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自分の心の痛みにひきつけて考えないと・・・
もう、大学院も休んで、仕事してます(><)
「あしがらさん」の準備でもあるんだけれど、区政の方向性としても気になっているのが、路上生活者に関わる人権教育・啓発。
まだまだ、ホームレスの施設が大泉学園のまちになじむには時間がかかるのかなあと思いますが、それでも、少しずつ、分かり合える機会を作らなければ。
そのために、どうやって、ホームレスの問題を啓発していくのか。とても難しいなと思って、ずっと考えています。
・・・というのも、私は小学生の時、道徳の授業が嫌いだったから
「お互いに、思いやりの心を育てましょう」みたいな話が、なんだか、何の心の葛藤もないキレイな話で、どうもなんだか苦手で。
だからこそ、もっと、自分の心の痛みを伴いながら人権について考えられるような機会―人権を侵害された経験を持つ当事者の話を聞くなど―を作っていかなければ、本当の教育にならないのではないかと思うのです。
さて。
東京都教育委員会では、全教員に「人権教育プログラム」という冊子を配っていて、それを見て各教員が工夫をするようなしくみになっています。
だから、この前、都庁まで行って、その冊子をコピーしてきたんです…。
意を決して今、そのコピーの束を開いてみました。。
「思いやり」「社会規範」「社会貢献」・・・。
うひー。
あぁ・・・とてもじゃないけど全文を読み通せない
3行くらい読むと、「ごめんなさい、私はダメな人間です・・・」という気分になってきます。。
「人権」というのは、「福祉」と同様、特別な問題ではなくて、誰のものでもある。ホームレスのこと、障害者のこと、そして私自身のことでもある。
そんな、あらゆる人に関わる言葉を抽出して抽象的にすると、「思いやり」等の言葉にならざるを得ないのかもしれないけど。でも、どんなことでもそうだけれど、総括するとぼんやりしてしまう部分が出てくる。美しすぎて輪郭がぼやける。
それをどれだけ、自分の問題にひきつけて考えるか、というところが人権教育の鍵になるのでしょうね。
何年か前に公共広告機構のCMで、「命が大切だ、といわれるよりも、あなたが大切だ、と言われたほうがずっとよく分かる」みたいな内容のものがあったように記憶してますが、きっと人権教育ってそういうものなんでしょう。
6月1日のシンポジウムの予習で、自分でもちゃんと勉強しておこうと思ったけれど、ただ単に人権教育プログラムを読もうとすると胸がドキドキするので、この問題に関しては、まずは1日に清野賢司さんのお話を聞いてから考えようと思いました(^^;
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
「あしがらさん」の準備でもあるんだけれど、区政の方向性としても気になっているのが、路上生活者に関わる人権教育・啓発。
まだまだ、ホームレスの施設が大泉学園のまちになじむには時間がかかるのかなあと思いますが、それでも、少しずつ、分かり合える機会を作らなければ。
そのために、どうやって、ホームレスの問題を啓発していくのか。とても難しいなと思って、ずっと考えています。
・・・というのも、私は小学生の時、道徳の授業が嫌いだったから

「お互いに、思いやりの心を育てましょう」みたいな話が、なんだか、何の心の葛藤もないキレイな話で、どうもなんだか苦手で。
だからこそ、もっと、自分の心の痛みを伴いながら人権について考えられるような機会―人権を侵害された経験を持つ当事者の話を聞くなど―を作っていかなければ、本当の教育にならないのではないかと思うのです。
さて。
東京都教育委員会では、全教員に「人権教育プログラム」という冊子を配っていて、それを見て各教員が工夫をするようなしくみになっています。
だから、この前、都庁まで行って、その冊子をコピーしてきたんです…。
意を決して今、そのコピーの束を開いてみました。。
「思いやり」「社会規範」「社会貢献」・・・。
うひー。
あぁ・・・とてもじゃないけど全文を読み通せない

3行くらい読むと、「ごめんなさい、私はダメな人間です・・・」という気分になってきます。。
「人権」というのは、「福祉」と同様、特別な問題ではなくて、誰のものでもある。ホームレスのこと、障害者のこと、そして私自身のことでもある。
そんな、あらゆる人に関わる言葉を抽出して抽象的にすると、「思いやり」等の言葉にならざるを得ないのかもしれないけど。でも、どんなことでもそうだけれど、総括するとぼんやりしてしまう部分が出てくる。美しすぎて輪郭がぼやける。
それをどれだけ、自分の問題にひきつけて考えるか、というところが人権教育の鍵になるのでしょうね。
何年か前に公共広告機構のCMで、「命が大切だ、といわれるよりも、あなたが大切だ、と言われたほうがずっとよく分かる」みたいな内容のものがあったように記憶してますが、きっと人権教育ってそういうものなんでしょう。
6月1日のシンポジウムの予習で、自分でもちゃんと勉強しておこうと思ったけれど、ただ単に人権教育プログラムを読もうとすると胸がドキドキするので、この問題に関しては、まずは1日に清野賢司さんのお話を聞いてから考えようと思いました(^^;
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最近やっていることと、「蚊」の思い出
★ここのところやらなくてはいけなかったことがたくさんあったのですが、具体的には、「あしがらさん」上映会のための資料作りと、朝配っているレポートをそろそろ新しいものに変えなくてはいけないのと、議会の質問の準備なんです。
前者2つは、ようやく見通しがついてきました。ふぅ・・・。
あとは、議会での質問ね・・・。
議会での質問は、一般質問と、予算・決算での質問と、あとは常任委員会や特別委員会での質問がありますが。
「質問」と言ったって、「どうして空は青いの?」みたいな素朴な疑問を言うわけじゃなくて、意見表明なわけですね…(^^; だから準備が必要。。
今回も、言うことは、大体考えているんですが、さて、どこから手をつけたものか、と資料の前で呆然としています。。うーん・・・
★「あしがらさん」上映会、かなりいろんなタイプのお客さんが来ます。福祉にかかわる、学生さん、ボランティアさん、職員、などなど、いろんな立場の人がいらっしゃる予定なので、お客さん同士の情報交換みたいなのができたら面白いのになあと、今思っているところです。
ですので、まだお申し込みでない方も、当日でも大丈夫ですから、ぜひお越しください。
★蚊が出てきましたね・・・。なんか、ときどき、かゆい。
ムシムシするし、そろそろ梅雨でしょうか。
今日も保育園の民間委託に関する説明会の傍聴に行きましたが、「うーん、なんか、蚊に食われた気が・・・」とモゾモゾ、モゾモゾ、していました。
そんなことで、ふと思い出しました。
5年前にもなりましょうか、夏休みに、とある区(練馬ではない)の公立保育園のバイトをしたことがありました。
社会福祉士の夜間の学校に行っていたときだったので、それがない夏休みだけ1ヶ月、「保育補助」のバイトでした。
夕方に行って、延長保育の子達のおやつの準備をし、片付けや戸締りをするという仕事。
時々、子どもたちが「絵本読んで・・・」と寄ってきてくれる、楽しい仕事でした。
あるとき、やはり今日のように蒸している日で、「蚊に食われた・・・」とつぶやきながら、おやつ用のテーブルを並べていました。
背後に気配を感じて、ふと見ると、女の子が立っている。
「?」と見ていたら、「蚊に食われたところ、かいちゃダメ!!」とその子。
「でも、かゆいよ・・・」と言い訳(?)する私。
「蚊に食われたら、ムヒを塗るの。先生のところに行って、『ムヒをください』って言うの!かいたらダメよ!!」。
「あ、そうだねそうだね、ムヒだね
」とあたふたしていたら、それを保育士さんが見ていて、「ムヒ、使います?」と言ってくれたのでした
毎年、夏になって蚊に食われると、時々、「そうだ、かいちゃダメなんだよなあ・・・」と思い出します。。
今日は保育園の委託の話で行ったので、こんなときに蚊に食われたところをかいていたらどこからか子どもがやって来て「かいちゃダメ!」と言うかしら、とドキドキしながら、足をかいていました・・・。
5年も前だから、あの子達はもうほとんどが小学生ですね。しみじみ。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
前者2つは、ようやく見通しがついてきました。ふぅ・・・。
あとは、議会での質問ね・・・。
議会での質問は、一般質問と、予算・決算での質問と、あとは常任委員会や特別委員会での質問がありますが。
「質問」と言ったって、「どうして空は青いの?」みたいな素朴な疑問を言うわけじゃなくて、意見表明なわけですね…(^^; だから準備が必要。。
今回も、言うことは、大体考えているんですが、さて、どこから手をつけたものか、と資料の前で呆然としています。。うーん・・・

★「あしがらさん」上映会、かなりいろんなタイプのお客さんが来ます。福祉にかかわる、学生さん、ボランティアさん、職員、などなど、いろんな立場の人がいらっしゃる予定なので、お客さん同士の情報交換みたいなのができたら面白いのになあと、今思っているところです。
