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一般質問
私は前回の定例会でもう終わったからないんですが。
んー、やっぱり答弁は、たいした話はなくてですね。
細かいことは委員会等の話し合いで決めていくから、一般質問で質問されたからってそう簡単に物事は動かないのかもしれませんが・・・それにしても、練馬区のホームページを見れば書いてあるような話が多くて、「わあ!これは発見だ!」と思うようなこともなくて、頭がぽーっとしてきます。
ただ、ひとつ、何人かの議員から「介護支援ボランティア」について質問されていまして、今のところそれが一番気になりました。
これは稲城市で始めた取り組みで、高齢者が介護施設等でボランティアをしたときにポイントをあげて、それを、自分自身が介護が必要になったときに介護保険料に使うことができる、というもの。
介護保険の人手不足にも対応できるし、介護保険にかかる費用の抑制にも役立つし、ボランティアをして介護予防にもつながるのではということらしいんですが。
何度か書きましたが、私はボランティア、市民活動ということに関わっている友人が多いんですが、この介護支援ボランティアはおおむね不評です

ボランティアはそもそも、自発的な活動です。一般的に、無償ということばかりが注目されがちですが。
先日の社会福祉士会の研修で、元朝日新聞の論説委員の大熊由紀子さんが、「言葉の定義はきちんと考えないとね。」というお話をしていて、「例えば、“今度の講義はボランティアでお願いしますね”という言い方は、本来のボランティアの意味とは違うでしょ」という話をしていました。
ボランティアは、他人からお願いされるものではないのです。「ボランティアでお願いします」という言葉の中には、「ボランティア」をただ単に「ただ働き」と捉える気持ちがあるんでしょうね。
朝の駅前で、自転車整理のおじさんたちがゴミを拾っているのを見たことがあるでしょうか。
この前、一般質問でポイ捨てのことを聞こうと思っていたときに、おじさんに「ゴミ拾いも業務なんですか?」と聞いてみたら、「いや、実は業務じゃないんだよ。でも、何時間も立っているのに目の前にあるゴミを見ぬふりするのはどうしても耐えられなくて、拾っちゃうんだよね・・・」とおっしゃっていました。
だから、業務に支障がないようにと、こそこそ、さささ、とやっているらしい。
おじさんたちは、業務の合間にこっそりやっているゴミ拾いを「ボランティアをしてる」とは思っていないかもしれませんが・・・でも、こうやって、「ああ、とても放っておけない」という気持ちが沸き起こって、経済活動とは関係なくやってしまう行動がボランティアなんですね。
だから、安い労働力として「ボランティア」という言葉を使われると、関係者としては腹が立つ。
ポイントをもらうために動くという時点で本来のボランティアとは違うし。
ポイントなんかもらわずにボランティアしている人との関係はどうなるのか、とか。
そもそも、見落とされがちなボランティアのコーディネートをする人の力を考慮していないから、現場が混乱するだろうし、コーディネーターをシステムとして置くとなるとかなり費用がかかるわけだし。
稲城市の場合、ポイントは、1回のボランティアにつき2ポイントで、1年の上限が500ポイント(5000円相当)らしい。ということは、1ポイントは100円相当ですね。つまりは、高齢者を、1日200円で働かせるというわけだ。
だから、ボランティアなんて言葉を使って、良いことであるようなふりをして、高齢者を安く使おうとしないで、きちんと雇用すれば良いじゃないか、という意見もある。
で、これから世田谷区なんかでも始めるということで、練馬区も一時期、かなり積極的に検討しているという噂がありました。
上のような理由から、私は、やだねやだね、と思っていました。
もし本当に実現しちゃったら、友人たちから、「あら、桜子ちゃん、練馬の区議なの?ボランティアの意味を分かってない自治体ね」と言われちゃうのかしらと思ってヒヤヒヤしていました。
でも、なんとなく最近はそんなに積極的でもなくなっているようだ、という噂が聞こえてきたので、しめしめと思っていたところです。
そろそろ議会でもその話題が出始めるのかなと思ったら、一般質問で言った方が何人かいた。
おお、出た出た、と思って、ぽーっとしていた頭がちょっと動き始める。
質問の趣旨は、「効果が期待できるだろうからやったらどう?」というものでした。
さて、なんて答弁するのかな。ドキドキ。
「効果もあるとは思いますが、一方で、ポイントの管理にかかる経費など、難しい点もあるので、今後も検討を続けます。」
なんだよー。
「検討した結果、やめることにしました」って言えよー。
ぷんぷん。
この話、これから委員会なんかでも出てくるのかしら。どうなのかしら・・・。
結局、答弁って、「やります」も「やめます」も、「検討します」という表現にしかならないのかしらん。
「結構です」という言葉がyesともnoとも取れるのと同じように、「検討します」もyesともnoとも取れる言葉なのかな。
私の一般質問の、ポイ捨て防止の話で、「駅前のポイ捨てに対する罰則を作っては?」と言いました。
前から、「練馬は、千代田区みたいに仕事で来ている人が多い自治体とは違って、住んでいる人が多いまちだから、罰則という厳しい方法ではなくてもっと話し合えるような方法でやっていきたい」というのを聞いていたので、この提案はだめだろうなと思っていたし、私も罰則が本当に良い方法だとは思わないかったんですが、でもどうしても他に良い提案が考えられなかったし、でも何とかしないといけないと思ったから、言ったんですけれども。
そのときも、答弁は「検討します」でした。ただ、言っている職員さんの目が「やらないんだってば」という目をしていたので、「ですよね・・・」と思ったんですが。
そこで、逆に、今は事業化していることについて、数年前にはどんな答弁があったのかなと議事録をチェックしてみたら、やっぱり「検討します」と言っていた。
うーん・・・。
だからね、「検討します」の言葉は厄介。
どんなことでも実際、一度は本当に検討しているんだろうから、それを説明すれば良いのにね。
自分たちがやっていることを、自信をもって説明すれば良いんだから。
そうじゃないと、判断に困っちゃう。
前のブログにも書いたけれども、「事業を始めます」というだけじゃなくて、「区民のために最善の方法は何なのかを検討した結果、この事業はやめます」と言うのも、大切なことだと思うのです。
※かとうぎ桜子を育てる会
定例会初日
今日、トラックバックが入っていましたが、それがものすごい文字化けをしていて、何がなんだか分からないのでとりあえず削除しました。もしお心あたりの方がいらっしゃいましたら、もう一度送りなおしていただければ幸いです。
さて、今日から定例会が始まりました。
定例会には、会議録の署名人というのがあって、議員が順番にやるそうです。
定例会中の会議録ができあがったらそれをチェックするんですね。
それで、順番なので今回は私、と言われました。
「会議録のチェックをする役割なので、すべての会議に出席して、遅刻もしないでくださいね。」と職員さん。
むむ。
私は、欠席も遅刻もしたことはありませんが、改めて「しないで」と言われるとちょっと緊張しますね。
小心者なので。
「うう、もし万一、会議の途中でお腹が痛くなったらどうしよう・・・」と妙に不安になってきました。
そう考えてたら、早速初日の会議前に心なしかお腹が痛いような・・・

今日の会議は午後からで、区長の所信表明があって、今回の定例会でどんな話があるのかの説明があって、30分くらいで終わりました。
会議が終わってからは、改めて、私が議員になってからの健康福祉委員会の資料を読み直しました。
区立保育園の民間委託のことや、ホームレスの施設のことなど、大きな話題になって繰り返し話し合われていることは良いのですが、それ以外のほとんどのことは一度だけ「今度こういう事業をやりますよ」と説明されて終わってしまうので、気をつけないとそのまま忘れてしまう可能性もある。
だからもう一度復習して、進捗状況をチェックしていかなくてはいけないものを洗い出しました。
例えば、福祉のまちづくり条例というのを21年度に作りたいので、今区民の会議をやって貰っています、という説明が6月にあったので、今はどのくらい進んでいるか、聞いてみないといけないな、とか。
どんなことでも、うまく行っていればそれに越したことはないけれども、うまく行っていないものを見過ごしてはいけないのでチェックするのですね。
うまく行かない事業を無理矢理やる必要もなくて、より良い方法にしたり、時には中止したりすることも必要で、とにかくどんな形であれ区民の皆さんにとって一番良い方法が採られるようにチェックしていかなくてはいけないわけです。
で、読み直して、いろんな部署に電話で確認して・・・という作業を、今日の午後はやっていました。
それでしみじみ、議員と行政のやりとりは、恋人や夫婦の喧嘩に似ているんではないかと思いました。
例えば・・・。
女性「あなた、この前、女性と二人で食事をしたって話を聞いたわよ。どういうこと!!??」
男性「いや、そんな、隠してたわけじゃないよ。ほら、報告したじゃないか、『同僚と食事に行ってくる』って言っただろう?」
女性「ああ、あのときのこと?そりゃあ、同僚とは聞いたけれど、女性と二人で、なんて言ってなかったじゃない。」
男性「隠してたわけじゃないし、嘘もついてないよ。同僚なのは事実だし、女性か男性かって聞かれないから言わなかっただけで、隠してたわけじゃないよ」
女性「そういう問題じゃないでしょ(怒)」
・・・こんな感じ。
行政がやることは、間違いなく必ず議会には報告はされているんだと思います。
ただ、どういう形で言うか、という問題なんだと思います。
別に隠しているわけじゃなくて、報告すべき最低限のことを言っているだけ、というところでしょう。
だから、私としては、「この人は、『同僚と食事する』とだけ言っているけれど、その言葉の裏に何かほかにあるのではないか」と、たくさん質問をすることによって、思ってもいない結果が生まれないようにチェックしていく役割があるというわけですね・・・。
だからいっぱい質問をする。
で、色々な部署に電話をして聞いていたら、何人かの職員さんに、「ところで、なんでそんな質問をするんですか?」と聞かれたので、「ただ、聞きたいからです」と答えてましたが(笑)
多分、一般質問とか公式な質問の準備のための電話ならば、職員さんとしても準備をしなくちゃいけないから、「そういうことで問い合わせてきたんですか?」という趣旨だとは思いますが、こんなやり取りもやっぱり恋人同士の喧嘩と似たやり取りのような気がするなあと思いました

書類を整理すると自分の頭の中も整理されてきて、気持ちが良いです。
整理がついたらまたブログでもボツボツご報告していきたいと思います。
ところで、「ねこ鍋」、ご存知ですか?
