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私の父の、山谷の思い出
木曜日にあった環境まちづくり委員会・健康福祉委員会のこと、金曜にあった医療・高齢者特別委員会のこと、それから今日は以前からの知人の手伝いで新宿にボランティアに行ったのでそのときのこと、3つも書きたいことがあります。
何日かかけて順番に書いていきます。
でも今日は、上記とはまた別に書かなくちゃいけなかったことを書きます。
前々回のブログで、「山谷のことを次回か次々回のブログで書く」と書いたので(^^;
私の父は、私の出身地である千葉県松戸に近い側、葛飾の、“寅さん”の家の近くのほうで仕事をしています。
清掃車の運転をする仕事。運転の仕事を委託されている会社です。
小学校の低学年のとき、国語の作文に、「わたしのおとうさんは、いつもゴミをはこんでいます」と書いて、「もう少し書きようがあるでしょ!」と母から怒られたことがありました
親のやってる仕事っていうのは、いまいちよく分からないですね(^^;
20代も後半になって、最近はだいぶ父と仲良くなったものの、私はものすごく父に対して反抗的な娘だったので、父のやっていることなんてほとんど分からないです。父がやっているというだけで「ふんっ」っていう感じでした。
だから清掃のことは、私には身近でありながらちょっと遠い、複雑なものがありますね。。
父が運転する範囲が一体どうなってるんだかもさっぱり分かりませんが(少なくとも練馬のほうには来ません ^^;)、これから紹介する父の文章は、浅草地域の収集をするときの話。
父は今の会社に就職する前、19歳の頃に、山谷に行ってみたらしいのです。
「そこにいる人が、何を考えているのかなと、気になったんだよ。それだけ。」と父。
「ひねくれ者だから、誰も気にしないようなことが気になるんだ」・・・だそうで。
・・・清掃の知識は受け継いでいないけど、ひねくれたところだけ受け継いだようです。
貧困問題は、経済的な貧困から始まって、住環境の貧困、職業の貧困、人とのつながりの貧困、という風に、どんどんと幅の広がる問題だと思います。
父が山谷に行った思い出は、そんな貧困問題の一端が見えるようで、私のブログ上に打ち直してみました。
長いですけど、読んでみてください。
父の文章は、こちらから。
本当はもっと長くて、後半は今の父の仕事のことが書いてあったのですが、前半部分の山谷の話が私は心に残ったもので、その部分だけ引用しています。
長く一緒にいるからこそ見えるものがあると思います。私が一日、山谷に行っただけでは見えなかった、「そこに暮らす人たち」が少し見えるようで、ぜひご紹介したいと思いました。
何日かかけて順番に書いていきます。
でも今日は、上記とはまた別に書かなくちゃいけなかったことを書きます。
前々回のブログで、「山谷のことを次回か次々回のブログで書く」と書いたので(^^;
私の父は、私の出身地である千葉県松戸に近い側、葛飾の、“寅さん”の家の近くのほうで仕事をしています。
清掃車の運転をする仕事。運転の仕事を委託されている会社です。
小学校の低学年のとき、国語の作文に、「わたしのおとうさんは、いつもゴミをはこんでいます」と書いて、「もう少し書きようがあるでしょ!」と母から怒られたことがありました