ですので、まだお申し込みでない方も、当日でも大丈夫ですから、ぜひお越しください。
★蚊が出てきましたね・・・。なんか、ときどき、かゆい。
ムシムシするし、そろそろ梅雨でしょうか。
今日も保育園の民間委託に関する説明会の傍聴に行きましたが、「うーん、なんか、蚊に食われた気が・・・」とモゾモゾ、モゾモゾ、していました。
そんなことで、ふと思い出しました。
5年前にもなりましょうか、夏休みに、とある区(練馬ではない)の公立保育園のバイトをしたことがありました。
社会福祉士の夜間の学校に行っていたときだったので、それがない夏休みだけ1ヶ月、「保育補助」のバイトでした。
夕方に行って、延長保育の子達のおやつの準備をし、片付けや戸締りをするという仕事。
時々、子どもたちが「絵本読んで・・・」と寄ってきてくれる、楽しい仕事でした。
あるとき、やはり今日のように蒸している日で、「蚊に食われた・・・」とつぶやきながら、おやつ用のテーブルを並べていました。
背後に気配を感じて、ふと見ると、女の子が立っている。
「?」と見ていたら、「蚊に食われたところ、かいちゃダメ!!」とその子。
「でも、かゆいよ・・・」と言い訳(?)する私。
「蚊に食われたら、ムヒを塗るの。先生のところに行って、『ムヒをください』って言うの!かいたらダメよ!!」。
「あ、そうだねそうだね、ムヒだね



毎年、夏になって蚊に食われると、時々、「そうだ、かいちゃダメなんだよなあ・・・」と思い出します。。
今日は保育園の委託の話で行ったので、こんなときに蚊に食われたところをかいていたらどこからか子どもがやって来て「かいちゃダメ!」と言うかしら、とドキドキしながら、足をかいていました・・・。
5年も前だから、あの子達はもうほとんどが小学生ですね。しみじみ。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
あしがらさんの会場
あしがらさんの上映の準備と、議会の準備であたふたしていて、昨日も飲みに行きたい誘惑に打ち勝って頑張っているのですが…でも、収拾がつかなくなってきて、そして何も完成していないのに、本日ついに私の脳みその許容範囲がオーバーしました(><)あぁ・・・事務所でフリーズしています
それで、「あしがらさん」のチラシを見ていて、ゆめりあホールの地図も住所も書いてないことに気づきました…。間が抜けていてすみません・・・。
当日は、仲間たちに駅前に立ってもらうなど、色々対策考えます。。
映画の上映会は、「ゆめりあホール」(東大泉1-29-1 西武池袋線・大泉学園駅北口より徒歩1分)です。

それで、「あしがらさん」のチラシを見ていて、ゆめりあホールの地図も住所も書いてないことに気づきました…。間が抜けていてすみません・・・。
当日は、仲間たちに駅前に立ってもらうなど、色々対策考えます。。
映画の上映会は、「ゆめりあホール」(東大泉1-29-1 西武池袋線・大泉学園駅北口より徒歩1分)です。
6月1日あしがらさん上映会
6月1日のあしがらさんの上映会、メールで告知をするための文章を作りました。
以下をご覧下さいませ。
そして、ぜひお誘いあわせの上、ご参加下さい。
当日参加もOKです。
以下、転送・転載歓迎、です。
★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★
新宿でホームレス生活を送る男性の、希望のドキュメンタリー映画
「あしがらさん」上映会&シンポジウム
「でも、私はここで生きている-『ホーム』を求めて」
2008年6月1日(日)18時30分開場、19時開演 参加費500円
大泉学園ゆめりあホール
(練馬区東大泉1-29-1 西武池袋線・大泉学園駅北口より徒歩1分)
★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★
2008年3月17日から、練馬区大泉学園町に「練馬寮」という「路上生活者緊急一時保護センター」の施設ができました。場所は大泉学園町9丁目。大泉学園高校が廃校になったあとの校舎を活用したものです。
練馬は、23区の中でも「ホームレス」の少ない地域です。それなのになぜ施設が? 不思議ですね。
実は、この事業、東京都と23区の共同の事業なのです。それで、各区が持ち回りで5年間ずつ、ホームレスの支援施設を作ることになっているのです。
ホームレス…その言葉を聞いて、あなたはどんなことを思いますか? せっかくの機会ですから、一緒に考えてみませんか?
-----------------------------------------------------------
映画「あしがらさん」あらすじ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ashigara/
あしがらさんは20年以上も新宿の路上で生きてきた。
残飯で飢えをしのぎ、心を閉ざして誰とも付き合わない。あるときあしがらさんの笑顔に触れた作者は「このひとをもっと知りたい」そんな気持ちでカメラを回し始める。
ポツポツと語られる言葉に耳を傾け、二転三転する状況に寄り添う。撮る者と撮られる者、3年におよぶ撮影でいつしか生まれた信頼が、思いもかけない変化をもたらす。新たな人生を歩み出したあしがらさんの姿は、私たちに微笑みと希望を与えてくれる。
それは「人生とは? 希望とは? 人とのつながりとは?」と静かに問いかけているのかもしれない。
(監督:飯田基晴 2002年制作/73分)
--------------------------------------------------------------------
シンポジウム出演予定
飯田基晴氏
「あしがらさん」監督。1973年生まれ。
95年、原一男監督の「CINEMA」塾に参加。その後、96年より新宿でボランティアとして野宿の人々と関わる。
98年よりビデオ、テレビ等で野宿者の状況を発表。フリーで映像制作を行う。
04年には自主制作の長編ドキュメンタリー映画「あしがらさん」を劇場公開。
現在はローポジションのスタッフと映画「犬と猫と人間と」(仮)を制作中。こちらは08年秋に完成予定。
北村年子氏
ルポライター。『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件』著者。
子ども・女性・教育をめぐる問題を取材する一方、90年に大阪・釜ヶ崎での越冬活動に参加したのち、
各地の「ホームレス」の人たちへの支援活動にかかわりながら、子ども・若者による「ホームレス」襲撃事件を取材。各地の小中高校、大学、専門学校、児童館などで、「ホームレス」問題の授業も行っている。
「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」共同代表。
清野賢司氏
東京都教員。路上生活者支援団体「TENOHASI」事務局長。
2004年に中学校で路上生活経験者を招いたホームレス問題の授業を行い、それをきっかけに支援活動に関わる。TENOHASIは池袋で炊き出し・夜回り、医療相談などを行っている。
かとうぎ桜子氏
練馬区議会議員。元NPO法人ゆうゆう事務局長。
社会福祉士の養成校の文化祭で「あしがらさん」上映会を企画したのち、あしがらさんの通うデイサービスゆうゆうに就職。現在は区議会議員として活動しながら、立教大学大学院にて市民参加と行政のあり方について研究中。
-----------------------------------------------------------------------------
[申し込み・お問い合わせ先]
練馬区東大泉3-1-18-102 かとうぎ桜子事務所内
電話:03-3978-4154 FAX:03-3978-4158
sakurako_happy_society@yahoo.co.jp
申し込みは、氏名・住所・電話・ご希望枚数をお知らせください。
以下をご覧下さいませ。
そして、ぜひお誘いあわせの上、ご参加下さい。
当日参加もOKです。
以下、転送・転載歓迎、です。
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新宿でホームレス生活を送る男性の、希望のドキュメンタリー映画
「あしがらさん」上映会&シンポジウム
「でも、私はここで生きている-『ホーム』を求めて」
2008年6月1日(日)18時30分開場、19時開演 参加費500円
大泉学園ゆめりあホール
(練馬区東大泉1-29-1 西武池袋線・大泉学園駅北口より徒歩1分)
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2008年3月17日から、練馬区大泉学園町に「練馬寮」という「路上生活者緊急一時保護センター」の施設ができました。場所は大泉学園町9丁目。大泉学園高校が廃校になったあとの校舎を活用したものです。
練馬は、23区の中でも「ホームレス」の少ない地域です。それなのになぜ施設が? 不思議ですね。
実は、この事業、東京都と23区の共同の事業なのです。それで、各区が持ち回りで5年間ずつ、ホームレスの支援施設を作ることになっているのです。
ホームレス…その言葉を聞いて、あなたはどんなことを思いますか? せっかくの機会ですから、一緒に考えてみませんか?
