下街でつながっています。


新宿で、大江戸線の都庁前駅も新宿西口駅も歩ける範囲にあるのと同じように、大阪駅から梅田駅に行くには歩いて行くしかない、という感じ。


 私は東梅田から一駅行ったホテルに泊まることにしていたので、梅田の地下街をキョロキョロ歩きました。


昨日もちらりと書きましたが、「ははあここが大阪か、確かに東京ではない」とは思うものの、何が違うのかはうまく説明できない。 何を写真に写せばブログを読んでる皆さんに伝わるのか、分からないなと思いながら歩く。


古びた小物を売っている小さな商店街を通りすぎ、東梅田駅まではまだまだ歩く。


角には立ち食いそばのようなのれん。だけど、やはり何やら違う雰囲気。ちらりと覗くと、おじさん達がビールを片手に串に刺さった揚げ物を食べている。


 なんだ!?


 そのとき時刻は16時。夕方の駅の地下街の片隅で、揚げ物を食べるおじさん達… 東京では見慣れない光景に衝撃を受けました。


しかしこれまた写真にはうまく写らない。写してみたらたぶんぱっと見た感じは立ち食いそば屋にしか見えないから。


う~ん、なぜ駅で揚げ物立ち食いなんだろうか…いっそ私も並んで食べてみようか、という思いに駆られましたが、いけないいけない、今から打ち合わせなんだった、と気を取り直して。ホテルに荷物を置いて、大阪ボランティア協会へ向かったのでした。

大阪へ

じめじめした季節柄か、なんだかやたらと疲れやすく、なかなかブログの更新ができませんでした。


友人である室田信一さんが非常勤講師をしている武庫川女子大学のボランティア論の授業に参加するため、7月12日に関西に行ってまいりました。もうすぐ選挙、という世の中の政治の動きと関係ない活動をしてしまいました・・・(^^;


でもこれは半年前からの約束だったんです。


ゲストスピーカーの白井恭子さん(大阪ボランティア協会)も室田さんも、以前からの友人です。半年ほど前、白井さんが室田さんの授業でお話をするということを聞いたので、「私もぜひ聞きに行きたいわ~」と言ったことがありました。そしたら、「加藤木さんも来るんだったら話をしてください。その前にちゃんと当選してから来て下さい」と言われていたのでした。


はたして、半年前からの約束を果たしに大阪へ。


女子大の大学2年の女の子たちにお話。


ボランティアさんが自分の長所や「やりたい思い」を生かしながら楽しんでボランティア活動に参加するための「ボランティアコーディネーター」の仕事をしている白井恭子さんが、その役割についてお話されました。


「ボランティアが必要だ」と感じている団体について調べてみんなに伝えること、ボランティアをやりたい人を最適なところにつないでいくことなど・・・。


それを受けて、私は選挙活動とボランティアというテーマでお話。私の選挙にボランティアさんはなくてはならない存在でしたが、その調整をするボランティアコーディネーターが不在だった、という話をしました。


誰しも人生にはいろんな課題を抱えている。家族の介護や子育てや、障害のこと、就労の問題など。そんな中で、大変な問題はおいておいて、みんな頑張って私の選挙の手伝いに来てくれていた。でも、「大変だけどやってあげなくちゃ」という思いが強くなりすぎると、ボランティアさん同士が喧嘩になったり、それはそれは大変(^^;


それぞれの抱える事情を理解している私が仲裁をしてあげたいけれど、私は選挙に出る当事者だから仲裁はなかなか難しい。私以外にすべてを把握して、みんなの力が一番気持ちよく発揮されるように促していく人が必要だったと思います。


それは選挙に限らず、会社でも地域社会でも同じことだと思います。一生懸命になればなるほど、お互いを認め合う心の余裕が消えてしまったりする。中立の立場でその間をつないでいくコーディネーターは必要だと思います。


しかし、なかなか「人の力」は制度や経済的な価値として重要視されていないので、色々大変なんですよね。


 IMG_3625.jpg 


せっかく大阪まで来たのだから、ということで市立施設など、たくさん見学してきました。いっぱい見すぎて頭が爆発しそうです(^^;)でも面白いものをたくさん見てきたので、練馬区にも生かせると思っています。


