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視察2日目―小樽市

★札幌から小樽への移動はバスでしたが、「右側に座ると海がよく見えますよ」と札幌市の人が教えてくださった。
だから「右側、右側・・・」と呟きながらバスに乗ったにも関わらず、なぜか左側に座ってしまった・・・。なんで言ったそばから忘れるんだろうか・・・。自分で自分の行動にビックリしました。とほほ。

バスが出発する前にハタと気づいたので、無事右側に移動できましたけどね(^^;

空は曇りで、低い位置まで雲が迫っているような中の海を見ました。暗い空と果てしなく続く海を見ていると、どこか違う世界に引っ張り込まれそうな不安を感じてしまうようでした。

★小樽には運河があって、観光地になっている。
たしか私のひいばあちゃんだったか、ひいじいちゃんだったかが小樽の出身なんですが。・・・あれ?祖母だったかもしれない・・・

その景観を保護するための工夫についてのお話を聞いたのですが、私が関心を持ったのは、「小樽運河論争」というものでした。

小樽はかつて札幌と並ぶ大都市だったんだそうです。

それがある時期、急速に衰退し、都市機能はすべて札幌に移行されてしまったんだとか。それで、小樽にはかつての街並みがそのまま取り残されて、時間が止まったような状態になったそうで。

そういえば私が小さい頃に、祖母が「小樽は昔、ニシン御殿というのがあって栄えていたのに寂れてしまって・・・」という話をしていたことがあったなあ・・・と思い出しました。
(ってことはやはり小樽は祖母の出身地か・・・)

戦争で焼けなかったこともあって、古い建物はずっと残っていて・・・だけどその街の良さに、住民はなかなか気づかない。
自分の街の良さなんて、なかなか気づけないもんですよね。

少しでもまちを活性化させるために、すでに使わなくなってしまっている運河を埋めて、道路にするという都市計画が立てられた。

だんだんと工事が進むんだけれど、それでも住民は気づかない。

ところが、あるとき、古くからある倉庫群が取り壊された。そこで、住民が「あれ?これでいいんだろうか」と気づいた。そして、そこで初めて、運河も埋められてしまうということにも気づく。

本当にそれで良いんだろうか・・・ということで市民の運動が始まる。

しかし、すでに都市計画決定がされて工事も進んでいるんだから、容易に変更はきかない。

そんな状況で10年ほどの論争が展開され、全国的にも注目され始めた。
最終的には折衷案として、道路を作りつつも可能な限りの運河を残し、周りの古い建物も残すことに落ち着いたんだとか。

これが小樽の「市民との協働」のはじまりでもあるし、当時関わっていた方が今でも市民活動として小樽のまちづくりに関わっているんだとか。


小樽は古い街並みが残る条件がいくつかあったから、社会全体から注目されたのだとは思いますが、でも、「そこに住む人がそのまちの魅力に気づかないまま、『地域の個性』を失う危機にぶつかる」ということはどの街にもあることではないかと思います。

私は札幌と同様、小樽にも大学生の時に遊びに行ったことがありましたが、こんな運河論争の話を聞くと、ただ観光で見たときには感じられなかった魅力を感じることができました。
個性的な街並みの素敵さだけではなくて、それを守った市民の力を思うと・・・。


小樽ほどまでに個性がはっきりしていることはなくても、その土地その土地の良さは本来はどこでも持っているはずのものなんだと思います。
そこにしかない風景。そこにしかない食べ物。文化。個性のある住民。街ができてきた歴史。

その土地の個性に、まずはそこに住む人自身が気づき、大事にしていくことができたらいいですね。
前回のブログで書いた「グローバリゼーション」とは対極にあるような、地域のあり方であると思いました。

小樽運河論争については、調べてみたら詳細を紹介しているサイトがありましたので、ご紹介。(こちら

とても興味深いので、もう少し調べてまた改めて取り上げたいと思います。
(今、私の事務所には読まなくちゃいけない本がうずたかく積み上げられていますので、しばらく後になるとは思いますが。。)


以上、視察の報告、おしまい。

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委員会視察―1日目:札幌市

10月30,31日と、環境まちづくり委員会の視察で北海道へ行ってきました。

札幌市の自転車道路と、小樽市の景観計画の話を聞きに。


★初日は札幌。
旧国鉄の電車が走っていた路線が、あるとき廃止になって、新たな線路は少し離れた場所にできたそうです。
それで、古い線路の通っていた場所をどう活用しようか・・・と考えた時に、「幅もそんなに広くないし、自転車と人が歩く道にしよう」ということになったそうで。自転車道路は隣の北広島市にも続いていくらしい。

・・・幅がそんなに広くない、って言ったって、練馬区内には同じくらいの幅で車が両側通行をしている道もあるように思いますが(^^;

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自転車だけじゃなくて歩行者も通るから、自転車と歩行者の関係がなかなか難しかったりもする・・・なんていう話もありました。

この道路にはときどき、トンネルがあるのですが、薄暗くて寂しげなトンネルだと、落書きもされるし治安も悪くなる。
そこで、タイルを割って貼り付ける「モザイクアート」を施すという取り組みをしているそうです。

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地域の子ども達も参加して、「どんな風にしたらもっと楽しい道にできるか」という知恵を出し合いながら完成させたんだとか。

そんな話を聞いてきました。


★宿泊は、札幌の大通り公園の近く。

宿に戻って少し時間ができたので、周辺を歩いてみました。

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札幌・小樽は、7年位前、大学生の時に遊びに行ったことがありました。
だから、埃をかぶった記憶が時々ニョキッと蘇りましたが(^^;

学生時代はあんまり何も考えていなかったけれど、最近はどこか知らない土地に泊まるときには、観光よりも「そこに住んでいる人」を知りたいと思います。

だから観光地でなくて住宅街を見たり、地元の人が買い物に行くような場所を見るのが楽しい。


それにしても、なかなか「この地域の特徴」というのを見つけるのは難しい。ポスターでニッコリ笑っている芸能人は当然同じ人だし、アーケードの商店街があるのも同じ。スーパーで売っているものも同じ。北海道ならスーパーでは鮮魚が豊かであるという違いはありますが。
商店街に軒を連ねる店の看板も、いつも東京で見ているのと同じものばかり。

うーん。

これまた、学生時代はどこでも同じチェーン店のほうがなんとなく安心な気がしていましたが、この数年は、「その地域の、その店にしかいないおばちゃんがやってる小さな店」みたいなのを探すほうが楽しいと思っています。

だから、チェーン店ばかりが軒を連ねているのしか見つけられないと、なんだか宿題を果たせていないような気分になってしまう。

これはどんな街に出かけてもいつも感じるところではありますが、大通り公園周辺は特に顕著でした。

グローバリゼーション・・・。
世界的規模に広がること。政治・経済・文化などが国境を越えて地球規模で拡大することをいう。グローバル化。」(デイリー新語辞典より)

世界全体がつながり合うこと。一方で、どこへ行っても同じで個性がないともいえる。

う~ん、大通公園周辺を見るだけでは、札幌に住む人が日々何を考え、どんな生活をしているのかが見えてこない・・・。残念でした。

かろうじて、ホテルの隣にあるデパートの地下街で、水槽でモゾモゾ動いているカニが売られているのを見て、「ああ、ここは確かに東京ではなくて北海道なんだ」と感じましたが・・・。

地域の特徴って、もっともっと全面に出てくるべきなんじゃないのかな・・・とボソボソ独り言を言いながらホテルに戻りましたが、この呟きに対する答えが、偶然にも翌日の小樽の視察で見えてきました。

長くなりますので、次回に続く。

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大泉子ども家庭支援センター

以前のブログでも書いた、大泉の子ども家庭支援センターの道路のことに関連して、9月に区民の方からの陳情が出ました。道路に関することだから、私が今年委員になっている「環境まちづくり委員会」に付託された。

