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母校のこと

頭とお腹がおかしいです
脳みその限界を超えてしまった・・・。ちょっと落ち着いたら、予算で質問した内容を報告します

というわけで今日は違う話。

グラビアアイドルが、芸能活動を理由に退学処分になったことについて、母校を裁判で訴えてたのをご存知ですか?

学校側が正しいという結論が出たようですが。

私の母校なんです


私の母校は、校則というのではなくて、先生と生徒が話しあって決めた自主規制だったんだと記憶しています。

それでも、そんなにたいした規則はなくて、制服を着ることと、「靴下はこういうのじゃないと駄目」というきまりがあったのと、あと一番大きいのは、テレビに出ちゃ駄目というんだったと思います。

今日、テレビでその話題をやっていて、見てたらキャスターの女性が、「私の母校なんです」と言っていて、「おや!そうですか!」と思わずテレビに話しかけていました(^^;)
私は、その母校がとても好きなものですから。。


その女性も言っていましたが、「街頭インタビューに答えて映るのも駄目」だった。
それは生徒全員が知っているきまりだったと思います。

私はテレビに出たいと思ったことはないので、どうしてそんな決まりを作ったのか?という質問をしたことはないけれど、たぶん何か理由があるんだと思うし、みんなそれを納得していた。

・・・私の学校は、パワフルな子ばっかりがいたので、納得できない決まりだったら反乱を起こしていたことでしょう。

私の学年にも、それでもどうしてもテレビに出る仕事をしてみたいと言っている子が何人かいて、しばらく先生と話しあって、卒業してからやると決める子もいれば、それでも出たいと思って退学をしていく子もいた。

そりゃー、最低限の決まりなんだし、高校は義務教育ではなくて自分の意思で決めるんだからねえ。どうしても納得できないなら、裁判という手段じゃなくて、先生と生徒を説得しないといけませんな。

無事、学校側が認められたようで、良かった良かった、と思いました。

・・・ま、それだけの話ですが(^^;

※かとうぎ桜子を育てる会のホームページは
こちら
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予算の質問、私の担当は一段落

先週の金曜日から、予算特別委員会が始まりました。
会派ごとに意見を言っていくのですが、私は、昨日の区民費・産業地域振興費と、今日の保健福祉費、そして来週にあと1回、担当しています。

いやはや。

一言で言えば、「色々あった」。

色々あって、私も、ストレスがたまってきて、お腹が痛い。


・・・えーと。

予算特別委員会で質問をするにあたっては、そのための資料集めをします。資料をお願いして、担当の職員さんに質問をしながら、議員は委員会での論点を固めていく。職員さんは、議員の請求した資料やら質問してくる内容やらで委員会の発言を予測して答弁の準備をするわけですね。

行政の管理職の方は大忙しですね。
口元はにっこり笑いながら、目が据わっている職員さん達が、私の元にもたくさん来てくださいました。。

そんな必死な職員さんたちが、その必死な形相のままに私のブログを読んでいるんじゃないかと思うと恐ろしくて、何を書いたらいいのやら


今回、予算の準備をしていて、いくつか感じたことがありまして。

福祉関係の部署の人とは、普段の委員会からやり取りがあるけれど、予算・決算、一般質問の準備では、それ以外の部署の人とのやり取りが出てくるから面白いです。
絶対あるはずの資料を請求したら、「無いです」と言われたりして(笑)
「なんで無いって言うんだ!」と、腹が立ち始めたらだんだん楽しくなってきまして。資料を出してくれないからには、出してくれない理由があるんだろうかと、一人でほじくり返してみたりして、それはそれで面白かった

逆に、福祉関係の部署には、当選してからずっと関わりがあるので、そろそろ私の発想が攻略された感じがしまして、今日の質問は、私が冷や汗をかきながら質問していました(^^;

まあ、そんなこんなで色々あった。


もう一つ感じた、重大なことは、行政の職員さんが、かなりいっぱいいっぱいな状態でいるんじゃないかな、ということ。
議会で、議員から指摘を受けると、職場の中で責め合ったりしてるんじゃないのかしら、と急に心配になりました。

そりゃあ、投票率が低いとはいえ、一応、議員は住民の代表なわけだから、議員の言うことは重いのでしょう。
だけど、議員は50人もいるんだから、色々な立場で発言するわけです。その発言は重く受け止めつつも、「でも、自分たちのミッションは、70万人の区民のために動くことだし、実際にそれをやってるんだ!」ということのほうがもっと大事だと思うんですが。

いろんな立場から指摘をされることに対して、職場の内部で「誰の責任だ」と責め合ったら、面白い施策なんて作れないじゃないですかね。能面みたいな感じで、自分の責任を問われないことだけを考えなくてはいけないんじゃないですかねえ。

ああ・・・こんなブログでは、何が言いたいんだかさっぱり分からない

今回あった、色々なことについて、具体例を挙げたら面白いけれど、なんだかあまりに行政内部がタイトな感じがするので、書いたら余計ひどいことになりそうな気がして、書く勇気が出ないのですが(^^;


うーんと。
新たなことを書かないで、過去に書いちゃった事例で説明しましょう。
例えば、保育園の件で、事務屋だから分からないといった部長について、腹が立ったと書いたことがありました。
私は、一傍聴者として感じたことを書いただけのつもりなんだけど、もしかして、そのブログを読んで、部長が職場の中で責められていたりするんじゃないかと、心配になりました。

何でも完璧にうまくいくことなんて、誰にだって無いでしょう。部長の対応はまずかったと私は思っているけれど、「じゃあ、どう改善できるか」を考えれば良いと思うのです。
ところがどうも、「改善できるかどうか」以上の、致命的なものとして捉えてるような気がしたのですが。

若干失敗したって、同じ失敗を繰り返さなければいいさ。たとえ失敗しても、目指す目標は「区民の幸せ」なんだから、改善していけばいいさ。という風にしていかないと、きついですよね。

一つひとつの失敗を責め合っていたら、区民との協働なんてリスクが多すぎてできないですよ。

区政全体がどうなるか、よりも、自分がいかに責められずに済むか、しか考えられなくなってしまう気がして。

私だって、私が言うこと書くことを職員さんが致命的なものだと捉えていると思ったら、恐ろしくて、こんな漠然としたブログしか書けませんわ(^^;

行政の組織は、も少しのびのびできませんかねえ。

以上、区の職員さんに向けたメッセージでした(笑)

※かとうぎ桜子を育てる会のホームページは
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行政の役割と議員の役割

昨晩、「民間委託に関する資料をください」と行政の人にお願いをしている夢を見て、夜中にハッと目覚めました。。ああ・・・

民間委託に関する陳情に対する私の態度について、一つの意見として、私が感情的に保護者の側に引っ張られているのではないか、という批判があったように思うので、そのことについて書きます。
「区政は保育園のことだけじゃないんだから、バランスを持って見ろ」という意見。

これはそもそも、前々回のブログで、私が「うまく説明できないけれど、なんとなく一緒にいて心地が良くなる人がいる」と書いたせいだと思いますが。
これは、語弊のある言い方かなと、書きながらも思ってはいたのですが。


いつだったかのブログで、ニーズとデマンドを見分ける、という話を書いたように思います。
「嫌だ」とか「ほしい」とかいう、欲求(デマンド)なのか。それとも生きるために必要なこと(ニーズ)、それを認めることが社会全体の改善にまで広がることなのか。
福祉の仕事をしていても、その見分けをしていくことが必要だったけれど、それは議員でも同じではないか、というような話を、たしか議員になったばかりの頃に書きました。

保育園の保護者たちが、区の全体のありようを考えずにただ自分の子どもの通う保育園だけが良ければ良いと思っているならば、それはデマンド。もしそうならば、支援者は、デマンドに振り回されずに、その声の裏にあるかもしれないニーズを探っていく必要があるでしょう。

私が、保護者に対して「一緒にいると気持ちが良い」と感じたのは、保護者の思いがデマンドではなく、ニーズだったからだと思うのです。
子どもが安心して生きていくために、きちんとした方向性を示してほしいということ。行政としての子育て支援の方向性の中で、委託をすることがどんな効果を発揮するのかをきちんと示してほしいと言うこと。
それは、「保育園」という問題だけではなく、行政としての役割はどうあるべきか、という全体の問題への提起であったから、その声をよく聞く必要があると私は思ったのです。

ただ、保護者と一緒にいる時間が長かったから情がわいて、一緒にいて楽しいと思った、という話ではないのです。情に流されるようならば、それはそれで社会福祉士失格でしょう。


行政は、区民の全体像を見た上で、公平・中立な立場で区のあり方を決めていく。
それが行政の役割なのだから仕方ないのだけど、前に早瀬昇さんのお話を聞いたときに言われていたように、それだけでは対応しきれない問題が起きる場合がある。
阪神大震災のとき、行政は全体を見ないと動けなかったから、震災後すぐに動くことができなかったけれど、その分行政ではない市民の機動力が注目された、というお話がありました。

