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①オリンピックの件 ②地域の拠点の補足 その2 ③視察

①オリンピックの件


第三回定例会の最終日のオリンピックの決議の際のビデオが出ました。


http://gikai02.kaigiroku.jp/dvl-nerima/2.html


このページの、10月19日のビデオを再生して、早送りし、1時間49分くらいからがオリンピックです。


まず、自民党からの説明がありますが、反対意見は1時間53分くらいからです。


野次は、マイクには入ってないので、そんなに大きい音には聞こえませんが、実際はもっとひどかった。


ああ、見直しても腹が立つ・・・。


②地域の拠点の補足 その2


前回のブログで、地域の拠点について補足説明を書きましたが、それに再質問をいただきました。「地域の拠点が重要なのはわかったけれど、前々回のブログではその説明のときに『出張所』という言葉が出てくる。出張所と地域の拠点が結びつかないんだけれど・・・」というもの。


これについて、改めて説明いたします。


地域の拠点の必要性は、前回書いたとおり。


では、具体的にどんな場所を使って、「地域の拠点」とすべきなのでしょうか。


新しい建物を作る?それで失敗した例を、私たちはたくさん聞いてきましたよね。全然人が集まらない公共施設の例を。


大切なのは、建物ではなくて、そこに集まる人のつながりの豊かさなのです。


だから、ハードの面はできる限り既存のものを活用していくことが必要になります。


では、既存のものとはなんでしょう?


古くから地域にある喫茶店もいいかもしれない。お風呂屋さんも良いかも。


前回紹介したグループホームのような施設も、地域に開放してもらえたら良いですね。


そして、他に思いつく、すでにある建物は・・・公民館や出張所ではないでしょうか。


ここで、一般質問で出した事例でまだご説明していないものを取り上げます。


滋賀県米原市にある、「米原公民館」。


一般質問では、民間委託の好事例として挙げました。


公民館というと、ふつうは「貸し館」ということを考えますよね。何か文化活動をしたいときに、お部屋を借りる場所。


そこは、どちらかというと、ただの「スペース」という印象で、そこで用事もないのにのんびりしたり、そこにいるスタッフに何か相談してみようとは思わないのではないかしら。


米原公民館は、2006年から指定管理者制度を使って、委託できる団体を探した。それに応募したのが、NPO法人のFIELDという団体。ここは、若者がやっている団体で、子どもの居場所作り、イベントをやっている団体。(「子育ち支援」といっています。子どもたちが自分達の手で、育ち合っていくということでしょうね)


この団体が受託した。米原市では、指定管理者の募集の要件にしばりが少なかったそうで、「ラッキー、じゃ、色々新しいことをやろう♪」という感じで動いている様子。


若者のNPOだからスタッフも、若者が多い。そして、いろんな特技を持っている。広報紙を作るのが得意な人がいたり(昨年度だけで100以上、あちこちに記事が載ったとか)、市からまちづくりの講座の依頼を受けて企画したりだとか。


他のNPOが活動できる拠点スペースを作ったりだとか。


行政には市民の普段の活動が見えにくいから、行政と市民をつないでいく「通訳」の役割をしたりだとか。


児童館など、他の団体と共催で子育て支援などのイベントをやったりだとか。


公民館を利用する人が連れてきて置いていた犬(!)が、他の利用者の人気を呼んだので、「看板娘」になってもらったりだとか。


こうやって書いているだけで楽しくなってくるようなことを、色々やっているんです。地域福祉マニアの私としては、書いているだけで楽しくて鼻血が出そうですね(笑) いつか視察に行きたいと思っています。


http://blogs.yahoo.co.jp/megumail0523 これは、20代の米原公民館館長さんのブログ。館長さん、私と同じくらいの年齢か、もしかしたら私より若いかも・・・。


一般質問の中では、堅苦しい言葉遣いでつまらなげに書きましたが、(http://homepage2.nifty.com/sakurako_happy/gikai.htm ←これは、私の一般質問の原稿ですが、この中の「区民の居場所になる施設作りをするためには」という小見出しのところに書いてあります)


実は一般質問をするちょっと前、9月12日にこの米原公民館の方のお話を聞く機会があって、あんまり楽しかったから誰かに言いたくて仕方なくて一般質問に入れたんです(笑)


(私が、9月12日に聞いた話の詳細はこちらに載ってます)


公民館が貸し館としてだけではなくて、地域の拠点になっている事例。こんな、豊かな発想を引き出すために民間委託のしくみが使えたら、とても素敵ですよね。


 


そんな思いの中で出したのが、「出張所」という言葉でした。なぜ「出張所」なのかというと、今、練馬区では出張所の再編が進められているから。


で、以下の意見は「著作権は池尻成二さんに帰属します」という内容なんですが、今の練馬区の基本構想の中には次のように書いてあります。


「既存施設の多目的利用はもちろんのこと、これらを含めて身近な地域生活施設を近隣住区単位に整備する。また、それらを包括する住区の核として、出張所の機能を拡充した地域自治センターをつくり、区民の自主的活動の条件づくりをすすめる」


前半部分は、上で私が書いたようなことですね。すでにあるものを利用して地域の拠点を作りましょう、と。で後半では、出張所がそれを包括する役割を果たしましょうと書いている。


ところが、今の出張所の再編は、その辺が抜け落ちてしまっていて、紙の上での事務手続きの効率化しか見ていないように思ったのです。


だから、前々回のブログで、「出張所も地域の拠点になり得るはずですがね」という嫌味を書いてみたりしました。


ちなみに、出張所を地域活動の拠点にできている事例としては、新宿区の高田馬場にある戸塚出張所があります。


私が働いていた頃のことなので、今はどうなっているか分かりませんが、この出張所を拠点にして、毎月「戸塚地域福祉会議」が開かれていて、地域の施設の職員さんや民生委員さん、PTAの人、そして出張所の職員が参加して、今地域にある課題を考え、それを地域に向かって発信するお祭りを年に1回企画していました。


ふつうに生活していると意外と気づきませんが、出張所にはそんな可能性も秘められているのです。


 


③視察


さて、明日から私は2泊で視察に行って参ります。


健康福祉委員会の視察で九州へ。


委員会の視察ですので、自民が3人、公明が3人、民主が2人、共産1人、ネットが1人、そして区の担当の方が4人。


顔ぶれ的には、・・・・・・・・・・・・・(←伏字 笑)


いや、つまり、考え方がまるで違うメンバーで同じ場所を見に行く意義が、今のところ私にはあんまりよく分からないので若干不安な気持ちなのですが263


でも、意見が違う人が同じものを見れば、新たな視野が広がったりする・・・かなあ。。オリンピックの決議のひどさを見ると、それもあまり期待できないような気もしますが、まあでも、せっかく行くんだから色々吸収してきます。


帰ってきたら、またご報告いたします。


明日は9時頃、羽田です。


かとうぎ桜子を育てる会

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①前回ブログの補足 ②認知症グループホームの見学 ③新聞記事から ④後期高齢者医療

①前回ブログの補足


前回のブログの、「地域の拠点が必要だとみんな思っているのになかなか実現しない」という話に対して、「どういう意味?」というコメントをいただきました。


ですので、まずはその説明から。


たとえば体調が悪い時、「胃が痛い」みたいにはっきり分かれば、胃の検査をしてみようとか、分かりますよね。ところが、めまいがするとか、なんだかだるいとか、はっきりしない症状だと、どこで診てもらって良いか分からなかったりしますね。原因を見つけるまで、いろんな科に行ったり、病院を変えてみたりする。


そして、体調が悪いのが長く続くと、自分が調子が悪いことに慣れてしまって、具合が悪いことすら分からなくなってしまったりすることもある。


そんなとき、もっと気軽に普段から相談できる人がいれば良いと思いませんか。


 


体の調子だけではなくて、社会的な「困りごと」も同じだと思うのです。


はっきりと、「今、私はこのことに困っているから、この人に相談すれば解決する」と分かれば良いですが、自分が何に困っているのか、相談しても構わないことなのかも分からないことがある。自分が困った状態にあることに気づかないまま、社会的に見れば虐待の状態になってしまっている家族もいる。


例えば若いお母さんや、高齢の方は、子育てであったり病気のことであったり、困ったことも多いと思いますが、その相談に乗ってくれる人がいることも知らない場合があると思います。


そんな人たちが、気負わずに悩みを打ち明けられるような場所があると良いなと思うのです。


例えば、喫茶店のような場所で、なんとなくお茶を飲んでふと壁を見たら、地域の子育て支援の情報が載っていたり。そこで顔なじみになったご近所さんにふと悩みを打ち明けてみたら「実はうちも同じように困っていたのよ」なんて教えてくれて、「あら、困っているのは私だけじゃなかったんだ」と気づくことができたり。


区報など、文字で見るだけでは伝わらない情報も、「口コミ」のちからを使うことができればもっと活かされると思うのです。


福祉の集まりで、「もっと福祉を充実させるには何が必要だろうか」という議論をすると、こういった話が必ず出てくるのです。


以上、前回ブログの補足でした。分かりにくくてすみませんでした263


②認知症グループホームの見学


大泉学園町の2丁目に、「まささんの家」というグループホームがあります。社会福祉法人がやっているところ。


以前から、「見に行ってみたいな」と思っていたのですが、10月25日、勉強会をするということだったので、伺ってみました。


グループホームは、9名の定員。認知症で、介護保険を使っている方が利用するものです。ある程度の身の回りのことは自分でもできる人、ということになっています。


一戸建ての家のような造りになっていて、みんなで調理をする。認知症の度合が重くて調理まではできない人は、配膳をする。


家族との事前の相談で、個別に外出をすることもOKにしているそうです。GPSという機械を持ってもらって、大体どのあたりを移動しているか、パソコンで確認できるしくみを取り入れていて、そして、近所の人やお店にも協力してもらっているとか。


自由度を高めた介護、というのは、施設はもちろんですがグループホームでもできていないところも多いのではないかと思います。


認知症の人には「徘徊」というのがありますが、それも、意味無く歩き回るのではなくて、たとえば昔を思い出して「家族を迎えに行かなくちゃ」など、何らかの理由があって、そわそわしているもの。介護する側がその理由を理解する必要がある、ということ。


介護する人がそれを理解してくれていれば、認知症のご本人も、穏やかな気持ちで生活できるでしょうね。


施設の長となる人の考え方しだいで、「楽しい介護」はできるんだろうなと思いました。


ここは職員の定着率が高いという説明もありました。常勤で雇うようにしているから落ち着いているのかもしれないという説明でしたが、利用者の自由な気持ちを尊重していると、職員も働きやすいんじゃないかなと思いました。


前から一度、グループホームで働いてみたいと思っていたんですが、こんなところで働けたら良いなあと思って、帰って来ました。


こんな良い場所があるということ、もっと多くの地域の人に知って貰いたいですね。


③新聞記事から


10月26日の朝日新聞の東京版のページに、新宿の戸山団地での孤独死防止の取り組みが載っていました。


団地で一人暮らしをしている高齢者が、誰にも気づかれずに亡くなって、何ヶ月も経ってから発見されることがあり、その防止のひとつの方法として、緊急連絡の機械を使い始めるという話。緊急の時以外にも、相談があるときにもオペレーターとお話をできるんだとか。


これを取り入れる提案をした、「戸山団地の住民の人」として新聞に載っていたのが、私の知り合いだったのです。「おや、まあ、お元気そうで」と思わず新聞に向かって話しかけました(笑)


この方は、(新聞を読めば本名も載ってますけど、ここでは仮にHさんとしておきましょう)戸山団地の自治会でずっと孤独死の問題に取り組んでいる方です。


私が、新宿のNPOで働いていて、新宿区の基本構想を見直すための「区民会議」に出ていたときに知り合った方。


「基本構想を作るとか言って、20年後の新宿について話し合うとかいってるけれど、困っているのは今なんだよ。戸山団地の高齢化はすごいんだ。毎年何人も孤独死しているんだ。それを何が20年後だ。今、どうするか、っていう話をしに来たんだ」と、初めての会議でいきなり怒りをぶちまけられたので、みんな呆然としまして(笑)