9月24日―定例会中の委員会では、陳情に対しての資料請求をしました。資料が整い次第、委員会に提出され、陳情の審査が行われるという段取りです。
そんなわけで、まだ、内容の審査は行われていません。

私はこの問題に関しては関心があったので、資料請求をしました。

そのときのやりとり、録音から、要約しました。カッコ内は、ブログに載せるのに分かりにくい部分の補足です。

桜子
道路の設計はいつからやるんですか?陳情の審査をいつまでに・・・というのに関わると思いますので。

委員長
この定例会で(陳情の)付託をされましたので、まずは(質問をするのではなくて)資料を請求していただきたいと思います。(資料が)そろい次第、正副(委員長)、事務局と相談しながら皆さんに審査をしていただきたいと思いますので。

桜子
分かりました。
まちづくり交付金の公開空地の計画から道路に変わるまでの経過をまとめた資料と、公開空地にする場合と道路にする場合のメリットとデメリットの比較ができる資料の2つをいただければと思います。

課長A
まちづくり交付金の中での経過と言う資料要求ということでうかがいました。経過についてはまとめさせていただきます。道路と公開空地のメリットデメリットについては担当(の部署の課長)から…

課長B
道路と公開空地については、基本的にはそんなに大きな差はないと思っているんですが、必要であれば…(その説明をするのは)委員会の席じゃなくても大丈夫なんですけど。

必要であればこちらのほうで簡単にまとめさせていただいて。
道路法を適用すれば基本的に道交法(道路交通法)の適用がありますので、この部分が違うだけであとはそんなに大きな違いはないだろうという風に思っていますけれど。
少し簡単にまとめさせていただきたいと思います。


この問題に関しては、今定例会の一般質問で他の議員さんからも意見がありました。なぜ道路にするのかと。
それに対して、「桜並木の保全が第一の目的だったから、そのためには道路にするのが最善なんだ」という趣旨の答弁があったのです。

でも、道路ってもともと、樹木の保全のためにあるもんじゃないですよね?
なぜ道路にするのが樹木の保全に最善なのかを説明する責任が区にはあると思うのです。

だけど、陳情の資料請求の場では、「基本的に大きな差はない」「説明するのは委員会の場じゃなくても良い」と言う。
こりゃ、どういうことでしょう。

なぜ、誰も知らないうちにあの土地が道路になってしまったのか。施設と地域の交流や桜の保全を考えた時のもっと良い方法があるのではないか。そんな疑問から、近隣の方も陳情を出しているわけです。
それに対する説明責任は当然あるはずなのに、桜の保全は道路が最善といってみたり、だけど道路にしようが敷地内にしようが大差はないといってみたり、議会の審査の多くは委員会付託されるしくみになっているにも関わらず「委員会で説明する必要はない」と言ってみたり。
議会も区民も軽視されているように感じられてなりません。

この施設は、平成22年度には開設したいという、目標の年度が決まっているんですから、当然、道路にするのか敷地内にするのかという判断も近いうちにしなくてはならないはずです。

議会できちんと判断が示されるまでは、着工はしないんでしょう。
そして、なぜ桜の保全のために道路にするのが最善なのかということも、当然近々資料が出てくるんでしょうね。
そんな経過を、また報告させていただきます。

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和力

私の父方には親戚がいっぱいいます。
私のいとこは、たしか(?)10人いる。

そのうちの1人が和力の加藤木朗さんですが、ほかに、日暮里のほうで肉屋をやっているいとこがいます。

その肉屋さんが、叔父の代から始めて今年で50周年だということで、10月19日に記念のお祝いをやりました。

・・・いとこの中で、肉屋さんがいたり、太鼓を叩く人がいたり、議員がいたり、ああ、人間の職業って色々あるんだなあ、としみじみ(^^;


親戚がたくさんいるものだから、随分長いこと会わなかった人も。
7,8歳の頃に優しくしてもらった、これまたいとこのお姉さんに、20年近くぶりに再会しました。
「まあ!桜子ちゃん!全然変わってないわね!」と・・・
いや、いくらなんでも、8歳のときと全然変わってなかったら大変だ・・・(><)


そんなわけで、親戚やらお仕事で関わりのあるほかの肉屋さんだとかがたくさん集まっていたのですが、そこで和力の太鼓や獅子舞、鶏舞も披露されていました。

ゆめりあホールでやるときなどと違い、今回は宴の席でBGM的に行われている。

とりまい

だんじり

あやうち

(写真提供:和力)

見ていて、心がすっと愉快になって、「楽しいな」と思える。
人を楽しくさせる仕事に就けるのは良いなあと思って見ていましたが、でも、よくよく考えてみたら、練習だとか準備だとか日程調整だとか、本番に至るまではきっと楽しいことばかりでもないでしょうね。思う通りにならないことも、イライラすることもあるだろうけど、それを経て本番を迎えたときには、嫌なことは全部忘れてただひたすら見てくれる人を楽しませる。



そして、この日はBGM的な位置づけだから、多くのお客さんは飲み食いをしたり名刺交換をしている。それでも、和力の演奏は、ホールで客席に向かってやっているときと変わらない。
「どうせ聞いてないや」と投げやりになるわけでもなく、「えーい!聞きやがれ!」と誇示するわけでもなく、ただ、自分にできるすべてのことをやりきろうとしているようでした。

お客さんを楽しませることと、そしてそれに向き合う自分との闘い、とでもいいましょうか。


私自身は、区民の皆さんに恥ずかしくない仕事をしたいという一心で毎日を生きていますが、それゆえに時にはイライラしたり、砂利道を走る車のように心がゴトゴトしたりすることもあります。

仕事に真摯に向き合いつつも朗らかに楽しくできるようになりたいなとしみじみ思いました。

17日に議会が終わって、19日に和力を見て、ちょうどいい具合に自らを省みることができました。


ちなみに、昨年今年と5,6月に行っていた和力のゆめりあホール公演ですが、次回はいつかというと・・・事務局をやっている私の叔父のくじ運が悪すぎて、まだ決まっていません
今のところ決まっていないということは、一番早くても来年11月ですね。(ゆめりあホールの予約の受付は1年前にやるので。)
でも、くじ運が悪いからまた決まらないかもしれないし(><)
一体いつになるのやら・・・予定の不確かさはまるで総選挙のようですが、無事、ホールが取れましたらまたご案内します。

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決算審議のまとめ

2008年第三回定例会の決算特別委員会では私は、
〔産業地域振興費〕
団塊の世代の地域活動参加支援について
地区区民館について
若年者の就労について

〔保健福祉費〕
重度障害者訪問介護について

〔児童青少年費〕
・保育園の民間委託について
子ども家庭支援センターについて

〔特別会計〕
・介護保険の、小規模多機能型居宅介護について

という内容の質問をしました。

保育園の民間委託に関してはずーっと取り上げてきたことですが、今回の決算の内容はあえて書きませんでした。今までのやり取りと何の進展もないからです。

だけど、議会で取り上げられる様々な課題を見るにつけ、しみじみ、「保育園の民間委託」という問題の大きさを感じます。

志村区長に肯定的な会派の方も、「志村区長の特徴は行政改革だ」とおっしゃっているけれど、その行政改革の象徴が保育園の民間委託なんじゃないかと思います。

象徴・・・小泉首相の郵政民営化のように。岩波区長が20階建ての区役所を建てたように。
志村区長にとって、保育園の民間委託は、その業績の代名詞になってもおかしくない、大きなテーマだと思います。

世界の動き、国レベルの動きの中で、「小さな政府」を目指そうとしている。その流れの中で、練馬区でも行政改革の方向が出てきたんだと思います。

しかし、今現在の大きな流れを見てください。金融が破綻して、公的資金を入れざるを得なくなっている。あれ、民間に任せるんじゃなかったのー?というところに税金を入れざるを得なくなっている世界の流れ。
コムスンや耐震偽装で見えてきた、「民間に任せる」で突き進む限界。