親のやってる仕事っていうのは、いまいちよく分からないですね(^^;
20代も後半になって、最近はだいぶ父と仲良くなったものの、私はものすごく父に対して反抗的な娘だったので、父のやっていることなんてほとんど分からないです。父がやっているというだけで「ふんっ」っていう感じでした。
だから清掃のことは、私には身近でありながらちょっと遠い、複雑なものがありますね。。
父が運転する範囲が一体どうなってるんだかもさっぱり分かりませんが(少なくとも練馬のほうには来ません ^^;)、これから紹介する父の文章は、浅草地域の収集をするときの話。
父は今の会社に就職する前、19歳の頃に、山谷に行ってみたらしいのです。
「そこにいる人が、何を考えているのかなと、気になったんだよ。それだけ。」と父。
「ひねくれ者だから、誰も気にしないようなことが気になるんだ」・・・だそうで。
・・・清掃の知識は受け継いでいないけど、ひねくれたところだけ受け継いだようです。
貧困問題は、経済的な貧困から始まって、住環境の貧困、職業の貧困、人とのつながりの貧困、という風に、どんどんと幅の広がる問題だと思います。
父が山谷に行った思い出は、そんな貧困問題の一端が見えるようで、私のブログ上に打ち直してみました。
長いですけど、読んでみてください。
父の文章は、こちらから。
本当はもっと長くて、後半は今の父の仕事のことが書いてあったのですが、前半部分の山谷の話が私は心に残ったもので、その部分だけ引用しています。
長く一緒にいるからこそ見えるものがあると思います。私が一日、山谷に行っただけでは見えなかった、「そこに暮らす人たち」が少し見えるようで、ぜひご紹介したいと思いました。
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介護予防
今日は介護保険運営協議会の傍聴に行きました。
来年度作られる「第4期介護保険事業計画」に向けての意見を言い合う場。
・・・私のブログを何回分かお読みになったことがある方は、私がどれだけ頑固な人間かはお気づきになるかもしれませんが(^^;
実は私が福祉の仕事を選んだ切実な理由として、まだ書いていなかったことがあります。
それは、私の頑固さです。
自分の信念と違う行動をすると胃腸が壊れたり熱が出たりするんですよ。
ちょっとくらい妥協してあげたいと思っても、体がそれを許さない。まったく、我ながらいやになってしまうほど頑固。
そんな私がもしこれから障害を持ったり加齢によって介護が必要になったとき、自分の信念を曲げないと福祉が受けられないような貧困な福祉施策は困るのです。介護が必要な上にストレスで胃腸が痛い晩年をすごすなんて、まさに生き地獄です。
そんな頑固な人間も安心して地域で暮らせる社会を作らねばならぬ、というのが私の根本の考えです。
だから、2006年の介護保険改正で介護予防が全面にだされたのは、かなり衝撃でした。
介護予防で、筋トレをしろって言うんですよ。
やだよやだよ、私、80歳になって他人から強要されて筋トレするのなんか絶対やだ。
あまりの衝撃で、介護保険改正の方向性が分かった2005年以来、私は筋トレや意に沿わぬ苦行を「介護予防」と呼ぶようになりました(^^;
例えば・・・
①高校、大学時代の友達と散歩をするのが趣味なんです。ひたすらひたすら、何時間も歩き続ける。でも、時々、すごい坂道だとか、「これはさすがにきついなあ」と思うことがある。すると思わず、「介護予防だね」という言葉が私の口から出る。。
②議会の本会議がある日は、会派控え室と本会議場や委員会室を往復することが多い。議会の関連の部屋は5~8階にある。たいして時間をかけて議論をするわけでもないのに、ひたすらウロウロする日もある。椅子に座っている時間よりも階段を上り下りしているほうが多いのではないかという日も・・・。
そんなときにふと、隣を歩いている倉田れいかさんに「こりゃあ、介護予防ですね」と言ってしまう。。
福祉関係でない同年代の友人知人にそんなことを言っても「きょとん」とされてしまいますけど(^^;)、私の中での「介護予防」はそんなイメージ。
そんな、介護予防事業、あんまり人気がないんだとか。今後どうやって周知してくのか、というのが今日の運営協議会の議論で出ていましたが。
そりゃあなた、介護保険の改正そのものの方向性がおかしかったということが改めて判明しただけじゃないか、と私は思いますが。
でも百歩譲って、この事業に何か意義があるかと考えると、まだ介護がそんなに必要でない高齢者で、でも体が弱りがちな人が社会とつながるきっかけ作りですよね。
その意義を最大限に生かせる方法があるかどうかを考えるべきだと思うのです。例えば、地域包括支援センターの人だとか民生委員さんだとかが高齢者を訪ねていって会話するきっかけとしてこの事業のお知らせを活用すれば良いと思うんです。
事業を生活にどう活かせるかを考えるべきで、事業そのものを成功させることに重きを置くのはちょっと違う気がするんですよね。
2006年の介護保険改正はどう考えても絶対へっぽこなんだから、いつかまた軌道修正が加わるでしょう。そのときに区が振り回されないためにも、介護予防事業そのものをどううまく回すかではなくて、今いる高齢者のために事業をどううまく活かすかを考えるべきではないかと思います。
以上、感想でした。
・・・って、ブログに感想書くんじゃなくて9月の定例会でいうべきでしょうかねえ(^^;
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
来年度作られる「第4期介護保険事業計画」に向けての意見を言い合う場。
・・・私のブログを何回分かお読みになったことがある方は、私がどれだけ頑固な人間かはお気づきになるかもしれませんが(^^;
実は私が福祉の仕事を選んだ切実な理由として、まだ書いていなかったことがあります。
それは、私の頑固さです。
自分の信念と違う行動をすると胃腸が壊れたり熱が出たりするんですよ。
ちょっとくらい妥協してあげたいと思っても、体がそれを許さない。まったく、我ながらいやになってしまうほど頑固。
そんな私がもしこれから障害を持ったり加齢によって介護が必要になったとき、自分の信念を曲げないと福祉が受けられないような貧困な福祉施策は困るのです。介護が必要な上にストレスで胃腸が痛い晩年をすごすなんて、まさに生き地獄です。
そんな頑固な人間も安心して地域で暮らせる社会を作らねばならぬ、というのが私の根本の考えです。
だから、2006年の介護保険改正で介護予防が全面にだされたのは、かなり衝撃でした。
介護予防で、筋トレをしろって言うんですよ。
やだよやだよ、私、80歳になって他人から強要されて筋トレするのなんか絶対やだ。
あまりの衝撃で、介護保険改正の方向性が分かった2005年以来、私は筋トレや意に沿わぬ苦行を「介護予防」と呼ぶようになりました(^^;
例えば・・・
①高校、大学時代の友達と散歩をするのが趣味なんです。ひたすらひたすら、何時間も歩き続ける。でも、時々、すごい坂道だとか、「これはさすがにきついなあ」と思うことがある。すると思わず、「介護予防だね」という言葉が私の口から出る。。
②議会の本会議がある日は、会派控え室と本会議場や委員会室を往復することが多い。議会の関連の部屋は5~8階にある。たいして時間をかけて議論をするわけでもないのに、ひたすらウロウロする日もある。椅子に座っている時間よりも階段を上り下りしているほうが多いのではないかという日も・・・。
そんなときにふと、隣を歩いている倉田れいかさんに「こりゃあ、介護予防ですね」と言ってしまう。。
福祉関係でない同年代の友人知人にそんなことを言っても「きょとん」とされてしまいますけど(^^;)、私の中での「介護予防」はそんなイメージ。
そんな、介護予防事業、あんまり人気がないんだとか。今後どうやって周知してくのか、というのが今日の運営協議会の議論で出ていましたが。
そりゃあなた、介護保険の改正そのものの方向性がおかしかったということが改めて判明しただけじゃないか、と私は思いますが。
でも百歩譲って、この事業に何か意義があるかと考えると、まだ介護がそんなに必要でない高齢者で、でも体が弱りがちな人が社会とつながるきっかけ作りですよね。
その意義を最大限に生かせる方法があるかどうかを考えるべきだと思うのです。例えば、地域包括支援センターの人だとか民生委員さんだとかが高齢者を訪ねていって会話するきっかけとしてこの事業のお知らせを活用すれば良いと思うんです。
事業を生活にどう活かせるかを考えるべきで、事業そのものを成功させることに重きを置くのはちょっと違う気がするんですよね。
2006年の介護保険改正はどう考えても絶対へっぽこなんだから、いつかまた軌道修正が加わるでしょう。そのときに区が振り回されないためにも、介護予防事業そのものをどううまく回すかではなくて、今いる高齢者のために事業をどううまく活かすかを考えるべきではないかと思います。
以上、感想でした。
・・・って、ブログに感想書くんじゃなくて9月の定例会でいうべきでしょうかねえ(^^;
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
長々しいブログの中段あたりにこっそりと、重大な決意表明を書いてみました(^^;
★ここのところ、ずっと環境まちづくり関係の勉強をするために本とにらめっこをしていました。
新しく環境まちづくり委員会に所属することに決まった頃にも書きましたが、私は動物とか人間は好きだけれど、動かないものは苦手・・・。
動くものは好きなんですよ。猫とか。
動いているものといえば・・・「人の心の動き」というのも面白いから、福祉が好きなんです。
だから議会のときにも、動くものを見ています。
・・・議員さんでも区の職員さんでも、ポーカーフェイスの方も多いけれど、中にはよく表情の動く方がいらっしゃるんですね。「ああ、この人の顔、よく動くなあ、どういうときに顔色が変わるのかなあ」と観察しています(笑)
でも一方で動かないものが苦手―植物は枯らしてしまうし、道路とか建物とか、普段あんまり興味なかったんですねー。
でも、「動かないもの」によって、「動く人間」は、影響を受けるんですね。動くものが影響を受けるものなんだから、動かないもののことも知らなくてはいけない。知らなくてはいけないから、まずは勉強しなくてはいけない。。
道路を作るのは、そこに住む人にとってそれが幸せにつながるからでしょう?便利になるからでしょう?
道路以外のことも含めて、公共サービス全般にいえると思いますが、行政は何のためにあるのでしょう。
これは、行政職員のためでもないし議員のためでもない。そこに暮らす市民のためにあるんですよね。
道路を作る場合でも、そこに暮らす住民が望む道路を作るべきでしょ?「なんでこんなところに道路ができるんだろう・・・」と住民が不満に思う道路ができるのはおかしいですね。
実は、道路に関連して、ちょっと疑問を感じる問題がありまして。
道路って、何なんだろう・・・と思っています。
そんなわけで苦手分野を克服すべく、実は先週からずーっと、道路のことを考えています。
あさってが環境まちづくり委員会。
具体的なことは、あさっての委員会できちんと意見を言ってからブログに書きたいと思います。
★頭をかきむしりながら道路や建物、環境施策について思い巡らせていた今日この頃でしたが、今日は久々に福祉関係の人に話を聞きに行きました。
福祉はほんとに今、いろんな分野で深刻です。
利用者の命にも関わるような問題を扱いつつ、どうやってより良いしくみを作っていけるか・・・そんな戦いをしている現場の人の声を聞いて、しみじみと初心に返る思いでした。
保育園の委託に関する陳情の採択をするか否かという問題をはじめ、私はいろんな問題でこの1年、「今の行政のやり方にはとても賛同できない」と思うことがたくさんありました。
それは、ブログでも報告してきたと思います。
だけど結局会派の中での議論を経て、議会の正式の場では行政からの提案に賛成してきてしまったのが、私の議員としての1年目だったのです。
「加藤木さんの言う意見だけが世の中のすべてではないし、会派の中でまとめることができなかったんだから、会派の意向に沿ってもらわないと困る」と言われたから従ってきたのです。
だけど、たとえ少数意見といわれようとも、私は、「福祉の現場の声」、「当たり前の一般の区民の、小さな小さな生活の中の声」を制度の中に生かすために議員になったのです。
「議員でいるために議員になった」というわけでもないし、議員や行政の偉い人とお友達になるために議員になったわけでもない。そんな中で、ちょこっと戦ったからって胃腸が痛いと言っている場合ではないと、今日、現場の声を聞いてしみじみ思いました。もっと、生きるか死ぬかの思いをしながら日々生きている人が、練馬区内にもたくさんいるのです。
今、福祉の人材不足が言われていますが、それはなんでだと思いますか?
ひとつには、一般企業と比べて生活できるだけのお給料の保障が無いということもあるけれど、福祉の意義が認められないまま、自分の信念と違う仕事をさせられて、かつそれを変えられる政策提言の機会も得られないままに燃え尽きていく人が多いからだと思うのです。
だから私は議員になったのです。
1期目の議員として与えられた時間(任期4年間)の残りは早くもあと2年半!
議員2年目の今年、一体どんなスタンスで生きていこうか、実は春からずっと悩んでいましたが、今日、現場の声を聞いて改めて思いました。
特に9月の定例会からは、私は私の信念に忠実に行動します。
「たかだか28歳の、青二才のわがままだ」と批判されることもあるでしょう。でも、私の背後には、たくさんの、「福祉現場の声なき声」がついています。私は、これを「目に見える声」にするために議員になったのですから。
自分の心に、嘘をつくことはできません。
★選挙に当選してから、歯が痛いんです。
でも、時々痛くなったり治ったりするから、虫歯ではないとも思っていました。
ようやっと歯医者に行ったら、案の定、虫歯ではなくて。かみ合わせが悪いことと、奥に親知らずが生えている影響だろうといわれました。
「親知らず、本当は抜けば良いんだけど。でもね、まっすぐ生えていればいいのに、根っこが曲がっているのよね。まっすぐならばすぐ抜けるものが、根っこが曲がっているから抜くのも大変そう」とのこと。
・・・なんとなく、私の存在そのもののダメ出しをされている気分になりました(苦笑)
★私の父が山谷に泊まりこんだことがあると、以前ブログに書きましたが、父の作文を発見しました。これを皆さんに公表しようと、パソコンで打ち直しているところです。次回か次々回のブログでお披露目できるかと思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
新しく環境まちづくり委員会に所属することに決まった頃にも書きましたが、私は動物とか人間は好きだけれど、動かないものは苦手・・・。
動くものは好きなんですよ。猫とか。
動いているものといえば・・・「人の心の動き」というのも面白いから、福祉が好きなんです。
だから議会のときにも、動くものを見ています。
・・・議員さんでも区の職員さんでも、ポーカーフェイスの方も多いけれど、中にはよく表情の動く方がいらっしゃるんですね。「ああ、この人の顔、よく動くなあ、どういうときに顔色が変わるのかなあ」と観察しています(笑)
でも一方で動かないものが苦手―植物は枯らしてしまうし、道路とか建物とか、普段あんまり興味なかったんですねー。
でも、「動かないもの」によって、「動く人間」は、影響を受けるんですね。動くものが影響を受けるものなんだから、動かないもののことも知らなくてはいけない。知らなくてはいけないから、まずは勉強しなくてはいけない。。
道路を作るのは、そこに住む人にとってそれが幸せにつながるからでしょう?便利になるからでしょう?
道路以外のことも含めて、公共サービス全般にいえると思いますが、行政は何のためにあるのでしょう。
これは、行政職員のためでもないし議員のためでもない。そこに暮らす市民のためにあるんですよね。
道路を作る場合でも、そこに暮らす住民が望む道路を作るべきでしょ?「なんでこんなところに道路ができるんだろう・・・」と住民が不満に思う道路ができるのはおかしいですね。
実は、道路に関連して、ちょっと疑問を感じる問題がありまして。
道路って、何なんだろう・・・と思っています。
そんなわけで苦手分野を克服すべく、実は先週からずーっと、道路のことを考えています。
あさってが環境まちづくり委員会。
具体的なことは、あさっての委員会できちんと意見を言ってからブログに書きたいと思います。
★頭をかきむしりながら道路や建物、環境施策について思い巡らせていた今日この頃でしたが、今日は久々に福祉関係の人に話を聞きに行きました。
福祉はほんとに今、いろんな分野で深刻です。
利用者の命にも関わるような問題を扱いつつ、どうやってより良いしくみを作っていけるか・・・そんな戦いをしている現場の人の声を聞いて、しみじみと初心に返る思いでした。
保育園の委託に関する陳情の採択をするか否かという問題をはじめ、私はいろんな問題でこの1年、「今の行政のやり方にはとても賛同できない」と思うことがたくさんありました。
それは、ブログでも報告してきたと思います。
だけど結局会派の中での議論を経て、議会の正式の場では行政からの提案に賛成してきてしまったのが、私の議員としての1年目だったのです。
「加藤木さんの言う意見だけが世の中のすべてではないし、会派の中でまとめることができなかったんだから、会派の意向に沿ってもらわないと困る」と言われたから従ってきたのです。
だけど、たとえ少数意見といわれようとも、私は、「福祉の現場の声」、「当たり前の一般の区民の、小さな小さな生活の中の声」を制度の中に生かすために議員になったのです。
「議員でいるために議員になった」というわけでもないし、議員や行政の偉い人とお友達になるために議員になったわけでもない。そんな中で、ちょこっと戦ったからって胃腸が痛いと言っている場合ではないと、今日、現場の声を聞いてしみじみ思いました。もっと、生きるか死ぬかの思いをしながら日々生きている人が、練馬区内にもたくさんいるのです。
今、福祉の人材不足が言われていますが、それはなんでだと思いますか?
ひとつには、一般企業と比べて生活できるだけのお給料の保障が無いということもあるけれど、福祉の意義が認められないまま、自分の信念と違う仕事をさせられて、かつそれを変えられる政策提言の機会も得られないままに燃え尽きていく人が多いからだと思うのです。
だから私は議員になったのです。
1期目の議員として与えられた時間(任期4年間)の残りは早くもあと2年半!
議員2年目の今年、一体どんなスタンスで生きていこうか、実は春からずっと悩んでいましたが、今日、現場の声を聞いて改めて思いました。
特に9月の定例会からは、私は私の信念に忠実に行動します。
「たかだか28歳の、青二才のわがままだ」と批判されることもあるでしょう。でも、私の背後には、たくさんの、「福祉現場の声なき声」がついています。私は、これを「目に見える声」にするために議員になったのですから。
自分の心に、嘘をつくことはできません。
★選挙に当選してから、歯が痛いんです。
でも、時々痛くなったり治ったりするから、虫歯ではないとも思っていました。
ようやっと歯医者に行ったら、案の定、虫歯ではなくて。かみ合わせが悪いことと、奥に親知らずが生えている影響だろうといわれました。
「親知らず、本当は抜けば良いんだけど。でもね、まっすぐ生えていればいいのに、根っこが曲がっているのよね。まっすぐならばすぐ抜けるものが、根っこが曲がっているから抜くのも大変そう」とのこと。
・・・なんとなく、私の存在そのもののダメ出しをされている気分になりました(苦笑)
★私の父が山谷に泊まりこんだことがあると、以前ブログに書きましたが、父の作文を発見しました。これを皆さんに公表しようと、パソコンで打ち直しているところです。次回か次々回のブログでお披露目できるかと思います。
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最近のこと
★「うだるような暑さ」についてブログに書いた翌日から、涼しくなりました
ふん、「うだる」のことは昨年の夏から書きそびれていてようやく書いたというのに、何も翌日から涼しくならなくたって良いのに・・・。世の中、うまくいかないものです。
★次の衆議院選挙に向けて、民主党は木内たかたねさんという方の公認を内定しました。
練馬区は、9区と10区という地域に分かれていますが、9区のほうの候補予定が木内さん。
今朝、木内さんが大泉学園駅の北口で演説をするということなので、応援に行きました。ほかに、三戸英一さんが来ていました。
・・・大学院で知り合った人なんかにはよく、「加藤木さんって、無所属なんでしょ?」と言われたりして、「ところがどっこい、民主党なんです・・・」と答えたりしている普段の私ですが、久々に複数人数で駅に立ってしみじみ旗を眺めると、「なるほど、民主党だな」と思いますね。。(←?)
それから、私が毎週駅に立つときは、いつもは一人ぼっちで、演説というよりもつぶやいているだけなので、久々に他の人がマイクを持ってしゃべっているのを見ると、「なるほど、演説だな」と思いますね。(^^;
今朝はそんなわけで、木内さんの演説を聞きながら、チラシを配っていました。
あるとき、木内さんが駅のホームのほうを見ながら、「電車でホームを待っている皆さん、おはようございます」とおっしゃいました。
誰だって言い間違えるのさ。笑っちゃいけない、笑っちゃいけない。・・・と思いつつ、「電車でホームを待つ」の図を頭に思い浮かべて思わずにやり。
1日に何時間もマイクを持ってしゃべっていれば一度や二度は失敗しますよね・・・。
かく言う私も、区議選の選挙期間中に一度、選挙カーから思い切り自信たっぷりに「区長にはかとうぎ桜子を!」と叫んだことがありました(><)
衆議院選挙、いつになるんだか分かりませんが、頑張りましょう。
★なんとなく、毎年秋になると、古い友人に会う集まりが増えるような気がします。
今年もダダダと同時期に連絡が入って、高校、大学のサークル、福祉の専門学校、福祉のバイト先の友人達と再会する機会を得ました。
この勢いで、大学のゼミとヘルパー2級の講習の時の仲間との再会もセッティングしてしまおうかと画策中。
秋は再会の季節なんですかね?
15,6歳の頃は「私は今後どう生きるべきか」と悩んでいたのですが、17歳くらいからほぼ今の私と同じ状態(?)になりました。信念とか愛するものとか趣味とか、だいたいの傾向は17歳くらいで固まった気がします。
その頃以降に知り合った人の中で、「一緒にいて楽しいなあ」と思っていた人は今もつながっていて、1年に1回くらいは再会できる。それはちょっと幸せなことですね。
私の選挙の前後に、3人の友人が出産しまして。だからもう、それぞれ1,2歳になるのですが。
再会のためのやりとりをしているとき、赤ちゃんのいるお母ちゃんはメールに写真を添付してくれるのです。
まあ、可愛い、と思うのですが、私はまだ子どもがいないし、私自身に兄弟もいないし、小さい頃から一緒にいたといえば猫だけなので、写真に対してなんというコメントを返すのが適切なのかは分からないんですね。猫に対する褒め言葉は分かるんですが。例えば、「まあ、長くて素敵な尻尾」とか、「まるでカリフラワーのようにおいしそうなほっぺ」とか(←?)
しかし、人間の赤ちゃんはなんと褒めて良いのやら。
ついつい、「まあ、随分人間らしくなったね」という、褒めてるんだかなんだか分からない返信メールを書いてしまいます・・・。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら