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映画「あしがらさん」あらすじ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ashigara/
あしがらさんは20年以上も新宿の路上で生きてきた。
残飯で飢えをしのぎ、心を閉ざして誰とも付き合わない。あるときあしがらさんの笑顔に触れた作者は「このひとをもっと知りたい」そんな気持ちでカメラを回し始める。
ポツポツと語られる言葉に耳を傾け、二転三転する状況に寄り添う。撮る者と撮られる者、3年におよぶ撮影でいつしか生まれた信頼が、思いもかけない変化をもたらす。新たな人生を歩み出したあしがらさんの姿は、私たちに微笑みと希望を与えてくれる。
それは「人生とは? 希望とは? 人とのつながりとは?」と静かに問いかけているのかもしれない。
(監督:飯田基晴 2002年制作/73分)
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シンポジウム出演予定
飯田基晴氏
「あしがらさん」監督。1973年生まれ。
95年、原一男監督の「CINEMA」塾に参加。その後、96年より新宿でボランティアとして野宿の人々と関わる。
98年よりビデオ、テレビ等で野宿者の状況を発表。フリーで映像制作を行う。
04年には自主制作の長編ドキュメンタリー映画「あしがらさん」を劇場公開。
現在はローポジションのスタッフと映画「犬と猫と人間と」(仮)を制作中。こちらは08年秋に完成予定。
北村年子氏
ルポライター。『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件』著者。
子ども・女性・教育をめぐる問題を取材する一方、90年に大阪・釜ヶ崎での越冬活動に参加したのち、
各地の「ホームレス」の人たちへの支援活動にかかわりながら、子ども・若者による「ホームレス」襲撃事件を取材。各地の小中高校、大学、専門学校、児童館などで、「ホームレス」問題の授業も行っている。
「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」共同代表。
清野賢司氏
東京都教員。路上生活者支援団体「TENOHASI」事務局長。
2004年に中学校で路上生活経験者を招いたホームレス問題の授業を行い、それをきっかけに支援活動に関わる。TENOHASIは池袋で炊き出し・夜回り、医療相談などを行っている。
かとうぎ桜子氏
練馬区議会議員。元NPO法人ゆうゆう事務局長。
社会福祉士の養成校の文化祭で「あしがらさん」上映会を企画したのち、あしがらさんの通うデイサービスゆうゆうに就職。現在は区議会議員として活動しながら、立教大学大学院にて市民参加と行政のあり方について研究中。
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[申し込み・お問い合わせ先]
練馬区東大泉3-1-18-102 かとうぎ桜子事務所内
電話:03-3978-4154 FAX:03-3978-4158
sakurako_happy_society@yahoo.co.jp
申し込みは、氏名・住所・電話・ご希望枚数をお知らせください。
頭山
大学院の研究で、どこにテーマを絞ろうかなあと悩む中でしみじみ、民間委託のことを考えていました。
議会の中でも、保護者の説明会の中でも、「保育園を委託した場合、質の保障はどうするんだ」という議論をずっとしてきて、選定基準はどうあるべきなのか、という話もずっと出ていて、その時からずーっとなんだか、私の中に違和感があったのです。
委託をするにあたって、行政が主体となって、基準を決めて、選定をするということは、前提として、「行政が示す基準は絶対正しい」ということがあるわけですよね。
でも、そもそもなんで民間委託をするのか、という理由の一つに、「区民のニーズが多様化して、行政だけでは対応しきれない部分があるから、民間の活力を導入する」というのがあるんですね。
そうなると、ニーズに対応できない組織が、選定をするということになるわけだから、ニーズを反映した選定ができなくなるんじゃないだろうか・・・という、なんか矛盾があるような気がするんですね。
だから、多様なニーズに対応するための事業の実施者を選定する基準を作るならば、基準づくりの段階から、多様なニーズを持った人達にも入ってもらわないといけないんじゃないかと思うんです。
それがないから、なんだかずっと違和感を持っていたんだと、ふと気づきました。
今のやり方についてじーっと思いをめぐらせていたら、「頭山」という落語をなぜかふと思い出しました。
さくらんぼの種を間違えて食べてしまった人の頭から、桜の木が生えてきてしまった。頭の上で桜が咲いているから、「頭山に花見に行こう」と言って人が集まって、宴でどんちゃん騒ぎをする。頭がうるさくてたまらないから、その人は頭の木を引っこ抜いた。引っこ抜いたら今度はそこに池ができて、そのうち魚が住み始めて、釣り人がやってくる。池の周りにはまた人が集まり始める。なんだ、桜の木を抜いてやっと問題が解決したかと思ったのに、なんの解決にもならないじゃないか。そう思ってその人は、自分の頭の池に身を投げる・・・という話。
自分の頭に身を投げる、というのが、なんだか、「ニーズに対応できないから委託するのに自分で選定する」というのに似ている気がして。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
議会の中でも、保護者の説明会の中でも、「保育園を委託した場合、質の保障はどうするんだ」という議論をずっとしてきて、選定基準はどうあるべきなのか、という話もずっと出ていて、その時からずーっとなんだか、私の中に違和感があったのです。
委託をするにあたって、行政が主体となって、基準を決めて、選定をするということは、前提として、「行政が示す基準は絶対正しい」ということがあるわけですよね。
でも、そもそもなんで民間委託をするのか、という理由の一つに、「区民のニーズが多様化して、行政だけでは対応しきれない部分があるから、民間の活力を導入する」というのがあるんですね。
そうなると、ニーズに対応できない組織が、選定をするということになるわけだから、ニーズを反映した選定ができなくなるんじゃないだろうか・・・という、なんか矛盾があるような気がするんですね。
だから、多様なニーズに対応するための事業の実施者を選定する基準を作るならば、基準づくりの段階から、多様なニーズを持った人達にも入ってもらわないといけないんじゃないかと思うんです。
それがないから、なんだかずっと違和感を持っていたんだと、ふと気づきました。
今のやり方についてじーっと思いをめぐらせていたら、「頭山」という落語をなぜかふと思い出しました。
さくらんぼの種を間違えて食べてしまった人の頭から、桜の木が生えてきてしまった。頭の上で桜が咲いているから、「頭山に花見に行こう」と言って人が集まって、宴でどんちゃん騒ぎをする。頭がうるさくてたまらないから、その人は頭の木を引っこ抜いた。引っこ抜いたら今度はそこに池ができて、そのうち魚が住み始めて、釣り人がやってくる。池の周りにはまた人が集まり始める。なんだ、桜の木を抜いてやっと問題が解決したかと思ったのに、なんの解決にもならないじゃないか。そう思ってその人は、自分の頭の池に身を投げる・・・という話。
自分の頭に身を投げる、というのが、なんだか、「ニーズに対応できないから委託するのに自分で選定する」というのに似ている気がして。
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水俣病の話から・・・
半月前に自分で立てた、自分自身の行動計画がタイトすぎて、一人であたふたしている今日この頃です(^^;
馬鹿だなあ・・・。
削ることのできる時間がないので、食べる時間と寝る時間を削るしかないんですが(><)
何日かに1回、30分くらいかけてゆったりご飯を食べられたりすると、幸せな気分になります。。
しみじみ、「幸せって、相対的なものなんだなあ・・・」と思いますね。
昨晩の大学院の授業で、水俣病に関するドキュメント番組を見ました。
かなり早い時期から、「工場から出された排水によって、魚が汚染されているのではないか」ということは、工場で働いていた人も含めて、薄々気づいていた。
だけど、「他の理由なのかもしれない。断定はできない」といって、対応が先延ばしになる。
動物実験をして、ためしに工場排水を猫に飲ませてみたら、水俣病と同じ症状が出た。「でも、1匹だけの結果では、まだ信頼できる結果ではない」と、これも公表されずにいる。
「工場排水を直接飲んでそういう症状が出るとしても、それが魚を通して人の体にまで影響を受けたなんていうことまでは証明できないじゃないか」とまたまた対応が遅くなる。
その背景には、チッソという会社が、水俣の地域を活性化させる重要な存在であったことがあるようです。
そんな中では、被害に遭っていない住民から、被害住民に対して「チッソをつぶすつもりなのか」「水俣の評判を落とすつもりなのか」という声が上がることもあったようで。本来なら助け合う地域住民の中での葛藤もあったとか・・・。
そこには、「一部の人が大変な思いをしても、全体の利益を考えれば・・・」という言葉で問題を覆い隠してしまう不思議な力が働いているように思います。
そして、「きちんと証明できていない新たな主張を取り入れるよりも、今まで進めてきた計画を途中でやめるリスクの方が大きい」といって突っ走ってしまう力というものも感じます。
組織の中で、自分の職務を全うするために動いていくことで、「それによって誰かに痛みが及ぶかもしれない」ということが考えられなくなる・・・そんな心理が人間にはあるのでしょうか。
言葉によって問題を共有することができて、自分の味わっていない経験を言葉によって知ることができるのが人間の文明のはずなのに、人間が進化する中では人の痛みに向き合えないシステムをつくり出してしまった部分もあるように思います。
これは、チッソの人が、特別におかしかったのではなくて、どこにでも起き得る問題だと思えて、なんだかすごく、怖いと思いました。
水俣病というような、直接的に身体の害を与えることではなくても、組織としての論理だけで動くことによって、被害を受ける「個人」が沢山いるのではないかと。
「困る人が出てきてしまうというのは分かるけれど、でも70万区民全体の利益を考えなくてはいけない」という言葉は、私はこの1年、色々な場面で聞いてきたし、同様の発想は、普通の会社で働いていてもあるんじゃないかと思います。
組織に所属し、仕事をする中では、全体で決められたことを執行していかなくてはいけない、というのはあります。でも、「本当にこのまま進んでいってしまって、間違いないのかな」といつもどこか客観的に、自分のことや自分の所属する組織のことを、見ていないといけないんではないかと思います。そして、時には一度、立ち止まって考えてみる勇気も必要ですね。
「もしかしたら、間違っているかも」という思いを振り払うために無理して突っ走っていけばいくほど、被害は広まるばかり・・・。
このまま進んでいくのはおかしいんじゃないだろうかと思いながらも、結局何もできなかったことが、この1年間、私にはいっぱいありました。だから、「工場排水のせいではないか」と気づきながらもそれを表に出すまでに時間がかかってしまったチッソの人が抱えていたはずの罪悪感が、私の中にもあるような気がします。
折しも昨日の朝日新聞の都民版に、「練馬区をはじめとするあちこちの自治体で、保育園の民営化・委託化が難航している」という記事が出ていました。
あちこちの自治体で、委託や民営化をしようとしているから、優良な法人は引っ張りだこで受けきれない。新たに受けるためには、新たなスタッフを育成しなくてはいけないから何年もかかる。そんな中で、練馬区の保育園は選定作業をしたものの、該当事業者なしという結論を出した。「基準を満たす事業者はいる」と区側は言っているけれど・・・というような内容。
委託をするのは、そもそも、何のため?誰のため?何を成し遂げたいのか・・・?