鍋の季節ですからねえ(笑)
こちら
ここのところ、夜中に家でこれを見てひとりで「ふふふ・・・」と笑っています。
やっぱり猫を飼いたいなあと思いつつ。
猫が嫌いじゃない方はぜひ見てみてください。疲れが取れますよ。
土鍋を乾かしておいたら、そこに猫が入っちゃったんですって。
※かとうぎ桜子を育てる会
明日から定例会です
いやはや。月曜日はいつもに増して長かった。基本的には2時間で終わる予定が、健康福祉委員会は大体2時間半になります。
会議ってのは、1時間半くらいが程好いものでしょうね。2時間半終わると、大体いつも、体のあちこちに痛みが走っていますが、月曜日は、3時間ちょっとでした。。
予定の議題の半分くらいしか進んでない時点ですでに体に痛みが走り始めたのでおかしいなと思ったら、そこですでに2時間くらい経過してまして。
やっぱり、健康福祉委員会は今の倍の会議数があったほうが良いのかなあと思います。必ず2時間弱で終わらせて、その分会議の回数を増やした方が、参加者の脳みそにも良いんではないかと思います。
12時になった時に委員長が、「今、12時なんですけど、まだまだ議題はあるんですよ・・・」と切なそうにおっしゃいました。
私もしょっちゅう質問をするので、間違いなく会議を引き延ばしている責任があるんですが、そうは言っても私も元々は会議が好きなわけではないので、心の中では「しくしく」と思いながら、委員長の発言を聞いていました。それでも質問をしていますが・・・。
それでも質問をするのは、極端な話、もし練馬区が夕張市みたいになったら困ると思うから。
一つひとつの議題に対して、「本当にこれでいいんだろうか」と声を上げていかなくては、もし万一、「やっぱりダメだった」となったときに、「じゃあ議員は何のために居たんだ」と区民の皆さんに言われてしまうので、やっぱり、何よりもすべての議題に対して公平公正にしっかりとチェックをしていかなくてはいけないと思うのです。
それにしては自分の能力も追いつかず、クラクラしますが。
・・・ああ、やらなくてはいけない、何もかもが全然できてないなあといつも毎日イライラしていますが、そんなとき、中島みゆきの「とろ」という歌を思い出します。
他の人はどうして 何でもできるのだろう
他の人はどうして 間違えないのだろう
やらなきゃならないこと 今日も追いかけて24時
何がやりたかったかなんて 今日も置き去りで24時
間に合わない宿題がまたひとつ積み上がる
とろ、何とかならないか 考え考え日が暮れる
そう、今日も日が暮れて、何もできないままに一日が終わった・・・と、議員になってから毎日思っています

それで、今日は自分の家の周辺の方に、議会報告を持って訪問。
結局、この1ヶ月で、学園町の1丁目から5丁目の半分くらいしか行けなかったです。200件くらいかなあ。
ちなみに私に投票していただいた数は5743票。あーあ、それなのに200件しか活動報告はできなかった・・・。活動量の効率の悪さを思うにつけ、ああ、なんで私は一人しかいないんだろう、と思います。まあ、私がもう一人いたらそれはそれで困りますが。
行政に対するチェック機能と、応援してくださっている区民の方への報告と、もっとバランスよくできるようにしますので、今しばらくお待ちください・・・。
ちなみに、いつもの健康福祉委員会は、大体ひとつ長引く議題があったりするんですが、月曜日はすべての議題が満遍なく長かったので、要約して報告ができません・・・。
認証保育所のこと、区立保育園のこと、墓地のこと、障害者施設のこと、などなど。。
今日は学園町5丁目を自転車でうろちょろしていて、「やれやれ、なかなか回りきれないなあ」と地図を見ながら悩んでいました。自転車に乗ったまま、停まって地図をじっと眺めていたら、散歩中のおじさんがこちらを見て「ありゃ・・・」と言っている。
なんだよ、見知らぬおじさんから「ありゃ」と言われるほど私はヨレヨレなんだろうか、とオタオタしながらふと足元を見たら、私の停まっている自転車のペダルの下に、小型犬がはまっていた。
わ!犬が足元にはまっていても私は気づかなかったのか!とびっくりしていたら、犬も「わ!上に人がいたのか」というようなびっくりした顔をしながら飼い主であるおじさんのもとに帰っていきました・・・。
で、夜は練馬ボランティア・市民活動センターの会議を傍聴。
私も変わり者だとは思うけど、ボランティア・市民活動という名の付く集まりに出てみると、私をもっと強力にしたような人が世の中にはいるもんだなと勇気づけられるのです(笑)
さて、明日から12月14日まで、今年最後の定例会です。
※かとうぎ桜子を育てる会
ドメスティックバイオレンスなど、性的暴力について
練馬区内に、いずみ寮という婦人保護施設があります。そこのスタッフの方が、このシンポジウムのチラシをくださっていたので。
「婦人保護施設」というのは、売春防止法に基づいてある施設ですが、今ではDVの被害者が入ることも増えている。
女性に関する問題については、あんまり深く勉強したことがありませんでした。考えてみれば、社会福祉士の学校では、高齢者福祉や児童福祉、障害者福祉はあるけれど、女性福祉はないから。女性に関わる施設では、婦人保護施設のほかに母子生活支援施設というのがありますが、児童のことや、家族の問題というのを勉強する時にチラッと話があるだけで、体系的に習う機会がありませんでした。
これは、勉強しなくては、と思ったのです。
しかし、なぜか、「場所は有明だなあ」と思い込んでいたのです。山手線に乗ったときに、ふと、「あれ?」と思って、チラシを出して確認したら、なんとまあ、幕張ではないですか・・・。
でもなんとなく、有明と幕張って似た印象がありませんか・・・?
まあ、有明に到着しないうちに気づいて良かったなあ・・・と思いながら、しかし幕張だと遠いなあ・・・と、とぼとぼ電車を乗り換え。。
そんなわけでちょっと開始より遅れて会場に到着。
元々とぼけた人間ですが、最近毎日自分の頭のキャパシティーを越える仕事量であるせいか、本当にとぼけていまして・・・。
あーあ、とため息をつきながら会場内の受付ブースに向かう。
そしたら、どこかでお会いした顔の女性が立っていた。
あら、知り合いみたい。挨拶した方が良いと思うけれど、どこで会った知り合いだったか思い出せない。うーむ。誰だっけ。
挨拶するにしてもどこで会ったか思い出してからにしないと。
うーむ・・・。
頭をフル回転・・・。
そして、ハッと思い出す。この人は、知り合いではない。福島みずほさんだ。
本当に私は馬鹿だなあと余計に落ち込んで、ヨタヨタしながらホールに入りました。
DV防止法―正式には「配偶者からの暴力及び被害者の保護に関する法律」といいます。2001年にできました。ずっと、夫婦間の暴力は「家庭での問題」「ただの夫婦喧嘩」と思われてきたものを、社会的な問題として捉えたという意義があります。
ただ、恋人間の暴力というのも多いようなのですが、それは対象にならないということ、まだまだ現場レベルでの理解が足りずに、支援不足によって配偶者等に殺されてしまう女性も多いという問題などがある。
それで、今年の夏に改正がされて、来年1月から施行されます。元配偶者が、女性の親族を脅したり、危害を加えたという報道を聞くことがありますよね。そういうケースに対応するということであったり、市町村の役割を大きくしたりしている。
さあ、練馬区では、どんな取り組みを考えているのでしょう。これは、これから調べてみたいと思っていますが。きっと、何か考えているでしょう。きっと・・・。
そして、将来的には、DVに限らず、セクハラであったり、広い意味で性的な暴力に対する包括した法律にできるといいね、という話もありました。
他の国の取り組みの報告もたくさんありました。
DVというのは、一方が相方を支配したいという欲求によって起こるんでしょうね。殴ってでも従わせたい。相手の携帯電話を勝手に見たり、相手が電話に応答しないことに怒ったり、精神的な暴力もDVです。
中国の方からは、「夫が妻に対して身体的な暴力をふるうだけではなくて、他の男性と性交渉をするように強要したということで助けを求めに来た」という女性の事例の報告がありました。
もはや理解しがたいですね。人が持っている尊厳のすべてを奪って、自分に従わせることで、その男性の欲求は満たされるのでしょうか・・・??