にもかかわらず、地方自治体はまだ「小さな政府」に向かって突き進むのか。
立ち止まってふと周りを見回してみる勇気、方向転換をする勇気が必要なときもあるはずです。

少なくとも、保育園や子ども家庭支援センターの民間委託は、子どもや保護者、地域の人といった当事者が置いてけぼりになって、単なる「行政改革の象徴」とされているように感じます。当事者不在。

保育園民間委託の問題はあまりにも深い根と高い壁を感じるので、改めて別の機会に書きたいと思うのです。


委託のあり方に対する疑問、協働って何だろうということ、若年者の就労が置かれる厳しい状況、練馬区が特にひどい重度障害者訪問介護の状況、子ども家庭支援センターのあり方、介護保険制度・・・質問をした項目だけでも、改善すべき点がたくさんありました。

介護保険や障害者自立支援法等、国レベルの法律が厳しい状況になる中で、自治体レベルで何ができるのかを考えなくてはならないのです。

決算の審議の意味が、平成19年度の練馬区の執行を振り返り、次に生かすことであるならば、社会全体が岐路に立たされている今、立ち止まる意味で、決算に反対することによって、次の予算を少しでも良い方向へと軌道修正していく必要があるのではないかと、私は思いました。ましてや、平成19年度は、志村区長2期目の、最初の予算執行であるのですから、議会として、決算をどうチェックするかは大きな問題です。


しかし、決算の審議は、会派ごとにしていくもの。
その流れから、結論も会派ごとに出していく。
会派の中で話し合って、最終的には、賛成すべきと考える人と反対すべきと考える人が多数決で結論を出そうと、今私が所属する民主党練馬クラブで話し合いました。

そんなわけで、会派の中では賛成多数・・・ということで、私はその会派に所属している以上、賛成という態度を示さざるを得ませんでした。

しかし、本会議場では、「賛成の議員の起立を求めます」と言われます。「賛成の会派の起立を求めます」ではないわけです。

地方自治体の議会の中にある「会派」のあり方って・・・と、色々思うところがあります。
これまた、どこかで改めてお話しする機会が出てくることでしょう。

とにかく、反対でありながら賛成を示すという自分の立ち位置は、自分の信念とは反しており、いつもながらに忸怩たるものでした。

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決算;介護保険会計

★秋の雨が降ると、なにやら淋しいような、所在無いような気分になりますね。

雨が空を捨てる日は
忘れた昔が 戸を叩く
忘れられない 優しさで
車が着いたと 夢を告げる

(中島みゆき「雨が空を捨てる日は」)

「空から雨が降ってくる」のではなくて、雨が空を捨てて私のところにやってくる・・・なんて表現ができるもんなんだなあと、子ども心に驚いたことがありました。

雨が空を 見限って
あたしの心に 降りしきる


都会のビルに雨が降るのを見るとなおさら・・・なーんて、ぼんやり池袋の街を眺めずに、ちゃんと大学院の授業を聞かないとダメですね


★私は社会福祉士の資格を取る養成校である上智社会福祉専門学校を2005年に卒業しました。
卒業するにあたっては、卒業レポートを書かなくてはいけなかった。
そのテーマが、異世代交流で、特に小規模施設のことを扱いました。

ヘルパーの仕事をしていた時のこと、随分前のブログ(今見直してみたら、議員になる前に書いたものでした。)に書いたことがありました。

私は、福祉の仕事も色々と転職しましたが、ずっと在宅サービスの仕事でした。

7,80年生きたあとの最後の時間は、自分の好きな場所で、好きなものを食べ、言いたいことを言い、行きたい場所に行ける環境を作りたいと思っていました。

それはもちろん、利用者さんを見ていたからこそ思ったことではありますが、私自身の老後を想像してのことでもありました。

私がもし、80歳くらいになって老人ホームに入ったら・・・「ホラ、また○号室の桜子さんが問題行動よ。まったく、桜子さんはわがままで困ってしまう。」と言われるんではないかと思ったのです

問題行動という表現、最近あんまり言わなくなったかもしれませんが、介護従事者側から見て手に負えない行動をそう呼ぶことがあったんですね。

そして私が年をとったら、ほぼ100%間違いなく、上記の言われ方をするだろうと(--;)

職場で上司から言われるなら仕方ないけど(苦笑)、年をとって保険料と利用料を払ってまで「また問題行動ね」なんて言われたらたまんないですね(><)

だから頑固な人でも自分らしく笑って過ごせる介護サービスを実現したいと思っています。


これはただの私のわがままではなくて、団塊の世代が老後を迎えるとき、現実的な話になるのではないかと思います。

福祉を必要とする人が施設に入るという選択肢は「最後の安心感」として残しておくべきですが、でもできれば極力、介護が必要になっても、自分の住みなれた場所で、慣れ親しんだ人と、若い時からの習慣を大切にしながら過ごしていく環境を整備していくことは、今後の高齢者人口の増加から考えても現実的な方法だと思うのです。
団塊の世代の人口分だけ、老人ホームは作れないでしょう?それに団塊の世代の個性の強さに対応できる老人ホームというのも、大変そうですよね。


じゃあ、どうしたら良いかと考えると、地域の中で生きがいと居場所を見つけられたらいいんですね。老人ホームにあるのと同様の安心感が地域の中にあればいい。

そこで卒業レポートのテーマにしたのが、高齢者と子どもの交流でした。特に、地域密着型の施設でやっている例を中心に。
富山県に、子どもの保育と障害者のデイサービス、高齢者のデイサービス、ショートステイを一軒家で小さくやっているところがあって、そこに見学に行きました。
認知症の高齢者が子どもを見て笑っていて、障害のある人が高齢者の話し相手になっている。

ここは、高齢・障害・子どもが一緒になっているけれど、必ずしもそうでなくても良いから、とにかく自分の住んでいる地域の中に、いろんな相談に乗ってくれる場所があったら良いだろうなあと思いました。

小中学校区域に1か所程度の、地域密着の施設があれば、家で最期まで暮らせるんではないかと。大きな入所施設は最小限に済むのではないかと。


な~んて内容のレポートを書いたんですけど、当時は制度上にそんなものはなかったので、指導の先生に「ふーん」と言われて終わりました(^^;

そうか、私はなんだかトンチンカンだったのかしら・・・と思いながら卒業しましたが、2006年に介護保険が改正されてみたら、あらまあ、制度化されたじゃないですか。
ビックリしちゃって、ありゃこれは、厚生労働省と気が合うんだろうか、就職すべきだろうかと一瞬思いました。(←冗談です)

ところがせっかく制度化されたものの、なかなか浸透しない。
練馬区内に「ショートステイ・デイサービス・ヘルパー」を兼ね備えた小規模多機能施設は今4ヶ所。当面12ヶ所整備するのが目標だとか。

そんなわけで、このことを決算委員会で質問したのです。

都内で見ると、2007年12月現在で26ヶ所の整備。
比較すれば練馬区内は数的には「まだまし」な状態ってことですね。

なぜこんなに浸透しないのか。
それは、介護報酬が安すぎて経営が成り立たないこと。小規模多機能というのが何なのか分かりにくいこと。・・・と区は答弁します。

だけど私はもうひとつ、大きな理由として、「他のサービスと併用できないこと」があるように思います。
例えば、元々他のデイサービスに通っていたんだけれども、介護度が重くなって、ヘルパーやショートステイを利用したくなった。それもできるだけ家に近いところにしたい・・・となったとき、地域の小規模施設を使いたいわけですが、2006年介護保険改正でできた「小規模多機能型居宅介護」だと他サービスの併用ができないから、元々通っていたデイサービスをやめなくてはならなくなる。
それではせっかく通いなれた施設との関係が切れてしまう。
これは、「住み慣れた場所で、なれたスタッフと・・・」という地域密着型の本旨からずれるように思います。

