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桜まつりと、東京社会福祉士会の総会
やっぱり花粉症になったのかなあ・・・。
会合で会場がしーんとしているときや、偉い人が真面目に挨拶しているときに限って「へっくしょい」とくしゃみが出て、ハナが垂れる。垂れるから「ずびー」っと鼻をかむ。うるさくてすみません。うぅ。
今日は午前中は「大泉桜まつり」。ちょうど満開で良かったですね。
大泉中学校でのセレモニーと、学園町の風致地区公園でのセレモニーに参加。
そのあと、午後は東京社会福祉士会の総会に出るために、早稲田の方へ。
書きたいことが多岐にわたるので、以下、「★」で区切って書きます。
★いずみ寮のこと
総会の前の講演会は、練馬区内にある婦人保護施設「いずみ寮」の施設長さんからのお話。
婦人保護施設は、売春防止法に基づく施設。
そもそも、売春防止法というのが、「売春をする女が悪い」という考えに基づくもので、買う人や売っている業者については触れていないという、女性差別的な考えがあります。
婦人保護施設に入っている方は、DVの被害にあった方だったり、知的・精神に障害があって、社会の中で生きづらい思いをしてきた方が多い。
元々、性的な搾取を受けてきた女性というのが、小さい頃から性的虐待を受けた被害者だったり、軽度の障害がある方だったり、貧困であったり、という状況にある。
性を売って働いている女性のことについて、「なぜそんな仕事についているのか」と思いを馳せてみると、どんな事情があるにしろ、とにかく「性くらい売ったって構わない」もしくは「仕方ない」という感情があるわけで。なぜその感情が生まれてしまうかというと、自分を大事にしたいという感情が奪われてしまっているからで。どうして自尊感情がなくなってしまうのかというと、ずっとそういう環境に置かれてきたからで。
つまりは、その人が、自分を大事にして生きていくことができない社会構造の問題なわけですね。
昨日のブログではホームレスのことを書いたけれど、女性に特化して考えると今日のブログのような話になります。
貧困は、物理的・経済的なものだけではなく、「自分を大事にしたい」という最低限の尊厳までも奪ってしまっている。生命の保障さえ危うい。
今日の講演の性的搾取の話の中で、児童ポルノの話が出ました。児童ポルノの低年齢化が進んでいて、小学校低学年の女の子に性的虐待を加えている様子を映したビデオがあるとか。
そんな状況に置かれた子どもが、自分に誇りを持って生きていけるのか・・・。
同じ時代に生きていながら、想像もつかないような状況に置かれている人がたくさんいるんだと思います。
昨日の反貧困フェスタの中では、ホームレスに対する襲撃の話が出ていました。
ホームレスが寝ているところにガソリンをまいて火をつけるとか。
普通に生きている中で起きたとしたら、大騒動になるような残酷な事件がたくさん起きていて、犯人がつかまっていないにも関わらず、新聞ではちっぽけな記事にしかならない。
ホームレスに対する暴力、女性が置かれている環境・・・加害者の責任もさることながら、それを見て見ぬふりしている私達の責任も問われますよね。
こうやって考えると改めて、性と生とは深いつながりがあって、絶対に犯されてはいけない人の尊厳であると思います。目を背けてはいけない問題です。
・・・2日連続で衝撃的な話を聞いたので、ショックでバタッと倒れそうな気分です・・・。
★「社会福祉士」のこと。
社会福祉士はどうあるべきか、なんていう話を皆でしつつ、そんな中でもいろんな立場の人、いろんなタイプの人、いろんな考えの人がいるなあ、なんていうのを見てきました。
そんな中で、しみじみ考えた。
私は、「議員である」ということよりも上位のアイデンティティとして「社会福祉士であること」があると思っています。専門職としての倫理があるからです。
だけど、「社会福祉士であること」ということを最終ゴールにして、そこに安住してしまってもいけないなあと。
さらに上位概念として何があるのか・・・と考えると・・・・「人間であること」かな?
以前、たかやんさんという方が、コメントをくださったことがありましたが、「人間らしくあること」が一番のポイントかな。
人間らしく生きるために、それを実現するための役割として社会福祉士があり、具体的に形にする仕事として議員がある、という感じでしょうか。
社会福祉士に限らず、ケアマネでもヘルパーでも、医者でも弁護士でも、専門職種の人は皆そうでしょうが、広く広く、一番先の目標を見ておかないと、いつか楽な地点に安住してしまうんじゃないか、ということを、自分の心の戒めとして、感じました。
★「ご案内」?
総会が終わって、懇親会。
近くに座った人と話をしていたら、向かいに座った方は、行政関係の福祉施設で働いている方だった。
「へえ、議員さんでしたか」とその方は言い、私は、その人の働いている施設について「どんなですか?」と質問をしていました。
「どういう仕組みで仕事をしてるんですか?」と聞いたら、その方が、「ご案内のように・・・」と前置きしながら答え始めた。
ひぃ。「ご案内のように」が出た。答弁だ・・・。
行政関係で働いている人は、業務外でお酒を飲んでいるときにも、目の前に議員が現われたらつい「ご案内のように」と言うんでしょうか。
そのことにビックリして、しばらく衝撃を受けていました(^^;
しかし、前から気になっていたんだけど、「ご案内のように」って、何だろう・・・。
会社とかで働いてても使う言葉なんですかね?
私は議員になって初めて聞いたから、初めて新人議員研修に行った時に「ご案内のように」と言われて、「どこかに『ご案内』という紙があるんだろうか・・・」としばらく探しました。
30秒くらい探し続けて、ハッと意味に気づきました(^^;
「もうすでにご存知でしょうけど」っていうことですよね。
こりゃあ、盛んに使われてるところを見ると、丁寧語なんですかね?
「議員さんになることができた人なんだから、いちいち私から説明なんか聞かなくたって、知ってて当然でしょ、へっへ」と、言われているような気分になるんですけど・・・(^^;
いやはや、ビールを片手にしゃべってるときに「ご案内」が出たショックで、いろんなことが頭を駆け巡りました。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
会合で会場がしーんとしているときや、偉い人が真面目に挨拶しているときに限って「へっくしょい」とくしゃみが出て、ハナが垂れる。垂れるから「ずびー」っと鼻をかむ。うるさくてすみません。うぅ。
今日は午前中は「大泉桜まつり」。ちょうど満開で良かったですね。
大泉中学校でのセレモニーと、学園町の風致地区公園でのセレモニーに参加。
そのあと、午後は東京社会福祉士会の総会に出るために、早稲田の方へ。
書きたいことが多岐にわたるので、以下、「★」で区切って書きます。
★いずみ寮のこと
総会の前の講演会は、練馬区内にある婦人保護施設「いずみ寮」の施設長さんからのお話。
婦人保護施設は、売春防止法に基づく施設。
そもそも、売春防止法というのが、「売春をする女が悪い」という考えに基づくもので、買う人や売っている業者については触れていないという、女性差別的な考えがあります。
婦人保護施設に入っている方は、DVの被害にあった方だったり、知的・精神に障害があって、社会の中で生きづらい思いをしてきた方が多い。
元々、性的な搾取を受けてきた女性というのが、小さい頃から性的虐待を受けた被害者だったり、軽度の障害がある方だったり、貧困であったり、という状況にある。
性を売って働いている女性のことについて、「なぜそんな仕事についているのか」と思いを馳せてみると、どんな事情があるにしろ、とにかく「性くらい売ったって構わない」もしくは「仕方ない」という感情があるわけで。なぜその感情が生まれてしまうかというと、自分を大事にしたいという感情が奪われてしまっているからで。どうして自尊感情がなくなってしまうのかというと、ずっとそういう環境に置かれてきたからで。
つまりは、その人が、自分を大事にして生きていくことができない社会構造の問題なわけですね。
昨日のブログではホームレスのことを書いたけれど、女性に特化して考えると今日のブログのような話になります。
貧困は、物理的・経済的なものだけではなく、「自分を大事にしたい」という最低限の尊厳までも奪ってしまっている。生命の保障さえ危うい。
今日の講演の性的搾取の話の中で、児童ポルノの話が出ました。児童ポルノの低年齢化が進んでいて、小学校低学年の女の子に性的虐待を加えている様子を映したビデオがあるとか。
そんな状況に置かれた子どもが、自分に誇りを持って生きていけるのか・・・。
同じ時代に生きていながら、想像もつかないような状況に置かれている人がたくさんいるんだと思います。
昨日の反貧困フェスタの中では、ホームレスに対する襲撃の話が出ていました。
ホームレスが寝ているところにガソリンをまいて火をつけるとか。
普通に生きている中で起きたとしたら、大騒動になるような残酷な事件がたくさん起きていて、犯人がつかまっていないにも関わらず、新聞ではちっぽけな記事にしかならない。
ホームレスに対する暴力、女性が置かれている環境・・・加害者の責任もさることながら、それを見て見ぬふりしている私達の責任も問われますよね。
こうやって考えると改めて、性と生とは深いつながりがあって、絶対に犯されてはいけない人の尊厳であると思います。目を背けてはいけない問題です。
・・・2日連続で衝撃的な話を聞いたので、ショックでバタッと倒れそうな気分です・・・。
★「社会福祉士」のこと。
社会福祉士はどうあるべきか、なんていう話を皆でしつつ、そんな中でもいろんな立場の人、いろんなタイプの人、いろんな考えの人がいるなあ、なんていうのを見てきました。
そんな中で、しみじみ考えた。
私は、「議員である」ということよりも上位のアイデンティティとして「社会福祉士であること」があると思っています。専門職としての倫理があるからです。
だけど、「社会福祉士であること」ということを最終ゴールにして、そこに安住してしまってもいけないなあと。
さらに上位概念として何があるのか・・・と考えると・・・・「人間であること」かな?
以前、たかやんさんという方が、コメントをくださったことがありましたが、「人間らしくあること」が一番のポイントかな。
人間らしく生きるために、それを実現するための役割として社会福祉士があり、具体的に形にする仕事として議員がある、という感じでしょうか。
社会福祉士に限らず、ケアマネでもヘルパーでも、医者でも弁護士でも、専門職種の人は皆そうでしょうが、広く広く、一番先の目標を見ておかないと、いつか楽な地点に安住してしまうんじゃないか、ということを、自分の心の戒めとして、感じました。
★「ご案内」?
総会が終わって、懇親会。
近くに座った人と話をしていたら、向かいに座った方は、行政関係の福祉施設で働いている方だった。
「へえ、議員さんでしたか」とその方は言い、私は、その人の働いている施設について「どんなですか?」と質問をしていました。
「どういう仕組みで仕事をしてるんですか?」と聞いたら、その方が、「ご案内のように・・・」と前置きしながら答え始めた。
ひぃ。「ご案内のように」が出た。答弁だ・・・。
行政関係で働いている人は、業務外でお酒を飲んでいるときにも、目の前に議員が現われたらつい「ご案内のように」と言うんでしょうか。
そのことにビックリして、しばらく衝撃を受けていました(^^;
しかし、前から気になっていたんだけど、「ご案内のように」って、何だろう・・・。
会社とかで働いてても使う言葉なんですかね?
私は議員になって初めて聞いたから、初めて新人議員研修に行った時に「ご案内のように」と言われて、「どこかに『ご案内』という紙があるんだろうか・・・」としばらく探しました。
30秒くらい探し続けて、ハッと意味に気づきました(^^;
「もうすでにご存知でしょうけど」っていうことですよね。
こりゃあ、盛んに使われてるところを見ると、丁寧語なんですかね?
「議員さんになることができた人なんだから、いちいち私から説明なんか聞かなくたって、知ってて当然でしょ、へっへ」と、言われているような気分になるんですけど・・・(^^;
いやはや、ビールを片手にしゃべってるときに「ご案内」が出たショックで、いろんなことが頭を駆け巡りました。
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貧困問題の話を聞きに行きました
この数日は、事務処理をしたり、個別に福祉の事業所に見学に行ったり、区民の方から受けた相談について解決方法を考えたりしています。
そんな中で、素敵な人の話を聞いて幸せな気分になったり。
相談の解決方法を探るために区の担当職員に連絡をしたら「それは区の担当ではなく国の制度の問題だから私は知りません」と言われてムカついたり。国の制度だからって身近な自治体が知らなくて良いって理屈があるかいな。腹が立つよ、まったく。
日々、色々と感情は動いているのですが、あまりに個別なことなので、守秘義務等考えるとなかなか報告できないこともあったりしたのですが。
それから、ようやくここのところ、事務所を開けるようにしてます。
今後も、定例会のないときはできるだけ外回りは午前中に済ませて午後は事務所を開けるようにしたいな、と思っているのですが。
事務所を開けていると、結構皆さん来てくれるんですねえ。
昨日も知り合いが何人か、「通りかかったら開いてたから」と入ってきてくれました。
皆さん、まるで間違えて人里に出てきてしまった熊みたいな不安そうな顔をしながら事務所に入ってきてくれますが(笑)、どうぞどうぞ、開いてるときはもっと自由に入ってきてくださいませ(^^;
さて、今日は神保町でやっていた「反貧困フェスタ」というのに行きました。
6月1日にゆめりあホールでやる予定の「あしがらさん」上映会のことで、監督の飯田さんにお会いするために行ったんですけれど。
神田一橋中学校というところを使ってやっていたのですが、かなりの参加者数。込み合ってました。
「貧困」と聞いて、こんなにたくさんの人が集まるんだなあ、としみじみ。
「子どもの貧困」というテーマのものもあったりして、貧困が、子どもから高齢者まですべての世代にわたる問題であって、その分、多分野にわたる問題なんだなあと思いました。
会場では、練馬の人にも何人かお会いしました。
私は、生田武志さんという方のお話を聞きました。
貧困について語るときに、「努力すればそれなりの所得は得られるはずじゃないか。努力が足りないんじゃないか」という意見があります。区議会の野次でも、そんな内容のものがあります。
感覚的に、そういう意見を聞くと、「不快だ」と感じていたのですが(苦笑)、なかなか自分の中で反論の言葉が整理できていなかった。それが今日、生田さんの話を聞いて整理できました。
社会の中の貧困は、椅子とりゲームのようなもの。
椅子が取れなかったのは、取れた人と比べれば頑張りが足りなかったせいだ、と考える。
もっともっと頑張らなくちゃと考える。
それで、頑張るとする。
でも、他の人も同様に、もっともっと頑張ったとしたら?
何百倍、何万倍頑張ろうとも、椅子とりゲームでは、椅子の数は人間の数より少ないことに変わりがない。
どんなに頑張ったって、必ず「椅子を取れない人」が出てくる。
だから、貧困は、個人の努力の問題ではなく、構造上の問題―椅子の数が人数につりあっていないという問題―ということなんだ。
そんな説明がありました。
それを聞いていてふと、中島みゆきの「幸福論」という歌を思い出した。
プラスマイナス 幸せの在庫はいくつ
誰が泣いて暮らせば 僕は笑うだろう
プラスマイナス 他人の悲しみをそっと 喜んでいないか
誰かが犠牲になることで、誰かが助かる社会構造が、あるとするならば、変えていける方法を考えなくちゃいけないんだと思います。
6月1日の上映会では、監督の飯田さんのほかに、北村年子さんという方と、清野賢司さんという方にも来ていただく予定で、今日はその二人に会いに行ったのでした。
北村さんは、若者がホームレスを襲撃してしまった事件について追った本を出した方。清野さんは、学校の先生で、子ども達と一緒にホームレス問題を考えるうちにどんどん一生懸命活動をするようになった方。
「はじめまして・・・??でしたっけ??」みたいな、挨拶をし(^^;
北村さんには多分初めてお会いするのですが、パッとお会いした瞬間に、とても美しく素敵な女性だったので、私はクニャクニャになり(笑)
「6月1日は、どんな内容でやりたいのー?」と北村さんに聞かれても、「うひ・・・」としか答えられず(^^;
清野さんには、4年ほど前に私がまだ上智の学生だった頃に会ったことがあったね、という話になり。ああ、そうだった!と思い(^^;
素敵な人たちに関わっていただけるので、とても嬉しいなあと思いつつ、さてさて、6月1日に、私のチラシやらブログやらを見て一体どんな人が来てくださるのか・・・ある程度予測しないとシンポジウムの中身を絞れないので、なんとか予測しようと頭をひねっています。ひねればひねるほど、何も出てこない・・・(^^;
やるんだったら、行ってみるよ、と思ってくださっている方は、ぜひ声をかけてくださるとありがたいです。そして、「シンポジウムではこんな話を期待している」という意見を聞かせていただけるとありがたいです。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
そんな中で、素敵な人の話を聞いて幸せな気分になったり。
相談の解決方法を探るために区の担当職員に連絡をしたら「それは区の担当ではなく国の制度の問題だから私は知りません」と言われてムカついたり。国の制度だからって身近な自治体が知らなくて良いって理屈があるかいな。腹が立つよ、まったく。
日々、色々と感情は動いているのですが、あまりに個別なことなので、守秘義務等考えるとなかなか報告できないこともあったりしたのですが。
それから、ようやくここのところ、事務所を開けるようにしてます。
今後も、定例会のないときはできるだけ外回りは午前中に済ませて午後は事務所を開けるようにしたいな、と思っているのですが。
事務所を開けていると、結構皆さん来てくれるんですねえ。
昨日も知り合いが何人か、「通りかかったら開いてたから」と入ってきてくれました。
皆さん、まるで間違えて人里に出てきてしまった熊みたいな不安そうな顔をしながら事務所に入ってきてくれますが(笑)、どうぞどうぞ、開いてるときはもっと自由に入ってきてくださいませ(^^;
さて、今日は神保町でやっていた「反貧困フェスタ」というのに行きました。
6月1日にゆめりあホールでやる予定の「あしがらさん」上映会のことで、監督の飯田さんにお会いするために行ったんですけれど。
神田一橋中学校というところを使ってやっていたのですが、かなりの参加者数。込み合ってました。
「貧困」と聞いて、こんなにたくさんの人が集まるんだなあ、としみじみ。
「子どもの貧困」というテーマのものもあったりして、貧困が、子どもから高齢者まですべての世代にわたる問題であって、その分、多分野にわたる問題なんだなあと思いました。
会場では、練馬の人にも何人かお会いしました。
私は、生田武志さんという方のお話を聞きました。
貧困について語るときに、「努力すればそれなりの所得は得られるはずじゃないか。努力が足りないんじゃないか」という意見があります。区議会の野次でも、そんな内容のものがあります。
感覚的に、そういう意見を聞くと、「不快だ」と感じていたのですが(苦笑)、なかなか自分の中で反論の言葉が整理できていなかった。それが今日、生田さんの話を聞いて整理できました。
社会の中の貧困は、椅子とりゲームのようなもの。
椅子が取れなかったのは、取れた人と比べれば頑張りが足りなかったせいだ、と考える。
もっともっと頑張らなくちゃと考える。
それで、頑張るとする。
でも、他の人も同様に、もっともっと頑張ったとしたら?
何百倍、何万倍頑張ろうとも、椅子とりゲームでは、椅子の数は人間の数より少ないことに変わりがない。
どんなに頑張ったって、必ず「椅子を取れない人」が出てくる。
だから、貧困は、個人の努力の問題ではなく、構造上の問題―椅子の数が人数につりあっていないという問題―ということなんだ。
そんな説明がありました。
それを聞いていてふと、中島みゆきの「幸福論」という歌を思い出した。
プラスマイナス 幸せの在庫はいくつ
誰が泣いて暮らせば 僕は笑うだろう
プラスマイナス 他人の悲しみをそっと 喜んでいないか
誰かが犠牲になることで、誰かが助かる社会構造が、あるとするならば、変えていける方法を考えなくちゃいけないんだと思います。
6月1日の上映会では、監督の飯田さんのほかに、北村年子さんという方と、清野賢司さんという方にも来ていただく予定で、今日はその二人に会いに行ったのでした。
北村さんは、若者がホームレスを襲撃してしまった事件について追った本を出した方。清野さんは、学校の先生で、子ども達と一緒にホームレス問題を考えるうちにどんどん一生懸命活動をするようになった方。
「はじめまして・・・??でしたっけ??」みたいな、挨拶をし(^^;
北村さんには多分初めてお会いするのですが、パッとお会いした瞬間に、とても美しく素敵な女性だったので、私はクニャクニャになり(笑)
「6月1日は、どんな内容でやりたいのー?」と北村さんに聞かれても、「うひ・・・」としか答えられず(^^;
清野さんには、4年ほど前に私がまだ上智の学生だった頃に会ったことがあったね、という話になり。ああ、そうだった!と思い(^^;
素敵な人たちに関わっていただけるので、とても嬉しいなあと思いつつ、さてさて、6月1日に、私のチラシやらブログやらを見て一体どんな人が来てくださるのか・・・ある程度予測しないとシンポジウムの中身を絞れないので、なんとか予測しようと頭をひねっています。ひねればひねるほど、何も出てこない・・・(^^;
やるんだったら、行ってみるよ、と思ってくださっている方は、ぜひ声をかけてくださるとありがたいです。そして、「シンポジウムではこんな話を期待している」という意見を聞かせていただけるとありがたいです。
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★昨日のブログの補足 ★小学校の卒業式
★昨日のブログの補足・・・
昨日のブログでは、介護保険運営協議会の会長で、私がかつて老人福祉論を教えてもらった冷水先生について書きましたけど、「冷水」は「しみず」って読むんですよ。
以上、補足でした(笑)
今日、父と会って、夕食を食べていたら、父が、「昨日の“ひやみず”先生の話、読んだよ」と言ったのです。
「あれはしみず先生って読むんだよ」と答えたら父がプンプン怒っていまして。
「そんなの、ふりがな振ってくれなくちゃ分からないよ」って。
「もう、すっかり、『年寄りの冷や水』という言葉が頭に浮かんでしまったではないか」って・・・
★小学校の卒業式
今日は、小学校の卒業式でした。
私は、大泉東小学校に。
小学校に入った頃には皆小さくて、ピヨピヨしてるんですよねえ。ちょっと前まで保育園や幼稚園に行ってるんだもの。
以前、保育園でバイトをしてた時、「僕、来年から小学生だもんっ」と誇らしげに言ってた子がいたけど、そのくらいの子が、小学1年生なわけで。
それが、6年生にもなると、大人に近い大きさになる。すごい成長ですよねえ。
大人になっての6年なんてあっという間だけど。
でも、先日の中学の卒業式と比べると、やっぱりまだ小さいね。
体じゃなくて、雰囲気が。
体の成長は小学生でグーンと進むけど、心の成長は中学でググーンと進むのでしょう。
小学校の卒業式で感慨深いのは、本人よりもむしろ親御さんかな。必死でビデオ撮影をしている姿を見て思いました。「あー、あんなに小さかった子がこんなに立派になって・・・」と思ってるんだろうなあ。その思いがひしひしと伝わってきました。
中学に入れば、反抗をしたり、生意気にもなるだろうし、自分の考えも持ってくる。だからこそ、中学の卒業式にもなれば、本人の中にいっぱい思いが出てくる。
そう考えると、小学校の卒業式が、最後の親孝行かな(^^;
卒業式の進み方は、私が小学生だった頃から変わりませんね。
「呼びかけ」をやって。
歌を歌って。
呼びかけ・・・「数々の思い出が今、鮮やかに蘇ります」だとか、「高齢者のデイサービスに行き、心和みました」なんていうセリフを言うんだけど。。んまあ、12歳なのに、まるで中年のような言葉遣いだわ
と思っちゃったりしましたが(^^;
う~ん。そんなのも、最後の親孝行、先生孝行、かな・・・
「君が代」は、中学の卒業式で気になり始めちゃったらものすごく気になっちゃって、今日は歌えなかったなぁ。
「君が代」の歌詞、じっくり考えたことありますか?
天皇の治める世の中は 千年も万年も
小さな石が大きな石になって そこにコケが生えるまで続くように(そして、それに私は従いますよ)
ってな意味でしょう。
教育勅語みたいに、言葉で読まされていたら抵抗があるようなものも、音楽にあわせるとなんとなく抵抗感が薄れる、それを利用していつまでも憲法と違うことが言われている感じがします。
天皇って何なんだろう?日本人にとってどういう存在なんだろうか?そんな議論を、義務教育の中でしたことってありましたっけ?
私には、そんな議論をした記憶はありません。
議論した上で、何らかの形で合意を取り、納得した上での「君が代」ならばまだしも、その辺をすっ飛ばして強制になるというのはやっぱりおかしいですね。
しかし、卒業式で、開会のために立ち上がって、一度座ることもないままに君が代が流れ始める。随分議論になってたけど、納得してない人も座ってられない状況が作られてるんだなあとしみじみ。
いやはや、周りが皆歌ってる中で、黙っているというのは、なんというか、落ち着かないですね。。
うーん、子どもも頑張って歌っているのに、黙っているって、なんだか、なんだか・・・
だけど歌ったら、天皇万歳、みたいで、民主主義と反していて、嫌だしなあ・・・。
今日は隣に共産党の都議の方がいて、この人は絶対歌ってないに違いないと思うのだけが心の支えでしたが(^^;
皆がやっていることに従うのが当たり前。それをできない人は礼儀知らず。
そんな文化と、「本当に考えた上で従っているの?もっと物事は深く考え、議論を戦わせるべきではないの?」という問題が混同されているように思います。
「考えずに従うこと」=「伝統を守ること」ではないということは、常に言っていかないといけないように思っています。
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昨日のブログでは、介護保険運営協議会の会長で、私がかつて老人福祉論を教えてもらった冷水先生について書きましたけど、「冷水」は「しみず」って読むんですよ。
以上、補足でした(笑)
今日、父と会って、夕食を食べていたら、父が、「昨日の“ひやみず”先生の話、読んだよ」と言ったのです。
「あれはしみず先生って読むんだよ」と答えたら父がプンプン怒っていまして。
「そんなの、ふりがな振ってくれなくちゃ分からないよ」って。
「もう、すっかり、『年寄りの冷や水』という言葉が頭に浮かんでしまったではないか」って・・・

