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この1週間の活動


最近あんまり書けなかったので、1週間分の活動をまとめて書きます。

★先週末、障害者の団体で活動している方のお話を伺いました。
障害者自立支援法は、障害者の就労支援に力を入れている。
障害の程度に合わせて、どのサービスを利用するかを考える。だから、障害の程度や発達状態でそれぞれの居場所が変わってくる。
そういう状況が、ご本人や保護者の方にとっては不安な状況なんだなと、お話を聞いて思いました。障害程度によっては、今までいた作業所にはいられなくなってしまうかもしれない。何年か経ったらまた違うところに行かないといけないかもしれない。

障害がなくても、自分の職場がどこになるか、それがいつまで継続できるのか分からない状態に置かれたら不安でしょう。
障害のある方が今、そういう状況に置かれてしまっているという現実を聞きました。

障害者自立支援法ができたことによって、今まで慣れ親しんでいた仕事場所を移動しなくてはいけないかもしれない。そして、いつになったら安定するのかもなんだかはっきり分からない。
保護者の方はただでさえ、「親が死んだ後に障害のある子どもはどうなるんだろう」と不安を持っているというのに、法律がちょこまか変わるから余計に不安になってしまっている。

私が議員になろうと思ったきっかけは、福祉の仕事をしているときに直感として「どうも制度は当事者の思いを汲み取っていないんじゃないか」と感じたからでした。
でも、議員になってみて改めて、まさかここまで当事者の思いが汲み取られていないとは思わなかったわ・・・という感じです。

自立支援法を設計した人に悪意はなかっただろうけれど、でも、それを作ったら当事者がどんな気持ちになるかというところまでは見られていなかったんだろうなと思うのです。

もう少し当事者の思いを汲み取るしくみを作らないとダメですね。

★土曜日には、大泉にできる予定の子ども家庭支援センター&障害者地域生活支援センターの説明会。
東大泉5丁目に、平成22年度にできる予定のもの。
今は普通のおうちがあって、桜の木がある、という場所を区が買い取って、桜の木も保存しつつ施設を作る予定。ただ、具体的なことはまだこれから決まるというところでの説明会。

まだ具体的に決まっていないだけに、施設に関する質問はあんまり出なくて、「桜の木の管理はどうするのか」というやり取りが中心でした。
「桜は1週間はきれいだけど、それ以外の時期は管理が大変なんだ」という近隣の方の声がぶつけられていました。桜、桜、と言われると、なんとなく私の名前が呼ばれているような気分になって、どうも落ち着かなかった(^^;)


施設に関しては建物のこととか、もう少し具体的になると色々とご意見が出てくるのかもしれませんね。それでも早めに説明会をするというのは、信頼関係を作っていくには必要なことなんだろうなと思います。

ちょっと思ったのは、「今回の説明会はまだこの程度の内容しか決まってない段階のものなんですよ」と事前にお知らせできないのかな、と。
以前、介護保険事業所で働いていた時に、介護保険の改正のための説明会が何度も何度も開かれました。開かれるたびに事業所のスタッフが参加していたんだけれど、国の制度改正の話だからあんまり早い段階に説明会を開いても、大して具体的な話にはならなかった。
今思えば、「それでも少しでも情報提供をしなくては」という行政側の配慮だったんだろうけれど、業務の合間に時間を作って説明会に出かける側としては「一体何のための説明会だったんだろう・・・」という感じだった。
だからって、やってもらえなかったらもっと不安にはなったと思うんです。説明会に行くことで「まだ自治体レベルで説明できないことばかりなんだなあ」ということだけは分かったわけだから、何も成果がなかったわけではない。
でも、そこでさらに「まだこの程度の説明なんですよ」ということが事前に分かっていれば、「じゃあ今日の説明会は行かなくても、次回に行けば良いかな」という判断材料になったなあ、と思うのです。

今回の大泉の説明会も、帰り道に参加者の声に耳を澄ませてみたら、「なんだかまだ具体的じゃないのねえ・・・」とおっしゃってた方がいたもので。「でも、慎重に進めようとしてくれてるからよね」とおっしゃってましたけどね。

★日曜日、区内のNPOの主催の講演会があると知って、出かけました。大阪ボランティア協会の早瀬昇さんの講演。
昨年の夏に、私は関西の大学でゲストスピーカーとして話をしましたが、そのとき一緒に話をした白井恭子さんが大阪ボランティア協会の職員。
それで、早瀬さんのことは色々なところで噂に聞いてましたが、実際にお会いしてお話を聞くのは今回が初めてでした。

私は、学生時代から、メモを取りながら話を聞くのが得意で。逆に言えば、メモをしないと頭がボーっとしちゃうんですが(^^;
隣の席に座っている子が「よくそんなにメモできたねえ」というくらい、早く書くのは得意なので、議会の会議中にも大体メモを取っています。
ところが、早瀬さんは早口すぎてメモが取れなかった(笑)
ああ、興味深い話だなあ、と思って頭の中で吟味しようとした瞬間に次の話に移っているので、頭の中にはなんだかボワーンと「へへへ、楽しい」という印象だけが蓄積されていくといった状態で。シラフで聞いているのにまるでお酒の席で話を聞いていたときのような状態になりながら、3時間、話を聞いていました。

そんなわけで、要約してどうだったということが書きにくいのですが(^^;

だから、特に印象に残ったお話だけ書きます。

阪神淡路大震災のときのことを例に挙げて、「なぜ行政はすぐに動けず、市民団体は機動力があるのか」という話をされました。
行政がなかなか動けないのは、怠慢だからではなくて、「全体の奉仕者」という役割が邪魔をしているのだろうと。
そこにいる住民全員にとって平等になるように考えるから、そのためにはまず全体がどうなっているのかを調査しないといけない。今、目の前に困っている人が来たからといって、その人が住民全体の中でどのレベルに位置づけられる人なのかがはっきりしないうちに、勝手に動いてしまうわけにはいけない。それに、何かをする決定には議会の承認が必要だし。そして、行政職員も被災者でもあるし。
だけど、大震災のように、大変なことが起こったときには「まずは全体を把握する」なんていうことはとっても時間がかかる。阪神の場合には、5000人を超える死者が出ているらしいと分かったのが発生から8日も経ってからだったそうで。
そんな中で、行政が動きにくかったということがある。