私はなんだか、グループの中での進行役みたいな立場になっていたので、「ああ、次回もHさんが来て、怒るのかなあ・・・」と思うと、月に2度の会議には胃が痛くなる思いをしたものです。


それでも、区民会議のメンバーが順番に、思いを語り合い、相手の意見に共感の言葉を述べているうちに、みんな自分の思いがだんだん整理されてきて、どうすれば相手に理解してもらえるのかも少しずつ覚えてきて、話がだんだん上手になってくる。


何ヶ月もの間続いた区民会議が終わる頃の、Hさんの話は本当に素晴らしかった。


それで、実際に今も、新聞に載るような活動を引っ張っていっているんですものね。


だから、Hさんみたいな人からもっと話を聞きたい、というのも、私が議員を目指す一つの理由でもありました。


区民会議の最終回で、Hさんと名刺交換をしまして。Hさんが「今度は、飲みながらお話をしようね」と言ってくれたのには、感無量でした。あー、最初はどうなるかと思ったけれど、そんな言葉を交わせるようになれて嬉しいなあと思って。


・・・実際にはまだ飲みに行ってませんけど(^^;


そうだ、私も無事当選したことだし、新聞記事に向かって話しかけていないで、Hさんに連絡を取って、「ほんとに飲みに行きましょう」って言ってみようかなーと思ったのでした。


練馬区の中で、行政が説明をする時に、区民から怒りの声を上げられるのを怖がっていることを感じることがありますが、怒りの声を持つ人ほど、その力を発揮すれば、こんな素敵な活動になるんじゃないかなと思っているのです。


④後期高齢者医療


高齢者の医療制度が、来年の春から変わるといわれています。


具体的に、負担がどう変わるのかというのが、まだ決まっていないから、何なんだかよく分かりませんが。いまどき、国の制度が、良い制度になるとも思えないので、きっと困ることがあるんじゃないかと疑ってしまうんですが(^^;


ちょうど、私が福祉の学校で社会保障を勉強している頃から、「高齢者の医療制度を組み替えなくちゃ」という話が始まったようです。


・・・医療制度とか年金制度って、ややこしくて苦手だったので、またゴソゴソと学校の頃の資料を取り出してみた・・・。


健康保険は、会社勤めしている人のものと、公務員のものと、それ以外の人のもの(=国民健康保険)がありますね。


もともと、国民健康保険は、自営業の人が入るということを想定してできたものだったのだけれど、高齢化が進むにつれて、高齢者が入ることが多くなった。つまり、会社の保険に入らない人というのが、昔は自営業の人が多かったのに、今では会社の保険じゃない=高齢で会社にいない、という構造になっているんですね。


で、私の持っている教科書なので、3,4年前の情報だと思いますが、その時点で、国民健康保険の利用者の4分の1が収入のない人、という状態だったんだそうです。そうすると、国民健康保険は、保険料収入が他よりも著しく低くなる。


もともと高齢化を想定して作ったしくみじゃないから、ひずみが出てくるわけですね。


で、高齢者の医療はひとつ切り分けて考えなくてはいけない、ということになったんだと思います。


・・・もし間違っていたら、どなたか訂正のお言葉をください263


社会状況が変わってきているんだから、しくみも組み替えないと混乱しますよね。だからそれ自体は必要だと思いますが、心配なのは、高齢者の生活が苦しくなるのではないかということですね。


今日、その説明会がありました。


新宿の知人に聞いても、説明会はまだやっていないようだし、保険料についてもまだ全然決まっていない状態での説明会だったので、みなさん「うーん、なんだか、よく分からないけど、なんだか、不安」という感じだったように思います。


説明によると、やはり今まだ何も決まっていない時期に説明会をするのは他の自治体ではあまりやっていないようですが、「でも分かっていることだけでも説明した方がいいと思ってやりました」とのこと。あら、素敵。いつもギリギリに説明をする練馬区にしては珍しい(笑)


社会的弱者と呼ばれる立場の人にしわ寄せが行かないか、しっかりチェックしていかなくてはいけないと私は思っていますが、今の段階ではまずは経緯を見守るしかないかとも思っています。


今回は、担当している課長さんのことが興味深く(←?)、観察をしていました。


なにが興味深かったかというと、この制度について自分なりに考えて分かったことや、思うところを、普段使う自分の言葉でもって説明しようとしてくれていた感じがしたからです。


以前から何度か書いていますが、「責められるかも知れない」と身構えると、分かりにくい言葉遣いで語ってしまいがちだと思うのです。そして、難しい言葉を使うとなんとなく説得力があるような気がしたり、自分自身も分かっているような気分になってしまったり。


それは、行政だけのことではないと思いますが。


国文学を学んでいた大学時代に、授業で先生が「メタファー」という言葉を多用していたことがありました。「なんじゃい、メタファーって。怪獣の名前だろうか・・・」と思って、辞書を調べたら「比喩のこと」と書いてあった。なんだよ、それなら日本語で「比喩」って言えばいいじゃないか、国文学のくせに、と一人で腹を立てたことがあります。


そうやって、難しい言葉を入れると、なんとなく難しい議論をしているように聞こえて、なんか説得力があるように思えちゃうのかなと。


行政の説明はいつも、日本語とは思えない難解な言葉が使われていて、「説明会を聞いたら余計分からなくなった・・・」という声を聞くことも多々ありますが、それもきっと、「なんとなく難しい言葉を使った方がもっともらしい」という心理が、(無意識かもしれませんが)あるのかなあなんて思います。


だから逆に、分かりやすい、自分の言葉で話をするのはとても難しいことなんだと思うのです。だから、今日の課長さんが、自分の言葉で、自分の感じたことをもとにして、みんなに説明しようとしている姿は、とても好ましく思い、同時に、他人事ながら手に汗を握りながら見守ってきました(笑)


説明会に出てみると、区の職員さん一人ひとりの、区民への向き合い方が見えて面白いかもしれないですね。職員さんも意外と個性豊かなんだ・・・。


国の制度そのものはすぐには改善しなくても、一緒に考えてくれる職員さんがいれば、安心できると思います。


かとうぎ桜子を育てる会


 

今日の活動

★「議員って普段何をしているの?」とよく聞かれます。はて。一晩中かけて、活動内容を説明して良いならば言うことはたくさんあるけれど、一言で説明しようとすると、なんだろうなと考えました。


議員には行政のチェックをする役割があるわけですが、ただ、自分の思いつきで意見を言っても仕方がないので、普段から区民の声にアンテナを張っておくことが必要。


だから、区民からの広聴→調査→区民への広報、という繰り返しをするのが役目ではないかと思います。


さらには、誰を対象に広聴・広報するかという整理や、政務調査費の経理まで自分でやる。


ある程度システマティックにできるようになるまでは、毎日が「ひぃ」という日々です。


ちなみに今日の私の活動は、午前:消防団の合同点検に出席 午後:西東京市でやっていた、養育家庭の体験発表会に参加(詳細は後述します) 夜:基本構想の区民懇談会に参加(これも後述)


という感じでした。


★養育家庭の体験発表会


これは、養子縁組を目的としない里親制度のことです。


里親制度にはいろんなものがあって、学校で習った時もややこしくて全然理解できませんでしたが、ようやくちょっと理解できました。


「里親」といってなんとなくイメージする、養子縁組は、「家制度」「跡継ぎ」「老いたときに面倒を見てもらえるかも」みたいな部分がありますね。


養育家庭は、そういう部分を排除して、純粋に、「生んだ親に育ててもらえない状態の子どもの育成」を目的としているものです。養子になるかどうかは、子どもが成人してから自分で決められる。


そうやって子どもを預かっている人が、体験談を発表する会でした。


練馬では、なぜかは分かりませんがやってないみたいなので、隣の市に出かけました。


今回の会の目的は、新たな養育家庭の発掘、ということかなと思いました。


11月は児童虐待防止月間で、練馬でも子育て支援のイベントがあります。


イベントって、誰を対象にするかがとても難しいですね。実際に社会的な支援が必要な子どもに関わっている人の研修にするのか、興味を持っている人を活動に引き込むきっかけにするのか、それとももっと広く区民に対する入門講座にするのか。


養育家庭のことは、新たな発掘という以前に、広く市民に対して知ってもらうためのイベントも、もっとやって良いんじゃないのかなという風に思いました。


★夜に参加した、基本構想の会。


以前にも書いたと思いますが、今、練馬区は基本構想の見直し作業を始めています。http://www.city.nerima.tokyo.jp/kikaku/kihonkousou/index.html


今は、区民の皆さんが分科会ごとに話し合いを進めている。


夜の会議で、傍聴もできるんですよ。ぜひどうぞ。


私はまだ、環境まちづくりの分科会と、健康福祉の分科会しか傍聴していませんが、グループごとに議論をするのは、面白いです。


今日は、健康福祉でした。


その中で、「誰もが生活に関わるどんなことでも気軽に相談できる身近な拠点がほしい」ということを中心に話し合っているグループがありました。


ああ、やっぱりその話が出るもんだね・・・と思った。


福祉の話をしていると、この話題は絶対といって良いほど必ず出るのです。


私が参加した、新宿の集まりでも、飯田橋での集まりでも出たし、練馬区の地域福祉計画にも書いてある。だから選挙の時の私の政策にも書いてある(笑)


これほどに、どんな場所でも必ず同じように出る話題って無いのではないかと思うほどです。


さらに不思議なのは、こんなに誰もが必要だといっているのに、全然実現していない、ということ。


私が選挙に出る前に「かとうぎさんの政策はすでに言われていることじゃないか」というメールをもらったことがありました。そりゃあそうさ、みんなの意見をもとに作っているんだもの。すでに言われていたって実現していないから、実現しましょうといったわけですから。


なんで実現しないのかな、と考えると、市民レベルでは共通認識であるにもかかわらず、制度を作るレベルの人にその意見が到達していないからではないかと思ったんです。議論をする市民と、政策作成に携わる人の間が分断されているから、そういうことが起きるのかなあと。


だから、間をつないでいく役割も、議員の役割だと私は認識して、選挙に出たわけです。


 


しかし、地域の力を重視し始めると必ず出る「拠点作り」の話と、現実の動きはまったく逆方向ですね。地域の拠点の役割を果たす重要なものとして出張所がありますが、「地域の拠点としてどう生かしていくか」という議論はされていないように思います。


それは、「地域の力を活用する」と、素敵な言葉で言っているけれど、その実はお金を削ることに重点が置かれているから、サポート体制が整わないのではないかとも思います。


今日、皆さんの話を聞いていて、「しかし、どうしたら実現するんだろうねえ」と思った後に、「ああ、それが私の仕事だ・・・」と、自問自答状態になったのでした。


かとうぎ桜子を育てる会

次回定例会までの活動内容と、ちょっと発見したこと

★選挙の前に、ポスターを貼っていただいたり、温かいお言葉をいただいた方のうち、住所が分かる方に議会の報告を渡しに行くということを、今日から始めました。


いやはや、人の家に訪ねていくというのは、どうしても緊張します。


駅でマイクを持ってしゃべるのも、議会で質問をするのも、質問のために下調べをするのも、ブログで毒を吐くのも(?)、慣れれば全然苦痛でないし、緊張もしなくて、楽しんでやっているんですが、人の家に訪ねていくのは、どんなにやっても慣れません。「ピンポン」と押して、人が出てくる前に逃げ出したい気持ちになります(苦笑)


なんでだろうなあと考えてみると、多分、自分の価値観が基準なんですよね。私自身が、家でくつろいでいるときに「ピンポン」が来ると、「なんだよ、何の用だ(怒)」とフキゲンになるので、きっと私が訪ねていったときも家の中の人はフキゲンになっているに違いないと恐れているから、苦手なんですね。