ぼつぼつとご報告したいと思いますが、ひとつ言いたいのは「百聞は一見にしかず」ということ。


たしかにここは東京じゃなくて大阪だなあと感じるものがたくさんあります。梅田の地下街のくしカツ屋さんだとか。通天閣だとか。ブログに書きたいと思っていたから写真に撮っておこうかと思ったんですけど、どうもぴんと来ないのです。「ここが特徴」と心では感じるけど、それは写真画像には残せないのです。


だから、肉眼で見るって大事だなと思いました。

武石・軽井沢に行ってきました。

新人議員の区外視察です。


写真をいくつか載せましたので、こちらからどうぞ。右上にある「スライドショー」というので見ると見やすいです。


新人議員11名と議会事務局の方々とで、7月3日に武石、4日に軽井沢という宿泊視察に行きました。


区立の少年自然の家です。


小学生・中学生の学校の旅行にも使われていて、区民の方が利用することもできる。武石のほうは温泉です。


小学生の頃私は練馬ではなかったけど、こういうところには行った記憶がありますが、こんなに綺麗だったかしら、という感じの、綺麗なところでした。


7月3日はお昼に区役所に集合して、バスで向かう。3時間ほどバスに揺られて16時頃、武石に到着。1時間ほど説明を受けたら、休憩時間。しまった、区の集まりは休憩時間が多かったんだった、とはたと気づく。うっかり勉強道具や仕事道具はすべて置いてきてしまった・・・と思っていたら生活者ネットの菊地さんがお部屋に呼んでくださり、保育園の民間委託の問題などについてしばらく議論。そして温泉に入りました。


夕飯がとても豪華。こんなに食べたらお腹がはち切れるかもしれないと思いつつ、おいしくいただきました。夕飯と朝食をつけると3000円プラスだそうです。


食後は議員同士でお話。


私の会派の議員は夜に一緒に食事でもしようものなら夜中まで熱く話し続けるのです。せっかく語り合っているんだからなんとか眠気を我慢しようと思うものの、繰り広げられる会派の仲間の熱い話を子守唄にして、こっくりこっくりと居眠り。何度か繰り返してみて気づいたのですが、どうも私はいつも同じ時間になると居眠りをしているようです。まるでゼンマイが切れたように。考えてみれば家でブログを書いたりしてるときも、一定の時間が来るとパソコンの前で私がフリーズ。見事な体内時計・・・。


おかしいなあ。私が一番若いはずなのに、なんで私はいつもウトウトしているんだろう・・・。そして他の皆はなぜ真夜中になっても元気なままなんだろう・・・。


今回の宿泊研修では他の会派の仲間を巻き込んでまた熱い話が繰り広げられる。どうしたらもっと議会を良いものにできるか、という話なのですが。


「そろそろ加藤木さんが居眠りを始める時間だ」と土屋ひとしさん。その声を合図にしたようにゼンマイが切れる私。「あらら、寝ちゃってるけど放っておいて良いのか」と心配してくださる公明党の方の声が遠くに聞こえる。「いつものことだから放っておいても、そのうちまた起きてくるから大丈夫」というさんのへ栄一さんの声も聞こえる。


はたして私はしばらくして復活し、さんのへさんとしばし喧々諤々と議論をして、部屋に戻って眠りました。


 


4日は朝9時に武石を出て軽井沢へ。


写真を見ると分かると思いますが、軽井沢は木を多く使ったかわいらしい建物でした。中学生の修学旅行でスキーをやるそうで、子供用のスキーウェアや用具も用意されている。良いですね。私はスキーをやったことがないのですが、学校で一度でもやる機会があれば、気楽な気持ちではじめられそうですね。


昼ごはんの写真も載せましたが、とても豪華。一枚で収まりきらないので二枚にわたっています。この昼食が1,000円なんだそうで。


少年自然の家の利用料金は、


基本料金が大人1,500円(小中学生750円)


大部屋を使えばこれだけという安さです。ご飯をつけるときはプラス3000円。


私が泊まった部屋のように個室にする場合はさらに3000~4000円をプラス。・・・個室にしちゃうと普通のホテル代とそんなに変わらないかも・・・?