聞くだけでも気が遠くなりそうなお話でした。
2日目は、分科会にわかれて色々なテーマで議論があった後、議員フォーラムというのがありました。
DV防止法は、参議院の共生社会に関する調査会というところで超党派での調査が進められた結果、できたということで、関わりのある議員さんがお話をしました。
話をされたのは、南野智惠子さん(自民)、山本香苗さん(公明)、小宮山洋子さん(民主)、福島みずほさん(社民)、紙智子さん(共産)。
ふむむ、議員さんってやっぱり、話をするのが上手じゃないとダメなのかしら・・・と思いつつ聞いてきました。
デートDV(恋人間のDV)への対策を考えなくてはいけないということ。性の違いによる犯罪なので、そもそも性とは何なのかを考えることのできる教育を目指さなくてはいけないけれど、意識の低い人たちによって「過激な性教育反対」とか「ジェンダーフリー(社会的に植えつけられた性を取り払って、男女が平等な社会にする)の教育というのは、社会秩序を乱す」などの反対の声があり、停滞気味だけれども、なんとか良い方向に進めていきたいこと。
そんな話がありました。
社会に問題が起きたら、その元となる事柄についてまずは教育するのは当たり前のはずなのに、なぜ反対する人がいるんでしょうね。
たぶん、家父長制が好きな人たちが反対するんだと思うんですが。
でもそれは、マクロレベルにおける性的暴力だと、認識して貰いたいものです。
ところで、私は、選挙の時に女性の候補者の多くが「女性だからできる」とか「女性だから分かる」と主張するのが、好きではありません。
女性だから「どうして」分かるのか、その、「どうして」の部分が飛んでしまっているから。
私が地域の話や福祉の話を議論できる親しい友人のうち、半数は男性ですが、男性でも生活レベルの気持ちが分かる人だっていっぱいいます。
逆に、女性であっても、社会問題に対する支援に慣れていない人は、女性から「セクハラに悩んでいる」と相談されても「私の若い頃にはそんなの当たり前だった。そんなことで悩むなんて、今の若い人はどうしようもない」と言ってしまう場合もあると思います。
そういえば、さだまさしの「無縁坂」という歌が、女性が生きにくい中で一生懸命生きている姿を描いていますが、作詞はさだまさしです。でも、さだまさしは女じゃないですしね(^^;
結局、相手の状況に共感の思いを持つことができるかどうかということは、女性であるか男性であるかには関係ないように思うのです。
せっかくだから「無縁坂」の歌詞の一節。
母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度 いつもため息をついた
ため息つけば それで済む
後ろだけは見ちゃだめと
笑ってた白い手は とてもやわらかだった
さて、話は戻って。
議員フォーラムに参加していた議員は全員女性で、「これからも女性の力で変えていきましょう!」と言っていたけれど、女性の問題について考える会に男性議員も当たり前に来るようになって初めて「社会の意識が変わってきた」と言えるのではないかなと私は思いました。
まずはじめの一歩は当事者から働きかけるしかないんだろうとは思いますが。
DVだけではなくて、すべての性的暴力が犯罪であるという法体系にしたいというのには私も同感。セクハラは、私もありますから。
直近の例では、「投票したよ」とか、「選挙の時は随分応援してあげたよね」ということを言った後に、猥談をするおじさんたちですね(苦笑)
最近は私もだいぶ強くなったので、「私は男の人を楽しませるために議員になったわけではありませんから、黙ってください」と言うようにしていますが(笑)
でも、選挙で応援したんだからということを言うことで、絶対対等ではないことを強調した上で性的なことを言うというのは、とても卑怯なやり方だなと、顔はいつもにっこり笑っていますが、心の中ではいつもムカムカしています。
おじさんたちは、性的なことを言ってあげると女性は喜ぶだろうと勘違いをしているみたいですが、とんでもないことですね。
初めての選挙が終わったところで、自分の心で一区切りがついて、どんなことでも自分の気持ちをはっきり表明して4年間を過ごそうと決めたので、楽になりましたが、選挙の前までは「どんなことを言われても我慢するしかないんだ」と諦めていました。性的な暴力であったり、人権を侵害するというのは、物理的な被害だけではなくて、その人の気持ちに「抵抗してももうどうしようもないから、諦めよう」という無力感をもたらすという罪もあるのです。
女性議員として、私が何かできるかとあえて考えるとするならば、セクハラ的なことを言われた時に「へへへ」と笑って受け流さずに、相手に「それは私は不愉快だ」ときちんと伝えていくということかなと思います。どんなにいい制度を作っても、自分の足元の意識改革ができていなければ、何にもなりませんからね。
さて、あとは練馬区ではどんなことができるか、ということ・・・。
女性の相談に乗る機関として、練馬には女性センターがありますが、こうして勉強してみてようやくわたしの中で女性センターの意義が理解できたという感じなので、実際に被害にあっている女性が「自分に起きている問題は女性特有の問題だから、女性センターに行ってみよう」と考えつくのはなかなか大変なことだと思います。どうやって周知していくか、ですね。
先日、第三者評価の勉強会で世田谷区のキャロットタワーに行ったとき、トイレの中にこんなカードが置いてありました。

「パートナーからの暴力に悩んでいるあなたをともに支えます」と表に書いてあって、裏に、世田谷区内の相談場所と、東京都でやっている相談センターの連絡先と時間、そして事件が起きたら110番、と書いてある。DVが犯罪という意識は、被害者にも薄いことが考えられるので、110番してもいいんだ、というのも大切な情報ですね。
で、このカードが持ち帰れるようになっている。
こんな風に、ふっと目に付く工夫を、練馬でもできたら良いんじゃないかなと思います。
※かとうぎ桜子を育てる会
今日の活動
授業を受け持っている加山弾先生と、6月の山口での地域福祉学会で初めてお会いして、「いつか大学に来てください」と言っていただいていたのです。
東洋大学って、福祉の話ではよく耳にするんですが、行くのは初めて。きれいな校舎があって、「ほえ~」と眺めてきました。私が卒業した慶應も上智も、建物は古くて雨漏りしていたので、今、たまによその学校に行くと、きれいなことが多いので感動します。
授業は「コミュニティワーク論」で、コミュニティ、つまり地域のことをやっているのです。
私は自分自身がじーっと授業を聞いているのが苦手だったので、逆にしゃべるのも苦手なんです。しゃべりながらも、「きっと皆、つまらないに違いない」と思ってしまうから・・・。
うーん、どうしたら少しは有意義にできるかなあと悩みましたが、結局私自身の今までの体験を話すしかないなと思いました。
なぜ慶應で国文学→福祉→議員という道をたどったのか。転機となるきっかけをお話しました。そのすべてが、「地域」というキーワードでつながっていたので。
約1時間、モソモソしゃべっていて、ああ、やっぱりしゃべるの苦手だ・・・、と思いつつ。それでも何人かは一生懸命聞いててくれて、「ああ、良い子達だなあ・・・」と思いました

最後の質疑応答。
先生から、「学生達には、議会の活動というのもぜひ見てもらいたいなと思うけど、たくさんいある議員の中から、市民と一緒に福祉の活動をしてくれそうな議員を見分けるのはどうしたら良いんでしょうね?」と言われました。
うーん・・・
しばらく考えて・・・。
「その地域によって、違いはあるとは思いますが、うーん、本当に親身になって考えてくれる議員さんは、無所属の人かもしれませんねえ。・・・私は民主党ですけど・・・



言いながらも、「我ながらマヌケな発言だなあ」と思いつつ・・・(^^;
★午後は、区役所に帰ってきて、来週の委員会のための準備をして、夜は、西東京市にある「サポートハウス年輪」というNPOの理事長である安岡厚子さんのお話を伺いました。
市民の手で地域の調査をして、それを基に配食サービスをやったり、デイサービス、グループホームをやったりしている団体。
2年位前から友達に「ぜひ見に行ってご覧」と言われて、まだ行けていなかったところです。
安岡さんも、議員としても活動をしてきた方です。
まだ、介護保険なんかの制度がない時代から頑張ってきた団体で、これからの課題は、「新しく福祉の世界に入ってくる人は、制度の範囲内で目の前にあることだけに取り組みがちな人が多い。でも、そういうことだけじゃなくて、社会全体を見渡して、市民の活動をマネジメントできる人材を育てて、NPOの新しい担い手として引き継いでいくことができるかどうか、これからが勝負だ」という風におっしゃっていました。
私が働いていたNPOなんかもそうですが、そろそろ世代交代をしなくてはいけない時期。でも、介護保険ができて、一応の制度がそろった時より後に福祉の世界に入った人は、社会に対する運動というモチベーションが低めなんではないかと、私も思う。そして、これは散々先輩方からも言われてきた問題です。
ちょうど東洋大学の授業のために、私自身の福祉の活動の歴史を振り返っていて、ふと、一度もブログにも書いたことがないエピソードを思い出しました。私が専門的に福祉に関わり始めた一番の初めての段階での腹立たしさが、多分私のすべての活動の原動力になっているんではないかと。
ヘルパーの資格を取るために、3ヶ月という短期の養成学校に行っていたときのことです。
ヘルパーの資格を取るときには、簡単にではあるけれども、福祉の制度についてだとか歴史について、教えて貰います。
で、ちょっと聞くともっと知りたくなるから、「これはどういうこと?」「どうして?」と、私はやたらと講師に質問しました。
そしたら、「難しいことは行政の人やケアマネジャーさんが考えてくれるから、ヘルパーさんは何にも考えなくて大丈夫。ただ、介護していれば大丈夫だからそんなに質問しなくても大丈夫。安心して」というような趣旨のことを言われました。
それも、一人の講師からだけではなく、授業全体がそんな雰囲気だったように思います。
そういう言い方をされると、なんだか社会から取り残されたような気分になりました。今思えば、「ヘルパーには、社会に対して発言する権利もないのかなあ」という納得のいかなさだったように思います。