一方で、このときにボランティアの機動力があったのは、自分が考えついた中で何をやってもどこに行っても、今目の前に困っている人がいたらすぐに助けても、何をしても構わないからだろう、と。
「こんなことに困っているに違いない」という発想は、人それぞれに違うから、なかなか思いもつかないような支援ができる。

例えば、リスを飼っていて、リスと一緒に被災した人は、リスの餌に困るでしょう。救援物資にはヒマワリの種なんてないだろう・・・・と思ったら、そこに思い至ってヒマワリの種を送ってきてくれたペット会社があったらしい。

こういうとき、行政は、住民の安全確保や遺体の処理など、考えなくてはいけないことがいっぱいある中で、ヒマワリの種まではできないでしょう。

自分の思い至ることを、自分のやりたい場所でやるというのは、ある意味「不公平」が生じるということ。「あなたがいることが嬉しい」と、相手に愛情をかけるのは、誰を相手にしても言えることではない、不公平なものなんだ、と。
たとえて言うならば、すべての子どもを愛するのではなくて特に自分の子どもを大事に思うのは、全体に対しては不公平なことでしょう。
でも、不公平かどうか、なんていうことにとらわれずに自由にできるのが、市民活動の特徴なんだ、という話でした。行政にはその不公平が許されないから。

そうか~、「かけがえのない存在」と認め合う仲を作るというのは、不公平な状態になるということなんだねえ、としみじみ。前回のブログで「かけがえのない存在と認めてもらえれば心は蘇るかもしれないけど、そういう状態になれなければ・・・」という話を書きましたが、行政サービスだとか、制度の枠内のサービスだけではなくて、いかに多彩な人と出会えるかが、人の心を溶かすポイントなのかもしれませんね。


そんな話を聞いていて、いろんな機関がお互いの特徴を活かしあうのが「協働」の本来の意味なのかなあ、なんてことを私は思っていました。
そこで、ふと、「得意な部分を自由な発想でやるのが市民活動の長所ならば、行政の長所は何かなあ」と思いました。

全体を見ること、ということでしょう。つまり、市民活動や、営利を考える企業だけでは穴になってしまう部分の穴をふさぐことでしょう。

今、練馬区で行政のスリム化を図っているわけですが、その際に、スリム化した後も最後まで残さないといけない行政の役割は、区民が生きる権利の保障なんじゃないかと思うのです。
「経営」ということばかりを言うようになってしまうならば、いっそのこと(前にも書いたけど)部長とかそういうところから何もかも全部民間に委託をしちゃえば良いわけで。
だから、スリムにしたとしても行政を残していく意味は、企業や市民活動だけでは補えない部分に目を向けるということなのではないかなあと思いました。



それから昨日は、介護保険に関する国会集会に参加しまして、それについても書きたいのですが、いつものことながら文章が長くなってきたので、次回にします。

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本の紹介―「償い」

何日か前の新聞に載っていた、小説の広告にふと目が留まりました。
「償い」というタイトルの、ミステリ小説。
ホームレスになった男性が、行き着いた街で、高齢者、障害者という弱い立場の人が殺される事件に遭遇する。事件に関心を持つうちに、かつて自分が助けた少年が犯人ではないかと感じ始める。
そんな内容紹介がされていました。

私は大学では国文学専攻でしたが、福祉の仕事をするようになってからはめっきり小説を読まなくなってしまいました。
ましてやミステリ小説なんて読むのは何年ぶりかしら、と思いながら、この本を手にとりました。
とても興味深い内容で、450ページ近くある本をほんの数日で読んでしまった。この集中力と速度でもって仕事の本も読むことができれば天才になれるに違いない、と思いつつ(^^;


ホームレスである主人公は最初、「男」と呼ばれて登場します。その理由は、

「私」が「男」という普通名詞に転落している

と表現されている。
この表現から、私は小説に引き込まれていきました。

そう。皆さんは、ホームレスを街で見かけるとき、その人の歩んできた人生や、その人が今まで名乗ってきた名前に思いを馳せたことがありますか?
路上で暮らしていても、一人ひとり事情は違うし、性格も違う。その、一人ひとりを見分けるということを考えたことがありますか?ホームレスというひとくくりの存在でとらえてないかしら・・・。

以前、ホームレスのドキュメント「あしがらさん」の監督から、「ホームレスの人って、本名ではない名前を名乗ることが多いんですよ」と教えて貰ったのを思い出しました。
それを聞いたとき、「親類を守るため」という意味なのかなと私は思っていましたが、ホームレスというひとくくりで見ている世間の目にあわせて、今までの自分を捨てるという意味もあるのかもしれないと、小説を読みながら考えました。
固有名詞から普通名詞に変わってしまった存在。とてもよく、ホームレスのあり方を捉えた表現だなあと思った。


事情を抱えた主人公は、元の自分の名前に戻って物を考えるのが怖い。過去の出来事に心が揺さぶられてしまうから。

そんな主人公がたまたま事件の目撃者になり、理解ある刑事と出会って、だんだんと固有名詞に戻る時間が長くなっていく。


物語が進む中で、心に残った言葉がありました。

人の肉体を殺したら罰せられるけれど、人の心を殺しても罰せられないんだとしたら、あまりに不公平です。

心に受けた傷がいつか癒えるなんて、どうして断言できるんです。心だって、致命傷を受ければ、死にます。死んでしまったら、決して蘇りません。


福祉の仕事をしていて、深刻な問題を考えるほど、深い穴に落ち込んでいくような気分になることがあります。
自殺のこと、虐待のこと、孤独死のこと、ホームレスのこと。
どうしたら無くすことができるか、支援策を考えるでしょう。
相談できる窓口を作ったり。入所できる施設を作ったり。当事者が語り合える場を作ったり。
それで?その先のゴールはどこだろう。そう考えることがあります。
その先のゴールは、本人の心の中にあるのではないかと。
どんなに支援をしても、本人の心の中にある氷を溶かすだけの力があるかどうかは、本人の持つ氷の大きさによると思うのです。

