Entries

25日に事務所開き&区政報告会が終わりました

大変ご無沙汰しておりました。


8月25日(土)、新しい事務所の事務所開きと区政報告会、そして遅ればせながら区議会議員選挙の総括の会を行いました。


それに伴って、今月後半の私は何をしていたかといいますと・・・


4月に選挙が終わって以来、時々書きましたが、ずーーーっとお世話になった人のお名前の整理をしていました。それがこの8月にようやく半分くらいは終わったのです。遅くてすみません。なにせ、全部一人でやってるもんで・・・


あとさらに半分終わらせられたら…なんて思ってやっていると多分今年が終わってしまうので(^^;)、ここで一区切りをつけて、遅ればせながら、選挙の時に手伝ってくださった方々もお呼びして、8月末に区政報告会をやろうと決めました。


整理ができた数千の方に宛ててお手紙を送付。


今まで駅で配っていた「かとうぎ桜子を育てる会ニュース」を改めて数千部コピーし、机の上に並べて・・・そして呆然としていたところ、いつもお世話になっている地元の方が通りかかりました。そして、「おや、桜子ちゃん、一人で一体何をしているんだい」と言って手伝ってくださった。。


手紙を折って封筒に入れて・・・なんて作業、一人で全工程をやっていたら、おそらく今になってもまだやっていたかもしれません(^^;


ちなみに、議会活動をするために政務調査費というのがありますが、これは議会活動、会派活動のために使うものですので、「かとうぎ桜子を育てる会」として使うことはできません。


私みたいにまだまだ後援会が未熟なものとしてはなおさら、「育てる会」と議会活動はほぼ同じだなあとは思うのですが・・・う~ん、主な違いとしては、どこが主体として活動しているかっていうことなんでしょうね。


それでも私は今まで4号にわたって「かとうぎ桜子を育てる会ニュース」を発行しているし、封筒も「育てる会」になっているので、今回のコピー、郵送は「育てる会」から支出。


多くのNPOが会報を送るときに会員ではない人にも送るのと同じように、私も当然数千の人が育てる会に入っているわけではありませんから、育てる会の収入はほとんどなくて、支出はある状態(^^;


つまり、実質的には自腹ですね。「うーん、お腹が痛い・・・」と独り言を言いながら発送作業をしていました。


で、おかげさまで何とか25日より前に皆さんにお知らせをして、当日を迎えました。


 


狭い事務所がちょうど満杯になるくらい、20人くらい来ていただいたでしょうか。


アットホームな会になりました。


ひとつの区切りとは思っていましたが、事務所開きということをあまり意識していなかったので、皆さんから「おめでとう」と言っていただいて、「そうか、めでたかったのか・・・」と改めて思ったりもしましたが263


本当に、大泉の地域の皆さんと、選挙のときにお世話になった皆さんと、それからかとうぎ桜子を育てる会に入ってくださっている奇特な皆さんとでコソっとやるつもりだったので、思いがけず川島智太郎さんが来てくださって、ひそかに仰天したりもしておりました・・・。


会派レポートとして、会派での視察(これはまだブログに書いてません。次回書きます)のことや、6月の議会で行われていたいくつかの議論について報告させていただきました。


いくつかの議論というのは、散々ブログで書いたホームレスの施設のこと、それから保育園を中心とした区立施設民間委託のこと、そして私が所属している総合計画等特別委員会が主に議論をしている基本構想の見直しのことを書きました。


この会派レポートは今、駅でもお配りしていますが、内容を書いているのは「かとうぎ桜子を育てる会ニュース」と同様、私なので、私の目から見たものになっていますが・・・。


会派レポートを使いながらの区政報告とともに、これから事務所をどう使うかについて、皆さんにご相談させていただきました。


私は区議会議員選挙に出るというときに、「地域の中に情報が集まる拠点を作りたい」ということを訴えてきました。暮らしの中の困ったことを一緒に考えてくれる拠点。それが自分の身近な場所にあったら良いなということです。


一議員として、それを区の全域に作るというのは簡単なことではないとは思います。そのためにはまずはモデルを作らなくてはいけない。というわけで、私の事務所を使って地域の拠点のモデルを作りたいと思っております。


しかし、人手がない。人手がないのは資金がないから。世の中の福祉団体やNPOと同じ構造です。


先ほどちらりと書きましたが、区議会は会派ごとに政務調査費をもらいます。議員一人あたり21万円が支給される。民主クラブでは、そのうち1万円を会派全体の運営費にして、残りの20万円は各議員の議会活動に使用している。


私は、上に書いたみたいに、「地域の拠点作り」が一つの公約ですから、その部分に政務調査費を割いています。今度借りる事務所代として約11万円を使っている。その他、光熱水費、活動報告の印刷代、郵送代で収支がとんとんになるか、多分自腹になると思います。(うう、お腹が痛い・・・)


そんな中で、さらに拠点機能を充実させていくためにはどうしたらいいでしょう。


思いを分かち合うことができる人が集まって、常に事務所を開けておくことができるようになるのがまず第一歩ですよね。


政治関係とボランティア関係が協力し合うのは難しいのかなあ・・・


まだその辺は勉強しなくちゃと思っていますが、そんな壁を乗り越えて、住みやすい地域を作っていくために私の事務所を活用できたら良いのになと思います。


今、地方自治の本を読んでいますが、本当は地方自治体の政治は区長と区議会議員との間で切磋琢磨していくべきなのに、実質的には党の間の戦いになってしまっていると書いてありました。


たしかに、地域の中で党が戦うと、全体的な問題解決が難しくなってしまいますよね。どこの党の支持とかに関係なく、もっと自由に地域を語り合えたら良いなと思います。


というわけで、私の事務所活用について良い案があればぜひお願いいたします。


 


・・・以上のような話をしたあと、場所を変えて、選挙事務所でボランティアをしてくれた人の打ち上げ(←4月の選挙の打ち上げなんです。遅すぎる!!)