でも、本当は、ヘルパーが利用者の一番身近な存在なんだし、普段の利用者の思いをすぐにキャッチできる存在なんだから、ヘルパーがソーシャルワーカーとしての役割も果たすべきなんだと思います。
もしかしたら、その力を奪うのが、ホームヘルパー2級の講習なんではないかとも思ってしまいます。
「制度の範囲内でやっておけばいいんだ」という福祉従事者が増えてきてしまっている背景には、福祉に入る入り口での教育のあり方にも問題があるんじゃないかしら、と思います。
ちなみに、年輪では、制度的な部分について意見を言っていくという活動もちゃんとやっているそうです。
今度こそ、近いうちに見学に行きたいと思います。
※かとうぎ桜子を育てる会
なんでもない日記です

議員になる前から、「仕事好き」で、眠っているとき以外は仕事のことを考えていたりします。一人暮らしだから、メリハリがないんですね。家に帰っても特に変わらず、まだ仕事のことを考え続ける。
これが、家族でもいれば、私は仕事のことを考えたいと思っても、「お腹すいた」といわれたり、なんだかんだと話しかけられて、引っ掻き回されて、結果として仕事とプライベートにメリハリがつくんだろうなと思いますが。
1年半前までは猫がいたから、「にゃー」と言われたり踏んづけられたりして少しメリハリもあったんですけれど、猫亡き今はそれもないもんで。
もしかしたら、ストレス社会になっていることと、核家族化は関係があるのかもしれないとふと思いました。
まあ、だからといって家族がほしいと思っても、猫を飼うには仕事が忙しくて可哀想だし、結婚するかといっても、結婚相手を公募するわけにもいかないし(苦笑)、しかたないので、一人暮らしでもできるストレス解消方法だと思って意識的に、家事をする時間をちょっと増やして、バランスをとってみたりしています。
★今晩は、基本構想の話し合いに参加。もう、次回は中間まとめの発表会らしい。なんだか、早いなあ。
私が傍聴するだけの立場だから早く感じるのかしら・・・。でも、回数はそんなに多くないのは事実だとは思うのですが。
参加している区民の方々は、十分に意見を言い切れているのかしら・・・。若干気になるところです。
何度も何度も顔を合わせて、だんだん慣れ親しんできて、そのうち意見が対立して・・・そんな時間を共有するからこそ、いつも心の中にあった「ふだんの生活の中の思い」が出てくるものだと思うので、あまりテンポ良くトントン進んでいってしまうと、若干不安な気分になります。
★11月21日号の区報を読んでいたら、「NPOステップアップ研修」というのが載っていました。NPOの活動をする中での、ボランティアとの協働の方法を考えるという研修。
その講師が、後藤麻理子さんという人でした。
あら・・・
後藤さんとは、以前、1年半くらい同じ職場で働いていたことがありました。
私は福祉の夜間専門学校の学生で、昼間、後藤さんの働いているところでアルバイトをしていたのです。
とても素敵な方で、非常に好きでしたねえ・・・。福祉の仕事を始めたこの5年間で知り合った人々の中でも、間違いなく5本の指には入るほど、とても好きな方です。
福祉の専門学校を卒業して、私はNPOに就職することに決めて、そのアルバイト先を辞めることになったのですが、後藤さんとお別れすることが一番残念だったものです・・・。
一番最近お会いしたのは、たしか私が区議会に初登庁した頃だったと思いますが。今の後藤さんの職場の近くまで行って、お酒を飲んだのです。
「議員になって、バッジをもらいましたよ」と見せたら、後藤さんはそのバッジを見て、「ふうん。目玉の親父に似てるね。」とおっしゃいました。
ちなみにバッジは、これ。↓

ちょうどここのところ、ふと後藤さんのことを思い出して、「元気にしてるかしら・・・」と思っていたら、思いがけず区報で再会したというわけです(^^;
で、後藤さんの研修は、12月12日の18時30分~区役所東庁舎6階だそうで、参加希望の方は12月10日までに練馬ボランティア・市民活動センターに申し込んでくださいということなんですが(研修の対象者は「NPOで活動している方」だそうですが)、悲しいかな、私は別件の用事があって行かれないのです。
ああ、後藤さんが練馬に来るというのに、私はなんで行かれないんだろうか、悔しいことよ、と一人でジタバタ。
このブログを読んでいる方で、NPOの活動をしていて、12月12日にお時間がある方はぜひ、私の代わりに後藤さんを眺めてきてください・・・。
★明日は、知人の働く大学で、またゲストスピーカーです。話をするのはいまだに苦手なので「ああ、やだなあ・・・困ったなあ・・・」と思っています。コミュニティワーク論の授業だそうですが。ああ・・・ドキドキ・・・。これはまたご報告します。
※かとうぎ桜子を育てる会
昨日と今日の活動
★昨日は、民主党の仲間である白石恵子さんのセッティングで、「高齢者体験」をしました。
足首や肘、膝の柔軟性がなくなって、うまく動かせない。耳は高音が聞こえにくく、目は白内障、という状態を、道具を使って作っていく。
それで、封筒から手紙を出してみたり、文字を書いてみたりすると・・・指先がうまく使えなくて大変。
白内障だと色の識別がうまくいかなくて、黄色も白も同じように見えてしまう。
白内障は今は手術によって、そんなに重くならないうちに治せるようになったということですが、高齢になって、バランスの悪い色の服を着ている人は、白内障によって正確な色の判断ができなくなってしまっている場合が多いという説明を聞きました。
食品の賞味期限は、書かれている文字が小さいから、見えずに使ってしまったり親戚にプレゼントしてしまったり。
耳はよく聞こえなくてぼわーんとしているから、周りの音がさわさわとささやきのように聞こえる。
人間って、話しかけられる大きな声だけではなくて、なんとなくの気配を耳から感じ取ることによって安心できるんだなと気づきました。耳が遠くなると、その気配が感じられない。「悪口を言われているのではないか」という高齢者は、ぼけてしまっているわけではなくて、よく聞こえないことの不安であるということが分かりました。
頭では分かっていたはずの、こういったことを、体験をしてみたからこそ本当に理解できたなと思います。これは、ヘルパーの資格をとるときに、必ずやった方がいいように思います。
昔働いていたヘルパーの会社で、新人時代に、先輩ヘルパーに付いて一人暮らしの高齢者の家に行ったことがありました。
認知症で、なんでも大事にためこんでしまって、ゴミ屋敷みたいになっている家で。
腐りそうな魚を「大丈夫だからこれで調理してちょうだい」と言われて、悩む。先輩ヘルパーに「どうするんですか?」と聞いたら、「うーん、でも本人の意思を尊重しなくちゃいけないからねえ」と悩んでいる。
しかし、意思を尊重するのと食中毒予防と、どちらが優先かを考えないといけないのではないかしら、と思いつつ・・・。
こういうときに、高齢者体験をしていると、「もしかしてこの利用者さんは、“魚が腐りかけているかもしれない”という細かい点まではよく見えない目なのかもしれない」と予測ができたかもしれないと、今になって思ったのです。
「年をとったために、分からないようになってしまった」ということを本人に気づかせるのは可哀想だ、という発想ではなくて、「この魚はこういう状態になってますよ、賞味期限が過ぎてますよ」と、具体的に言葉に出して援助していくことが必要なのかもしれません。
目も見えにくい、耳も聞こえにくい状態で、その不安な状況を誰も補完してくれないから、だんだんうつ状態になったり認知症に進んでいってしまうのかもしれないなと、思いました。
★昨夜は、ユニセフの「取り残される子どもたち」というシンポジウムに出かけました。
子どもの権利条約というものが1989年にできて、日本も1994年に批准しています。
しかし、どうも、日本では、「権利」というものを身近に感じる機会が少ないような気がするんです。私自身、子どもの権利条約は学校ですごく時間をかけて習ったのに、なんとなくまだピンと来ていないところがあります。
先日、他の議員さんと話し合いの中で、「子どもの権利といったって、子どもがわがままになるだけじゃないか」と言われたことがあって、とても腹が立ったことがありました。なぜ腹が立つかというと、重要なことだとなんとなくは分かっていながらも自分の言葉でうまく説明できないからだろうなと思ったのです。
理路整然と説明さえできれば、腹を立てる必要なんかないのですから。
だから、腹が立つのは、きちんと理解し切れていない自分に対して腹が立ったんだなと思いまして、勉強しに行ったのです。
世界では、貧しい国がたくさんあって、子どもも働かないと一家が路頭に迷うという深刻な社会がある。働いても働いても、間に合わなくなってしまうと、臓器を売ったり売春をしたりするようになる。そういう、「どうしようもない状況」になったときに、一番最初に被害を受けるのが子ども達である、ということで、「子どもはどんなことがあっても守らなくてはいけない」ということでできたのが子どもの権利条約なんですね。
そういう国に比べたら、日本は断然恵まれているので、だから「権利なんてわがままだ」みたいになってしまうのかもしれません。使う側も、履き違えている場合もありますしね。
でも、そんな社会の中で、今、日本人としては何ができるのか、ということを考えないといけないんじゃないかと思いました。
子どもにもきちんと情報提供をして、「どう考える?」と意見表明の機会を作っていくことなのかなあと思いますが、そういう、意見表明や参加の権利は、日本では大人にも保障されていなかったり、十分行使されていないようにも思います。
少なくとも練馬区では、行政が決めてしまったことに区民が意見を言う権利は保障されているとは言いがたいと思いますので・・・。
大人の権利が十分認められていない中では、当然、弱いものにも波及するので、子どもの権利も十分に考えられない状態になると思います。
物理的に貧しくて、身体的な危険状態にある国とはまた別の問題が日本にはあるんではないかなあということを、考えましたが、また少しずつ勉強してご報告します。
★今日の健康福祉委員会では、すでに民間委託されている光が丘第八保育園と向山つつじ保育園の視察に行きました。
園長さんからお話を聞きましたが、両園とも素敵な園長さんでした。
このところ、保護者の方からお話を聞いたり、保育園を見に行ってみて、ちょっと新たに発見したのは、保育園の民間委託に関して重視すべきポイントとして、保護者の不安感の解消ということがかなりの位置を占めているように思います。