ふん、「うだる」のことは昨年の夏から書きそびれていてようやく書いたというのに、何も翌日から涼しくならなくたって良いのに・・・。世の中、うまくいかないものです。
★次の衆議院選挙に向けて、民主党は木内たかたねさんという方の公認を内定しました。
練馬区は、9区と10区という地域に分かれていますが、9区のほうの候補予定が木内さん。
今朝、木内さんが大泉学園駅の北口で演説をするということなので、応援に行きました。ほかに、三戸英一さんが来ていました。
・・・大学院で知り合った人なんかにはよく、「加藤木さんって、無所属なんでしょ?」と言われたりして、「ところがどっこい、民主党なんです・・・」と答えたりしている普段の私ですが、久々に複数人数で駅に立ってしみじみ旗を眺めると、「なるほど、民主党だな」と思いますね。。(←?)
それから、私が毎週駅に立つときは、いつもは一人ぼっちで、演説というよりもつぶやいているだけなので、久々に他の人がマイクを持ってしゃべっているのを見ると、「なるほど、演説だな」と思いますね。(^^;
今朝はそんなわけで、木内さんの演説を聞きながら、チラシを配っていました。
あるとき、木内さんが駅のホームのほうを見ながら、「電車でホームを待っている皆さん、おはようございます」とおっしゃいました。
誰だって言い間違えるのさ。笑っちゃいけない、笑っちゃいけない。・・・と思いつつ、「電車でホームを待つ」の図を頭に思い浮かべて思わずにやり。
1日に何時間もマイクを持ってしゃべっていれば一度や二度は失敗しますよね・・・。
かく言う私も、区議選の選挙期間中に一度、選挙カーから思い切り自信たっぷりに「区長にはかとうぎ桜子を!」と叫んだことがありました(><)
衆議院選挙、いつになるんだか分かりませんが、頑張りましょう。
★なんとなく、毎年秋になると、古い友人に会う集まりが増えるような気がします。
今年もダダダと同時期に連絡が入って、高校、大学のサークル、福祉の専門学校、福祉のバイト先の友人達と再会する機会を得ました。
この勢いで、大学のゼミとヘルパー2級の講習の時の仲間との再会もセッティングしてしまおうかと画策中。
秋は再会の季節なんですかね?
15,6歳の頃は「私は今後どう生きるべきか」と悩んでいたのですが、17歳くらいからほぼ今の私と同じ状態(?)になりました。信念とか愛するものとか趣味とか、だいたいの傾向は17歳くらいで固まった気がします。
その頃以降に知り合った人の中で、「一緒にいて楽しいなあ」と思っていた人は今もつながっていて、1年に1回くらいは再会できる。それはちょっと幸せなことですね。
私の選挙の前後に、3人の友人が出産しまして。だからもう、それぞれ1,2歳になるのですが。
再会のためのやりとりをしているとき、赤ちゃんのいるお母ちゃんはメールに写真を添付してくれるのです。
まあ、可愛い、と思うのですが、私はまだ子どもがいないし、私自身に兄弟もいないし、小さい頃から一緒にいたといえば猫だけなので、写真に対してなんというコメントを返すのが適切なのかは分からないんですね。猫に対する褒め言葉は分かるんですが。例えば、「まあ、長くて素敵な尻尾」とか、「まるでカリフラワーのようにおいしそうなほっぺ」とか(←?)
しかし、人間の赤ちゃんはなんと褒めて良いのやら。
ついつい、「まあ、随分人間らしくなったね」という、褒めてるんだかなんだか分からない返信メールを書いてしまいます・・・。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
★「うだるような暑さ」 ★大学院の広報誌のことと、私の写真のこと ★議員って・・・
★「うだるような暑さ」
まだまだ暑いですね・・・。でも、ここのところなんとなく、日陰に入れば少しは耐えられるようになった気も・・・。気のせいかしら・・・
夏になるたびにいつも思うんですけど、「うだるような暑さ」って言うでしょう。
「うだる」って、漢字で書くと「茹だる」なんですよね。
ゆでられちゃいそうなほど暑い、っていう意味なんですねー。
・・・だからどうということも無いし、考えたら余計暑くなるだけですが、「うだる」と聞くたびに私の頭の中では、人々が「ゆで卵」のようになる姿が思い浮かぶもので、つい書きたくなりました・・・。
★大学院の広報誌のことと、私の写真のこと
今は大学院が夏休みなのですが・・・私の行っている研究科の広報誌があります。HPはこちら
この7月25日号の在校生紹介のところに私が載りました。(こちら)
この広報誌の編集も学生がやっているので、ある日「加藤木さん、載らない?」と同級生から言われまして。
その同級生に「どうして議員になったの?」とか、「どうして大学院に入ったの?」と聞かれ、いつものごとく、ぶつぶつ、ぼそぼそ、と返事をしていたら、まー、上手にまとめてくださって、載ったというわけです。
・・・ブログの「プロフィール」に載っている写真や、チラシなんかで写真を使わないといけないときに使っているのはいつも、選挙の準備をしていた頃に写真スタジオに行って撮った写真なんですが。。
写真を撮る前にスタジオの人がせっせとお化粧をしてくださいましてね。写真だとあんまり分からないけど、このとき、実物の顔は大変なことになっていたものです。普段あんまりちゃんとお化粧できないもので、たまに化粧をしたら「鏡餅がひび割れた」みたいな感じで。。
だからこのときの写真を見るたびに、「うーん、怖い・・・」と思います。だからといって普段の写真はもっとひどいし(苦笑)
以前、元都議の中山幹雄さんが私のポスターの写真を見てしみじみ「随分思い切り口を開けて笑ったんだねえ。もう少し口を小さくできなかったの?」とおっしゃってたことがありましたが(^^;)、「歯並びがあまり良くないからいっそのこと思い切り口を開いたほうが良いよ」とカメラマンの人に言われたのでした。
ちなみにポスターの写真は、これ。

前々から、目の辺りが何かに似ている気がするんですよね。
・・・愛知万博のキャラクター・「モリゾー」かな・・・
(→こちらのHPと見比べてみてください。。)
ちょっと小雨が降って薄暗い日に、バスを降りて傘を差し、私の事務所に向かって歩いていたら、薄暗がりの中で思いっきり笑っている私のポスターが待っていて、我ながらギクッとしたことがありました。そのままポスターの口の中に吸い込まれるかと思って。。
夜に大泉街道を歩いて帰る方、いつも暗闇で私のポスターの口に吸い込まれそうな怖い思いをしているんでしょうね。申し訳ない。
今回の広報誌には、できるだけ口の小さい写真を選びましたが・・・。う~ん・・・。
★議員って・・・
9月中旬から議会の定例会が始まるので、ぼちぼちと準備が始まりました。
今日は会派で議論をしていたので、脳みそが限界に達しました。ふぅー・・・。栄養ドリンクを飲んでボーっとしています。。
議員って、何のためにいるんだと思いますか?
もちろん、行政は、たくさんの職員さんがいて、皆で知恵を絞って方向性を決めているんでしょう。たくさんの知恵が集まったものは、熟考されたものでしょう。
でも、だからって行政から説明されたことをそのままOKと言ってしまうならば、議員の存在意義って、ありますかね?
私が「議員をやっている」というと、最近知り合う人たちには、「議員って、人数が多すぎるんじゃない?」とほぼ必ずのように言われます。
でも、私は、人数の多寡ではなくて、本来の存在意義が生かされているかどうかのほうが重要なのではないかと思います。
私は、地域を支えるしくみをチェックするために議員になったつもりなので、たとえ私の知恵は行政から出される案には及ばなくても、私にできる限りの努力をして意見を言うのが仕事だと思います。
追認するだけなら私がいる意味はないし、ましてや私は、選挙カーの中から手を振るために議員になったわけではない・・・と思うのですが。
・・・でも、心臓に毛が生えているわけではないので、議会でいっぱい意見を言った後にゴシゴシと胃腸の辺りを撫でています。。ふぅ。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
まだまだ暑いですね・・・。でも、ここのところなんとなく、日陰に入れば少しは耐えられるようになった気も・・・。気のせいかしら・・・

夏になるたびにいつも思うんですけど、「うだるような暑さ」って言うでしょう。
「うだる」って、漢字で書くと「茹だる」なんですよね。
ゆでられちゃいそうなほど暑い、っていう意味なんですねー。
・・・だからどうということも無いし、考えたら余計暑くなるだけですが、「うだる」と聞くたびに私の頭の中では、人々が「ゆで卵」のようになる姿が思い浮かぶもので、つい書きたくなりました・・・。
★大学院の広報誌のことと、私の写真のこと
今は大学院が夏休みなのですが・・・私の行っている研究科の広報誌があります。HPはこちら
この7月25日号の在校生紹介のところに私が載りました。(こちら)
この広報誌の編集も学生がやっているので、ある日「加藤木さん、載らない?」と同級生から言われまして。
その同級生に「どうして議員になったの?」とか、「どうして大学院に入ったの?」と聞かれ、いつものごとく、ぶつぶつ、ぼそぼそ、と返事をしていたら、まー、上手にまとめてくださって、載ったというわけです。
・・・ブログの「プロフィール」に載っている写真や、チラシなんかで写真を使わないといけないときに使っているのはいつも、選挙の準備をしていた頃に写真スタジオに行って撮った写真なんですが。。
写真を撮る前にスタジオの人がせっせとお化粧をしてくださいましてね。写真だとあんまり分からないけど、このとき、実物の顔は大変なことになっていたものです。普段あんまりちゃんとお化粧できないもので、たまに化粧をしたら「鏡餅がひび割れた」みたいな感じで。。
だからこのときの写真を見るたびに、「うーん、怖い・・・」と思います。だからといって普段の写真はもっとひどいし(苦笑)
以前、元都議の中山幹雄さんが私のポスターの写真を見てしみじみ「随分思い切り口を開けて笑ったんだねえ。もう少し口を小さくできなかったの?」とおっしゃってたことがありましたが(^^;)、「歯並びがあまり良くないからいっそのこと思い切り口を開いたほうが良いよ」とカメラマンの人に言われたのでした。
ちなみにポスターの写真は、これ。