懐かしいメンバーが約4ヶ月ぶりに集合しました。


私は、練馬で生まれ育ったわけではないので、初めての選挙の仲間は、区外の人が多かったのです。なんだかんだで今まできちんと総括をできていなかったので、遠いところからずーっと通ってきてくださっていた水藤事務局長を中心に改めて総括。


いやはや、4月の選挙の頃は寒かったなあ、なんていうことを思い出したり。子ども達が手を振ってくれていたなあということを思い出したり。


私の父は、選挙後に体調を崩して入院したりもしていたんですが今回は無事に参加できて、ああ良かったなあと思ったり。


あんまり気にしていなかったけれど、物事は総括するって大事なんですね。今頃になって、総括してみてようやく、「ああ!区議選が終わった!」という気分になりました・・・遅すぎですね(^^;


そんなわけで、26日は「選挙疲れ」が今頃になって出て、一日グッタリしていましたが、27日からまた相変わらず、朝の駅頭での挨拶をしています。


 


多くの区民の方は、朝の6時~8時頃には外に出て、仕事を始めてると思います。混んだ電車に乗ったり、朝からバタバタと掃除をしたり。朝の駅に立っていて偉いねって言っていただきますが、通勤している方に比べたら、立っているくらい大したことはないのですね。せめて、通勤していく皆さんのことを見送って、声をかけてくださる皆さんの思いを受け止めるくらいのことはやらなくては、私のような若輩者は「区民の代表」なんて恥ずかしくて名乗れないと思うから、議員である限り朝の駅に立つことは続けたいと思っています。


8月25日を無事終えて今は、9月の議会で行なう予定の一般質問の準備をしています。


初めての一般質問は、皆さんからいただいたご意見を元にやろうと思っています。


一般質問の内容を作るにあたっては、議員仲間に聞いたり行政の人に聞いたりするだけではなくて、現場の最前線の人の声を聞きたいなと思っています。井の中の蛙にならないように。私は、普段の当たり前の思いを持った、区民の皆さんの声をそのまま反映できるようになりたいと思っています。


 


かとうぎ桜子を育てる会

スポンサーサイト



子ども議会

8月1日は、「練馬区独立60周年記念日」。


そういえば練馬区議会のホームページでは「8月1日 60周年を迎えました」に並んで、「8月1日 かとうぎ議員の住所が変わりました」と出ていて、光栄なような(笑)、恥ずかしいような、目立って嫌だから早く消して欲しいような、複雑な気分ですが・・・(^^;


8月1日の午後には60周年記念の式典がありましたが、それに先立って午前中、「子ども議会」が開かれていました。


写真は撮っちゃいけなくて、今年の子ども議会に関して書いてあるホームページが見つけられないので、参考資料がなくて申し訳ありませんが・・・子ども議会は毎年8月1日に行われているようです。


入り口で記名して整理券をもらって、私は珍しく傍聴席に入場。傍聴席には生活者ネットの方たちが来ていて、その近くに腰を下ろした私。


で、議場を見る。議長席には、子ども議長さん。いつもの議長さんに比べてちいちゃい。椅子がやたらと大きく見えることに仰天。


実際の議員と同じく、子ども議員さんも50名くらい。


5人ずつ、10のグループに分かれて、環境問題、食育、障害者、高齢者、いじめの問題、子育て支援、スポーツ振興などについて、「もっとこうしてほしい」という発表がありました。


 


子ども議会が開かれるにあたって、議員には区の職員さんから一応報告がありました。「8月1日にやるので、ぜひ来てください。子どもらしく、分かりやすいものにするために、寸劇やパネルなども取り入れています」と。


それを聞いた民主党の先輩が、「それは大人の議会にも取り入れれば良いのになあ」とぼそっとつぶやきました。


 


子ども議会の10グループは、話し合いの進め方がそれぞれ違ったんだろうなあと推測できる、個性豊かなものでした。いろんな小道具を用意するグループ。5人のメンバーの発表の順番の決め方もそれぞれ違っているようだと感じました。


中でも特に、一生懸命調査をしたのだろうと思えたグループ。子育て支援についてのグループでした。


実際にお母さん達にアンケートをしてみた。「子どもを育てていて、悩むことはどんなことですか?その悩みを誰に打ち明けていますか?」。


子どもがお母さんにアンケートをすると、回収率も上がるかもしれないし、単なるアンケートよりも本当の声が出しやすくなるかもしれない、とふと思いました。


アンケートの結果はパネルで示していましたが、残念ながら傍聴席からは詳細までは見えない。(私の視力は1.5くらいはあるはずなんですが・・・)子ども議会の議事録もできるんでしょうか・・・正式な結果を見つけたらまたお知らせします。


 


とにかく、実際に調査を行ったという子ども達の力に感動していたら、さらに話は進みました。「そんな調査の中で、父子家庭に対する支援がまだ足りないという意見を聞きました。」


母子家庭に対しては支援がたくさんあるけれど、お父さんだけの家庭は「男の人の方が稼ぎが良いんだから大丈夫だろう」と思われがちで支援が少ないということ。


だけど、子どもが急に熱を出して、保育園や学校に行けなければ、親が見なくてはいけない。区にはひとり親家庭用のヘルパー制度があるけれど、それは福祉事務所を通さないと利用できないので、少なくとも役所が開く9時頃まで待たなくてはいけない。


結局子どもが急に体調を崩したら、ひとり親はその日一日は仕事を休まざるを得ない。そういう不安定な状況では、たとえ男親でも安定した仕事には就きにくい。


区は、そんな脆弱な支援体制をどう思っているんですか?