孤独死を防ぐために、いくら声をかけても、世間とのつながりを断ち切りたいと思ってしまった人の心を溶かすことは時間がかかる。難しいかもしれない。それでも世間とのつながりを作ってあげる努力をすることが、本当に本人の幸せにつながるのかは分からない。私は考えてしまうのです。

前回の定例会で、同じ会派の三戸英一さんが自殺についての一般質問をしていました。毎年3万人を越える自殺者がいる日本で、自治体としてどんな支援策を考えているのか、と。
その一般質問を聞いていたときも、考えていました。それはもちろん、うつ病に対する対策だとか、区として取り組まなくてはいけないものはあるはずなんだけれど、それが本当にゴールなのかしら、と・・・。ある一定のラインまでサービスを満たした後、それでも残る本人の孤独感や不安な気持ちがあったら、支援する側に何ができるんだろうか、と。
これを考え始めると、深い穴の中に落ち込んでいく気がします。
三戸さんも、調べるうちに「ああ、一体どうしたら良いんだろう・・・」と呟いていました。

「ホームレスの生活のままで良いんだ」というホームレスのことを、怠惰だという人がいるけれど、身体的にはきつい路上生活でありながら、それでも構わないと思ってしまうその人の心には一体何が起きているのか・・・。

自殺、虐待、孤独死、ホームレス・・・その渦中にある人は、人生のどこかの段階で、何らかの形で、誰かに心を殺されてしまった人たちなのかもしれない。
人の心を殺しても、罰せられないけれど。


主人公がホームレスになってしまったのも、自分が妻の心を殺してしまったと思うゆえでした。それに苦しんで自分の心をも殺してしまい、ホームレスになった。

人の心を殺しても罰せられないなんて不公平だ、と言う人に出会って、主人公は考える。それならば、人の心を殺してしまった罪を、どうやって償えば良いんだろうか、と。


ミステリだから、あまり細かいことまで書いたらだめだと思いますが(^^;

この小説の結末は温かい。

人の心は殺されることもあるけれど、決して蘇らないわけではないと、最後まで読んで思った。
以前とは形を変えたとしても、蘇り得るのだろうと。
それは、特定の誰かから、「あなたが存在することが無条件で嬉しい」と言ってもらえることなのではないかと。固有名詞で生きていくことができることなのではないかと。
だけど、そうやって「あなたが生きていてくれて嬉しいよ」と特定の誰かに言ってもらうことが叶わない人も、世の中にはたくさんいるでしょう。そんな現実に戻ると、また深い穴に落ちていく気分になりますが・・・。


最近、福祉も身近な存在になってきた証でしょうか、福祉の施設だとか、そういった福祉に絡むものを舞台にしたようなドラマなんかも時々ありますね。
でも、大抵の場合、かなりステレオタイプな描かれ方をしていて、こんなんだったらむしろ取り上げられない方がましだと腹が立つことが多いです。
でも、この小説は、社会問題を表面的に扱っているのではなくて、その当事者たちの心に流れる思いを描いていて、とても良かった。
作者の経歴は分かりませんが、福祉か何か、それに近いものに関わるような仕事か勉強をされた方なのかもしれません。

国文学出身でありながら普段は本を読むのが遅い私が数日で読んでしまった本ですので、ぜひぜひ手にとってみてください。

矢口敦子 「償い」 幻冬舎文庫。

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同窓会

昨日は、高校3年生のときのクラスの同窓会がありました。
高校3年生の時から、もうすぐ10年が経つのですが。

私は、調布市にある桐朋女子という学校に、中学から通っていました。
多摩市で市議会議員をやっている、岩永ひさかさんという方も、私より3,4歳年上ですが桐朋の出身です。


桐朋女子は、受験からユニークな学校で。

今は少し受験システムも変わったようですが、私が受験をした頃は、文系の問題と理系の問題を2日間に分けて受験がありました。

まずは時間をかけて問題の説明をされる。私のときは、たしか、「なんで冬になると窓に結露が出るのか」という問題だったような記憶。

それで、説明を聞いた後に答えを考える。すると、面接室に呼ばれ、2人の先生の前で「なんでこの答えを導いたのか」を話す。

必ずしも正答が導けていなくても、説明を聞いたうえで自分の頭であれこれ考えて導いた答えであればそれで構わない、という感じでした。

最初の答えが間違っていても、面接のときに再び考え、なぜ間違ってしまったのかを考えることができれば良い、というような趣旨の試験でした。

とにかく、わけもなく公式を覚えたり、マニュアル的な答えをするのではなくて、人の話を聞いて自分の頭で考えられるかどうかを見る、ということで、説明にも面接にもとても時間をかけていて、だから2日間にも及ぶ試験だった。


受験からユニークだけど、学校生活もユニークだった。
体育祭がとても活発で。リレーなんかが一生懸命なのはどこも同じだと思うけど、玉入れ・綱引きも命がけだし、2人3脚は全力疾走だし。応援合戦もすごかった。
生徒達はまるで何かにとりつかれたように年中行事に取り組むのですが、先生はほとんど口をはさまない。どちらかというと、「あら、今年も頑張っているのね。大変ねえ」と言うくらいなもので、でも当日だけは黒子に徹して色々手伝ってくださっていた。
卒業式は、記憶では、生徒達で準備はしてなかったような気がするけど、でも「君が代」も「仰げば尊し」も歌わなかったなあ。
たしか、「仰げば尊し」についてはどなただったか先生が、「卒業して何年も経って、大人になって思い出して、実感として『ああ、先生の存在は、ありがたかったなあ』と振り返ってもらえるならば嬉しいけれど、教師が準備して「仰げば尊し」を歌ってもらうなんて、おかしい」と言っていたような、いなかったような・・・。