時々、テレビで報道されるような、子どもの生死に関わる重大な事故を起こすような質の低い保育は言語道断ですが、子ども達は案外環境に柔軟に対応できる部分はあるんではないかなと思います。
私は、保育園でアルバイトをしたのはとても短い期間ではありましたが、半月もしないうちに子ども達は私の名前を覚えてくれてなついてくれていました。むしろ子ども達が、「この新人先生に保育園の慣習を教えてあげよう」というような感じだったと思います。
だから、子どもと新しい保育士との関わりという点以上に、保育園が保護者の支援機関でもあるという点をもっと重視しないといけないのかなと思います。
子育てに関する不安、家族の中での心配事、といった、かなりプライベートなことを、保育園の保育士さんには相談している場合もあるわけですね。昔ならばおばあちゃんや近所のおばちゃんが担っていた役割を、保育園の保育士さんが果たしている場合も多いと思います。
そんな存在であった保育士さんたちと、突然別れなくてはいけないという不安な気持ちに対してどう説明をしていくのか。一人ひとりの気持ちに丁寧に関わりを持つ責任が、区にはあるんだと思います。
進めてしまえばなんとかなる、という大雑把なものではなくて、もっと繊細な一人ひとりの気持ちにまで思いを馳せた区政を作っていきたいと思います。
※かとうぎ桜子を育てる会
この数日
・・・倒れていたわけではありません(笑)
いつもブログは、仕事が終わって家に帰って、夜の10時11時になってから書くのですが。
ここのところは、地域の皆さんに活動報告をしたり、夜は説明会や勉強会に参加したりして、書けずにおりました。
最近の報告。
★最近、子猫をよく見かけます。

この写真は、私の家の近くで見かけた猫。前にいるのは大人だから、親子かな。
猫は、春に生まれることが多いけれど、秋も生まれるのかなあ。
生まれて半年くらいたつと、猫は長細い体型になるので、二頭身くらいの子猫は、生後3,4ヶ月くらいではないかと思いますが。
この前区役所の近くで見かけた子猫は、目がクリクリしていてまるでぬいぐるみのようでした。車の下にいたので、「お!」と近づいていったら、子猫はこそこそと後ずさりをしていた・・・。
好意を持って話しかけているのに走り去られるのも悲しいですが、後ずさりをされるのも切ないですねえ。
★地域で、選挙の時期にポスターを貼らせてくださった方などのところに、活動報告をして歩いています。
平日の日中、まちを歩いていると、高齢化してるなあとしみじみ思います。
80歳、90歳の人がもっともっと増えていったら、その人たちの権利を守るのは誰だろうかとしみじみ。
その人たちのニーズをきちんと把握して、満たしてくれる制度設計をしていかなくてはいけないけど、例えば投票に行くとか、満足できない制度を変えてほしいと訴える運動だとか、高齢になったら辛いですね。
先日、後期高齢者医療の説明会があったと、ちょっと前のブログで書きましたが。参加者は、高齢者が多かった。
「これで説明会を終わります」というときに、みんながぱちぱちと拍手をしました。前に書いたように、担当の人が一生懸命説明してくれたから、というのもあるとは思うけれど、でも拍手をしてあげようというのは、高齢者ならでは、かなあと思ったのです。高齢になると、どちらかというと、自分の権利について言うよりも、とにかく「ありがとう」と言うことが多いかなあと。
だから、間違えると、権力者によって「特に訴えのない人たちだから」とないがしろにされてしまう危険もあると思うのです。高齢者のニーズを把握して、それを代弁していく役割の人が必要だろうなと思います。介護をする専門職と同じくらい、高齢者の気持ちを代弁する専門職が、これから必要になるのではないかなあと思います。
★ホームレスのドキュメント映画「あしがらさん」を、今度練馬区でも行政が上映する予定だそうですが、(前にブログで書きましたが)私も何か形を変えて、企画をできないかなあと考えています。
昨日、あしがらさんの監督と電話でしゃべりまして。
監督「練馬区で、行政が上映会をするって、決まったんですかねえ。」
私「あら。健康福祉委員会では、そう言われましたけどねえ。」
・・・なんだかとぼけた会話だなあ、と思いつつ。。
私「うーんと、3月の中旬にやるって委員会で言われましたけど。ゲストスピーカーもいて。新宿・・・(なんだっけ、団体名を度忘れしてしまった)、新宿なんとかの会の誰とかさんの話も聞くって言ってましたよ。」
監督「新宿連絡会のこと?ホームレス支援機構?話を聞くというんだったら安江さんかな?」
私「うーん、そうだったかもしれません・・・」
そんなトンチンカンな会話を繰り広げて、電話を切りました・・・。
今日、委員会の資料を確認したら、たしかに新宿ホームレス支援機構の安江さんと書いてあった。「新宿なんとかの会の誰とかさん」でよく分かったもんだ・・・(^^;
まあ、行政の企画とは別に、私も来春には何かやりましょう、ということだけは決まりました。
★実は、来年の2月には、もう一つ福祉の企画の準備をしているのです。
これは議員であることも、練馬のことも直接には関係ないものですが、市民の立場から提言をしていこうというようなイベント。
http://www.tvac.or.jp/news/11135.html
2年前にも、このイベントの企画をしたことがありまして、今度もそのときの仲間と同じような顔ぶれで企画を考えています。
詳細は、決まり次第、お知らせしますが、私のブログを読んでくれている奇特な皆さん(!?)にもぜひ参加していただきたいものです。
2月9日、10日で、定例会直前で議員や行政職員は忙しいかと思いますが、そんな立場の方もぜひ。
★つらつらとブログを書いていたら夏に関西の大学のゲストスピーカーに呼んでくれた室田信一さんから電話が。室田さんも、上に書いたイベントの企画に関わっているので、その話の電話だったのですが。
室田さん「最近は、どうしてますか」
私「ヨレヨレです。」
室田さん「・・・。加藤木さんがヨレヨレじゃない時はあるんですか。」
私「・・・。ないですね。いつもヨレヨレです。」
室田さん「いつもの状態を表現してくれたんじゃあ、それは近況にはなりませんね。」
私「・・・そうですね。。」
またもこんな変な会話を繰り広げて電話を切りました。
こんな、へなちょこネットワークによって私の生活は成り立っているわけです・・・。
※かとうぎ桜子を育てる会
社会福祉士の研修
今朝はめでたく、倒れることなく大泉学園の駅で新しいレポートをお配りすることができました
ところで、昨日は社会福祉士会の研修に参加しました。
私は平成17年に社会福祉士の資格を取ったのですが、社会福祉士会には入っておりませんで。
社会福祉士会っていうのは、医者でいう医師会みたいなものです。ただ、社会福祉士会は加入率が低い・・・。
議員になって、いろんな施設見学に行くと、職員の方から「あら、あなたも社会福祉士なのね。社会福祉士会には入っているの?」と聞かれ、「うっ、まだです」と答え続けていたので、ようやく最近入ったのです。で、研修に初参加。
とても良い研修でした。
私は、特に議員になってから、「私は社会福祉士だな」ということを意識します。
今、私はどういう態度をとるべきか。どこまでブログに書くべきか(・・・笑)。皆さんに何をどういう形で伝えるべきか。私は議員として何をするべきか。悩むことは色々ありますが、どっちにしようかと迷った時の判断基準は「社会福祉士として」というものだと思っています。
ただ、「社会福祉士の中のどの部分を基準においているか」というのが明確に説明できなかったように思います。それを、研修で突きつけられました
社会福祉士は、色々な技術を用いて活動しています。
ケースワークとか、グループワークとか、ケアマネジメントとか。
研修の中で、「それではあなたはどの技術を用いていると考えて行動していますか?」と質問され、「ううっ」とうなって冷や汗をかく。。
それで改めて考えました。
私は、ソーシャルワークリサーチという技術、ソーシャルアクション、コミュニティワークという技術を用いて議員活動をしていきたいと思っていたのです。
技術名はカタカナだから(外国の概念が入ってきてそのままだからでしょうね)、学生時代は聞くだけで気が遠くなりそうになったものですが・・・意味は、カタカナを日本語に戻せばそのままだとは思いますが、社会の中で今何が求められているのかを調査し、それを社会に向けて「必要だぞ!」と訴える運動を起こし、地域の中で活動していくことです。
活動の目的は自分の利益ではなく、区民の利益である、というのが立脚点です。だから、他の議員や行政職員と意見が違うけれどもそれを表明するべきかどうかを悩んだときには、「表明することが区民の利益になるかどうか」を最優先に考えるようにしています。
そして、福祉は、一部の人のための特別なものではないと考えています。障害者も高齢者も、「特別な人」ではなくて、区民なんですね。だから支援をするんだと思います。
私が議員の活動をする上での信念は、実は社会福祉士の理念とイコールであったのだけれども、それをほかの人に向かって理論的に説明できていなかったんだと、気づくことができました。
自分の行動、信念を、自分自身が理論化して、それを人に伝えていくためには、勉強しなくちゃいけないなあとしみじみ思ったのでした。
第三者評価と区のかかわり
一昨日は、世田谷の三軒茶屋に、「福祉・介護サービスの賢い選び方~介護サービス情報の公表と第三者評価の活用方法~」というテーマのシンポジウムを聞きに行きました。このテーマは、私が一般質問で質問して、そして答弁に納得いかなかったもの。詳細はこちらのブログ。納得いかなかったので、引き続き決算でも同様の質問をしました。
そうそう、決算のことをまだ説明していなかったですね。
決算は、毎年、第三回定例会でやるようです。今年は、平成18年度の決算。保健福祉費とか、土木費とか、項目別に、平成18年度のお金の使われ方の詳細が出てくる。すごい量の書類が渡されます。
決算特別委員会では、9月下旬にまずはその書類の内容の説明を受けます。説明といっても、区の職員さんが、ラップを歌ってるのかと思うような勢いで読み上げをするので、「???」となります(^^;
それで、そんなのを聞いただけじゃ仕方ないので、議員は自分たちで読み込みをします。