前々から、目の辺りが何かに似ている気がするんですよね。
・・・愛知万博のキャラクター・「モリゾー」かな・・・

(→こちらのHPと見比べてみてください。。)
ちょっと小雨が降って薄暗い日に、バスを降りて傘を差し、私の事務所に向かって歩いていたら、薄暗がりの中で思いっきり笑っている私のポスターが待っていて、我ながらギクッとしたことがありました。そのままポスターの口の中に吸い込まれるかと思って。。
夜に大泉街道を歩いて帰る方、いつも暗闇で私のポスターの口に吸い込まれそうな怖い思いをしているんでしょうね。申し訳ない。
今回の広報誌には、できるだけ口の小さい写真を選びましたが・・・。う~ん・・・。
★議員って・・・
9月中旬から議会の定例会が始まるので、ぼちぼちと準備が始まりました。
今日は会派で議論をしていたので、脳みそが限界に達しました。ふぅー・・・。栄養ドリンクを飲んでボーっとしています。。
議員って、何のためにいるんだと思いますか?
もちろん、行政は、たくさんの職員さんがいて、皆で知恵を絞って方向性を決めているんでしょう。たくさんの知恵が集まったものは、熟考されたものでしょう。
でも、だからって行政から説明されたことをそのままOKと言ってしまうならば、議員の存在意義って、ありますかね?
私が「議員をやっている」というと、最近知り合う人たちには、「議員って、人数が多すぎるんじゃない?」とほぼ必ずのように言われます。
でも、私は、人数の多寡ではなくて、本来の存在意義が生かされているかどうかのほうが重要なのではないかと思います。
私は、地域を支えるしくみをチェックするために議員になったつもりなので、たとえ私の知恵は行政から出される案には及ばなくても、私にできる限りの努力をして意見を言うのが仕事だと思います。
追認するだけなら私がいる意味はないし、ましてや私は、選挙カーの中から手を振るために議員になったわけではない・・・と思うのですが。
・・・でも、心臓に毛が生えているわけではないので、議会でいっぱい意見を言った後にゴシゴシと胃腸の辺りを撫でています。。ふぅ。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
この週末の活動をまとめて報告。
★若干お盆からはずれた気もしますが、今日は母の墓参りに行きました。
お墓に手を合わせたとき、何かを考えるものですか?
お墓に向かって近況報告をすべきなんだろうかと思いながら手を合わせるんですけど、手を合わせるとなんだか条件反射的に頭の中が空っぽになる感じがするんですが・・・。ま、無心に手を合わせるならそれでも良いか、と思いつつ・・・
お墓に行っても、「あらいらっしゃい」とお母さんが出てくるわけでもないので、ついつい、なかなかお墓参りも行けません。
私にとってかけがえのない存在である人は既に何人か亡くなっていますが、お墓という場所に行かなくても常にその人たちは私の中に存在しているし、まさに私の血となり肉となり、私の中で今も生きているから、それで良いじゃあないかと思ってしまいます。
★それで、昨日の報告の続き。
多治見市に行く電車の中で、区内在住の友人からメールを受け取りました。「今日、勉強会をやるから、来られるようならおいで」というメール。夜6時から9時まで、飯田橋でやるから、と。
多治見市から東京に戻ってきたのが19時30分頃だったので、勉強会に参加できるのはわずか1時間のみでしたが、「えいや」と行くことにしました。
福祉はどうしても、利用者の持っている課題を解決する方向に目が行くけれど、ちょっと視点を変えて、その人の持つ長所を見つけてそれを伸ばしていくような支援をしましょうよ、という話だった・・・のではないかと思います(^^;)・・・なんせ最後の1時間しか参加していないので、会の趣旨は半分私の憶測でしかないのですが。。
それで、参加者が多種多様だったので、それぞれがどんな思いでその日参加したのか、普段どんな活動をしているのか、自己紹介をして意見を言い合うだけでとっても時間を費やしているところに、私は途中参加したみたいでした。
汗をかきかき部屋に入っていった私を見て友人が、「あらまあ、ほんとに来たのねぇ」と言っていました
勉強会だけ参加してそのまま真面目に帰ればそんなにハードな2日間にならないはずだったのに、「まあ、1杯くらい良いじゃないの」と言われるとついついすーっとついていってしまう私は、想定外にヨレヨレになるのですね・・・。
でも1時間の参加では、どんな考えの持ち主がそこにいたのかが分からないんだから、飲むのも勉強のうちなのです。シラフでは気恥ずかしくて言えないような自分のひそかな信念を吐露できるのが飲む場の楽しさなんですねー。
保育士さんや、その他福祉に関わる人がたくさんいらっしゃって、なんだか楽しい数時間でした。
福祉に関わる人としゃべれば無条件に楽しいかというと、そうでもなくてやはり相性もあるんだと思います。この会はとても楽しかった。
今回は参加時間が短いものであまり報告できることもありませんが、またこれからも関わりを持ちたい集まりだったので、今後もボツボツ報告することがあると思います。
★そんな風に、岐阜県から帰った後に勉強をして飲んで帰って、結局12時を過ぎたくらいに家に戻ってきて、それで翌日は朝の8時から山谷でしたが、まあやろうと思えば人間、なんとかなるものです
山谷は、ブログでも何度かに分けて報告した、「あなたは当事者ではない」の集中講義の担当の先生からのご紹介で行きました。
私は、同年代の女の子と比べたら比較的、一人でも行きたいところには行けると思います。例えば喫茶店とか、牛丼屋とか、飲み屋とか・・・「行きたい」と思ったら、ひょいと一人で入って行ってしまう。
だけど、さすがに一人でひょいと山谷には行かないだろうなあと
でもずっとなんとなく気になる場所だったので、先生からの誘いを逃してしまったらまたしばらくは機会を失うと思って、これまた「えいや」と行きました。
大阪の釜ヶ崎もそうだけど、東京の山谷も、地図上にはその地名はないんですね。地域名なのかなぁ・・・。
山谷は、南千住から歩いた所にあります。
南千住、最近開発されたみたいで、違う出口に出てしまうと、こぎれいな街並みと高層マンションがある。あれ、降りるべき駅を間違えてしまったのかしらん、と思いながら・・・駅や街並みがきれいになるに従い、元々あるまちが分断されてしまう感じがあって、行き先を探すのに一苦労。
この土日に、山谷の支援をしているNPOのふるさとの会が玉姫公園という場所やるお祭りがあったのです。私が出かけたのは、その祭りのボランティアでした。
朝から、ひたすら具材を公園に運び込み、調理。
カレーライスともつ煮込み。
もつ煮込みは好きなんです。
「もつ煮込みの担当が良い人は?」と聞かれて、思わずハッと手を挙げました。
ボランティアの担当であって、食べる担当ではないんですが。。
それで、炎天下のもと、ひたすら、牛蒡をささがきにし続けました。
しかし、楽しかった。
いくら「もつ煮」が好きだからといって、自分のためだったら一心不乱に牛蒡をささがきにするだけの時間は割かないと思います。食べるのは私ではなくて、山谷で暮らす人だからこそ、できたんだと思います。そんな楽しさと。
それから、私がボランティアをやっていたのは学生時代で、社会人になってボランティア活動をするのはこれが初めてだと思いますが、その新鮮さもありました。
学生時代にやってたときは「社会を変えねばならぬ」の「ねばならぬ」が強かったのだけど、社会人から見れば仕事のほうが「ねばならぬ」だから、ボランティアはもっと自由にできる場なんですね。
それに前回のブログで書いたみたいに、私の仕事は誰からも叱ってもらえない仕事だから、ボランティアだと適度に叱ってもらえる心地よさもありました。
「牛蒡を早く切ってよ」とか、「ご飯の盛り付け方が悪い」とは、私の職場では言われないですものね(笑)
そんなわけで、山谷であるかどうか以前の問題として、お祭りの準備が、まるで遊園地に遊びに行った時のようなワクワク感を伴う楽しさでした。ボランティアって、楽しいなあ。
お祭りでは、ステージを使った出し物も用意されていたようですが、あいにく14時を過ぎると豪雨がやってきました。
それでも2時間ほどで小康状態になったので、炊き出しだけ行いました。
ステージのほうは中止だったので、山谷で暮らす人が留まって何かを見る姿をじっくりとともにできなかったのは残念でした。
山谷という地域を知るには、まだしばらく、何らかの機会を見つけて行ってみないといけないなぁと思います。
釜ヶ崎、寿町、山谷あたりは、なんだか気になる場所ですね。。
「ふぅん、山谷に行ったの?で、どうだったの?」と、私の父が珍しく、追及してきました。
「う~ん、1日ではまだ、地域全体を把握しきれた感じがしないから、機会があったらまた行ってみたいんだ」と答える私。
すると父が、「自分も若い頃は、山谷の人たちがなんだか気になって、何週間か泊り込みに行ったことがあるんだ」と言う。
おやおや、知らなかった。
6月の「あしがらさん」のイベントで来ていただいた北村年子さんがぱっと釜ヶ崎の地域に入り込んでいった様子なんかを教えていただくと「興味深いなあ」と思ってきたのですが、なんとまあ、自分の親父が似たような経験を持っていたとは・・・灯台下暗しという言葉が思い浮かんだ今日でした(^^;
「は!?一体どうして山谷に住み込んだのさ?」と聞いてみましたが、父も私と同様、「書くのは好きなんだけれど口下手」なので、口頭ではさっぱり要領を得ない・・・。
ただ、以前に山谷についての作文(?)を書いたことがあるというので、そんなものも探し出しつつ、私の「山谷の旅」は今後も続く・・・という感じです。
そんなわけでブログでもまた報告します。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
お墓に手を合わせたとき、何かを考えるものですか?
お墓に向かって近況報告をすべきなんだろうかと思いながら手を合わせるんですけど、手を合わせるとなんだか条件反射的に頭の中が空っぽになる感じがするんですが・・・。ま、無心に手を合わせるならそれでも良いか、と思いつつ・・・
お墓に行っても、「あらいらっしゃい」とお母さんが出てくるわけでもないので、ついつい、なかなかお墓参りも行けません。
私にとってかけがえのない存在である人は既に何人か亡くなっていますが、お墓という場所に行かなくても常にその人たちは私の中に存在しているし、まさに私の血となり肉となり、私の中で今も生きているから、それで良いじゃあないかと思ってしまいます。
★それで、昨日の報告の続き。
多治見市に行く電車の中で、区内在住の友人からメールを受け取りました。「今日、勉強会をやるから、来られるようならおいで」というメール。夜6時から9時まで、飯田橋でやるから、と。
多治見市から東京に戻ってきたのが19時30分頃だったので、勉強会に参加できるのはわずか1時間のみでしたが、「えいや」と行くことにしました。
福祉はどうしても、利用者の持っている課題を解決する方向に目が行くけれど、ちょっと視点を変えて、その人の持つ長所を見つけてそれを伸ばしていくような支援をしましょうよ、という話だった・・・のではないかと思います(^^;)・・・なんせ最後の1時間しか参加していないので、会の趣旨は半分私の憶測でしかないのですが。。
それで、参加者が多種多様だったので、それぞれがどんな思いでその日参加したのか、普段どんな活動をしているのか、自己紹介をして意見を言い合うだけでとっても時間を費やしているところに、私は途中参加したみたいでした。
汗をかきかき部屋に入っていった私を見て友人が、「あらまあ、ほんとに来たのねぇ」と言っていました