私がかつて見学に行き、そしておそらく介護保険改正のモデルのひとつでもあったはずの富山県の施設は、子どもと高齢者と障害者と「制度がごっちゃ」になってもOKだったからこそ、温かみのある、地域に根付いた施設になったわけで、それを介護保険に取り込むにあたって「サービスの併用禁止」にするというのは、合点がいきません。

練馬区は介護報酬に関しては独自の上乗せをしたということですが、地域密着、小規模多機能が本旨を取り戻すために、市町村レベルとしてできる更なる工夫をして行く必要を感じます。
もちろん、国レベルの介護保険の改正も必要だとは思います。今の練馬区の決算を見ると、介護保険の決算は予算よりも減額になっている項目が目立ちます。
特に居宅サービスは、補正予算でマイナスした上に決算でも更にマイナスになっています。
2006年の介護保険改正の影響によって、本来使うべきサービスを使わずにいる人がたくさんいることが感じられるわけですが、在宅での生活の保障を、なんとか進めていかなくてはなりません。

決算;産業地域振興費(その3) 若年者の就労支援

★今日のブログは、まず余談から。
少し前に、知人や親戚と一緒にバーベキューをやりました。
今日、父がそのときの写真を持ってきて、「見る?」と言いました。
私が炭の火を起こそうと四苦八苦している写真。

なんともひどい顔でした。たとえて言うなら、「熱中したひょっとこ」のような・・・。
たまたまその瞬間がそうだったのかなと思って、さらに何枚か見ましたが、どれも同じ顔・・・。
炭に火を起こすくらいで、顔のパーツをすべて真中に寄せるほど集中しなくても良さそうなものですが。

うーん、でも、この分でいくと、議会の時もこんな表情をしているんだな、きっと・・・。

真剣な顔がひょっとこ顔では、少なくとも選挙ポスターには使えませんね

そういえば、選挙ポスターだとか政治家のチラシに、ときどき、「頑張ります!」とガッツポーズをしている写真がありますね。
私も、選挙の前に写真を撮るときに、カメラマンの人に、「じゃあ、一枚、ガッツポーズの写真も撮りますか」と言われまして。
うーん、人生においてガッツポーズをしたことがないから嫌だなあと思いつつ(^^;)、仕方ないから言われるがままに一枚撮ってもらったんですが。

後で見たら、「つり革につかまっている人」みたいでした ガッツが外に現れなかった・・・。

熱心さを示そうとすると、「ひょっとこ顔」か「つり革」になるとは、ポスター的には、残念ですね。。


★さて、決算の話に戻ります。
産業地域振興費の中に「就業支援経費」というのがあって、これは35歳までの若年者が正社員になるための支援をするものだそうです。

今の25歳から35歳くらいでしょうか、就職がかなり厳しかったのは。私(28歳)も含めてですが。

他の議員さんが非正規雇用の話をしている時に、「自分でそういう道を選んでるんだろ」というような野次を飛ばしていた人がいたのですが、なかなかそんなもんじゃないと思います。

新卒の時点で正規雇用されないと、なかなか中途採用は難しいから、たとえ努力したり能力があったり希望があったりしても、途中から正規にはなりにくいのです。

私も福祉の仕事をしていたときは「ワーキングプア」に近い状態でしたし、だからずっと国民年金・国民健康保険の加入者なわけです。

肌で感じるものとして、そんなことはずっと感じてきたわけですが、そうだ、ここは、ひとつの指標として、国民健康保険の年齢別の加入者数によって、非正規雇用の現状を推測してみようと思って、資料を貰いました。

練馬区は、2004年の統計からあるということで、じーっと眺めてみました。15歳から39歳の国保加入率を見ていくと、
・2004年3月 29%
・2005年3月 29%
・2006年3月 28%
・2007年3月 27%
・2008年3月 25%

ちなみに、これ以前は国レベルの情報しかないのですが、参考までに書くと、
・1998年9月 20%
・2004年9月 24%
(厚生労働省・国民健康保険実態調査より)

1998年と2004年を比べると、かなり上がっていますね。
同じ2004年で比較をすると、国の平均値よりも練馬区のほうが高いので、単純比較はできませんが、でも、1998年から2006年くらいまでは国保加入者が増えて、2007年から少し下がっているということが考えられます。
2007年は、景気が少し回復したと言われていて、そして団塊の世代の大量退職が始まるといわれた年ですから、なるほどやはり、国保加入者の割合と非正規雇用には一定の関連性があると言えるでしょう。

さてここで改めて、2007年について見てみます。
私はここでは、20歳から34歳までの国保加入者を見てみました。
なぜこの年齢にしたかと言うと、未成年者の国保加入率はあまり変化が無いということ(おそらく、ご家族が自営業という場合が多いのではないかと思います)。
そして35歳以上はそれ以下に比べたら加入率の経年の変動が激しくないので、自営業であるために国保加入になったという人も一定以上の割合で存在するのではないかと考えたわけです。

2007年3月の練馬区の人口のうち、20歳~34歳の人は15万5854人。そのうち、国保加入者は4万2718人。割合にすると、27%です。

一定の割合の人は、自営業等の理由で国保であるにしても、ある一定の割合は非正規雇用によって国保になっていると考えられます。

一方、区としては、国勢調査などから推計して、フリーター、無業者を「少なく見積もると1万6千人、多くて3万人」と考えているそうです。(わかものスタート支援事業検討有識者会議の資料より)

国保の加入者から考えられる数とも、近いものですね。

で、「就業支援」で行っている事業には、セミナーと就職面接会があるのですが。
2007年度のセミナー(例えば履歴書の書き方講習など)の参加者は13人。
面接会の参加者は107人で、そのうち11人が就職決定。

参加者数からして就職決定者数は割合多いといえるかもしれませんが、でも、3万人もの無業者・非正規がいるかもしれないという状況からしたら、まだまだ工夫の余地はあるような気がしますね。

追跡調査のためにお手紙の送付なんかも行ったということで、区としても努力はしているというのが分かるのですが・・・。

でも、例えば紙媒体だと若い人はなかなか読まないから、インターネットやメールをもっと活用すべきではないかとは思います。
インターネットも、区のHPなんかはなかなか読まないだろうから、就職支援の関係のHPとか、ハローワークとの連携だとかも、考えられますよね。

「どんな支援体制が良いのか、コミュニケーションの部分でも難しさを感じる」という趣旨の答弁もあったのですが、そうであるならば例えば、メンタルの支援との連携だとか、障害者の就労支援との連携だとかも考えられるかもしれませんね。


若年者の就職の問題は、社会が抱える課題と深く広く関わる問題であるだけに、容易に答えは出ませんが、しかし、3万という数字を見るだけでも、諦めずに関わり続ける必要性を感じる、深刻な問題だと思います。


これで、産業地域振興費の決算の内容は報告終了です。次回は、特別会計(介護保険会計)についての報告を書きます。

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決算;産業地域振興費(その2) 地区区民館と協働

「協働」という、最近よく使われる言葉があります。

「行政とNPO」とか、「企業とNPO」とか、異なる主体が一つの目標に向かって対等に協力し合っていくのが「協働」です。

地域の中にいろんなニーズがあって、制度だけでは賄いきれないこともあって、行政だけでは気づくことができないニーズを掘り起こすのも、地域にいる人、活動団体の力によるところが大きい。
だから、それぞれの組織、それぞれの立場の長所を生かしていきましょう、というのが「協働」なんですね。