★小学校の卒業式
今日は、小学校の卒業式でした。
私は、大泉東小学校に。
小学校に入った頃には皆小さくて、ピヨピヨしてるんですよねえ。ちょっと前まで保育園や幼稚園に行ってるんだもの。
以前、保育園でバイトをしてた時、「僕、来年から小学生だもんっ」と誇らしげに言ってた子がいたけど、そのくらいの子が、小学1年生なわけで。
それが、6年生にもなると、大人に近い大きさになる。すごい成長ですよねえ。
大人になっての6年なんてあっという間だけど。
でも、先日の中学の卒業式と比べると、やっぱりまだ小さいね。
体じゃなくて、雰囲気が。
体の成長は小学生でグーンと進むけど、心の成長は中学でググーンと進むのでしょう。
小学校の卒業式で感慨深いのは、本人よりもむしろ親御さんかな。必死でビデオ撮影をしている姿を見て思いました。「あー、あんなに小さかった子がこんなに立派になって・・・」と思ってるんだろうなあ。その思いがひしひしと伝わってきました。
中学に入れば、反抗をしたり、生意気にもなるだろうし、自分の考えも持ってくる。だからこそ、中学の卒業式にもなれば、本人の中にいっぱい思いが出てくる。
そう考えると、小学校の卒業式が、最後の親孝行かな(^^;
卒業式の進み方は、私が小学生だった頃から変わりませんね。
「呼びかけ」をやって。
歌を歌って。
呼びかけ・・・「数々の思い出が今、鮮やかに蘇ります」だとか、「高齢者のデイサービスに行き、心和みました」なんていうセリフを言うんだけど。。んまあ、12歳なのに、まるで中年のような言葉遣いだわ

う~ん。そんなのも、最後の親孝行、先生孝行、かな・・・

「君が代」は、中学の卒業式で気になり始めちゃったらものすごく気になっちゃって、今日は歌えなかったなぁ。
「君が代」の歌詞、じっくり考えたことありますか?
天皇の治める世の中は 千年も万年も
小さな石が大きな石になって そこにコケが生えるまで続くように(そして、それに私は従いますよ)
ってな意味でしょう。
教育勅語みたいに、言葉で読まされていたら抵抗があるようなものも、音楽にあわせるとなんとなく抵抗感が薄れる、それを利用していつまでも憲法と違うことが言われている感じがします。
天皇って何なんだろう?日本人にとってどういう存在なんだろうか?そんな議論を、義務教育の中でしたことってありましたっけ?
私には、そんな議論をした記憶はありません。
議論した上で、何らかの形で合意を取り、納得した上での「君が代」ならばまだしも、その辺をすっ飛ばして強制になるというのはやっぱりおかしいですね。
しかし、卒業式で、開会のために立ち上がって、一度座ることもないままに君が代が流れ始める。随分議論になってたけど、納得してない人も座ってられない状況が作られてるんだなあとしみじみ。
いやはや、周りが皆歌ってる中で、黙っているというのは、なんというか、落ち着かないですね。。
うーん、子どもも頑張って歌っているのに、黙っているって、なんだか、なんだか・・・

だけど歌ったら、天皇万歳、みたいで、民主主義と反していて、嫌だしなあ・・・。
今日は隣に共産党の都議の方がいて、この人は絶対歌ってないに違いないと思うのだけが心の支えでしたが(^^;
皆がやっていることに従うのが当たり前。それをできない人は礼儀知らず。
そんな文化と、「本当に考えた上で従っているの?もっと物事は深く考え、議論を戦わせるべきではないの?」という問題が混同されているように思います。
「考えずに従うこと」=「伝統を守ること」ではないということは、常に言っていかないといけないように思っています。
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★委員会 ★社会福祉事業団 ★介護保険運営協議会
今日も、色々あったし、色々書きたいことがありますが、色々ありすぎてややこしいので、まずは時系列に書いてみます。
7時~8時30分 大泉学園北口でレポート配布
10時~13時 健康福祉委員会
14時~15時20分くらい 社会福祉事業団評議員会
15時20分くらい~17時10分 介護保険運営協議会を傍聴
18時30分過ぎ~20時30分 基本構想の区民懇談会でまとめた内容についての発表会を傍聴
ここのところ忙しいけれど、定例会中に比べたら不愉快なことはあまりないので(!?)、精神的には、楽しい日々です。
基本構想に関することについては、前々からたくさん言いたかったことがあるので、日を改めて書きます。以下、それ以外についての報告。
★委員会
障害のある子が学校に通うときの通学介助についての議論があって、その中で一つ言いそびれたことがあるので、悔しいからブログに書きます。
通学介助は今まで、親がやることが多くて、ヘルパーさんを使うことが認められていなかった。それが、障害者自立支援法ができたのにあわせて、2006年10月からヘルパー利用がOKになった。
ただし、親に仕事があったり病気等で介助できないという事情がある場合に、月22時間だけ、というように制限が多い。
学校の通学バスの乗り場まで連れて行く、というのは対象にならない、とか、親が休息をとるため(レスパイト)に使うのはダメ、とか。
当初の利用見込みは250人くらいと考えていたのに、実際には30人弱しか利用していないらしい。
そこで、バスまでの介助もOK、というのと、同居していない家族が介助している場合に対する支援を充実する、というような変更をするという報告が、今日の委員会の中であったんです。
2006年10月にスタートするにあたって、9月の議会でかなり議論があったようです。私はその頃は議員じゃなかったので、議事録を見てみました。
その中では、答弁で、レスパイトに使えるようにする可能性もあると言っていた。なんでそれがダメになっちゃったんだろう・・・。
そもそも、学校に通うときに、なんで親がついていかなくちゃいけないのかしら。私だったら、学校に親がついてきたら嫌だなあ。
家族ではない介助者をつけるということには、障害のある子どもの自立を支援する、という意味もあるんじゃないのかしら。
・・・以上のようなことを、今日の委員会で私は言いましたが、それに対して答弁が、「2006年の時には、意見として、『レスパイトもやるべきだ』というのもいただいてはいましたが、今、『レスパイトがないと困る』という苦情は来てません。」っていうものでした。
「一部の人が意見として『レスパイトも必要だ』と言っただけではなくて、答弁でも『レスパイトも考え得る』と言ってたじゃねえか。話を矮小化するなよ」ということを、言うべきだったのに言いそびれた。。ふん。
しかしまぁ、答弁に「愛」がないね。
だんだん、後になって腹が立ってきた。
「障害のある子の世話は、親がやるのが当たり前。当たり前なことなのに、介助をつけてやるっていうんだからありがたく思え」と言ってるようにしか聞こえなかったですわ。
「自立」支援法とか言っちゃってさ、結局、「やってやってるんだ」というのが制度の根底にあるということが、この問題ではやたらと鮮明に浮き出たように思いました。
本来は、そうじゃなくて、障害のある人、そしてその家族の生きる権利を保障する、ということなんだと思うけど。苦情が来ないからやらないで良いってもんじゃねえだろうよ。ふん。腹が立つ。
「愛」がない答弁といえば・・・。
保育園の民間委託の問題。
今日のお話だと、来年度準備委託予定だった光が丘第四保育園は、再来年度に移すとのこと。
そうなると、2009年度にやるはずだった2園とも2010年度に移り、その分、2010年度は4つもの保育園の委託が開始になるということ。
物理的に、大丈夫なんだろうか・・・。
細かな計画は、まだ立てていないみたいだから、今後の報告を待ちますが。
で、そのことで、生活者ネットの橋本さんが、「事業者の選定基準を、現行の直営保育園と比較してどういう風にするのかが、利用当事者(保護者や子ども達)から見て、見えにくいんじゃないですか。募集要領にもっと明確に謳うべきなんじゃないですか」というような意見を言ったのに対して、なぜか部長と課長がこぞって「おっしゃる意味が分かりません」と言っていた・・・。
なんですかね、背水の陣になったら、「言っている意味が分かりません」で乗り切る作戦に出たんですかね(苦笑)
本当に本気で、橋本さんの言う意味が分からないんだったら、読解力不足だから国語の勉強をしなおしたほうがいいかもしれないし、もしくは利用当事者の気持ちを理解できないんだったら福祉の部署で働くのをやめた方が良いと思いますけど。
ああ。これも、今になって腹が立ってきた・・・。
ダメだねダメだね、やっぱり委員会とかに出ると、イライラする・・・。
★社会福祉事業団
色々、報告がありましたが、私が一点気になったのは、「今まで、配食サービスを区から受託していたけれど、今度から配食専門業者に委託をするということになったので、事業団の事業からは除くことになりました」という報告。
気になったので少し質問してみましたが、「今までは、デイサービスで提供していたのと同様のメニューを、中の厨房で準備して、お弁当にして、ボランティアさんに届けて貰っていた」ということ。
ボランティアさんも含め、頑張ってきた配食の事業というのは、施設で出してる食事だから栄養バランスも良いという視点からも、ボランティアさんが関わっていて地域支援のネットワークになり得ているといういう意味でも、とても重要な事業だったのではないかと思うのです。
それが、どういう理由でか、区として委託先を変えたということ。それが万一、効率化のためだとすると、あまり良い選択ではなかったのではないかというのが気になります。
新しい委託先だとか、対象利用者数だとかについては、今後確認しなくちゃいけないなと思っています。これは、事業団の評議員というよりも、区の事業のあり方として、チェックしていかなくてはいけませんね。
★介護保険運営協議会
これは15時から行われていたので、事業団評議員会が終わってそのまま向かいました。
公募区民、介護保険事業者の人、学識経験者、区の職員が参加して介護保険のあり方について話し合っている。
会長、副会長は学識経験者なんだけれど、会長の冷水先生(上智大学の先生)には、私は学生時代、老人福祉論を教えていただきました・・・
今から3,4年前になりましょうか。私はまだあの頃は練馬に住んでなかったですが(^^;
予算のときに介護保険の質問をするために色々と資料を見ていて、冷水先生の名前を発見して、おやおやまあこんなところで再会するとは・・・と思ったのでした。
だから、傍聴したら先生に会うんだなあ、とドキドキしながら行ったんですけど。。
ヒョコヒョコと会議室に入っていって、うむうむ、やっぱり先生だな、と思いながら席に着く。
それでしばらくはひそかに学生時代の思い出にひたっていました。
私は社会福祉士をとるために、上智に併設された夜間の専門学校に行っていたのですが。
当時は、毎日、朝5時に起きて、朝の1時間、国家試験のための勉強をして、9時から17時には福祉の仕事をし、18時から21時まで学校に行っていました。それに加えてあしがらさんの映画の準備をしていた時なんかは、家に帰って真夜中まで上映会の準備をしていたなあ・・・。
だから、授業のときはグッタリしていて、一日の中で唯一受身でいる時間なので、ついつい睡魔が・・・
そうそう、だから、先生の授業のときもたしか、眠かったなあ・・・(苦笑)
そんなことを思い出しながら、先生の顔を見ていたら、ついつい条件反射で睡魔が襲ってきて・・・
・・・ハ!!
いかん、いかん!
と我に返り、今日の会議の内容に心を移しました。
介護従事者の人材不足の話が多かったです。
事業者にアンケートをしたという報告だったりとか。
これは、冷水先生もおっしゃってたのですが、私も気になったこととして、「ところで、なんで今さら介護職がきついなんて話が出るんだろう・・・」ということ。
私がヘルパーをやっていたのは、2006年12月まででしたが、介護従事者の人材不足やきつさが特に言われるようになったのって、その後のような気がします。
でも、私が働いている時から、給料は低かったし、仕事はきついといえばきついし、全体的に介護従事者の質が低いといえば低かったし。
それで仕方ないと諦めて良いわけではないけれども、でもだからって特に最近始まった話でもないはずなんだよねえ・・・。
「介護の問題を深刻に報じる、報道の影響もあるのかなあ」と冷水先生はおっしゃってましたが。
あと、気になったのは、本当はこういう会議に、介護保険の利用当事者が参加できたらいいのにな、ということでした。
終了後、冷水先生に、「先生の授業を受けてましたよ」と言いに行き。
「おや、そうだったかねえ」と言われ。
「ええ、多分・・・」と答え(^^;
「今は議員だけの仕事をして、福祉の仕事はしてないわけ?」と言われ。
今日の会議で散々、「人手不足だ。若い人が定着せずに他の仕事に転職してしまう」という話題が出た後だったので、「すみませんね、介護は人材不足なのに・・・議員になってしまいました」と答え(^^;
まあ、そんな一日でした。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
7時~8時30分 大泉学園北口でレポート配布
10時~13時 健康福祉委員会
14時~15時20分くらい 社会福祉事業団評議員会
15時20分くらい~17時10分 介護保険運営協議会を傍聴
18時30分過ぎ~20時30分 基本構想の区民懇談会でまとめた内容についての発表会を傍聴
ここのところ忙しいけれど、定例会中に比べたら不愉快なことはあまりないので(!?)、精神的には、楽しい日々です。
基本構想に関することについては、前々からたくさん言いたかったことがあるので、日を改めて書きます。以下、それ以外についての報告。
★委員会
障害のある子が学校に通うときの通学介助についての議論があって、その中で一つ言いそびれたことがあるので、悔しいからブログに書きます。
通学介助は今まで、親がやることが多くて、ヘルパーさんを使うことが認められていなかった。それが、障害者自立支援法ができたのにあわせて、2006年10月からヘルパー利用がOKになった。
ただし、親に仕事があったり病気等で介助できないという事情がある場合に、月22時間だけ、というように制限が多い。
学校の通学バスの乗り場まで連れて行く、というのは対象にならない、とか、親が休息をとるため(レスパイト)に使うのはダメ、とか。
当初の利用見込みは250人くらいと考えていたのに、実際には30人弱しか利用していないらしい。
そこで、バスまでの介助もOK、というのと、同居していない家族が介助している場合に対する支援を充実する、というような変更をするという報告が、今日の委員会の中であったんです。
2006年10月にスタートするにあたって、9月の議会でかなり議論があったようです。私はその頃は議員じゃなかったので、議事録を見てみました。
その中では、答弁で、レスパイトに使えるようにする可能性もあると言っていた。なんでそれがダメになっちゃったんだろう・・・。
そもそも、学校に通うときに、なんで親がついていかなくちゃいけないのかしら。私だったら、学校に親がついてきたら嫌だなあ。
家族ではない介助者をつけるということには、障害のある子どもの自立を支援する、という意味もあるんじゃないのかしら。
・・・以上のようなことを、今日の委員会で私は言いましたが、それに対して答弁が、「2006年の時には、意見として、『レスパイトもやるべきだ』というのもいただいてはいましたが、今、『レスパイトがないと困る』という苦情は来てません。」っていうものでした。
「一部の人が意見として『レスパイトも必要だ』と言っただけではなくて、答弁でも『レスパイトも考え得る』と言ってたじゃねえか。話を矮小化するなよ」ということを、言うべきだったのに言いそびれた。。ふん。
しかしまぁ、答弁に「愛」がないね。
だんだん、後になって腹が立ってきた。
「障害のある子の世話は、親がやるのが当たり前。当たり前なことなのに、介助をつけてやるっていうんだからありがたく思え」と言ってるようにしか聞こえなかったですわ。
「自立」支援法とか言っちゃってさ、結局、「やってやってるんだ」というのが制度の根底にあるということが、この問題ではやたらと鮮明に浮き出たように思いました。
本来は、そうじゃなくて、障害のある人、そしてその家族の生きる権利を保障する、ということなんだと思うけど。苦情が来ないからやらないで良いってもんじゃねえだろうよ。ふん。腹が立つ。
「愛」がない答弁といえば・・・。
保育園の民間委託の問題。
今日のお話だと、来年度準備委託予定だった光が丘第四保育園は、再来年度に移すとのこと。
そうなると、2009年度にやるはずだった2園とも2010年度に移り、その分、2010年度は4つもの保育園の委託が開始になるということ。
物理的に、大丈夫なんだろうか・・・。
細かな計画は、まだ立てていないみたいだから、今後の報告を待ちますが。
で、そのことで、生活者ネットの橋本さんが、「事業者の選定基準を、現行の直営保育園と比較してどういう風にするのかが、利用当事者(保護者や子ども達)から見て、見えにくいんじゃないですか。募集要領にもっと明確に謳うべきなんじゃないですか」というような意見を言ったのに対して、なぜか部長と課長がこぞって「おっしゃる意味が分かりません」と言っていた・・・。
なんですかね、背水の陣になったら、「言っている意味が分かりません」で乗り切る作戦に出たんですかね(苦笑)
本当に本気で、橋本さんの言う意味が分からないんだったら、読解力不足だから国語の勉強をしなおしたほうがいいかもしれないし、もしくは利用当事者の気持ちを理解できないんだったら福祉の部署で働くのをやめた方が良いと思いますけど。
ああ。これも、今になって腹が立ってきた・・・。
ダメだねダメだね、やっぱり委員会とかに出ると、イライラする・・・。
★社会福祉事業団
色々、報告がありましたが、私が一点気になったのは、「今まで、配食サービスを区から受託していたけれど、今度から配食専門業者に委託をするということになったので、事業団の事業からは除くことになりました」という報告。
気になったので少し質問してみましたが、「今までは、デイサービスで提供していたのと同様のメニューを、中の厨房で準備して、お弁当にして、ボランティアさんに届けて貰っていた」ということ。
ボランティアさんも含め、頑張ってきた配食の事業というのは、施設で出してる食事だから栄養バランスも良いという視点からも、ボランティアさんが関わっていて地域支援のネットワークになり得ているといういう意味でも、とても重要な事業だったのではないかと思うのです。
それが、どういう理由でか、区として委託先を変えたということ。それが万一、効率化のためだとすると、あまり良い選択ではなかったのではないかというのが気になります。
新しい委託先だとか、対象利用者数だとかについては、今後確認しなくちゃいけないなと思っています。これは、事業団の評議員というよりも、区の事業のあり方として、チェックしていかなくてはいけませんね。
★介護保険運営協議会
これは15時から行われていたので、事業団評議員会が終わってそのまま向かいました。
公募区民、介護保険事業者の人、学識経験者、区の職員が参加して介護保険のあり方について話し合っている。
会長、副会長は学識経験者なんだけれど、会長の冷水先生(上智大学の先生)には、私は学生時代、老人福祉論を教えていただきました・・・