まあ、所詮、人間は自分の価値観でしか物を見ていないということが、上の例で分かりますね(笑)


 


住宅街を歩いていると、犬が多い。


昨日のブログでちょっと書きましたが、犬とか猫は、瞬きのしかたやしっぽの動かし方で表情や言葉が読み取れる気がします。


ポスターを貼っていただいた、とある家に行ったら、どうやらお留守の様子。


おそるおそる庭を通って、玄関まで行き、インターホンを押す。


・・・なにやら生物の気配を感じて横を見ると、レトリバー犬がちらちらと横目で見ていた。


私が3歳くらいの時、近所の煎餅屋の犬が、私に飛びついたことがありました。犬としてみたら親愛の気持ちだったんだろうけど、犬が立ち上がったら3歳の私より大きかった。


というわけで、私は、犬は嫌いではないんだけれど、若干ドキドキする。


 


おっ!レトリバー犬がこっちを見ている!吠えるかな、吠えるかな、ドキドキ。


私「ええと、ご家族は、お留守ですかね」


犬「ああ、留守だよ」


おっ!しゃべった気がする。絶対、今、この犬はしゃべった。(←すごい良いタイミングで瞬きをしたのです)


それで、もう一度確認。


私「あ、そう、留守かあ」


犬「ああ、留守さ。またおいで」


私「どうも、お邪魔しました(お辞儀)」


 


やっぱり絶対、犬は瞬きとしっぽで会話をしているに違いない、と思いました。


 


他の家では、飼い主の女性とお話をしていたら、脇から犬が「よう、ねえちゃん、どうしたんだい、よう、よう」と声をかけてくる気配がしました。(ぱたぱたとしっぽが動いていたから)


道に迷ってウロウロしていると、人懐こい猫が、「ちょっと、そこの暇そうなおねえさん、こっちに来て、私の頭を撫でてちょうだい」と言ってきたりもします。


来月末に定例会が始まるまでは、そんな活動(?)をして過ごす予定です。


 


★私は、「福祉新聞」という新聞を購読しています。


10月1日の福祉新聞に、面白いことが書いてありました。


心理学の、「同調行動」の説明でした。


今日はお昼にカレーを食べるぞ!と思っていたら、友達から「一緒に牛丼食べに行かない?」と言われた。ま、いっか、と思って、牛丼を食べに行ってしまう。


それが「同調行動」の心理だそうです。


「正解はAかBか、どちらでしょう」という設問があって、明らかにAが正解だと分かるような単純な問題でも、自分の周りにいるほとんどの人が「Bが正解だと思う」と答えているのを見ると、つい自分も「Bが正解」と答えたくなる心理というのがあるそうです。


これは、良い方向に働くと「協調性」として機能するんでしょうが、悪い方向に働くと、先日批判させていただいた野次になったり、ファシズムに向かうような動きになったりするのかもしれませんね。


野次も、野次る仲間が多数いるから成り立つんであって、みんなが野次に批判的だったとしたら、それを押しのけてまで野次る勇気のある人はいないんじゃないかなあと思うんです。


私自身はどちらかというと、カレーを食べたい時に「牛丼を食べに行かない?」と誘われたら、「ごめんね、カレーが食べたい」と答える人間なんですが、でも、「同調行動」によって社会は動いているということを、覚えておいたほうが良いなあと思ったのでした。そんな発見をしたので、ちょっと福祉新聞を引用してみました。


かとうぎ桜子を育てる会

昨日今日で考えたいくつかのこと

★ブログの最後に「拍手」っていうのがついているのを知っていますか?共感してくださったらその印をつけられるしくみなんですね。


私が、書きながら一番ドキドキした、社会福祉事業団の天下りの話のときと、オリンピックの決議の話のときだけ、やたらとこの「拍手」を押した人が多い・・・。なんか、曲芸をやっているような気分になります(笑)


★昨日は「練馬まつり」でした。これは昨年も出かけて、かなり大規模なお祭りだったなあという感想を、ブログに書いた覚えがあります。


ヒラ議員は特に式典などは無いということでした。でもまあ福祉関係の知り合いが出店をやってるから「頑張れ」と言いに行こうと思って、かなりヨレヨレした服を着てふにゃふにゃと出かけました。


練馬区独立60周年の記念もあわせて、派手なパレードをやるといって、練馬駅前で準備がされていました。


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馬がいた。


馬が、「ぱちくり」と瞬きをしていました。


おお!目がぱちぱちしている!と、さかんに馬の写真を撮ってきました。


私は以前、猫を飼っていましたが、猫はそんなに瞬きをしないような気がする。私が一生懸命しゃべりかけているときに、「はいよ、わかったよ」と言いたげな時にはぱちりと目を閉じたものですが。


だから、馬は猫と違って、人間みたいに瞬きするんだなあと発見したのでした。


 


それで、あとはおまつりを見て歩きました。


昨年来た時は(当然のことながら)気がつきませんでしたが、結構、区の職員さんや議員さんがいるのですねー。「あ!お疲れ様です!」なんていうやり取りをしながら移動。


「ありゃー、私は、馬鹿みたいにヨレヨレな服を着てフラフラ歩いているのにいろんな人に会ってしまった・・・」と。スコップでも持ってきて、穴を掘って、入ってしまいたいような気分になりながら歩いていました。


一般質問で、ゴミのポイ捨ての啓発について聞いた時に、「確か照姫まつりで何か啓発のイベントをやっていたような気がするんだけど、あれは夢幻だったんだろうか」と思って、はっきりと思い出せずにいたものがありました。


それを練馬まつりでもやっていたので、「あ!これだ!夢じゃなかった!」と分かった。JTの啓発活動でした。http://www.jti.co.jp/JTI/contribution/chiiki/zenkoku/kanto/index.html


希望者に手袋やはさみ、ゴミ袋を渡して「ためしに拾ってみてね」とやっている。


渡されるグッズのグリーンがきれいで、なんとなく試してみたい気分になる。


そうそう、一般質問で言いたかったのは、「いくら、『ゴミのポイ捨てはいけませんよ』って言葉で言っても心には染みないから、もっと、『ゴミを拾ってみたい!』と感情に訴えられるようなことはできないのかな」ということだったのです。


たぶん、どんな良い言葉よりも、人の印象に残るのは視覚的なものじゃないかと思うのですね。


行政がやると、意外とそこが抜け落ちるのかなと。


ゴミのことに限らずどんなことでもですが、行政の試みって、せっかく中身は一生懸命考えたんだろうに事業名のネーミングが変だったり、啓発のためののぼり旗がいまいちだったりするから、もったいないんじゃないのかしらね。・・・練馬まつりにヨレヨレな服で行った私にそんなこと言われたくないと思いますが263


だけど、そういう、斬新なアイデアが必要な部分こそ民間委託すれば良いんじゃないかしら・・・。


★今日はまだ色々と書きたいことがあるのですが、長くなってきたのであと1つにしておきます。


私は、選挙に出ることになってから膨大な数の人と出会いました。


出会いがたくさんあると、それに比例して別れも増えてくるんですね。当選した後だけ考えても、片手では数え切れないだけのショックな話に遭いました。


別れは、何度経験しても、心に寒風が吹きます。


風が寒すぎて文章にすることもできないほど。


 


で、せめて読んでくださっている方に一言です。


体の不調や心の不調を感じたら、ちゃんと病院に行きましょう。できるだけ早く。


そうじゃないと、「病」に負けてしまいます。


今、80歳や90歳まで生きるのが当たり前のようになっている時代です。


だから、ぜひとも、80歳や90歳まで生きてください。


寿命を全うせずに死んでしまって困るのはあなた自身ではなくて、あなたを愛する周囲の人ですよ。あなたが死んじゃったら、あなたの周りの人のことをも殺すことになっちゃうのですよ。


だからちゃんと健康診断を受けて、疲れたら休みましょう。


休むのが怖かったら、「休みたいけど不安で休めない」と声をあげてみましょう。案外、一人ぼっちではない。きっと一緒に悩んでくれる人がそばにいると気づくことができるはずです。


かとうぎ桜子を育てる会

★事件の報道を見て思ったこと ★オリンピック

★事件の報道を見て思ったこと


また、小さいお子さんが殺される事件がありましたね。


どんな人のことでも死を迎えるというのは心が痛みますが、無抵抗な子どもが犯罪の対象になるというのは、怒りと、どうしていいかわからない無力感を感じますね・・・。


ただ、そんなときの報道に、ちょっと違和感を持ちました。


「殺された○○ちゃんは、明るくて、近所の人にも挨拶をして、友達の多い子だった」というようなことが、よくニュースなどで言われますよね。


でも、考えてみると、「殺された」ということと、「明るい性格だった」ということって、なんの関係もない事柄ですよねえ。


明るくて、社交的な人だったにもかかわらず、殺されるなんてひどい話だ、ということを表現したいんでしょうか。


でも、もし、明るくもないし友達も少ない人が殺されたとしたら、どう表現するんだろう・・・。


なんだか、ニュースを見ながら、不可解というか、不愉快というか、複雑な気持ちになりました。


 


★オリンピック


東京でオリンピックをぜひやりたい、ということを、練馬区としても意思表明しましょう、という決議が、昨日、定例会の最終日にありました。


この決議をするということが、前もって内々で知らされてから、私の会派はかなりの長時間、喧々諤々と議論をしました。


みなさんは、東京に再びオリンピックが欲しいですか?


私は、個人的には、要らないと思っています。


理由は、一言で言えば、石原慎太郎が嫌いだから(笑)


石原知事になってから、どんどん福祉にかけるお金を削ってきました。それでも本当に他に削りようがない、財政難の状態だというなら仕方ないけれども。でもオリンピックにお金をかけるというわけですね。しかも思いつき的に言っている感じがいやだ。


そして、東京に誘致してみて本当にそれが実現すると信じている人はいるんでしょうか・・・。きわめて実現可能性が低いのに、誘致に向けての労力を使うだけでもかなりの税金の無駄遣いがおきる。


上のような反対理由を説得できるだけの賛成の理由が見つからないので、私は反対したいと思いました。


で、私の会派は今10人いますが、ほとんど真っ二つに賛否が分かれたんです。


 


それで、とにかく会派内で議論を深めて、どちらに結論を出すにしても決議の際には10人まとまった形にしたいね、ということで、喧々諤々とやっていました。


で、色々意見が出ました。


生のスポーツを見ることは、テレビなんかとは比べ物にならない感動を心に残すだろうということ。


オリンピックにあわせて、障害者のパラリンピックもあるので、これを機にバリアフリーや啓発をできるだろう。


社会に閉塞感があるので、若者のエネルギーをスポーツに向けることも良いのではないか。


東京でやることで、環境に配慮した新しい形のオリンピック開催方法を世界に示すことができるのではないか。


 


そんな議論が続きました。


先輩方も、真剣に議論をしてくださってとてもありがたいことでした。


なぜあえて練馬区が決議をするんだか、など、いまいちすっきりしない面が多少はあるものの・・・でもとにかく議論を尽くしたので、民主クラブとしては上のような効果を期待して賛成という立場をとろう、と決まりました。


 


さて、昨日の決議の際のこと。


私たち以外の会派ですが―自民、公明が賛成の立場をとり、共産、生活者ネット、一人会派の皆さんが反対の立場をとって、意見表明をしました。


賛成の人の意見は、石原知事が言ってるのと同様、「夢を与える」などなどの意見です。反対の人の意見は、私が最初に思ったのと同じような意見でした。


しかし、その、反対の意見表明のときの野次がひどい。わーわー言っているから何を言っているのかは正確には聞き取れないのだけれど、とにかく、私が議員になってから今までで一番ひどかったと思います。なにせ、意見表明をしている人のマイクの声が聞き取れない。