その、理念的な部分は「まあ、素敵」という考えなわけですが、じゃあ具体的に「協働」を実現するにはどうしたらいいのか・・・というのがなかなか難しい。


今回、私が質問したのは、「地区区民館」についてでした。
区内には、区民が集まれる施設として、地区区民館、区民館、地域集会所があります。
区民館は出張所に併設されていて、会議室等の貸し館機能を持っている。
地区区民館は、コミュニティの育成を目的にしていて、地域住民を中心とした運営委員会をおいて活動している施設。
地域集会所は、地区区民館と役割は似ているけれど、地区区民館の無い地域に設置された施設らしい。

設置された時期や意図、根拠となる条例がそれぞれ異なるけれども、これではなかなか区民から分かりにくいんではないか・・・ということで、今、「地域集会施設を更にわかりやすく、使いやすくするための機能統一化実施計画(案)」というのが出されている。
ここで、3つの施設の機能を整理しようということ。

分かりやすくなったほうが良いとは思うけれども、気になるのは、この計画は貸し館機能というハード面を中心にしていること。
私としては、地域の中にある施設の、コミュニティ機能についてもっともっと重視すべきなのではないかと思う。

区民館については、出張所の再編の際に、「出張所のコミュニティ機能とあわせた形で、区民館の利用者からニーズを吸い上げていくことが必要ではないか」という意見を言っていましたが、地区区民館も気になるところです。

地区区民館には敬老館の役割、学童クラブの役割、そしてそれ以外にも地域の人が集まれるような役割があります。
その館を運営するのに、町会の方などを入れて地域の方を中心にしている運営委員会が大きな役割を果たしているわけですが、最近はこの館の実際の業務も委託しているらしい。

資料を貰って見てみると、窓口対応だとか、高齢者の見守りだとか、かなり接客的な仕事も含めて委託をしている。
これは、地区区民館のサービスの質にもかかわることだし、委託を受ける側にとっても覚悟と負担のある仕事であるといえる。
地域の中の施設に運営委員会として関わる、という形は、コミュニティの活性化に役立つといえるかもしれないけれど、それと業務委託は別のこと。

なんで、施設の意義の根幹に関わるようなところまで委託しようとしているんだろうか・・・とさらに資料を読んでいくと、「地域住民との協働をさらに推進するため、平成18年度より委託業務の拡大をおこなった」と書いてありました。

保育園の民間委託の説明会の時に、保護者が「どんな事業者を選ぶべきなのか、一緒に考える時間を作ってください」と言うと、部長が、「委託は行政が主体なんです。最終的な決断は行政がします」と突っぱねてきたのを私は見ていました。

一緒に考えましょう、というのを突っぱねるのが「委託」ならば、それは「協働」ではないはずです。
協働は、異なる主体が対等な立場で関わりあうことなんですから。

だから、なぜ地区区民館を委託することが協働になるのかがさっぱり分かりません。

そこで決算委員会でも質問したのです。
以下、一部を録音から抜粋します。

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桜子
事前にいただいた資料の中に、昼間の委託をしていくことは「地域住民との協働をさらに進めるために拡大していった」という風にあるのですけれども、この「委託」というのは―地区区民館のことに限らないと思いますけど―行政が事業内容を指定して、行政主体でやっていくというものであって。
一方で、「協働」というのは、行政と区民の人が対等にやっていくものだ、っていう風に考えると、「委託」と「協働」って同列に並べられるものではないと思うのですけれども。
昼間の委託を進めることが、地域住民と協働になる理由を教えてください。

課長
区民のみなさん、あるいは運営委員会との協働をするという形の中で、委託というのは方法でございまして、手段として委託という方法を採っている。形として実質的には区の職員と運営委員会が協働で事業をするという中身になってございますので、あくまでも委託というのは、そういう形の方式という風に考えてございます。

桜子
これは地区区民館のことだけじゃないかも知れないのですけれども、練馬区としては、「協働」と「委託」は同じものだというふうに考えていらっしゃるのかを確認させてください。

部長
協働というのがどういう形態なのかというご質問でございます。私ども、協働というのは形態が7つあろうかと思っています。
1つは「政策提言や政策形成過程の参画」。
それから2つ目、「事業協力」。
3つ目「共催」
4つ目が「実行委員会や協議会の方式」。
それから5つ目が「後援名義」。
そのほか、6つ目が「助成金」。
そして7つ目の方式として「委託」というのがあるというのが、この考えでございます。
以上でございます。
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「7つあります」と言われた時点で、私の頭の中には「からす なぜ鳴くの からすは山に かわいい7つの子があるからよ」という音楽が流れました 7つかぁ・・・と
しかも、7つを眺めてみると、「この形態が対等な関係なのかなあ・・・」と思うものが多いですよね・・・。

確かに、他の自治体でも委託を協働に入れているところは多いみたいです。練馬区が特別にヘンチクリンなわけではないんだと思う。
だけど、そもそも協働とは何なのか、何のために協働を言わないといけない社会状況になったのか、と考えた時に、そんな、断言的に言うべきことではないはずだと私は思います。

たしかに、「練馬区NPOとの協働指針」では、上記の7つが書いてあります。
でも一方で、協働のあり方については、今もまだ検討中であると、今定例会の一般質問での答弁にもあったのです。

だから、まさかそんなにさっぱりと、「委託は協働です」という答弁をしてくれようとは思わなかったので、あまりのショックに、私の顔はハニワのようになっていたに違いありません。質問のために持っていた資料を、はらはらと落とさなかったのが不思議なほど、動揺しました(^^;


私の考えを補完するため、以下、いくつかの文献から引用をします。

協働のあり方は、それぞれの地域がおかれた政治的風土や社会経済的条件に応じて、多様なあり方が考えられる。しかしながら、日本における行政機関への権力の集中化と官僚機構の機能から考えた場合には、この協働のあり方はこうした権力集中と住民参加の状況を相対化していくための社会運動としての側面を持っていることを考えると、可能な限り、市民活動団体の自律性を生かし、対等性の観点からその権限の正当な確保を指向して基本姿勢が求められるべきであろう。この合意に立たない協働論は、どちらの立場から見てもいわゆる「下請け論」から脱することはできない。
(「市民と行政との協働に関わる主体性と関係性」瀧澤利行 『NPOと行政のパートナーシップは成り立つか!?』東京ボランティア?市民活動センター)

NPOは社会サービスのためだけに登場してきた組織ではない。それだけを行っていたのでは、体のいい安上がりの(行政の)下請けになりかねない危険とたえず隣合せである。協働にはそうした陥穽もあり、残念ながらそれが現実になっている場合も少なくないといってよい。そこで大切なのが、第二の役割としての現場からのアドボカシー(注;提言?提案を含む一連の具体的アクション)であり・・・(以下省略)(「自治体とNPOの「連携」による二一世紀社会デザインとその課題」中村陽一 『月刊自治フォーラム』2007年4月号)

民間委託のあり方についてはまた改めて私のブログでも、考える機会を作りたいと思っていますが、「協働」のあり方についても同様に、一度立ち止まって、区民の皆さんとともにそのあり方を見直す必要を感じます。

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今日で定例会が終了

今日で議会が終わりました。

関係者の皆様、お疲れ様でした。

やれやれ・・・

あと2,3回に分けて決算委員会の報告をし、そして最終日の結論について私が思うところを書いて、ブログ上での今回の定例会のまとめをしたいと思っています。とりあえず、予告。


朝晩が冷えて、日中が暑いから、どうも体調がおかしくなりそうですね。喉が痛いです。

ここらで風邪でもひくのかなあ・・・と思っていますが、今回の定例会は議員になって初めて、胃腸痛にはなりませんでした(^^;
なんででしょうね。はは。

今日は議会が終わって、そのあと大学院に行って、「協働」について、というのをふむふむと考えました。
次回のブログでも、この「協働」というものについて書きたいと思っています。