勉強会だけ参加してそのまま真面目に帰ればそんなにハードな2日間にならないはずだったのに、「まあ、1杯くらい良いじゃないの」と言われるとついついすーっとついていってしまう私は、想定外にヨレヨレになるのですね・・・。
でも1時間の参加では、どんな考えの持ち主がそこにいたのかが分からないんだから、飲むのも勉強のうちなのです。シラフでは気恥ずかしくて言えないような自分のひそかな信念を吐露できるのが飲む場の楽しさなんですねー。
保育士さんや、その他福祉に関わる人がたくさんいらっしゃって、なんだか楽しい数時間でした。
福祉に関わる人としゃべれば無条件に楽しいかというと、そうでもなくてやはり相性もあるんだと思います。この会はとても楽しかった。
今回は参加時間が短いものであまり報告できることもありませんが、またこれからも関わりを持ちたい集まりだったので、今後もボツボツ報告することがあると思います。
★そんな風に、岐阜県から帰った後に勉強をして飲んで帰って、結局12時を過ぎたくらいに家に戻ってきて、それで翌日は朝の8時から山谷でしたが、まあやろうと思えば人間、なんとかなるものです

山谷は、ブログでも何度かに分けて報告した、「あなたは当事者ではない」の集中講義の担当の先生からのご紹介で行きました。
私は、同年代の女の子と比べたら比較的、一人でも行きたいところには行けると思います。例えば喫茶店とか、牛丼屋とか、飲み屋とか・・・「行きたい」と思ったら、ひょいと一人で入って行ってしまう。
だけど、さすがに一人でひょいと山谷には行かないだろうなあと

でもずっとなんとなく気になる場所だったので、先生からの誘いを逃してしまったらまたしばらくは機会を失うと思って、これまた「えいや」と行きました。
大阪の釜ヶ崎もそうだけど、東京の山谷も、地図上にはその地名はないんですね。地域名なのかなぁ・・・。
山谷は、南千住から歩いた所にあります。
南千住、最近開発されたみたいで、違う出口に出てしまうと、こぎれいな街並みと高層マンションがある。あれ、降りるべき駅を間違えてしまったのかしらん、と思いながら・・・駅や街並みがきれいになるに従い、元々あるまちが分断されてしまう感じがあって、行き先を探すのに一苦労。
この土日に、山谷の支援をしているNPOのふるさとの会が玉姫公園という場所やるお祭りがあったのです。私が出かけたのは、その祭りのボランティアでした。
朝から、ひたすら具材を公園に運び込み、調理。
カレーライスともつ煮込み。
もつ煮込みは好きなんです。
「もつ煮込みの担当が良い人は?」と聞かれて、思わずハッと手を挙げました。
ボランティアの担当であって、食べる担当ではないんですが。。
それで、炎天下のもと、ひたすら、牛蒡をささがきにし続けました。
しかし、楽しかった。
いくら「もつ煮」が好きだからといって、自分のためだったら一心不乱に牛蒡をささがきにするだけの時間は割かないと思います。食べるのは私ではなくて、山谷で暮らす人だからこそ、できたんだと思います。そんな楽しさと。
それから、私がボランティアをやっていたのは学生時代で、社会人になってボランティア活動をするのはこれが初めてだと思いますが、その新鮮さもありました。
学生時代にやってたときは「社会を変えねばならぬ」の「ねばならぬ」が強かったのだけど、社会人から見れば仕事のほうが「ねばならぬ」だから、ボランティアはもっと自由にできる場なんですね。
それに前回のブログで書いたみたいに、私の仕事は誰からも叱ってもらえない仕事だから、ボランティアだと適度に叱ってもらえる心地よさもありました。
「牛蒡を早く切ってよ」とか、「ご飯の盛り付け方が悪い」とは、私の職場では言われないですものね(笑)
そんなわけで、山谷であるかどうか以前の問題として、お祭りの準備が、まるで遊園地に遊びに行った時のようなワクワク感を伴う楽しさでした。ボランティアって、楽しいなあ。
お祭りでは、ステージを使った出し物も用意されていたようですが、あいにく14時を過ぎると豪雨がやってきました。
それでも2時間ほどで小康状態になったので、炊き出しだけ行いました。
ステージのほうは中止だったので、山谷で暮らす人が留まって何かを見る姿をじっくりとともにできなかったのは残念でした。
山谷という地域を知るには、まだしばらく、何らかの機会を見つけて行ってみないといけないなぁと思います。
釜ヶ崎、寿町、山谷あたりは、なんだか気になる場所ですね。。
「ふぅん、山谷に行ったの?で、どうだったの?」と、私の父が珍しく、追及してきました。
「う~ん、1日ではまだ、地域全体を把握しきれた感じがしないから、機会があったらまた行ってみたいんだ」と答える私。
すると父が、「自分も若い頃は、山谷の人たちがなんだか気になって、何週間か泊り込みに行ったことがあるんだ」と言う。
おやおや、知らなかった。
6月の「あしがらさん」のイベントで来ていただいた北村年子さんがぱっと釜ヶ崎の地域に入り込んでいった様子なんかを教えていただくと「興味深いなあ」と思ってきたのですが、なんとまあ、自分の親父が似たような経験を持っていたとは・・・灯台下暗しという言葉が思い浮かんだ今日でした(^^;
「は!?一体どうして山谷に住み込んだのさ?」と聞いてみましたが、父も私と同様、「書くのは好きなんだけれど口下手」なので、口頭ではさっぱり要領を得ない・・・。
ただ、以前に山谷についての作文(?)を書いたことがあるというので、そんなものも探し出しつつ、私の「山谷の旅」は今後も続く・・・という感じです。
そんなわけでブログでもまた報告します。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
★多治見市の視察 ★キツネ狩りの歌 ★保育園の委託のこと
この金曜土曜は、まるで若い学生さんのような無謀な行動計画を立ててしまいました・・・。立てた時点で「ちょっと大変そうかも」と思っていたのですが、実際やってみたら鼻血が出そうでした。。というわけで、この2日の活動だけで2,3回に分けたブログを書かなくてはならなくなりました。
①金曜日は岐阜県多治見市に日帰りで視察に行き、②その帰りがけに飯田橋で子ども関係の勉強会に行き、③土曜日(今日)は朝8時から山谷でボランティア・・・。
日頃の運動不足か、気持ちよりも実年齢が老けてきたのか、よれよれです。さっき、家の前にたどり着いた時、「ああ、生還した・・・」と思いました(^^;
★多治見市の視察
というわけで、今日のブログは多治見市の視察に絞って書きます。
昨年春に初当選した「1年生議員」のうちの有志8人で、岐阜県多治見市に視察に行きました。
練馬区は今、「基本構想」の見直しをしていますが、その「基本構想」について見るためです。
基本構想のことは私のブログでも何度も書いていますが、これは地方自治法という法律で決められたもので、自治体が必ず作らなくてはいけないもの。
先々、どんな自治体を目指したいか、目標を掲げておくものです。
その「基本構想」を実現するために、長期計画だとか、個別の計画が立てられていきます。
私がNPO時代に関わっていた新宿区は「20年後の新宿区」を想定した基本構想を作り、練馬区では「10年後の練馬区」を想定した基本構想をまさに今作ろうとしている。
でもこの基本構想、一番大きな目標である分、たとえば「みどりの多いまちを目指す」など、どうしても漠然としたものになりがち。
どうしたらよりよい、役立つ基本構想にできるのか、ということで見に行ったのが多治見市でした。
多治見市は、基本構想の期間を8年間にしていて、見直しのタイミングを市長選に合わせている。市長のマニフェストと基本構想を関連付けて考えている。そして、基本構想の下にある、もう少し具体的な「基本計画」の中身についても議会の議決を通すものと位置づけて、そのときそのときの思いつきで市政の方向性が勝手に変えられてしまわないような工夫もしている。
そうしたことは、市民参加条例、市政基本条例というもので定めている。
なるほど、市民に見えやすいしくみを作ることによって、変えられる部分はたくさんあるんだなぁと思いました。
でも、同時に感じたのは、しくみを作ることと同時に、関わる人の意識改革をしなくてはいけないんだろうなということ。どんなに良いしくみを作っても、それを運用する人の価値観に左右される部分ってあるんだろうなと思うのです。
市民目線の価値観をどうやって市政・区政で実現していくのかということが、とっても難しいのだと思います。
というのも、大学院で「事業の評価」に関する授業をとったときに、講師の先生が、「練馬区という自治体は比較的きっちり事業評価のしくみが整っていると思います」とおっしゃったのです。その先生は私が練馬区で働いていることは知らずにしゃべっていたので、掛け値なしにそう思っておっしゃったんでしょうね。
それで、その先生の言葉を聞いて、そして私のこの1年ちょっとの色々な思いと重ね合わせてみて、「あぁ・・・どんなにしくみが整っていても、『誰のために、何のためにやるのか』という根本的な価値観が、市民目線から離れてしまっていたら意味が無いなぁ」としみじみ思ったのでした。
だから、たしかに多治見市は画期的だなあと思いつつ、それを練馬区に取り入れるためには・・・と考えていくと、色々と、心の中で糸がこんがらがってきて、ちょっと遠い目をしてしまいました