「木を見て森を見ず」という言葉があるけれど、行政の場合には森を見すぎてその中の木が見えなくなってしまう場合があるわけですね。森の中にある木を良く見てみたら、枯れている木が増えてきてしまっているかもしれない。ときには木の様子を見ておかないと、気づかないうちに森全体が朽ち果てることになってしまうかもしれない。

私は、議員として、「一本ずつの木もよく見るべきだ。ほら、ここの木が、腐りそうになっているよ。このままでいいの?」と言う役割を持っていると思っているのです。


委員会で保育園の陳情の結論を話し合うまでの1週間ほど、ブログを書けなかったのには、保育園のことで頭を悩ませていたこと以外に実はもう一つ理由がありました。

17日の日曜日に大学院を受験しまして。
そのことを書きたかったけど、もし落ちたら嫌だから、と思って、書かずにいたのでした。
つまり、無事合格したので書くのですが(^^;

これからの「公」のあり方を考えたいのです。
行政をスリム化していって、最終的に残る行政の役割は、市民や、民間事業者や、多様な立場で「公共性」を支える人々をバックアップし、コーディネートすることなのではないかと思います。
そこで、具体的にはどこまで行政が責任を持つのか、という線引きが必要です。
一般質問だとか、いろんなときにそれについて質問してきたつもりですが、どうも納得できる答えがもらえない。
答えがもらえないことにいつまでも怒っていても仕方ないから、自分で研究しよう、と思ったのです。

大学院の試験は、私は社会人入試なので面接のみでした。
先生に、研究の目的を話すのですが、私は、いつもブログに書いているようなことをブツブツブツブツ言っていました。「なんで【協働】と言いながら、区民の意見を聞き入れるしくみになっていないんだろうか。私はNPOで働いてきたけれど、そこで実感してきたような市民の日々の思いが行政施策に反映されているとは思えない」とブツブツ。

ブツブツ言う私のことばを一通り聴いて、先生が一言。「NPOでやってきたあなたが、今、新しく議員の仕事をしてみて、カルチャーショックのただ中にいるんだね。」と。
そうか、私は今、カルチャーショックの中にいたんだなあ、としみじみ、自分自身について振り返ることができたのでした。

※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら

前回ブログの補足

前回のブログで、私が自分の会派の中での話を書いたせいか、今日、皆さんの私を見る目が複雑でした…。

私のブログの読者は行政職員と議員が大半なんだと今日改めて気づきました(苦笑)
どうも前から、私の顔を見ると「ブログ・・・」とおっしゃる方が多いとは思っていましたが。
私の名前は「ブログ」ではありません(笑)私の業務もブログを書くことではありませんよ(^^;

でも、前回のブログで書いたことは、こっそり根回しという社会って、良くないなと思ったからなのです。会派の中での苦悩は、会派の中で留めることではなくて、皆さんに知ってほしいなと思ったのでした。皆さんと一緒に考えて、一緒に悩んで、議論をしていく方が良くないですか?

対立したって良いじゃないですか。みんな自分の信じる道を生きている。私の会派の中で、私の考え方がすべてだとは思わないし、それだけが正しいとも思っていません。でも、いろんな考えがあると公言できるのは、他の会派にはない、私の会派の良さだと思っています。

考え方が対立しても、話し合っていければ、社会は変わっていくはずです。


今、会合の帰りにバスに乗っていたら、運転手さんの業務連絡が全部車内に流れてました。多分、マイクのオンとオフを間違えたのでしょう。

「なんか、大泉の南口でやたらと客が乗ってきちゃったけど、何かあったのかなぁ。これじゃあ北口では通過せざるを得ないよ、まいったね」という業務連絡…。
混み合った車内で、みんなが思わずニヤっとしました。

隠すことはない。情報は共有すれば心が和むのではないですか。
今起きてる、自衛隊のイージス艦の事故も、事故の悲惨さもさることながら、その実態を隠すことでこじれている気がしますが。

私は、私のブログでは、私の思いを公開しているだけです。
自分の思いは、言っても良いよと先輩が言ってくれるからです。

自分の思いを言っても許してくれる懐の深い先輩がいる会派だと信じているから、私はいつも好きなことを言えるんだと思っていますよ。

なんだか悪意にとらえた人がいたみたいだから書いておきます。

保育園の陳情・・・色々悩みました。。。

ちょっと久しぶりにブログ更新です。

前々回の健康福祉委員会あたりから、「そろそろ保育園の民間委託の陳情に対する結論を出そう」という話が出ていまして、その「結論を出す日」が今日だったのです。

私の頭の中は、この1週間ほど、会派としてどういう結論を出せるかということでいっぱいになっていて、ブログを更新できませんでした。

保育園民間委託の陳情は6件出ていました。委託をすることが決定している園の保護者の方等が、それぞれの考えでの陳情を出していたのですが。
例えば、光が丘第四保育園ならばすでに事業者選定作業が始まっていたり、豊玉第二保育園は施設の建て替えも時期が重なっているので、今は仮設園舎で過ごしていたりと、事情がそれぞれ異なるのですが、共通点があるとすれば、「委託の進め方があまりに強引だから、既委託園の検証をきちんと行って、納得できる話し合いをしてから、委託計画を決めてほしい」という思いなんだと思います。

私が今までブログで書いたり委員会で発言していた内容を考えれば、結論を出すにあたっては、当然保護者の思いをくんで、陳情も採択でしょう。

ところが難しいのは、陳情の結論は会派の意見として出すということ。
私の会派は10人。いろんな考え方の人がいます。経験年数も議員に至るまでの背景も様々。
でも、会派なんだから統一すべきだとお思いになるでしょうか。
でも国レベルの民主党を見れば分かるように、幅が広いのが民主党ですよね(^^;

そういえば、私が小さい頃、「ファジー」という言葉がよく使われていたなあとふと思い出しました。例えばエアコン。「冷房」「暖房」とはっきりするんじゃなくて、「今、なんとなく暑い」という、「なんとなく」に合わせられるという、曖昧で便利な機能。
ところが、曖昧すぎて結局どっちつかずになって、役に立たないからそのうち使われなくなったんですよね、たしか。

・・・なーんて、自分の所属の悪口を書いていたら、そのうち除名処分でしょうかね


というわけで(?)、とにかくまずは、私の会派として、極力、保護者の思いを否定しないで済むようにしなければならない、と思いました。

これが本当に、筆舌に尽くしがたく苦しい作業でした・・・。
あぁ・・・。
ほんとにほんとに、辛かった・・・

今日の委員会で、一つずつ陳情に対する考えを言っていったのですが、保護者の立場から見れば、私の会派の意見の多くは、「結論が出せないので継続審議にしてください」ということで、物足りなかったかもしれませんね。もしそうだとしたら、本当に申し訳ない思いですが。


なにせ、保育園民間委託に関する説明会等に参加しているのは、私の会派では私だけだったので、もし、会派として「陳情不採択」が多くなってしまったら、間違いなく私の伝達力不足ですからねえ。

私は、理知的に物を言うこと、特に口頭で相手の心を揺さぶることが下手なので、とても不安でした。オバマさんみたいにしゃべれたら良いのに(^^;

私はいつも、ただ、「何かを感じる」という部分で動いているもので。

相手が区民であれ、行政の職員さんであれ、全然練馬区と関係ない人であれ、他の会派の議員さんであれ、どんな立場の人であっても、同じ空間に一緒にいるとなんだか「快」を感じるときがあるのです。

保育園のことで頑張っている保護者の方は、個人的にお話をする機会がそんなにあるわけでもないし、いつも深刻に陳情の話をするだけか、私は後ろで傍聴しているだけ、という関係なわけで。楽しい話をしてワハワハ笑う機会があったわけでもないのに、でも、同じ空間、同じ時間を共有することが私にとってはなんだか心地よく、説明会なんかは毎度長時間になるけれども、それでもその空間にいることが、私にとっては大事な時間でした。

そういう感覚って、何だったんでしょうね。

自分の子どもだけがよければ良い、自分の保育園だけがよければ良い、というのではなくて、保育園問題を通して自治のあり方を前向きに考えていらっしゃることを感じたからなんでしょうか。

自分自身、うまく説明できないところもありますが。

それを、その時間・空間を共有していない会派の仲間にどう伝えたら良いのかが難しかったのです。

9月の定例会で一般質問をしたときに、質問に先立って私は、「社会福祉士という資格を持った専門職としてゆるがぬ信念を持ち、人権の尊重と社会正義の実現を行動の基準に置いて議会活動に取り組んでまいりたいと考えております。」と言ったのです。
これは、カッコつけるために言ったわけではなく(笑)、自分自身にプレッシャーをかけるために言ったんですが。

私の説明不足で会派のみんなを説得できずに、6件の陳情にたくさん×をつけてしまったら、人権の尊重と社会正義の実現なんてあったもんじゃない。そんなことを招いてしまったら私は社会福祉士の資格の返上をしなくてはいけない。