私は一番前の席に座っているので、いつも前を向いていますが、こんなひどい野次を飛ばすのはどの人だろうと振り返って見ざるを得ないほどひどかった。


野次がひどいのに加えて、なんで誰もそれを止めようとしないのかも、不思議でした。議会において、紛糾したときの、進行役は、誰でしょう・・・役職をもらって、給料も少し多くもらって、進行役を務めている人がいるはずなんですけど。


結局、発言中の共産党の議員さんが発言を途中で止めて「静かにして」と言ったり、座って聞いている他の会派の議員さんが「いい加減にしなさい」と叫んでようやく終息しました。


 


私は、会派の中で議論した結果「今回は賛成しよう」と会派の仲間と約束していたのだから、それをその場で違えることはできないのだけれど、でも賛成の列に名を連ねていることが本当に恥ずかしくなるようなひどい状態でした。


 


「人は人、自分は自分」で、私自身が恥ずかしい議員にはならないようにすれば良いといつもは思っているし、他人を批判するようなことは書きたくありませんが―でも、自分とは違う意見を持つ人の声をさえぎって、汚い言葉を大声で言う人が、練馬区民の代表というのは、どうなんでしょうか。


議会で居眠りをしていても、他人に野次を飛ばしていても、うまく選挙をやれば当選してしまう現状に、やりきれない怒りを感じました。野次は、議事録に残らないわけですからね。議事録に残らない形で相手を威圧する、とても卑怯なやり方なのです。


決議の時のビデオは、多分また近いうちに区議会のホームページに載るのではないかと思います。載ったらまたご案内しますが、今回の野次はひどすぎるのでビデオにも多少音声が入るんじゃないかしら。


きっと、「ああ、よく選んで投票に行かないといけないな」という気持ちになっていただけると思います(^^;


ああ、また、腹が立つあまりに過激なことを書いてしまった・・・。


かとうぎ桜子を育てる会

大学の同窓会

今日で定例会が終わりました。


今日は今日で腹の立つこともありましたが、最近腹立ちが多いから今日はひとまず別の話題。


2年ぶりに大学のゼミの同窓会をしました。


 私は近代国文学のゼミで、先生1人に学生11人でした。


 私がゼミの代表をしていたので、卒業後もそのまま同窓会の幹事をしてまして。


選挙にでることになったから幹事はできないよ、と言ったら、だれも代わりを名乗り出ず、開催されないまま今日に至る。ぷんぷん。


 で、私が選挙に出てる隙(?)に結婚してる子もいたりして。「なんだい、なんだい、失礼しちゃうよ」とぶつくさ言いながら、定例会中の会議終了後に結婚祝いプレゼントを探しに行ったりしていました。


で、ようやく今晩を無事迎えました。


2年ぶりにもかかわらず、メンバー12人のうち10人が参加して、めでたしでした。


メンバーの現在のポジションは様々で、県庁の職員とか、ヘルパーやってる人とか、研究者とか、保険会社とか。


 慶應といっても国文学であり、若干、社会のメジャー路線からは、ずれた人が多いのですが。


ふつう10人以上の集団になれば、職業だけで判断するだけでも個性が強いということもあって、集団のなかで押し退けあったりギスギスするけど、私のゼミはそういうのがなくてとても温かい集団なのです。


なぜ温かい集団になり得たのかはよく分かりませんが、相手の個性を認めて、関心を持つことができる仲間だったのかなと思います。


 今はそれぞれまったく違う職業に就いてる人間の集団であるこのゼミで、これだけ良い仲間になれたのだから、きっと地域社会でも同じように良いものが作れるだろうと信じられるのかもしれません。学生時代の仲間は大切ですね。


かとうぎ桜子を育てる会

定例会がもうすぐ終わります―今定例会最後の健康福祉委員会について

明日でようやく定例会が終わります。


今回は本当に長かった・・・。


月曜日に、常任委員会のまとめがありました。


健康福祉委員会は、今定例会のまとめをした後、またたくさんの議論をしていたのですが。


 


ホームレスの件の報告。


啓発活動として、来年の3月19日にゆめりあホールで、映画「あしがらさん」の上映をするそうです。


なんだい、私も来年の春くらいに上映会をやろうかと思っていたのに。ちぇっ。重なっちまったなあ・・・。まあ良いや。私も私なりに、ちょっと形を変えて何かやろうとは思っていますが。


どちらにしても、ぜひあしがらさん、見てみてください。


 


で、この委員会の際にも、今までもずーっとやり取りしている、「場所の選定のプロセスが悪かったんじゃないの」という質問をしました。


いい加減、この半年間、一つ覚えみたいに同じ質問しかしていないなあとも思いつつ、部長が「でも迷惑施設と言われる施設はこちらが決めるしか仕方ないんです」と、他の議員の意見に答弁しているのを聞いて、やっぱり一言、意見を言いたくなったのです。


前に書きましたけれど、小学校の統廃合みたいに、ある程度だれもが仕方ないと思っていることですら、区の説明の悪さのせいで対立を招いてしまっている場合がある。


ホームレスの件は結局最後まで、「住民参加のプロセスがない」と怒っている人と、それにまぎれてただ差別的に「ホームレスなんか救う税金がもったいない」という人が混在していました。


もし、プロセスを明快にしていれば、差別的発言での反対が紛れ込まずに済んだんじゃないかと思うのです。


そんな内容の質問をしましたが、「でも、しょうがないのです」という答弁が返ってきた。


「ホームレスの施設を作るといったときに、最初に出てきたのは、なんでホームレスなんかを助けなくちゃいけないのかという言葉だった。その次には、なんでこの場所じゃなくちゃいけないのかという言葉だった。そしてその次には、大泉学園高校で受けいれる代わりにこういう条件を実現して欲しい(例えば近隣の学校にクーラーを入れて欲しいとか)という話になった。それでも受け入れる気持ちになってくれたのがありがたいという状態だから、だから、場所の選定から区民と一緒にやろうなんて、無理なんです」と。


今までこの半年くらい、この件については何度も答弁いただきましたが・・・。


ほんとに丁寧に返事をしていただいて、ありがたいなあとは思いつつ、「理想は分かるけれど、世の中そんなに簡単にはいかないんだよ」という答弁だったかなあと思います。


福祉事務所の方も部長さんも、福祉に対する思いがあればあるほど、きつい作業だったんではないかと予想できます。誰もが幸せな地域を目指したいと思っているのに、もし地域住民から「ホームレスにかけるお金があるだったら俺達の生活をもっと充実させろ」と言われたとしたら、私が説明する立場にあったら「ふざけるな!ホームレスは怠け者がなるもんだというんだったら、ためしに一晩路上で寝てみろ!」と叫んでいたと思います・・・だから私は行政の職員にはなれないタイプ(^^;)


そんな時にも感情を顔には出さず、「ご理解ください」とひたすら言って、区役所に戻ってくると、20代のふにゃふにゃした議員(←私)から「もっとプロセスを大事にしたほうがいいと思います~」と言われて、そんなこたあ言われなくたって分かっているよと思いながら「おっしゃることは分かりますが、難しい現状があります」と答弁するわけですね、行政の担当の方は263


だからこの件については本当に、言いながらも私も胃の痛くなる思いがするのですが。「しょうがないんです」と答弁されると思わず、「うん、しょうがないですね」と答えそうになったり(笑)


 


だけど、世の中にはしょうがないことってたくさんあるけれども、「だからしょうがない」で済ませちゃダメなのですねえ。


答えは簡単には見つからないのだと思いますが。


今回、部長さんが答えてくださっているのを見て、ふと思い出したことがありました。


ニーズとデマンドについて、ということを、たしか学生の時に授業で議論したことがあったなあと。


福祉はニーズを充足させるためにあるのです。ニーズというのは生きるために必要なこと。誰かが支えてくれなくては、心が寂しくて死にたくなってしまう人とか。荒れた生活をなんとか直したいけれども、自分ひとりではどうしても立て直せずにいる人は、まずは「あなたの気持ちは分かるよ」といってくれる理解者が欲しかったりだとか。


福祉って意外と、金銭的な面よりも、「私は生きていても良いんだなあ」と思える環境づくりのほうが大事なんじゃないかなあと思います。


でも、それと、ただ「ほしい、ほしい」の欲望(デマンド)の見分けをできないといけない。


さらに、ただの欲望を訴える人を警戒するあまりに、ニーズを訴える人を見逃すことも気をつけなくちゃいけない。


質の低いヘルパーなんかは、「あのおばあさんはわがままで」と言ったりすることがあります。仕事でヘルパーをやっているくせに、利用者さんをわがまま呼ばわりするなんて、失礼な話なんですが。その欲求がただのわがままなのか、その裏に何か重大なニーズが隠れているのか、見分けるのが、専門職の仕事だと思うのですが。


 


私の以前の、ホームレスに関するブログに対して、「不審者に対する不安が強い。ホームレスに対する差別ではなく、男の人が学校の周りを歩いていても不審者と見分けられないのが怖い」という意見をもらったことがあります。


それは、ホームレスがどうかという以前に、「子どもの安全をもっと守って欲しい」という、別の次元のニーズだと思います。不審者のことは身近で起こると、被害者も身近にいるから大きな声では言いにくい問題だったりするので、問題そのものが隠れてしまいがちだけれど、今、ホームレスのことが出てきたことで表に出てきた「もっと不審者対策を考えて欲しい」というニーズだと思いますので、それはそれで対応しないといけないと思うのです。


でも、「ホームレスの施設を受け入れるけれども、近隣の学校に入学する子どもが減らないように、クーラーを設置して欲しい」という意見は、悪いけれど私にはさっぱり理解できません。私も学園町に住んでいて、ご近所さんがそう言っているんだからこんなことを書くのもドキドキですが、でもホームレスとクーラーとどういう関係があるんだかさっぱり理解できない。


どんな感情なんでしょうかね。分かる方がいたらぜひコメントをいただきたいです。障害者の施設も、高齢者の施設も、作らせてもらう代わりに、近隣にクーラーかなんかプレゼントしなくちゃいけないですかね。


そういう意見に対して、どう対応するべきなのか、青二才の私にはさっぱり分かりませんが、でも、そういう声の陰に、例えば上に書いたような「不審者が不安」という声だとか、「ホームレスの差別はいけないと頭では分かっていたけれど、たしかに自分の家の近くに来たらイヤだと一瞬思ってしまった。差別意識について考えなくちゃいけないと思った」というメールを私にくれた人がいたりだとか、いろんな人がいるわけですよね。


だから、欲求の強い声だけを見て、「だから話し合って場所を選定するのは無理だ」と言ってしまうのは、ちょっと違うなあと、思うのです。


すぐにどうしていいかは分からないけれど、でも、だからって、区民の自治の力を諦めないで欲しいなあと、思うのですよ、区の職員さん・・・。


かとうぎ桜子を育てる会

今日は行事がたくさん

★今日は軽可搬ポンプの操法大会というのに行きました。


軽可搬・・・軽くて持ち運びができる、ということですね。


こういうの。


p455e[1].jpg(イメージ図)


あんまり近くでは見なかったけれど、ヒモみたいなのを引っ張ると、ブルンブルンとエンジンがかかって、これにホースをつけて、水を吸い上げて、ビューっと火を消す。


071014_0925~0001.jpgこんな感じで。


 