一度立ち止まって、見つめなおす勇気が必要なんじゃないかと、思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
馬鹿だなあ・・・。
削ることのできる時間がないので、食べる時間と寝る時間を削るしかないんですが(><)
何日かに1回、30分くらいかけてゆったりご飯を食べられたりすると、幸せな気分になります。。
しみじみ、「幸せって、相対的なものなんだなあ・・・」と思いますね。
昨晩の大学院の授業で、水俣病に関するドキュメント番組を見ました。
かなり早い時期から、「工場から出された排水によって、魚が汚染されているのではないか」ということは、工場で働いていた人も含めて、薄々気づいていた。
だけど、「他の理由なのかもしれない。断定はできない」といって、対応が先延ばしになる。
動物実験をして、ためしに工場排水を猫に飲ませてみたら、水俣病と同じ症状が出た。「でも、1匹だけの結果では、まだ信頼できる結果ではない」と、これも公表されずにいる。
「工場排水を直接飲んでそういう症状が出るとしても、それが魚を通して人の体にまで影響を受けたなんていうことまでは証明できないじゃないか」とまたまた対応が遅くなる。
その背景には、チッソという会社が、水俣の地域を活性化させる重要な存在であったことがあるようです。
そんな中では、被害に遭っていない住民から、被害住民に対して「チッソをつぶすつもりなのか」「水俣の評判を落とすつもりなのか」という声が上がることもあったようで。本来なら助け合う地域住民の中での葛藤もあったとか・・・。
そこには、「一部の人が大変な思いをしても、全体の利益を考えれば・・・」という言葉で問題を覆い隠してしまう不思議な力が働いているように思います。
そして、「きちんと証明できていない新たな主張を取り入れるよりも、今まで進めてきた計画を途中でやめるリスクの方が大きい」といって突っ走ってしまう力というものも感じます。
組織の中で、自分の職務を全うするために動いていくことで、「それによって誰かに痛みが及ぶかもしれない」ということが考えられなくなる・・・そんな心理が人間にはあるのでしょうか。
言葉によって問題を共有することができて、自分の味わっていない経験を言葉によって知ることができるのが人間の文明のはずなのに、人間が進化する中では人の痛みに向き合えないシステムをつくり出してしまった部分もあるように思います。
これは、チッソの人が、特別におかしかったのではなくて、どこにでも起き得る問題だと思えて、なんだかすごく、怖いと思いました。
水俣病というような、直接的に身体の害を与えることではなくても、組織としての論理だけで動くことによって、被害を受ける「個人」が沢山いるのではないかと。
「困る人が出てきてしまうというのは分かるけれど、でも70万区民全体の利益を考えなくてはいけない」という言葉は、私はこの1年、色々な場面で聞いてきたし、同様の発想は、普通の会社で働いていてもあるんじゃないかと思います。
組織に所属し、仕事をする中では、全体で決められたことを執行していかなくてはいけない、というのはあります。でも、「本当にこのまま進んでいってしまって、間違いないのかな」といつもどこか客観的に、自分のことや自分の所属する組織のことを、見ていないといけないんではないかと思います。そして、時には一度、立ち止まって考えてみる勇気も必要ですね。
「もしかしたら、間違っているかも」という思いを振り払うために無理して突っ走っていけばいくほど、被害は広まるばかり・・・。
このまま進んでいくのはおかしいんじゃないだろうかと思いながらも、結局何もできなかったことが、この1年間、私にはいっぱいありました。だから、「工場排水のせいではないか」と気づきながらもそれを表に出すまでに時間がかかってしまったチッソの人が抱えていたはずの罪悪感が、私の中にもあるような気がします。
折しも昨日の朝日新聞の都民版に、「練馬区をはじめとするあちこちの自治体で、保育園の民営化・委託化が難航している」という記事が出ていました。
あちこちの自治体で、委託や民営化をしようとしているから、優良な法人は引っ張りだこで受けきれない。新たに受けるためには、新たなスタッフを育成しなくてはいけないから何年もかかる。そんな中で、練馬区の保育園は選定作業をしたものの、該当事業者なしという結論を出した。「基準を満たす事業者はいる」と区側は言っているけれど・・・というような内容。
委託をするのは、そもそも、何のため?誰のため?何を成し遂げたいのか・・・?
一度立ち止まって、見つめなおす勇気が必要なんじゃないかと、思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
大学時代の友達
ゴールデンウイークの前後に、大学時代の友達と会う機会が2度ありました。
サークルの友達と、ゼミの友達。
前回のブログに書いたように、私の大学にはボランティアセンターも無かったし、大学時代に知り合った友達は、どちらかというとミッションを共有できる仲間ではない(^^;
でも愛情がないわけではないので、どちらかというと、大学時代の友達は、地縁血縁に近い愛着という感じでしょうか・・・。
★サークルの友達
私は、ダンスのサークルに入ってたんです。
「ダンスって、どんなダンスだ」とよく聞かれて、説明がうまくできないのですが・・・。
チアから派生した、ソングリーディング、というダンスなんですけどね。アメリカなんぞでは、スポーツの合間に、応援と余興を兼ねてやるようなやつ。ポンポンを持ってね。
今の私は、椅子に座るのも「よっこらしょ」と言っていて、よく階段にけつまづいて転んでいるので、そんな私からは想像がつかないでしょうが、大学時代は、ジャンプをしたりターンをしたりしてたんです。最高潮のときは3回転くらいターンできたと思う。今なんか、酔っ払って頭の中が3回転するだけですが・・・。
つまりは、どちらかというと、若い女の子がきゃぴきゃぴ、と言っているようなサークルに入っていたのです(^^;
なんでそんなサークルに入ったかというと、私は小さい時から全然きゃぴきゃぴしていなかったので、よっぽど努力しないときゃぴきゃぴにはならないと思ったのですね。
大学時代を過ぎてしまったら、もう一生涯きゃぴきゃぴする機会はないだろう、と思って、「最後のチャンスだ!」と思って、そのサークルに入ったわけです。
そのサークルで活動した3年間・・・まあ、身の丈に合わないことをするのはなかなか辛いもんですが(^^;)、でも、普通にしていたら知り合わないようなタイプの子とお話できたのは面白かったです。前のブログで、自民党支持者としゃべってみて面白かったと書きましたが、それに近い感覚ですね。
その当時の友達と、この前再会して、お話しました。
「この前海外旅行に行ったのよー」とか、「今度アウトレットのお店に行こうよー」という会話を聞いて、「ほー!そうか!余暇活動って、そういうものか!」と新発見をしながら「そうね、たまには良いかもね」なんて相槌を打っていました。
ひとしきり話をした後、「ところで、桜子は仕事は忙しいの?休めてるの?休みは、何をしてるの?」と聞かれた。
「うーん、あんまり、休んでないと思うけど・・・。どうしても休まなくては体がもたないとなったら、寝込んでるねぇ。寝込んでるときが、休みかな。あとは、遊びのつもりで何かやり始めても気づくと仕事になってるんだよね。仕事と趣味の区別が付かないんだよねえ・・・」なんて、説明をする。説明をしているうちに、だんだん悲しくなってきた(><)