そんな趣旨の発表がありました。


 


で、区の職員さんの答え。


いつもは聞いているうちに気が遠くなるような回りくどい言い方ですが、さすがに子ども議会なので分かりやすい言い方をしてくれています。


「母子家庭と父子家庭の支援の内容に差はつけていないんですよ」と。


で、こんな事業もやっている、あれもやっている、と色々と説明がある。


すると、子ども議員から再質問。


「おや!大人の議員もめったに再質問しないのに、偉い!」と思いつつ凝視する私・・・。


 


「色々説明があったけれど、結局、緊急の子どもの病気の場合に親を支援をする方法はあるんですか?」という趣旨の再質問。


そして出てくる区の職員さん。「えーと、緊急の時には対応できていないのが実際のところです。近所の人との関係なんかの中でお願いしているのが実情です」


そうかー。なんて分かりやすいことだ。


「病後児保育」というのはよく言われていて、治りかけの子を預かってくれるところはある。


でも実際には働いている親御さん、特にひとり親家庭の人の悩みは、ある朝突然の発熱で急に会社を休まざるを得ないということですよね。


「病気真っ最中」の子どもを支えてくれる人がなかなかいない実情。


これは、子育て中の人が突然休まざるを得ない状況を温かく受け容れられるような職場の雰囲気作りも同時に必要ではあるでしょうが。


 


いやー、しかし子ども議員さんの質問によって、今の社会が抱える課題、区の現状が手に取るように分かったなあと、感動しました。


 


子どものためだから、と分かりやすくしようとしている工夫は、本当は大人に対しても同じはずですよね。言葉だけで分かりにくい時のためにパネル等を活用すること。質疑は明快な言葉で行うことなど―。


 


「言葉」―それは、恐ろしいものだと思います。


人を傷つけることも、救うこともできる。


体験していないことを理解できるのは言葉の力。(最近は映像の力もあるでしょうが)


その一方で、言葉によって「分かった気分」になってしまう恐ろしさもある。


難しい言葉を使うことで、相手をなんとなく説得できることもあるけれど、難しい言葉によって自分自身までもが惑わされてしまうこともある。


誰かから自分の身を守りたいという本能が働いた時、人は無意識に難しい言葉遣いをして、鎧をかぶるのかもしれません。そんな中で、自分自身さえも見失っていく。


私も17,8歳のころは、言葉の鎧で身を固めていたときがあった。反抗期であるのと同時に、難しい言葉を使うことで自分自身が世の中を知った気になっていた。


そんなときに、中島みゆきの「風にならないか」という歌の歌詞の冒頭で、「むずかしい言葉は 自分を守ったかい」と言うのを聞いて、ギクッとしたことをふと思い出しました。


子ども議会は、そんな「大人の言葉の鎧」が取れて、それで真実が見えた気がしました。


大人同士だとどうしても鎧ができてしまうのかもしれない。だけど、鎧の向こうの本当の声を聞き分けていきたいと思います。


かとうぎ桜子を育てる会

健康福祉委員会

7月31日が健康福祉委員会でした。


この日は、出されている陳情に関連した質疑が行われました。


最初のものは、墓地について。区内に墓地を建てようという業者と、近隣住民との葛藤。区内に墓地を作る必然性が分からない、ということで住民から陳情が出ていました。


・・・人間に関わる、「障害者施設」等だと、かなり色々思うところがあるんですが、墓地だと、私としてはまだよく分からないです。墓地建設反対をしている区民も、建てようとしている業者も、それぞれの立場で一生懸命だということだけは、それぞれの主張を聞いて分かったんですが。だから私はどちらを応援する、というところまではまだ理解できていませんので、ここで軽率な発言をするのはやめておきます。


ただ、今言えるのは、「墓地まで健康福祉委員会なんだなあ」とちょっと驚いたということだけ。


 


その後、このブログでも散々書いた、ホームレスの施設についてに話が移りました。特段変わったことはなく、相変わらず区の考えと住民の考えは平行線です。


平行線だと諦めるというわけにはいかないので、質問をしようとひょいと手を挙げたのは、ちょうど正午のこと。


「はい、かとうぎ委員」と委員長。そこで時間が正午だと気づいた委員長。


私が話そうと口をぱっと開いた瞬間にさえぎって「正午になりましたので、質問は手早くお願いします」と委員長。


いざしゃべろうというときにさえぎられたので舌を噛みそうになる私・・・。


会議の集中力が続くのは2時間が限度だと思うし、長ければ良いってもんではないというのは分かる。でも議論の途中で正午だから止める理由はなんだ?委員も区の職員さんもお腹がすいて耐えられないのか?


健康福祉委員会は障害者も子どももホームレスも生活保護もメタボリック症候群も健康診断も、さらには野良猫対策も墓地までも、含まれるというやたらと広い分野。毎回少なくとも3時間に及ぶ会議。


月に1回程度、委員会を開くだけでは足りないんだったら、議論を途中で止めるんではなくて、会議の回数を増やすといった工夫が必要だと思いますね。ただでさえ、議論になんてなってないのが議会の現状なんだから(!?)、質疑応答さえも止めたら、区議会は行政のチェック機能も果たすことができず、ただの「区の事業の現状発表会」になると思います。(今もすでにそうだと思うけど・・・。)


委員長に止められて、そんな思いが一瞬で頭を駆け巡り、「ふんっ」と思いながら気を取り直して質問。


私「これから障害者も高齢者も地域での生活をしていかなくてはならないと言われているんだから、小規模施設やグループホームを地域に作らなくてはいけなくなります。それに対して反対運動が大体どの地域でも起きてしまうという難しさがある。一方で区民との協働も進めなくてはいけない。その兼ね合いが難しいと思いますが、どうですか?ホームレスの施設の場所選定についてプロセスが見えないから区民は怒ってるんだと思います。例えばいくつかの候補地が決まった時点で、複数の候補地を発表して、それぞれで話し合いを進めれば良かったんじゃないでしょうか。一方的に決定をした後で、運営の部分のみ協働と言われても、信頼関係が築きにくいと思いますが」