今から3,4年前になりましょうか。私はまだあの頃は練馬に住んでなかったですが(^^;
予算のときに介護保険の質問をするために色々と資料を見ていて、冷水先生の名前を発見して、おやおやまあこんなところで再会するとは・・・と思ったのでした。
だから、傍聴したら先生に会うんだなあ、とドキドキしながら行ったんですけど。。
ヒョコヒョコと会議室に入っていって、うむうむ、やっぱり先生だな、と思いながら席に着く。
それでしばらくはひそかに学生時代の思い出にひたっていました。
私は社会福祉士をとるために、上智に併設された夜間の専門学校に行っていたのですが。
当時は、毎日、朝5時に起きて、朝の1時間、国家試験のための勉強をして、9時から17時には福祉の仕事をし、18時から21時まで学校に行っていました。それに加えてあしがらさんの映画の準備をしていた時なんかは、家に帰って真夜中まで上映会の準備をしていたなあ・・・。
だから、授業のときはグッタリしていて、一日の中で唯一受身でいる時間なので、ついつい睡魔が・・・

そうそう、だから、先生の授業のときもたしか、眠かったなあ・・・(苦笑)
そんなことを思い出しながら、先生の顔を見ていたら、ついつい条件反射で睡魔が襲ってきて・・・

・・・ハ!!

いかん、いかん!
と我に返り、今日の会議の内容に心を移しました。
介護従事者の人材不足の話が多かったです。
事業者にアンケートをしたという報告だったりとか。
これは、冷水先生もおっしゃってたのですが、私も気になったこととして、「ところで、なんで今さら介護職がきついなんて話が出るんだろう・・・」ということ。
私がヘルパーをやっていたのは、2006年12月まででしたが、介護従事者の人材不足やきつさが特に言われるようになったのって、その後のような気がします。
でも、私が働いている時から、給料は低かったし、仕事はきついといえばきついし、全体的に介護従事者の質が低いといえば低かったし。
それで仕方ないと諦めて良いわけではないけれども、でもだからって特に最近始まった話でもないはずなんだよねえ・・・。
「介護の問題を深刻に報じる、報道の影響もあるのかなあ」と冷水先生はおっしゃってましたが。
あと、気になったのは、本当はこういう会議に、介護保険の利用当事者が参加できたらいいのにな、ということでした。
終了後、冷水先生に、「先生の授業を受けてましたよ」と言いに行き。
「おや、そうだったかねえ」と言われ。
「ええ、多分・・・」と答え(^^;
「今は議員だけの仕事をして、福祉の仕事はしてないわけ?」と言われ。
今日の会議で散々、「人手不足だ。若い人が定着せずに他の仕事に転職してしまう」という話題が出た後だったので、「すみませんね、介護は人材不足なのに・・・議員になってしまいました」と答え(^^;
まあ、そんな一日でした。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
今日の活動
今日は、午前中は「ねりじょはうすLuna」というところの、開設のお祝い会に行きました。
助産師さんたちが作った拠点で、産前産後の支援をする場所。
3月1日に、子育て支援のイベントを見に行ったことを、以前チラッとだけ書いて、続きを後で書こうと思いつつ予算の話に話題が移ってそのままになって今に至りますが・・・
それは、ねりま子育てネットワークというところが、大泉小学校を使ってやったイベントでした。
何人か知人が関わっていたので出かけたのですが、あの頃私は定例会のストレスで眉間にしわを寄せていた時だったので、会場のほんわかした雰囲気に、ホッとした気分になったのでした。
そこで、ホワンとした気分になっていたら、助産師さんが声をかけてくれて、「今度、高野台で活動を始めるんですよ」と教えてくださって、今日のお誘いも送ってくれたのでした。
私の父が、こちらに書いていたことがありましたが、私の名前は、助産師さんがつけてくれました。
私の母は、体が弱くて、私を産む時も、随分弱っていたようです。。
当時、母は25歳。今の私より若い・・・。親元を離れて、団地に住んでいて、不安な気持ちで出産の日を待っていたのだと思います。
その気持ちを支えてくれたのが助産師さん。
結局、妊娠中毒症で、助産師さんのもとで産むことはできず、入院してしまったけれど、でも産後まで含めてずっと助産師さんが支えてくれていたから、なんとか落ち着いて子育てをスタートできたんだと思います。
練馬区議会の中では、今、妊婦健診の充実が言われています。
それは最低限、必要なものかもしれません。
お金がないとか、健診にまで気が回らないとか、ハイリスクになりがちな人たちに対する支援という意味で、妊婦健診に助成が出るのは意味があることでしょう。
でも、さらに一歩踏み込むと、精神的なサポートというのは、もっともっと必要なんだと思います。
私と母にとっての助産師さんは、出産という直接的な部分ではなかったけれども、精神的には不可欠な存在でした。
そんなことを思い出しながら、助産師さんたちにはこれからも色々なことを教えていただければありがたいな、と思いました。
「ねりじょはうすLuna」をあとにして、午後は、日比谷に向かいました。
NPOで働いていた頃から関わりのある、「コムケア」という団体が、「コムケアフォーラム」というのをやると聞いていたので。
コムケア・・・コミュニティケア、なんですが。
福祉というと、狭い意味で捉えられがちだけれど、もっと広く、すべての人の幸せという風に捉えて活動している団体。関わる主体も、行政があったりNPOがあったり企業があったり、色々あるよね、というような考えの中で、皆で色々考えていくというような活動をしている団体です。
ホームページから引用すると、
「コミュニティとは「重荷を背負いあった人間のつながり」ですが、私たちは最近、重荷を背負いあう関係を捨ててきたように思います。しかし、重いので捨ててしまった重荷の中に、実はとても大事な宝物があったのかもしれません。そんな思いもあって、改めて重荷を共有する、人と人のつながりを大事にしていきたいと考えています。」
で、私がNPOで働き始めて、いろんなつながりを見つけたいと思ったときに、ボランタリーフォーラムで色々教わったのと同じくらい色々教えてくれたのが、このコムケアセンターでした。
そこに、ものすごく久しぶりに参加。
・・・しかし定例会が終わってからここのところ毎日、一日の中の移動が激しくて、日比谷に着いた頃にはヨレヨレになっていまして(^^;
入り口に知人がいて、「会場は9階ですよ」と教えてくれた。
「9階に降りたら案内板がありますからね」と教えてくれているんだけど、私はヨレヨレで頭が働かなくなっていて、「うーん、“9階におりたら”、という意味が分からん。9階は上がるんじゃないんだろうか。なんで9階なのに下りるんだろう・・・」と、めちゃくちゃなことを考えて首をかしげたりしていました。。
9階でエレベーターを降りる、という意味だったと、しばらくして気づきましたが。頭が悪いなあ・・・。
そんな感じで、ひいひい、汗をかきかき会場に入って、しばらくして落ち着いて、プログラムに参加。
それで、企業とのコラボレーションに取り組んでいるNPOのお話を聞いて、「相手が行政であれ企業であれ、同じような課題を抱えているんだなあ」としみじみし。
ケアマネに任せずに自分でケアプランを作る、ということに取り組んでいる団体のお話を聞いて、「本人がケアプランを作る良さは分かるけれども、本当はケアマネに頼むのであっても、もっと本人を主体にしたケアプランが作れなくちゃいけないんじゃないのかなあ」と思い。
そして、「昔は、喫茶店で色々な議論をしていたのに、チェーン店系のカフェが増えてから、喫茶店が議論の場にならなくなってしまったのではないか。かつて喫茶店が持っていた役割をもう一度見直す必要があるのでは」なんていう議論にふむふむと耳を傾けてきました。
一つ、おお!と思ったのは、この集まりに、埼玉の方の行政職員が参加されていたこと。
へー、そうか、行政の職員さんでも休日を使ってこういうところに来る人もいるんだね、と、ちょっと勇気づけられ(?)ました。
向こうさんは向こうさんで、「議員も来るんだね」というような顔をしていたような気もしましたが(笑)
まあでも、そんな方とも名刺交換をしたりして、ああ、こういう場所ってほんとに、立場を超えて知り合いになれるから楽しいなと思ったのでした。
たまに、区外の集まりに出ると、東京全体、関東全体、日本全体という議論の中で改めて練馬というものを見直すことができて良いなと思っているんです。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
助産師さんたちが作った拠点で、産前産後の支援をする場所。
3月1日に、子育て支援のイベントを見に行ったことを、以前チラッとだけ書いて、続きを後で書こうと思いつつ予算の話に話題が移ってそのままになって今に至りますが・・・

それは、ねりま子育てネットワークというところが、大泉小学校を使ってやったイベントでした。
何人か知人が関わっていたので出かけたのですが、あの頃私は定例会のストレスで眉間にしわを寄せていた時だったので、会場のほんわかした雰囲気に、ホッとした気分になったのでした。
そこで、ホワンとした気分になっていたら、助産師さんが声をかけてくれて、「今度、高野台で活動を始めるんですよ」と教えてくださって、今日のお誘いも送ってくれたのでした。
私の父が、こちらに書いていたことがありましたが、私の名前は、助産師さんがつけてくれました。
私の母は、体が弱くて、私を産む時も、随分弱っていたようです。。
当時、母は25歳。今の私より若い・・・。親元を離れて、団地に住んでいて、不安な気持ちで出産の日を待っていたのだと思います。
その気持ちを支えてくれたのが助産師さん。
結局、妊娠中毒症で、助産師さんのもとで産むことはできず、入院してしまったけれど、でも産後まで含めてずっと助産師さんが支えてくれていたから、なんとか落ち着いて子育てをスタートできたんだと思います。
練馬区議会の中では、今、妊婦健診の充実が言われています。
それは最低限、必要なものかもしれません。
お金がないとか、健診にまで気が回らないとか、ハイリスクになりがちな人たちに対する支援という意味で、妊婦健診に助成が出るのは意味があることでしょう。
でも、さらに一歩踏み込むと、精神的なサポートというのは、もっともっと必要なんだと思います。
私と母にとっての助産師さんは、出産という直接的な部分ではなかったけれども、精神的には不可欠な存在でした。
そんなことを思い出しながら、助産師さんたちにはこれからも色々なことを教えていただければありがたいな、と思いました。
「ねりじょはうすLuna」をあとにして、午後は、日比谷に向かいました。
NPOで働いていた頃から関わりのある、「コムケア」という団体が、「コムケアフォーラム」というのをやると聞いていたので。
コムケア・・・コミュニティケア、なんですが。
福祉というと、狭い意味で捉えられがちだけれど、もっと広く、すべての人の幸せという風に捉えて活動している団体。関わる主体も、行政があったりNPOがあったり企業があったり、色々あるよね、というような考えの中で、皆で色々考えていくというような活動をしている団体です。
ホームページから引用すると、
「コミュニティとは「重荷を背負いあった人間のつながり」ですが、私たちは最近、重荷を背負いあう関係を捨ててきたように思います。しかし、重いので捨ててしまった重荷の中に、実はとても大事な宝物があったのかもしれません。そんな思いもあって、改めて重荷を共有する、人と人のつながりを大事にしていきたいと考えています。」
で、私がNPOで働き始めて、いろんなつながりを見つけたいと思ったときに、ボランタリーフォーラムで色々教わったのと同じくらい色々教えてくれたのが、このコムケアセンターでした。
そこに、ものすごく久しぶりに参加。
・・・しかし定例会が終わってからここのところ毎日、一日の中の移動が激しくて、日比谷に着いた頃にはヨレヨレになっていまして(^^;
入り口に知人がいて、「会場は9階ですよ」と教えてくれた。
「9階に降りたら案内板がありますからね」と教えてくれているんだけど、私はヨレヨレで頭が働かなくなっていて、「うーん、“9階におりたら”、という意味が分からん。9階は上がるんじゃないんだろうか。なんで9階なのに下りるんだろう・・・」と、めちゃくちゃなことを考えて首をかしげたりしていました。。
9階でエレベーターを降りる、という意味だったと、しばらくして気づきましたが。頭が悪いなあ・・・。
そんな感じで、ひいひい、汗をかきかき会場に入って、しばらくして落ち着いて、プログラムに参加。
それで、企業とのコラボレーションに取り組んでいるNPOのお話を聞いて、「相手が行政であれ企業であれ、同じような課題を抱えているんだなあ」としみじみし。
ケアマネに任せずに自分でケアプランを作る、ということに取り組んでいる団体のお話を聞いて、「本人がケアプランを作る良さは分かるけれども、本当はケアマネに頼むのであっても、もっと本人を主体にしたケアプランが作れなくちゃいけないんじゃないのかなあ」と思い。
そして、「昔は、喫茶店で色々な議論をしていたのに、チェーン店系のカフェが増えてから、喫茶店が議論の場にならなくなってしまったのではないか。かつて喫茶店が持っていた役割をもう一度見直す必要があるのでは」なんていう議論にふむふむと耳を傾けてきました。
一つ、おお!と思ったのは、この集まりに、埼玉の方の行政職員が参加されていたこと。
へー、そうか、行政の職員さんでも休日を使ってこういうところに来る人もいるんだね、と、ちょっと勇気づけられ(?)ました。
向こうさんは向こうさんで、「議員も来るんだね」というような顔をしていたような気もしましたが(笑)
まあでも、そんな方とも名刺交換をしたりして、ああ、こういう場所ってほんとに、立場を超えて知り合いになれるから楽しいなと思ったのでした。
たまに、区外の集まりに出ると、東京全体、関東全体、日本全体という議論の中で改めて練馬というものを見直すことができて良いなと思っているんです。
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介護保険の「給付適正化事業説明会」
大泉学園通りの、北出張所のあたりの桜が咲き始めましたよ。
この分でいくと、1週間後くらいが見ごろでしょうか。
一番最初の開花予想の頃には「今年はちょっと遅めで、入学式、始業式の時期まで持つかもしれない」と言っていたけれど、よっぽど寒くならないかぎり、無理かもねえ・・・。
4月10日の私の誕生日まで、今年こそは持つかしらとちょっと期待したのですが。。
私が生まれた頃には、10日には咲いていたのに。温暖化ですかねえ。
「葉桜子」だとか「散子」だとかに改名しないといけないのでは・・・
さて、19日の、介護保険の「給付適正化事業説明会」。
予算特別委員会に関する報告の中で、給付抑制のことなどを質問したと言う話を書きました。
それに対する答弁で、ケアマネの自己規制があるということ、それについては適切な指導をしたいという答弁があって、そのひとつが「給付適正化事業説明会」だったんですね。
見に来ても良いよと言っていただいたので、見学に行きました。
内容は、実地指導をした結果、注意しなくてはいけないと判明したことについての説明。例えば、管理者はちゃんと設置してますかー?計画はきちんと立てて、利用者・家族に見せてますかー?などなど。
そして、訪問介護のQ&Aが新しくなりました、という説明。一人一人の利用者さんの状況に合わせて判断をしてください、判断つきかねる場合は区役所に連絡をくださいね、なんていう説明があって。
区役所の地下の会場で開かれていて、満杯になるくらいで、100人以上の人がいたでしょう。
事業者は必ず出席してくださいと言われる種類の説明会だったんだと思います。
私は、介護保険の事業所の所属もあちこち転々としているので(^^;)、全部で4箇所の事業所に所属した経験があります。
説明会を見ていて、私がかつて所属した各事業所での上司のことを思い出していました。
絶対出なさいという説明会があると大体、「忙しいのに・・・」とぶつくさ言いながら出かけて行ってたなあ、と(^^;)
新しい情報を聞けるかもしれないというポジティブな気持ちよりも、どちらかというと受動的な感じの上司が多かったなあ、と。
そんなことを思い出していて、すごく気になったのは、今回の説明会でも、参加している事業者の意見や疑問といった「声」を聞く機会がないこと。
何を思ってここに参加し、そこで何を感じたんだろう。
「聞いてよかった」と思っているのか、「何を言われてるのか分からない」と思っているのか、「そんなこと言われたって人手不足なんだよっ」と思っているのか。
ヘルパーだとか配食だとかミニデイサービスだとかグループホームだとか、介護保険に位置づけられる前には市民活動の中でボランタリーに取り組まれていたものがたくさんあります。
それが、制度化されたときに、一定の保障はされるものの、以前はあったはずの「自発的な動き」が失われていくという問題があります。
地域の中に、近所の人に、困っている人がいるから、自分が何かしなくてはいてもたってもいられない。だから体が勝手に動いてしまって、ついついデイサービスを作ってしまった、とか。
地域の人をより良く支援するために、どうやって制度を動かしてやろうかと考える、とか。
「制度が整っていく中で、自分達の創意工夫で新たなことを考えるという動きが減ってきてしまったんではないか」という話を、ボランタリーフォーラムの中で、富士福祉事業団の枝見太朗さんがおっしゃってたことを思い出しました。
制度をよりよくしていこう、というよりも、制度の中だけでやるのが当たり前、できないのは制度が悪いから、という風に受身になってしまうのはなんでなんだろうかと、私は前からずっと考えていました。
それはもしかしたら、説明会ひとつとってみても、そのあり方が、受身な姿勢になるしかないからなんじゃないかと、ちょっと思ったのです。
担当職員さんたちは、「本来ならば質疑応答をやりたいところですが、あまりに人数が多いのでできなくてすみません」とおっしゃっていたけれど。
そして、担当課長さんは、「自己規制はしないでくださいね」「相談してくださいね」「一緒に、良くしていけるようにしましょうね」とおっしゃっていたんだけれど。
それを聞いて、事業者はどう思ったんだろう。それをディベートする機会は、作らなくてはいけないんじゃないでしょうか。
事業者にとって、今何が不安なのか。説明を聞いてどう思うのか。利用者により良い状況を作るために、事業者として何ができるんだろうかという悩みや迷い。
それを聞き、意見交換する機会を作って、介護従事者自体が意見表明をすることにもっともっと慣れていかないと、Q&Aを額面どおり受け取ってしまって、結果的に給付抑制を招いてしまうという状況を変えることができないと思う。
これは、練馬区だけの問題ではなくて、介護保険制度における集団指導のあり方はどうあるべきなのかということなのではないかと思いますが、そんな、根本的なところが気になったのでした。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
この分でいくと、1週間後くらいが見ごろでしょうか。
一番最初の開花予想の頃には「今年はちょっと遅めで、入学式、始業式の時期まで持つかもしれない」と言っていたけれど、よっぽど寒くならないかぎり、無理かもねえ・・・。
4月10日の私の誕生日まで、今年こそは持つかしらとちょっと期待したのですが。。
私が生まれた頃には、10日には咲いていたのに。温暖化ですかねえ。
「葉桜子」だとか「散子」だとかに改名しないといけないのでは・・・