私から社会福祉士の資格をとったら何が残るだろうか。
バレンタインに同僚に義理チョコを贈ることも思いつかないし、座右の銘(!?)は「お酒は手酌が最高」。つまりは、社会福祉士の資格を剥奪された私に残るものは、「気が利かない偏屈で生意気な酒好きの若造」でしかないわけです(苦笑)
そうなったら、そんな状態で議員でい続けていいのかさえ怪しいじゃないですか。

・・・と、自分で自分を追い込んで頭をかきむしっていたこの1週間でした。


今日の委員会に備えて、会派の意見をまとめる会議を昨日、予定していました。
今までの経緯を切々と訴えていたものの、それでももし×にされたらどうしようかとずーっとドキドキしていました。

一昨日の晩は、福祉関係の会合に出て、飲み会に出て、少し遅い時間に家に帰ってきたのですが、「さあいよいよ明日、会派の結論を出すんだ」と思ったらすごく心配になってきまして。
もし、保護者の思いを伝えきれずに不本意な結論になってしまったらどうしようかと一人あたふた。
ああああああ!!!と思って、夜中なのに福祉関係の友人達にメールを打ちまくりまして(^^;
「会派の皆に反対されたら私はどうしたらいいんだろう」と。
そしたら友人のうちの2人が、すぐに電話をくれて、愚痴を聞いてくれまして。
「せめて趣旨採択(陳情で言うことをすぐに実現はできないけれども、その思いは分かるよ、ということ)にできるように頑張れ」と励まされまして。

それですこし気が休まりましたが、休まってふと時計を見たら夜中の2時。
2時に電話に向かって「民間委託」とか「趣旨採択」とか言っている自分の姿を思うと、なんだか・・・

不採択にしなければならなかった陳情もいくつかあって、必ずしも陳情提出者の思いに添えなくてすみませんでした。でも、こんな具合に、心だけはいっぱい使ったのですよ・・・私の心なんかでは、保育の保障にはなりませんが。しくしく。


とにかく、×ではなくて継続にできただけでもようやっと、だったので、昨日の会派の話し合いが終わった時点で放心状態。「ああ・・・帰ろう・・・」と思って、区役所の隣のスーパーに夕飯の買い物に行ったものの、まだ放心状態で、しばらく缶ビールを持ったままボーっと佇んでいました。。


かなりファジーな部分もありつつも、一応の結論をまとめて今日の午後の委員会に臨みました。

それぞれの会派の思いが違い、なかなかスパッと結論は出ない。大勢でじゃんけんをすれば「あいこ」になる率が高くなるのと同じように、継続審議となるものが多かったですね。でもそれぞれが意思を示したのは、きっと意味があるんでしょうね。


手に汗を握りながら、それぞれの会派の意見を聞いていましたが、光が丘第四保育園の話になったときに、またムカムカ。

17日に、保護者と意見交換会を開いたこと。そこでのやり取りの経緯の説明が担当課長からあった。

その説明の中で、「選定は区の責任なのにもかかわらず、保護者が事業者に対して、事前の働きかけをしていた」と思わせるような担当課長の発言。

行政が業務をしていく上で、行政こそが責任を持ってやらなくてはいけない、というラインはあるのでしょう。
サービスを受ける当事者の思いが反映できる部分と、そうではなくて行政が仕事としてやらなくてはいけない部分というのは当然あるでしょう。それは明確にしなくてはいけない。

でも、保護者にとっては、そんなラインよりも何よりも「少しでもいい事業者に来てほしい」と願い、できる限りの手を尽くしたいと考えるのも当然のこと。

だからこそ、それがもし、行政の契約のやり方に反するのであれば、前もって保護者に「気持ちは分かるけれども行政というのはそういうやり方はできないんですよ」と教えてあげるべきでしょう。

12月の時にも、説明会では傍聴者の発言をすんなり認めておきながら、議会の中では「傍聴者が発言をしたせいで保護者との合意に至らなかった」という答弁がありました。そういうことを言うならば、「傍聴の発言を認めると、議会でそれを言わなくてはいけないかもしれないというほど、重いものになりますよ」と保護者に伝えるべきだったでしょう。


それをせずに、いきなり議会で「保護者が要求したから」というのは、非常に、フェアでないやり方ですね。
保護者とのやり取りを直接傍聴していない議員に対して、「保護者が無理難題を押し付けている」という印象を与えるものです。
議会の中では保護者は発言できないんだから。そういう中で行政の担当者が一方的にそんな説明をしたら、保護者の心には余計に行政への不信感が募るのではないでしょうか。


行政担当者として陳情を採択させないためには、保護者を悪者にしたら楽なんでしょうかね。

そうすることで、その後、もっと「協働」とかけ離れた状態になるのは、どうでも良いんでしょうかね。

陳情が採択さえされずに、粛々と計画の実行さえできれば良くて、保護者がどう思うのかは関係ないのかな。
ま、行政職員は数年それで辛抱すれば異動になるから、後のことはどうでもいいのかな。


でも、区民の意見、区民の思いは放っておいて、粛々と事業を進めるという行政のあり方は、議会のあり方と表裏一体であるということも感じています。

私はまだ議員になって1年弱。今後、どういう形で活動していくべきかは難しいけれど、でも、どんなときも自分の思いには嘘をつけない、というところだけは考えながら、議会活動を続けていきたいと思います。

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バレンタインの出来事

2月14日。

私の会派の幹事長が一般質問をする日だな、ということで頭がいっぱいになっていましたが、世間はバレンタインデーだったのでした

恋人にもプレゼントをあげる気がまったくなかった私は、会派控え室で同僚議員にチョコを配っている倉田れいかさんを見てハッとしました。

ああ、可愛らしい女性はここが違うのか、としみじみ…(苦笑)

同じ会派の男性議員さんが「わーい、倉田さん、ありがとう」と言う声を聞きつつ。

う~む、まずいぞ、これは見ないふり、聞こえないふりをするしかないと思いまして。
「さぁて、予算、予算…」と独り言を言いながら、予算書に目を落として極力周囲を見ないようにしながら、バレンタインの1日を過ごしました

そんなバレンタインデーでしたが、幹事長は一般質問で、福祉の部分でちゃんと私の思いを取り入れた質問をしてくださったので、嬉しい1日でもありました。

保育園の民間委託は行政のスリム化ばかりが先行しているのではないか。
当事者の気持ちを取り入れながら合意形成することを「協働」というのではないか。
区は、「NPOとの協働指針」で、協働について「住民と行政の共通の領域において共通の目的を達成するため、課題解決に向けて主体性をもって自発的に、かつ互いに対等なものとして尊重しあいながら協力しあう状態」と定義している。
(素晴らしい定義ですねぇ・・・。)

これは組織体をなさない区民にも適用されるのか。

適用されるならばどんな具体例があるのか。

保育園の保護者との関係ではどうだったのか。

そして、行政のスリム化、民間の活用と言われる中で、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するための「公」の責任の範囲はどこまでなのか。区民に方針を示すべきではないのか。

というようなことを、幹事長が言ってくださいました。

それに対して区の答弁。

NPOとの協働指針で示した「協働」は、区民一人一人にも適用される。
協働の具体例としては、町会・自治会との関係や地区区民館の運営、避難拠点運営連絡会やPTAなどがある。

保育園についても、「保育を良いものにする」という目的は共通するから、保護者との合意形成には努めてきたが、事業者選定は契約に結びつくので区が主体的な役割を担うべきと考えている。

区とサービス提供者の責任の範囲を明確にし、サービスの質を確保するためのチェック体制の整備など、公的役割を果たしていく。

以上が答弁。


前から私が気になっているのは、「協働」はどういう状態を指すのか、ということです。

今回、答弁での具体例の中で、例えば「町会・自治会が掲示板にポスター掲示の協力をしてくれること」というのを挙げていたのですが、それって、なんだか、どちらかというと、協働というよりは業務委託じゃないですか

そうなると逆に、市民側からの事業提案を受け入れるしくみはあるのかな、という疑問が生まれるし。

行政が決定したレールに乗ってもらうことを協働と呼ぶようになってしまうと、信頼関係よりもむしろ市民を安い労働力と捉えかねないという危惧を持ちます。

まあでもこれは、練馬区だけの問題ではなく、日本社会全体の問題でしょう。
行政の役割と市民のあり方、協働とはそもそも何なのか。

時間をかけて考えていきたいと思います。

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今日から定例会

今日から3月14日まで、定例会です。
今回は20年度の予算の審議。

今日、予算特別委員会が開かれて、予算の説明がありました。

財政課長が1ページずつ、特に言うべき点について説明してくれるんだけれど、短時間に300ページくらいの予算書の説明をするから、速いといったらないのです。
もはや、これは説明して納得してもらうためにやってるわけではないんだろうと思える速さ。
説明に追いつくようにページをめくるだけでも疲れてしまうくらい速い(笑)