区の職員さん「おっしゃることは分かりますが、今もしプロセスの段階で複数候補地を出してしまったら、それぞれの地域が他の地域に押し付けあうような、ひどい形になってしまうのが現状だから、仕方ないのです。他区でも、同じように行政が決定して住民の皆様にご理解いただいているというのが現状です」


うーむ・・・私が練馬区の福祉職の仕事をしていたら同じように考えるのかもしれない。


今、もっと良いやり方をしている自治体がないかを探そうとしているのですが、なかなか見つけられないんです。区と区民の協働っていうのはよく言われていますが、大体、行政がお膳立てしたところに住民が乗っかる形が多いと思う。でも私はそれって、本当の意味での協働ではないと思います。


今回の場合ならば、大泉学園町に施設を作るというところまで区が一方的に決定したのに、「だから住民の皆さんも協力してね。それが協働だよ」と言われたって区民は納得できないはず。だったらもっと前から協働させてよ、と思うのが当たり前だと思います。


ところが意外と、そんな風に決定のプロセスから区民が関わってるっていう例はないのです。


行政の人は、そういうプロセスよりも結果を重視するところがあるから、住民と理解し合えないのでしょうね。


行政は「結果が出ていなければ皆さんに知らせられない」と考える。区民は「結果を出す前に知らせてよ」と思う。ここから食い違っているわけです。


このことを、9月の定例会の一般質問で取り上げたいんですが、なかなか先行事例が見つからないから難しい。困っています。


逆に、「先例がなければできないわけじゃない。もっと区民の感覚に近づいた先駆的な仕事をしてね」という形になるかなと、今のところは考えています。


 


かとうぎ桜子を育てる会


 

特別委員会について

毎日暑いですね・・・。


少し動くとやたらと汗が出るので、最初、「どこか体が悪くなったんだろうか」と思っていましたが、暑いんですね(^^;


今朝は保谷駅北口で朝のご挨拶をしていましたが、今日は朝の6時代から30度を超えていたとか。途中で自分がパサパサになっていく感じがしました。


さて、7月末にあった委員会の報告。


7月30日は「総合計画等特別委員会」。


前にも書いたような、心で思っただけで書いてないような、曖昧なので改めて・・・。


自治体には「基本構想」というのがあります。


これは、長い目で見て練馬区がどんなまちになったら良いか、ということを書いておくもの。


もう少し身近なものだと、「計画」って言うのがあると思います。自治体の基本計画があって、さらに子育て、高齢者、など、分野別の計画がある。


そういう、個別具体的なことだけではなくて、10年20年のスパンで見てまちを考えるのが「基本構想」。


個人の人間と考えれば、「今年の目標」が「計画」ならば、「人生設計」が「基本構想」というところでしょうか。


時代が変われば、その「基本構想」も見直さなくちゃならない。


今、練馬区はその見直しの時期に入っています。


区報で一緒に「10年後の練馬区」を考える区民を公募。8月末に初回の集まりがあって、月に1回程度の話し合いが開かれることになります。


私は、新宿のNPOで働いていた時に、新宿区の基本構想の見直しの会議に参加していました。それが議員になりたいと思ったひとつのきっかけでもありました。


新宿の時には、「区民の代表である議員が決める内容を、また別に区民を公募して話し合わせるとは、議会軽視だ」と言っている議員がいるという噂を聞いたことがありました。


でも、参加している者としてはとても有意義でした。いろんな意見、いろんな立場の人と知り合うことができ、議論をする中で歩み寄れる部分があったので。議会でもそんな中身のある議論を戦わせることができれば良いんだと思うんですが、現実にはそうではないから、区民が議論をしてもある意味議会とは役割が住み分けできていると思うんですが・・・(苦笑)


練馬区の場合、区民の話し合いがきちんと基本構想策定に生かされるのかどうか、「区民との協働」のアリバイ作りに終わらないのかどうかという部分にも注目していきたいですね。


可能な限り、区民の話し合いの傍聴をしたいなと思っています。


かとうぎ桜子を育てる会

7月29日の私

とても報告が遅くなりましたが、7月29日にいくつかの出来事があったので、書きます。


ちなみに、韓国から帰国後の私は、8月25日の事務所お披露目会に向けて、お知らせ送付の準備であたふたしております。


 


★平成20年から、練馬区ではゴミの分別のしかたが変わるそうです。


燃えないゴミは、燃やさないで埋めていましたが、そろそろ埋める場所がないということで、リサイクル+極力燃やすという方法に切り替えるとか。


容器なんかに「プラ」と書いてあるものがありますが、これはリサイクルをする。


何も書いてないプラスチック類は、燃やしてしまう。


そんな方法にするとか。


まだまだ私は環境問題は不勉強ですが、漏れ聞くところでは、なんでも燃やしちゃうってことはなんでも燃やせるほどの技術を駆使するということで、その分リスクも上がるんじゃないかという懸念があるらしい。


この方法のモデル地域として私の住んでいる地域が選ばれたということで29日の午前中にはこの説明会に参加。説明会では特に不安の声は出ていなかったんですが、どうなんだろうなあ、もうちょっと勉強しなくては、と思いました。


安全性の不安とは別に、分別方法が変わることにも不安が。


大泉学園町4,7,8,9丁目では10月から分別方法が変わるのですが、町会に入っていないような人がどれだけそれを知っているんだろうか・・・。


自分の住んでいるまちのことをより多くに周知する難しさを予感します。


このブログを読んでくださっている皆さんはご存知でしたか?詳しい情報はこちらから。


★7月末には、私の住んでいる大泉学園町4丁目・7丁目地域のお祭りがありました。


まだまだ自分の住む地域のことをお手伝いできていない部分が多々ありますが、それでも皆様すごく温かく迎えてくださって感謝感謝であります。


29日の昼頃に、お神輿が出るからおいで、と声をかけていただいたので、伺いました。


070729_1257~0001.jpg 070729_1258~0001.jpg
お祭りとなると、威勢の良いかっこいいお兄さんたちがわーっとやってきて、わーっとお祭りを盛り上げるのですね。