町会・自治会などで、区民の方が防災組織を作っていて、火災の場合に備えているそうです。


「操法大会」は、その日頃の練習の成果を、各団体ごとに披露して競い合うものです。


今日は9時~11時過ぎまで、大泉の南口にある学芸大付属の小学校の校庭で行われていました。


12団体がホースの取り付けや消火作業をやるんですが、年齢も性別もさまざまで、個性があって興味深かったです。


実際に火を使うわけにはいかないので、パネルみたいなのを置いておいて、それが倒れれば「消火できた」とみなすのですが。


071014_0926~0001.jpg
皆さん、本当に真剣なので、こんなことを書いては不謹慎だとは思いますが、「火」って書いてあるのが、なんか可愛い・・・。


朝は青空も見えていたのに、だんだん曇ってきて、今日は寒かった。


★秋は行事がいっぱい。


大泉学園町9丁目にある、練馬福祉園と大泉就労支援ホーム(どちらも障害者の施設)のお祭りでした。


これは、昨年も行ったのですが。


071014_1202~0001.jpg

とても気持ちの良い庭があるんです。ゴロゴロしたいような。犬でも飼っていたら、一緒に連れて行きたいような。実際、お祭りに犬と一緒に来ていらっしゃる方もいました。


近くにある福祉団体がバザーをやったり、例えば点字体験だとか、いろんなことをやっています。


家族連れもたくさん。あらゆる世代の方がいらっしゃっていると思います。


地域に根付いて開かれている施設という感じがして、いつも、良いなあと思っています。


練馬福祉園は元々都立の施設で、今は社会福祉法人がやっている。


まだ施設内をじっくり見学させて貰ったことはいないのですが、地域の福祉の会議のために2ヶ月に1度、私はこの施設の一室にお邪魔しています。職員の方にお会いすると、地域の人に身近に感じてもらう施設作りをしようと、とても熱心だなあと思います。


そんな姿を見ていると、委託化・民営化って、うまく行けば、悪いもんじゃないよなと思います。


この施設の並びにできる予定のホームレスの施設も、こんな風に地域に開かれた施設になったら、もしかしたらホームレスの差別に対する啓発にもなるかもしれないですが、たった5年でいなくなるから、どうかなあ・・・。


5年という中途半端な設定が、難しいねえと、友達と以前から話し合っていますが。


操法大会ですっかり冷え切っていましたが、就労支援ホームの出店で売っていたカレーを食べて、あったまりました。


★今日は白子川源流まつりというのもありました。


これも昨年もうかがいましたが。


東大泉7丁目に、大泉井頭公園というのがあって、そこが白子川の源流なんだそうです。


それを、とっても大切に思っている人がたくさんいるんですよね。


私は、自然のことはあまり詳しくないから、公園に置かれたパネル展示を「ほほー」と見ていたら、活動してる方が声をかけてくださいました。


白子川は湧き水の川だから、ちょっと生態系が面白いんだよ、と。


川の右岸と左岸では、植物の生え方が違ったりする。水の中でしか生きられない植物もあるし、どちらでも生きられるのもある。歩いてみると良いよ、と。


白子川は、大泉井頭公園からずーっと伸びて、したみち通り(北園の先の道)を通り、牧場を脇に見ながら、大泉学園通りを突っ切って、私の選挙事務所があったところの裏側、東大泉3丁目の団地のあたりを流れていく。で、八の釜憩いの森というところに、ぜひ行ってごらん、とものすごく幸せそうな顔をしながら教えてくださいました。


私はどちらかというと、おじ様のその嬉しそうな表情に感動しましたが。


このおじ様を、これだけ幸せな顔にさせちゃうような自然は、守らなくちゃいけないんだろうなと思いました。


かとうぎ桜子を育てる会


 

今日の活動

★今朝、夢を見て目が覚めました。会議でぷんぷん怒ってる夢・・・(苦笑)


他の部署に関連する質問をしているのに、なぜか答弁が全部福祉の部署の人が答えるので、「この問題は福祉の人には聞いてないよ!」と怒っている夢でした。


今回の決算で、教育費の質問の際に、ホームレスの問題を区民や子どもに啓発することは教育分野でやるべきだという質問をしたのですが、まともに返事をしたのが全部福祉関係だったことに、潜在的に腹が立っていたのかもしれません(^^;


一般質問でやった、学童クラブの子どもの安全の確保に関しても、教育分野と福祉分野の連携が必要だと感じているのだけれど、返事は福祉関係だったしね。


福祉の人はいつも、「教育分野と連携して」というけれど、教育関係からは「福祉と連携する」という言葉は聞かないから、なんか福祉の「片思い」みたいに見える。


だから、「答弁は福祉だけじゃなくて他からも聞きたい」と怒っている夢だったのかも。。


「健康福祉事業本部長」という役職の方が鮮明に夢に出てきました・・・。その人に、一生懸命、上記のようなことを語りかけている夢でした。ああ。土曜日なのに、朝から疲れた・・・。


ああ・・・しかし・・・。恋人も、亡くなった母も、夢になんか出てきたことがないのに、健康福祉事業本部長が夢に出てきた・・・。ああ、やっぱり私は変人になってしまったのだろうか、とショックを受けながら目が覚めました。


★決算の質疑が一通り終わり、来週は常任・特別委員会があり、決算委員会のまとめがあり、それで19日で、長かった第3回定例会が終了します。


何人か、尊敬する議員さんがいますが(そんなに数は多くありませんが 笑)、その中でも最も好きなのが、(前から何度か書いていますが)池尻さんと生活者ネットの橋本さんで。「あんな議員さんになれたら良いな」と、あんまり思いすぎると、そばに行くのがドキドキするので、いつも遠くから眺めていたりして、たまーに声をかけていただいたりなんかするとオロオロしちゃったりして(←変人・・・)


で、その池尻さんの今回の質問と、その答弁を聞いてとても腹が立ったことが、2つありました。


1つは、前に書いた社会福祉事業団のこと。天下りであることに、どう答えるのか、と聞いても、なんだかへなちょこな答弁しか返って来ない。何言ってるんだかさっぱり分からないような返事で。


そうそう、今回、私が質問しなかったけれど調べなくてはいけない重要な項目の1つが、社会福祉事業団のことです。しかし、外郭団体には天下り状態が多いことなんかも考えると、ちょっと調べてどうにかなる問題じゃないと思っています。腰をすえて、長い目でやらないと。


「外郭団体と行政との関係」か、「社会福祉事業団の歴史と今後のあり方について」という論文を書くつもりで調べようかな・・・。多分、そのくらいじゃないとどうにもならないかな、とちょっと思っています。


もう1つは、池尻さんの質問に対して、基本構想を軽んじているような答弁があったこと。


基本構想については、前にも書いたと思いますが、区の最上位の決まりです。長い目で見て、広い視野で見て、どんな練馬区であってほしいか、その目標を決めておくもの。


その中で触れられていた、出張所のあり方と、今進んでいる出張所の再編成の内容が異なっている。基本構想で触れていたことは一体どうなったんだ、という池尻さんの質問に、「時代が変われば見直さざるを得ない」という答弁だった。


・・・あー・・・また分かりにくい文章になってきてしまった。。すみません。あんまり腹が立って、分かりにくいなあ・・・。


うーんと。


みんなで、「こんなまちにしようね」って、約束していたのに、区が知らない間に勝手に約束を破ったようなものです。


約束してからもう30年も経つから、時代が変わったから、見直さなくちゃいけないというのはあるんだけれど、でも、それならばまずは昔の約束を一度やめて、もう一度約束を結びなおさないといけない。それなのに、何の相談もなく勝手に約束を破ったということです。


で、それはおかしいんじゃないの?って池尻さんが聞いてるのに、「だって約束してから時間が経っちゃったから、良いんだもん。」と答えた、ということです。


ひどいことです。地方自治法という法律に基づいて作った「約束」を、破っちゃうんだから、無法地帯みたいなものでしょう。


なんじゃい、それは。と思うととても腹が立った。


今回の決算は、18年度のものであって、予算の決議部分も執行部分も私は直接タッチしていないので、決算そのものの賛否は、会派としてまとめる際に、18年度に関わっていた先輩議員の意見を中心にまとまりました。個人的には納得できない部分が多いので、賛否とは別にして意見として上記のことを言わせていただきました。でも、来年初めの定例会である予算審議からは、私も関わる部分です。今回のように理解しがたいものがあったときには、反対の立場をとるつもりです。反対か、賛成か、ということが問題なのではなく、私の口から区民の皆さんに自信を持って説明できる態度をとりたいなと思っています。


・・・すみません、この項目は、半分くらい池尻さんの意見を書いて、あんまり私の区政報告じゃありませんでした(笑)


★今日は、悪夢を見た後に(笑)、昔から関わりのあるNPO関係の仕事をしてから、武蔵大学で行われた、練馬区NPO活動支援センターの1周年の講演会に行きました。


前三重県知事の北川正恭さんの講演と、全国各地でNPO支援をしている団体のパネルディスカッション。


 北川さんの話は、前半部分は聞けませんでしたが、


・自分(北川さん)は、現場の人の話を聞くのに時間を費やした。セレモニーや支持者の冠婚葬祭に時間を費やしている議員は、本来の仕事をしていない議員だと思って、落とした方が良いですよ。テープカットにばっかり参加することが、なんの役に立つというのか。


・選挙の時にマイクで名前を連呼するのに好感を持ちますか?でも、そうすれば当選すると思ってしまうのには、有権者の責任もあるんですよ。どんなことをするか、ということを見ることのできる市民の力をつけなくてはいけない。選挙公約なんか、破られるものだと、当たり前に思っちゃいけない。


・行政は、財政課の意向であるということではなく、「私が必要だと思ったからこの事業をやりました」と、それぞれが一人称で語れるような仕事をするべきだ


というようなことをおっしゃっていました。


ちなみに、上の意見は、私が言ったんじゃなくて北川さんが言ったのを引用しただけですから、私に苦情を言わないでください(笑)


北川さんみたいな人が区長だったら、練馬区も変わるかもしれませんね。とっても素晴らしい講演でしたが、現実とあまりに違いすぎて、何ともいえない心持ちがしました。


北川さんの話は、まずは行政の職員と議員が聞かないとダメなんではないだろうか、と思いました。


 


ただ、確かに市民の側の意識の持ち方、というのも大切なんだと思います。


新宿のNPOで働いていた時に、区とNPOの協働という企画の会議に参加しました。その中で、参加者から「こんなに良い活動をしているんだから、行政はもっと支援をしてほしい」という意見が出ました。


その意見には私は反対です。まず、「良い活動」って自画自賛したらダメだと思う。誰にとって「良い活動」なのか。誰かから評価して貰うなり、第三者的な目で見なければ、NPO活動であっても自己満足に陥ると思います。(私自身がNPOで働いていたから、あえてきつい書き方をしますが)


そして、「だから行政が支援するべきだ」というのもおかしい。信念があるならば、独立してやらなくちゃ。金は出して欲しくて口は出さないで欲しい、とはいかないんですから。


「これを実現しなくちゃ!」という理念をどれだけ持って、それを持続し続けられるか。自分の欲求に走らないでいられるか。


NPOというと、無条件に、理念を持った素晴らしい存在のように語られがちだけれど、理念は常に自分でチェックしていかないと、腐敗の元だと思います。


それは、行政でも、会社でも、議員でも、立場は関係なく同じですね。 


かとうぎ桜子を育てる会

小学校の統廃合

昨日、健康診断の結果をもらいました。あれまあ、ずいぶん時間がかかるもんだ。・・・いや、もしかしたらどこかに取りに行かなくちゃいけなかったのかしら。。(^^;


健康診断をやると2,3回に一遍、同じような結果が出るんですが、白血球が少なくて善玉コレステロールが高いと。


白血球が少ないと免疫が下がって病気になりやすいって。・・・だから胃腸炎になったんだろうか。。


善玉コレステロールが多いと何か悪いことあるんでしょうかね?