さて、19日の、介護保険の「給付適正化事業説明会」。
予算特別委員会に関する報告の中で、給付抑制のことなどを質問したと言う話を書きました。
それに対する答弁で、ケアマネの自己規制があるということ、それについては適切な指導をしたいという答弁があって、そのひとつが「給付適正化事業説明会」だったんですね。
見に来ても良いよと言っていただいたので、見学に行きました。
内容は、実地指導をした結果、注意しなくてはいけないと判明したことについての説明。例えば、管理者はちゃんと設置してますかー?計画はきちんと立てて、利用者・家族に見せてますかー?などなど。
そして、訪問介護のQ&Aが新しくなりました、という説明。一人一人の利用者さんの状況に合わせて判断をしてください、判断つきかねる場合は区役所に連絡をくださいね、なんていう説明があって。
区役所の地下の会場で開かれていて、満杯になるくらいで、100人以上の人がいたでしょう。
事業者は必ず出席してくださいと言われる種類の説明会だったんだと思います。
私は、介護保険の事業所の所属もあちこち転々としているので(^^;)、全部で4箇所の事業所に所属した経験があります。
説明会を見ていて、私がかつて所属した各事業所での上司のことを思い出していました。
絶対出なさいという説明会があると大体、「忙しいのに・・・」とぶつくさ言いながら出かけて行ってたなあ、と(^^;)
新しい情報を聞けるかもしれないというポジティブな気持ちよりも、どちらかというと受動的な感じの上司が多かったなあ、と。
そんなことを思い出していて、すごく気になったのは、今回の説明会でも、参加している事業者の意見や疑問といった「声」を聞く機会がないこと。
何を思ってここに参加し、そこで何を感じたんだろう。
「聞いてよかった」と思っているのか、「何を言われてるのか分からない」と思っているのか、「そんなこと言われたって人手不足なんだよっ」と思っているのか。
ヘルパーだとか配食だとかミニデイサービスだとかグループホームだとか、介護保険に位置づけられる前には市民活動の中でボランタリーに取り組まれていたものがたくさんあります。
それが、制度化されたときに、一定の保障はされるものの、以前はあったはずの「自発的な動き」が失われていくという問題があります。
地域の中に、近所の人に、困っている人がいるから、自分が何かしなくてはいてもたってもいられない。だから体が勝手に動いてしまって、ついついデイサービスを作ってしまった、とか。
地域の人をより良く支援するために、どうやって制度を動かしてやろうかと考える、とか。
「制度が整っていく中で、自分達の創意工夫で新たなことを考えるという動きが減ってきてしまったんではないか」という話を、ボランタリーフォーラムの中で、富士福祉事業団の枝見太朗さんがおっしゃってたことを思い出しました。
制度をよりよくしていこう、というよりも、制度の中だけでやるのが当たり前、できないのは制度が悪いから、という風に受身になってしまうのはなんでなんだろうかと、私は前からずっと考えていました。
それはもしかしたら、説明会ひとつとってみても、そのあり方が、受身な姿勢になるしかないからなんじゃないかと、ちょっと思ったのです。
担当職員さんたちは、「本来ならば質疑応答をやりたいところですが、あまりに人数が多いのでできなくてすみません」とおっしゃっていたけれど。
そして、担当課長さんは、「自己規制はしないでくださいね」「相談してくださいね」「一緒に、良くしていけるようにしましょうね」とおっしゃっていたんだけれど。
それを聞いて、事業者はどう思ったんだろう。それをディベートする機会は、作らなくてはいけないんじゃないでしょうか。
事業者にとって、今何が不安なのか。説明を聞いてどう思うのか。利用者により良い状況を作るために、事業者として何ができるんだろうかという悩みや迷い。
それを聞き、意見交換する機会を作って、介護従事者自体が意見表明をすることにもっともっと慣れていかないと、Q&Aを額面どおり受け取ってしまって、結果的に給付抑制を招いてしまうという状況を変えることができないと思う。
これは、練馬区だけの問題ではなくて、介護保険制度における集団指導のあり方はどうあるべきなのかということなのではないかと思いますが、そんな、根本的なところが気になったのでした。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
あしがらさん
いやはや、定例会が終わってもなんやらバタバタで…
今日は一日、あっちやこっちやで、福祉の仕事をしてました。
前回ブログの中の、介護保険のことも詳細を書きたいのですが、今日はちょっと、「あしがらさん」に特化して書きます。
なぜかというと、今日、実物の(?)あしがらさんに会ってきたので…。
19日にゆめりあホールで「あしがらさん」の上映会がありました。
今週からいよいよ、学園町にホームレスの施設ができたこともあって、その啓発ですね。
19日は雨だったけど、結構たくさんの人が来ていました。
学生時代に私は文化祭で「あしがらさん」の上映会をやったので、懐かしく映画を見ました。
私の福祉に向かう原動力の半分近くはこの映画によるものだと思っています。
あしがらさんについては前にブログで熱く(?)語ったことがあるのでこちらを見てください。
あしがらさんは、今は70代後半になる、高齢の元ホームレス。
で、今日、その主人公のあしがらさんに会いに行ったんです。
二年ぶりでした。
私は学生時代に「あしがらさん」の映画に出会い、ホームレス生活から脱出したあしがらさんが通っている介護保険のデイサービスに興味をひかれ、そこに就職したのです。
ゆうゆうというデイサービス。
小さな小さなデイサービスでしたが、そこがこの3月に閉鎖になります。
介護保険の厳しさもあるし、さらには、NPOがミッションとモチベーションを保ち続ける難しさもあったと、私は思っています。
とにかく閉鎖になるなら最後くらいは手伝わなきゃいけないと思って出かけたのです。
以前のブログに書いたように、私とあしがらさんは「婚約者」(笑)。
でも二年ぶりに会うから、覚えててくれるのかドキドキしながら出かけました。
実は何日も前からドキドキ。
お昼に伺うと、昼食の準備中。
あしがらさんもちょこんと座って待っている。
私を見つけてパッと手を取り、私の手に顔をすりすりしている(笑)
うーん、しかし、覚えてるのかなぁ…
知り合いだろうが初対面だろうが、あしがらさんは若い女性が好きだからなぁ…
あしがらさんはホームレスだった頃は、主に精神的な障害があったと思うけど、今はさらに、映画に出てた頃よりも言葉がはっきりしない。
スタッフが「この子のこと、覚えてる?」と聞く。
ウン、ウンと頷くあしがらさん。
ほんとに覚えててくれてるなら嬉しいんだけど…
食事が終わり、あしがらさんが一服してるところに、恐る恐る近づいてみる。
「お久しぶりでした。元気ですか?」と。
「おぅ、とうとう来たな」とあしがらさん。また私の手を握って、顔をすりすり。
「ほんとに、覚えてます?」と確かめる。
「んー」
顔を上げて私の顔を見て、
「んー。良い子になったなぁ」。
あしがらさんに言葉をかけられると、心の中の張り詰めたものがガラガラと溶けていく気がします。
ゆうゆうを辞めて二年間、私は選挙の準備をして、毎日精一杯生きてきたつもり。すべての行動に後悔はないけれど、でも、あしがらさんと一緒にいる時間を手放したことだけが、ものすごく後悔で、それがワーッと胸に迫ってきました。
それでも、あしがらさんはゆうゆうに通っているから、きっといつでも会えると思っていた。
人間って、そんなもんですね。
会わなくても「いつか会える」と安心している。
でもゆうゆうがなくなると決まった今は、あしがらさんは他のデイサービスへ行く。
そしたらもう会えないかも知れない。
もしかしたら今日が最後かも知れない。
それを思うと、会わなかった二年間がとても悔やまれる。
私はいったい何をしていたのだろう。
あしがらさんの手を握りながら、後悔の波がザバーンと襲って来ているときに、あしがらさんがまたふと顔を上げて。そして「平気だよ」と言った。
不思議な人なのです。
声にならない言葉にいつも返事してくれる。
ゆうゆうを辞めるかどうかで悩んでた時、「辞めたらあしがらさんに会えなくなる」と悩んでいた時にも、パッと私の手を取って、「お前が一番良いと思う道を選べば、それが一番良いんだ」みたいなことを言ったことがあった。
なんなのか、不思議で仕方ない。
表面上、会話にはなっていないんだから、あしがらさんの妄想から出る噛み合わない言葉とも考えられるのかも知れないけれど、でも私の心の叫びとは、いつも不思議なほどにかみ合っていた。
あぁ、これが最後ではないように。また再び会えるようにと願いつつ。
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今日は一日、あっちやこっちやで、福祉の仕事をしてました。
前回ブログの中の、介護保険のことも詳細を書きたいのですが、今日はちょっと、「あしがらさん」に特化して書きます。
なぜかというと、今日、実物の(?)あしがらさんに会ってきたので…。
19日にゆめりあホールで「あしがらさん」の上映会がありました。
今週からいよいよ、学園町にホームレスの施設ができたこともあって、その啓発ですね。
19日は雨だったけど、結構たくさんの人が来ていました。
学生時代に私は文化祭で「あしがらさん」の上映会をやったので、懐かしく映画を見ました。
私の福祉に向かう原動力の半分近くはこの映画によるものだと思っています。
あしがらさんについては前にブログで熱く(?)語ったことがあるのでこちらを見てください。
あしがらさんは、今は70代後半になる、高齢の元ホームレス。
で、今日、その主人公のあしがらさんに会いに行ったんです。
二年ぶりでした。
私は学生時代に「あしがらさん」の映画に出会い、ホームレス生活から脱出したあしがらさんが通っている介護保険のデイサービスに興味をひかれ、そこに就職したのです。
ゆうゆうというデイサービス。
小さな小さなデイサービスでしたが、そこがこの3月に閉鎖になります。
介護保険の厳しさもあるし、さらには、NPOがミッションとモチベーションを保ち続ける難しさもあったと、私は思っています。
とにかく閉鎖になるなら最後くらいは手伝わなきゃいけないと思って出かけたのです。
以前のブログに書いたように、私とあしがらさんは「婚約者」(笑)。
でも二年ぶりに会うから、覚えててくれるのかドキドキしながら出かけました。
実は何日も前からドキドキ。
お昼に伺うと、昼食の準備中。
あしがらさんもちょこんと座って待っている。
私を見つけてパッと手を取り、私の手に顔をすりすりしている(笑)
うーん、しかし、覚えてるのかなぁ…
知り合いだろうが初対面だろうが、あしがらさんは若い女性が好きだからなぁ…