授業が終わって、夜遅くに再び役所に荷物を取りに戻りまして。定例会中、役所の控え室に溜め込んだ資料を自分の事務所に持ち帰らなくてはいけないと思って。

その前に夕飯の買い物を・・・と思って、役所の近くのスーパーで食材を買いまして。
スーパーの袋をぷらぷらぶら下げながら「さてさて、荷物・・・」と役所に入っていったら、警備員さんに「もしもし、どちらへ行かれます?」と止められました

まあ、考えてみれば、もう既に暗くなった役所の中を、スーパーのレジ袋をさげた30歳前後の女性がヌーッと歩いていたら、警備員さんもビックリしたことでしょう…

さて、私はこれから、「協働」についてのブログを書くために資料を読み込みます。
近々、更新します。

取り急ぎ、近況報告でした。
ついでといっては何ですが・・・この前のブログで、中島みゆきの「本日、未熟者」という歌を紹介しましたが、同様に最近、良いなあと思っている歌をもう一つご紹介します。
宙船」という歌。
両方とも、TOKIOが歌っているんですね。趣旨は同じような内容です。

流されまいと 逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな



自分のとった行動の責任は自分自身の手で落とし前をつけていく・・・という生き方をしたいなと思います。


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決算;産業地域振興費(その1) 地域活動参加支援

区が何かを周知させたいと思ったときに、色々なイベントや講座をやります。

団塊の世代の地域参加もその1つ。ほかにも、子育てのことや介護のことなども時折、講演会をやっています。

イベントにたくさんの人が参加するようにするためには、興味のあるテーマ設定や、「話を聞いてみたいな」と思えるような講師を呼ぶということが考えられるでしょう。

でも何よりも重要なのは、その講座を開くそもそもの理由―団塊世代の話であれば、今後も団塊世代が継続的に地域参加をするようになること―を達成することでしょう。

イベントを行うとなると、どうしても当日の参加人数、当日のアンケート結果による満足度調査が中心になりがち。
でも、そのイベントが参加者に対してどんな動機付けをもたらしたのか。練馬区に対してどんな思いを持つようになったのか。そして今後どう関与したいと思うのか・・・ということをはかる必要性を感じます。
そうでなければ、イベント・講座なんかはそれこそ、行政が直営でやるよりも「民間に任せる」というほうが良いように思いますから。

練馬区が平成19年度に、団塊の世代の方向けに行った講座は、堀田力さんを呼んだもので、私も参加しました。(こちらに報告を書いています)

参加者は250人くらい。アンケート回答者159人のうち152人が50代以上だったらしい。
あの日の会場全体の様子を思い出してみると、男性の参加者が多かった記憶。

なかなか普段は練馬区に関するものに参加する機会がない方もいらっしゃってたのではないかと思います。

だからこそ、大事なのは、その人たちがその後どう練馬区に関わりを持っているかということだと思うのです。

残念ながら、その後の状況は追跡調査をしてないらしい。

もちろん、堀田さんのお話は面白かった。でも、「あー、面白かった!」と言って終わってしまわないような、その後のフォロー体制を作ることが必要ではないでしょうか。

たとえば、何ヶ月か経ってから、「あの日の講演を覚えてますか?その後、何か活動をしてますか?練馬区ではこんなこともやってますよ」と連絡を取るとか。

人の心は一瞬にして変化したりはしないもんで、時間をかけてじわりじわりと何かを考えたり、感じたり、行動に移したりするもんでしょう。

せっかくのイベントの機会を、一過性のもので終わらせない工夫が必要だと思います。


以下、録音から起こした議事録。正式なものではありませんが。

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桜子
地域活動参加支援経費についてうかがいます。
これは、平成19年度には「地域活動参加のための講演会」を1回(注:これが堀田さんの講演のこと)と、「地域生活入門講座」というのを3回やったっていうことをうかがったのですが、まず、これらの事業がどんな方を対象に、どんな目的をもって行ったのかということを教えてください。

課長
この事業でございますけれども、団塊の世代の方が地域デビューを図っていくと…こういう情勢になっている中で、こうした事業を行うことで、地域に出ていくきっかけ作りになればということで実施している事業でございます。

桜子
この19年度の講演会は、堀田力さんを呼んで250名くらいの参加があったということを伺いました。その後、この250名の方がどれだけ実際に地域活動に参加をされたのかという、事後の追跡調査を行ったのかどうか、教えてください。

課長
参加された方について、当日アンケート等はしてございまして、そちらからは、「こういうようなボランティアをしたい」とか、「いろいろな講座にいきたい」という風な声は挙がってございますが、申し訳ありません、そういう追跡調査はしてございません。

桜子
アンケートの資料も事前にいただきましたが、回答された方が159名いらっしゃって、そのうちの152名が50代以上であるということだったんですが。
これは事業がねらっていた年齢層の方に集まっていただいたということだとは思うんですけれども、この当日の資料の中に、たとえば今後の地域参加につながるようなイベントの案内であるとか、ボランティア・市民活動センターとかまちづくりセンターとか、そういう資料は入れたんでしょうか。

課長
この団塊の世代の方を対象とした事業、福祉部の事業とか、商工観光課の事業とか、色々な事業がございまして、そちらの関係の案内等は入れさせていただいています。それと関連するお知らせとかも含めて、参加される方にはお渡しをいたしました。

桜子
ちょっとうかがっていて気になったのは、この講座に参加するっていうことだけではなくて、これから先、参加された人たちがどれだけ実際に地域に参加するかということがこの事業そのものの成果として考えられるんじゃないかと思うので、事後の追跡調査をしていないとなると、何をもってこの事業が成功したかどうかをはかるおつもりだったのかというのを、お考えをお聞かせください。

課長
ひとつは、参加をされた方にアンケートをして、そのお気持ちをお聞きしてございます。そしてまた講座等の中で、「今後、区で行うこういう事業等がございましたらご案内をさせていただきますのでご参加ください」というような形のご案内はさせていただいております。

桜子
今年度―平成20年度もすでに4ヵ所の地区区民館で7つ講座を行っているという資料もいただいたので、この講座に参加してどう思ったかというよりも、それから先にどうつながるのかというところを、これから工夫して、しかけ作りをしていっていただければと思います。


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ちょっと一息、文学の話。

水曜日に決算の審査が終わりました。結論はまだですが。

今日は常任委員会のまとめがあって、来週になると特別委員会、決算特別委員会のまとめがあり、そして最終日を迎えます。

とりあえず、大きな山場は越えたかなーというところです。

そんな、昨日あたりからドッと疲れが出ました

なにせ、小心者で、人前でしゃべるのが苦手なもんですから・・・(^^;


ちょっと気分転換に、頭の中が文学になっています。
決算に関連してご報告することはまだまだあるのですが、今日のブログはちょっと一息で。。


文学をやってたのは良かったなあと思います。
文学とまでは行かなくても、心にすとんと落ちてくる言葉を覚えておくのって、ストレス解消に良いですよ。
私は、趣味があんまりないので、趣味は酒だろうかと思っていましたが、そうだそうだ、文学があったなあと気づきました。

真面目に文学的に言えば、今ふいと思い出すのは、随分以前にも書いたことがある、夏目漱石の「草枕」の一文でしょうか。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。


もう少し軽くいくならば私はやはり中島みゆきです。


そんな、ほわ~んとした頭で今日を過ごしていました。


友人と話していて、たしか環境に関する話題だったんだと思いますが、ふと友人が、「柳って、根が深いんだって。枝葉はそよそよしているけれど、根っこがとってもしっかりしているから、川沿いに植えると護岸になるらしいよ」と言った。

今、調べてみたら、「柳枝工」という、護岸の方法があるみたいですね。

でも今日の私の頭の中は「ふわふわ、文学」になっていたので思わず本題から逸れて、「柳は枝葉はそよそよなのに根が深い」というところに気をとられました(^^;
「ははあ、そうか~。私も柳のような人になりたい・・・」とつぶやいてしまった。