お神輿が出るのに先立って、式典?が行われていました。


お祭りのやぐらの上にたくさん人が乗っていて、議員さんも何人か乗っているのを、下から眺める私・・・(笑)・・・乗っている議員さんが自民党の方々と、区長さんだったもので。


私は高校の頃から政治には比較的興味があったんですが、その頃から比較的自民党が苦手でして(^^;


私が下からぼーっと眺めているのに気づいた地域の皆様が、「あなたも上に上がったらどうですか」と声をかけてくださいまして、「そうか、自民党の議員さん達と同じ壇上に上がって同じようにマイクで一言を言わなくちゃいけないのか」と思ったら、蒸し暑さの汗に加えて変な脂汗のようなものが出てきましたが・・・


まあなんとか終わってホッとしてふう・・・と見ていたのが、上の写真のお神輿。


 


★この日は、霞ヶ関にある全国社会福祉協議会のビルで、若年性認知症の集まりがあるということで、お神輿を見送った後は霞ヶ関まで出かけました。練馬区の社会福祉協議会で働いていた方の発表もあると聞いていたので。


認知症って言葉はだいぶ浸透しましたよね。私が福祉の研修機関で働いている途中までは「痴呆」と呼ばれていて、ちょうど切り替えの時期でした。痴呆に関する研修で、「痴呆に代わる呼び名は何が良いですか?」なんてアンケートをやっていた記憶があります。


「痴」も「呆」も「愚か」という意味が含まれているイメージがあるから、もっと適切な呼び名に変えようという理由です。「らい病」が「ハンセン病」に変わったり、「精神分裂病」が「統合失調症」に変わったりするのと同じですね。呼称が差別意識と密接に関わる場合にこうして名称変更がされるのでしょう。


この会には1時間ほど遅れて参加。


明日の記憶」という映画、私はまだ見ていないのですが・・・ここに描かれているのが若年性認知症。


年をとってからでも、認知症は体は衰えないのに脳が衰えるので家族も本人もとてもきつい状況に追い込まれます。


最近私の祖母がかなり入り口に入っているので、「おいしいね。こんなにおいしく楽しく食べたのは久しぶり」と言いながら食べた夕飯のことを次の日には「昨日、何食べたかしらね?覚えてないわ」と言われて衝撃を受けておりますが・・・家族としては頭で分かっていても感情的に受け止めにくい部分があるという辛さがあるのも認知症の特徴かと思います。


ましてや40代50代という、働き盛りの時期に発病した方、ご家族の衝撃はものすごいものと思います。まだ子どもが小さい場合もあるし。お父さんが発病した場合、仕事・収入という大きな問題もある。


私が遅れて会場に入った時には若年性認知症の当事者の方がお話をしていました。


公務員として働いてきて、信頼される仕事をしてきた方がある日急に万引きをしてしまった。警察に連れて行かれて一晩を過ごしたのだけれど、本人は「良くしてもらった」と言う。おかしいな?と思った奥さんが病院に連れて行って、認知症であることが判明したということでした。


若い時期に発病すると、介護保険のサービスが使いにくい部分もあります。40歳を過ぎていれば施設等も使うことはできますが、周りは自分の親くらいの年齢だから、溶け込むのが難しい、行っても意義を感じられないということで、本人も家族も苦しんでしまうのです。


そんな方のためのデイサービスをやっている団体の発表もありました。


練馬区の社会福祉協議会で働いていた方の発表は、区内にお住まいの若年性認知症の方の支援をお手伝いしたという事例報告でした。


支えるボランティアさんも、個人レベルでやるのでは長続きしない可能性がある。その認知症の方を支えるためのグループを作って、皆で悩みを語り合いながら支えるという方法をやってきた、というお話でした。


認知症そのものはだいぶ浸透してきた。でも、若い人もなり得るというところはまだまだ浸透していない。知的障害者もそうですが、若い人が健常者と違う動きをしているとちょっとドキッとするところはありますよね。


私なんぞはかじる程度でも福祉のことをやっているので、知的障害者、精神障害者、認知症の方と、もしかしたら危ないかもしれない変質者(?)の区別はできているつもりです。でも、多くの方はその区別は難しいでしょうから、差別をしているつもりはなくても警戒してしまうことはあると思います。


基礎的な違いを学ぶ機会を作れると良いですね。それは無駄な差別・偏見をなくすことにもなるし、相手の行動が障害によるものなのか悪意なのかを見分けられることは自分自身の身を守ることにもなると思います。


この集まりはNHKの福祉部門も一緒にやっているものでした。私は結構NHK好きなので、いつも朝テレビで見ていたアナウンサーさんが司会をやっているのを見て、若干ミーハーな気分にもなってきました(笑)


★で、集まりが終わって、また大泉学園のお祭りに戻る。7月末はまだ梅雨明けもしていなくて、不安定な天気。夕立が多い時期でもありました。


お祭りに行ったら、土砂降りになって帰れなくなりました(><)そうしているうちに参議院選挙の投票が終了、開票時間に。


友人から電話で「民主党、すごいね」と言われても、まだ見てない状態・・・今の私にとってすごいという実感は、この雨の勢いの方なんだ・・・と思いつつ、22時頃にようやく帰って選挙速報を見たのでした。