仕事に関わらない趣味も持たなくちゃだめかな、とちょっと思いながらも・・・。
でも逆に言えば、趣味を仕事にできているんだという気もするんですよね。
前にブログで書いた、「身近な環境」の話じゃないけど、ただ道を歩くだけでも、不思議だと思えることはあって、それは全部仕事につながっていく。
今日は、大泉学園を歩いていたら、どうもカラスがいっぱい飛んでいるなあ、と思って。なんでカラスがいるんだろう・・・そうか、今日はゴミの回収日だからかもしれない・・・みたいな感じで頭の中でいろんなことを考えるわけです。
友達と遊びで旅行に行ったつもりがホームレスを観察してしまったり、施設見学に行ってしまったり。
花見で都立公園に行ったのに、「公園内の茶屋の運営は、民間委託をしているんだろうか・・・」と考えてしまったり。。
ま、でもそうやって考えるのが今の私の趣味なんでしょうな。。も少し、音楽やらダンスやら、全然違うことを考えて、幅を広げたいような気もしますが・・・。
★ゼミの友達
私は近現代文学のゼミに入っていました。先生から、「加藤木君は酒好きなんだから、ゼミの代表をやってください」と、論理の飛躍した説得をされて、なぜか納得し、今でも同窓会の設定なんかをやっています。
慶應とはいえ国文学で、あまり人様の役に立たない勉強をしてきたということもあって、どちらかというとナナメな人が多いゼミです・・・。
その仲間達の会話の中で、「しゃきょう」という言葉が出てきた。
私の頭には「社協(社会福祉協議会)」という言葉が浮かんできたけれど、皆が話していたのは「写経」の話だった・・・。
そりゃそうだ、国文学出身の人が社協の話をするわけがないじゃあないか・・・・とひとり静かに自分を戒める私・・・。
大学を卒業して早5年。今はそれぞれに生きている世界がまるで違う。
5年も経てば、自然と価値観も変わってくる。
そんな中で改めて会うと、面白いですね。
私自身が、知らず知らずに福祉等の世界に染まっていて、でも社会にはそうじゃない人もいっぱいいるということを、改めて思いました。
異なる人の意見を聞くって、ほんとに大切だと、思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
サークルの友達と、ゼミの友達。
前回のブログに書いたように、私の大学にはボランティアセンターも無かったし、大学時代に知り合った友達は、どちらかというとミッションを共有できる仲間ではない(^^;
でも愛情がないわけではないので、どちらかというと、大学時代の友達は、地縁血縁に近い愛着という感じでしょうか・・・。
★サークルの友達
私は、ダンスのサークルに入ってたんです。
「ダンスって、どんなダンスだ」とよく聞かれて、説明がうまくできないのですが・・・。
チアから派生した、ソングリーディング、というダンスなんですけどね。アメリカなんぞでは、スポーツの合間に、応援と余興を兼ねてやるようなやつ。ポンポンを持ってね。
今の私は、椅子に座るのも「よっこらしょ」と言っていて、よく階段にけつまづいて転んでいるので、そんな私からは想像がつかないでしょうが、大学時代は、ジャンプをしたりターンをしたりしてたんです。最高潮のときは3回転くらいターンできたと思う。今なんか、酔っ払って頭の中が3回転するだけですが・・・。
つまりは、どちらかというと、若い女の子がきゃぴきゃぴ、と言っているようなサークルに入っていたのです(^^;
なんでそんなサークルに入ったかというと、私は小さい時から全然きゃぴきゃぴしていなかったので、よっぽど努力しないときゃぴきゃぴにはならないと思ったのですね。
大学時代を過ぎてしまったら、もう一生涯きゃぴきゃぴする機会はないだろう、と思って、「最後のチャンスだ!」と思って、そのサークルに入ったわけです。
そのサークルで活動した3年間・・・まあ、身の丈に合わないことをするのはなかなか辛いもんですが(^^;)、でも、普通にしていたら知り合わないようなタイプの子とお話できたのは面白かったです。前のブログで、自民党支持者としゃべってみて面白かったと書きましたが、それに近い感覚ですね。
その当時の友達と、この前再会して、お話しました。
「この前海外旅行に行ったのよー」とか、「今度アウトレットのお店に行こうよー」という会話を聞いて、「ほー!そうか!余暇活動って、そういうものか!」と新発見をしながら「そうね、たまには良いかもね」なんて相槌を打っていました。
ひとしきり話をした後、「ところで、桜子は仕事は忙しいの?休めてるの?休みは、何をしてるの?」と聞かれた。
「うーん、あんまり、休んでないと思うけど・・・。どうしても休まなくては体がもたないとなったら、寝込んでるねぇ。寝込んでるときが、休みかな。あとは、遊びのつもりで何かやり始めても気づくと仕事になってるんだよね。仕事と趣味の区別が付かないんだよねえ・・・」なんて、説明をする。説明をしているうちに、だんだん悲しくなってきた(><)
仕事に関わらない趣味も持たなくちゃだめかな、とちょっと思いながらも・・・。
でも逆に言えば、趣味を仕事にできているんだという気もするんですよね。
前にブログで書いた、「身近な環境」の話じゃないけど、ただ道を歩くだけでも、不思議だと思えることはあって、それは全部仕事につながっていく。
今日は、大泉学園を歩いていたら、どうもカラスがいっぱい飛んでいるなあ、と思って。なんでカラスがいるんだろう・・・そうか、今日はゴミの回収日だからかもしれない・・・みたいな感じで頭の中でいろんなことを考えるわけです。
友達と遊びで旅行に行ったつもりがホームレスを観察してしまったり、施設見学に行ってしまったり。
花見で都立公園に行ったのに、「公園内の茶屋の運営は、民間委託をしているんだろうか・・・」と考えてしまったり。。
ま、でもそうやって考えるのが今の私の趣味なんでしょうな。。も少し、音楽やらダンスやら、全然違うことを考えて、幅を広げたいような気もしますが・・・。
★ゼミの友達
私は近現代文学のゼミに入っていました。先生から、「加藤木君は酒好きなんだから、ゼミの代表をやってください」と、論理の飛躍した説得をされて、なぜか納得し、今でも同窓会の設定なんかをやっています。
慶應とはいえ国文学で、あまり人様の役に立たない勉強をしてきたということもあって、どちらかというとナナメな人が多いゼミです・・・。
その仲間達の会話の中で、「しゃきょう」という言葉が出てきた。
私の頭には「社協(社会福祉協議会)」という言葉が浮かんできたけれど、皆が話していたのは「写経」の話だった・・・。
そりゃそうだ、国文学出身の人が社協の話をするわけがないじゃあないか・・・・とひとり静かに自分を戒める私・・・。
大学を卒業して早5年。今はそれぞれに生きている世界がまるで違う。
5年も経てば、自然と価値観も変わってくる。
そんな中で改めて会うと、面白いですね。
私自身が、知らず知らずに福祉等の世界に染まっていて、でも社会にはそうじゃない人もいっぱいいるということを、改めて思いました。
異なる人の意見を聞くって、ほんとに大切だと、思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
ハンセン病
5月10,11日に東京でハンセン病市民学会の集まりがあって、私は日曜日の半日だけ参加しました。
ハンセン病問題に関わるのは、少しご無沙汰だったので、とても久しぶりに多磨全生園(東村山市)に行ってきました。
ハンセン病問題の判決が出て当時の小泉首相が控訴を断念してから、もう7年ですって!
