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心のなめくじはどうやったら消えるのでしょうか
私は「ふだんのくらしのしあわせ」と、名刺だとかブログのタイトルだとかに書いているけれど、そもそも「幸せ」って何なんだろう・・・そんな内容を、少し前のブログに書いたことがありました。
今日はさらにもっと動物的に、人が幸せを感じるというよりもさらに本能的にある、「快」と「不快」って何なんだろう・・・という疑問について書きます。
なんとなく心にパッと浮かぶ、「うれしい」とか、「やだな」という感覚です。これは一体、何を根拠にして起きる心の動きなんでしょうね。
例えば、ここのところ雨が降るとすごい勢いでザッと降りますね。すると足が濡れる。私は、(なんか猫みたいですけど)足が汚れるのはとても嫌いなので、雨が降って靴下とかストッキングが濡れるととても不快。乾くまで、ひそかにブスッとしています。
でも、それを解決するためには、タオルとかえの靴下を持っていれば済むことでしょう?
とっても腹が立つということも、対応は簡単。
やっぱりこの1年で1番腹が立ったのは、昨年末から年明けにかけての保育園の民間委託の動きでした。
腹が立つ!と思ったらそれを意見で言えば良いし、解決するための方策を見つけるために、今私は大学院に行っている。
解決策ではないけれど、対応して発展させていくことはできる。
でも、腹が立つことよりももっと曖昧でよく分からない、もやっとしたどろっとした気分になること、ありませんか?
なんというのかしら、心になめくじが這っているような、妙な不快感…。
もや
もや
っと。
その正体が何なのか、私にはまだ分からないんです。
これは、議員という仕事じゃなくて、何の仕事をしていてもあるような気はするんです。
私は、この心のなめくじが増えすぎたときには、ブログを書くまでの間隔が長くなったり、そして胃腸がおかしくなったりするように思います。
子育て支援や、福祉に関わる相談でも、この漠然とした不全感に対する対応というのが大きな課題なんじゃないかなと思います。「生きにくさ」と表現されることもあるかもしれませんが…。
逆に、別に何かをしたわけじゃないのに妙に愉快な気分になる時もありますね。
特にじっくり話したことがあるわけじゃないのに、廊下ですれ違ってただ挨拶を交わすだけで、「あ、今日、この人と挨拶できたから、なんとなく愉快」と思えちゃう人って、いると思いませんか?
一言で言えば、「相性」なのかもしれないけれど、この、不思議な快と不快の原因を解明できたら、不快さえも快に変える術も見つけられるのかもしれないと、ふと思ったのです。
なぜこんなことを書いたかというと、昨日、途中まではいつもどおり心がなめくじになっていたのですが、あるときからとっても愉快になったんです。
私はその場に行って、ただ座っていただけで、特に私がしゃべっていたわけでもなく、その場にいるほかの人の話をただ聞いていただけなんですが、なぜかそれだけで、ここのところの胃腸の痛さが取れちゃうくらい、なんだか愉快な気分になったんです。
だから、昨日、その場に一緒にいた人に、ありがとうと言いたくなって、ブログを書きました。
それから、心になめくじが這うのは、仕事をしていれば仕方が無いことなんでしょうかね?なめくじを消す、いい方法を知っている方は、ぜひ教えてください。
・・・なめくじを消すには、塩を振れば良いんですよね。まだ私はその塩のありかが分からないので。。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
今日はさらにもっと動物的に、人が幸せを感じるというよりもさらに本能的にある、「快」と「不快」って何なんだろう・・・という疑問について書きます。
なんとなく心にパッと浮かぶ、「うれしい」とか、「やだな」という感覚です。これは一体、何を根拠にして起きる心の動きなんでしょうね。
例えば、ここのところ雨が降るとすごい勢いでザッと降りますね。すると足が濡れる。私は、(なんか猫みたいですけど)足が汚れるのはとても嫌いなので、雨が降って靴下とかストッキングが濡れるととても不快。乾くまで、ひそかにブスッとしています。
でも、それを解決するためには、タオルとかえの靴下を持っていれば済むことでしょう?
とっても腹が立つということも、対応は簡単。
やっぱりこの1年で1番腹が立ったのは、昨年末から年明けにかけての保育園の民間委託の動きでした。
腹が立つ!と思ったらそれを意見で言えば良いし、解決するための方策を見つけるために、今私は大学院に行っている。
解決策ではないけれど、対応して発展させていくことはできる。
でも、腹が立つことよりももっと曖昧でよく分からない、もやっとしたどろっとした気分になること、ありませんか?
なんというのかしら、心になめくじが這っているような、妙な不快感…。
もや
もや
っと。
その正体が何なのか、私にはまだ分からないんです。
これは、議員という仕事じゃなくて、何の仕事をしていてもあるような気はするんです。
私は、この心のなめくじが増えすぎたときには、ブログを書くまでの間隔が長くなったり、そして胃腸がおかしくなったりするように思います。
子育て支援や、福祉に関わる相談でも、この漠然とした不全感に対する対応というのが大きな課題なんじゃないかなと思います。「生きにくさ」と表現されることもあるかもしれませんが…。
逆に、別に何かをしたわけじゃないのに妙に愉快な気分になる時もありますね。
特にじっくり話したことがあるわけじゃないのに、廊下ですれ違ってただ挨拶を交わすだけで、「あ、今日、この人と挨拶できたから、なんとなく愉快」と思えちゃう人って、いると思いませんか?
一言で言えば、「相性」なのかもしれないけれど、この、不思議な快と不快の原因を解明できたら、不快さえも快に変える術も見つけられるのかもしれないと、ふと思ったのです。
なぜこんなことを書いたかというと、昨日、途中まではいつもどおり心がなめくじになっていたのですが、あるときからとっても愉快になったんです。
私はその場に行って、ただ座っていただけで、特に私がしゃべっていたわけでもなく、その場にいるほかの人の話をただ聞いていただけなんですが、なぜかそれだけで、ここのところの胃腸の痛さが取れちゃうくらい、なんだか愉快な気分になったんです。
だから、昨日、その場に一緒にいた人に、ありがとうと言いたくなって、ブログを書きました。
それから、心になめくじが這うのは、仕事をしていれば仕方が無いことなんでしょうかね?なめくじを消す、いい方法を知っている方は、ぜひ教えてください。
・・・なめくじを消すには、塩を振れば良いんですよね。まだ私はその塩のありかが分からないので。。
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