それを課長さん一人で何時間かやるんだから、すごいことです。終わった時に拍手が起きていました(^^;

財政課長の人事を決めるときには、面接をして、「隣の客はよく柿食う客だ」等を上手に言えた人に決まるんだろうか・・・と思いました。


予算の話し合いは来週から始まります。明日からは一般質問。
明日は、私の会派の幹事長が質問します。幹事長の質問は、会派のみんなの意見をたくさん採り入れてくださったので、楽しみですねえ・・・
幹事長の質問のどのあたりに私の意見が採り入れてもらえたのか、そしてどんな答弁が返ってくるのか、楽しみです・・・。


定例会のない間は、ボランタリーフォーラムをはじめとしていろんな活動をしている方にたくさんお会いして刺激をいただいたので、久々に議会の世界に戻ってくると、イライラします(笑)
制度設計段階の組織が旧態依然であることに対するイライラもあるけれども、それ以上に腹を立てるだけで何も変えられない自分にイライラする。

でも、魅力的な活動をしている人って、自分がやっていることを楽しんでいるんですよね。阿部志郎さんが言っていたように、自分が行動する理由が、「何かやらないといてもたってもいられない」という気持ちから出発しているから、行動することに充実感を持っている。
昨晩、アフガニスタンで活動している中村哲さんのお話を聞きましたが、やっていることがすごいという以上に、自分がやっていることを楽しんでいるところが魅力的なんですね。
アフガニスタンの情勢がなかなか良くならないなんて、見ようによっては絶望的な気持ちになってしまいそうなものなのに、そこで少しずつ少しずつより良い状態を作っていくこと、仲間を増やしていくことを楽しんでいる方なのでしょう。

そういえば、上智大学のアルフォンス・デーケン先生が、『ユーモアとは「にもかかわらず」笑うことだ』とおっしゃっていたなと思い出しました。

つらい時、腹が立つとき、やりきれない事実に直面したときほど、ふっと力を抜くことが必要なのでしょう。

だから私も、議会の中にいて追及をする役割を与えてもらっていることを楽しんでできるようになると良いなと思います。

変えるべき点があるということは、変わる可能性が秘められているということでもあるわけですからね。

でも、私はまだまだ青二才なので、いちいち本気で腹が立つので大変です

あー、きっと、予算の質問の準備をしているうちにまた腹が立ったり、そして明日の幹事長の質問に対する答弁を聞いても腹が立ったりするんだろうなあと、この先1ヶ月の自分を予想して、はぁ、とため息をつく今日この頃です。


でもね、それが仕事だから仕方ないのですね。額面上は、福祉の仕事をしてた時の5倍の給料をもらっているので(!)、5倍働かないといけないのです・・・。(議員の給料が高いのか、福祉の給料が安いのか。・・・おそらくどっちもだと思いますが ^^;)

いつか、楽しみながら仕事できるようになることを目指して頑張ります。。
どんな状況も楽しまないと、胃に穴が開くか、心が燃え尽きてしまいますからね、きっと・・・。

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①父と子の愛着形成プログラム ②福祉のまちづくり条例の区民懇談会

①父と子の愛着形成プログラム 
2月7日(木)の夜、出かけた集まりです。

今、子ども達の生活リズム(睡眠時間、朝ごはんなど)の乱れが目立つため、文部科学省が音頭をとって「早寝・早起き・朝ごはん」国民運動というのをやっています。(ホームページはこちら

その一環として、「子どもの生活リズム向上のための調査研究」という事業があり、その委託を受ける形で埼玉にある3団体が中心となって「父と子の愛着形成プログラム」というのをやっています。


知人の紹介で、昨年の秋に一度、その集まりに出たのですが、今回はその実態調査の結果報告がありました。

「早寝・早起き・朝ごはん」を実現するとなると、お母さんの負担がかなり重くなるのではないか、というのが、今回の調査の始まるきっかけだったようです。

お母さんが子どもを早く寝かして、自分の睡眠時間はお父さんに合わせ、早く寝た子どもと同じように早起きをするとしたら、かなりの負担ですよね。それならば、お父さんが子育てをできるようにするにはどうしたら良いかを考えなくてはいけないだろう、ということです。

お父さんと子どもが一緒に参加するプログラムを実施したり、お父さんに対して子育てに関するアンケート調査をした、とのこと。


意識も実際の参加も高い人たち、意識は高いけれど実際の参加はできずに罪悪感を持ちがちな人たち、意識も実際の参加も低い人たち、という類型ができた。
それぞれに合わせた支援が必要だね、という話です。

お父さん達が、子育てをしたいと思いながらも、どうやって関わったら良いのか分からない状況を、気軽に楽しんでできるように変えていくこと。
お父さんが子育てに「参加」するのではなく、主体的に子育てを「する」ようになることを目指している。

考えてみれば、子育て中の人が集まれる場所作り、というときに、無意識にお母さんに対する支援と捉えてしまう部分があるかもしれませんよね。

学生時代に社会福祉協議会の実習に行ったときに子育て広場みたいなところにも行きまして、「最近は、休みの日にはお父さんも来ていますよ」という話もありましたが、次世代育成支援を考えるときにはお父さんのことももっともっと考えていかないといけないですね。


②福祉のまちづくり条例の区民懇談会
今日は午前中、福祉のまちづくり条例の区民懇談会に行きました。
ここのところ何度か、ブログにも書いていますが。
今日は今年度最後の集まりだったとのこと。

前にも書いたように区の職員さんも色々な課の人が関わっているし、区民で参加している人も障害を持つ当事者など、色々な立場から参加している。
色々な立場が参加している面白さ、というのを以前にはブログで書きましたが、同時に色々な立場・考えの人がいるからこその難しさもあるんだろうなと思いました。

「協働」といって、色々な立場の方が入ってくるというのは、みんながにこやかに議論するだけではなくて、それぞれの利害や欲求が対立する場面も出てくるのですよね。

対立が起こったときに、区の職員さんが「全部責任を持たなくては」と頑張ってしまうと、行政側としてもかなり辛いものがあるだろうし、本当の意味で対等に協力関係はできなくなってきてしまうのではないでしょうか。
困ったときには行政職員が責任を持つだけではなくて、他の区民の人に助言を求めるとか、ということも必要だと思いました。協働に際しては、行政の人が肩の力を抜くことも大切ですね。

行政はどうしても「お上」であるという認識が、どこか無意識の中にあるから(それは行政側だけではなく区民の側にも)、区民の中には「行政が全部責任を取れ」という人もいるだろうし、行政もそれに応えようとしてしまうのでしょう。
でも、そうではなくて、民間・行政・市民団体等、立場は違ってもお互いに対等に協力関係を作らなくてはいけないよね、ということで出てきた言葉が「協働」でしょう。
それが中身の伴ったものになるにはまだまだ時間がかかるのかもしれませんが、まずは少しずつでも行政側の「自分達が責任を持たなくては」の意識を緩めていかないと、しんどいでしょう。


そして、区民とのコミュニケーションについては、保健相談所とかも連携しながら、区民の中には色々な人生経験や背景を持っている人がいるということも勉強しながら、職員さん自身が元気に仕事を続けられるような護身術(?)を身につけることも必要ですね。

①に書いた、父と子の愛着形成プログラムの中で、「子育ては愛情が3割で、あとの7割は技術だと言われて、肩の力が抜けた。自分が子育てをうまくできないのは、愛情がないからではなくて技術がまだ不足してただけなんだと思えたから。」とおっしゃっていた方がいましたが、それは、どんな人と人の関係にも言えることではないでしょうか。



このブログだけ読んだら、なんだかわけが分からないような気もしますが(^^;)、区民とのかかわりの中でいろんな対立が起こっても、力まず凹まず職員だけで頑張ろうとせず、区民に対して心のバリケードを張らないようにしつつも、自分自身の身の安全も確保しながら(精神的、肉体的に傷んでしまわないようにしながら)楽しく元気に仕事してくださいませ、と今日の会議を傍聴して思いました。


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ボランタリーフォーラム③

ボランタリーフォーラムが無事に終了しました。

ああ、やれやれ。

めでたく今回は頭の中が真っ白にはなりませんでしたが、色々と反省点がありまして、昨日の夕方から今に至るまで悶々としていますが(^^;

まあ、自分自身に対するダメ出しをブログに書いても仕方がないので、ここには分科会の内容を書きます。

私の担当した分科会は、「介護保険制度の現在とこれから」。
20人くらいの人が参加してくださいました。

午前中は、町田市の地域包括支援センターの沼田さんという方からの課題提起。
沼田さんは措置の時代(介護保険の前)から福祉の仕事をしていたということで、その頃と今との比較ができる資料や、最近問題となっているような内容の資料(例えばコムスンだとか、介護従事者の確保の問題、家族がいて日中独居の人のヘルパーが使いにくくなっている問題など)を出しての講義でした。