「たとえ善意でも過ぎたるは及ばざるがが如し、だ」と、私の存在そのものをダメ出しされているような複雑な気分になりました・・・。


 


一昨日で私の担当の質問が終わったので、「わーい」と思って、公式の質問には入れ込めなかった区民の皆さんからの声を確かめるために調べ物をしたり(←例えば、大泉学園北口の整備について、後期高齢者医療について)、他の会派の部屋にお邪魔したり、しております。


また張り切って動いたら、疲れてイライラしてきて(パターンが子どものようですが)、今日は、意見が違う議員の発言だとか変な答弁だとかにイライラして過ごしました。


白血球が少ないとイライラするんだろうか(関係ないか)


 


今、光が丘の方の区立小学校の統廃合の話が進んでいます。


私は、仕事も転々としていますが住んでる場所も転々としてるもんで、エピソードによっていろんな話が出てきてしまいますが、小学校卒業時は大田区の蒲田に住んでました。


私が通っていた時点で1学年1,2学級しかなかったし、1クラスも20人ちょっとだった。


数年前に新聞を読んでいたら、「今、少子化で学校の統廃合が進んでいる」という特集で、なんと私の母校が廃校になったというのが載っていてびっくりしましたが・・・。


あまりに小規模だと、いじめが起きたときに逃げ場がない、なんていう話もありますし、ある程度仕方ない話なのかなあと思いつつ。できれば、母校の跡地は有効活用してもらえば、卒業生としては嬉しいかな、と思いつつ今晩説明会に出かけました。


話を聞いていると、多くの保護者の方も、統廃合はしかたないのかも、と思って来た様子。ところが、説明を聞いているうちにだんだん保護者が怒ってくる。


「全然、保護者の意見を聞こうとしないで、一方的に説明するばかりじゃないか」


「どうして、プロセスを共有できないのか」


ありゃー、こうなってくると、保育園の民間委託やホームレスの施設と同じ状態ですね。


他の問題よりも合意が得やすい話題であるにも関わらず、どうしてこうなってしまうのか・・・。それは、区の説明が、口では「皆さんと一緒に考えていきたい」と言っているけれど、態度からするとそうは見えないからなんじゃないかと思いました。


そして、19時に始まった説明会は、21時40分まで続きました。


 


帰り道につけたラジオで、ホテルの経営、という話をしていました。


とあるホテルは、作るときに、オーナーが自分の家の庭にホテルの一室と同じ部屋を作ってみて、実際にそこにしばらく泊まってみたんだとか。そうすることで、本当に快適になっているかどうかを肌で感じることができるから、と。


どんな問題に対しても、区の説明のしかたが、数字だとか紙の上から脱出できず、利用者の肌で感じる思いに届いていないことが多いんじゃないかなと思います。


自分の子どもの小学校の話だったら、どうして欲しいか、考えれば良いのにね・・・。


 


私は今年、初めて色々なことにかかわりますが、みんなゴタゴタしながら進める中で、どんな風に進んでいくのか、とても興味深いことだと思います。


 


この統廃合、正式には「適正配置」と呼んでいます。イライラしているから言葉に八つ当たり。


私は「適正」という言葉が、なんか好きじゃない。


介護保険の適正化


とか


生活保護の適正化


とか


適正というと、行政側が絶対正しいように聞こえるけれど、どうも、実際のところは本当は「抑制」とイコールなんではないかと思ってしまう。


問題を隠してしまうような気がして、なんか嫌い。


介護保険は、無駄に使ってる部分が多いから出費が増えたんじゃないの?減らすよ。っていうことだし。


生活保護も、必要ないのに受けてる人がいるんじゃないの?というのが「適正化」のもとだし。


住民性悪説に立って、行政が適正になるように指導します、みたいな印象を、私は受けています。


 


言葉って、難しいんですよね。


差別語を言い換える、というのがありますね。らい病をハンセン病、とか。精神分裂病を統合失調症に言い換える、とか。そうすることで、差別の歴史を一度断ち切る、というのがあると思います。


でも、一方で、言葉を言い換えたって実態が変わらないとダメじゃないか、言い換えることでかえって実態を隠してしまうんじゃないか、という考えもあると思います。


「障害者」という、「害」の字がイヤだから、「障碍者」と書いたり「障がい者」と書いたりする場合がありますが、「変えたって実態は変わらないじゃないか」という声もあったりして、自治体でも「障がい」と表記を変えているところと変えていないところがある。練馬は「障害」だし、今私の実家がある多摩市は「障がい」だし。


関連して、そんなことをふと思い出しました。


「適正」って言葉はなんだか美しいけれど、何がどう適正になるのか、誰にとって適正になるのか。


そこのところをよく考えないといけませんね。日本語は、主語が省略されるから怖い。


そんなことを思いながら帰ってきました。


かとうぎ桜子を育てる会

★一般質問の最終項目、ゴミのポイ捨てについて ★苦情処理の方法について

★ようやく、明日の教育費の質問が終われば、私の質問は終わります。辛い定例会だった・・・(まだ終わらないけど263


19日までの議会が終わったら、区民の皆さんに報告を配り歩いたり、福祉関係の団体の見学に歩きたいと思っています。次の議会は11月末からの予定なので、それまでの1ヶ月ちょっとの間は、皆さんの声を吸収したいと思っています。


準備期間も入れると8月末から、議会の質問のことばかり考えていたので、そろそろ変人になりそう・・・(いや、もともと変人なんじゃないか、と言われそうな気も・・・330


やはり、議会に向かって意見を言うだけではなく、同時に皆さんの生の声を聞くことをやらないとバランスが崩れてしまいますものね。


★ようやく一般質問の最後の項目、ゴミのポイ捨てについて。


私は毎週月曜日、朝7時に大泉学園の北口に行きますが、とってもゴミが多い。朝方駅周辺でお仕事をしている自転車整理の人なんかが拾って歩いてくれている。7時30分くらいになるとようやくきれいになってくるのが毎週のこと。


駐車場管理のおじさんがある日声をかけてくださって、「見ての通り、ひどいゴミなんだよ。拾ったってまた捨てるんだから。このことについて、声をあげておいてほしい」と言われました。


練馬区では月に何回か、ボランティア団体にお願いして「ボランティア清掃」をやったり、区内一斉清掃といって区民に呼びかけて「ゴミに気づいたら拾う活動をする日」を作ったりしているけれど、毎日やるものではないので、よほど区政に関心がない限りは気づきにくいでしょう。むしろ、毎朝の自転車整理のおじさんのゴミ拾いのほうが身近に感じているのでは。


自転車整理のおじさんはゴミ拾いもお仕事なのかと思い込んでいましたが、どうもそうではないらしい。立って違法駐輪を見張っている間に、あまりにも汚い道路を見るに見かねてちょこっと拾っているということらしいのです。


多分、朝の通勤の皆さんも、あのおじさんたちはゴミ拾いも業務なんだと思ってるんじゃないかしら?ボランタリーな気持ちでやっているなんて、知らないですよね。


ボランタリーな気持ちでやってるならばなおさらもっと皆さんにお知らせする必要があると思いました。


そこで、質問。(答弁は青字。)


今、区でポイ捨ての状況を知るために朝の9時にポイ捨てゴミを拾って量を把握する調査をしているそうです。だけど、私が見ている限り、7時代のうちに誰かしらがゴミを拾ってくれている現状がある。本当に状況を把握するためにはもっと時間を早めるなどの工夫をすることが必要だと思いますが、どうでしょうか。


調査の時間帯は、歩行喫煙が最も多い朝の通勤時間を過ぎたときがポイ捨ての量が最も多いと予測し、朝の9時に設定したものです。ご指摘の点も含め、より実態把握にふさわしい手法を研究していきます。


自転車整理の人や駐車場の人、駅周辺のお店の人が業務とは別にゴミ拾いをしていることでまちの美化が図られていることを区として把握していますか?皆さんの力による美化活動を把握し、多くの区民に知らせる責務が区にはあると考えます。


多くの区民の皆様が、清掃活動を実践されていることは認識しております。すべてを区が把握することは難しいと考えますが、機会を捉え、活動の様子などをお知らせし、さらに多くの区民の皆様が活動に参加できるようにしたいと考えています。


今、区でやっているボランティア清掃も、なかなか多くの方が実態を理解しにくいと思うので、「ボランティア清掃中」とのぼりを立てるとか、さらに分かりやすい工夫が必要じゃないですか、と質問したら「すでに始めている部分もあるし、さらに検討しているところです」とのこと。


千代田区は罰則がありますが、練馬区は千代田区とは地域特性が違うので、理解を深める形でやっていきたいのだそうで、罰則は今考えていないのだそうです。だけれど、ポイ捨てが減らないならば、せめて駅周辺だけにでも罰則を作ったらどうだろうか。


一定の地区に限って罰則を設定することで一定の効果があがると考えていますが、しかし一方で罰則の設定地区周辺ではかえってポイ捨てが増えているとの調査結果もあり(←つまり、罰則地域に入る手前で慌ててゴミを捨てる人が増えてしまうということ;桜子の注)、区としては慎重に検討を進めないといけないと思っています。


ただ、「ポイ捨てはいけません」というだけではなかなか実感がわかないものだから、やっぱり拾う人の大変さを理解することだったり、「このまちが好きだから汚したくない」と思う気持ちがないと変わらないのかなと思います。たとえば、お祭りのときにゴミ拾いゲームみたいなのをやってみるとか、楽しみながらゴミのポイ捨てを考える機会が作れないでしょうか。


8月に行った環境都市練馬区宣言の一周年記念イベントにおいて「一人一袋ゴミ拾い大作戦」を実施し、多くの親子や事業者に参加いただきました。また、地区祭をはじめ地域のイベントなどで啓発活動を紹介するなどもしています。今後も地域の皆様、ボランティア団体と連携しながら、自らのまちは自らの手で美しくしていくという意識をさらに持っていただけるよう取り組んでまいりたいと考えています。


ゴミのポイ捨てや放置自転車の問題は、正直どんな対策が一番良いのか、誰も分からないんではないかと思います・・・。私としては、とにかく、朝、おじさんたちが黙々とゴミを拾っているのが、ボランティアでやってるんだよ、ということ、多くの区民にもっと知ってもらわないといけないんじゃないか、という一心で質問しました。


環境に対しては、練馬は意識の高い方が多いですよね。それに比例して、区としての環境対策も、いろんな試みを頑張っているのかなという印象です。


★【苦情処理方法】過激な発言ばかりブログに書いていると、そろそろ誰かから怒られるかも知れないので、予防として、書いておきます。


私は、相手が区民の皆さんでも行政の職員でも誰であっても、一対一に近い状態の中で話し合ったことは公表していません。


社会福祉士の倫理綱領の中に「社会福祉士は、利用者や関係者から情報を得る場合、業務上必要な範囲にとどめ、その秘密を保持する。」と書いてありますので。


いただいた情報をもとに調査をして、それを議会などの公式な場面で多くの人に投げかけた結果だけを公表しています。


考えについては、公式な場でのほかの方からの発言をもとに私が考えたことを書いているのです。


ですので、もし、私が書いていることに事実誤認等があり、訂正が必要だと思う方がいらっしゃいましたら、その理由とお名前を直接私にご連絡いただきたいと思います。


そうしましたら、訂正の請求があったことを皆さんに公表した上で訂正させていただきます。誰が言っているのか分からない苦情はお受けいたしません。


・・・なんにも苦情が出ないことを祈りつつ(^^;)


かとうぎ桜子を育てる会

自治基本条例について(一般質問)

なかなか終わらない一般質問の解説、残るテーマはあと2つです・・・・。書く私も大変だけど、読む皆さんも大変ですよね、たぶん(^^;


今日は「区民参加による行政サービスの構築」についての質問を書きます。


保育園の民間委託については以前書きましたが、そのこともそうだし、散々書いてきたホームレスの施設もそうだけれど、それ自体が悪いことではないわけです。


問題は、進め方なのです。自分の住むまちのことを、知らない間に行政が勝手に決めてしまったような気持ちが残ってしまう、不信感を持ってしまうプロセス。


例えば、前にも確か書いたと思いますが、ホームレスの施設が大泉学園高校の跡地にできるというその決定は、区役所内の担当職員による話し合いで決まっています。具体的に誰がいつ、どういう話し合いをしたのか、その記録は残っていないという。