かとうぎ桜子を育てる会

私の休暇が終了

6日から9日までお休みさせていただきました。今日から復帰。ただいま。


早めにお休みをいただいた分、お盆は営業(?)します。


で、今日のブログは、この夏休み中の、プライベートな時間の中で感じたことについて書きます。


 


高校時代の友人(このブログではYちゃんと呼びます。)と韓国に出かけてきました。


実は私、海外は初めて。よく、「選挙に出ちゃったり、変わったことをするのに、海外には行ったことがないなんて意外だね」と言われたものです(^^;)そして、その後に大抵、「行ける時を見つけて、いろんなところを見ておいた方が視野が広がるよ」と言われます。


海外に行ったことがないのは、私と母にしかなつかない猫を17年間飼っていて、遠出ができなかったからでした。1年半前にその猫が死んで、選挙も終わって、このたび初めて海外に行くに至ったのです。


 


勉強でもなく仕事でもなく観光に出かけるというのも久しぶり。


小さい時からちょっとものの見方がひねくれていまして。


中学1年の時に同級生とディズニーランドに出かけたときのことですが。友達みんなが「キャー、ミッキー可愛い」と抱きついていくのを見て、「あのネズミの着ぐるみの中には間違いなく人が入っているというのに、なぜみんなはあんなに無邪気に抱きつくことができるんだろうか」という考えが頭に浮かびました。以来、「どうやら私は観光を楽しむのに向いてないのではないか」と思って、ちょっと観光を避けています。


 


行った先ではほとんど自由行動ができるツアーに申し込みました。


ただ、着いた時にはホテルに送ってくれるけど、途中で免税店に寄らなくてはいけない、とのこと。


免税店って安いのかしら、と思いつつ、見てみると、ブランド物の数々・・・高い(笑)


日本で買うよりは安いのかもしれないけど・・・。


うーん・・・。歩いていると店員さんが日本語で「いかがですか」と話しかけてくる。えへ、えへ、と曖昧な笑顔を浮かべつつ、値の高さに目玉を飛び出したまま店を出てきました。


ツアーのオプションで焼肉をつけることができました。初めて行く地だし、決まったところに行く方が安心かしらとお願いしてありました。


ここもまた、日本語がたくさん。「焼肉以外にご注文は?チヂミもおいしいですよ」という日本語に、「いや、とりあえず焼肉だけで良いです・・・」と答えて、もぐもぐ・・・。


うーん・・・ここらあたりで、私の「観光嫌い」がモヤモヤと頭に浮かぶ。買い物ならば日本でもできる。韓国のほうが安いのかもしれないけど、交通費を考えれば変わらないはず。おいしい韓国料理は、新宿の大久保に行けば食べられる。じゃ、私は何をしに韓国に来たんだろう。何によって私は視野を広げられるんだろう??


 


さらに、オプションで韓国エステ(あかすり)がつけられたので、行ってみました。


サウナに入った後、体中をごしごしされる。すっきりしたのは確かだけれど、そこで働いている人たちのことが気になり始めて、なんとなく「きゃー気持ちよかった!」という気分にはなれない。


人と関わりを持つ仕事は、それに意義を見出すことができればとても良いものだと思います。だけど、自分の中に不全感があれば辛い仕事のはず。日本で言うならば老人ホームなんかそうかもしれません。高齢者との関わりに意義を見出せれば楽しいと思うけど、排泄介助や入浴介助もしなくてはいけない。その部分が辛いと考えられなくもない。


あかすりの仕事をしている人は、この仕事に意義を見出してやっているんだろうか。観光でやってくる日本人の体を毎日ごしごしする仕事って、どうなんだろう。自分の親くらいのおばさんが、一生懸命あかすりをしてくれてる姿に、なんか複雑な気分。


日本語で勧誘をする店員さんたち、一生懸命あかすりをする人たち・・・・なんだか、快楽を求める日本人と、それに対応するその国の人たちのねじれた関係が見えてしまう気がして。


あー、やっぱ私は観光はダメだ・・・と思って。


 


そんなとき。


Yちゃんには、韓国に数人友達がいるということで、会うことになりました。


韓国の友達を、Aちゃんと呼びましょう。


Aちゃんは「なんで韓国まで来たの?」と不思議そう。うーん、そうだなあ、観光・・・なんだけど、でも確かになんでだろう、と思う私。


とりあえずはこんなコースだよ、と上記のような日程をYちゃんが説明。若干怪訝そうなAちゃん・・・。


そして、Aちゃんが普段お買い物をするエリアに連れて行ってくれました。


雰囲気としては、新宿東口みたいな感じ。


でも、違うのは、お店だけではなくて露店が並んでいること。


DSCN2297.jpg DSCN2298.jpg
日本でも、繁華街ではまれに露店が出ていることもありますが、たくさんの通行人の多くは見向きもせずに通り過ぎますね。韓国の露店は、ほとんどの通行人が当たり前に利用している、普通のお店と同じ位置づけにあるようです。


DSCN2331.jpg
観光地ではない、韓国人が普通に行っているような焼肉屋さんにも連れて行ってもらいました。これは、おいしかった。


買い物も、お土産物屋ではなくて、そこに住んでいる人が買っているスーパーに連れて行ってもらった。へー、韓国ではこんなものが、こんな量で売っているんだな、日本とは違うんだな、ということを発見。例えば、トイレットペーパー。日本の倍くらいの量が1パックで売られていました。全体的に日本よりも大きいサイズで売られていた気がします。


 


国内旅行でもそうだけど、「その場所を知る」ということは、表向きの観光ポイントを知るということではなくて、そこに住んでいる人の生活を知ることなんではないかな、としみじみ思いました。


そんな風に思ったら、楽しくなってきた。Aちゃんと別れて再びYちゃんと2人で観光を始めましたが、自分の中で見るべきポイントが見つかった気がして。


 