この項目の意味はなんだろう。こういう名前の事業にお金が使われているけれど、この事業は何をやっているんだろう。ここにお金を使うよりももっとこっちにお金を使ったほうが良かったんじゃないか。などなど、チェックしていく。
それで、職員さんに連絡して質問をして、内容を確認していく。
で、10月初旬に再び決算特別委員会の会議が始まる。そこで、自分たちが調査した内容を改めてチェックし合っていきます。もし、改善すべき点がある場合は、今度の予算では改善できるように、意見を言っていくのです。
福祉サービス第三者評価については、平成18年度もお金が出ているので、ここに関連付けてもう一度質問しました。
一般質問の場合、25分間質問し続けて、答弁も20分間返り続けるので、臨機応変のやり取りができない。ところが決算委員会の中での質問は、一問一答式なので、納得いかなければすぐに再質問ができるというメリットがあります。
一般質問のような答えは、当たり前の最低限のことしか答えていないから、もう一度説明して欲しいといいました。
第三者評価制度は東京都が中心になってやっていますが、評価機関にばらつきがあって、評価機関の評価をどうするのかなどの問題がある。任意制度だから受審率も低い。そういう中で、現実には活用しきれていないけれども、東京都へ制度改善の働きかけなど、していきたい。
といった内容の答弁をもらいました。
練馬区は、保育園の民間委託のときなどに、「第三者評価を受けて、質が下がらないかチェックしていきますよ」と説明しているのにも関わらず、そもそも区として「第三者評価制度とは何か。どう活用すべき制度なのか」というところをきちんと定義づけていない姿勢に私は腹が立っていたのです。うまく機能していない制度だと思っているならば「第三者評価を受けるから大丈夫」なんて説明のしかたはしてはいけないと思いますし、うまく活用できる部分は最大限活用する努力をしないといけないと思いますし、それが駄目なら「制度を変えてほしい」と東京都なり国なりに提言していく責任があると思うのです。
赤福の賞味期限の偽装の話がありますが、あれを見て、「そもそも賞味期限の制度ってなんだったんだろう・・・」という声も出ましたね。
表示の仕方に違反があっただけで、人体に影響が出るような偽装とはちょっと性質が違うだろうという声を聞いたことがあります。
だからこそ、いろんな食べ物で同様の問題が出てくるのかもしれません。
でも、「この規制の仕方は実態に合わなくておかしい」と思うならば、それを提言していかなくてはいけなかったはずです。うまく機能していないからって勝手にきまりを破ってはいけないのです。
積極的な違反と、制度を活用していないというのとではちょっと違う話ではありますが、「不作為」の責任が問われることもあるわけですから、今ある制度を利用者の利益のためにきちんと活用していくこと、活用しがたい制度ならば声を上げていくことが、区の責任だと思うのです。
でも、決算の答弁で「東京都にも言っていきたい」というお答えをいただいたので、来年の一般質問では「その後どんな風になりましたか?」と聞きたいと思っています。ふふふ。
で、一昨日は、その関連の勉強会を世田谷区がやるというので出かけたのです。
ほら、世田谷区だって、どうやったら制度を少しでも活用できるかを考えようとしてるじゃないか。練馬区だってやらないとね。
三軒茶屋に着くと、まちをキョロキョロ。知らないまちに行くと観察する「視察癖」がつきまして(^^;
駅の近くに社会福祉協議会があるなあとか。
街並みは古くからある感じだけれど、そこに突如高いビルがある。大泉のゆめりあみたいな感じ。
「キャロットタワー」というらしい。勉強会はこの中の一室で開かれる予定。にんじんみたいな色だから、ということで、世田谷の子どもがつけた名前が公募で選ばれたんだとか。
キャロットタワーか・・・練馬だったら大根タワーになるんだろうか・・・とぼーっと見上げて信号待ち。
すると、私の足をつんつんする気配とともに、「こら!だめよ!」という女性の声が脇から聞こえてびっくりする。はたと下を見ると、チワワ。
さっきまで一緒に並んで、おとなしく信号待ちをしていたはずのチワワが、なぜか急に興奮して私の足に飛びついてきていた・・・。
なんだなんだ、どうしたんだ、チワワ・・・。私の足は電柱ではないぞ・・・。
飛びつくチワワと、慌てる飼い主の「ダメよ!」の声にビクビクしながらキャロットタワーに向かいました。
介護保険制度をはじめとして、ほとんどの福祉制度が今は「利用する人が自分で選んで決定し、契約を結ぶ」という形になっています。保育園は、区に申請を出すから実質的にはあんまり変わらないみたいですが、一応形式としては利用者が選んで契約するという変更がされています。
でも、「選べるよ」といわれても、選ぶ基準を教えてもらえなくちゃ選べないですよね。
食べ物だって、旅館を選ぶんだって、雑誌を見たり、噂を聞いたり、なんらかの基準でもって選ぶでしょう。そのお店の店員さんに「おいしいですよ!」といわれても、「そりゃあ自分のお店をまずいとは言わないだろう」と話半分に聞いて、基準は他に探しますよね。
福祉施設を選ぶ場合も同じであるはずなんですが、基準がない。事業者が出しているパンフレットを見るくらいしかない。一般のお店と同じで、自分の施設のパンフレットにわざわざ悪いことを書くことはない。そんな、あやふやな中で選ばなくてはいけない。しかも、一度決定してしまえばかなり高額のお金が動くので、「しまった、あんまり良くなかった」と思ってもなかなか変更が難しい。
そういうわけで、選ぶ基準を作らないといけないだろうということで第三者評価制度ができました。で、上にも書いたように、任意の制度であるために受ける事業者がなかなか増えないから、介護保険のほうでは義務の制度として「介護サービス情報の公表制度」というのができた。これは義務なので絶対受けるけれども、情報は「マニュアルの有無」など、必要最低限のもので、質が良いかどうかは判断できないものになっている。
無いよりはましだけど、でもなんだか・・・というこれらの制度の意義は何なのか。そして、今、どう活用することができるのか。そういう内容でした。
まず、この2つの制度は、インターネットで公表されます。だから、高齢者は見られない場合が多い。だから「だめじゃん。使えないじゃん。」と言われる場合も多い。でも、それは、ケアマネジャーだとか、支援する側が使いこなして利用者さんに教えてあげるという、情報支援というのがこれからもっと必要になるだろうということでした。当事者だけでなんとかしろ、というのでは活用できないということですね。
そして、例えば有資格者がどのくらい働いているのか、とか、さらには職員の退職者数だとか、情報公表のしくみがなければ比較するのが困難だった項目を比較することが出来るようになったというメリットがある。
だから、インターネットにずらっと並んだ情報をぽかんと見るだけでは、何がなんだか分からないけれど、「これは重要だろう」というポイントを絞って比較する道具に使うことができる。
今回の勉強会、高齢者関係が中心かなと思っていたら、思いがけず保育園関係の話も聞くことができました。東洋大学の森田明美先生のお話。
保育園を利用する若い世代の人たちは、高齢者に比べてインターネットなど情報が得やすいはずなのに、偏った情報しか得られていなかったり、自分たちが本当はどんな保育を望んでいるのかが整理しきれなかったりして、結局うまく情報を活用できていない場合が多い。それで、実際に保育を受け始めてから、「こんなはずじゃなかった」という苦情が出てきやすい分野である、と。
保育園は、利用している子どもではなくて親からの声が苦情や要望として出てくる。これは高齢者介護の場合も同じようなものだと思いますが。
行政や事業者側は、家族の声と当事者の声を一体的に捉えてしまいがちですが、よくよく耳を傾けてみると、家族と当事者の利害は相反している場合も多い。森田先生いわく、保育園の場合だと、親は「近くて、設備がキレイ」などの希望を持つ。でも子どもはキレイかどうかなんてそんなに気にしていなかったりする。本当は、子どもがイキイキ、ニコニコしていられる空間が「質の良い保育を提供している場所」であるはずだ、と。
さて、このように家族と利用当事者の意見が異なってくるとなると、そもそも「福祉サービスの質」とはなんだろうか、という話にもなりますね。
福祉サービスは、食べ物のように目に見える形ではないし、同じサービスでも受ける側の気持ちによって違う印象を受ける場合もある。だからこそ、第三者評価制度がなかなか機能しにくいという部分があるのでしょうね。
これまでは、市区町村レベルはサービスの提供側という意識が強くて、第三者評価については東京都レベルでやるものだという意識が強かったんだと思います、と、コーディネーターをやった立教大学大学院の高橋紘士先生。
それを、市区町村レベルでも考えていかなくてはならないということで取り組み始めたのが世田谷区なんですね。平成18年度から「保健福祉サービス向上委員会」という、学識経験者を中心とした区長の付属機関を作って、現在は「区民が安心して良質なサービスを利用できる環境を整備するための区の役割について」というテーマで審議をしているそうです。
そのテーマは練馬区でも審議して欲しいですね・・・(^^;
練馬区は、検討するときに、「庁内で検討する」というのが多いんですよね。まずはもう少し、こうやって外に出していってほしいものですねえ。
世田谷の進捗状況をチェックしながら、練馬としてはどう取り組めるか、提案できるようにしたいなと思います。来年の一般質問で・・・。なにせ、年に1回しか一般質問できないもんですから。でもその分、今からじっくり温めておこう。
今日は、社会福祉士会の研修に参加しました。これについては改めて報告します。
一日研修を受け、懇親会に参加し、帰って来て明日の朝から配る新しいレポートを作成しています。あたふたしているうちにもう23時。。明日の朝、もし大泉学園駅に私がいなかったら、「ああ、ついに倒れたか・・・」と思ってください(笑)
そんなひ弱じゃあ、議員なんて務まらないぞと喝を入れられちゃうかもしれませんが、ひ弱な人の代表も必要だと思うんですよ・・・ヨレヨレヨレ。
★地域の拠点 ★まちかどシネマ
★地域の拠点