たしかに、先生の愛情に気づいてありがたく思うようになったのは、社会の中に放り込まれていろんな人と出会ったり嫌な思いもしたりした、ほんのこの数年かもしれません。



体育祭の他にも、文化祭も、合唱コンクールも命がけでした(^^;

高校3年生は、大学受験の年であるにも関わらず、10月にある文化祭で演劇をやる風習がありました。優秀作品には賞がもらえるので、みんなその賞を目標に頑張る。

私はどちらかというと、若干シラッとした子どもだったので、そこまで行事に打ち込むこともなかったのですが、高校3年の劇では「舞台監督をやってね」とクラスの子に言われました。

おそらく、前のほうに座ってシラッとした顔をしていた私を見て、学級委員の子がコーディネート力を発揮してくれたのでしょう。

そのコーディネートの力にしっかり巻き込まれて、高3の劇は私もずいぶん一生懸命にやりました。

「皿屋敷」をモチーフにしたような劇だったのですが、夏休みにせっせと学校に通い、黙々と井戸の大道具を作った思い出があります。
テレビでは、同じ年齢の松坂大輔君が、甲子園で戦っていました。

クラスもひとつのコミュニティですね。
舞台で役を持っていて、元気いっぱいにやっている子もいる。あまり目立つのが好きではなくて、でも手先が器用で小道具を丁寧に作ってくれる子もいる。
受験にかなり力を入れていて、なかなかクラス行事に関われないと苦悩している子。
「受験なんて皆同じなのに、あの子は協力的じゃない」と怒る子。

表舞台に立たなくても、それぞれが色々なことを思いながら取り組んでいる。
かかわりを持てる時間数に関係なく、クラス全員が「このクラスが好きだ」と思えるようなイベントにしたいと、思ったのでした。

そしてわがクラスの劇は、賞は逃したものの、アンケートによって「もう一度見たい劇」として選ばれて、アンコール上演ができたのでした。


あれが、私が人と人のつながり作りに興味を持った最初のきっかけだったかもしれません。



昨日はそのクラスの同窓会。
言いたいことを言い、やりたいことをやってイキイキしていたクラスメートたちが、10年経ってどうなっているかしら。ヨレヨレになっているかしら。ドキドキしながら出かけましたが、みんなまったく変わらなかった(^^;

社会に出てもみんな、自由に生きてるみたいでした。


私の人格や考えを形作った学校だったなとしみじみ思いました。

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昨日の健康福祉委員会

★保育園の民間委託、行政の担当者がまったく心なしにやっているとは思わないのですが、今見る限り平成21、22年度から始まる園のうち少なくとも二つは、本当にひどいです。
福祉の仕事をしてきた感覚としては有り得ない状態です。

光が丘第四保育園はすでに事業者の募集が始まっていて、本当に良い事業者が来るのか、なぜ光四だけこんなに早急なのか、保護者の方はとても不安を感じている。

光四と同じ時期に委託が始まる予定だった豊玉第二保育園は、保育園のハード面の建て替えも時期が重なっているので、建て替え計画にあわせて委託が1年延期されました。
光四の保護者から見ると「豊玉第二は延期されて良いなあ」と思うけれども、豊玉第二は建て替えが重なることにとても不安。

結局、だれも納得してない。安心してない。
誰のための公共サービスなんでしょう。


それが分かっていながら結局今のところ何も変えられていない自分に腹が立ちます。


福祉の当事者の気持ちが置き去りにされている現状は絶対変えなくてはと思ってます。

★17日の健康福祉委員会は、項目が多くてほとんど議論はできなかったので次回持ち越しがたくさんあります。
その資料を改めて読んでいますが。

国レベルで、障害者制度の新たな考えを出したという参考資料がありまして。
区レベルでも影響があるから参考に出したという位置づけらしいですが。
タイトルは「障害者自立支援法の抜本的な見直しに向けた緊急措置」。

初めにひどい制度を作ったのが悪いくせに、制度を作った側がなんで「緊急措置」なんて正義の味方気取りなタイトルなんだ、とまず腹が立ち。

具体的には何が緊急措置かというと、ほとんど収入がない人に対して利用料がやたらと高くなったのを、少し低く抑えたのが「緊急措置」なのだそうで。
表を見るとなんだか、テレホンショッピングみたいに「元はこの価格が、なんと緊急措置でこのお値段!わー!お得!」みたいな表になっているのも腹が立ち。

福祉サービスはショッピングとは違い、生きるために必要なことなのになと思います。

小泉首相が「改革」とカッコ良く言ってましたが、それは本当に無駄遣いな部分の削減よりも、むしろ弱者にしわ寄せが行ってるんだなと、議員になってしみじみ感じています。

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★「団塊の世代」 ★ボランティア

★「団塊の世代」
今日は、町会連合会の新年会に参加しました。

今、高齢化が進んでいることもあり、災害が起きたときに助け合わなくてはいけないという問題もあって、地域のつながりづくりが課題になっています。
そこにどんな人が住んでいるのかの把握は、ご近所さんのつながりが基本になる。
一方で、町会の加入率は下がってきてしまっている。