でも、お子さんをお持ちの方は、周りに気兼ねなく利用できる施設として重宝してるみたいですね。


下の写真は新人議員の集合写真。個性豊かな仲間達です。


左から順に、私・酒井妙子さん(公明)・米沢ちひろさん(共産)・菊地靖枝さん(生活者ネット)・柳沢よしみさん(公明)・光永勉さん(公明)・上野ひろみさん(自民)・倉田れいかさん(国民新党)


前の3人は左から白石けい子さん・土屋ひとしさん・さんのへ栄一さん(3人とも民主)


20070704231846.jpg

ホームレスの一時保護施設の説明会に行きました

今日は、大泉学園高校跡地の向かいにある、新座市の栄小学校で行われた説明会に行きました。


また長い文章になりますので、まず先に私の考えを書いておきます。ブログに対していただいたご意見、区の職員さんの説明、今日の説明会のやり取り、その後近所の人としゃべってみたことを総合した私の考え。


ホームレスの施設には賛成。だけど、「どこの場所に施設を作るのか」など区民とともに決めるプロセスがあまりにもお粗末なので、その「過程部分」には反対。


法律にも、内容について決める法律と、手続きについて決める手続き法がありますけど、「手続き部分」についての反対ということです。多分、多くの住民の意見もそうなんじゃないかな。


 


説明会は、区・都の職員さんが10名くらい、住民の方の参加は80名前後だったと思います。


場所は栄小学校の体育館。


20070701214314.jpg


(※図をクリックすると大きくなります。図の右下にimg01.jpgこういうマークが出るので、それをクリックすると鮮明になります。)


中の配置はこんな感じ。学校の生徒と先生との関係みたいなものです。前にずらっと職員が並び、対立する形で住民が並んでいる。


・・・この椅子の並び順からして対立構造になってることは、もっと工夫すれば良いのになあ。
人数的に難しいかもしれないけど、車座みたいに、お互いがお互いの顔が見えるような形になるとか。そのほうが緊張がほぐれて心からの意見が出やすいから。


14時~16時20分くらいまでやってましたが、ずーっと平行線でしたね。


区の職員さんは、「ホームレスに対する差別があるだろうから、決定を動かせないくらいギリギリに説明しないといつまで経っても用地が決まらないと思って、ギリギリに決定・説明する形にした」という。


住民は「施設そのものに反対してるわけじゃなくて、なんでこんなギリギリになって説明するのかについて怒っている。決定してからの説明では意見交換にはならないじゃないか」という。


かみ合ってないんですよね。


区の決定の仕方は、「住民は自分の住んでいるまちの利益のことしか考えていなくて、福祉のことは考えていない」ということが前提になってしまっているように思います。もう少し住民自治の力を信じないといけないんじゃないですかね。


どの区でもそうやって決めてるんです、というの、なんとなく納得がいかないのでもう少し調べてみたいと思います。


近隣に通う学校にお子さんがいらっしゃる方の不安というのは、私宛てにご意見もいっぱいいただきましたが、今日改めてお話を伺う中でちょっと整理してみました。


その不安は、ホームレスそのものに対する不安というよりも、施設の管理運営に対する不安というところから来るんではないでしょうか。プールの事故やエレベーターの事故、絶対安全だと信じていたところで子どもが事故に巻き込まれてしまったことが記憶に新しいと思います。だから、「大丈夫です」なんて言葉で言われただけじゃ信じられない、という思い。


それは、福祉関係者の弱さもあると思います。例えば障害者が何か事件を起こしてしまった時。それは障害者が事件を起こした、とセンセーショナルな取り上げ方をするマスコミの問題もありますけれど、福祉関係者は「今回は支援体制が薄かったり特別な問題があったから起きただけで障害者全般が悪いわけではない」と考える。私もそう考える。でも、そんな言葉じゃ、福祉関係ではない一般の人々には納得できないはず。


ホームレスだからって何か特別なことがあるわけじゃない、と福祉関係者は思う。私も思う。だけど、「だってそう思うんだもん」って言うんじゃまったく説得力がないわけで・・・。説明責任は行政にも福祉関係者にもあるんだということは認識しなくてはいけないとしみじみ思いました。福祉のことをやっているから、良いことをしているから、というのは免罪符にはならないし、それを免罪符にしてしまったらかえってあらぬ差別を助長すると思います。


 