なんでそんな重要な決定の記録が無いのか、と普通は思うわけですが、区の職員も都の職員も「だってそんな記録をわざわざ作っていたら仕事が進まないんだから、わざわざ記録を作るなんて聞いたことがない」と、本当に悪気は無い様子。


悪気が無くて悪いことをしているほど恐ろしいものはないと思いますが。


あと、若干思ったのは、薬害エイズの問題の時に記録はないと言っていたのに、しばらくしたら記録が出てきたことがありましたね。それをちょっと思い出しました。たとえなんらかの形で記録を残していたとしても「ない」と言い張ってしまえばそれで済んでしまうところに問題があるのかなと。


そしたら、区民の生活に密着する問題について、情報を残しておく義務を作らないと水掛け論になるのではないかと。


変な話、「犯罪」と呼ばれるものは、何が罪になるかを前もって決めてあるから犯罪と認識されるわけですね。物を盗ったとしても、仮にそれが罪だと決められていなければ、犯罪とは言われない。


区民に分かりやすい情報公開の方法を前もって具体的に定めておかなければ、どんなに区民が不利益をこうむっても「決まりに従ってやっているだけだ。記録を残さなくちゃいけないなんて決まりは無いんだもの」といって話は終わってしまう。


すべてのことがらに対する、情報公開と区民参加のきまりを作る必要があると、思いました。


で、よく調べてみたところ、練馬区では「自治基本条例」というのを作ろうという動きがある。


これは、情報公開はどうあるべきなのか、議会とはなんなのか、など、区民に関わりの深い区政について規定していくもの。区民にとっての最高法規として定めようということで、昨年度動いていたものです。http://www.city.nerima.tokyo.jp/kikaku/jichi/


公募した区民によって話し合いを進めて、まとめをして、それを受けて本当は昨年度のうちに条例案が出されるはずだったのに、なぜかそれが止まってしまっている。


担当した委員会の中で、「区民がほとんど知らないような話を、最高法規としての条例として定めてしまって良いのか」という議論があって、それをもとに話が止まってしまった模様。


しかしね、区民の理解が得られないから止める、という理屈が通じるなら、練馬区の行政は全部ストップですよね(^^;


誰にとっての都合で物事が動いているのか、よく分かりませんが、区民ではない誰かにとって自治基本条例が不都合な条例だったから止まっているような気がしてならないのです。


自治基本条例があることで不利益をこうむる区民はいないはずです。情報公開の透明性が図られたら、今まで区政に関心がなかった人も、アクセスしやすくなるかもしれない、というメリットの方が大きいと考えます。


ではなぜ止めるのかといったら、区民の区政参加が進むと、既得権が侵害される誰かがいるからだとしか私には思えない。区民の直接参加が進むと議員の存在意義がなくなるかもしれないと恐れる人がいるのかもしれない。区民の意識が高まると色々チェックされたり文句を言われたりするから嫌だと思う行政職員がいるのかもしれない。その両方の利益が重なったから、条例策定が止まったのかな。(・・・なんだか最近、ブログに過激なことを書いてしまいがちなので、いつも書きながらドキドキしているんですが263


 


そんなわけで質問をしたのです。


もし、区民に周知されてないことを理由にするのならば、例えばホームレスの問題のような具体的な葛藤が起きたときに「これを機に自治について一緒に考えませんか」と呼びかけるほうが有効だと思うのです。区報だとかホームページに「自治基本条例」とだけ書いたって、誰も身近に感じないでしょうから。


そんなことを含めて質問しましたが、答弁としては、


・平成22年度までの行政改革推進プラン素案に自治基本条例の策定を取り組み項目にして、条例骨子案の策定を現在検討しています。


・周知については、より身近に感じられるように臨時区報や区のホームページへの掲載を行うとともに説明会やパブリックコメントを実施します。


という、練馬区のホームページを見ればすでに書いてあるような、答弁する意味の無い返事をもらいました。


区民への周知をしたアリバイ作りというか、周知をしたという切り札は、ホームページや区報で出しました、ということなんですが、それで本当に良いのかというのは、ずっと気になっています。


だから、今回も「ホームページ以外の方法は?」と聞いたのに、返事は「ホームページで周知します」ですからね。中学1,2年で英語を習いたての頃の失敗のように、まるで会話になっていない。


腹が立つことです。


この件は、私が取り組みたい項目の一つである、区民参加の保障と不可分のことですので、今後もチェックしてご報告していきたいと思います。


 


前回のブログで、なんだか無意味に中島みゆきネタを出しましたので、今回は、最近の私の思いに近いような詩を紹介します。


「バラ色の未来」という歌の一節。


「今より未来のほうがきっと良くなっていく」という“バラ色の未来”をただ信じて待っている、という歌詞の後に・・・


だれも まだ見たことがない


バラ色 をまだ見たことがない


これだ と言われたら そうかな と思う


しだいに これじゃなきゃイヤだ と思い込むようになって


それ がないのがつらくなる


教えてよ 僕のあこがれてたあの頃


バラの色は どんな色だったというのか


自分が「正しい」と信じていることは、そもそも何に基づいているのか。誰かに言われたからそうだと信じているだけなのか。なぜ信じ続けるのか。他に考え方はないのか。


自分の行動と信念は、ほかの人の意見に耳を傾けながら、常に問い返していかなくてはいけないのではないかなと思っています。


かとうぎ桜子を育てる会

今日の私

★今日と明日は、大泉学園の北口にある北野神社のお祭りです。


夏の、学園町のお祭りのときにも思ったけれど、おみこしは、迫力がありますね。


ぽかん、と口を開いて眺めてきました。


なんでもそうだけれど、音と匂いも大切ですね。きっと文字だけでは伝わらないものがある。


どーんと響く太鼓の音、大泉街道まで流れてくるイカ焼きの匂い。


明日、お時間ある方はぜひ北野神社、覗いてみてください。


★今、進んでいる区立保育園の民間委託。


光が丘第四保育園の保護者の方が、民間委託のあり方についての勉強会をするということで、午後、出かけてきました。自民、公明、共産、生活者ネットからも1名ずつ参加されてました。


私は、民間委託を絶対反対とは思いません。民間で働いている福祉関係者に素晴らしい人をたくさん知っているから、民間になるからって悪くなるとは思わない。ただ、どんな形であれ、今そこにいる子ども達にとって安心できる保育であること、それが保護者の方たちが納得している形であることを最優先にして物事を進めていかなくてはならないと思っています。


行政改革が進む中で、保育園も例外ではないから進めなくてはいけない、という説明では、そこにいる当事者である子どもの存在がすっぽりと抜け落ちてしまう。


行政改革は進めなくてはいけないという立場であるためにどちらかというと「どうしてなの?」と言われてしまいがちな自民党の方がちゃんと来て、自分の考えについて説明されていたのは、良かったなと思いました。


どんな物事を進めるにも、いろんな意見がある。異なる意見もぶつけ合ってみることで、思いがけない良い結果が生まれるかもしれない。自分達では考えつかなかったものが思い浮かぶかもしれない。


せっかくみんなが集まって議論しても、やっぱり自民党の人も来て一緒に話し合ってくれないと、現実的に先に進まないと思うのです。だから、良かったな、と。


行政に足りないのは、その部分じゃないかと思うのです。どうせ、反対されるから、話し合っても仕方ないと思っているのではないでしょうか・・・。


本当に反対なのかどうか、どういう考えなのか、まずは相手の意見を聞いてみないと分からないのに。


以前、議場の野次は下品だと書きました。それは、相手が何か意見を言おうとしているものに耳を傾けずにかき消して自分の意見をぶつけるからです。ホームレスの施設のときもそうでしたけど、行政のやり方は、ちょっとその野次のやり方に似てると思います。相手の声を聞かずにかき消して自分の意見を言う。


異なる意見を持つ相手の言葉こそ、まずは耳を傾けてみることが必要ではないでしょうか。


★以下は、どうでも良い話。


私は9歳の時から中島みゆきが好きなのです。


全曲の歌詞を覚えているほど。


でも、18年もファンだと、だんだん熱烈ぶりが衰えてきて、新しいCDが出ていたと今日になって気づいて買ってきました。


18年するとだんだん関心がなくなってくる。決して嫌いになったわけじゃないのだけれど・・・結婚生活もこんな感じなのかしら(笑)


9歳から中島みゆきのファンで、趣味は飲酒と福祉の勉強をすること。だから、福祉関係の旧友とお酒を飲んで酔っ払っても、話してる内容はなんと、健康福祉委員会で話し合われているような内容(笑) 日本酒を片手に「これからの地域社会」とか「今の生活保護は・・・」とか言っているのです。それが趣味。


私の趣味はなんかちょっとおかしいな。こんなだから、私は27歳になった今も独身なんだろうか、と時々ふと疑問が頭をもたげることがありますが、あんまり深く考えると悲しくなりそうなので、考えないようにしています263


でも、酔っ払っても私と一緒になって地域社会について語り合ってくれる友達が何十人もいるのには、ありがたいことです。類は友を呼ぶんですね・・・。


かとうぎ桜子を育てる会

保育園民間委託についての一般質問 報告その2

6月に参加した初めての議会のときには、役職を決めるばっかりで待ち時間が長くて、随分スローライフだなあと思ったものですが、今回の定例会は本当に大変・・・ヨレヨレです。胃痛は治りましたが、胃が過敏です。今までが鈍感だったのかもしれないけど、ビールが冷たく感じる・・・これは胃が悪いんじゃなくて、秋だからかしら。。


今日、保健福祉費の質問が終わって、ちょっとほっとしたけど、明日は今度は児童青少年費についての質疑があります。ああ・・・議員になるなんて分かってれば、学生時代もっとちゃんと勉強しておくんだったのに・・・と思いながら押入れからゴソゴソと児童福祉関係の書物を取り出しています。あまり奥にしまいこんであったので、肩の筋がおかしくなりそうだった。。


保健福祉費については、私のつたない質問に対して考え得る最大限の答弁だったと思います。一般質問で腹が立ったことについてもう一回聞いたんですけどね。正直、区のレベルではどうしようもない部分も多々あることだったので。担当された皆様、ありがとうございました。(←文句ばっかり言ってないで、たまにはお礼を言おうかと。 笑)


なかなか一般質問の報告が終わりませんが(苦笑)、とりあえずは、前々回のブログの予告の2点だけでも書いてしまいましょう・・・


★官民間の人材交流について


民間委託を進めるにあたって、区民に直接影響があるのは、官か民かということではなく


・今までのサービスと何か変わるのだろうかということ(例えば郵便事業は10月1日からどう変わっちゃうのか、心配でしたよね)


・なじみのスタッフがいなくなってしまうんだろうかという不安(特に地方では、なじみの郵便局員が高齢化した村の見守りの役割を果たしていたりして、それが郵政民営化でなくなってしまうんじゃないかという心配があったと思います)


の二点ではないかと思います。


それを和らげるためには、官であるか民であるかを超えて、なじみの関係を作ることが必要ではないかと思うのです。


それは、行政がノウハウを保持し続けるためにも必要だと思います。民間委託後も行政が責任を持つといっても、行政そのものにその事業のノウハウがなくなってしまったらどうしようもないわけですから。


民間委託は全国的に進められているので、総務省の「地方公共団体における民間委託の推進等に関する研究会」というのがあって、その報告書が出ています。


その中で、今ある制度の中では民間委託のために公務員と民間の人材交流をするのは難しいけれど、なんか良い方法を考える必要がある、と書いてあります。(←こんなヘナチョコな言葉ではありません。詳しくは本文を読んでください・・・)


で、練馬区としてはどうするの?という質問をしました。ここでも事例を一つ挙げましたが、これはまた別の機会に書きます。


答弁。要約しながら書きますが。


区は受託事業者を適切に指導監督する立場にあることから、委託先の業務に区職員が従事することは、一般的には好ましくないものと考えております。


ふむ、総務省の研究会が否定された(笑)