(視察に行ったメンバーと、多治見市の職員さん。
・・・ブログに貼り付けようと思ってしみじみ写真を見たら、倉田れいかさんが私よりもだいぶ背丈が大きいことに初めて気づいて、ハッとびっくりしました 笑)
★キツネ狩りの歌
多治見市は昨年の今日、40.9度もの気温になった市だそうですが、昨日は多治見市ではなくても暑かったですね・・・。
新幹線に乗るために朝7時頃に自宅から駅まで自転車をこいでいましたが、すでにかなり暑くて、北園の交差点あたりで頭が朦朧とし、ぼんやりした頭の中にわが身の来し方行く末が走馬灯のように駆け巡りました。。
議員になってからのこの1年強、職員さんや他の議員さん、友人知人や区民の方々に言われたいろんな言葉が頭に思い浮かびました。
そしてしみじみ思いました。
28歳で他の仕事をしていれば、いつも上司に叱られているでしょう。
・・・ちなみに、怒る上司が必ずしも正しいわけではないだろうと、福祉の仕事をしている時には思っていましたが(^^;)、でも、議員という仕事は叱ってくれる人が全然いない仕事なのですね。
例えば議会でトンチンカンな質問をしても、そこにいる誰もが「あぁ、加藤木さんってなんてトンチンカンなんだろうか」と思っても顔には出さないんですねぇ。。それは優しさのように見えて、実はとても孤独な世界だなあと思います。
それで、議会が近づくと、私の頭の中には中島みゆきの「キツネ狩りの歌」という歌の歌詞が浮かびます・・・
20代で議員でいることって、やっぱり気をつけないといけないことがいっぱいあるんだろうなと、なんだか急に、北園の交差点で信号待ちをしていたら、ふと頭に浮かんだのでした。。
★保育園の委託のこと
冒頭で②、③と書いた活動の内容については次回以降に書きますが、この②,③ではたくさんの福祉関係の人にお会いしました。新たな出会いがあってとても楽しかったのですが・・・私は最近は自己紹介をするときに、「私は元々介護の仕事をしていて、福祉の状況を変えたくて議員になったのだけれど、議員1年目で一番気になったのは保育園の民間委託のことで、それに関連して大学院に通っています」と言っています。
そんな自己紹介をすると、結構、「あぁ、練馬区の保育園の民間委託がひどいという話は聞いてますよ」と声をかけられます
「私の住む自治体でも、“民間委託の失敗事例”として練馬区の勉強をしました」とおっしゃった方もいたなぁ・・・(苦笑)
私も、練馬区の民間委託の進め方はひどいと散々書いたり言ったりしてきたけれど、そんな立場の私でもさすがに他の自治体に住んでいる福祉関係者からまで「練馬区はひどいって知ってますよ」と言われるとちょっと悲しい気分になりますね・・・
・・・「失敗から学ぶ」ということもあるでしょう。
いっそのこと、「失敗を繰り返さないために」という視点で新たな道を探る先駆者になれたらいいのになと思いますね。
私が議員になってみて、いろんな部分で問題に感じるのは、練馬区の姿勢が、失敗から学ぶのではなくて失敗にフタをするところだと思います。
議会で追及されてもあさっての方向を向いた答弁をしてなんとか切り抜けてこれからも委託を進めていくとしたら、「あぁ、失敗事例の練馬区ね」とたくさんの人から言われるようになっていくんでしょうね。すでにその評判がじわじわと広がっていることを感じます。
内部事情にしか目が向かず、社会全体からどう見られているのか、将来的にどうなのか、考えられない政治って、「政治」と呼んで良いんでしょうかね。
でも、それを恥ずかしいとも思わないのが、今の練馬区政の方向性なのかもしれませんね。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
①金曜日は岐阜県多治見市に日帰りで視察に行き、②その帰りがけに飯田橋で子ども関係の勉強会に行き、③土曜日(今日)は朝8時から山谷でボランティア・・・。
日頃の運動不足か、気持ちよりも実年齢が老けてきたのか、よれよれです。さっき、家の前にたどり着いた時、「ああ、生還した・・・」と思いました(^^;
★多治見市の視察
というわけで、今日のブログは多治見市の視察に絞って書きます。
昨年春に初当選した「1年生議員」のうちの有志8人で、岐阜県多治見市に視察に行きました。
練馬区は今、「基本構想」の見直しをしていますが、その「基本構想」について見るためです。
基本構想のことは私のブログでも何度も書いていますが、これは地方自治法という法律で決められたもので、自治体が必ず作らなくてはいけないもの。
先々、どんな自治体を目指したいか、目標を掲げておくものです。
その「基本構想」を実現するために、長期計画だとか、個別の計画が立てられていきます。
私がNPO時代に関わっていた新宿区は「20年後の新宿区」を想定した基本構想を作り、練馬区では「10年後の練馬区」を想定した基本構想をまさに今作ろうとしている。
でもこの基本構想、一番大きな目標である分、たとえば「みどりの多いまちを目指す」など、どうしても漠然としたものになりがち。
どうしたらよりよい、役立つ基本構想にできるのか、ということで見に行ったのが多治見市でした。
多治見市は、基本構想の期間を8年間にしていて、見直しのタイミングを市長選に合わせている。市長のマニフェストと基本構想を関連付けて考えている。そして、基本構想の下にある、もう少し具体的な「基本計画」の中身についても議会の議決を通すものと位置づけて、そのときそのときの思いつきで市政の方向性が勝手に変えられてしまわないような工夫もしている。
そうしたことは、市民参加条例、市政基本条例というもので定めている。
なるほど、市民に見えやすいしくみを作ることによって、変えられる部分はたくさんあるんだなぁと思いました。
でも、同時に感じたのは、しくみを作ることと同時に、関わる人の意識改革をしなくてはいけないんだろうなということ。どんなに良いしくみを作っても、それを運用する人の価値観に左右される部分ってあるんだろうなと思うのです。
市民目線の価値観をどうやって市政・区政で実現していくのかということが、とっても難しいのだと思います。
というのも、大学院で「事業の評価」に関する授業をとったときに、講師の先生が、「練馬区という自治体は比較的きっちり事業評価のしくみが整っていると思います」とおっしゃったのです。その先生は私が練馬区で働いていることは知らずにしゃべっていたので、掛け値なしにそう思っておっしゃったんでしょうね。
それで、その先生の言葉を聞いて、そして私のこの1年ちょっとの色々な思いと重ね合わせてみて、「あぁ・・・どんなにしくみが整っていても、『誰のために、何のためにやるのか』という根本的な価値観が、市民目線から離れてしまっていたら意味が無いなぁ」としみじみ思ったのでした。
だから、たしかに多治見市は画期的だなあと思いつつ、それを練馬区に取り入れるためには・・・と考えていくと、色々と、心の中で糸がこんがらがってきて、ちょっと遠い目をしてしまいました


(視察に行ったメンバーと、多治見市の職員さん。
・・・ブログに貼り付けようと思ってしみじみ写真を見たら、倉田れいかさんが私よりもだいぶ背丈が大きいことに初めて気づいて、ハッとびっくりしました 笑)
★キツネ狩りの歌
多治見市は昨年の今日、40.9度もの気温になった市だそうですが、昨日は多治見市ではなくても暑かったですね・・・。
新幹線に乗るために朝7時頃に自宅から駅まで自転車をこいでいましたが、すでにかなり暑くて、北園の交差点あたりで頭が朦朧とし、ぼんやりした頭の中にわが身の来し方行く末が走馬灯のように駆け巡りました。。
議員になってからのこの1年強、職員さんや他の議員さん、友人知人や区民の方々に言われたいろんな言葉が頭に思い浮かびました。
そしてしみじみ思いました。
28歳で他の仕事をしていれば、いつも上司に叱られているでしょう。
・・・ちなみに、怒る上司が必ずしも正しいわけではないだろうと、福祉の仕事をしている時には思っていましたが(^^;)、でも、議員という仕事は叱ってくれる人が全然いない仕事なのですね。
例えば議会でトンチンカンな質問をしても、そこにいる誰もが「あぁ、加藤木さんってなんてトンチンカンなんだろうか」と思っても顔には出さないんですねぇ。。それは優しさのように見えて、実はとても孤独な世界だなあと思います。
それで、議会が近づくと、私の頭の中には中島みゆきの「キツネ狩りの歌」という歌の歌詞が浮かびます・・・

20代で議員でいることって、やっぱり気をつけないといけないことがいっぱいあるんだろうなと、なんだか急に、北園の交差点で信号待ちをしていたら、ふと頭に浮かんだのでした。。
★保育園の委託のこと
冒頭で②、③と書いた活動の内容については次回以降に書きますが、この②,③ではたくさんの福祉関係の人にお会いしました。新たな出会いがあってとても楽しかったのですが・・・私は最近は自己紹介をするときに、「私は元々介護の仕事をしていて、福祉の状況を変えたくて議員になったのだけれど、議員1年目で一番気になったのは保育園の民間委託のことで、それに関連して大学院に通っています」と言っています。
そんな自己紹介をすると、結構、「あぁ、練馬区の保育園の民間委託がひどいという話は聞いてますよ」と声をかけられます

「私の住む自治体でも、“民間委託の失敗事例”として練馬区の勉強をしました」とおっしゃった方もいたなぁ・・・(苦笑)
私も、練馬区の民間委託の進め方はひどいと散々書いたり言ったりしてきたけれど、そんな立場の私でもさすがに他の自治体に住んでいる福祉関係者からまで「練馬区はひどいって知ってますよ」と言われるとちょっと悲しい気分になりますね・・・

・・・「失敗から学ぶ」ということもあるでしょう。
いっそのこと、「失敗を繰り返さないために」という視点で新たな道を探る先駆者になれたらいいのになと思いますね。
私が議員になってみて、いろんな部分で問題に感じるのは、練馬区の姿勢が、失敗から学ぶのではなくて失敗にフタをするところだと思います。
議会で追及されてもあさっての方向を向いた答弁をしてなんとか切り抜けてこれからも委託を進めていくとしたら、「あぁ、失敗事例の練馬区ね」とたくさんの人から言われるようになっていくんでしょうね。すでにその評判がじわじわと広がっていることを感じます。
内部事情にしか目が向かず、社会全体からどう見られているのか、将来的にどうなのか、考えられない政治って、「政治」と呼んで良いんでしょうかね。
でも、それを恥ずかしいとも思わないのが、今の練馬区政の方向性なのかもしれませんね。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
ただいま
今日の夕方、区内に戻ってきました。
長野では、議会活動レポートをお送りする方の名簿整理をして、来週の月曜日から配るチラシを作って、ひとつだけ残っていた大学院のレポートを終え、そしてようやく環境まちづくり委員会に関連する資料を読み始めて時折Zzz・・・みたいな4日間を過ごしてきました。
関東から、私の叔父(=和力の朗さんのお父さん)と私の父と、私の3人で出かけたのですが、ふと今になって振り返ってみたら、猫と犬の写真ばっかり撮っていて、人間の写真が1枚もない・・・。

(注釈:おぉ、この姿は、休みの日に家で、テレビを見ながらゴロゴロしているお父ちゃんのような姿だ・・・と撮影。足の裏が鮮明。)
日々、一人くよくよ悩んでいるいろんなことも、まあ良いさ、ぼちぼち、経験とともに解決していこう・・・とゆったり考えることができたのは、長野のおいしい空気のおかげか、一緒にのほほんと過ごした叔父や父のおかげか・・・。
もう少しのーんびり、生きていきましょう、というのを、東京でもできたら良いのになとしみじみ思いました。
たまには遠くでのんびりしてみるのも良いですね。
さて、明日からは私は仕事に復帰します!
※かとうぎ桜子のHPはこちら
長野では、議会活動レポートをお送りする方の名簿整理をして、来週の月曜日から配るチラシを作って、ひとつだけ残っていた大学院のレポートを終え、そしてようやく環境まちづくり委員会に関連する資料を読み始めて時折Zzz・・・みたいな4日間を過ごしてきました。
関東から、私の叔父(=和力の朗さんのお父さん)と私の父と、私の3人で出かけたのですが、ふと今になって振り返ってみたら、猫と犬の写真ばっかり撮っていて、人間の写真が1枚もない・・・。

(注釈:おぉ、この姿は、休みの日に家で、テレビを見ながらゴロゴロしているお父ちゃんのような姿だ・・・と撮影。足の裏が鮮明。)
日々、一人くよくよ悩んでいるいろんなことも、まあ良いさ、ぼちぼち、経験とともに解決していこう・・・とゆったり考えることができたのは、長野のおいしい空気のおかげか、一緒にのほほんと過ごした叔父や父のおかげか・・・。
もう少しのーんびり、生きていきましょう、というのを、東京でもできたら良いのになとしみじみ思いました。
たまには遠くでのんびりしてみるのも良いですね。
さて、明日からは私は仕事に復帰します!
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長野から(その2)
長野での夏休み
少し久しぶりにブログを更新します。
昨日から、長野県の阿智村というところにある、私の親戚の家に来ています。(和力をやっている加藤木朗さんの家です)
練馬には、13日に帰ります。これが、今年の私の夏休み。
阿智村の家には、猫が4匹と犬が1匹います。私は今回初めてお邪魔したのですが、猫をたっぷり眺めて数日間を過ごしたいという願望から、出かけたのです。
2年ほど前にうちの猫が死んでしまってから、今は私は何も飼っていませんが、私が28年間生きたうちの18年間は猫を飼っていたので、なんとなく何も動物がいないのは物足りないのです。
さて、昨日、私の、「ふだんのくらしのしあわせを」というシールの貼ってある車をひいこらひいこらと運転して、遠い道のりを走って夜に阿智村に到着。
暗がりに到着した、見知らぬ客に、猫と犬は警戒心たっぷり。
「ふむ、あんた、見かけない顔だけど、どこの者?」という声が聞こえてきそうな顔で、5匹に迎えられて、肩身の狭い思いをしました。。



それでも、1日うろついている私を見れば、「まあどうやら、こいつは、しばらくここにいるらしい」と判断してくれたらしく、そこそこの「もてなし」。


(昼寝中)

さて、あと数日、長野からひたすら猫中継をすることになるかもしれません。。
・・・とはいえ、ちゃんと、医療関係の本と、環境まちづくり委員会に関する本やファイルをどっさりと抱えて持ってきましたから、良い空気を吸いながら、勉強したいと思います。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
昨日から、長野県の阿智村というところにある、私の親戚の家に来ています。(和力をやっている加藤木朗さんの家です)
練馬には、13日に帰ります。これが、今年の私の夏休み。
阿智村の家には、猫が4匹と犬が1匹います。私は今回初めてお邪魔したのですが、猫をたっぷり眺めて数日間を過ごしたいという願望から、出かけたのです。
2年ほど前にうちの猫が死んでしまってから、今は私は何も飼っていませんが、私が28年間生きたうちの18年間は猫を飼っていたので、なんとなく何も動物がいないのは物足りないのです。
さて、昨日、私の、「ふだんのくらしのしあわせを」というシールの貼ってある車をひいこらひいこらと運転して、遠い道のりを走って夜に阿智村に到着。
暗がりに到着した、見知らぬ客に、猫と犬は警戒心たっぷり。
「ふむ、あんた、見かけない顔だけど、どこの者?」という声が聞こえてきそうな顔で、5匹に迎えられて、肩身の狭い思いをしました。。