区としても、町会の活動支援が必要だということで、色々やっているということです。

区内の町会が連絡を取り合うための組織が町会連合会。

区としての支援の一環なのでしょう、新年会場に行くと、受付には区の職員さん達が立っていた。


受付してもらっていると、そこにいた職員さんが、突然私の顔を見て「団塊の世代!」と叫んだ。

えっ・・・
いったい、何のことだろう・・・

たしかに、私は音楽の趣味も、物事の発想も老けています。
会派の仲間で、打ち上げなんかで飲みに行って、カラオケなんかすると、倉田れいかさん(26歳)に「加藤木さんの歌う歌、ずいぶん古い歌ですねえ。私、知らない~」と言われたりして(笑)
その分、4,50代の人と話をすると妙に話が合ったりして。だから、「私の精神年齢は50代だ」とひそかに思っています。
だけど、外見だけは20代に見えると信じていたのに。(ちなみに私は27歳です。)

それなのに、私の顔を見て、「団塊の世代」という職員さん・・・。
ああ、私は、外見までもがそんな年に見えるんだろうか。

あまりのショックでしばらく受付に立ち尽くしてぼーっとしていたら、その職員さんが「あのときはありがとうございました」と言葉を継ぐ。

・・・ん?

その言葉を聞いて、我が頭の中の情報を整理。一瞬で頭をフル回転。

あ、そうだ。分かった。
以前、ブログにも書いた堀田力さんの講演
これが、団塊の世代の方々の地域参加について考えるということで行われた集まりだった。
そして、この講演の担当と、町会の支援をしている担当部署が同じだったのでした。

だから、「あの講演に来てくれてありがとう」という意味だったんだと、ハタと思い当たりました。

ああ、良かった。「かとうぎさんは団塊の世代ですね」という意味ではなかったのね。ホッ。


★ボランティア
昨日は、地域で活動している団体の交流会があるというのが、区報に載っていたので、見学させてもらいました。

いろんな分野でボランティアをしている団体が、地域別に分かれて情報交換をしていました。
私は、大泉地域の皆さんの意見交換を、脇からこっそり覗いていました。

人材不足について、というテーマで、みんなが意見を出し合っていた。
福祉分野は有給スタッフの不足というのもありますが、活動分野や団体数が増えている中では、ボランティアさんも集まりにくくなっているという話。

ボランティアさんに長続きしてもらうためには、その団体の活動の意義を伝えて、モチベーションを上げてもらえるようにしないといけないよね、という話だとか。
ボランティアをする側も、活動を通して勉強になることがあったり、得るものがあるのだから、どちらか一方が与える側、という関係ではなくて、お互いに与え合う関係だね、というような話や。
だからボランティアさん自身が、「相手のためにやってあげなくては」というだけではなく、「そこにいて楽しいからまた行きたい」と思えるような場所にしていくことも、ボランティアさんが集まるためには必要だね、とか。

そんな意見がありました。


そうそう。
私が、福祉の活動を始めたころの話ですが。
私が20歳になる時に母が亡くなって、私自身も生きていくのが辛いなあと思ったときがありました。
そのときにふと、「でも、今までいろんな人から愛情をもらってここまで大きくなったんだから、その愛情を誰かに返すことができるまでは頑張って生きよう」と思いました。
それで、色々と活動を始めてみた。

地域の手話サークルに入って、手話を習った。
こりゃあ、ボランティアといえるのかしらん?と思いながら。手話サークルに入ったからってすぐに聴覚障害者の役に立てるわけでもなくて、むしろ手話を教えてもらうばかりなんだから。
なんだい、役に立とうと思って手話サークルに入ったのに、ダメねえ・・・と思いまして。

ハンセン病の裁判の支援の活動をしてきたときも、いろんなことを元患者さんたちに教えてもらっていて、これまた私が役に立ったと言えるんだろうかなあ、と思った。

今までもらった愛情のお返しに、誰かのために何かをしなくちゃと思えば思うほど、逆にもっといっぱいの愛情をもらってしまう。
ありゃー。これじゃあいつまで経っても「愛情の返済」が終わらない(笑)

参った参った、と思いながら、大学を卒業し、福祉を職業にしました。

それで、ボランティアに関する活動をする人に出会ってやっと気づいた。
ボランティアっていうのは、どちらかが一方的に善意を与えるものではないということ。
「奉仕」とは違うのですね。

いつまでも愛情を返済できないと思って困っていたけど、そんな愛情のやり取りを楽しむのがボランティアなんだということに気づいた。
それに気づいたら、世の中で起きるいろんなことが急に楽しくなってきたのでした。

ボランティアさんをつないでいく職業にある人は、愛情のやり取りがより愉快に起きるようにコーディネートをしていくのでしょう。

そんなことを、皆さんの意見交換を聞きながら思い出しました。

楽しい意見交換の会でした。

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成人式

今日は成人の日。
議員は来賓で参加できるので、初めて行ってみました。

私はあと3ヶ月ほどで28歳になるので、さすがにもう新成人には見えないだろうなあと思いつつ(^^;

行ってみて、新成人を見てみたら、同じくらいの世代だというよりも、なんとなく「教え子」という感じがしました。

教育実習で教えたり、ゲストスピーカーでお話をした学生さんたちと同じくらいの年代が新成人だからだと思います。

私が教育実習に行った年(私が大学4年の時)には中学3年だった子達が今年成人する計算です。
うむ、そう考えると、同じ20代とはいえ、同年代と呼んでいいものかどうか・・・(^^;


「成人の日を迎え、大人になったという自覚と責任を持ってください」という来賓の挨拶。
ふむふむ・・・と思いつつも、何かしっくりこないモヤモヤが私の胸によぎりました。
大人としての自覚を持つこと、責任を持つこと、それは当然のことなのに、なぜモヤモヤするのかしらん。

・・・尾崎豊が好きだからかな・・・
いや、そういうことではないなあ・・・(笑)

来賓席に座ってぼんやりと考えていました。

そして考えつきました。
「大人の自覚を持つ」ためには、そもそも大人とは何なのか、を知らなくてはいけないと思います。
どういう風にすることが「大人」で、どういうことをしてしまったら「大人としての自覚が足りない」のか。定義がなければ分からないから、私の気持ちはモヤモヤしたのでした。


決められたルールを守ることが、「大人」なのかな。

例えば、「ポイ捨てはやめよう」というようなことは、分かりやすいルールだから、守らない人は非難されるでしょう。
でももう少し複雑なルールだったら?