景福宮と昌徳宮という、王宮を見に行きました。


建物の中を覗いてみて、なんとなく違和感。


日本の名所では、建物の中を覗くと、大抵仏像が座っていると思いませんか。


王宮は、造りは似ているけど、真中に仏像はなく、座る場所があるのみ。そこに王が座っていたのですものね。


DSCN2357.jpg


そして、「国の行事を執り行った建物」「政治について王と家臣が議論した建物」などが次々と出てくる。


考えてみると、日本に今残っている、なじみある名所の多くは神社仏閣で、王宮のようなものはそんなに多くないんじゃないかなと思いました。


そもそも日本には、天皇とは別に、政治を行う将軍がいたりするし。将軍の「幕府」は、元々は緊急に幕を張って行った場所が語源だと聞いたことがありますから、じっくりと場所を設けて議論するというのとはまた違うのかな、と。それよりもむしろ、勢いでやっちゃえ、みたいな(^^;


で、形に残っているものは、例えば鎌倉の鶴岡八幡宮は源頼朝が北條政子のために作ってあげた、というように、建物は実用というよりも権勢を誇るために作られているような気もします。


それが古くから続いてきている日本の政治のあり方ならば、今の日本の社会の中で、年金を使って豪勢な建物を建ててしまうというのにも、通じていたりするんじゃないのかしら、と。


私は歴史についてはあまり詳しくないので、もしかしたら違っているかもしれませんが、直感としてはそんなことを感じたのでした。



南大門、東大門にも行きました。これまた露店がずらーっと並んでいる。


こちらが南大門。


DSCN2419.jpg DSCN2420.jpg


そして下のが東大門。



  070809_1147~0001.jpgくつ屋がずらっと並んでいるところ。


常にお祭りのように、夜遅くまで露店が並んでいる。Aちゃんに連れて行ってもらったあたりもそうだったけど、こうやって露店が盛んな韓国と日本の違いはなんなんだろうとしみじみ。


そしてふと、道路許可のしくみの違いなんではないかと思い至りました。


日本で道路を使って催しをするのには、警察から許可をもらわなくてはいけない。私は突飛なことばかり考えるので、何度か道路を使って催しをしようとして「許可が下りないだろう」と断念したことがあります。


韓国の道路事情は知りませんが、きっと許可制度に違いがあるにちがいない。


日本は道路は自由に使いにくいから、人は家か店の中に収まってしまう。


一方で日本の「地域の力、近所づきあい」が弱まってきたのは「縁側」「縁台」がなくなったからではないかと唱える人もいる。ちょっと前ならば、軒先に縁台を置いて、そこで囲碁をやったりして、自然と周りに人が集まり、交流できていた。今はそれがなくなってしまっている、と。


道で人に会い、交流する機会が減ってきてしまっている。だから、会っても見慣れない人だし、気軽に話をする関係にはなれない。


もう少し、道路を人が集える場に変えるという方法で、地域の顔なじみを増やすことができるような気がしました。


 


それから、韓国に行ってからずっと気になっていたのは、「韓国にはホームレスがいるかな」ということ。


南大門には夜行ったんですが、途中で地下街に降りたら、いた、いた。たくさん。お店の営業が終わっている地下街でホームレスの皆さんが休んでいました。天井には彼らの洗濯物が干してあった。


22時以降の東京駅も同じように、ホームレスがひと時の休息を得る場所になっているという話を聞いたことを思い出しました。


日本は欧米に比べて急激に成長し、少子高齢化も何倍もの勢いで進んでいるといわれていますが、韓国は日本よりもさらに急激な勢いで進んでいるという話を聞いたことも思い出しました。


格差という面でも、日本と同じかそれ以上の進行をしているのかもしれませんね。これまた私の直感でしかありませんが。


 


私は韓国語はほとんどまったく知りません。習ったことがないし、韓国ドラマも見たことが無い。でも、「そこに住んでいる人」を知るにつれて、なんとなく通じるようになってきた。


「コミュニケーションは、言語は3割程度で、あとの7割はジェスチャーやニュアンス、表情で通じ合っているんだ」と、手話を習っていた時に教えられたのを思い出しました。


「トイレを貸してください」「この切符でなぜか自動改札を通れなかったんですけど」などなど、まったく韓国語は話していないのに、(そして相手も日本語を理解してはいないのに)日本で言っているのと同じように通じ始めたのが面白かったです。うん、これならこのままここに住めるかもしれない、と思いました。


きらびやかな観光旅行から、いつもどおりの勉強旅行に気持ちがシフトして、やれやれようやく私らしい旅行になったとホッとして楽しみ、帰途に着きました。


 


帰り道は再び観光ルートに乗せられる。観光ルートに乗ると、ジェスチャーを駆使しなくても言葉で日本語が通じるようになる。


お土産屋さんで金色のブタの置物を買いました。ブタが好きな友達がいるのでお土産に。


「ブタをください」と言ったら、店員さんが日本語で「革製品もお徳ですよ、いかがですか」と言う。

なんでブタの置物を買うのに革製品まで買うってことになるんだろう、とブツブツ思いながら「いりません」という私。うーん、観光はやっぱり苦手。


 


そんなこんなな夏休みでした。

かとうぎ桜子を育てる会

事務所住所変更のお知らせ

今度、大泉街道沿いに新しく事務所を作りました。
皆さんから意見をいただく場、区の情報の一拠点にできればと思っています。

新住所 練馬区東大泉3ー1ー18 横山マンション102(マンション1階の店舗部分です)
電話 03ー3978ー4154
FAX 03ー3978ー4158

8月25日16時から、区政報告会&事務所開きを行いますのでぜひご参加ください。

昨晩更新したブログで、今日からお休みいただくと書きましたが、朝の大泉学園駅での挨拶のみ行いました。
参議院選挙中はお休みしていたので、約1ヶ月ぶりの再開です。
上記の事務所ご案内チラシをお配りしました。