友人である、さいたま市議のでんだひろみさんと、当選後に会いたいねと言いながら、ようやく昨日会いに行くことができました。(以前でんださんのことを書いたブログはこちら ・・・4月の選挙前に書いた文章なので、今読むと悲痛な感じがします・・・ ^^;)
「北与野にある蕎麦屋に行きましょう」ということで、出かけました。
蕎麦屋といえば、そば焼酎をそば湯で割るとおいしいと、何年も前に友人から聞いたことがあります。ふふふと思いながら北与野へ。
駅で待っているとでんださんが車椅子でスイスイっと登場。「ひとつ、良い場所を教えてあげる。」とのこと。
「はあとねっと輪っふる」。
以前から噂には聞いていた場所です。「ここよ」と言われて、見ればそこは埼玉トヨペットのショールーム。車がいっぱいあるけれど、それと混ざって「はあとねっと輪っふる」と書いてある。
ショールームの脇に、会議ができるようなスペースがあって、福祉関係のイベントのチラシなんぞも置いてあって、写真展なんかもできるようなスペースもある。
福祉車両のモニターというのをやって、車両を貸し出したり。スペースを利用して子育て支援の活動をやったり、高齢者の集まりをやったり。
迎えてくれた担当の方は、「何をやってるって、一言では説明できないんだよねー」とおっしゃる。
福祉車両のモニターで知り合った人の農地で、みんなで農業体験をしてみたり。車椅子の人も工夫をして田植えをしたり。
ひとつの事業をやったときに、「事業が終わったらそこで終わり」ではなくて、知り合った人の縁で新たな事業を広げていっているようです。
利用する側、される側が一方通行ではなくて、それがときに逆転して、モニターだった人が「場」の提供者になったりする。「一つの事業を、それだけで完結しちゃうほうが、簡単だけどね・・・」と担当の方。
元々、社長が「せっかくスペースもあるし、何か社会貢献ができないか」と思っていたところに、「福祉の活動を企業として支えてもらえないか」と考えたでんださんが飛び込んでいって、「じゃあやってみよう」となったらしい。
ショールームに、子どもやら、障害者やら、いろんな人がいつもたくさんいたら、活気があって良いじゃないか、ということで、スタッフも協力しながら活動しているんだとか。
CSR(企業の社会的貢献)といって、企業の側も何かをしなければ、という気持ちは随分出てきているようです。でも、やり方が分からない場合は、ただ施設にモノを寄付して終わり、なんていう場合も多いみたい。やりたい気持ちはあっても、何をしていいかわからないせいですね。
埼玉トヨペットの場合には、社長をはじめ、アイデアを出せる人が揃っていたのでしょう。もし、そんな状況に恵まれない場合は、「何かやりたい企業」と「何かをやって欲しい市民団体」とをつなぐ役割の人も必要になるのでしょう。
しかし、最近の私のブログは「地域の拠点」特集ですね。なんだか次々新たな出会いがありまして。書いたら出会うというのは、言霊かしら、と思いつつ。
以前、出張所も地域の拠点になり得るのではないかというブログを書いたときに、「70万区民に対応している練馬の出張所は業務で手一杯で難しいんじゃないか」というコメントをもらったことがありました。
現実的に、たしかにそういう部分はあるんだと思いますが、でも「できない」と言ってしまったらそれ以上先には進まないのです。
たとえば、車のショールームを地域の拠点にできるなんて発想、あんまりあるもんじゃないですね。
言い換えれば、やる気になればどうにかなるんだと思います。
お金がない、人手がないなら「やりたいけれど足りないから助けて!」と声を上げればきっと人は集まる。それが、「行政だけで担うのではなく、民間活力を生かす」ということですよね。
活動が閉塞感を持つ一番の理由は、お金よりも何よりも「どうせできない」という諦めの気持ちではないかと思います。
・・・というわけで、いつかは私の事務所も地域の拠点にしたいのですが なぜまだそれができていないかというと、人手がないから・・・あらやだ。言うは易し、だということが分かりますね(苦笑) だけど私は諦めたわけではありません。4年間のうちできっと理想に近づけるぞと思っています。信じて、信念に基づいて頑張っていればきっといつかは道が開けるはずだと思っています。
「蕎麦屋に来たの?おいしいんだよ、あの蕎麦屋。」とトヨペットの方。
で、どこかに去っていって、なにやら資料を持ってきてくださる。
ああ、はあとねっと輪っふるの資料を持ってきてくれたのね、と見ると・・・蕎麦屋の記事だった。
私「!!・・・あ、蕎麦屋の資料でしたか・・・」
でんださん「あら!蕎麦屋!はあとねっと輪っふるの資料じゃないのね」
トヨペットの方「ああ、資料?あ、そうか・・・(と、また去って資料を取りに行く)」
その後みんなで蕎麦屋に移動して、めでたくそば焼酎のそば湯割りを飲みました。
でんださんのお酒の飲み方は、とても私に似ている。
なんでそう感じるのか分からないけれど、とても他人とは思えない・・・ある程度飲むと、「うふふ」とかしか言わなくなるからだろうか・・・(笑)
また年末にでも飲もうねと約束しました。
でんださんから、「若くして議員になると、自分は立派な人間だと勘違いするんじゃないかと心配なの」と言われました。
それは私自身、気をつけたいと思っているところです。議員であることを意識しないで済む活動をするようにしてみたり、今でも朝の駅に立って通勤の皆さんの顔をしげしげ見てみたり、できるだけ議員とは友達にならないようにしてみたり(笑)、朝起きたらまず自分の中で「勘違いしてないかな」と考えてみたり。自分なりに色々工夫してみてはいるんですが、人から指摘されると改めて、「今、私は大丈夫かな」と思います。
で、昨日今日と改めてしみじみ考えてみました。
結構心配なのは、区の職員さん達がみんな優しくしてくれることです。これは、「加藤木桜子」という個人に対して優しくしてくれてるわけではなくて、議員という仕事上の関係があるから立場として優しくしてくれてるんだ、ということを常に意識していないと、だんだんその優しさに慣れてしまうのかなとふと思いました。
九州の視察から帰った後に区役所に行ったら、同行してくれた職員さんが来て、「視察ではお世話になりました」と言ってくれた。なんじゃい、お世話になったのは私の方じゃないか。職員さんが言うとしたらむしろ、「視察ではお世話しました」ではないか、と思いました・・・。変な慣習だなあと思ったんですが、こういうことに慣れてしまってはいけないですね。
自分の心の中でも気をつけようと思いますが、今度から職員さんとしゃべる時には、「あんまり優しくしないで。優しくされると、私、ダメな人間になってしまいそう・・・」と言ってみようかしら(笑)
★まちかどシネマ
今日は、人権の担当でやる「まちかどシネマ」というのに行きました。金子みすずの詩をもとにしたアニメ映画と、ホームレスのドキュメント映画。石神井公園駅の近くにある「練馬女性センター」で。
ホームレスのことがあるから行ったんですが。
2つともとても良かった。金子みすずのアニメ映画のほうは、小学校高学年向けのものらしいのですが、なんだかすごく良かった。
金子みすずは、「みんな違ってみんな良い」という言葉があるので、いじめはダメだよ、とかいうことに関連付けて小学生にも紹介されることが多いようですが、やっぱり国文学って、ある程度年をとって読むから良いのですよね。金子みすずは26歳で自殺をしたのですが、その心にどんな思いがあったのか、ということを考えてみるからこその作品の深みであるような気がします。
福祉の仕事をしていたわりに、福祉とか人権とかの映画ってあんまり見る気がしないのですが(「言うことは良く分かるけれども、見ると気が重くなる」というのでは、一般の人は避けてしまうんじゃないかなと思うので)今回は思わぬ収穫でした。
参加者が少ないのが残念。「人権」とか「福祉」とか、難しい言葉ではなくて、もっと区民の皆さんが「見に行きたい!」と気軽に思える言葉で広報できるといいのになと思います。
視察3日目
3日目は、熊本市議会を見に行った後、市内の子育て支援施設を見学しました。
1,2階が保育園になっていて、3階が子育て支援になっている。
子育て支援というのは、保育園みたいに子どもを預けるというわけではなくて、親と子どもが一緒に過ごして困りごとを相談できるスペース。
見学に行った場所は、保育園と一体的にやっているために、保育士さんが支援活動をしている。
虐待かなあと疑われる場合は、その人が住んでいる地域の保健センターに連絡するような体制をとっているとのこと。
「保育園で子どもだけを見ているときには、『なんでこの子はこんな暴力的な態度をすることがあるんだろう』と不思議に思うこともあったが、親も一緒に来る場での支援をしてみて、『ああ、お母さんがこんなに不安を抱えていたから子どもも不安定だったんだ』と発見することもあった」といったお話をしてくださいました。
子育て支援の取り組みは、NPOがやったり、地域の方がボランティアでやったり、色々とありますが、保育園に併設させて保育士さんがやるという一番大きな意味は、保育士の専門性を向上させられるという部分が大きいのではないかと感じました。
子育て支援の重要性が言われるようになるとともに、保育園は、通ってくる子どもだけではなくて地域の子育て支援の機能が求められるようになりました。保育士の制度も少しずつ変化していまして、子どもの育ちの支援だけではなくて家族支援も力を入れて勉強させられるようになってきています。
だけど、それはまだまだ端緒についたばかりという印象があります。私は、福祉施設の研修機関で働いていたときもありましたが、保育士さん対象の研修のアンケートを集計していると、どうしても視点が子ども中心になって、親に対しては「きちんと子育てできない親がいけない」というように、子どもを守るあまりに親を責めてしまう視点の人も結構いるなあという風に感じたことがありました。
いくら機能として、保育園が地域の子育て支援機能を持ったとしても、やはりまずはそこにいる保育士の意識が地域や親に向かって開いていかなければ実効性は持たないわけですね。
今回視察に行った場所のように、物理的に子育て支援を併設してしまえば、関わる保育士は否応なく親や地域に目を向けなくてはいけない。
目を向け始めれば、普段関わっていた子どもの背景にいる親や地域に対しても共感を持って関わることができるという広がりが持てる。
保育士が、ソーシャルワークの力を持つことができるようになるのですね。
ソーシャルワークってなんじゃい・・・って??