それで、午後からはグループワーク。
自己紹介と、それぞれの参加者が何を思って、何を課題として今回の集まりに参加したのかを話してもらいまして。
それを分類していって、「課題を解決するためには何ができるのか」を話し合う。

2グループに分かれていたのですが、私が担当したグループには高齢者の新しい住まい方を考えている団体の人や家族会の人、従事者の人やボランティア活動をやっている人など、色々な方が集まっていました。



家族会の人が、その地域の議員さんに対して懇談会をお願いする活動をしているというお話があったり。

孤独死の問題に取り組みたいと考えている方もいまして。その方が色々と調べてみると、「地域包括支援センターは本来の『高齢者と地域とのつながり作り』にまったく力を入れることができず、要支援になった人の介護予防プランを作ることに追われて終わっているのではないか」と感じたという話。

2006年の介護保険改正で、介護認定のうち「要支援」の人は、今までのように居宅介護支援事業所のケアマネジャーが作るケアプランではなくて地域包括支援センターが作る予防プランを使うようになりました。介護保険ができた当初に、元気なのにたくさんヘルパーを使う人がいたり必要ないのに車椅子をレンタルしたりした人がいた反省から、軽い状態の人は重くならないように予防するサービス体系にした方が良いだろうということで変更になったのです。
たしかに私が働き始めたばかりの頃は、「なんでこの人がヘルパーを使うのかしら・・・」と思うようなこともあったけれど。でも、2005年くらいにはだいぶ介護認定も厳しくなって、必要な人でも今までどおりのサービスが使いにくいということも増えてきていました。2006年以前の介護保険の体制でも、結構厳しくなっていたんだから、それでも十分適正化されたはずなのに、さらにしくみそのものを厳しくしたから、使うべき人すら使えなくなってしまっている状況があります。

それで、要支援の人のプランを立てる地域包括支援センターは、さらに高齢者の総合相談窓口であり、権利擁護や成年後見も担当しなくてはならない。とてもじゃないけどこなしきれない状況になっているのです。

特養で働いている方からは、「施設職員はよく勉強しているし、『寝たきりにならないように』とか、『トイレに自分で行けるように』といったことを考えたいのに、人手不足で考えられない状態」「利用者も、自分の願いをスタッフに伝えたくても伝えることができない状態にある」というお話。


誰が高齢社会を担うべきなのか、と考えた時、「ボランティア」ということが思い浮かびますが、そのボランティアさんを支えるべきコーディネーターを配置する余裕もない状況。

すべて手詰まりの状態を打破するにはまずは介護報酬を上げることしかないだろう、という方向に話が進みました。

「でも、福祉に関心がある人の議論の中では、『これじゃあ介護報酬を上げざるを得ないね」という話になるけれど、福祉のことなんかまったく興味ない、というような人もいる社会の中では『介護報酬を上げたら保険料が上がる。保険料は皆が払わないといけないのに、介護保険を使う人は一部の人じゃないか。不公平だ。』という批判が出るでしょう。どうしましょうか」と私。

これは介護だけではなくて保育園の民間委託の話のときにも出た意見。「保育園ばかりにお金をかけているけど、保育園利用者なんて人口のほんの一部なんだから不公平だ」という考え方。
練馬区の「いきいき健康券」(65歳以上の人全員がもらえる券で、浴場や散髪、保養所に使える3千円分の券)も、介護保険を使っていない高齢者も恩恵を受けるべきだという視点で作られたんじゃないかと思います。

それに対し、配食サービスをやっている団体の方から「それにはまず、日本の社会の中で『福祉』とは何なのか、という再定義をしてみることが必要ではないか」という意見が出ました。
福祉は、生活保護を受けている人や介護保険を使っている人など、一部の人だけのものととらえるのではなく、もっと普遍的なものとして考えなくてはいけないはず。すべての人がどんなときにも安心して生きることができる権利の保障であるはず。
でも、日本の社会の中では非常に限定的なものとして捉えられがち。だからこそ、「一部の人のためにお金はかけられない」という理屈が出てきてしまう。
そもそも福祉とは何なのかをもう一度考え直した上で、「公助」はどこまでなのか、ということも議論してみる必要があるだろう、と。


自分のことは自分の意志で決めなくてはいけない、という意識を、介護が必要になる前の50代や60代のうちから高めておかなくてはならないだろう、という意見も出ました。

それから、「日中独居」の人の問題。家族と同居はしているけれど、家族みんなが仕事をしていて、一日のほとんどの時間を一人で過ごす高齢者が多い。私の祖母もそうです。
そうすると、まあ孤独死はしないだろうけれども昼間の家事はできないし、薬の管理も怪しい。でも、最近の介護保険制度では「家族がいるから良いでしょう」ということでヘルパーを使えないことが多い。
これは、介護の社会化を目指した介護保険の理念からずれているのではないか、ということです。

これについては時間が足りなくてあまり議論できませんでしたが、非常に気になる話です。


それから、こういった声を制度設計側にうまく伝えられていないのはなぜだろうかという話もしました。
その議論の中で、「社会福祉協議会のあり方」という話が出ました。
社協は本来、地域のニーズを汲み取ってそれを社会に提言していくのが使命なのではないか。ところが、行政からの委託事業を受けることに精一杯になって、使命が果たせていないのではないか。
そして、市民一人ひとりの立場から行政を動かすのは時間がかかるけど(一議員にも動かせないですからね 苦笑)、社協に対して「もっと役割を果たしてほしい」と言っていくのはすぐにできるのではないか、ということで、この話で議論が盛り上がりました。


そんな議論をまとめて、今度は他の分科会と合同の全体会へ。

これは、生活保護、障害者自立支援法、放課後子どもプランの分科会と一緒に、それぞれの分科会でまとめた提言を発表しあうものでした。この4つの分科会がセットで「福祉制度の崩壊から創造へ」という1つのカテゴリーになっていたからです。

DSCN2536.jpg

小さくて見にくいですが、右から、コーディネーターの川田虎男さん(日高市議)、生活保護分科会担当の安藤雄太さん(東京ボランティア・市民活動センター)、私、自立支援法分科会の金澤昌敏さん(第2川越いものこ作業所施設長)、放課後子どもプラン分科会担当の室田信一さん(同志社大学大学院)。

私からは、今まで書いたようなことを報告しましたが、自立支援法の分科会のお話で、「今、『緊急措置』ということで負担の軽減などが行われているけれど、そういう場当たり的なやり方ではなくて、自立支援法そのものを抜本的に見直すべきだ」という意見が出ていました。
以前私もブログで、「緊急措置なんてやり方はおかしい」と書いたことがありましたが。
私が「おかしい」と感じた理由は、法律そのものが障害者の命を保障するものになっていないにも関わらず、それを認めずに「なんだか分からないけど大変みたいだから、とりあえず助けてあげよう」みたいなやり方をしているせいなんだなあとしみじみ思いました。


・・・こうやって書いてみると、なかなかまともにまとまっていたみたいだ(笑)
反省しきりだったのですが。

何を反省していたかというと、「介護保険制度の現在とこれから」というのがあまりにテーマが広すぎて、議論が深め切れなかったなあと思ったこと。介護保険の問題点は上にも書いたように多岐にわたるので。
だから、昼くらいから「もう少し絞ったタイトルにすべきだったのではないか」と反省し始めまして。それにしてもタイトルについて考えるとなると、随分前にさかのぼる話だなあと思ったらだんだん落ち込んできまして。

それから、時間が予定より後ろに押せ押せになってきまして。まあそれは議論が活発だったということで仕方ないんじゃないかと思ったのですが。
でも、グループの合間に、主担当の柴田さんという人がそのことについてこっそりと「ごめんね・・・」と言うので、「わー、本番の最中に謝ってくれなくても良いのに・・・うえーん」と思ったりして(笑)

そして、フォーラムの一番最後の交流会で、川田虎男さんが「私たちのカテゴリーのテーマは『福祉制度の崩壊から創造へ』でしたが、カテゴリーそのものが崩壊していました」と言ったので「ひい」と思い(^^;

頭の中が真っ白にならないように気をつけながらファシリテーションと全体会の発表を担当したから脳みそが異常に活性化して、打ち上げでいくら飲んでもまったく酔わず、「珍しいじゃあないか。飲んでないのか。」と言われ。

打ち上げの席でも相変わらず主担当の柴田さんは「ごめんね・・・」と言っており(笑)

やれやれ。

まあでも、こうやって報告を書いてみたら、議論はまともにできてたみたいだから、まあ良いか。


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ボランタリーフォーラム②

この前の木曜日に、「お父さんと子どもの愛着形成」に関する研究をしている方たちの集まりに行ったので、それについても書きたいのですが、この土日はボランタリーフォーラムなので、まずはそちらから書きます。

今日のボランタリーフォーラムでは、阿部志郎さんという方のお話を聞きました。

お名前は存じていたものの、お話を聞くのは今日が初めてで。

「美しい文章が流れるようにしゃべる人だよ」と、事前に教えてくれた人がいたので、そうか、私のボーっとした頭ではそのまま流れていってしまうかもしれないと思って、ちゃんとメモを取りながら話を聞いてきました(^^;