今回の市民学会のチラシに「7年」という文字を見て、仰天しました。月日の経つのは早いですね。
そうだ、たしかにあのとき私は21歳だったけど、今は28歳だもんなあ・・・(^^;
7年前。5月11日に判決が出て、控訴するかどうかと毎日気をもんで、当事者も支援者も「控訴しないで!」って座り込みをしたり国会に行ったりしたんですね。私も、授業が終わると、現場に駆けつけて一緒に座り込んでいたものでした。
それでも、控訴断念で差別がなくなったわけではないことは、時折の報道で皆さんもご存知でしょう・・・。
この数日の、肌寒い風の中、清瀬からバスに乗って全生園に降りました。大学時代は1ヶ月に1回は足を運んでいた場所ですが、何年ぶりだろう・・・ものすごく久しぶり。
緑が生い茂り、風はひんやり。ひっそりとした「住宅街」の中を、「市民学会の会場は、どこかなあ・・・」とつぶやきながら歩きました。
本当に、広い。アパート風の建物がどこまでもどこまでも続いている。すべて、かつて隔離された人たちの家です。
緑の中を、首輪をした猫が「るん♪」という顔で歩いていく。
ハンセン病の療養所を目の前にすると、いつも思うことがあります。
一所にものを集めたがるのって、人間の習性なんでしょうか?と。
ハンセン病療養所の中には、買い物をできる場所もあるし、郵便局もある。お寺とか、宗教施設もある。なんでも揃っている。そりゃあそうだ。だって隔離されてて外に出られなかったんだから・・・。
私は大学の卒業論文はハンセン病問題について書いたんですが、そのとき色々調べてみていたら、良かれと思って隔離を進めた人も結構いるということが分かったのです。
「外にいたら差別されるんだから、隔離してかくまってあげて、中で何でもできるような「擬似社会」みたいなのを作ってあげたら、本人にとっても幸せに違いない」と信じて、隔離政策を進めてきた人がいるんだと思いました。
差別してやろうという悪意だけだったら、何十年も残る法律ではなかったんじゃないかと思います。
当事者が本当に望んでいることは何なのかに耳を傾けないと、こういう失敗になるんだ、という、最悪の失敗例だと思いますが。
それで、人間って、「一所に集めたら幸せになれる」という幻想を持つ傾向があるのかな、といつも思うのです。
ハンセン病に限らず、古い施設は施設内で社会が完結するつくりになっているでしょう。
スーパーマーケットは、その一所に行けばすべてが完結するようになっているでしょう。
そして、多機能型ケイタイ・・・カメラも財布もメールも電話もテレビもラジオも、全部ひとつのものについている。
最近では、介護保険の「小規模多機能」。。
1つのものに、いっぱい機能をつけたら便利になるに違いない、そしたら幸せに違いない、というのが人間の発想なのかな、と。
だけど、どうかな。上の事例を見ると・・・。
介護保険の小規模多機能はまだ始まったばかりだからまだどうなっていくか分からないけれど、他の例を見てみると、一つに集めようとするとコミュニティを壊してしまったり、社会の中での排除・隔離を進めてしまっているように思えます。
そんなことを考えながら全生園を歩き、久々の顔ぶれに出会いながら、ようやく、市民学会の分科会の会場に着きました。
私は、家族の問題を考える分科会に参加。
ハンセン病にかかった人は家族とも離れて隔離されたので、「家族はどう思っているのか」が見えにくい。
私の卒業論文でも、ハンセン病にかかった子どもとお母さんの関係ということを中心に書きましたが・・・。
今回改めて気づいたことがあります。
なぜ、ハンセン病問題と家族が関わりにくいのか。
自分の家族にハンセン病になった人がいるとは言いにくい、という人がまだまだたくさんいるようです。
家族にハンセン病の患者がいるというだけで、家中に消毒薬をまかれたり、近所の噂になったり、縁談がまとまらなくなったり、大変な思いをしている人がたくさんいます。
ハンセン病の患者だけではなく、その家族も、差別に苦しんでいるのです。
家族は、その差別から逃れるために、身内である患者との関わりを絶たざるを得ない場合があります。
そうすると、患者さんは傷つくわけです。「愛する家族からも見捨てられてしまった」と。
社会から家族へ、家族から本人へ、と差別感覚が連鎖していく。ねじれた構造になっている。
家族は、社会から受けた仕打ちと、自分が患者にしてしまった態度との間で、生涯苦しんでいるのではないかと思います。その葛藤が、ハンセン病の家族の問題を表に出しにくくしてしまっている原因なのかな、と思います。
そんなことを考えて、帰ってきました。
学会の会場整備のスタッフには、大学生くらいの若い人もたくさん混じっている。
7年前、私が関わっていたときは、同じ年代の人はあまりいなくて、なんだか心細かったので(^^;)、今は若い人がいっぱいいて羨ましいなあと思って、一人の学生さんに話しかけてみました。
その人は「大学のボランティアセンターでの活動の中で、ハンセン病についての活動をするグループがあって、それでみんなで手伝っているんだ」と。
そうかー。私の行っていた大学にはボランティアセンターが無かった。だから、同じ年代で、同じようなことに興味のある仲間を見つけられたのは、私は25歳でNPOに就職してからでした。
ボランティアセンターのあるような大学に通っていたら、もっと面白かったのかなあ、としみじみしながら帰ってきました(^^;
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
ハンセン病問題に関わるのは、少しご無沙汰だったので、とても久しぶりに多磨全生園(東村山市)に行ってきました。
ハンセン病問題の判決が出て当時の小泉首相が控訴を断念してから、もう7年ですって!
今回の市民学会のチラシに「7年」という文字を見て、仰天しました。月日の経つのは早いですね。
そうだ、たしかにあのとき私は21歳だったけど、今は28歳だもんなあ・・・(^^;
7年前。5月11日に判決が出て、控訴するかどうかと毎日気をもんで、当事者も支援者も「控訴しないで!」って座り込みをしたり国会に行ったりしたんですね。私も、授業が終わると、現場に駆けつけて一緒に座り込んでいたものでした。
それでも、控訴断念で差別がなくなったわけではないことは、時折の報道で皆さんもご存知でしょう・・・。
この数日の、肌寒い風の中、清瀬からバスに乗って全生園に降りました。大学時代は1ヶ月に1回は足を運んでいた場所ですが、何年ぶりだろう・・・ものすごく久しぶり。
緑が生い茂り、風はひんやり。ひっそりとした「住宅街」の中を、「市民学会の会場は、どこかなあ・・・」とつぶやきながら歩きました。
本当に、広い。アパート風の建物がどこまでもどこまでも続いている。すべて、かつて隔離された人たちの家です。
緑の中を、首輪をした猫が「るん♪」という顔で歩いていく。
ハンセン病の療養所を目の前にすると、いつも思うことがあります。
一所にものを集めたがるのって、人間の習性なんでしょうか?と。
ハンセン病療養所の中には、買い物をできる場所もあるし、郵便局もある。お寺とか、宗教施設もある。なんでも揃っている。そりゃあそうだ。だって隔離されてて外に出られなかったんだから・・・。
私は大学の卒業論文はハンセン病問題について書いたんですが、そのとき色々調べてみていたら、良かれと思って隔離を進めた人も結構いるということが分かったのです。
「外にいたら差別されるんだから、隔離してかくまってあげて、中で何でもできるような「擬似社会」みたいなのを作ってあげたら、本人にとっても幸せに違いない」と信じて、隔離政策を進めてきた人がいるんだと思いました。
差別してやろうという悪意だけだったら、何十年も残る法律ではなかったんじゃないかと思います。
当事者が本当に望んでいることは何なのかに耳を傾けないと、こういう失敗になるんだ、という、最悪の失敗例だと思いますが。
それで、人間って、「一所に集めたら幸せになれる」という幻想を持つ傾向があるのかな、といつも思うのです。
ハンセン病に限らず、古い施設は施設内で社会が完結するつくりになっているでしょう。
スーパーマーケットは、その一所に行けばすべてが完結するようになっているでしょう。
そして、多機能型ケイタイ・・・カメラも財布もメールも電話もテレビもラジオも、全部ひとつのものについている。
最近では、介護保険の「小規模多機能」。。
1つのものに、いっぱい機能をつけたら便利になるに違いない、そしたら幸せに違いない、というのが人間の発想なのかな、と。
だけど、どうかな。上の事例を見ると・・・。
介護保険の小規模多機能はまだ始まったばかりだからまだどうなっていくか分からないけれど、他の例を見てみると、一つに集めようとするとコミュニティを壊してしまったり、社会の中での排除・隔離を進めてしまっているように思えます。
そんなことを考えながら全生園を歩き、久々の顔ぶれに出会いながら、ようやく、市民学会の分科会の会場に着きました。
私は、家族の問題を考える分科会に参加。
ハンセン病にかかった人は家族とも離れて隔離されたので、「家族はどう思っているのか」が見えにくい。
私の卒業論文でも、ハンセン病にかかった子どもとお母さんの関係ということを中心に書きましたが・・・。
今回改めて気づいたことがあります。
なぜ、ハンセン病問題と家族が関わりにくいのか。
自分の家族にハンセン病になった人がいるとは言いにくい、という人がまだまだたくさんいるようです。
家族にハンセン病の患者がいるというだけで、家中に消毒薬をまかれたり、近所の噂になったり、縁談がまとまらなくなったり、大変な思いをしている人がたくさんいます。
ハンセン病の患者だけではなく、その家族も、差別に苦しんでいるのです。
家族は、その差別から逃れるために、身内である患者との関わりを絶たざるを得ない場合があります。
そうすると、患者さんは傷つくわけです。「愛する家族からも見捨てられてしまった」と。
社会から家族へ、家族から本人へ、と差別感覚が連鎖していく。ねじれた構造になっている。
家族は、社会から受けた仕打ちと、自分が患者にしてしまった態度との間で、生涯苦しんでいるのではないかと思います。その葛藤が、ハンセン病の家族の問題を表に出しにくくしてしまっている原因なのかな、と思います。
そんなことを考えて、帰ってきました。