あしがらさんはホームレスだった頃は、主に精神的な障害があったと思うけど、今はさらに、映画に出てた頃よりも言葉がはっきりしない。
スタッフが「この子のこと、覚えてる?」と聞く。
ウン、ウンと頷くあしがらさん。
ほんとに覚えててくれてるなら嬉しいんだけど…
食事が終わり、あしがらさんが一服してるところに、恐る恐る近づいてみる。
「お久しぶりでした。元気ですか?」と。
「おぅ、とうとう来たな」とあしがらさん。また私の手を握って、顔をすりすり。
「ほんとに、覚えてます?」と確かめる。
「んー」
顔を上げて私の顔を見て、
「んー。良い子になったなぁ」。
あしがらさんに言葉をかけられると、心の中の張り詰めたものがガラガラと溶けていく気がします。
ゆうゆうを辞めて二年間、私は選挙の準備をして、毎日精一杯生きてきたつもり。すべての行動に後悔はないけれど、でも、あしがらさんと一緒にいる時間を手放したことだけが、ものすごく後悔で、それがワーッと胸に迫ってきました。
それでも、あしがらさんはゆうゆうに通っているから、きっといつでも会えると思っていた。
人間って、そんなもんですね。
会わなくても「いつか会える」と安心している。
でもゆうゆうがなくなると決まった今は、あしがらさんは他のデイサービスへ行く。
そしたらもう会えないかも知れない。
もしかしたら今日が最後かも知れない。
それを思うと、会わなかった二年間がとても悔やまれる。
私はいったい何をしていたのだろう。
あしがらさんの手を握りながら、後悔の波がザバーンと襲って来ているときに、あしがらさんがまたふと顔を上げて。そして「平気だよ」と言った。
不思議な人なのです。
声にならない言葉にいつも返事してくれる。
ゆうゆうを辞めるかどうかで悩んでた時、「辞めたらあしがらさんに会えなくなる」と悩んでいた時にも、パッと私の手を取って、「お前が一番良いと思う道を選べば、それが一番良いんだ」みたいなことを言ったことがあった。
なんなのか、不思議で仕方ない。
表面上、会話にはなっていないんだから、あしがらさんの妄想から出る噛み合わない言葉とも考えられるのかも知れないけれど、でも私の心の叫びとは、いつも不思議なほどにかみ合っていた。
あぁ、これが最後ではないように。また再び会えるようにと願いつつ。
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★最近の私 ★中学校の卒業式 ★最近の趣味
★最近の私
最近よく、くしゃみが出るんです。
「花粉症ではない!ただのくしゃみだ!」と言い張っていますが・・・。
さて、定例会がないときは一体何をしているの?とよく聞かれるので、今日の私の行動を試しに書いてみます。
・午前中は大泉中学校の卒業式に出て
・午後は区役所でやってた介護保険の「給付適正化事業説明会」を見に行って
・そのあと大泉に戻って個別に受けてた相談に乗りに出かけて
・ちょびっと事務所で事務作業をやって
・区が主催した「あしがらさん」の上映会を、ゆめりあホールに見に行った
そんな感じ。
なんか、定例会の間、他のことが何もできていなかった分、事務も山盛りたまっているし、今週は毎日、こんな感じでバタバタしてます。
特に今日のことは色々と思うことがあるので、2回に分けて書きます。
★中学校の卒業式
というわけで、今日は卒業式の話。
卒業式に出るなんて、自分のとき以来です。
議会に出ていると、部長課長も議員もほとんど、自分の親くらいの世代の人だから、学校に行ったら若い人がいっぱいいてまずビックリした。生徒はもちろんだけど、先生も若い人もいるもんね。
「あー、若い人だー」としばらく観察(^^;
卒業生はぎこちない動きで、「ここまで行ったら立ち止まってお辞儀して座る」というような筋書きが頭に浮かんでいるであろうことが手に取るように分かりました。。
頑張って練習したんだろうねぇ。
でもそんな動き一つひとつにも、それぞれの個性が出ていて。
忠実にやることに真剣になっている子もいるし。
壇上に上がってもニッコニコしている子もいるし。
なんか目立ちたい!と思っているであろう子もいるし。
中3くらいだと、ものすごく、神経質なほどおしゃれが気になってしょうがないんだろうな、というのもあったり。
面白い。
で、卒業証書を渡す校長先生が、一人ひとりがやって来る姿をじーっと見て、一人ずつに何か言葉をかけている。
その声は聞こえないけれど。
もしかしたら、「ほら、左手出して、右手出して、証書を受け取ったらお辞儀だ!」とつぶいているのかもしれないけれども(笑)
でも、一人ひとりを見守るその目を見ていて、ああ、先生って、こんなに温かく子どもを見守ってくれていたんだなあと、気づいた。
自分が生徒だったときには、まったく気がつかなかったけれど。
私が中3だったときって、どんなだったかなあと思い出していました。
今から12年前。
私は私立で中高一貫だったから、中学卒業でそんなに感慨はなかったんですが。
中学くらいのときは、今よりも100倍生意気だったので、先生は大変だったと思います。
校長先生にも「ふんっ」としてたもの。
でも、高校に入ってから、校長先生がとても優しい人だったということを感じる心の余裕が出てきて、そしたら反抗してたのが申し訳なくて、「ごめんなさい」と書き添えた年賀状を出したことがありました。
そしたら、すごくさりげない言葉が添えられた返事が返ってきたんですよ。
反抗的だった私を責めるでもなく諭すでもなく、ただ、これからも一生懸命生きるんだよ、というような内容だった。
ああ、もう校長先生には一生頭が上がらない、と思って、高校の卒業式で深々と頭を下げた記憶があります。
卒業証書の授与を見ていて、そんなことを思い出した。
あの時の校長先生、もう退職しちゃったけれど、お手紙でも書いてみようかな、と思いました。
卒業式は厳かだけれど、厳かさの陰には、先生と生徒の心の交流が垣間見える。そんな人間らしさがあってこそ、儀式には意味があるんでしょうね。
自分自身の卒業式以上に、なんだか心動かされました。
今年の卒業生は、平成4,5年生まれだそうです。
ひぃ。
うちの猫よりも後に生まれたのか!と思って・・・
気分的には私もそんなに年が変わらないと思ってたけど、とんだ錯覚でした(^^;
生年月日を聞いたときにはあんまりビックリして思わず来賓席でひとり、「ひぃ」という声を出してしまった・・・。
あと、卒業式では「君が代」を歌いました。
議員になってから、何度か君が代を歌う場面が出てきますが。
小学生の時以来です(^^;
今日、しみじみ歌詞を噛みしめながら歌ってみた。・・・うーん。最大限に天皇と、その治める国をたたえちゃったぞ。
中学生の卒業を祝いに来ているのになんで君が代を寿ぐんだろうか、という違和感が胸にわきました。。
変なのね。なんで、天皇が「象徴」に変わったときに国歌も変えなかったんだろう・・・??
憲法の内容と相反する歌詞じゃないのかなあ・・・。
変なのー。
★最近の趣味
もともと持っていた性格が、年をとるごとにだんだん個性強くなってくる気がする今日この頃。人間ってそういうもんなんでしょうか。
最近の私の数少ない喜びのひとつは、週末にタモリ倶楽部とケータイ大喜利というのを見て一人で「ふふ・・・」と笑うことです。。
見てみてください。
なんか、若干、根暗な笑いがあって、私としては気が休まるのですが(^^;
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最近よく、くしゃみが出るんです。
「花粉症ではない!ただのくしゃみだ!」と言い張っていますが・・・。
さて、定例会がないときは一体何をしているの?とよく聞かれるので、今日の私の行動を試しに書いてみます。
・午前中は大泉中学校の卒業式に出て
・午後は区役所でやってた介護保険の「給付適正化事業説明会」を見に行って
・そのあと大泉に戻って個別に受けてた相談に乗りに出かけて
・ちょびっと事務所で事務作業をやって
・区が主催した「あしがらさん」の上映会を、ゆめりあホールに見に行った
そんな感じ。
なんか、定例会の間、他のことが何もできていなかった分、事務も山盛りたまっているし、今週は毎日、こんな感じでバタバタしてます。
特に今日のことは色々と思うことがあるので、2回に分けて書きます。
★中学校の卒業式
というわけで、今日は卒業式の話。
卒業式に出るなんて、自分のとき以来です。
議会に出ていると、部長課長も議員もほとんど、自分の親くらいの世代の人だから、学校に行ったら若い人がいっぱいいてまずビックリした。生徒はもちろんだけど、先生も若い人もいるもんね。
「あー、若い人だー」としばらく観察(^^;
卒業生はぎこちない動きで、「ここまで行ったら立ち止まってお辞儀して座る」というような筋書きが頭に浮かんでいるであろうことが手に取るように分かりました。。
頑張って練習したんだろうねぇ。
でもそんな動き一つひとつにも、それぞれの個性が出ていて。
忠実にやることに真剣になっている子もいるし。
壇上に上がってもニッコニコしている子もいるし。
なんか目立ちたい!と思っているであろう子もいるし。
中3くらいだと、ものすごく、神経質なほどおしゃれが気になってしょうがないんだろうな、というのもあったり。
面白い。
で、卒業証書を渡す校長先生が、一人ひとりがやって来る姿をじーっと見て、一人ずつに何か言葉をかけている。
その声は聞こえないけれど。
もしかしたら、「ほら、左手出して、右手出して、証書を受け取ったらお辞儀だ!」とつぶいているのかもしれないけれども(笑)
でも、一人ひとりを見守るその目を見ていて、ああ、先生って、こんなに温かく子どもを見守ってくれていたんだなあと、気づいた。
自分が生徒だったときには、まったく気がつかなかったけれど。
私が中3だったときって、どんなだったかなあと思い出していました。
今から12年前。
私は私立で中高一貫だったから、中学卒業でそんなに感慨はなかったんですが。
中学くらいのときは、今よりも100倍生意気だったので、先生は大変だったと思います。
校長先生にも「ふんっ」としてたもの。
でも、高校に入ってから、校長先生がとても優しい人だったということを感じる心の余裕が出てきて、そしたら反抗してたのが申し訳なくて、「ごめんなさい」と書き添えた年賀状を出したことがありました。
そしたら、すごくさりげない言葉が添えられた返事が返ってきたんですよ。
反抗的だった私を責めるでもなく諭すでもなく、ただ、これからも一生懸命生きるんだよ、というような内容だった。
ああ、もう校長先生には一生頭が上がらない、と思って、高校の卒業式で深々と頭を下げた記憶があります。
卒業証書の授与を見ていて、そんなことを思い出した。
あの時の校長先生、もう退職しちゃったけれど、お手紙でも書いてみようかな、と思いました。
卒業式は厳かだけれど、厳かさの陰には、先生と生徒の心の交流が垣間見える。そんな人間らしさがあってこそ、儀式には意味があるんでしょうね。
自分自身の卒業式以上に、なんだか心動かされました。
今年の卒業生は、平成4,5年生まれだそうです。
ひぃ。
うちの猫よりも後に生まれたのか!と思って・・・
気分的には私もそんなに年が変わらないと思ってたけど、とんだ錯覚でした(^^;
生年月日を聞いたときにはあんまりビックリして思わず来賓席でひとり、「ひぃ」という声を出してしまった・・・。
あと、卒業式では「君が代」を歌いました。
議員になってから、何度か君が代を歌う場面が出てきますが。
小学生の時以来です(^^;
今日、しみじみ歌詞を噛みしめながら歌ってみた。・・・うーん。最大限に天皇と、その治める国をたたえちゃったぞ。
中学生の卒業を祝いに来ているのになんで君が代を寿ぐんだろうか、という違和感が胸にわきました。。
変なのね。なんで、天皇が「象徴」に変わったときに国歌も変えなかったんだろう・・・??
憲法の内容と相反する歌詞じゃないのかなあ・・・。
変なのー。
★最近の趣味
もともと持っていた性格が、年をとるごとにだんだん個性強くなってくる気がする今日この頃。人間ってそういうもんなんでしょうか。
最近の私の数少ない喜びのひとつは、週末にタモリ倶楽部とケータイ大喜利というのを見て一人で「ふふ・・・」と笑うことです。。
見てみてください。
なんか、若干、根暗な笑いがあって、私としては気が休まるのですが(^^;
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コントロールキーのことと、予算の報告最終回
私の仕事用のパソコンは、まだ私がNPOで働いてた、2年ほど前に買ったものです。
・・・自腹ですよ。
持ち運べる大きさのパソコンがほしくて、でもそのころは年収200万くらいだったから高いのは買えなくて、一生懸命安いの探して。
10万弱のをようやく見つけて喜んでいたんだけど。
でもね。
1年くらいでガタが来て。
キーボードのキーが取れ始めた。
ある日仕事をしていたら、突然、コントロールキーがピョンと跳ねて取れた。
ぎゃー
あまりにビックリしてたくさんの友人に、「コントロールキーが外れた」というタイトルをつけたメールを送った。
そしたら「なーんだ、パソコンの話ね。てっきり、ついに桜子ちゃんのコントロールキーが外れたのかと思った」という返事をくれた人がいた・・・
まあね・・・( ̄ー ̄)
そんなパソコンと格闘しつつ今日も仕事をしています。
予算の話、今日が最後。
これはまったく時間切れで言えなかったけど気になっていた話。
昨秋から、総合教育センターの駐車場が有料化されました。
民間と比べてあまりにも安かったら有料化というのは一つの考えでしょう。
でも、公立施設の付属の駐車場はどうだろう。
今、介護保険の中で「介護予防」が行われているけれど、本来予防は、自分の生きがいでやるものだと思います。保険でやるべきものではない。
で、公立施設を活用してるって人の話を聞くと、高齢者で、なんとか自分で外に出られる人が趣味活動に使うという話を聞くことが多い。
そしたら、その「いきがい」に対してどう支援できるかというと、少しでも地域活動に参加しやすい方法を考えるしかないでしょう。
そもそも駐車場使用料は、駐車場が混み合いすぎないように、公平性を確保するという意味なのだから、年齢や利用目的によって負担割合も変えたって良いはず。
誰もが地域活動に参加しやすい、という視点からすると、基準づくりは難しいと思いますが、ぜひ、公立施設がより多くの方の地域参加につながるような見直しをしていくべきだと思います。
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・・・自腹ですよ。
持ち運べる大きさのパソコンがほしくて、でもそのころは年収200万くらいだったから高いのは買えなくて、一生懸命安いの探して。
10万弱のをようやく見つけて喜んでいたんだけど。
でもね。
1年くらいでガタが来て。
キーボードのキーが取れ始めた。
ある日仕事をしていたら、突然、コントロールキーがピョンと跳ねて取れた。
ぎゃー
あまりにビックリしてたくさんの友人に、「コントロールキーが外れた」というタイトルをつけたメールを送った。
そしたら「なーんだ、パソコンの話ね。てっきり、ついに桜子ちゃんのコントロールキーが外れたのかと思った」という返事をくれた人がいた・・・
まあね・・・( ̄ー ̄)
そんなパソコンと格闘しつつ今日も仕事をしています。
予算の話、今日が最後。
これはまったく時間切れで言えなかったけど気になっていた話。
昨秋から、総合教育センターの駐車場が有料化されました。
民間と比べてあまりにも安かったら有料化というのは一つの考えでしょう。
でも、公立施設の付属の駐車場はどうだろう。
今、介護保険の中で「介護予防」が行われているけれど、本来予防は、自分の生きがいでやるものだと思います。保険でやるべきものではない。
で、公立施設を活用してるって人の話を聞くと、高齢者で、なんとか自分で外に出られる人が趣味活動に使うという話を聞くことが多い。
そしたら、その「いきがい」に対してどう支援できるかというと、少しでも地域活動に参加しやすい方法を考えるしかないでしょう。
そもそも駐車場使用料は、駐車場が混み合いすぎないように、公平性を確保するという意味なのだから、年齢や利用目的によって負担割合も変えたって良いはず。
誰もが地域活動に参加しやすい、という視点からすると、基準づくりは難しいと思いますが、ぜひ、公立施設がより多くの方の地域参加につながるような見直しをしていくべきだと思います。
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★色々とイベントがあったり・・・ ★予算⑥
★色々とイベントがあったり・・・
朝の駅で配布する活動レポートは、1ヶ月に1回新しいものを作っています。
毎回、ギリギリにならないと作らないので、「次回こそは余裕をもって作るぞ」と思うのですが。
明日から新しいレポートを配るのに、またもギリギリに・・・。今日は一日、ずーっとレポート作りをしていました。なんとか間に合いました。ふう。
もう少し計画性を身に付けたいものです
計画性がないといえば・・・
5月3日、4日に、大泉学園のゆめりあホールで和力のコンサートをやります。両日とも16時開演。ぜひ来てください。3500円。お問い合わせは私まで。
このチラシが、まだ出来上がってきていなくて、でもまだまだ先だから大丈夫だろうと思っていましたが、考えてみたらそんなに先じゃないじゃないですか
そのことに、さっき気がつきました。うっ。まずい。
チケット、買って下さい・・・とほほ。
それから、6月1日には、これまたゆめりあホールで、ホームレスだった人のドキュメント映画「あしがらさん」の上映会をやります。こちらは500円。
あしがらさんの上映会は、来週区の主催でもやるので、同じことやってもつまんないから、映画の後のシンポジウムに力を入れようと思っていまして。
定例会が終わったからようやくスピーカーの予定者と連絡をとり始めまして、結構楽しくポジティブな話が進んでいるんですが、これまた考えてみたら、あんまりのんびり準備してられませんな。チラシを作らなければ・・・
チラシを作るためにはもう少しシンポジウムのことを詰めて考えなくては

このことについても、先ほど、和力のことについて気づいたのと同時に気づきました。
まずい・・・。
頭の中に、「クラリネットを壊しちゃった」の歌が流れました。
どうしよう どうしよう
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
って。
・・・そんなこんなで、定例会のない4月5月も綱渡りの毎日になりそうな予感がします・・・。
★予算⑥
介護保険の中の、認知症の人へのケアについて。
これは、質問の時間切れでまだ不完全燃焼なんですけど。
元々介護保険は、要介護認定の際に認知症への配慮が足りないといわれてました。
今は、ある程度進行すれば色々な支援があります。認知症の方のためのデイサービスだとか。諸々。
でも、認知症と診断されて、ご家族も本人も「まさかそんなこと信じられない」という精神状態のときの支援がまだまだ足りない、という話を聞いたことがあります。
自分が、家族が、認知症だなんて信じたくない。デイサービスなんか行きたくない。
そんなときに、その不安な気持ちを聞いてくれる人がそばにいたならば。
家族会の方は、「初期の段階でヘルパーさんを使える時間数がもう少したくさんあったらいいのに」とおっしゃっていました。
今まで練馬区は、認知症予防にかなり力を入れてきたけれども、来年度からは、認知症になっている人を地域で見守るような事業をモデル的に始めたいということを聞きました。
徘徊する人を地域で見守る体制作りだとか、家族の会を充実できるように支援するだとか。
これから始める事業だということで、担当課長さんも希望に燃えて頑張っていらっしゃる様子。
それはそれで、楽しみな内容だし、自治体独自で取り組みを考えることも良いことだろうと思うのですが、でも、本来ある介護保険制度の中で認知症に対する支援が不十分だよ、という声にも耳を傾ける必要があるのではないかと思うのです。
後期高齢者医療制度でも、障害者自立支援法でも、制度の不備を緊急措置だの激変緩和措置だの減免措置だの、自治体独自の工夫だので補う例が最近とても多い。
とりあえず急場を逃れるためにそれは必要かも知れないけれども、でも、そもそも制度そのものが不備なんだよ、ということをしっかり見つめなくてはいけないと思うのです。
だから、介護保険制度と認知症の人との関係が、とても気になる。
でも、今回はこの程度までしかいえませんでした。
続きは今度の一般質問か、それともモデル事業の進捗状況を見て決算特別委員会で質問するか、という感じかなあ・・・。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
朝の駅で配布する活動レポートは、1ヶ月に1回新しいものを作っています。
毎回、ギリギリにならないと作らないので、「次回こそは余裕をもって作るぞ」と思うのですが。
明日から新しいレポートを配るのに、またもギリギリに・・・。今日は一日、ずーっとレポート作りをしていました。なんとか間に合いました。ふう。
もう少し計画性を身に付けたいものです

計画性がないといえば・・・
5月3日、4日に、大泉学園のゆめりあホールで和力のコンサートをやります。両日とも16時開演。ぜひ来てください。3500円。お問い合わせは私まで。
このチラシが、まだ出来上がってきていなくて、でもまだまだ先だから大丈夫だろうと思っていましたが、考えてみたらそんなに先じゃないじゃないですか

そのことに、さっき気がつきました。うっ。まずい。
チケット、買って下さい・・・とほほ。
それから、6月1日には、これまたゆめりあホールで、ホームレスだった人のドキュメント映画「あしがらさん」の上映会をやります。こちらは500円。
あしがらさんの上映会は、来週区の主催でもやるので、同じことやってもつまんないから、映画の後のシンポジウムに力を入れようと思っていまして。
定例会が終わったからようやくスピーカーの予定者と連絡をとり始めまして、結構楽しくポジティブな話が進んでいるんですが、これまた考えてみたら、あんまりのんびり準備してられませんな。チラシを作らなければ・・・