で、なんだか、中島みゆきの「EAST ASIA」という歌を思い出しました。
この歌はたしか私が小学6年生の時に出た歌。そのときはよく分からなかったけれど、だんだん分かるようになってくる。それも文学の面白さですね。

どこにでもゆく柳絮に 姿を変えて
どんな大地でもきっと 生きてゆくことができる
でも心は帰りゆく 心はあの人のもと
山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は笑って越えてゆく
力だけで心まで縛れはしない


ちなみに「柳絮」というのは、柳のうちのある種類のものに、綿毛がついた種ができるものがあるそうで、その種のことを言うそうです。ふわふわ飛んでいくらしい。


心は自分に誠実に、でも行動はしなやかに・・・そんな生き方ができたら良いなあと思いますが、これがなかなか難しい。

いつかはそんな境地に至れるのかしらと思うけれども、ふと思えば、私の母も、私の祖母も、とっても頑固なんだ・・・この分でいくと私もなかなかしなやかにはなれないかしら、と、ふうとため息。


そういえばそんな内容の中島みゆきの歌もあったな、と思い出す。
本日、未熟者」というもの。

あがいてもがいて 1日がゆく
わめいてほざいて 1日がゆく
さからいはむかい 1日がゆく
当たって砕けて 1日がゆく
いい加減に悟ればどうかと 低く招く誘い 蹴れば
掌は返る 敵(かたき)は増える
それでこうして やさしい人をおろおろと探しているんです
・・・


続きは、歌の題名のところにリンクをつけてあるので見てみてください。

おお、こりゃまた、私のことを書いているんだろうかというような・・・
いくら小さい時から中島みゆきが好きだからって、中島みゆきの歌詞のとおりに生きようと思ってるわけではないのですが

「私のことを書いてるんじゃないか」と思わせる書き手はやはり文学者としては天才なんだろうなと思いますが、でも感心するよりもゾッとするくらい今の私にぴったりな歌詞でした・・・。

こりゃ、次にカラオケに行く機会があったら歌わなくてはいけませんね(^^;

子ども家庭支援センター;続報

前々回のブログで書いた子ども家庭支援センターのこと、わけあってちょっと文章を修正しました。

表現を変えただけで内容はまったく変わらないのですが、私自身思いを持って書いた文章、そして特にこの日のブログは思いを持って受け止めてくれた方が多かったと感じていますので、そんな中で一度発した言葉を修正するということはとても重いことだと思っていますから、ご報告をさせていただきました。

どの部分を、なぜ、修正したのか、お聞きになりたい方も中にはいらっしゃると思いますので、そういった場合はぜひ直接お問い合わせください。
sakurako_happy_society@yahoo.co.jp

名誉区民のときのことと同様、私の思いについては、ブログでは、今後時間をかけて少しずつ報告できる時があると思っています。



そんな修正のご報告をする代わり(?)に、この日のやりとりの内容を、録音から起こしてみました。正式な議事録ではありませんし、ちょっと長くなりますが、ぜひお読みになってください。

先日のブログでは正規職員・非常勤の違いに関する答弁だけを書きましたが、他にも、超過勤務のこと、委託のこと、職員のメンタルケアのこと、などなど、気になる点がたくさんあります。

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桜子
子ども家庭支援センターのことに関連して質問いたします。東京都の児童相談センターが管轄しているところ―新宿のほうにある児童相談センター(注:練馬区を管轄している東京都児童相談所)ですけれど、練馬区の他に8つの区と、あと島の部分というのが児童相談センターの管轄だということなのですが。

ここのすべての合計の相談件数の資料をいただきまして。そうすると、平成19年度は5759件の相談があったということ。その中で練馬区の相談件数と言うのが1166件であるという資料でした。
それを見るとやっぱり、練馬は他の区に比べても人口も多いし子どもの数も多いということもあるとは思うのですけれども、とにかく他の区と比べて数が多いということが分かります。

それで、職員数の資料もいただいていたのですけれども、練馬子ども家庭支援センターの正職員の方が2人、非常勤・再任用が3人。関(注:関地域の子ども家庭支援センター)は正職員が2人、非常勤・再任用が2人ということで相談体制を整えているということでして。

非常勤・再任用に関しては週4日ということがあるのですけれども、それをちょっとおいておいてとりあえずすべて合計しても9人。単純に1166件の相談を9人で割ったら、1人あたり130件近い相談になるのではないかと。私はそういう風に計算したんですけども。

同じ児童センターが管轄している8つの区の職員体制はどうなっているのかなということは、「資料がない」ということだったので、事務局(注:議会事務局)にお願いしまして調べていただきました。
それだと、非常勤と常勤が混ざり合っていたりだとか、ちょっと正確にわからない部分もあるんですけれども、平均を出してみると8つの区で1人あたりの相談件数の平均が50件くらいじゃないかなというふうに、私は計算しました。それで、そういう風に計算してみると、100件を超えているのは練馬と新宿だけでした。それは、私は相談件数の数字と職員数の数字から単純に割って計算したんですけれども、実際のところ今、練馬区内の子ども家庭支援センターで、職員が1人あたり何件の相談ケースを受け持っているかということは、把握していらっしゃるでしょうか。

課長
実は、2つの考え方があろうかと思います。1つは、相談という1166の内訳ですけれども、この中に308の虐待というのが入っているというのは聞いていただけたと思います。そうすると残りの、じゃあ件数はどういう相談だといった場合に、電話がかかってきて「そうですね、はい分かりました」とい具合にして終わってしまうもの、それから逆に30分話しても40分話しても…というようなもの、様々なものが入っているという具合に考えていただきたいと思うのです。

私は、この1166件に着目をするのではなくて、私どもで実は現在練馬区内で約540の虐待児童を把握し、その540の子どもたちについてしっかりと3ヶ所の子ども家庭支援センターで見守りをしているというところでございます。そういう考えの中で見ていただくべきだと。

ひとつ、電話等々の受付件数をもってして、その1つの自治体の業務が過重であるか、軽微であるかということを議論するべきではない、という具合に考えております。

ちなみに、他の児童相談所で申し上げますと、例えば墨田区は約7000件というような相談件数がある、というような形ですから、実は練馬区を包含するセンタートータルの5759件を1区で…あ、すみません、墨田区ではなくて江戸川区で3041件ということですから半分にいってしまう。ですから早計に件数だけを比較して重いか軽いか、ということではないと私は考えております。

桜子
私がお聞きしたのは、1人の相談員の方が、何件のケースを継続的に担当しているのかということをお聞きしたかったのですけれども、それはいかがですか。

課長
ですから、相談の受付件数ということではなくて、先ほどお話したように、見守りしている件数という意味からすると、1人60件ということでございます。

桜子
相談の担当の職員さん、正職員の方と非常勤・再任用の方がいらっしゃると思いますが。非常勤・再任用の方は週4日っていうことはお聞きしたのですけれども、それ以外にどういう部分が、非常勤の方と正規職員の方と、なにが違うのでしょうか。

課長
ちょっとご質問の意味がよく理解できないのですが、例えば給料が違うということでございます。

桜子
相談の件数であるとか、仕事内容であるとか、そういうところで何が違うかと聞いているんです。

課長
職務の面で常勤、非常勤、異なるところはございません。

桜子
そうすると、1人あたり60件、割ると担当しているというお話でしたけれども、その件数も、非常勤でも変わらないということですか。

課長
1人あたり60件という具合に申し上げましたが、厳密に1人あたりの件数はすべてが60件でイコールではございませんので、若干の軽重はございます。

桜子
じゃあ…光が丘の子ども家庭支援センターは委託でやっていると思いますけれども、その光が丘の地域の虐待の対応と言うのは、どういった形でやっているのでしょうか。

課長
練馬には現在、虐待の通報を受ける子ども家庭支援センターが3つございます。練馬と関と光が丘ということでございます。練馬と関については区の職員が運営をし、光が丘については委託で運営をしているということでございます。したがいまして、この2つの練馬・関につきましては、区の職員が受けているわけでございますが、光が丘については一時的な受付をし、二次的な対応―例えば児童相談所への通告といったようなものにつきましては、練馬が行っているというような形で運営をしてございます。