2人で遊んでいたのに、1つしかおせんべいがなければ、「はんぶんこ」をする。仲良く分けて食べればいいし、相手に大きいほうをあげた方が気持ちが良い。でも、そうは思ってみてもやっぱり自分が大きい方をほしい。むしろ相手の分まで取って食べてしまいたいとも思うことがある。
究極的に、一番大事なのは自分になってしまう。
石川五右衛門が釜茹での刑になるときに、一緒に刑に処せられる息子には苦しませたくないと思ってギリギリまで持ち上げていた。でも、あまりにも熱いとなったときに息子を放り出してしまったという説がある、という例を挙げながらのお話。

そんな人間の心理がある中でも「はんぶんこ」と思える気持ちはどこから生まれるのか・・・ということから話が始まりました。

震災の時のボランティアや、ハンセン病が不治と言われた頃に働いていた看護婦さんの話など、たくさんの例を挙げながらお話してくださったのですが。


誰かが辛い思いをしているのを知った時に、その辛さをどうにもできないことが「申し訳ない」と思ってしまう気持ち。その気持ちが人を行動に向かわせるのではないか。

誰かの痛みが、「他人の痛み」であるうちは、少し離れて見ていれば済んでしまう。でも、目の前の人が傷ついているのにそれを放っておくのはとても耐えられない、という心が生まれる。そうやって他人の痛みによって自分の心にも痛みが生じたときに、ボランティアの行動が起きる。

阿部先生が昔、「なぜ、人のために動くことができる人がいるのかなあ」と不思議に思っていたときに、沖縄の言葉である「チムグリサ」という言葉を知って、納得されたとか。
「チムグリサ」の意味は「肝が苦しい」ということだそうで。誰かが苦しんでいることで自分の胸が苦しい、という意味なんだそうです。


相手がどう思うか(褒めてくれるか)、とか、周りからどう評価されるか、ということは関係なく、自分の心に生じる痛み―「とてもじゃないけど、こんな状況を放っておくのは自分には耐えられない」というような心の動きに対応するために、思わず動いてしまうのがボランティアなんだろうなあと、改めて考えました。



今日はそのほかに、コムスン問題について考える分科会もあり。阿部先生の分科会と重なっていたのでこちらには行くことができませんでしたが、私の明日の分科会にも関係する内容なので後で様子を確認したら、「結局、悪いのはコムスンではなくて、制度そのものだという話になったよ」とのこと(^^;

たしかに、介護保険がうまくいかないことを、1事業者のせいにして終わるのでは根本的な解決にはならないのですよね。
それじゃあどうするか、というのが明日の私の分科会の話になるんだと思いますが。




明日は朝8時半に飯田橋なので、今日はお酒も控えて早めに大泉に戻ってきましたが、帰ってきたときにはもう大雪になっていました。
バス停で、待っても待ってもバスが来ない。20分くらいボーっと立っていました。
イライラしても仕方ないから、阿部先生の話をどうやってブログに書くかを考えよう、と思って、頭の中は彼方に飛んでいました。

ようやくバスが来た。このときにはすでに私の頭の中は阿部志郎さんのことだけになっていまして(笑)
おそらく、魂が飛んだような顔をして立っていたと思いますが。
そんな私に、目の前の男性が何かひそひそ話しかけてきている。
あまりに頭の中が「阿部志郎」だったもので、しばらく気づかなかったんですが、ハタと我に返りました(^^;

遠くに行っていた目を、ふと目の前の男性に向けたら、その方はヒソヒソと「頑張ってください・・・」とおっしゃっていた。
むむ、私が頭の中で阿部志郎さんと格闘していたのが見えたんだろうか・・・と思ってしばらく「??」と思っていると、「頑張ってくださいね。練馬を良くしてくださいね」と言いながら男性はバスに乗り込んで行った。

ああ。バスを待って、目がどこかに行っちゃってる私を見て、区議会議員の私だと気づいてくださったのね・・・(^^;
「あは、あはは、ありがとうございます、頑張ります」と精一杯答えましたが、大泉学園駅周辺にいるときにあまりボーっとしてはいけませんね・・・。

その方がブログを読んでくださってはいないだろうと思いますが、もし読んでくださっていたら、先ほどは失礼いたしました。。

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ボランタリーフォーラム①

12月くらいのブログで書いた「ボランタリーフォーラム」という、飯田橋でやるイベントが、今晩から始まります。

私は明日と明後日参加する予定。

前にも書きましたが、ご都合がつけばぜひご参加ください。
雪が心配ですが。。

明後日の介護保険についての分科会は準備段階から手伝っていますが、一時はどうなるかと思いましたが一応なんとか面白いものにできそうな予感がしてきた(^^;)

昔から、企画を立てるのは好きなのですが、いよいよ当日を迎えると緊張して頭が真っ白になってポーっとなってしまいます。

学生時代に文化祭で「あしがらさん」の映画上映会を企画した時も、当日は私は「あわわ…あわわ…」と言ってるだけで、細かいところは友達がとりまとめてくれたものです。
人前で話すのが苦手なので、当日司会とかになってしまうと真っ白になるのね・・・

選挙もやったし議会でもしゃべってるし、多少は度胸がついて明後日こそはそんなに緊張せずにできれば良いのですが。

自立支援法の分科会を担当している日高市議の川田とらおさんに、「頭が真っ白になるんだよ」と言ったら、「ははん」と鼻で笑われましたが。

「いや、ほんとに、頭がボーっとしちゃうんだってば」と反論したら、「頭がボーっとしてるのはいつものことでしょう」と川田さん。
むむむ。

まあそれはともかく。10日の内容を改めて書きます。

障害者自立支援法、生活保護、介護保険等、給付抑制や「適正化」が起きて、利用当事者の生きる権利さえも侵害されかねない状況があります。

それを市民の立場から変えていくにはどうしたら良いかを話し合います。

今日のブログは携帯電話から書いているのでリンクができませんが、「ボランタリーフォーラム」で検索すると詳細が出てくると思います。
ぜひどうぞ。

委員会での議論

今日の健康福祉委員会。保育園の話がありました。

保護者対象の説明会が延々と長くなるのは、区側と保護者の立つ位置がまるで一致していないせいではないかと、前々回のブログで書きましたが。

その立ち位置を少しでも近づけるためには、「区はどういう方針を持っているのか」「なぜこういう判断に至ったのか」を示す必要があると思うのです。

当事者と行政では最終的に完全に一致はしないかもしれないけど、それぞれの立場でそれぞれの考えをきちんと説明し合うことができれば、信頼関係は作れると思うし、それが民主主義ではないかと思うのです。

だから今日の委員会では、まずは「なぜ、事業者選定委員に保護者の代表を追加できないと判断したのか、理由を教えてください」と聞きました。

今までのやりとりから考えると、公平性というようなことが挙げられのかな、と思いつつ。

そしたら答弁は、「追加はできません」と返って来た。

!?

「いや、それは分かったから、なんでできないのかを教えてってば。」と思いつつ再質問。

そしたら「できないのです」と再答弁。

・・・。

困ったなぁ・・・

もしかしたら質問の意図が通じてなかったんでしょうか。

「なんで追加できないのか、理由を言ってみやがれ!」と因縁つけるつもりで聞いたわけではないんですよ(笑)

追加しないのには追加しないだけの理由があるんだろうから、今後の委託をより良い形で進めるためにも、その判断理由を明確にした方が、不毛な話し合いで6時間も費やさずに済むんじゃないですか?ということです。

「Why」で始まる質問をしたのに、答えが「No」と来たから、目玉が飛び出るほどビックリしました(苦笑)

しばらくやりとりしてみて、「行政が結果に責任を持たないといけないから、選定にあたる人も行政が決めた人でなければいけない」ということなのかなと思ったのですが。

そういう方針ならそれで構わないから、それをまず先にきちんと保護者に説明しないといけないでしょ、と私は言いたかったわけです。

そして、行政の責任の範囲はどこまでで、どこからは民間の創意工夫に任せるのか、という基準も予め明確にしておかなければいけないでしょう。

例えば、12月の説明会では、保育の質について問われたときに部長が「事務屋である行政だけで考えるよりも、まずは事業者を決めて、保育の専門家である事業者の意見も聞きながら質について考えたい」という趣旨のことを言っていたように思いますが、では質については行政の責任ではなくて事業者の創意工夫に拠ってしまうんだろうか、と疑問に思います。

「だから保育水準の資料を出してる」と言うかもしれませんが、これはかなり大枠でしょう。
大枠だけ決めてあとは事業者の創意工夫に委ねるのか、という方針は示さないといけないはず。

逆になんでもかんでもが「行政の責任」になれば、がんじからめになって創意工夫の余地はなくなるし。

だから、どこがラインなのかを示さないといけないと思うのです。

保護者との話し合いでもそうだけど、これから事業者が決まればその関係の中でも、「どこまでが行政の責任でどこからが民間で、どこが区民の意見を取り入れられる部分なのか」を前もって示さないといけないと思うのです。