チラシを作るためにはもう少しシンポジウムのことを詰めて考えなくては


このことについても、先ほど、和力のことについて気づいたのと同時に気づきました。
まずい・・・。
頭の中に、「クラリネットを壊しちゃった」の歌が流れました。
どうしよう どうしよう
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
って。
・・・そんなこんなで、定例会のない4月5月も綱渡りの毎日になりそうな予感がします・・・。
★予算⑥
介護保険の中の、認知症の人へのケアについて。
これは、質問の時間切れでまだ不完全燃焼なんですけど。
元々介護保険は、要介護認定の際に認知症への配慮が足りないといわれてました。
今は、ある程度進行すれば色々な支援があります。認知症の方のためのデイサービスだとか。諸々。
でも、認知症と診断されて、ご家族も本人も「まさかそんなこと信じられない」という精神状態のときの支援がまだまだ足りない、という話を聞いたことがあります。
自分が、家族が、認知症だなんて信じたくない。デイサービスなんか行きたくない。
そんなときに、その不安な気持ちを聞いてくれる人がそばにいたならば。
家族会の方は、「初期の段階でヘルパーさんを使える時間数がもう少したくさんあったらいいのに」とおっしゃっていました。
今まで練馬区は、認知症予防にかなり力を入れてきたけれども、来年度からは、認知症になっている人を地域で見守るような事業をモデル的に始めたいということを聞きました。
徘徊する人を地域で見守る体制作りだとか、家族の会を充実できるように支援するだとか。
これから始める事業だということで、担当課長さんも希望に燃えて頑張っていらっしゃる様子。
それはそれで、楽しみな内容だし、自治体独自で取り組みを考えることも良いことだろうと思うのですが、でも、本来ある介護保険制度の中で認知症に対する支援が不十分だよ、という声にも耳を傾ける必要があるのではないかと思うのです。
後期高齢者医療制度でも、障害者自立支援法でも、制度の不備を緊急措置だの激変緩和措置だの減免措置だの、自治体独自の工夫だので補う例が最近とても多い。
とりあえず急場を逃れるためにそれは必要かも知れないけれども、でも、そもそも制度そのものが不備なんだよ、ということをしっかり見つめなくてはいけないと思うのです。
だから、介護保険制度と認知症の人との関係が、とても気になる。
でも、今回はこの程度までしかいえませんでした。
続きは今度の一般質問か、それともモデル事業の進捗状況を見て決算特別委員会で質問するか、という感じかなあ・・・。
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★第一回定例会終了 ★予算⑤
★第一回定例会終了
なかなかブログでの報告は終わりませんが、現実の定例会は、3月14日で終了しました。
いやー、長かった。
2月13日から始まってちょうど1ヶ月くらいなのに、1年くらいに感じました(^^;
小さい頃って、月日が経つのは長く感じますよね。小学生の頃は、卒業なんてはるかずっと先だと思っていた。だけど、年をとるごとに月日が経つのが早くなっていく。
そんな毎日だったのに、こんなに1ヶ月が長く感じたのは久しぶりでした。あーー。
予算特別委員会があって大変だったこともあるけれど、保育園の民間委託の問題を中心にして、私は、将来的に自分自身が議員としてどうあるべきなんだろうか、ということをものすごく考えたという意味でも、とっても長い1ヶ月だったし、自分の心の成長のひとつの節目でもあったなと思っています。
この定例会を経て、議会の1年の流れを一通り経験しました。
桜が咲いたら私は28歳になり、そして選挙から1年を迎えます。
選挙の頃に気にかけてくださった方にお会いすると、「もう仕事には慣れた?」と声をかけてくださいます。
うーん、区役所に行く道順は間違えなくなったし、課長さんや部長さんや議員の名前は覚えたし、なんとなくそれぞれのキャラクターも分かってきたし、そういう意味では慣れたかな。
でも、議員って、たぶん、仕事に慣れてしまってはいけない職種なのではないかなあ、と思います。いつも、新鮮に感じて、腹を立てたり、悩んだり、していきたいなと思っています。
★予算⑤
前回のブログの、介護保険の話の続き。
②介護従事者の待遇改善のこと
介護保険の厳しさは、利用者だけではなく介護の従事者にも及んでいます。
2006年の介護保険改正の影響もあるけれど、一時期に比べて一般の会社の求人が増えてきたことも影響していると思う。
月20万もらえれば、おお結構良いじゃん、というくらいの給料だと思うし。
人手不足だから仕事のシフトも厳しいし。
忙しいと余裕がなくなって、じっくり利用者の声に耳を傾ける時間が取れなくなるし。
利用者の声を聞くために福祉の仕事についたはずなのに、自分は一体何をやってるんだろう、なんて疑問を感じ始めたら、とても苦しくて仕事が続けられない、なんていうことが多いんだと思います。
非常勤の人も多いし、社会保険だってきちんと入っているかどうかも怪しいと思いますよ。
非常に、先々が見えにくい仕事なわけです。
私が議員になった一つの理由には、「自分がいつまでも安心してヘルパーの仕事をできると思えない状況を変えたい」というのもありました。
もらえるお金に限界があるのは、介護保険の中の介護報酬が事業所の収入の上限だから、それを上回る人件費は出せないということがあります。
だから、金銭面を変えるには、介護保険のあり方そのものを見直さないといけない。それは、国レベルに向けて提案・要望をしていくにしても、それとは別に区レベルですぐにでもできることはなんだろうかな、と考えました。
で、研修体制の充実、というのを考えて、予算特別委員会で提案したのです。
私は以前、「東京都福祉人材センター 研修室」というところでバイトをしていましたが、それは都内の施設職員を中心とした研修を行っている場所でした。それは東京都の事業で、東京都社会福祉協議会が引き受けている。
でも、東京といっても広いですよね。練馬も多摩も島部もみんな東京だし。
だから、研修を受けている人の様子を見ていると、せっかくならば近くで仕事をしている人に知り合えればいいのになあ、というのが伝わってきた。
「勉強したことは、職場に持ち帰ります」という言い方もよく耳にしましたが、うーむ。
「持ち帰る」。。
食べ物だって、持ち帰るよりその場で食べた方がおいしいでしょう?
勉強したことを、一人で職場に持ち帰らないといけない、というだけでも、結構重荷なのではないのかなあと思っていました。
持ち帰るんじゃなくて、その場で食べられるような状況を作らないといけない。それは、都という大きなレベルではなくて、地元で研修を受けられる体制を作ることではないかなと思います。
勉強をしに行くのって、勉強そのものだけではなくて、そこでともに学ぶ仲間ができるから楽しいものですよね。
地域レベルに研修機関があれば、知り合う人は近くの職場の人になる。
今はお給料が安くてきついけれど、自分達が目指す福祉はこういうものだよね、だからそれを目指して頑張ろうね、と話し合える仲間が、職場を越えて存在したなら、心強いのではないかと思います。
練馬の社会福祉事業団が、独自にやっている研修を区内の他事業所に公開しているらしい。
その体制をより一層充実できたら、可能性は広がるんではないかな、と思っています。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
なかなかブログでの報告は終わりませんが、現実の定例会は、3月14日で終了しました。
いやー、長かった。
2月13日から始まってちょうど1ヶ月くらいなのに、1年くらいに感じました(^^;
小さい頃って、月日が経つのは長く感じますよね。小学生の頃は、卒業なんてはるかずっと先だと思っていた。だけど、年をとるごとに月日が経つのが早くなっていく。
そんな毎日だったのに、こんなに1ヶ月が長く感じたのは久しぶりでした。あーー。
予算特別委員会があって大変だったこともあるけれど、保育園の民間委託の問題を中心にして、私は、将来的に自分自身が議員としてどうあるべきなんだろうか、ということをものすごく考えたという意味でも、とっても長い1ヶ月だったし、自分の心の成長のひとつの節目でもあったなと思っています。
この定例会を経て、議会の1年の流れを一通り経験しました。
桜が咲いたら私は28歳になり、そして選挙から1年を迎えます。
選挙の頃に気にかけてくださった方にお会いすると、「もう仕事には慣れた?」と声をかけてくださいます。
うーん、区役所に行く道順は間違えなくなったし、課長さんや部長さんや議員の名前は覚えたし、なんとなくそれぞれのキャラクターも分かってきたし、そういう意味では慣れたかな。
でも、議員って、たぶん、仕事に慣れてしまってはいけない職種なのではないかなあ、と思います。いつも、新鮮に感じて、腹を立てたり、悩んだり、していきたいなと思っています。
★予算⑤
前回のブログの、介護保険の話の続き。
②介護従事者の待遇改善のこと
介護保険の厳しさは、利用者だけではなく介護の従事者にも及んでいます。
2006年の介護保険改正の影響もあるけれど、一時期に比べて一般の会社の求人が増えてきたことも影響していると思う。
月20万もらえれば、おお結構良いじゃん、というくらいの給料だと思うし。
人手不足だから仕事のシフトも厳しいし。
忙しいと余裕がなくなって、じっくり利用者の声に耳を傾ける時間が取れなくなるし。
利用者の声を聞くために福祉の仕事についたはずなのに、自分は一体何をやってるんだろう、なんて疑問を感じ始めたら、とても苦しくて仕事が続けられない、なんていうことが多いんだと思います。
非常勤の人も多いし、社会保険だってきちんと入っているかどうかも怪しいと思いますよ。
非常に、先々が見えにくい仕事なわけです。
私が議員になった一つの理由には、「自分がいつまでも安心してヘルパーの仕事をできると思えない状況を変えたい」というのもありました。
もらえるお金に限界があるのは、介護保険の中の介護報酬が事業所の収入の上限だから、それを上回る人件費は出せないということがあります。
だから、金銭面を変えるには、介護保険のあり方そのものを見直さないといけない。それは、国レベルに向けて提案・要望をしていくにしても、それとは別に区レベルですぐにでもできることはなんだろうかな、と考えました。
で、研修体制の充実、というのを考えて、予算特別委員会で提案したのです。
私は以前、「東京都福祉人材センター 研修室」というところでバイトをしていましたが、それは都内の施設職員を中心とした研修を行っている場所でした。それは東京都の事業で、東京都社会福祉協議会が引き受けている。
でも、東京といっても広いですよね。練馬も多摩も島部もみんな東京だし。
だから、研修を受けている人の様子を見ていると、せっかくならば近くで仕事をしている人に知り合えればいいのになあ、というのが伝わってきた。
「勉強したことは、職場に持ち帰ります」という言い方もよく耳にしましたが、うーむ。
「持ち帰る」。。
食べ物だって、持ち帰るよりその場で食べた方がおいしいでしょう?
勉強したことを、一人で職場に持ち帰らないといけない、というだけでも、結構重荷なのではないのかなあと思っていました。
持ち帰るんじゃなくて、その場で食べられるような状況を作らないといけない。それは、都という大きなレベルではなくて、地元で研修を受けられる体制を作ることではないかなと思います。
勉強をしに行くのって、勉強そのものだけではなくて、そこでともに学ぶ仲間ができるから楽しいものですよね。
地域レベルに研修機関があれば、知り合う人は近くの職場の人になる。
今はお給料が安くてきついけれど、自分達が目指す福祉はこういうものだよね、だからそれを目指して頑張ろうね、と話し合える仲間が、職場を越えて存在したなら、心強いのではないかと思います。
練馬の社会福祉事業団が、独自にやっている研修を区内の他事業所に公開しているらしい。
その体制をより一層充実できたら、可能性は広がるんではないかな、と思っています。
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★日本語って・・・ ★予算④
★日本語って・・・
昨日の朝、ぼーっとNHKのニュースを見ていたら、公共サービスの民営化の特集が始まりました。
今、全国のあちこちで、公共サービスの民営化をしている、というリストがずらっと出る。
都市ガスを民営化したいけれども、引き受け手がなかなか見つからないという自治体。保養所を売ってしまいたいけど、国から借金をして作ったもので、売り渡した段階で一括返済する約束になっているから売ることができない自治体。そんな理由で、なかなか民営化が進まなくて、スリム化ができない。
そして、苦肉の策で宮崎の東国原知事が、「県庁の命名権を売れないんだろうか」とつぶやいている姿が映る。
アナウンサーがそれを指しながら、「今、公共サービスの売却が行われています」と言う。
売却か!
朝で、頭がまだ寝ぼけている状態で見ていましたが、「売却」という言葉にビックリして一瞬にして目が覚めました。
まあ、今まで行政がやっていたものを民間に渡して、その結果お金が動くと考えれば、売却という言葉でも間違ってないのかもしれないけど、なんだか随分強烈な印象(^^;
例えば練馬区には「委託化・民営化実施計画」というのがあるけれど、これがもし「売却実施計画」という名前だったら、なんだかドキドキするじゃないですか・・・

日本語って、同じ物事を指すんでも、いろんな言葉があって、特に、ぼんやりさせる言葉を使うのが好きなんですよね。
それはある意味日本の文化だと思いますが。
古文の文法をやっているときにも、「婉曲」というのがたくさん出てきて、ときには婉曲表現と丁寧な言葉は同じ言葉だったりするから、「婉曲=丁寧」という文化があるんでしょうね。
だから、ふんわりした言葉で表現されているものを、あえて違う言葉に置き換えてみると、物事の今まで見えなかった一面が違う角度から見えてくるのかもしれない、と、アナウンサーの「売却」の言葉を聞いて思ったのでした。
★予算④
特別会計についての予算のところで、介護保険にからんだ質問をしました。
先月、ボランタリーフォーラムというイベントを企画した時に「介護保険の現在とこれから」というテーマで分科会を開いたら、幅が広すぎて大変だったと書きましたが。
今回、そのときの経験も生かして議会で質問しましたが、改めて、やっぱり幅が広いと思った・・・

今回は、
①給付抑制のこと
②介護従事者の待遇改善のこと
③認知症のこと
を言いました。
話せば長くなるので、ブログでは2,3回に分けて書きます。
予算特別委員会では持ち時間が12分くらいしかなかったので、言いたいことを言い切れずに「あうあうあう・・・」と唇を噛みしめる感じでしたが、続きは来年度にやる一般質問でやりますわ・・・。
では今日は①給付抑制のことから。
2006年に介護保険が改正されて、「介護予防」が重視されるようになりました。
まだ、少しの援助があれば自分で自分のことができるはずの方も、介護保険ができた当初はいっぱい介護サービスを使ってしまっていたりしました。
例えば、外に出るのが億劫だという方でも、身体能力はある場合があって、そういう人は精神状態がうつ状態になっていたり、体を動かす機会が少なくて運動不足になって余計に動きたくなくなっていたり、ということがあります。
だから、もっと体を動かすことを重視しよう、ということで改正されたんだといわれています。
運動をすることで、自分の身の回りのことは自分でできるようにしてもらおう、介護サービスは本当に病気等で自分のことができない人に受けてもらうようにしよう、ということですね。
でも実際には、本当に介護が必要な人まで使えていない状況が生まれているんではないかと言われています。
必要な介護給付が抑制されている・・・「給付抑制」です。
今回の質問のために、練馬区の状況を数字で調べてみました。
介護保険のサービスが使えるようになるためには、要介護認定を受けないといけませんが、その数は
2004年:1万6923人 2005年:1万8290人 2006年:1万9202人
という具合に毎年増えています。これは、実際の利用の有無には関係なく、ともかく「介護サービスが必要だ」と感じた人の数です。実際には使わなかった人も入っている。
そうなると、実際にサービスを利用した人の数が気になるでしょう?
そこで、訪問介護(ヘルパー)の利用実績数を見てみる。
人数は
2004年:8万7819人 2005年:9万2662人 2006年:9万2091人
給付の金額を見てみると、
2004年:約54億4170万円 2005年:約54億4820万円 2006年:約53億8200万円
人数も給付費も、両方とも、2004年→2005年は伸びているのに、2006年になると減少している。
ちなみに、2006年が介護保険改正の年。
ニーズが変わったのかというと、認定者数は2006年も伸びているんだからニーズはあるはずだと予測できる。
そしたら、やっぱり考えられるのは給付抑制よねえ。
それで、どんな場合に給付抑制をしていると考えられるかというと、(ボランタリーフォーラムの話のブログでも書きましたが)
・家族はいるけど日中は皆仕事に出ていて、「日中独居」状態にある人が、「でも家族はいるんでしょ」ということでサービスを受けられていない可能性
・認知症と診断されたばかりで家族も本人もショックを受けていて支援が必要なのに、「まだ初期だから自分達でやれるでしょ」とサービスが制限されている可能性
等等が予測できる。
それで、介護保険課長に、「給付抑制についてどう思いますか?」と聞いてみた。
そしたら、原則的な決まりは色々あるけれど、家族の状況や身体状況は人それぞれだから、何でもかんでも一律に決めてしまって良いとは思っていないし、判断がつかない時は相談してくださいとケアマネジャーに言っているんだけれども、ケアマネ自身が自己規制してしまっている場合があるんだ、というお返事。
うーむ。
私も介護のヘルパーをやっていたし、一口にケアマネジャーといっても考え方や質にばらつきがあることは分かる。。
でも、なんだか釈然としなくて。
うーむ・・・と思いながら、「訪問介護のQ&A」という資料に目を落とす。
「利用者さんが髪を切りに行きたいと言った場合に付き添ったら、ヘルパーの料金として算定できますか?」という質問。
それに対して、「算定できません。出張調髪(←美容師さん等が家まで来てくれるサービス)を利用しください。ただし、出張調髪を利用できない事情があって、衛生状態を考えると髪を切った方が良いと思われるような場合には美容院・理髪店に行っても算定できます」というようなことが書いてある。
ふーん。
でも私、大学生のころに初めてヘルパーの仕事を始めた時に、美容院に付き添ったことがあったよなぁ、と思い出す。もう、5年前になりますねえ。
その人は、一人暮らしで、体は元気なんだけど、長年住んでいた都営住宅が建て替えになって新しいところに移って、ご近所さんも入れ替わってしまったことで気持ちが落ち込んでしまって、「もうやだ」「生きてたってつまんない」と嘆いて寝てばかりいた。出ようと思えば出られるはずなのに、「外には出たくない」と言い張っていました。
それが、ヘルパー(私)が行くようになって1,2ヶ月して少し気持ちが落ち着いて、「そうだわ、歩いて2,3分のところにある美容院に行ってみようかしら。加藤木さん、一緒に行ってくれる?」とおっしゃったのでした。
おお!と思って、ケアマネに相談。
どうやったって外に出ようとしなかった人が、これを機に外に出られるようになるかもしれない、後生だから美容院に付き添わせてくれ、とお願いした。
今思えば、柔軟な判断をできる質の高いケアマネさんだったんでしょう、「そうだね、やっと外に出る気になったんだね」と言ってくれた。
美容院に行った後のその人は、パッと花が咲いたような笑顔を見せて、「もうおばあさんだもの、髪を切ったって変わりはしないんだけどね」とおっしゃった。
いやー、その笑顔の美しかったこと。「いや、そんなことない、きれいですよ」なんて言葉では表せないほどきれいだったから、うまく言葉に表せなくて、私はただ首を横に振っていたんだけど。
今思い出してみても、あんなに美しい女性は見たことない、というくらいきれいだった。
そんな思い出を、ふと振りかえる。
あのときもし、「いや、ダメだ。出張調髪にしろ」と言われてたら、どうだったんだろう。
まあ、きっとそれでもおばあちゃんはニッコリしたでしょう。
でも多分、自分がいつも行ってた美容室に再び行けた喜びの方が大きかったんじゃないのかなあ。
そんなことを考えながら、「あのう、閉じこもり防止のためって考えても、出張調髪なんですか?」と介護保険課長に質問。
「そりゃあ、閉じこもりの防止になるということを計画に盛り込んで、ケアマネがプランを立ててくれれば大丈夫なんですよ」と介護保険課長がニッコリ教えてくれる。
そっかー、良かったー。
でも、「ケアマネがプランを立ててくれれば」ということは、ケアマネがどういう人かによって運命は左右されるってことね・・・

「そう、だからケアマネの自己規制なんですよ」と課長。
うーん、でもね。
文面を深く読み取って、利用者にとってより良い状況を作っていける力量を、必ずしも皆が持っているわけではない。たまたま、その力量がないケアマネに行き当たってしまえば、不幸としかいえないわけで。
それに、行政側だって、今の介護保険課長は「相談してくれさえすれば一緒に考えますよ」と言ってくれてるけど、もし異動があって、もしもっと紋切り型で物を考える人が課長さんになったら「いや、何が何でも出張調髪だ!」とおっしゃるようになる可能性も残っていると思うのです。
だからこそ、全国的に給付抑制が問題になっていて、12月には厚生労働省から「同居家族がいてもそれぞれの状況に合わせて柔軟に対応するように」という通知まで出たのだと思うのです。
どんな人でもどこにいても、必ずより良い人生の終わりを迎えられるようにしていかなくちゃいけないと思います。
「だからもっとケアマネと行政のやり取りを増やすとかしてください」と、舌足らずの要望をしましたが、その後の質問で池尻さんが「Q&Aという形ではなくて、人それぞれの状況に対応して構わないんだよということがもっと分かりやすい文書を作るべきなんではないか」と意見をおっしゃっていて、おお、それよそれよ、私が言いたかったことはそれよ、と思いました(^^;
色々思いはあるものの、うまく表現できない私は、まだまだ、ぴよぴよ