ハンセン病の人たちを隔離してきた「らい予防法」は、1996年までありました。
実際には、もっと何十年も前から完治する病気になっていたのに、差別意識から、たった10年前まで法律を見直さないまま来たのです。
そんな悪法であっても、ルールはルールだ。

誰が苦しんでいようと、悲しんでいようと、ルールで決まっているから守るのが「大人」なのかな?と考えた時、「ルールを守ることが大人」という言葉が疑問に思えてきませんか。

ときには、今あるルールに疑問を呈して、弱い人を守るため、社会を変えるために闘わなくてはいけないときがあるはず。
そうやって闘っている人は、「大人」なのか、「大人らしくない」のか。


それが分からないから、私の心はモヤモヤしたのでした。


大人らしくなるって、具体的にはどういうことなんでしょう。
ご存知の方は教えてください。



私が、もう大人として生きていかなくてはいけないんだと覚悟したのは、母が亡くなったときだったと思います。ちょうど私が20歳になる年でしたが。
今まで守ってくれていたものがなくなって、社会の意地悪さや汚さの中にぽんと放り込まれたような状態でした。
多くの人が、「しっかりして生きなくちゃ」と思うのは、20歳という年の節目よりも、一人暮らしをするときだったり、就職する時―社会に放り込まれるときなのではないかしら。

意地悪な「オトナ」もたくさんいます。そんな人に出会っても、心を折らず、卑屈にならず、媚びることなく自分の信念をそのまま信じて、のびのびと愉快に生きていければ良いのではないかと、私は思います。

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最近の活動

★「かとうぎ桜子を育てる会」の収支報告を3月までに出さないといけないので、今、せっせと整理をしています。
私の政治活動にかかる費用が見えやすいように、収支報告を出すんですね。
私の活動は、本当に私一人でやっているので、こういう処理も私がやっているのです。
これから1週間くらいで片付けてしまおうと思っているので、この1週間ほどは事務所にいることが多いと思います。お近くにお立ち寄りの方は覗いてみてください。目玉に「\\」マークが出た私がそこにいると思いますので・・・。

★そんな会計の処理をしつつ、今の時期は新年会シーズンでもあります。私も、そんなにたくさんではありませんが、いくつか参加させてもらっています。
他の議員さんともご一緒する機会もありまして、議員さんたちの挨拶を聞くのですが、皆さん話がうまいんですねえ。議会の中では演説口調で話すわけではないから気づきませんでしたが(^^;
私は本当に、いまだに人前で話すのが得意ではなく。できれば「前に出てきてください」と言われないことを祈りながら会合に参加しています。
昨晩出た集まりは、先輩のすがた誠さんが一緒だったので、お話はすがたさんがしてくださったので良かったのですが、私はすがたさんの隣に立ってオドオドしていました(^^;
こんなことなら、大学時代に落語研究会に入って、話し上手になっておけばよかった、という後悔の念に唇をかみしめつつ・・・。

なんで皆は堂々としているのに私はオドオドしてしまうんだろうと思ったらだんだん落ち込んできまして。
挨拶が終わって自席に戻り、隣のさんのへ英一さんに「なんで皆は話が上手で、私はダメなんでしょう・・・」とぶつぶつ愚痴る。
そんな私の落ち込んだ気持ちを知ってか知らずか、「加藤木さんもそのうち、みんなの前で話をするようになるんだよ、あはは」と陽気に笑うさんのへさん。
「そんなことよりさ、見てご覧よ、おいしそうな料理がいっぱいだよ」と目を輝かせるさんのへさん・・・。「んんん、そうですねえ・・・」と生返事をしながらまだウジウジする私。

そんな新年会シーズンです。


★練馬区は今、「福祉のまちづくり条例」を作るための準備をしています。その集まりがあるというので、昨日の午前中、傍聴させてもらいました。

バリアフリーを進めるための法律があって、それを地域レベルで推進するために区としての条例を作るというもの。
バリアフリーだから、建物にも関わるし、福祉にも関わる。
国レベルの法律も、福祉分野ではありながら国土交通省が関わるというものですが、区レベルでも、建築関係の部署と福祉関係の部署が関わりながら検討を進めています。
そして、福祉の活動をしている人や当事者といった区民も参加しながら会議をしている。


練馬区は、区民参加の会議を開く時に、コンサルテーションの会社にお願いして会議をコーディネートをしてもらうという文化があるみたいです。
私がかつて働いていた新宿では、コーディネートまで行政職員がやっている場合が多かったので、専門家に依頼するというのは練馬の特徴といえるんだと思っています。予算的には、力を入れているといえるのかもしれません。

ただ、外部に依頼するべきかどうかは、一つ一つについてもう少し検討しても良いのかなと思いますが。例えば、基本構想の集まりについては、むしろ参加している区民か行政の職員がコーディネーションまでやった方が面白かったような気もするのですが。

どこかに依頼するというのはお金もかかることですし、無条件に外部機関にお願いするよりも、場合によっては行政職員のスキルアップの役割も兼ねて内部でコーディネートの役割を果たしても良いような気がします。


外部にコーディネートを依頼している会議で、私が議員になってから見せてもらった会議は、大江戸線延伸に関する集まりと、基本構想の集まりと、今回の福祉のまちづくり条例の集まりですが、今回見た会議がとてもうまく外部機関を活用できていたように思いました。