久々に駅で話すとちょっと不思議な感じがするものです。
冷静に考えると、自分の名前を書いた旗を持って朝からマイクで音を出すなんて、変ですよね…
よくよく考えると、「恥ずかしい…」と思えてきてしまうので、あまり考えないようにしています(笑)

ちょっとしょんぼり

参議院選挙が終わってからの私は、自分の住んでいる地域のお祭りに参加したり、委員会があったり、子ども議会を傍聴したり、会派視察があったり、といったことをしています。


全部のことについて報告をしたいと思っておりますが、遅くなっていてすみません。


 


私の選挙のときにいつも気にかけてくださっていた方が、亡くなったという連絡をもらいました。


まだまだ働き盛りといった感じの方で、体調が悪いことは私は知らなかったから、とてもびっくりしました。


また近いうちにお邪魔しようと思いながら、「この仕事が整理できたら・・・」などと思ってなかなか行かなかったことに後悔。


今日という日と同じように、明日という日は必ず来るものだと思ってしまっていた自分を感じました。


 


私の母は、44歳で亡くなりました。


「早くに親を亡くすと、親の年齢を超えて自分が生きるイメージがつきにくい」と、以前中井貴一がテレビで言っていて(中井貴一もお父さんが早くに亡くなっていますから)、なるほどそうだなと思ったのですが、私も自分が40過ぎて生きているイメージがなかなかつきません。だから、どこかで「40歳までの時間を、毎日悔いなく生きなくては」と思っているところがあります。


いつもそう思っていながらも、やはりどこかで、「明日もきっと元気」と思っていたんだなあと気づきました。母の死で感じた後悔を二度と繰り返さないように生きてきたつもりだったけど、ああ、また後悔してしまった・・・と。


 


7月の初め頃から、私の父が体調を崩しました。入院しなくてはいけないということになったのですが、それでも私はどこかで「致命的な病気のはずがない。だってそれは困るもの。」と思っていました。


私には兄弟がいないし、母も亡くなっている。私は反抗的な子どもだったので、母が亡くなった後も父とはずっとあまり仲が良くなかった。でも、この数年、和力の手伝いをしたり、選挙のことがあったりで、10年ぶりくらいに父とよく話をするようになって、やっと仲良くなれてきた。よりによってそんな今、ひどい病気になるなんてことはあってはいけない、だから大丈夫だと私は自分に言い聞かせていました。多分、自分でも気づかなかったけれど、私は動揺していたのでしょう。


色々と検査をして、やっと一昨日、最終的に全部の結果が出て、そんなにひどくなく済みそうだと分かりました。


やっとほっと一息。それとほぼ同時に、上に書いた、知り合いの死を知りました。


それで改めて考えた。「自分の身内が致命的な病気だなんてあり得ない」っていうのは、きっと誰もが思うんだろうなと。私が「父はきっと大丈夫」と強く考えようとしていた、その考えにはまったく何の根拠もなかったんだと。


近い将来、どんなことが起こるかなんて予想することはできず、何をしたってまったく後悔しないことなんてあり得ないのかもしれないけれど、でも今ちょっと落ち込んでいます。


 


死を間近に感じたとき、1週間くらいの間、私自身の心もぐっと彼岸に吸い寄せられる感じがします。いのちが最後のエネルギーを燃やして、周りの人の心を引き寄せるのかなといつも思っています。初七日というのがあるのは、その引き寄せるものとお別れするためで、友引を避けるのは本当にそのまま引っ張って行かれるのを防ぐためなのかなあ、なんてしみじみ。


 


・・・と、こんな落ち込んだままのブログで申し訳ありませんが、6日から9日まで、私、早めの夏休みをいただきます。


高校時代の友人とでかけてきます。


報告しなくてはならない諸々は、すみませんが10日以降にまた書きたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。


 


かとうぎ桜子を育てる会

参議院選挙終了

ちょっと遅くなりましたが、参議院選挙、無事終了しました。

私は特に大河原まさこさんに重点をおいて手伝いをしていたのですが、長々報告しました大阪旅行に行ってしまったり(^_^;)、私事ですがここのところ父が体調を崩して看病したりで、十分には手伝いきれていなかったかなぁと思います。でも多くの方に「大河原さんに入れてきたよ」と声をかけていただいてとても嬉しかったです。

実は私自身の選挙のときは選挙事務所にテレビがなく、パソコンもつけたばかりでダイアルアップで、ピーヒョロピーヒョロ接続しながら練馬区のホームページを見ていました。
10代の頃から選挙速報を見るのは好きだったので、この参議院選挙は久々に選挙速報が見られて良かった。自分の時だけ見られてないなんて皮肉なものです。

私が区議選に出るきっかけは、今から六年前の参議院選挙でハンセン病元患者さんの森元美代治さんの比例区での選挙を手伝ったのがきっかけでしたから感慨深かったです。

さて、若干さめた意見ですが。
政治、特に国政は、個々の持つ資質と就職の可否が一致しない職業ですね。
社会全体が自民党応援になっていれば自民党公認の人がたくさん当選する。今回は逆パターン。

でも、自民党所属で頑張って良い仕事をしてる人もいるだろうし、民主党でも浮き世に流される人もいるかも知れない。

本当は「どこに所属してるか」ではなく「候補者個人の資質」が見られなきゃいけないはず。

それが現状難しいのは、政治家が身近な存在ではないからなんでしょうね。

そんな風に考えると、地方分権って大事だなとしみじみ。
「自民党よりも民主党」という大きな枠よりも、「うちの近くに住んで頑張ってる民主党の○○さんを応援したい」って方が身近に感じられるはずですよね。

より多くの方が、自分自身の問題として政治を捉えられるような工夫をしていきたいと思います。

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

カレンダー

07 | 2007/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

過去ログ