それでも、1日うろついている私を見れば、「まあどうやら、こいつは、しばらくここにいるらしい」と判断してくれたらしく、そこそこの「もてなし」。


(昼寝中)

さて、あと数日、長野からひたすら猫中継をすることになるかもしれません。。
・・・とはいえ、ちゃんと、医療関係の本と、環境まちづくり委員会に関する本やファイルをどっさりと抱えて持ってきましたから、良い空気を吸いながら、勉強したいと思います。
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★「あなたは当事者ではない」その3 ★「また会いましょう」
★「あなたは当事者ではない」その3
さてさて、3部構成になっているこの本の第3部は、当事者と研究者がかかわっていく時に背後に現れてくる、場所の共有、時間の共有、文化の違い、そんな中でどう関係を作っていくか、ということが書かれています。
前のブログで、私が母の看病をする中で色々と感じてきたこと、「当事者としての私」というのを書きましたが、一方で人生の中ではむしろ、「当事者じゃないでしょ」を言われる回数が多かった。
例えば大学生の頃は国文学を専攻していたんだけれど、一方でハンセン病の支援や手話の勉強をしていました。
そういうときによく、「あなたは福祉の勉強もしていないし、そんなに若いのになんでこんなところに来たの?」と言われました。
でも、当事者の人は、「ほんとは全然関係ないと思っちゃってもおかしくないのに来てくれて嬉しいわ」というニュアンスだったんだけれど、逆にもっと昔から関わっている非当事者の人が「なんであなたみたいな人が来るのさ」というニュアンスで言うことが多かったんですね。
それでも今は、そんなこと関係ないじゃないかと思えるようになった・・・と、これまた以前のブログで書きましたが、こう思えるようになったのは、なんだかんだでちょこっとずつでもいろんな問題に関わり始めてもう8年になるという自分の中の強みなんだと思います。ほんとに、最初の2,3年は嫌な気分になることが多かったなぁと思います。
私の場合は、何を始めるにもまずは一人から始めていて、同年代で同じ思いを持つ人となかなか知り合える機会がなかったという大変さもあったんだとは思いますが。
ハンセン病の支援の集まりに行っても、そこに参加している当事者と支援者は、そこにずっといた人にしか分からない地名・人名・言葉遣いで話すんですね。ひとつのコミュニティが完成しているからでしょう。
でも、何か関わりたいと思ってふっと行った私には、何だかさっぱり分からない。
2001年、ハンセン病の裁判について、当時の小泉首相が控訴断念を決めるか決めないかというとき、ニュースを見て心に何かを感じたのであろうたくさんの人が、国会の周辺まで来ていました。
何かを思うだけじゃなくて、実際に来ちゃう人って案外世の中にいっぱいいるんだなあと思いながら、私もその場にいたんですが。
だけど、あの時の思いをそのまま持続してずっと支援に関わり続けた人がどれだけ残ったかというと、どうなんでしょう。
当事者と、非当事者とはいえ支援者として関わってきた人の間で作られてしまっているコミュニティに新たに飛び込むところまでできた、新・非当事者がどれだけいたかというと、どうなのかな、と。
これはハンセン病に限ったことではないのだけど、当事者・非当事者の間で一定の信頼関係ができたときに、さらにその外側にいる「部外者」を排除していく、非当事者の中でさらに階層が分かれていく、という難しさを感じます。
(ちなみにハンセン病に関しては、今は、まだハンセン病患者の多い国に対する国際支援の観点から大学生がたくさん関わっていて、2001年頃とは違う形でまた新しい力になっているんだろうと思います。)
この本にも「同じ体験を当事者の中だけでとしていたら、当事者が感じていることは当事者以外の人には伝わらない」という言葉が出てきます。
だから、当事者と非当事者の間をつなぐ人、さらに社会全体につなげる人も必要なんだろうということを感じていたのです。
でも、今の私は、例えば他の方から、「加藤木さんは福祉が分かって良いね。僕にはさっぱり分からないから・・・」と言われることがあるけれど、それは私が2001年頃に感じていたことを逆に言われる側になってしまっていることだなあとも思います。
議会の中でも、ついつい福祉のほうに関心が行ってしまうけど、それをより多くの人に開いていくことを工夫していかないと、かつて私が感じた疎外感を、ほかの人にも味わわせてしまうことになってしまいますね。気をつけなくてはいけないと思います。
まあ、そんなところでこの本のお話は終了にします。
★「また会いましょう」
関連して、ふと、思い出した話。
ずっと前に、工藤由貴子さんという、国際長寿センターというところで活動されている方が高齢者のことに関連して言っていたことです。
「また会いましょうね」という言葉を高齢者が使う、その重みについてです。
「変装―私は3年間老人だった」という本があるんだそうです。外国の26歳の女性が、高齢者の研究をするために、自ら変装して80歳の老婆として社会生活をしてみる。
その中で社会から受ける扱い、疎外感、でもときにほっとする思いを味わう。
あるとき知り合った老人と、しばらくお話をして楽しい時間を過ごす。
「また、来週のこの時間、ここで会いましょう」と約束をするようになる。
次の週も約束どおり会って、「またもう一度、会いましょうね」と約束をする。
だけど次の週に、その老人はやって来ない。
その人の身に、何か起きたんだろうかと思うけど、どうすることもできない。
高齢者は日々、そんな喪失感を持ちながら生きているんだろうかと、変装をしている26歳の女性は思う。
工藤さんはそれを読んで、そして自分の身近にいる高齢者の中にもいつも「また会いましょうね」と言ってくださる方がいることを思い出したのだそうで。そして、高齢者が「また会いましょう」というときに、どれだけの深い思いがそこに込められているのだろうか、と思いを馳せたという話でした。
でも、ほんとはそれは、高齢者だけではなくて、生きている私達皆に共通することなんではないかなと、私は思います。
私の母が亡くなったとき、母の学生時代の友達がたくさん来て、「いつかまた会えると思っていたのに」と嘆いていました。
それでも、もう10年も20年も会っていなかった人も多かったんです。
ずーっと会っていなくても、結果的に二度と再会することが無くても、でも「どこかで元気で生きているんだろう」と思うことで、なんとなく寂しくない、というのって、あるんだろうなとそのとき思ったんです。
人間、生きている限り、どこかで「これからも永遠に生き続ける」と思ってしまうものなのかもしれません。今日と同じ日が、明日も必ず来ると、どこかで信じているのかもしれません。信じられるから、なんとか毎日生きていけるのかもしれない。
でも、母の一件があって以来私は、誰と会っても、別れ際に言う「また今度会おうね」の言葉の中に、「本当に、いつかまた会えますように。」という祈りを込めて言うようになりました。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
さてさて、3部構成になっているこの本の第3部は、当事者と研究者がかかわっていく時に背後に現れてくる、場所の共有、時間の共有、文化の違い、そんな中でどう関係を作っていくか、ということが書かれています。
前のブログで、私が母の看病をする中で色々と感じてきたこと、「当事者としての私」というのを書きましたが、一方で人生の中ではむしろ、「当事者じゃないでしょ」を言われる回数が多かった。
例えば大学生の頃は国文学を専攻していたんだけれど、一方でハンセン病の支援や手話の勉強をしていました。
そういうときによく、「あなたは福祉の勉強もしていないし、そんなに若いのになんでこんなところに来たの?」と言われました。
でも、当事者の人は、「ほんとは全然関係ないと思っちゃってもおかしくないのに来てくれて嬉しいわ」というニュアンスだったんだけれど、逆にもっと昔から関わっている非当事者の人が「なんであなたみたいな人が来るのさ」というニュアンスで言うことが多かったんですね。
それでも今は、そんなこと関係ないじゃないかと思えるようになった・・・と、これまた以前のブログで書きましたが、こう思えるようになったのは、なんだかんだでちょこっとずつでもいろんな問題に関わり始めてもう8年になるという自分の中の強みなんだと思います。ほんとに、最初の2,3年は嫌な気分になることが多かったなぁと思います。
私の場合は、何を始めるにもまずは一人から始めていて、同年代で同じ思いを持つ人となかなか知り合える機会がなかったという大変さもあったんだとは思いますが。
ハンセン病の支援の集まりに行っても、そこに参加している当事者と支援者は、そこにずっといた人にしか分からない地名・人名・言葉遣いで話すんですね。ひとつのコミュニティが完成しているからでしょう。
でも、何か関わりたいと思ってふっと行った私には、何だかさっぱり分からない。
2001年、ハンセン病の裁判について、当時の小泉首相が控訴断念を決めるか決めないかというとき、ニュースを見て心に何かを感じたのであろうたくさんの人が、国会の周辺まで来ていました。
何かを思うだけじゃなくて、実際に来ちゃう人って案外世の中にいっぱいいるんだなあと思いながら、私もその場にいたんですが。
だけど、あの時の思いをそのまま持続してずっと支援に関わり続けた人がどれだけ残ったかというと、どうなんでしょう。
当事者と、非当事者とはいえ支援者として関わってきた人の間で作られてしまっているコミュニティに新たに飛び込むところまでできた、新・非当事者がどれだけいたかというと、どうなのかな、と。
これはハンセン病に限ったことではないのだけど、当事者・非当事者の間で一定の信頼関係ができたときに、さらにその外側にいる「部外者」を排除していく、非当事者の中でさらに階層が分かれていく、という難しさを感じます。
(ちなみにハンセン病に関しては、今は、まだハンセン病患者の多い国に対する国際支援の観点から大学生がたくさん関わっていて、2001年頃とは違う形でまた新しい力になっているんだろうと思います。)
この本にも「同じ体験を当事者の中だけでとしていたら、当事者が感じていることは当事者以外の人には伝わらない」という言葉が出てきます。
だから、当事者と非当事者の間をつなぐ人、さらに社会全体につなげる人も必要なんだろうということを感じていたのです。
でも、今の私は、例えば他の方から、「加藤木さんは福祉が分かって良いね。僕にはさっぱり分からないから・・・」と言われることがあるけれど、それは私が2001年頃に感じていたことを逆に言われる側になってしまっていることだなあとも思います。
議会の中でも、ついつい福祉のほうに関心が行ってしまうけど、それをより多くの人に開いていくことを工夫していかないと、かつて私が感じた疎外感を、ほかの人にも味わわせてしまうことになってしまいますね。気をつけなくてはいけないと思います。
まあ、そんなところでこの本のお話は終了にします。
★「また会いましょう」
関連して、ふと、思い出した話。
ずっと前に、工藤由貴子さんという、国際長寿センターというところで活動されている方が高齢者のことに関連して言っていたことです。
「また会いましょうね」という言葉を高齢者が使う、その重みについてです。
「変装―私は3年間老人だった」という本があるんだそうです。外国の26歳の女性が、高齢者の研究をするために、自ら変装して80歳の老婆として社会生活をしてみる。
その中で社会から受ける扱い、疎外感、でもときにほっとする思いを味わう。
あるとき知り合った老人と、しばらくお話をして楽しい時間を過ごす。
「また、来週のこの時間、ここで会いましょう」と約束をするようになる。
次の週も約束どおり会って、「またもう一度、会いましょうね」と約束をする。
だけど次の週に、その老人はやって来ない。
その人の身に、何か起きたんだろうかと思うけど、どうすることもできない。
高齢者は日々、そんな喪失感を持ちながら生きているんだろうかと、変装をしている26歳の女性は思う。