それは多分、建築関係と福祉関係にまたがる会議だからだと思います。

行政の人は責任感が強いのでしょう、いつも一生懸命に自分の責任で答えを出そうとしていらっしゃる。
でも、福祉のまちづくり条例の場合、2つの部署にまたがるから、どっちが責任を持つかがなんとなくぼんやりしてくる。
そんな「ぼんやり」な状況の時に、行政職員の頭のよさがものすごく発揮されるのではないかと思いました。

とりまとめは委託しているコンサルテーション会社の人たちがやってくれるので、参加している行政職員も、区民と同様に素朴な思いを語っている。

いつもは自分の受け持ちの内容を説明したり、言い訳したりすることに終始している職員さんが、この会議ではもっと気負わずに発言していらっしゃった。それを見てしみじみ、ははあ職員さんって頭が良いんだろうなあと思いまして。

「頭が良い」って、ただ勉強ができるというだけの意味ではなくて、状況から判断して意見を言うことができるということだと思いますが。
行政職員の方は、多くがそういう力を持った人なんだろうなあと思いました。

私がいつも、眉間にしわを寄せて考え続けて3日くらい経ってようやく思い至るようなことを、一瞬にして考えつくのが行政職員の皆さんの頭の構造なんではないかと思ったのです。
その良さが、昨日の会議でよく発揮されていたように思いました。

でも、組織に属していると、思ったことや考えたことをなんでも表現できる場面ばかりではないんだろうなと思います。良くも悪くも「組織」の力ですね。
それにひきかえ、組織に関係なく発言できる私なんぞは頭の回転が鈍いときた。世の中うまくはいかないものです。

行政職員のせっかくの力を、もっと活かしたり、区民の皆さんにお示しする機会が作れないものだろうかとしみじみ思いました。
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小学生の頃の思い出

意外にあっという間に熱が下がりました。一体なんだったんだろう・・・。
というわけで、昨晩慌てて活動レポートを完成させて、今朝の大泉学園駅でのご挨拶から仕事を始めることができました。


そして、今日は区の主催の「賀詞交歓会」。
私は今回はじめての参加でしたが、毎年、年明けにとしまえんでやる会です。区内で色々な活動をされている方が参加していらっしゃる。
人がいっぱい。
さすがに病み上がりだと頭がクラッとしたり鼻がタラっと垂れたりしました。


人間の文化って面白いですね。つい1週間くらい前に「今年はお世話になりました」と頭を下げて、また今週になって「今年もよろしくお願いします」と頭を下げる。
若干ヨレヨレするので今日はほとんど車で移動していましたが、車内のラジオで「年始のあいさつ回りの渋滞が起きている」という声が流れてました。
「人間って挨拶が好きなのね。不思議だわ。」と独り言を言っておりました。


でも、人が集まると、ご無沙汰してしまった方に再会できたり、思いがけない出会いがあるから面白いですね。



さて、ようやく書けますが・・・昨年末の、基本構想の中間報告会について書きます。

何度か書いていますが、今、練馬区では基本構想の見直しの作業を始めていて、区民による懇談会を行っています。
福祉、教育、環境まちづくり、区民生活の4つの分科会に分かれて話し合いをしていて、その中間まとめの発表会が12月にあったのです。


その中で、ひとつ心に残ったこと。

教育の分科会からの発表で、「今、親になりきれない親が増えているので、親に対する教育や、道徳教育が重要だ」という意見がありました。

ふーむ、そうか・・・と思いまして。
同様の意見は、議員の中にもあります。だから、懇談会も議会も、社会の中の価値観の反映なんだなと思いました。


福祉の関係の人は、「親を教育しよう」とか「道徳教育だ」という考え方はしないので、こういう意見を聞くと、とても違和感を持つ人が多いと思います。

私も、今まで思ったこともない考えなので、正直とても違和感があるのですが、でも、そういう考えの人も世の中にはいるんだということは受け止めないといけないなと思っています。これは、福祉の世界だけで生きていたときには得られなかった体験です。

福祉の考えだと、高齢者であれ子どもであれ、保護者であれ、「問題行動」と言われるような行動であったり、反社会的なことをしてしまう人がいるとき、「なぜそうしてしまうのか」ということをまず考えると思います。何がその人の社会性を阻んでいるのか、に思いを馳せるのが第一だと考えるので、それを「道徳教育」ということで済ませていいのかしら、と思うわけです。


こんなことを考えていて、私自身の子ども時代の体験を思い出しました。

私は、10歳まで千葉の松戸で過ごしました。私が通っていた小学校は、どちらかというと周辺が新興住宅街で、新しくてキレイなマンションが林立していました。高学歴で転勤族の子どもが多く、みんな塾に行って競争しあっていて、「僕んちのお父さんは○○大学出なんだ」と言い合っている子が多かった。

女の子は誕生日になると、きれいに着飾って、お友達を呼んで、「お誕生日会」をする習慣があった。

学校の規模も大きかったから、1学年の全員を覚えることもなかなかできない。私はのろのろした子どもで、いつもぼんやりしていました。勉強の出来具合も中くらいだし、運動は苦手だし、何も目立つところもなく過ごしていた。

それが、10歳の時に、都内の、町工場の多い下町のような地域に引っ越しました。

1学年は50人弱しかいない。小さなアパートに住んでいる子もたくさんいた。松戸で勉強の出来具合が中くらいでしかなかった私が、「随分勉強ができるのね」と言われるようになった。
人数が少ないから、良くも悪くも一人ひとりが目立つ。

小さなアパートに住んで、共働きの家のAちゃんは、家に帰ると一人で過ごしていた。両親はとても忙しいのでしょう。食器の片付けもままならない様子。そんな家の状況に、その子は慣れて過ごしていた。

Bちゃんのお母さんはシングルマザーで、水商売をしながら3人の子どもを育てていた。お母さんが夜に出かけてしまうので、子どもも夜に出歩くのが当たり前になってしまっていた。