そうじゃないと、一つ一つの個別具体的な事柄にその場その場で答える結果になり、行政が権限を振り回しているような印象を受けてしまいます。

今日一日

選挙の時に心配してくださったり、気にかけてくださった人に、活動報告をしなくちゃと思うんだけれど、なかなか回りきれません。本当に申し訳ないのですが。
選挙当時にどれだけ態勢が整っていなかったかがよく分かるよなあ・・・と独り言を言いながら、少しずつ、少しずつやっています。定例会のないときに。

だから、今の時期も少しずつ動き回っているのですが。
今となっては選挙が終わってもう8ヶ月も経つのに、こんなにご無沙汰してようやく伺った私に、皆さんとても優しく対応してくださって、ありがたいです。

「なかなか来られなくてすみませんでした」という私に、「いえいえ、当選おめでとう」と皆さんが言ってくださる。だから、8ヶ月も経っているのになんとなく私の頭の中は当選直後みたいになっていまして(笑)

「いやいや、来られなかったからってそんなに恐縮しなくても良いよ。向こうの加藤さんからも噂を聞いていたし」と温かい声をかけてくれる方。
「そうか~、『向こうの加藤さん』も気にかけていてくださるのか。嬉しいなあ」と思う私。

・・・しかし、『向こうの加藤さん』って・・・。

私の住んでいる大泉地域は、地域一帯が「加藤さん」なのですが。。
むむむ。。


明日は委員会。来週から定例会が始まるので、それに向けて明後日からは会派での勉強が始まる。だから、地域の方に訪ねていけるのも今日が最後だと思って、朝は大泉学園北口でチラシを配って、その後の午前中は残雪につるつるすべりながら大泉地域を動き回っていました。

そしたら、こんな足跡を見つけた。

080204_1007~0001


鳥が雪の上を歩いたみたいですね。
おお!見事な足跡・・・と思って撮ってみました。


午後は、区民の方から個別に受けている相談(ありがたいことに、最近は結構、社会福祉士らしい相談をいただいているのです。福祉の仕事に就いていたときよりも今のほうがむしろ社会福祉士の知識を生かしています ^^;)の対応をしたり、明日の健康福祉委員会の準備をしました。

そして、夜は基本構想に関する区民懇談会の傍聴。
区民懇談会は、福祉、教育、区民生活、環境まちづくり、という分野別の分科会に分かれていますが、前にも書いたけれど分野によって参加する区民の方の雰囲気が違っていて面白い。
ああ、同じ練馬区民でも興味関心の違いでこんなにタイプが違うんだなあと思って。
それに伴って、区の職員さんやコンサルテーション会社の方という事務局側のかかわり方も微妙に違っていて、面白い。

今日は区民生活分野で、たしか私はこの分野は初めて傍聴したんだったと思います。

町会活動を頑張ってきた方だとか、なかなか、強く自分を持った方が集まっていて、「おお!これはまとめ役の人は大変だろうな」と思いながら見ていたのですが。

しかしまあ、この分科会のコンサルテーションの人が素晴らしいまとめ方をしていました。
皆さんが口々に訴える色々なことを、「こういうことですよね」と、的確な一言でまとめていらっしゃった。

おお、すごい、この人は天才だろうか、としばし凝視してきました。
じーっと。
じーっと。
・・・凝視をしすぎて、コンサルさんに怪訝そうな顔をされてしまった(^^;
しまった、じろじろ見すぎた。

いやー、しかし、うまく伝わらないでしょうけど、とにかく上手なとりまとめだったのですよ。

コンサルテーション会社にいれば無条件に才能があるわけではなくて、今日の人に特別才能があるんだろうなあ、とか。
あんな人が行政職員だったら良いのにねえ、だとか。
そういう、なんだか嫌味な言葉が頭の中に浮かんでしまったりはしますが。
・・・なんだか毎回ブログの最後に可愛げのないことを書いてしまうのですが(^^;

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光が丘第四保育園の説明会

私の母は介護保険が始まる年の冬に亡くなったので、今年でもう8年になりますが、最近すっかりお墓参りが遠のいていまして。
当選してからまだ一度も墓参りをしていない(^^;
いや、選挙に出ると決めてから行ってないんだから、もう2年近くになるのかもしれません。

選挙の時に気にかけてくれていた元都議会議員の中山幹雄さんが、選挙が終わった時に「お世話になったAさんのところには挨拶に行ったかい?Bさんのところには行った?」と色々と気を回してくださっていて。さらには「お母さんのお墓参りには行ったの?」ということまで気にかけてくださったので、いやはやそんなところまで気にしてくれるとは、中山さんは良い人だね、と思いつつ、「いいや、墓参りには行っておりません」と答えたものです。

良い言い方をすれば、母に対する気持ちを、墓参りの代わりに今生きている人たちの方に向けている、と思っているのですが、まあでもとにかく行ってないのです(笑)

1月末が命日なので、さすがにたまには行くかなあ、と思って、身内の何人かと約束をして、今日行くことになっていました。

ところが、光が丘第四保育園の民間委託に関連する説明会が今日行われるということを数日前に聞いて、ありゃありゃ、どうしましょうと思いました。
民間委託のことはすごく気になるし、でも身内と墓参りの約束もしちゃったし・・・。

ううむ。。
と悩んでいたら、なんと雪が降りまして、墓に行けなくなった。
お墓は鎌倉の山の中にあるので、絶対無理でしょうということで。

うむうむ、これはきっと私の母が「お墓に来ないで光が丘に行きなさい」と言ってくれたに違いない、と、信心深いような深くないような一人合点をして、今日一日の活動を開始しました。


しかしすごい雪でしたね。

そんな中で、説明会には保護者の方々が20人強、傍聴者が20人くらい集まりました。


光が丘第四保育園は、12月に民間委託の事業者募集が始まったところです。
12月に行われた説明会がかなりもめて、部長が「私は事務屋です」と言ったりしたところです(^^;

事業者募集を始める段階で、保護者の主張としては、「良い形での選定をするために、もっとじっくり話し合って、もう少し先に余裕を持った事業者募集をしてほしい」というものでした。
でも結局それが聞き入れられないままに募集が始まってしまった。
そのときに「募集を始めた後には、保護者の意見を取り入れますから」ということを、区側は言っていた。

2月に事業者の募集が締め切られたら、選定委員が選定を始めるんだけれど、その委員には保護者が選んだ人を入れてほしい、と保護者は思っていた。だって、保護者の意見を取り入れてくれるって約束したじゃない、と思って、「誰が良いかな」と準備していた。
保護者の方々も、きっと、保護者の意見全体をきちんと取り入れて反映させてくれるバランス感覚のある人を探さなくては、と一生懸命だったでしょう。

ところが、その話し合いのテーブルに着く前に、区の方が「選定委員を7名決めました。これでいきます」と言ってきた。おやおや、保護者の意見を取り入れてくれるんじゃなかったのかい、ということで、保護者は区側にさらに不信感を募らせた。

そんな中で今日の説明会が開かれたのでした。
14時過ぎに始まりまして、終了したのは20時過ぎでした・・・。

これだけの時間とエネルギーを費やしても、なんらポジティブな話し合いに至らないのが残念ですね。もっとお互いの意見を聞き合おうという姿勢が区側にあれば、これだけの時間を割けばもっと良いものができるはずなのに。


区の担当者の説明では、今回は保護者代表は選定委員に入れないという。どうしても入れられないという。それは、「公平性を考えないといけないから」という。
保護者側は、「7名を決めてしまったのなら、そこにあと2人、保護者側を入れても問題ないんじゃないか」という。
これで延々平行線。

私は、区の担当者が「公平性」という言葉を連呼していたときにふと、先日のブログで書いた早瀬昇さんの言ったことを思い出していました。
行政は、公平で平等にすることが仕事だ、ということ。
つまり行政側が言っているのは、「なぜこの選定委員会にこの人を入れたかということを客観的に説明できる立場の人でなければ入れられない」ということなのかなあと。多分、保護者の考えが偏っていると言いたいのではなくて、なぜ保護者を入れるのかを区として他の人に説明しにくい、ということなのかなと。保育園というものを見ているんじゃなくて、区全体を見たときの公平性、という言葉なのかな、と。

でもね、その言葉を保護者にぶつけてしまったら、保護者としては「じゃあ保護者が公平に物事を見られないと、馬鹿にしているのか」という気持ちになってしまうんだと思うのです。

日本語として同じ「公平」という言葉を使っていても、誰を対象にして使っているかが、区側と保護者でずれているから噛み合っていないのだと思いました。言葉というのは難しいものです。