リサイクルセンターや地区区民館など区民主体の管理区民主体の管理運営を目指す施設には活動基盤を強化できるように支援をしているし、福祉施設については区の研修への参加を促す支援をしている。


適正なサービスを提供できるように指導監督に努めています。


行政が指導監督をして、受託事業者が従う、という関係ならば、民間委託は民間との「協働」ではないってことだなあ。上下関係ですものね。


随分上からものを言う目線だなあというのに腹が立ったんですけれど、これは私の今までの専門ではないもんで、腹が立つ以上にうまく言い返す方法が今のところ見つからない。4年の間に絶対理論的に反論してやる、と思っています。


 


★第三者評価について


腹が立った第三者評価の答弁、今日の決算の質疑でまあある程度答えていただいて、おかげでだいぶ胃痛も治ったわけですが(笑)、まず一般質問のときにどうして腹が立ったのかを今日は書きます。


「福祉サービス第三者評価制度」というのがあります。


介護保険なんかができて、利用者が自分でサービスを選択して、その代わり利用料を払う、というしくみができてきました。でも、利用者が選択をするといっても、どういう風に選んで良いかわからないでしょう。その目安にするために、「第三者評価制度」というのができました。


評価機関がその事業所に調査をして、実際にヒアリングなんかをして、評価をする。それを「とうきょう福祉ナビゲーション」というホームページで公表している。


評価機関というのがいろいろある。元々評価しかしてないわけじゃなくて、福祉関係の研修をやってるような団体もあるし、全然違う分野(例えば建築士事務所とか)をやってるような会社もあったりする。


評価にかかる料金も幅がある。


で、いっぱいある評価機関の中から、「ここなら自分達がよく見て欲しいところについて適正な評価をしてくれるんじゃないか」と思えるような会社を選んで、評価して貰う。


評価して貰う事業所が、評価機関を選ぶのだから、なんかちょっと問題があるんじゃないかしら、というところですね。あんまり悪いことは辛らつには書けなかったりするんじゃないかと予測できる。


で、料金がかなり高い(50万くらいとか、100万くらいとか、幅がありますが)ので、小さい事業所は受けにくい。この制度そのものが任意の制度なので、あんまり受ける事業所が増えていかないという問題がある。


私はたまたま、知り合いが第三者評価の関係の仕事をしていたことがあったから、前から興味を持ってみていたけれど、中には福祉で働いていても、第三者評価制度についてあんまり知らないまま働いている人も結構いるんじゃないかしら・・・(^^;


そんな不思議な制度でありながら、練馬区の保育園の民間委託の説明会では「委託後の質が落ちないように、第三者評価制度をやりますから大丈夫」と説明している。で、保護者もそれには納得しているらしいと、議事録から読み取れる。


言葉っていうのは怖いですね。第三者評価ってなんだかよく分からないけれど、なんとなく「第三者評価を受けるから大丈夫」と言われると、「ふうんそうか」と納得しちゃうような気がする。


素朴に疑問を持ったので、一般質問に先立ち、「どうやって第三者評価機関を選んでるんですか」と担当の方に聞いてみたら「入札で一番安いところを選んだ」という答えが返ってきたので、おや!!そんなんで良いのか!?と思った次第。


光が丘第八保育園が第三者評価を最初に受けた平成17年には評価機関は129か所もあったのに、その中から選んだ理由が「安い」だけだったのかしら!?


というわけで、一般質問で改めて「どんな基準で選んだんですか」と聞きました。


そしたら、「東京都福祉サービス機構が認めた評価機関を選びました」って答え。


 


・・・うーん、分かりにくいですね、この文章・・・。


えーとね。たとえて言えば。


「たまご」にたとえてみます。


卵って、色々ありますよね。赤い卵もあるし白い卵もある。親鳥に良い餌を与えて大事に作った高い卵もあれば、びっくりするほど安い卵もある。数ある卵からどれを選ぶか。家族が多ければそんなに贅沢な卵は買えないけれど、でも食の安全も考えなくちゃいけない。お財布事情と健康との兼ね合いを考えながら、それぞれ卵を選ぶんだと思います。


「で、あなたはどんな基準で卵を選んでるんですか?」という質問をしてみた。


そしたら、答弁としては普通、「赤い卵にしています。」とか、「ヨード卵です」とか、そういう風に答えるわけですよね。


ところが、練馬区の答弁はなんと、「にわとりが産んでいる卵を選んでいます」という内容だった。


にわとりが産んだ卵なのはあたりまえじゃないか!!!そんなことは聞いてないんだ!


そんな答弁だったということです。・・・・これも分かりにくいか???


 


第三者評価制度そのものがなかなか実効性のある制度になっていないというところを踏まえたうえで、現状の中でどう活用していけるのか、とか、どんな風に改善するべきだと都に対して提言していくべきなのかとか、区としての方向性が必要だと思うのですよね。そうじゃないと、お金がない中頑張って第三者評価を受けている民間事業所にも失礼だし、「民間委託の質を保つために第三者評価を受けます」という説明で保護者を納得させようというのもひどい話じゃないか、と思えてしまう。


思いがけないひどい答弁だったからとっても腹が立ったのですが、これについては今日の質疑でまあまあ解決しました。それについては、一般質問の報告を一通り終えてから改めて書きます。


かとうぎ桜子を育てる会

①赤い羽根 ②あしがらさん

①赤い羽根


昨晩、共同募金会で働いている友人のブログを見ていたら、「明日は10月1日だからスーツを着て仕事に行こう」と書いていたので、ハタと、今日から赤い羽根が始まるということを思い出しました。


うーん、よりによって今日は月曜日、私はいつも大泉学園の駅に立つ日だから重なっちゃう。休んじゃおうかなあと思ったんですが、ここのところ月曜は祝日で、今日を逃したらまた祝日だから、なんとしても行こうと心に決めて行ったのでした。


はたして、駅の前は募金のボランティアの子ども達でいっぱいだ。ひぃ、と言いたくなるほどたくさん。


私もこっそり立っていましたが、なんだか、募金のそばに立って、赤い羽根に便乗して一緒に挨拶してる腹黒い議員みたいじゃないだろうか、と思えて、オドオド。


いっそのこと私も並んで「募金、お願いします」と言ってしまった方が気持ちが楽になりそうだけど、議員のくせに(?)そんなことやったらもっと腹黒い奴みたいだなあ、と思って辛抱。


ふと脇を見たら、パチンコ屋さんが大声で宣伝している。おお、この神聖な雰囲気の中で場違いなことをしているのは私とこのパチンコ屋さんだけだ、とひとりでパチンコ屋さんに親近感を覚える。


募金をした後に羽根をつけるというのが、どうしても私には理解できないのだけれど、でもやっぱ赤い羽根って広く知られてるんだなあとしみじみ。


私はこの1年数ヶ月、毎週毎週駅に立っていたって「あなた、誰?」と言われるのに、赤い羽根は年に1回だけなのに誰も疑いなく信じて募金する。羽根が一つの共通の理解になっているんだねえ、と思いました。


でも今日はマイクを使えなかったおかげで、いつもならば会釈をするだけの人々とちょっとゆっくり話ができたりもして、これはこれでまた良いなと思いました。


 


②あしがらさん


決算の質問が今日から始まりましたが、私は保健福祉費に関連する質問の準備をしています。


ホームレスの話を担当の方から聞いていて、ふと思い出したことがあってどうしても書きたくなりましたので、今日は議会の話とは離れた話。


大泉学園高校跡地のホームレスの施設の問題も、あと少しで前向きに進みそうになっているという報告を、委員会でもらっています。


無事施設ができれば、私も、機が熟すまで待っていた、映画の上映会を自分でやろうかなあ、など楽しく考えています。


初めてホームレスの話が出た頃にブログで書きましたが、「あしがらさん」というドキュメント映画のこと。(6月頃のブログですので、リンクしようかと思いましたが、今改めて読み直してみたら自分の文章が気恥ずかしかったのでやめました・・・笑)


何十年も路上生活をしていた「あしがらさん」というおじいちゃんが、みんなの力で支えられて、グループホームに入って、介護保険のサービスを受けて、人間らしい生活になっていく映画です。


あしがらさんは、私が働いていたデイサービスの利用者さんでもありました。


正確に言うと、映画を見て、訪ねて行って、働かせてもらうことにしちゃったんですが・・・。


あしがらさんとの思い出、個人情報という部分もあるから、どこまで書いて良いもんかといつも悩みますが、映画に出てるんだから最低限のことなら書いても良いかな・・・。


今は70代なかばのあしがらさん。正式にどんな症状なのかは詳しく聞いてませんが、認知症なのかな、精神的な疾患なのかな。独り言を言っていることも多い。


私が働き始めてしばらくしたときから、どうも私の存在を気にしてくれて、あるときから、「今、おいらの住んでいる家(=元路上生活者の住むグループホーム)は野郎ばっかりでさ、むさくるしいところだけど、来るかい?もう少し辛抱していれば、きっと楽をさせてやるからな」と私の手を握って言ってくれるようになりました。


話を聞いているとどうやら、これからどーんと一儲けして、私をお嫁さんにしてくれるらしい。


まあ、私以外でも女性スタッフや女性のボランティアさんがそばにいれば、 必ず手を握るんだけど(笑)


でも、その後に、私に「おいらにも色々付き合いがあるんだけどな、気にしないでくれ」と言う(笑)


そんなあしがらさんでしたが、時々、ドキッとすることを言うことがありました。


私は、社会福祉士の資格を取って、初めてそのNPOに就職した。


今でもそうですが、私は地域福祉マニア(?)なのだけれど、NPOの理想像と現実との違いに悩んだり、今日も区の職員さん達ともお話しましたが、制度の狭間になってしまうような一人暮らしの人に何もできていないということについて悩んだり。ああ、これからどういう仕事をしていくべきなのかと、とってもくよくよ悩んでいました。(悩んだ結果、議員になる道を選んだんですが。)


私になんか何もできない、所詮理想だけなのか、とくよくよ、じとじと、と悩んでいた。


プライベートの部分で、私自身がどういう人生を送るべきかということも、じとじとと悩んでいた。


家族にも、職場の人にも言わずに、じとーっと悩んでいたのです。仕事を辞めて他の仕事をしようかな、とか、人生って何だろう、とか。


そしたら、あしがらさんがトコトコと歩いてきて「お前、辞めちゃうのか?」と言う。誰にも何にも話してないのに。ギクッとしながら、「大丈夫、大丈夫」とそのときは笑顔で話をする。


 


その後も、私はくよくよ、じとじと、色々と悩んでいた。そしたら、またあしがらさんが近づいてきて、私の手を握って、「お前ね、人生には色々あるけど、そんでも生きていてこそなんだよ」と言う。


またもギクッとする。


誰にも何にも言っていない悩み事に対する答えのような言葉を、どうしてあしがらさんは言ったんだろう。


手を握ったままじっとあしがらさんの顔を見ていたら、あっという間にいつもの通り、「大丈夫、おいらがもうすぐ幸せにしてやるから」という話に戻っていたけれど・・・。


 


少し落ち込みから落ち着いて、しばらく考えて、選挙に出ることにして、私はそのNPOを辞めました。


あしがらさんにはそれからまだ会いに行っていない。


とても会いたいけれど、なんとなく会うのが怖いような、心がチクッとするような。


初恋の人に再会するような気分、という感じでしょうか。


だからなんだか会いに行けない。


私の中であしがらさんはとても特別な存在です。


 


ホームレスと一言で言っても、いろんな人がいるでしょう。括ることはできない。


でも、一人ひとりに名前があって、「ホームレス」という名前の人はいない。


それをなんとか、多くの人に分かってもらいたいなあと思います。


なんだか急に、あしがらさんのことを書きたくなって、前回予告とは異なる内容を書きました。


20071002092809.jpg ←あしがらさんと私。


かとうぎ桜子を育てる会

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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