学会の会場整備のスタッフには、大学生くらいの若い人もたくさん混じっている。
7年前、私が関わっていたときは、同じ年代の人はあまりいなくて、なんだか心細かったので(^^;)、今は若い人がいっぱいいて羨ましいなあと思って、一人の学生さんに話しかけてみました。
その人は「大学のボランティアセンターでの活動の中で、ハンセン病についての活動をするグループがあって、それでみんなで手伝っているんだ」と。
そうかー。私の行っていた大学にはボランティアセンターが無かった。だから、同じ年代で、同じようなことに興味のある仲間を見つけられたのは、私は25歳でNPOに就職してからでした。
ボランティアセンターのあるような大学に通っていたら、もっと面白かったのかなあ、としみじみしながら帰ってきました(^^;
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最近思うこと
前定例会が終了して早2ヶ月近く経ちます。
私が当選してから早くも1年。
1年間、不十分な状態で突っ走ってきましたが、やっと、ようやく、少し事務的な整理がついてきまして。
4月から、自分自身の「シフト表」みたいなのを作ることができたので、「この時間は区民の方に区政報告をしよう」「この時間は事務所にいよう」「施設見学に行く時間」「勉強をする時間」というのが、だいぶマネジメントできてきました。
面白いもので、事務的な整理や時間の管理ができてくると、人間関係についてもよく見えてくるもので。ああ、この人にはお世話になったなあ、とか、色々な広がりと深まりが見えてきて、楽しい毎日です。
「議員って普段は何してるの?」とよく聞かれて、「とにかく忙しいんだけど・・・」と答えながらもうまく説明できなかったのですが、そんなわけで今はシフト表を作りましたから、聞いてもらえればお見せします(笑)
色々な人の話を聞くのは本当に面白い。
もちろん、私が信じる考えに近い方から色々と教えてもらうのは楽しくて仕方ないけれど、それだけではなくて、まったく違う価値観を持った人の話も、楽しいです。
「自分はずっと自民党支持なんだ」という方のお話とか、面白いです。私は生まれてこのかた、政治に関心を持って以来自民党を応援したいと思ったことなんか一度もありませんが(苦笑)、でも、だからこそ、自民党の応援をしたいという人の話を聞くと、「そうか、そういう考え方もあるんだなあ」と思って、未知の世界が見えて(!)いいなあと思っています。
違う考えの人が議論を戦わせるって、楽しいと思います。まるで相容れない価値観を持っていても、議論さえできれば、人としての良い関係は作れる気がして、そこに、面白い広がりがあるように思います。
議会や、行政と議員との関係も、もっともっと自由に、意見を戦わせてより良いものを目指せたら、もっと楽しいんじゃないかなと思うんですが。
昨日、健康福祉委員会があったので、久々に区役所に行って、何人かの職員さんとお話してしみじみ、「なんで質問したことに対してちゃんと答えてくれないのかなあ」と思う場面が、昨日一日でも2,3度ありました。この2ヶ月、区民の皆さんとたくさんお話をして楽しい日々だったからこそしみじみ思います。行政の人が役割として答える言葉は多くの場合、血が通ってなくてつまらない。
議員は行政のチェック役。「それでいいの?」というのが役割。だから逆に、議員から何を言われようと「それが正しいと信じて仕事をしているんだ」と行政職員が思うならば、しっかり自分の言葉で、熱く語れば良いのになと思うんです。だけど答弁は枕詞が多すぎて、ふぅ、って感じです。(行政職員だからって一律にそうだという意味ではないですけどね。素敵な人もたくさんいると思っています)
昨晩は、インドの児童労働の問題について、話を聞きに行きました。勤労福祉会館に。
非営利活動は、国内を対象にやっている人と国外を対象にやっている人がいますが、なかなか国外については私は身近に感じる機会がありませんでした。
以前、ユニセフの話を聞きにいったということをブログに書きましたが、外国で起きている問題がどんな風に私達に関わりがあるかということが、どうも整理しきれていなかった。
そこが今回、ピシッとはまりました。見つからなかった鍵が見つかった感じ。
私達が便利に使っている色々な商品。携帯電話だとか、きれいな洋服だとか。まー、こんなに便利なのに、最近は随分安く手に入るようになったわね、良い世の中だわね、と思っていますよね。
でも、なぜ安く手に入るのか。それは、世界のどこかで子ども達が、安い賃金で働かされていたからなのです。
インドでは、小さい子ども達が、仕事をさせられている。その様子を追ったビデオを見ました。
国外のことに限らず、社会に起きている問題を自分の心に感じるには、自分の問題として痛みを感じる必要があるんだろうと思います。
ひどい社会問題を見て、「なんてひどいんだろう」と思うことは、ある。
でも、どこかで、「でも自分には関係ない、自分にはどうにもできない」と思ってしまうかもしれない。
そこを一歩乗り越えて、「ああ、心が痛くてたまらない。なんとかしないといけない」と思うには、「自分自身がこの社会問題を引き起こす一端を担っている」と思うことなのかなと、今回しみじみ思いました。
私が初めて社会問題に関心を持ったのは、16,7歳の時でした。その頃の社会問題は、ハンセン病の法律が廃止になったこと。ハンセン病の問題が私の心にスッと入ってきたのは、「今までハンセン病問題を知らなかった私のような人間による無知が、ハンセン病の隔離政策を認めてしまっていたんだ」という痛みでした。私は加害者だ、という心の痛みです。
今回インドの子ども達の状況を聞いて、これもまた、「私が加害者だ」という痛みを覚えました。
でもまずは痛んでこそ、立場を超えて手を取り合って新しい社会を作る知恵を出し合えるのではないかと思います。
福祉は、良い人や立派な人が可哀想な人に施すものではないと思います。
辛い状況に置かれる人がいる。その状況に追いやっているのは多くの場合社会構造の問題です。
単純に、制度や施策のことではなくて、人の心にある偏見や無関心によって、誰かを苦しい状況に追い込むことがある。
無知や無関心は、ひどい罪だと思います。またひとつ、自分の無知に気づくたびに、私自身の心が痛み、ああ、なんとかしなくてはいけないという気持ちになるのです。
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私が当選してから早くも1年。
1年間、不十分な状態で突っ走ってきましたが、やっと、ようやく、少し事務的な整理がついてきまして。
4月から、自分自身の「シフト表」みたいなのを作ることができたので、「この時間は区民の方に区政報告をしよう」「この時間は事務所にいよう」「施設見学に行く時間」「勉強をする時間」というのが、だいぶマネジメントできてきました。
面白いもので、事務的な整理や時間の管理ができてくると、人間関係についてもよく見えてくるもので。ああ、この人にはお世話になったなあ、とか、色々な広がりと深まりが見えてきて、楽しい毎日です。
「議員って普段は何してるの?」とよく聞かれて、「とにかく忙しいんだけど・・・」と答えながらもうまく説明できなかったのですが、そんなわけで今はシフト表を作りましたから、聞いてもらえればお見せします(笑)
色々な人の話を聞くのは本当に面白い。
もちろん、私が信じる考えに近い方から色々と教えてもらうのは楽しくて仕方ないけれど、それだけではなくて、まったく違う価値観を持った人の話も、楽しいです。
「自分はずっと自民党支持なんだ」という方のお話とか、面白いです。私は生まれてこのかた、政治に関心を持って以来自民党を応援したいと思ったことなんか一度もありませんが(苦笑)、でも、だからこそ、自民党の応援をしたいという人の話を聞くと、「そうか、そういう考え方もあるんだなあ」と思って、未知の世界が見えて(!)いいなあと思っています。
違う考えの人が議論を戦わせるって、楽しいと思います。まるで相容れない価値観を持っていても、議論さえできれば、人としての良い関係は作れる気がして、そこに、面白い広がりがあるように思います。
議会や、行政と議員との関係も、もっともっと自由に、意見を戦わせてより良いものを目指せたら、もっと楽しいんじゃないかなと思うんですが。
昨日、健康福祉委員会があったので、久々に区役所に行って、何人かの職員さんとお話してしみじみ、「なんで質問したことに対してちゃんと答えてくれないのかなあ」と思う場面が、昨日一日でも2,3度ありました。この2ヶ月、区民の皆さんとたくさんお話をして楽しい日々だったからこそしみじみ思います。行政の人が役割として答える言葉は多くの場合、血が通ってなくてつまらない。
議員は行政のチェック役。「それでいいの?」というのが役割。だから逆に、議員から何を言われようと「それが正しいと信じて仕事をしているんだ」と行政職員が思うならば、しっかり自分の言葉で、熱く語れば良いのになと思うんです。だけど答弁は枕詞が多すぎて、ふぅ、って感じです。(行政職員だからって一律にそうだという意味ではないですけどね。素敵な人もたくさんいると思っています)
昨晩は、インドの児童労働の問題について、話を聞きに行きました。勤労福祉会館に。
非営利活動は、国内を対象にやっている人と国外を対象にやっている人がいますが、なかなか国外については私は身近に感じる機会がありませんでした。
以前、ユニセフの話を聞きにいったということをブログに書きましたが、外国で起きている問題がどんな風に私達に関わりがあるかということが、どうも整理しきれていなかった。
そこが今回、ピシッとはまりました。見つからなかった鍵が見つかった感じ。
私達が便利に使っている色々な商品。携帯電話だとか、きれいな洋服だとか。まー、こんなに便利なのに、最近は随分安く手に入るようになったわね、良い世の中だわね、と思っていますよね。
でも、なぜ安く手に入るのか。それは、世界のどこかで子ども達が、安い賃金で働かされていたからなのです。
インドでは、小さい子ども達が、仕事をさせられている。その様子を追ったビデオを見ました。
国外のことに限らず、社会に起きている問題を自分の心に感じるには、自分の問題として痛みを感じる必要があるんだろうと思います。