鳥の目と虫の目のバランス、ですかね。
区の職員は区の全体を見ようとして鳥の目線でしゃべっているのでしょうが、それは、庁内で話すときには良いけど、区民と話すときにはもう少し考えないといけないのではないでしょうか。
保護者は保育園の心配をしているわけです。子どもが安全に健全に育ってほしいということを願っているわけです。その人たちの不安な気持ちに目線を合わせて話さないと、信頼関係は築けないでしょう。そんな時に鳥の目線で物事を言われたら、腹が立つばかりで噛み合わないわけです。


課長さんなんかは、課長さんの立場で言える最大限のことを頑張って言おうとされてた感じはしましたが。

でも、12月の光が丘第四保育園の募集開始の経緯や、1月に豊玉第二保育園のことがバタバタしたりだとか、そういう中でとても素直に行政の言う言葉を聞けない保護者の気持ちもあるわけです。

どこかでこの負の連鎖を断ち切れると良いですけどね・・・。


・・・12月のブログで、事務屋と自称した部長のことについてブログでブツブツ文句を書いたら、あらゆる人から「部長のことが嫌いなんだって?」だとか、「ブログに色々書きすぎじゃない?」と声をかけられたので、今日は控えめに書いてみました。ははん。
最後まで頑張って抑えておいたのに、最後に来て種明かしをしたら何の意味もないですけどね。ははん。

ま、明後日には健康福祉委員会もあることだし、また数日を経たらもう少し色々書けるかと思いますが。

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介護保険に関する国会集会

1月29日は、NPOが主催する国会集会に行きました。(詳細はこちら

ケアマネジャー、介護の事業所の人、介護をしている家族、家族を支える支援者、そして介護保険を利用している当事者等が、それぞれの立場から、今の介護保険について「もっとこうしてほしい」と提言をする集まりでした。
参議院の議員会館でやったので、皆の思いを国会議員が受け止める、という趣旨の集まり。

介護保険制度は崩壊しているんじゃないか、というのは、今度私が企画をしているボランタリーフォーラムのテーマとも重なるのですが。

2000年に介護保険が始まったときには、「介護が必要になっても、自分の住みたい場所に住んで、権利として介護を受け、家族とも良い関係を続け、誰に気兼ねすることなく人生を全うできるように」ということで制度が作られたはずだった。
でも、利用が伸びる中で、「不適正な利用は抑制しよう」という動きになって、2006年の改正でかなり厳しい状況になっている。

まだ体が動く軽度の人がヘルパーを使うのはかえって良くないからと、「介護予防で筋トレをしましょう」ということが言われる。とある福祉の大学の先生が「なんで80歳を過ぎてまで筋トレをしなくちゃならないんだ。そんな人生は俺はいやだ」と言っていましたが(^^;

でも実際には、介護度が軽いからヘルパーが必要ない、なんて簡単には言えるものではない。
例えば認知症の人は、はじめのうちは状態が軽いからということで、要介護認定を受けてもほとんどサービスが受けられない状態になってしまう。
家族も本人も「認知症」の診断を受けたショックもあるし、介護保険サービスは使えないし、という中に放置されてしまって、社会から見放されたような状態に置かれてしまう。

今回お話をしてくださった、介護保険の利用当事者の方は、いくつかの病気を抱えながらもなんとか自立した生活を送っている。でも、通院や散歩にヘルパーが付き添えないために、「自分と同じような病状の人は、外に出かけることもできずに閉じこもってしまわざるを得ないだろう」とおっしゃっていた。

軽度の人はサービスを受けさせないという状態を作ることで、逆に「早く重度になりなさい」と言っているようなものですね。机上で作られた制度だからなんでしょうね。サービスを受けることは、物理的な「介護」ということだけではなく、社会とつながる手段となるという視点が抜け落ちているのでしょう。


それから、介護職の給料が安くて、せっかく福祉系の学校を卒業しても、違う仕事についてしまう人がほとんどであるという意見も出ていました。介護をこれからも充実させていくためには、福祉を勉強している学生が希望を持てる条件を作らないといけない、と。
これは本当に最近よく聞く話で。そして私も、福祉の資格を取っていながら福祉の仕事を辞めてしまった一人なので、「ごめんなさい・・・」という気持ちになるのですが

確かに、私も給料は安かった。私は非常勤で働いていたことが多かったから、というのもあるけれど、15万もらったら「今月は良いお給料だなあ」と思っていたし、ボーナスという言葉は私の辞書にはなかった。
議員になってから生まれて初めてボーナスをもらったので、明細を見て目が飛び出ました。議員がもらうボーナスだけで、福祉の仕事をしてた時の私の年収と同じくらいだったから(^^;

私は4年間福祉の仕事をしている間、非常勤でいくつかの職場を掛け持っていることが多かったのでちょっと不規則ですが。でもボーナスがなくて月収15万くらいなんだから、年収は200万前後でした。

福祉の仕事をしながら一般企業並みにお給料をもらうためには、夜勤もやって、プライベートの時間も持ちにくいくらい働いて、「この利用者さんにとってこのケアプランの内容で本当に幸せなんだろうか」とか「この利用者さんはもっと地域に関わりたいんじゃなかろうか」なんて疑問が起きたとしてもそれは心の奥に押し込めて、介護保険の範囲外のことを要求されたら「規則ですからできません」と冷たくあしらい、完全に歯車として働くしかないんじゃないかと思うのです。

私はそれは絶対できないと思ったから、年収200万の道を選んだわけですが、年収をとるか、自分の信念をとるか、という辛い選択を迫られるのが福祉の仕事じゃないかなと思います。これは、介護の現場だけではなく、社会福祉協議会とかで働いている人も同じじゃないかな。


・・・上のは私の思いですが・・・。
今回の集会では、そんなことも含めて今の福祉の現場の非常に厳しい現状を、それぞれの立場から、短い時間で端的に訴えていらっしゃった。

すごいなあと思ったのは、当事者の方が発言されていたこと。「当事者の視点」は意外と抜け落ちがちなものだと思います。
ヘルパーの意見や家族の意見が、イコール当事者の意見ではない、ということを忘れてはいけませんね。

練馬区の保育園民間委託でも、主に保護者の方が訴えていらっしゃるけれど、実は本当の当事者は保護者ではなくて子ども達であるという視点は、意外と抜け落ちがちだと思います。委託にあたって子どもの声を聞いたのかしら、というのは、一部からは意見として出ていますが。
答弁によると、「保護者のニーズを満たすことが子どもの安定にもつながるだろうと判断している」そうですが、そんな考え方はとんでもない、言語道断な考えだと思いますけど。
・・・うーむ、保育園のことを思い出すとどうしても腹が立ってきてしまう

サービスを利用する当事者の声を最優先するというのは当たり前のことでありながら、福祉従事者でも抜けてしまいがちなので、今回の集まりで当事者がいたということが、とても意味を持っていたと思いました。


それぞれの思いを受けて、参加している国会議員が発言していらっしゃいましたが。
「政権交代すれば、必ず良い制度にします」なーんて意見があったりして。うーむ、なんというか、当事者や福祉従事者の切実さとちょっとずれてるんじゃないかしらん、と思ってしまった。・・・政権交代したい立場の人は、私の仲間にあたる立場の人たちではありますが(^^;
政権交代しようがしまいが、人は年をとって寿命を全うしていく。そのときに、人間らしい最期を迎えさせてくれ、と訴えている人に対して、「政権交代すればやります」って言うのは、どうなのかしらねえ・・・。


私は、議員同士で集うとか、「政治」について話す、というのが、どうもあんまり好きではなくて、なんでかなあと考えていました。
それが、今回の国会議員さんたちの発言を聞いていて、なんとなく理由がわかった気がします。

人が生まれて、色々あって、頑張って生きて、そして死んでいく。その流れの中に、いろんな人とのかかわりがあったり、そこに社会が形成されたりする。
その中で、少しでも生きやすくするためにはどうしたら良いのか、方法を考えるのが「政治」なんじゃないのかなあと思います。つまりは、政治は、人が生きていくための「手段」なんだと思います。政治そのものが「目的」ではない。

だから、私は議員としてやることは、議員仲間を増やすことでもなく、「政治」を語ることではなくて、練馬区に住んでいる一人ひとりの活動や人生を見て、その声に耳を傾けることなんじゃないかと思うのです。そこからおのずと、どんな政治をやるべきかが見えてくるんじゃないかと思う。

だから、生きる権利の保障を求めている人たちに対して、「政権交代したらやります」というのは、本末転倒じゃないかしら、となんだかとても違和感が・・・。


NPOで働いてきた私としては、今まではずっと「市民活動側が、自分の活動に満足するだけではなくて、社会を変えるためにもっと動かなくてはいけないんじゃないか」と思ってきましたが、今回の集まりに参加してみて、十分ソーシャルアクションをしている人たちはいるということが分かりました。
むしろ、その思いを受け止める立場にある議員や行政側が、どれだけその思いを正確に受け止められるかという問題があるのかなあとしみじみ思いました。

だからもっともっと勉強しなくては、と思っています。

※かとうぎ桜子を育てる会のホームページは
こちら

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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