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①健康福祉委員会 ②予算について その③
毎週月曜日は朝、大泉学園の北口に立っているんです。マイクでぼそぼそしゃべっているんです。
それ以外に、大泉の南口と保谷と石神井を順番にやっているんですが。
でも本当は朝が苦手なので、いつもウーウーうなりながら起きます。
今日は、朝のうちに今日の委員会のことも考えておきたかったので、5時くらいにスパッと目覚めて準備をしました。
出発もいつもより早くできた。
「珍しいことがあるもんだ、良かった良かった」と外に出てみたら・・・土砂降り。。
とほほ。珍しいことをするから雨が降ったんだろうか・・・。
というわけで、今朝の駅頭挨拶は中止。
①健康福祉委員会
それで、午前中は健康福祉委員会。
まず、この定例会でのまとめをする。
「健康福祉委員会委員長報告(案)」というのが出てくる。
保育園の陳情の審査で、不採択になったものだけが報告にあがってくる。
「審査の結果、必要な財源を確保し、待機児童解消や様々な保育の利用形態に対応していくためにも運営業務委託は必要であることから、願意には沿いがたく、いずれも不採択とすべきものと決定いたしました」
むむ・・・?
「なぜ、委託をすることが待機児童解消になるんですか?」という質問が、何回も何回も、保護者から出ていたはず。
それで、「委託することによってお金が削減できたら、それで保育園を新設することで、待機児解消につながるから」という答えが返ってきて。
そうすると、「具体的に、どこに新設すればいいのか、プランは立てているのか?」と保護者につっこまれ。
そうなると、「いや、その、あの・・・」みたいになって(^^;
で、さらには、例えば120人規模の保育園をひとつ作ったからって、単純に待機児童が120人減るわけでもない、ということもおっしゃっていたはず。
そんなやり取りの中で、「結局、保育園の委託化が、どれだけ子育て支援に役立つのが見えてこない」ということで、保護者も怒っていたし、私の会派も陳情に対してどういう結論を出すか悩んでいたわけだと思うのです。
委託か直営かという話ではなくて、委託によって何を得られるのか、プランを立てるまでは委託を凍結してほしいという陳情だったと私は理解しています。
その議論は継続審査になっているはずなのに、すっ飛ばして委員長報告には「待機児童解消や」と出てくるのは、おかしくないかしら。
一応、意見だけは言いましたけど。
でも、「このままで良い」という会派もあって、結局そのままになったんだけど。
なんだか、モヤモヤ・・・
それから。
先日、予算特別委員会の中で、光が丘第四保育園の民間委託に関して、「2事業者の応募があったけれども、どちらも基準を満たしていないということで、該当事業者なしとなった」という報告がありました。
そのことについての詳しい報告がありました。
今後、再募集をしないといけないんだけれど、具体的なことはまだ決まっていないとのこと。
まあ、とにかく、「選定なし」という結果を出したということは、基準に満たなくてもやっちゃえーという拙速な判断がされなかったということでしょうから、まずそのところはホッとしました。
でも、さらに、3月下旬から4月のあたりで、豊玉第二保育園の事業者募集も始まる。
光が丘第四保育園は当初予定では21年度から本委託開始で、豊玉第二は22年度からの開始。
その事業者募集が同じ時期に始まるんだろうか、とか、光が丘第四だけ募集しても2事業者しか来なかったのにどうなるんだろうか、とか、心配なことがいっぱいです。
これから、選定委員会からの区長への報告をして、保護者とも話し合って、方向性を決めたらまた改めて議会に諮るということで。
再募集という動きが始まる前に、議会に報告されるということで。
その経緯を今は見守るしかないですね。
過去の失敗を教訓に、より良い方向へ進むことを願っています。
②予算について その③
なかなか報告が終わりませんが・・・
そして予算の報告に至る前に今日のブログも長くなってきました・・・。
保健福祉費の質問は、
・有償在宅サービスについて、ただ、介護保険の補完としての役割とみなすのではなくて、区民のボランタリーな活動として大切にして支援してほしい、ということ
・行政職員が全庁的に、障害に関する知識を勉強してほしい、ということ(福祉分野に関わる職員だけではなくて。)
・生活保護の役割は、お金の支援というだけではない。例えば母子世帯への支援や障害者が障害福祉サービスへつながる入り口になったり、虐待事例の発見につながったり、というように、制度につながっていない人を制度へつなげていくという役割も持っている。それを区民にもっと啓発してほしい
という内容をやりました。
だいたい、普段健康福祉委員会で議論しているようなことの補完的な質問だったかなーと思うので、とりあえず、箇条書きのみにしておきます。。
生活保護については、金銭的な部分ばかりが注目されると、不正受給のほうにばかり目が向いてしまいがち。
もちろん、不正受給はなくさないといけないけれども、そこに注目するばかりではなくて、生活保護が福祉制度の根幹であるといえるほどの意味を持っているということを、忘れてはいけないんではないかと、日々気になっています。
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それ以外に、大泉の南口と保谷と石神井を順番にやっているんですが。
でも本当は朝が苦手なので、いつもウーウーうなりながら起きます。
今日は、朝のうちに今日の委員会のことも考えておきたかったので、5時くらいにスパッと目覚めて準備をしました。
出発もいつもより早くできた。
「珍しいことがあるもんだ、良かった良かった」と外に出てみたら・・・土砂降り。。
とほほ。珍しいことをするから雨が降ったんだろうか・・・。
というわけで、今朝の駅頭挨拶は中止。
①健康福祉委員会
それで、午前中は健康福祉委員会。
まず、この定例会でのまとめをする。
「健康福祉委員会委員長報告(案)」というのが出てくる。
保育園の陳情の審査で、不採択になったものだけが報告にあがってくる。
「審査の結果、必要な財源を確保し、待機児童解消や様々な保育の利用形態に対応していくためにも運営業務委託は必要であることから、願意には沿いがたく、いずれも不採択とすべきものと決定いたしました」
むむ・・・?
「なぜ、委託をすることが待機児童解消になるんですか?」という質問が、何回も何回も、保護者から出ていたはず。
それで、「委託することによってお金が削減できたら、それで保育園を新設することで、待機児解消につながるから」という答えが返ってきて。
そうすると、「具体的に、どこに新設すればいいのか、プランは立てているのか?」と保護者につっこまれ。
そうなると、「いや、その、あの・・・」みたいになって(^^;
で、さらには、例えば120人規模の保育園をひとつ作ったからって、単純に待機児童が120人減るわけでもない、ということもおっしゃっていたはず。
そんなやり取りの中で、「結局、保育園の委託化が、どれだけ子育て支援に役立つのが見えてこない」ということで、保護者も怒っていたし、私の会派も陳情に対してどういう結論を出すか悩んでいたわけだと思うのです。
委託か直営かという話ではなくて、委託によって何を得られるのか、プランを立てるまでは委託を凍結してほしいという陳情だったと私は理解しています。
その議論は継続審査になっているはずなのに、すっ飛ばして委員長報告には「待機児童解消や」と出てくるのは、おかしくないかしら。
一応、意見だけは言いましたけど。
でも、「このままで良い」という会派もあって、結局そのままになったんだけど。
なんだか、モヤモヤ・・・

それから。
先日、予算特別委員会の中で、光が丘第四保育園の民間委託に関して、「2事業者の応募があったけれども、どちらも基準を満たしていないということで、該当事業者なしとなった」という報告がありました。
そのことについての詳しい報告がありました。
今後、再募集をしないといけないんだけれど、具体的なことはまだ決まっていないとのこと。
まあ、とにかく、「選定なし」という結果を出したということは、基準に満たなくてもやっちゃえーという拙速な判断がされなかったということでしょうから、まずそのところはホッとしました。
でも、さらに、3月下旬から4月のあたりで、豊玉第二保育園の事業者募集も始まる。
光が丘第四保育園は当初予定では21年度から本委託開始で、豊玉第二は22年度からの開始。
その事業者募集が同じ時期に始まるんだろうか、とか、光が丘第四だけ募集しても2事業者しか来なかったのにどうなるんだろうか、とか、心配なことがいっぱいです。
これから、選定委員会からの区長への報告をして、保護者とも話し合って、方向性を決めたらまた改めて議会に諮るということで。
再募集という動きが始まる前に、議会に報告されるということで。
その経緯を今は見守るしかないですね。
過去の失敗を教訓に、より良い方向へ進むことを願っています。
②予算について その③
なかなか報告が終わりませんが・・・
そして予算の報告に至る前に今日のブログも長くなってきました・・・。
保健福祉費の質問は、
・有償在宅サービスについて、ただ、介護保険の補完としての役割とみなすのではなくて、区民のボランタリーな活動として大切にして支援してほしい、ということ
・行政職員が全庁的に、障害に関する知識を勉強してほしい、ということ(福祉分野に関わる職員だけではなくて。)
・生活保護の役割は、お金の支援というだけではない。例えば母子世帯への支援や障害者が障害福祉サービスへつながる入り口になったり、虐待事例の発見につながったり、というように、制度につながっていない人を制度へつなげていくという役割も持っている。それを区民にもっと啓発してほしい
という内容をやりました。
だいたい、普段健康福祉委員会で議論しているようなことの補完的な質問だったかなーと思うので、とりあえず、箇条書きのみにしておきます。。
生活保護については、金銭的な部分ばかりが注目されると、不正受給のほうにばかり目が向いてしまいがち。
もちろん、不正受給はなくさないといけないけれども、そこに注目するばかりではなくて、生活保護が福祉制度の根幹であるといえるほどの意味を持っているということを、忘れてはいけないんではないかと、日々気になっています。
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緊急一時保護センターの視察
予算の話は一度お休みして、今日、健康福祉委員会で行った視察のことを書きます。
大泉学園町にいよいよできた、ホームレスの緊急一時保護センターの視察。
委員会での近いところの視察としては、板橋にあったホームレスの施設と、区内で既に民間委託されている保育園にも行きましたが、そういう場合、一度委員会室に集まってからみんなでバスで出かけます。
私は今朝は7時から8時半まで保谷駅で活動レポートの配布をしてから区役所に行ったので、比較的あったかいコートを着ていました。
でも、役所に着いた頃にはだいぶ外も暖かくなってきていて、道々、猫がごろごろしていました。

(ごろごろ猫の一例)
ああ、梅の花と、猫のごろごろを見ると、春を感じるなあと思いながら役所に入ったのですが。
それで、視察のためにバスに行く時になって、「コートを着ていくべきか」とちょっと悩みました。なにせ、厚いコートだし。
まあ、でも寒いのも嫌だし、と思って、着て出ました。
役所の1階に降りて、同行の皆さんの姿を見たら、あらまあ誰もコートを着てない。
むむ!しまった。
でも、人は人。外に出たら、寒いかもしれないじゃないか、と自分を納得させながら表に出た。
・・・暖かい。
やだなあ、私一人で季節感のない人みたいだ・・・。
誰にも指摘されないといいなあ。やだなあ。。
と思いながらとぼとぼ歩いていたら、バス乗り場で職員さんたちが待っている。
私の心を知ってか知らずか、健康福祉事業本部長が私を見ている。やだなあ、やだなあ。
そして本部長が言う。「・・・暖かいですよ」
えーん。
知ってるよー。
「そうですよね、はは、はは」と力なく答える私に、「いやいや、施設の中も暖かいっていう意味ですよ!」とフォロー(?)する本部長。
とほほ、と思いながらバスに乗り込むと、生活者ネットの橋本牧さんが私を見て、「あら、コートを着てきたのね」とおっしゃる。うっ、またその話か・・・
「私も着てこようと思ったんだけどね、ネットの人に、『あら、今コートなんて着ていったら、皆に笑われるわよ』と言われたから着てこなかったの。でも寒いのは嫌よねえ、私も着てくればよかったわー」と橋本さん。
うっ。
私はやっぱり笑われるような格好をしているんだろうか。。うぅ。
本部長から受けた傷に、橋本さんが塩を塗りこんでくれた・・・としばらくショックでボーっとしていましたが、大泉に着く頃にはなんとか立ち直り。
もうこれ以上追及されるのは嫌だから、コートはバスに置いていこう、と決めました。
大泉学園高校跡地は、工事が終わり、今は引っ越し作業中。
板橋のホームレスの施設を受託していた社会福祉法人が引き続き受託するということで、以前お会いした施設長が出迎えてくださった。
学校の跡地だけに広いし、板橋の時は2階建てだったけれども今回は1階だから障害のある人も安心です、というような説明を受けました。
そして一通り見学。
きれいだねー、なんて言いながら見て歩きましたが、新しく作ったんだからきれいなのは当たり前ですよね(^^;
引っ越し作業中で、肉体作業も多いのでしょう、多分、全館に暖房をつける必要はなかったんだと思います。私達が着いて、暖房はつけてくれたみたいですが、なにせだだっ広いから、風がすーすー抜けていく。
・・・むむ。コートを持って来ればよかった。。
「寒い・・・」とつぶやく私に、菅田さんが、「なんでコートを置いてきちゃったの?」と聞く。
むむ。
「だって、暖かいって言われたんですもの。」と私。
不思議そうな顔をする菅田さん。「誰に言われたの?なんでバスの中に置いてきちゃったの?持って来ればいいのに」と菅田さん。
むむ・・・。
まあでも半分くらい見学した頃には、だいぶ暖まってきました。
で、またバスに乗って役所に戻ってきました。
戻ってきたら、いろんな人に「どうだった?」と聞かれました。
「うーんと、広くて、きれいで、引っ越ししてました。」と答える。そして、暑かったり寒かったりしました、と心の中で付け加える。
でも、なんというか、一言で言い表せる感想が思い浮かばないなあと思っていました。
帰り道にばったり会った池尻成二さんからも「どうだった?」と聞かれたので、「広くて、引っ越してました」と答えたら、「そうか、まだハコだけだったんだね」という返事が返ってきて、私の心に感想が浮かばなかった理由がハッと分かりました。
そうだ、ハコだけを見て来たからだ。
秋に行った、九州への視察の時にも漠然と感じていたけれど、なぜか皆で行く視察というものに違和感を感じたのは、大勢で行くとハコを見るしかなくなるからなんだと気づいた。
そりゃあ、利用者にはプライバシーというものがあるんだから、20人くらいでゾロゾロ行って、生活を見るわけにはいかない。そうなると必然的にハコを見るしかなくなるわけで。
でも、福祉は本当はハコではないんだよね。。
本当は、ホームレスの人だけではなくて、近隣の住民に生じているであろう心の葛藤も、福祉なんだと思う。
きれいな部分、制度化された部分、助け合いの部分だけが福祉なのではなくて、生きるうえで生じる心のドロドロと、それに対する対応も含めてすべてが福祉なんだと思う。
プライバシーのことを考えるとなかなか難しいところではあるけれど、何か工夫をすることで、そういった人の心の内面を見ることができるような視察ができれば、も少し、建物ではなくて「人を育てる」ということに力を入れる施策ができるんではないかなあと、ふと思ったのでした。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
大泉学園町にいよいよできた、ホームレスの緊急一時保護センターの視察。
委員会での近いところの視察としては、板橋にあったホームレスの施設と、区内で既に民間委託されている保育園にも行きましたが、そういう場合、一度委員会室に集まってからみんなでバスで出かけます。
私は今朝は7時から8時半まで保谷駅で活動レポートの配布をしてから区役所に行ったので、比較的あったかいコートを着ていました。
でも、役所に着いた頃にはだいぶ外も暖かくなってきていて、道々、猫がごろごろしていました。