ひどい社会問題を見て、「なんてひどいんだろう」と思うことは、ある。
でも、どこかで、「でも自分には関係ない、自分にはどうにもできない」と思ってしまうかもしれない。
そこを一歩乗り越えて、「ああ、心が痛くてたまらない。なんとかしないといけない」と思うには、「自分自身がこの社会問題を引き起こす一端を担っている」と思うことなのかなと、今回しみじみ思いました。
私が初めて社会問題に関心を持ったのは、16,7歳の時でした。その頃の社会問題は、ハンセン病の法律が廃止になったこと。ハンセン病の問題が私の心にスッと入ってきたのは、「今までハンセン病問題を知らなかった私のような人間による無知が、ハンセン病の隔離政策を認めてしまっていたんだ」という痛みでした。私は加害者だ、という心の痛みです。
今回インドの子ども達の状況を聞いて、これもまた、「私が加害者だ」という痛みを覚えました。
でもまずは痛んでこそ、立場を超えて手を取り合って新しい社会を作る知恵を出し合えるのではないかと思います。
福祉は、良い人や立派な人が可哀想な人に施すものではないと思います。
辛い状況に置かれる人がいる。その状況に追いやっているのは多くの場合社会構造の問題です。
単純に、制度や施策のことではなくて、人の心にある偏見や無関心によって、誰かを苦しい状況に追い込むことがある。
無知や無関心は、ひどい罪だと思います。またひとつ、自分の無知に気づくたびに、私自身の心が痛み、ああ、なんとかしなくてはいけないという気持ちになるのです。
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和力・大泉学園公演が終了
昨日、大泉学園での和力の公演が無事終了しました。多くの方が、見に来てくださいました。
来てくださった皆様、ありがとうございました。
今日から和力は千葉県松戸へ移動しました。

綾打ち

獅子舞

和力版「牡丹燈籠」

和力のメンバー(左から、木村俊介さん、加藤木朗、帯名久仁子さん、小野越郎さん)
(写真提供:和力事務所)
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
来てくださった皆様、ありがとうございました。
今日から和力は千葉県松戸へ移動しました。

綾打ち

獅子舞

和力版「牡丹燈籠」

和力のメンバー(左から、木村俊介さん、加藤木朗、帯名久仁子さん、小野越郎さん)
(写真提供:和力事務所)
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和力の初日が終了
5月2、3、4日は、大泉学園のゆめりあホールで和力の公演をやっています。
昨日は、区内の他団体の企画だったので、私は、和力の出演者の親戚として普通にぼけーっと楽しんでいましたが、今日と明日は私が中心になって企画をしている公演なので、少しはピリッとしていました。でも、公演前に、私から挨拶をしなくて良いことになったので、かなり肩の荷がおりましたが・・・(挨拶というのが、どうしても苦手なんですね・・・)
私の叔父は、わらび座という劇団に所属をしていて、長いこと秋田にいたので、和力をやっている私のいとこも秋田で生まれ育ちました。かたや私は千葉で生まれて、その後はあちこちに転々としていたので、親戚といえども近くに住んでいた経験もなく、朗さんという親戚がいるということは私の母の葬式でちらりと見かけて知っているくらいな関係でした。
それが、和力の活動を知ってからかなり密接になったので、気分的には、親戚という「血縁」よりも、ミッションに共感するNPO的な感覚を、最近私は加藤木家に対して持っています。
だから、内容的にも満足しましたが、今日は、来てくれたお客さんの顔ぶれにも、同じくらい感動しました。
今日のお客さんは、まったく多種多彩で、それぞれが講師になってお金をとって講演ができるんじゃないかと思うような面白い人がたくさん来てくださいました。客席を観察していても飽きないんじゃないかと思った(笑)
私が選挙に当選するかどうかも分からないころから気にかけてくれて、昨年の和力の公演にも来てくれて、引き続き今回も来てくださっているという方には、本当に、なんとお礼を言っていいかわからないほどです。
それから今日は、この1年、私が議員になってから知り合った方も何人か来てくださいました。議員になって、仕事をしている中では、腹が立つこともたくさんあるけど、そんな中でも尊敬できる人、素敵だなあ、仲良くなりたいなあと思う人もいまして。そんな素敵な先輩が和力を見に来てくれたら嬉しいなあと思っていたんですが、そのうちの何人かが今日来てくれたので、本当に嬉しかったです。わー!ほんとに来てくれたんだー!と思いました。嬉しかったなあ・・・。私の今年のベスト3になりそうなほど、夢に出てきそうなほど嬉しかったですよ。あんまり嬉しくて、個人名を挙げて書きたいくらいだけど、我慢しますけど(^^;)
ほんとにありがとうございました。(・・・と、本人に呼びかけてみた 笑)
人が一所に集まって何かを成し遂げるには、表には見えてこないそれぞれの「思い」というものがあるものです。
受付や売店をやっているのはみんなボランティア。和力に共感をしているボランティアもいれば、私の活動のために来てくれている方もいる。いろんな思いをもちながら、そこに立っている一人ひとりを、手に汗握りながら見つめる私・・・それぞれの、「こういう理由で今日、わざわざここに足を運んだ」という、モチベーションが最大限生かされる場であってほしい・・・と思う私の頭の中に「ボランティアコーディネート」という言葉が思い浮かんでいたりしたんですが。。
そんなこんなも含めて、今日はほんとに楽しい一日でした。
舞台そのものも、今回はとても良くて、たしか昨年やったときに三味線の「忍者」という曲が好きだとブログに書いたんですが、それは相変わらず良かったし、さらに、一番最後の演目がとても良かったです。なんというか、自分自身の日頃の感情にひきつけられて、グラグラグラと心が揺さぶられるような・・・。私は人前で泣かないことにしているので、涙は出さないけれど、できることなら一人で見てえーんえーんと涙を流したくなるような、切ないけれども琴線に触れるお話が、最後にあります。
明日も一日、ゆめりあで見られるので、私としては幸せ。
ぜひ、まだお申し込みでない方も、いらしてくださいね。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
昨日は、区内の他団体の企画だったので、私は、和力の出演者の親戚として普通にぼけーっと楽しんでいましたが、今日と明日は私が中心になって企画をしている公演なので、少しはピリッとしていました。でも、公演前に、私から挨拶をしなくて良いことになったので、かなり肩の荷がおりましたが・・・(挨拶というのが、どうしても苦手なんですね・・・)
私の叔父は、わらび座という劇団に所属をしていて、長いこと秋田にいたので、和力をやっている私のいとこも秋田で生まれ育ちました。かたや私は千葉で生まれて、その後はあちこちに転々としていたので、親戚といえども近くに住んでいた経験もなく、朗さんという親戚がいるということは私の母の葬式でちらりと見かけて知っているくらいな関係でした。
それが、和力の活動を知ってからかなり密接になったので、気分的には、親戚という「血縁」よりも、ミッションに共感するNPO的な感覚を、最近私は加藤木家に対して持っています。
だから、内容的にも満足しましたが、今日は、来てくれたお客さんの顔ぶれにも、同じくらい感動しました。
今日のお客さんは、まったく多種多彩で、それぞれが講師になってお金をとって講演ができるんじゃないかと思うような面白い人がたくさん来てくださいました。客席を観察していても飽きないんじゃないかと思った(笑)
私が選挙に当選するかどうかも分からないころから気にかけてくれて、昨年の和力の公演にも来てくれて、引き続き今回も来てくださっているという方には、本当に、なんとお礼を言っていいかわからないほどです。
それから今日は、この1年、私が議員になってから知り合った方も何人か来てくださいました。議員になって、仕事をしている中では、腹が立つこともたくさんあるけど、そんな中でも尊敬できる人、素敵だなあ、仲良くなりたいなあと思う人もいまして。そんな素敵な先輩が和力を見に来てくれたら嬉しいなあと思っていたんですが、そのうちの何人かが今日来てくれたので、本当に嬉しかったです。わー!ほんとに来てくれたんだー!と思いました。嬉しかったなあ・・・。私の今年のベスト3になりそうなほど、夢に出てきそうなほど嬉しかったですよ。あんまり嬉しくて、個人名を挙げて書きたいくらいだけど、我慢しますけど(^^;)
ほんとにありがとうございました。(・・・と、本人に呼びかけてみた 笑)
人が一所に集まって何かを成し遂げるには、表には見えてこないそれぞれの「思い」というものがあるものです。
受付や売店をやっているのはみんなボランティア。和力に共感をしているボランティアもいれば、私の活動のために来てくれている方もいる。いろんな思いをもちながら、そこに立っている一人ひとりを、手に汗握りながら見つめる私・・・それぞれの、「こういう理由で今日、わざわざここに足を運んだ」という、モチベーションが最大限生かされる場であってほしい・・・と思う私の頭の中に「ボランティアコーディネート」という言葉が思い浮かんでいたりしたんですが。。
そんなこんなも含めて、今日はほんとに楽しい一日でした。
舞台そのものも、今回はとても良くて、たしか昨年やったときに三味線の「忍者」という曲が好きだとブログに書いたんですが、それは相変わらず良かったし、さらに、一番最後の演目がとても良かったです。なんというか、自分自身の日頃の感情にひきつけられて、グラグラグラと心が揺さぶられるような・・・。私は人前で泣かないことにしているので、涙は出さないけれど、できることなら一人で見てえーんえーんと涙を流したくなるような、切ないけれども琴線に触れるお話が、最後にあります。
明日も一日、ゆめりあで見られるので、私としては幸せ。
ぜひ、まだお申し込みでない方も、いらしてくださいね。
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