そんなBちゃんの家庭を見て、Aちゃんのお母さんはAちゃんに、「Bちゃんみたいな子と遊んではいけません。不良になるよ」と言っていた。
そんな言葉は、どんどん広まってしまう。良くも悪くも、一人ひとりが目立つ地域だから。

こんな親子が集まる地域を目の前にして、どうしましょう。Aちゃんの親に道徳教育をしたら、Bちゃんの悪口を言わなくなるんでしょうか。Bちゃんの親に道徳教育したら、Bちゃんは夜間に徘徊しなくなるでしょうか。

そんなに簡単なことではないと思います。


「貧困」は、お金の貧しさだけではない。
家事がきちんとできない家庭環境が当たり前だと子どもに思わせてしまうことも。子どもが夜遊びしても構うことができない状況も。「うちも苦しいけれども、あの家よりはましだわ」と、より弱い人をはけ口にしてしまう心も。それらを全部含めて、「貧困」だと思うのです。
それは、「道徳教育」だけでは解決できない。

競争社会で着飾った新興住宅街から、下町へ。同じ時代なのに、地域によってこんなに子どもの置かれる状況が違っていて良いんだろうか。
10歳の多感な時期に移動をしたことで、私の性格はナナメになったんだと思います(苦笑)

新興住宅街も下町も含めて、小学生時代の思い出が、私は一番嫌い。一番戻りたくない時期。
でも、思えば私が福祉に関心を持つ一番の源は、この体験だったに違いないと、今ブログを書いていて気づきました(^^;

でも、思春期に入り始めたことと、こんな社会に対する不信感でクチャクチャになりかけていた私を助け出してくれたのは学校の先生でした。

だから、教育が大事なのは間違いない。

だけど、私を救ってくれたのは道徳教育ではない。腐りかけていた私の中にある、かけら程度の良いところを見つけ出して、「加藤木さんは、頑張り屋さんね。本当に、頑張っていると思っているよ」とずーっと声をかけ続けてくれていた担任の先生の存在です。

10代はじめの私は、「ふん、先生なんかに何が分かるか」と思っていたけれども、その先生の言葉によって私は大きくは道を踏み外さずに来られたんだと思います。

腐りかけてしまっている人や、周りに思いやりを配れなくなっている人に、「でも、あなたが一生懸命に生きているっていうこと、分かっているよ」と声をかけてくれる人が一人でもいれば、人は変わっていくんだと思うのです。

ちなみに、私に声をかけてくれた先生とは、今でも交流がありまして。先生は、私が選挙に出ると聞いて、とても喜んでくれました(^^)


区民懇談会の中間報告を聞いて心に浮かんだのは、そんな、思い出話でした。

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仕事開始が遅くなりそうです…

来週月曜日から仕事を本格的に始めるために、駅で配るレポート作りなどを今日から始めようと思ったら、熱を出しました…

いやはや。

たまに熱を出すと頭がクラクラしますね…。

こんなときには、リンゴでも剥いて枕元に持ってきてくれるお母さんが欲しいですね(^_^;)

前に予告した、基本構想についてのブログも半分書きかけているのですが、最後まで行き着かないうちに、力尽きました…

今はベッドの中で携帯から書いています。
早く復帰できるようにしたいと思います…。

新年

なかなか更新できないうちに、2008年になりました。

今年も皆さまにとって、素敵な年になりますように・・・。


私はヘルパーの仕事で、人の家の掃除はよくやってましたが、自分の家はズボラ。紺屋の白袴です。
それが今回の年末は珍しく、大掃除しました。自宅と、事務所を。
まるで別人の家のようにきれいになって新年を迎えられました。

2007年の夏から借り始めた事務所。随分黒っぽいシャッターだなとずっと思っていたのですが、ためしに拭いてみたら、黒ではなくてきれいなシルバーのシャッターだったと判明しました

2007年にあった嫌なことも全部、すすと一緒に消えてなくなってしまえ、とつぶやきながら掃除しました。




私は、20歳くらいから毎年、初日の出を見て、初詣に行っています。
7,8年チャレンジして、かなりの率で曇りで見えなかったのですが、昨年と今年はとってもきれいな日の出でした。
きっと良いことがあるに違いない。


おみくじを引いて、悪い結果が出たらなんだか嫌だから、あまり引いたことがなかったのですが、今年は引いてみました。

「今年は変化の多い年になるでしょう」とおみくじ。
うーん。昨年は私にとってはだいぶ変化があった年だったけれども、まだ変化するのか・・・
NPOで働いてたときにも転職もしていたし、そろそろ変化のない年もあってほしいんだけどなあ。。



今年の抱負。

どんなことをやっても「あのときもっとこうすれば良かった」という悔いは、必ず起きるものだと思います。
例えば家族の介護をして看取った人。病院に連れて行った人は、「入院させないで家で看てあげればよかった」と思うかもしれない。でも家で看取った人は「病院に連れて行ってあげれば、もっと満足な看護を受けられたのでは」と思うかもしれない。

何をやっても、結果が出たときには反省してしまうものなんではないでしょうか。

それならば、「自分の気持ちに嘘をつかないこと」が一番大事かなと私は思っています。
もし、失敗してしまっても、他人のせいにはしないこと。自分はそのときに持つ自分の力を精一杯出し切って、誠意を持って向かい合えたのだと言えること。

議員の活動でも、みなさんに自分の言葉で説明のできる活動をやっていけたらなあと思っています。

議員を長く続けることで、継続性を持って区政を捉えていくことはもちろん必要ですが、「落選せずに議員を続けること」にとらわれすぎて、事なかれ主義的にならないようにしたいなと思っています。


議員であることそのものにこだわらずに、区民主体の区政を追及するための手段として、やっぱり早いところ大学院に行って勉強しようかしらん、と、じっと募集要項を眺める元旦です。

やはりきっと今年も変化に富んだ一年になるのでしょう。


ブログ読者の皆様、今年もまたご意見をよろしくお願いいたします。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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