(ごろごろ猫の一例)
ああ、梅の花と、猫のごろごろを見ると、春を感じるなあと思いながら役所に入ったのですが。
それで、視察のためにバスに行く時になって、「コートを着ていくべきか」とちょっと悩みました。なにせ、厚いコートだし。
まあ、でも寒いのも嫌だし、と思って、着て出ました。
役所の1階に降りて、同行の皆さんの姿を見たら、あらまあ誰もコートを着てない。
むむ!しまった。
でも、人は人。外に出たら、寒いかもしれないじゃないか、と自分を納得させながら表に出た。
・・・暖かい。
やだなあ、私一人で季節感のない人みたいだ・・・。
誰にも指摘されないといいなあ。やだなあ。。
と思いながらとぼとぼ歩いていたら、バス乗り場で職員さんたちが待っている。
私の心を知ってか知らずか、健康福祉事業本部長が私を見ている。やだなあ、やだなあ。
そして本部長が言う。「・・・暖かいですよ」
えーん。
知ってるよー。
「そうですよね、はは、はは」と力なく答える私に、「いやいや、施設の中も暖かいっていう意味ですよ!」とフォロー(?)する本部長。
とほほ、と思いながらバスに乗り込むと、生活者ネットの橋本牧さんが私を見て、「あら、コートを着てきたのね」とおっしゃる。うっ、またその話か・・・
「私も着てこようと思ったんだけどね、ネットの人に、『あら、今コートなんて着ていったら、皆に笑われるわよ』と言われたから着てこなかったの。でも寒いのは嫌よねえ、私も着てくればよかったわー」と橋本さん。
うっ。
私はやっぱり笑われるような格好をしているんだろうか。。うぅ。
本部長から受けた傷に、橋本さんが塩を塗りこんでくれた・・・としばらくショックでボーっとしていましたが、大泉に着く頃にはなんとか立ち直り。
もうこれ以上追及されるのは嫌だから、コートはバスに置いていこう、と決めました。
大泉学園高校跡地は、工事が終わり、今は引っ越し作業中。
板橋のホームレスの施設を受託していた社会福祉法人が引き続き受託するということで、以前お会いした施設長が出迎えてくださった。
学校の跡地だけに広いし、板橋の時は2階建てだったけれども今回は1階だから障害のある人も安心です、というような説明を受けました。
そして一通り見学。
きれいだねー、なんて言いながら見て歩きましたが、新しく作ったんだからきれいなのは当たり前ですよね(^^;
引っ越し作業中で、肉体作業も多いのでしょう、多分、全館に暖房をつける必要はなかったんだと思います。私達が着いて、暖房はつけてくれたみたいですが、なにせだだっ広いから、風がすーすー抜けていく。
・・・むむ。コートを持って来ればよかった。。
「寒い・・・」とつぶやく私に、菅田さんが、「なんでコートを置いてきちゃったの?」と聞く。
むむ。
「だって、暖かいって言われたんですもの。」と私。
不思議そうな顔をする菅田さん。「誰に言われたの?なんでバスの中に置いてきちゃったの?持って来ればいいのに」と菅田さん。
むむ・・・。
まあでも半分くらい見学した頃には、だいぶ暖まってきました。
で、またバスに乗って役所に戻ってきました。
戻ってきたら、いろんな人に「どうだった?」と聞かれました。
「うーんと、広くて、きれいで、引っ越ししてました。」と答える。そして、暑かったり寒かったりしました、と心の中で付け加える。
でも、なんというか、一言で言い表せる感想が思い浮かばないなあと思っていました。
帰り道にばったり会った池尻成二さんからも「どうだった?」と聞かれたので、「広くて、引っ越してました」と答えたら、「そうか、まだハコだけだったんだね」という返事が返ってきて、私の心に感想が浮かばなかった理由がハッと分かりました。
そうだ、ハコだけを見て来たからだ。
秋に行った、九州への視察の時にも漠然と感じていたけれど、なぜか皆で行く視察というものに違和感を感じたのは、大勢で行くとハコを見るしかなくなるからなんだと気づいた。
そりゃあ、利用者にはプライバシーというものがあるんだから、20人くらいでゾロゾロ行って、生活を見るわけにはいかない。そうなると必然的にハコを見るしかなくなるわけで。
でも、福祉は本当はハコではないんだよね。。
本当は、ホームレスの人だけではなくて、近隣の住民に生じているであろう心の葛藤も、福祉なんだと思う。
きれいな部分、制度化された部分、助け合いの部分だけが福祉なのではなくて、生きるうえで生じる心のドロドロと、それに対する対応も含めてすべてが福祉なんだと思う。
プライバシーのことを考えるとなかなか難しいところではあるけれど、何か工夫をすることで、そういった人の心の内面を見ることができるような視察ができれば、も少し、建物ではなくて「人を育てる」ということに力を入れる施策ができるんではないかなあと、ふと思ったのでした。
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予算②
私からの予算の質問は、無事昨日で終わりました。
質問するために、色々調べたり、考えたりしているうちに、頭がごちゃごちゃになってきて、毎晩、家に帰ってふと鏡を見ると目が真っ赤になっていたので、そのうち、頭のごちゃごちゃが目から流れ出てくるかと思いましたが(^^;)
なんとか流れ出す前に質問を終えることができてホッとしてます。。
さて、先週やった質問の2つ目についてご報告。
練馬区には、「NPO活動支援センター」というものがあります。
法人を取得しているNPOだけではなくて、「区民活動団体およびボランティア団体」も含まれます。
その活動を、支援するセンターなんですね。
ただ、練馬区のやり方が少し分かりにくいのは、「センター」という場所があるわけではないこと。
相談業務を4つの団体が受託をしていて、それぞれ受託団体の中でやっている。
社会福祉協議会と、3つのNPO。
それぞれの団体の活動場所に、小さく「NPO活動支援センター」という表札が出ている、という感じです。
それってなかなか、区民の方に分かりにくいのではないかと思うのです。どこにあるのかも、何をやっているのかも。
「なぜ、4団体に分割して委託したんですか?」と質問したら、「練馬は広いから、1ヶ所ではできないからです」という答え。
でも、それならば、1ヶ所に委託をして、一括管理をしつつ、支所を作るほうが分かりやすいですよね。
例えば、前回のブログで書いた出張所。その中に置く情報コーナーが、ひとつの拠点となったほうが、区民誰もにつながりやすいんではないかと思ったのです。
そもそも、この支援センターを作ろうという話が始まったとき、区民懇談会を開いて、他自治体の状況を見に行ったり、時間をかけて話し合いがあったのです。そこで出ていた声と、今の分かりにくい状況は、ずいぶんかけ離れているのではないかとも思っています。
今の活動内容を知りたくて、受託団体別の報告をくださいと事前にお願いしたら、なぜかなかなか出てこなかったりして。委託しているのにその報告が出てこないなんて、不思議ねぇ・・・と思いながら、予算の質問の準備をしました。ま、最終的には出てきたんですけどね。。
委託をしている事業については、情報を求められたらすぐに出せるようなシステムに、なってないんですかねえ・・・。
なぜ、「市民活動をどう支援するのか」が見えにくいのか、と考えていくと、「協働」の話に重ねて必ず出てくる「民間委託」の話を思い出してしまう。
「協働」と「委託」は、違うものだと私は思うのですが。
委託は、責任は行政になるんだから(保育園の委託の際に散々言われましたからね)、主体は行政で、民間団体と対等な関係にはなりにくいでしょう。
「協働」については、前にも書いたけれど、練馬区としても「住民と行政の共通の領域において、共通の目的を達成するため、課題解決に向けて、主体性をもって自発的に、かつ互いに対等なものとして尊重し合いながら、協力し合う状態」と定義しているわけで、これは委託とは違うはず。
でも、どうも、「協働の事例を教えてください」というと、委託の例を挙げられることが多い気がしています。
そこが気になって、今回の予算でも、「NPOと区との関係はどういうものだと考えているんですか?」と聞いてみましたが、「今後、協議していきます」との答弁。
先に書いた懇談会で長い時間をかけて協議をした上で、NPO活動支援センターを作ったはずなのに、まだこれからもNPOとの関係について協議していくって。。
永遠に協議していくんでしょうかね・・・。
他の議員さんも、このことについては質問をしていました。
とにかく来年度は今のまま続けて、再来年度には改めてあり方を検討したい、というような答弁がありました。
行政が、市民活動を支援する場合には、市民だけではなかなかつながりが作りにくい部分―例えば町会や民生委員等とネットワークを作っていくとか―を担えるというメリットも、本当はあるはずなんだと思います。
せっかく作ったならば、良い機能を果たしていくべきだと思っています。
今後もこれは見守っていきたいところです。
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質問するために、色々調べたり、考えたりしているうちに、頭がごちゃごちゃになってきて、毎晩、家に帰ってふと鏡を見ると目が真っ赤になっていたので、そのうち、頭のごちゃごちゃが目から流れ出てくるかと思いましたが(^^;)
なんとか流れ出す前に質問を終えることができてホッとしてます。。

さて、先週やった質問の2つ目についてご報告。
練馬区には、「NPO活動支援センター」というものがあります。
法人を取得しているNPOだけではなくて、「区民活動団体およびボランティア団体」も含まれます。
その活動を、支援するセンターなんですね。
ただ、練馬区のやり方が少し分かりにくいのは、「センター」という場所があるわけではないこと。
相談業務を4つの団体が受託をしていて、それぞれ受託団体の中でやっている。
社会福祉協議会と、3つのNPO。
それぞれの団体の活動場所に、小さく「NPO活動支援センター」という表札が出ている、という感じです。
それってなかなか、区民の方に分かりにくいのではないかと思うのです。どこにあるのかも、何をやっているのかも。
「なぜ、4団体に分割して委託したんですか?」と質問したら、「練馬は広いから、1ヶ所ではできないからです」という答え。
でも、それならば、1ヶ所に委託をして、一括管理をしつつ、支所を作るほうが分かりやすいですよね。
例えば、前回のブログで書いた出張所。その中に置く情報コーナーが、ひとつの拠点となったほうが、区民誰もにつながりやすいんではないかと思ったのです。
そもそも、この支援センターを作ろうという話が始まったとき、区民懇談会を開いて、他自治体の状況を見に行ったり、時間をかけて話し合いがあったのです。そこで出ていた声と、今の分かりにくい状況は、ずいぶんかけ離れているのではないかとも思っています。
今の活動内容を知りたくて、受託団体別の報告をくださいと事前にお願いしたら、なぜかなかなか出てこなかったりして。委託しているのにその報告が出てこないなんて、不思議ねぇ・・・と思いながら、予算の質問の準備をしました。ま、最終的には出てきたんですけどね。。
委託をしている事業については、情報を求められたらすぐに出せるようなシステムに、なってないんですかねえ・・・。
なぜ、「市民活動をどう支援するのか」が見えにくいのか、と考えていくと、「協働」の話に重ねて必ず出てくる「民間委託」の話を思い出してしまう。
「協働」と「委託」は、違うものだと私は思うのですが。
委託は、責任は行政になるんだから(保育園の委託の際に散々言われましたからね)、主体は行政で、民間団体と対等な関係にはなりにくいでしょう。
「協働」については、前にも書いたけれど、練馬区としても「住民と行政の共通の領域において、共通の目的を達成するため、課題解決に向けて、主体性をもって自発的に、かつ互いに対等なものとして尊重し合いながら、協力し合う状態」と定義しているわけで、これは委託とは違うはず。
でも、どうも、「協働の事例を教えてください」というと、委託の例を挙げられることが多い気がしています。
そこが気になって、今回の予算でも、「NPOと区との関係はどういうものだと考えているんですか?」と聞いてみましたが、「今後、協議していきます」との答弁。
先に書いた懇談会で長い時間をかけて協議をした上で、NPO活動支援センターを作ったはずなのに、まだこれからもNPOとの関係について協議していくって。。
永遠に協議していくんでしょうかね・・・。
他の議員さんも、このことについては質問をしていました。
とにかく来年度は今のまま続けて、再来年度には改めてあり方を検討したい、というような答弁がありました。
行政が、市民活動を支援する場合には、市民だけではなかなかつながりが作りにくい部分―例えば町会や民生委員等とネットワークを作っていくとか―を担えるというメリットも、本当はあるはずなんだと思います。
せっかく作ったならば、良い機能を果たしていくべきだと思っています。
今後もこれは見守っていきたいところです。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
★予算① ★桜の植樹
★予算①
いやはや、月曜日がやってきました。
先週は、長い1週間でした。
土日にちょっと一息ついて、楽しい子育て支援イベントに参加もして、腹痛も落ち着いてきました(^^;)参加したイベントの話は予算の話が落ち着いた頃にまた改めて。
それにしても予算・決算は大変です・・・
私はストレスでもって、先週は一言でいえば、「ああ、更年期障害ってこんな感じかしら・・・」という体調不良でした(^^;)委員会中になぜかいきなり汗が出てきたりして。。
まあそれもようやく落ち着いてきました。
予算特別委員会は、「全員協議会室」という部屋でやります。
ロの字型の机の並び方。皆さんの顔が良く見えて、やり取りも一問一答なので面白いです。
発言する時は挙手→起立→発言→着席です。
・・・ところが私の会派の三戸さん。挙手→起立→発言→そして着席の前になぜかまた挙手・・・(^^;
おお!なんで座る時に手を挙げるんだ!!
そんな感じで、みんな精一杯頑張っています(笑)
さて、私が先週やった質問のうちのひとつは、出張所のこと。
この1月から、練馬の出張所は再編されました。
4か所を「区民事務所」として、それ以外を「出張所」と呼ぶ。
まあその時点で分かりにくいんですけど(^^;
何が変わるかというと、引っ越しや印鑑登録などの6つの届出は、4か所の「区民事務所」でしかできなくなるということ、そして、今まで出張所長の役割とされていた「コミュニティ支援」が非常勤にされること。
その代わり、出張所の中に地域の情報コーナーを作るという。
ふーん、なんだかよく分からないなあ。
そこで、委員会の前に担当者に質問してみました。「コミュニティ支援って、具体的には何をするんですか」と。
「町会・自治会の行事等への支援と、青少年育成委員の活動への支援と、地区祭があった場合の協力ですよ」と担当者。
「ふーん・・・、でもコミュニティ支援といったらもっと幅広いんじゃないですか。他には何をやるんですか?」と私。
「?」という顔の担当者・・・。
あら・・・。
うーん、質問を変えよう、と思って、「地域の情報コーナーって何の情報ですか」と聞いてみた。
「町会のお祭り情報を掲示したりとか、地域情報を知るためのパソコンを用意したりするんです」と担当者。
「ふーん。。それじゃあ、そこで情報を得て、さらに知りたいことがあったらコミュニティ支援の担当者がサポートしてくれるんですか?」と私。
またしても「?」という顔の担当者。
・・・あら・・・。
私「・・・えーと、例えば、パソコンで地域情報を得た人から、『これはどういうことですか』等、相談されたらコミュニティ支援担当者が答えるんですか?」
担当課長「んーと、パソコンの使い方を、コミュニティ支援担当者が教えるということですか?それはやりません」
・・・。
そりゃあ、コミュニティ支援担当者は、パソコン指導者ではないでしょうから、教えないでしょうよ。私が聞きたかったのは、そこにある情報がどう地域活動につながるのか、ということだったんだけど。。
なんだか、おかしなやり取りをしたため、私はふにゃふにゃ、と力が抜けてしまって、とりあえずはここで事前の話は終わり。
でも、予算委員会での正式な答弁としては、「コミュニティ支援担当者の役割はそれ以外にも区民館(多くの出張所に併設されている貸し館施設)とのかかわりもあります。区民館の利用者懇談会のような場は設けられていませんでしたが、今後何らかの機会で利用者の声を聞くような場を設けていきたい」というものでした。
そして、「地域情報コーナーの管理はコミュニティ支援担当者がやりますが、そこでどこまで支援ができるか、まだ当初の考え方としては役割を課していません」という答弁。
私は、せっかく多くの出張所には区民館が併設されており、そこにある出張所にコミュニティ支援担当者がいるならば、区民館を貸し館に留まらせるのではなく、地域課題について調査をするために使うべきではないかと思うのです。部屋を利用している区民にアンケートをしたり、人と人とのつながり作りをすることで。そして、せっかく出張所に情報コーナーを置くならば、ただの「情報の物置」ではなく、そこから地域の人につながっていく手段になってほしいと思います。
★桜の植樹
大泉学園町9丁目にある、さくら運動公園というところで、練馬区独立60周年記念として枝垂桜を植樹する、という式典が今日ありました。
各会派の幹事長が呼ばれているのですが、私は学園町4丁目に住んでいて、すぐ近くの地元だということで、浅沼幹事長が気遣ってくださって、私が行くことになりました。
温かい日だったので、気持ちよかった。
大泉学園保育園の「さくら組」の子達がお水をあげて、植樹。
みどりを守る、「練馬みどりの葉っぴい基金」のキャラクター・ぴいちゃんの着ぐるみがいて、保育園児が、わーいわーいと喜んでいました。

式次第の紙も桜色で、さくら運動公園で、桜の植樹で、さくら組の子・・・というところまでは、可愛いなあと思いますが、そこにいる私の名前も「桜子」なので、これはちょっと、なんだか恥ずかしかったです(^^;
そこまで「桜」が続くと、ちょっと、たとえていうならチョコレートケーキの上にチョコレートシロップをかけてしまったようなゴテゴテな感じがして、一瞬自分の名前が嫌になりました(笑)
桜子だから行ったわけではなくて、地元だから行ったんですけどねぇ・・・
式典が終わって、昼近くなって区役所に行ったら、予算に関する打ち合わせをする約束をしていた課長さんがやってきて、「今日は遅かったみたいですけど、どうされました?風邪ですか?」とおっしゃる。
「いえいえ、ちょっと、木を植えてきたんです。公園で。」と答える私に、課長さんはきょとんとされていました(^^;
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いやはや、月曜日がやってきました。
先週は、長い1週間でした。
土日にちょっと一息ついて、楽しい子育て支援イベントに参加もして、腹痛も落ち着いてきました(^^;)参加したイベントの話は予算の話が落ち着いた頃にまた改めて。
それにしても予算・決算は大変です・・・

私はストレスでもって、先週は一言でいえば、「ああ、更年期障害ってこんな感じかしら・・・」という体調不良でした(^^;)委員会中になぜかいきなり汗が出てきたりして。。
まあそれもようやく落ち着いてきました。
予算特別委員会は、「全員協議会室」という部屋でやります。
ロの字型の机の並び方。皆さんの顔が良く見えて、やり取りも一問一答なので面白いです。
発言する時は挙手→起立→発言→着席です。
・・・ところが私の会派の三戸さん。挙手→起立→発言→そして着席の前になぜかまた挙手・・・(^^;
おお!なんで座る時に手を挙げるんだ!!
そんな感じで、みんな精一杯頑張っています(笑)
さて、私が先週やった質問のうちのひとつは、出張所のこと。
この1月から、練馬の出張所は再編されました。
4か所を「区民事務所」として、それ以外を「出張所」と呼ぶ。
まあその時点で分かりにくいんですけど(^^;
何が変わるかというと、引っ越しや印鑑登録などの6つの届出は、4か所の「区民事務所」でしかできなくなるということ、そして、今まで出張所長の役割とされていた「コミュニティ支援」が非常勤にされること。
その代わり、出張所の中に地域の情報コーナーを作るという。
ふーん、なんだかよく分からないなあ。
そこで、委員会の前に担当者に質問してみました。「コミュニティ支援って、具体的には何をするんですか」と。
「町会・自治会の行事等への支援と、青少年育成委員の活動への支援と、地区祭があった場合の協力ですよ」と担当者。
「ふーん・・・、でもコミュニティ支援といったらもっと幅広いんじゃないですか。他には何をやるんですか?」と私。
「?」という顔の担当者・・・。
あら・・・。
うーん、質問を変えよう、と思って、「地域の情報コーナーって何の情報ですか」と聞いてみた。
「町会のお祭り情報を掲示したりとか、地域情報を知るためのパソコンを用意したりするんです」と担当者。
「ふーん。。それじゃあ、そこで情報を得て、さらに知りたいことがあったらコミュニティ支援の担当者がサポートしてくれるんですか?」と私。
またしても「?」という顔の担当者。
・・・あら・・・。
私「・・・えーと、例えば、パソコンで地域情報を得た人から、『これはどういうことですか』等、相談されたらコミュニティ支援担当者が答えるんですか?」
担当課長「んーと、パソコンの使い方を、コミュニティ支援担当者が教えるということですか?それはやりません」
・・・。
そりゃあ、コミュニティ支援担当者は、パソコン指導者ではないでしょうから、教えないでしょうよ。私が聞きたかったのは、そこにある情報がどう地域活動につながるのか、ということだったんだけど。。
なんだか、おかしなやり取りをしたため、私はふにゃふにゃ、と力が抜けてしまって、とりあえずはここで事前の話は終わり。
でも、予算委員会での正式な答弁としては、「コミュニティ支援担当者の役割はそれ以外にも区民館(多くの出張所に併設されている貸し館施設)とのかかわりもあります。区民館の利用者懇談会のような場は設けられていませんでしたが、今後何らかの機会で利用者の声を聞くような場を設けていきたい」というものでした。
そして、「地域情報コーナーの管理はコミュニティ支援担当者がやりますが、そこでどこまで支援ができるか、まだ当初の考え方としては役割を課していません」という答弁。
私は、せっかく多くの出張所には区民館が併設されており、そこにある出張所にコミュニティ支援担当者がいるならば、区民館を貸し館に留まらせるのではなく、地域課題について調査をするために使うべきではないかと思うのです。部屋を利用している区民にアンケートをしたり、人と人とのつながり作りをすることで。そして、せっかく出張所に情報コーナーを置くならば、ただの「情報の物置」ではなく、そこから地域の人につながっていく手段になってほしいと思います。
★桜の植樹

大泉学園町9丁目にある、さくら運動公園というところで、練馬区独立60周年記念として枝垂桜を植樹する、という式典が今日ありました。
各会派の幹事長が呼ばれているのですが、私は学園町4丁目に住んでいて、すぐ近くの地元だということで、浅沼幹事長が気遣ってくださって、私が行くことになりました。
温かい日だったので、気持ちよかった。
大泉学園保育園の「さくら組」の子達がお水をあげて、植樹。
みどりを守る、「練馬みどりの葉っぴい基金」のキャラクター・ぴいちゃんの着ぐるみがいて、保育園児が、わーいわーいと喜んでいました。

式次第の紙も桜色で、さくら運動公園で、桜の植樹で、さくら組の子・・・というところまでは、可愛いなあと思いますが、そこにいる私の名前も「桜子」なので、これはちょっと、なんだか恥ずかしかったです(^^;
そこまで「桜」が続くと、ちょっと、たとえていうならチョコレートケーキの上にチョコレートシロップをかけてしまったようなゴテゴテな感じがして、一瞬自分の名前が嫌になりました(笑)
桜子だから行ったわけではなくて、地元だから行ったんですけどねぇ・・・
式典が終わって、昼近くなって区役所に行ったら、予算に関する打ち合わせをする約束をしていた課長さんがやってきて、「今日は遅かったみたいですけど、どうされました?風邪ですか?」とおっしゃる。
「いえいえ、ちょっと、木を植えてきたんです。公園で。」と答える私に、課長さんはきょとんとされていました(^^;
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