「施設コンフリクトというのがあるよね」という話を、あしがらさんの監督とメールでやりとりしていました。障害者の施設なんかができるときに、近隣住民の反対運動が起きること。誰もが、必要な施設だ、良い施設だとわかってはいるけれど、自分の近くにはできてほしくないということ。


だけど、大泉学園高校跡地の場合、手続き部分があまりに不透明で、施設コンフリクトにすらなりえていないように思います。それ以前の問題というような。


決定には議会は経ていないし、近隣の住民も最近知ったこと。区長が責任者だといわれているけど、まったく説明には来ない。話し合いの端緒にすらついていないから施設コンフリクトにもなり得ない状態。


だからホームレスがどうか、という以前の住民自治の問題をまずは解決していかなくてはいけないと考えました。この問題は人権問題が絡んでいるからとてもややこしくなってますけど、人権問題以前の住民自治の問題だということをまず、賛成派も反対派も整理していかなくてはいけないでしょうね。ホームレスについて知るというのはまた別次元の問題だと思います。


そんなわけで私は当面、区民の自治を支える立場でやっていこうと思っています。どんな形であれ、決着がついたらまた改めてホームレス問題について皆さんと考える会、やりたいと思います。まずはどこにどんな形で施設を作るのか、本当に大多数が納得した形にしなければ、来る予定の元ホームレスの人にとっても可哀想ですしね。


 


ところで、これは素朴な感想。


区の職員さんの言葉遣いって、独特ですねえ。しみじみ。全然分からん。


それでもだいぶ議会で慣れたけど、今日の説明会を見ていて、住民の皆さんと区の人の会話を聞いていて「とても同じ日本人同士の会話だとは思えない・・・。通訳が要るんじゃなかろうか」と(^^;


区の人は、最初は「わざと分かりにくいしゃべり方をしてるんだろうか」と思ったけど、あれはもう癖になっているんでしょうか、「~でございます」「~につきましては」「ご案内の通り」などなど。その言い回しを聞いているだけで気が遠くなりそう。そして、実際の運用を聞いているのになぜか理念から話し始めることもある(笑)


NPOの立場にいて、行政との協働が大変、という話をよく聞いていたけど、団体レベルではなく市民が一人、行政に意見を求めるのもとても大変ですね。行政の人はまったく理解ができない言葉でしゃべってるのに、自分が相手に伝わらない言葉を使っていることにそもそも気づいていないんでしょうかね。それとも、わざと?


 


直接、行政の方が説明しているのをあまり聞いたことがない方にも分かりやすいように、例示をしてみます。


今日、聞いていて「区の職員さんって、私生活でもこんな回りくどい言い方してるのかしら」と思ったもんで、私生活場面と想定して書いてみます。


普通の家族の会話だとしたら


妻「今日も家で夕飯食べないの?子ども達もお父さんと食事できるの楽しみにしてるのに」


夫「それは分かってるんだけど、付き合いがあったり、忘年会があったり、大変なんだよ。まあなんとか少しでも早く帰ってこられるようにするからさ」


この会話、もし職員さんが家でも回りくどいしゃべり方をしているとしたら上のような返事ではなくて次のような言い方になるでしょう。


夫「夕飯につきましては、家族団らんという効果が得られ、また外食とは異なり栄養バランスも良く、長期的な視点からすれば私にとっての介護予防にもつながる大切なものと考えております。また、子どもの教育という観点からしても、『孤食』の問題が取り上げられており、できるだけ家族がともに食事をすることが求められております。私の職場においても、上司・同僚に対しましてこのような効果を説明するとともに、家族のあり方・介護予防に関してさらなる検討を進めてまいりたいと考えております。しかしまた、職場における結束力の強化等を考慮すれば忘年会をやるということにも一定の効果が見られます。私が家で食事をしてほしいという、妻の考えはご意見として伺っておきますが、今晩につきましては外食という方向でお願いしたいと考えております」


・・・えー。結局何が言いたいの?みたいな(笑)


とにかく、もうちょっと、心から湧き出る言語で話し合えるようになりたいですね・・・。


 


20070701214115.gifちなみにこちらは大泉学園高校跡地の地図。新座市との境目です。学校と施設が並んでおり、住宅は道を隔てないとないという立地のため、ホームレスの施設のように反対が起きやすい施設にはちょうど良いと考えられたみたいです。


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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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