工藤さんはそれを読んで、そして自分の身近にいる高齢者の中にもいつも「また会いましょうね」と言ってくださる方がいることを思い出したのだそうで。そして、高齢者が「また会いましょう」というときに、どれだけの深い思いがそこに込められているのだろうか、と思いを馳せたという話でした。
でも、ほんとはそれは、高齢者だけではなくて、生きている私達皆に共通することなんではないかなと、私は思います。
私の母が亡くなったとき、母の学生時代の友達がたくさん来て、「いつかまた会えると思っていたのに」と嘆いていました。
それでも、もう10年も20年も会っていなかった人も多かったんです。
ずーっと会っていなくても、結果的に二度と再会することが無くても、でも「どこかで元気で生きているんだろう」と思うことで、なんとなく寂しくない、というのって、あるんだろうなとそのとき思ったんです。
人間、生きている限り、どこかで「これからも永遠に生き続ける」と思ってしまうものなのかもしれません。今日と同じ日が、明日も必ず来ると、どこかで信じているのかもしれません。信じられるから、なんとか毎日生きていけるのかもしれない。
でも、母の一件があって以来私は、誰と会っても、別れ際に言う「また今度会おうね」の言葉の中に、「本当に、いつかまた会えますように。」という祈りを込めて言うようになりました。
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★「あなたは当事者ではない」その② ★盆踊りの挨拶
★「あなたは当事者ではない」その②
この本は3部構成になっていて、第1部は前回書いた、研究者が非当事者である場合。「あなたは当事者ではないでしょ」と言われてしまう場合の例でした。
で、今日は第2部のことを書きましょう。
第2部は、研究者側が当事者の場合。
例えば、自分自身が病気を持っていて、その病気についての研究をする人。
研究者として、思春期の子ども達を観察していたつもりが、いつのまにか自分が子ども達に観察されていた、という、当事者と非当事者の逆転が起こった人など・・・。
ところで、私は保育園の民間委託のことを研究するために大学院に行っているんですが、この問題は、私は当事者でしょうか、非当事者でしょうか。
私は保護者ではないでしょう。
子どもでもないでしょう(笑)
一応保育士の資格は持っているけど、働いてはいないでしょう。
そういう意味では当事者ではないんだけど、でも、区立保育園の民間委託に少なからず仕事として関わっているっていう意味では、どうなのかしらん。
それに、基本的に私は普段は感情の起伏がそんなにないと思っているのだけれど、そんな私が近年まれに見るほど腹が立ったという意味では、当事者ではないと言い切れなくもないような・・・。
しみじみ、当事者と非当事者の境界線は曖昧です。
そこで、本の中に出てくるのが、「2.5人称の視点」ということ。
1人称になって「私」になってしまえば近づきすぎる。
だからといって3人称で「彼ら」の話になってしまったら、離れすぎて実像が見えなくなる。
その間の程好い距離をとることが、研究には必要なのではないかということ。
これは、研究だけではなくて、福祉の仕事でも議員の仕事でも、人と関わる仕事には言えることなんだと思います。
区民の声を聞き取るために出かけた場で、「じゃあ加藤木さんはどう考えるの?」と、当事者・非当事者の立場が逆転するということも、議員の仕事でもありますしね・・・。
それで、第3部では、じゃあ当事者と非当事者の関係とはどういうものなのか、ということが書かれています。
これはまた次回に・・・。
★盆踊りの挨拶
さて、昨日でとうとう、学校が終わりました。
福祉の人材確保について、同級生から何か新しい知恵を貰おうと思ったのですが、妙案は出ませんでした(^^;
ただ、やはり私が思ったように、都道府県の福祉人材センターが社会福祉事業法上に位置づけられた平成4年の後に、社会全体の景気が悪くなって、そんなに人材に困らないようになって、人材を育てていく基盤整備ができないまま今に至るということが分かりました。
今、もう一度平成4年頃の状況に戻って分析して、建て直しができるかどうか・・・ですねぇ。。
授業で発表をするにあたっては、事前にちゃんと話す順序をシミュレーションして行ったんですが、やっぱりしゃべるのはボソボソしてしまいました・・・。
終了後に皆で懇親会をしたのですが、先生が「どうしてシラフの加藤木さんはボソボソしゃべるんだろうねぇ・・・」としみじみおっしゃいました。しくしく。
レポートがすべて無事終了した開放感で、思わず懇親会ではおかしいほどたくさん飲んだので、今日はかなりヨレヨレでしたが、毎年恒例の子ども議会を傍聴し、夜は私の事務所の並びにある妙延寺で行われていた盆踊りに行きました。
議会とか授業とか、考え考えしゃべらないといけない時は、普段以上にボソボソしゃべっちゃうんですね。普段のなんでもない会話よりも1オクターブくらい下がってしまう。かといって事前に原稿を作っておいてしゃべるんじゃ棒読みになりそうだし、そうはいっても打てば響くように早い回転をする頭を持っていないので、考えてしゃべると、ダメなんですね。。
で、駅でマイクを使ってしゃべるのは、比較的慣れてきたので、普段の声のトーンでしゃべれるんです。でもそれでもまだボソボソしているらしい・・・。「もっと声を出して!」という掛け声をかけていただくことがしばしば。
ということは、マイクでしゃべる時は普段の声よりさらに1オクターブくらい上げないといけないんではないかと、先週のお祭りのときにふと思いまして。つまり、議会でしゃべる時とお祭りでは、2オクターブの差が出ることになりますね。(・・・議会でももっと大声を出せば良いんですが。)
今日のお祭り、とっても盛況。
他の議員さんもたくさんいらしていたので、マイクが回ってくるまでの間、心の中で、「よーし、がんばっていこうぜ、声出していこうぜ。1オクターブ上げるぞ。ドレミファソラシド」と自分で自分を鼓舞していました。。
で、マイクが回ってきたので、よっし、行くぞ、と思いつつ「こんばんは!」と、自分にできる最大限の明るい声を出したつもり・・・なんですが
で、こんばんはと言いながら、お客さん達をしみじみ眺めたら、そこに、区の職員さんが
あ・・・
普段の、2オクターブ低い私を知っている人があんなところにいらっしゃる・・・
一瞬、ふと我に返って「ドシラソファミレド・・・」と下がってくる自分を感じて頭がクラッとしました
ここはひとまず、区の職員さんがいたということは忘れようと思って、ふと目をそらして違う人を見たら、今度はそこに、飲み仲間を発見し、それはそれでまた頭がクラッとしました
ふぅ。。まあ、そんなこんなでヨロヨロになりながら帰宅しました。
やはり普段からもっとはつらつとしゃべる練習をしないといけませんね。
9月の決算の定例会に向けて、がんばります・・・。
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この本は3部構成になっていて、第1部は前回書いた、研究者が非当事者である場合。「あなたは当事者ではないでしょ」と言われてしまう場合の例でした。
で、今日は第2部のことを書きましょう。
第2部は、研究者側が当事者の場合。
例えば、自分自身が病気を持っていて、その病気についての研究をする人。
研究者として、思春期の子ども達を観察していたつもりが、いつのまにか自分が子ども達に観察されていた、という、当事者と非当事者の逆転が起こった人など・・・。
ところで、私は保育園の民間委託のことを研究するために大学院に行っているんですが、この問題は、私は当事者でしょうか、非当事者でしょうか。
私は保護者ではないでしょう。
子どもでもないでしょう(笑)
一応保育士の資格は持っているけど、働いてはいないでしょう。
そういう意味では当事者ではないんだけど、でも、区立保育園の民間委託に少なからず仕事として関わっているっていう意味では、どうなのかしらん。
それに、基本的に私は普段は感情の起伏がそんなにないと思っているのだけれど、そんな私が近年まれに見るほど腹が立ったという意味では、当事者ではないと言い切れなくもないような・・・。
しみじみ、当事者と非当事者の境界線は曖昧です。
そこで、本の中に出てくるのが、「2.5人称の視点」ということ。
1人称になって「私」になってしまえば近づきすぎる。
だからといって3人称で「彼ら」の話になってしまったら、離れすぎて実像が見えなくなる。
その間の程好い距離をとることが、研究には必要なのではないかということ。
これは、研究だけではなくて、福祉の仕事でも議員の仕事でも、人と関わる仕事には言えることなんだと思います。
区民の声を聞き取るために出かけた場で、「じゃあ加藤木さんはどう考えるの?」と、当事者・非当事者の立場が逆転するということも、議員の仕事でもありますしね・・・。
それで、第3部では、じゃあ当事者と非当事者の関係とはどういうものなのか、ということが書かれています。
これはまた次回に・・・。
★盆踊りの挨拶
さて、昨日でとうとう、学校が終わりました。
福祉の人材確保について、同級生から何か新しい知恵を貰おうと思ったのですが、妙案は出ませんでした(^^;
ただ、やはり私が思ったように、都道府県の福祉人材センターが社会福祉事業法上に位置づけられた平成4年の後に、社会全体の景気が悪くなって、そんなに人材に困らないようになって、人材を育てていく基盤整備ができないまま今に至るということが分かりました。
今、もう一度平成4年頃の状況に戻って分析して、建て直しができるかどうか・・・ですねぇ。。
授業で発表をするにあたっては、事前にちゃんと話す順序をシミュレーションして行ったんですが、やっぱりしゃべるのはボソボソしてしまいました・・・。
終了後に皆で懇親会をしたのですが、先生が「どうしてシラフの加藤木さんはボソボソしゃべるんだろうねぇ・・・」としみじみおっしゃいました。しくしく。
レポートがすべて無事終了した開放感で、思わず懇親会ではおかしいほどたくさん飲んだので、今日はかなりヨレヨレでしたが、毎年恒例の子ども議会を傍聴し、夜は私の事務所の並びにある妙延寺で行われていた盆踊りに行きました。
議会とか授業とか、考え考えしゃべらないといけない時は、普段以上にボソボソしゃべっちゃうんですね。普段のなんでもない会話よりも1オクターブくらい下がってしまう。かといって事前に原稿を作っておいてしゃべるんじゃ棒読みになりそうだし、そうはいっても打てば響くように早い回転をする頭を持っていないので、考えてしゃべると、ダメなんですね。。
で、駅でマイクを使ってしゃべるのは、比較的慣れてきたので、普段の声のトーンでしゃべれるんです。でもそれでもまだボソボソしているらしい・・・。「もっと声を出して!」という掛け声をかけていただくことがしばしば。
ということは、マイクでしゃべる時は普段の声よりさらに1オクターブくらい上げないといけないんではないかと、先週のお祭りのときにふと思いまして。つまり、議会でしゃべる時とお祭りでは、2オクターブの差が出ることになりますね。(・・・議会でももっと大声を出せば良いんですが。)
今日のお祭り、とっても盛況。
他の議員さんもたくさんいらしていたので、マイクが回ってくるまでの間、心の中で、「よーし、がんばっていこうぜ、声出していこうぜ。1オクターブ上げるぞ。ドレミファソラシド」と自分で自分を鼓舞していました。。
で、マイクが回ってきたので、よっし、行くぞ、と思いつつ「こんばんは!」と、自分にできる最大限の明るい声を出したつもり・・・なんですが

で、こんばんはと言いながら、お客さん達をしみじみ眺めたら、そこに、区の職員さんが

あ・・・
普段の、2オクターブ低い私を知っている人があんなところにいらっしゃる・・・
一瞬、ふと我に返って「ドシラソファミレド・・・」と下がってくる自分を感じて頭がクラッとしました

ここはひとまず、区の職員さんがいたということは忘れようと思って、ふと目をそらして違う人を見たら、今度はそこに、飲み仲間を発見し、それはそれでまた頭がクラッとしました

ふぅ。。まあ、そんなこんなでヨロヨロになりながら帰宅しました。
やはり普段からもっとはつらつとしゃべる練習をしないといけませんね。
9月の決算の定例会に向けて、がんばります・・・。
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