何か問題が起きたときに、その問題の渦中にある個人だけに目を向けるのではなくて、ほかの人とのかかわりや物との関わり、「社会」との関係性にまで目を向けた上で支援をする、というようなことです。
子どもの健全な育ちは、ただ物理的に子どもに物を食べさせたり着替えをさせたりするだけではなくて、家での生活との連続性を持たせることであったり、近所づきあいという社会性を持つことであったり、親の持つ不安に思いを馳せることも必要になってくるわけです。
社会全体に目を配りながら仕事をするというのは、なかなか誰にでもできることではないというものでもあります。だからこうやって複合施設にすることで、目を向けざるを得ない状況にするというのも一つのいい方法なんではないかと思いました。
視察から帰って翌日の朝に石神井公園の駅頭に立ちましたが、さすがに疲れて頭がくらくらしました(^^;
その後もこの数日は遠出をしたりして、バタバタしております。
バタバタして忙しいなあと思いながら家に帰ってきてふっとテレビをつけると、テレビの中では民主党がバタバタしていたりして
あらあら・・・
月曜の朝に大泉学園の駅に立ったら「かとうぎさんって、そういえば、民主党だったよね」なんて声をたくさんかけていただいて、「へへ、まあ、そうです」なんて返事をしたりして。
政治の世界ってやっぱりよく分からないなあと多くの方が思ったのかなあと思います。
私が政治の世界に来てみてちょっと見えてきたことを一つ書きますが・・・
政治って、何だと思いますか?
私は、社会を変える「手段」だと思うのです。
行政が、社会の仕組みの多くの部分を執行しているけれど、「本当にそのやり方でいいの?」とチェックしていくことで社会を良い方向に変えていく役割ではないかと思います。だから、議員になるというのは社会を変える一手段にすぎなくて、他の方法でも構わないのだと思うのです。NPOとして提言していくというのでも、一般の会社で働きながら余暇で社会に関わりを持つのでも、社会を変えていくことはできると思うので。
ところが、これまたどんな分野でもそうですが、手段と目的を取り違えてしまう人も世の中にはたくさんいますね。
他の例で挙げてみると・・・例えば、大学に入るのは、本来は入学後に何を勉強するかということが重要なはずですよね。それなのに、いつの間にか大学に入ることそのものが目的化してしまって、合格してしまったら目標を見失って五月病になってしまう人もたくさんいるのですよね。これも、手段と目的を取り違えてしまった例だと思います。
議員というのも、「社会を変える」という手段としてではなく、「議員であることそのもの」を目的だと取り違えてしまうと、権力争いになったり、よく分からないゴタゴタになったりしてしまうのではないかと思います。
議員自身も手段と目的がごちゃごちゃになっている場合があると思いますが、報道する側や有権者の捉え方の中でも、これがごちゃごちゃになっているのではないですかね。
みんなして手段と目的がごちゃごちゃになった議論をしているから、何が何だか分からなくなってくるような気がします。
今回の問題については、まだ私も何が何だかよく分からないのですが、とにかく、政治に関して考えるとき、「これは本来の目的なんだろうか、それとも手段であるはずのものなんだろうか」と考えてみると、ちょっと分かりやすくなるのかなと思います。
視察2日目
★視察の2日目、10月31日は、福岡市にある健康づくりセンター「あいれふ」というところに行きました。
写真は、クリックすると大きく表示されますので、そうやって見ていただければと思いますが、写っている人々は視察に行ったメンバーです。
人が写ることを意識せずに撮った写真なんですけれど、よく見てみるとみんな、看板を指差して確認したりして、「私どもは、ただいま視察をしております」という感じの、なかなか良い絵になっていますね(笑)
あいれふは婦人会館、消費生活センター、保健福祉センター、精神保健福祉センター、健康づくりセンターの複合施設です。市民のふれあい、という意味を込めて、「ふれあい」を並べ替えて「あいれふ」という名前にしたんだとか。うーん、なんで並べ替えたんだろう・・・と思いつつ(笑)
改めて調べてみたら、「愛」とか、頭に"ref"のつくいくつかの言葉の意味もこめているみたいです。
http://www.kenkou-fukuoka.or.jp/airef/faq/anser.htm#a01
健康度診断といって、普通の健康診断に加えて体力テスト等をやるというものや、禁煙教室、マタニティースクール、食育など、啓発をやったり、そこに参加する人のデータを集めた調査研究活動をやっているということでした。
ストレス度チェックなど、パソコンを使って実際にやってみることができるコーナーもあって、興味深かったです。
食事のバランスをチェックできるスペースもありました。
レストランのショーウインドーに飾ってあるような、蝋でできた食品サンプルがたくさん置いてある。
ここから、普段自分が食べているものを選んでいって、その食品名をパソコンに入力すると、食事のバランスが分かるしくみ。
現実に即しているなと思ったのは、嗜好品も置いてあること。
ビールのサンプルを手にとってしげしげと眺めていたら、区の職員さんが写真を撮ってくれましたが、あの写真はいつかいただけるのかなぁ・・・。大体私は、お酒を持っている時の写真がベストな笑顔で撮れるみたいなので、ぜひ手に入れてブログに載せたいですね(笑)
それで、早速、私が普段家でとっている夕食に近いサンプルをセットしてみました。
ご飯と刺身と餃子と納豆と、おひたし。そしてビール2杯とワイン2杯。
パソコンに私の年齢、性別、身長、1日の運動量を入れた後、食品サンプルの脇にシールで張ってある番号を入れていく。そうすると、自動的に食品名と栄養がパソコンに出るというしくみです。
で、出た結果がこれ。
食育で、主食と副食、乳製品等がバランスよく取れると、独楽のような形が成り立つという図が、この数年出されています。
上の写真によると、私の独楽は、独楽の形になっていませんね・・・。
自分でも日常的に「乳製品が少ないなあ」など感じていることもありますが。。
健康センターの職員さんが見てくれて、「あらまあ、まさか毎日こんなではないですよね」とおっしゃる。
私「うーん、大体こんなもんです」
職員さん「おかしいわねえ」
私「おかしいですか!?」
職員さん「エネルギーが高すぎますよ。」
私「はあ」
職員さん「見た感じ、太っているわけじゃないのにねえ。おかしいわねえ・・・。」
私「ほう」
職員さん「あ!分かった!内臓脂肪が多いんでしょ!!」
私「うーん、言われたことないですが・・・」
内臓脂肪が多いんじゃないかという発見を、そんなに嬉しそうに言わなくたって・・・と思いつつ。。
職員さん「そう?言われたことないですか・・・うーん、おかしいですねえ。若いからかなあ。おかしいなあ・・・」
と、そのまま去っていく職員さん・・・あれー、私を置いていかないで、と思いつつ。。
納豆を食べていると健康的だと信じていましたが、どうやら納豆でバランスは回復されていないらしいです。難しいなあ。
まあでも、なんで時々胃腸がおかしくなるのかという原因が分かったように思いました
しかし、「健康」というのは、難しいなあと思います。
以前働いていたデイサービスに来ていた認知症のおばあちゃんは、たばこが好きでした。家族は健康の心配をしていて、だけど完全に禁煙というのも酷だから、「一日1本だけにしてほしい」と言っていた。
おばあちゃんは、吸っている時はとても幸せそうだけれど、終わるとすぐに「さっき吸ったばっかり」ということを忘れてしまうので、一日1本に制限されると、いつもたばこを探してウロウロ歩き回ることになる。
「うーん、私は小さい時から煙草のみだったんだよ。(←!) 好きなんだよう、吸わせておくれよ」と泣きそうな顔で言われて、デイサービスのスタッフも困って一緒に泣きたい気分になったものです。
そうなると、「健康って何なんだろう」と思います。
もし私が年をとって、施設に入って、そこの職員さんやら孫たちに「桜子さん、体に悪いからお酒は1日コップ1杯にしておきなさい」と言われたら、やっぱり上に書いたおばあちゃんみたいに泣きたくなると思います。
ああ、この年になって、体や頭が思うように動かなくなってしまったばっかりに、唯一の趣味であるお酒について他人からとやかく言われる立場になってしまった、ああ、情けない、悲しい悲しい、と思うだろうと思います。
だから、「自分らしく生きる」ということと、「死ぬまで健康に生きる」ということの兼ね合いを、しみじみと考えます。
その答えを出すために、私は福祉の仕事をしているのかもしれません。
★あいれふ見学後は、3日目の視察場所の近くである熊本に移動。
熊本城の近くの宿舎に着いてからは自由時間があったので、またまちの中を歩き回りました。
市電の線路上のせいなのか、信号があっても横断歩道がない道がありまして。
「あら?あら?ここ、渡っていい場所なんだろうか・・・」と思いながら渡るという感じでした。
この商店街には「さしより手形」という商品券みたいなのがあるそうです。1枚1050円で、3枚セットになっている。
夜、飲食をしに行く店は、新しい店を開拓するのがなかなか難しいですね。「さしより手形」に登録したお店のリストをもらうことができて、この中から行ってみたい店を選んで、この商品券の範囲内でお試しできるというもの。これをきっかけに、初めてのお店にも気軽に行かれますよ、という趣旨。
面白いですね。
試してみたかったですが、夕飯は全員で揃って食べることになっていたので、仕方なく写真だけ撮ってきました(^^;
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
ははあ。国文学はやっぱり良いですね・・・。名作というのは、読んだ瞬間に「これは私のことを言っているんだろうか」と思えてしまうものなのでしょうね。
①前回ブログ・米原公民館についての補足 ②視察1日目


ここのところのブログでちょうど良い具合に、「地域の拠点」という話を書いていましたが、NPO活動の拠点に喫茶店を置いているというのは、うむ、これは地域の拠点の香りがする。くんくん。匂うぞ匂うぞ。・・・と思って中に入りました。



こりゃあ素敵だ。捨て犬・捨て猫が殺処分されるという社会問題について特に考えていなくても、お茶を飲んでいてふっと目をやって関心を持つことができる。その敷居の低さが、地域の拠点となり得る条件のひとつではないかと思います。
ところで、なぜ、私がこんなに屋台を気にしているかというと、ただ単に酒飲みだから(!)ではないのです。