桜子
そうなりますと、光が丘で掘り起こされてきた、光が丘の地域の不安なご家庭であるとかお子さんっていうものが、すべて練馬で受けなくてはいけないっていうことだと思いますけれども、それを考えると、かなり練馬の仕事量が多くのなるのではないかと、今話を聞いただけでも思うわけですが、今、練馬のほうは職員体制であるとか超過勤務であるとか、そのあたりはどうなのでしょうか。

課長
もう一度整理をさせていただきたいと思うのですが、まず練馬の虐待相談を受けている職員が5名でございます。関のセンターで受けている虐待相談の職員は4名でございます。光が丘で受けている職員は3名でございます。

練馬は常勤・非常勤あわせて12名の職員がいます。関のほうは常勤・非常勤あわせて6名の職員がおります。光が丘のほうは常勤が6名、非常勤が7名の13名、職員がいるというような形になっております。

この中で運営をさせていただいておりますので、それぞれのところで適宜必要な業務量は遂行しているという具合に考えております。
超過勤務につきましても、関・練馬、同様に生じているというところでございます。

部長
今ちょっと、常勤・非常勤の配置の話が出ましたので、私も先ほどの答弁も含めてちょっと補足をさせていただきます。

先ほど常勤・非常勤の勤務の違いというご質問がありましたけれども、もちろん勤務時間・勤務体制とか給料の違いはありますが、当然職務の内容についても非常勤・常勤の違いは当然ございます。ですから常勤は全体的なコーディネートも含めていろんなやはり高度な職務につきますし、非常勤はそれを補佐するという立場…もちろん勤務経験の中で、社会福祉士なり保育士等の資格を生かした専門的な相談は応じられるということでございますので、補足をさせていただきたいと。

桜子
今、部長さんが答弁してくださったので、もう一回、ちょっと非常勤と正職員のことを聞きたいのですけれども。確認なんですけれども、では、非常勤職員はやっぱり正規職員と比べたら補佐的な役割であるということは間違いないということでよろしいでしょうか。

部長
先ほど来のご質問は、子ども家庭支援センターの相談体制を強化しなさいというご趣旨に基づいてのご質問と理解しております。そこで相談体制でございますけれども、先ほど言いましたように、相談全体は軽重様々あります。そのときだけで済む相談、ちょっとしたどこどこはどうですか、保育の手続きはどうですかとか、そういうものも全部受けておりますので1166件という件数があります。300余というのは児童虐待ですが、児童虐待の場合はご案内のとおり、ずっと見守っていくとか、ネットワーク会議の中でかかっていくとか、様々な、過去相談を受けたものを引きずっていく部分がありますので、表面上その年度に出た数字での対応だけでは済みません。

今、非常勤・常勤の関わり方ですが、そうしたいろんな、いわゆる協議会の中の4層のネットワーク会議の中、ないしはいろんな相談の中でこういう相談を受けたということで、例えば助言を仰ぐのが常勤であったりするわけで、様々な局面でそのスタッフとして役割を果たしておりますので、一概にこれはこの職務ですよと言う言い方、個別の事例でご説明はできますが、明確なそういう形での位置づけというのは、先ほど言ったように全体的な統括コーディネートは常勤がやりますし、専門的な相談は非常勤も当然受けるということでございます。

桜子
超過勤務―業務の内容は適切であるというようなこと、課長がおっしゃいましたけれども、でも一方で超過勤務も生じているというようなところは、どういった整理をされているのでしょうか。

課長
役所の業務の中でどこでも同じだと思いますけれども、繁忙期には超過勤務が生じ、閑散期には定刻で帰れるということでございます。

桜子
私が気になっているのは、今度から大泉にも子ども家庭支援センターを作ろうということで準備されてますよね。それを委託の方向でいきたいということもおっしゃっていると思うんです。光が丘の虐待のことを全部練馬のほうに回している。光が丘では受信するだけで、内容のことは練馬のほうでやっているということだと、大泉のほうはどうなるのだろうかということが気になるのですが。

課長
大泉につきましては、現在検討中でございますが、関町もしくは練馬、そのどちらかの指示をあおいで職務を進めるということになりますので、その際にもう一度、所要人員については確認をし、必要な所要人員を配置したいという具合に考えております。

桜子
今、もうすでに光が丘の分も受けなくてはいけないという中で、超過勤務も生じているというお話もあって、その中で大泉がどうなっていくのかということが、私はすごく心配しておりますので、きちんと対応していただきたいと思います。委託であると、やはり前の健康福祉委員会の議事録なんかを見ても、「虐待相談というのはすごく難しい問題があるから、なかなか委託の事業者ではできない部分がある」ということも答弁でおっしゃっていたと思うのです。その部分、きちんと本当に委託で良いのかどうかと言うことも含めて検討していただきたいと思います。

虐待の相談を受けるということはすごく職員にとってもメンタルの不安な部分が出て来たりとか、不安定な部分が出てきたりという可能性もある。すごく負担の大きい仕事だと思うのですけれども、職員に対するメンタルのケアということはきちんとされているのでしょうか。

課長
まず虐待という部分なのですけれども、大変に難しいということは事実でございます。ですから逆に重要な部分については区が行い、軽微な部分については委託で行うというのは、やはり原則だというように考えます。

それから職員のメンタルな部分ですが、やはり所長を中心として職員とコミュニケーションを保ち、職員の心の疲れというものをしっかりと把握しながら、それを和らげていくと言うようなことを絶えず行っておりますし、また所長に対しては私どものほうで十分に話を聞き、またそういった同様のことをやらせていただいているところでございます。以上でございます。

決算―重度障害者の訪問介護

私は議員になるまで、ALSという病気の方の訪問介護をやっていました。

ALS―筋萎縮性側索硬化症という難病。
神経の難病で、だんだん体が動かなくなってしまう。食事の飲み込み、呼吸、しゃべること・・・病気が進行するとできなくなってきてしまう。
認知機能は衰えないのに体が動かなくなってしまう。

じゃあどうやって自分の意思を伝えるのか。あごの動きや目の瞬きでセンサーを操りパソコンを使っている人もいらっしゃる。
透明のプラスチックに「あいうえお」の50音が並んでいて、その文字を見つめて瞬きで合図することによって介助者に読み取ってもらうという方法をとる人もいる。

自発呼吸が難しくなると、喉の辺り―気管を切開して人工呼吸器をつける。
健康ならば無意識にやっている「痰を出す」ということも自力でできないので、痰がたまるとむせたような状態になってしまう。だから、吸引が必要。

人工呼吸器が外れたら息ができないので、あまりに長いこと気づいてもらえないと死んでしまうけれども、声も出せない、自分で動けないから、誰か気づいて!と思うしかない。


そんな、まだ完治の方法が見つかっていない難病の患者さんでした。

社会福祉士の学校に通っていた頃から、月に数回ではありましたが訪問していて、間はデイサービスに就職した時期もあったりしたけれども、その時期を除いたら3年弱、ALSの介護をしていたことになります。

私の利用者さんは練馬区外にお住まいの方。(都内ですけど)
お一人の方は高野山が大好きな方で、毎年秋になると家族と一緒に高野山の旅行に行く。

ヘルパーが何人かと、あとはボランティアさんを募って、一緒に出かける。

高野山なんて、文字通り「山」ですから、バリアだらけです(^^;

でも、お寺の中に入って拝みたいという希望に、皆でよっこらしょと車椅子を持ち上げて入る。

現地のガイドさんは最初は、「あ、ここは車椅子は無理よ」とさっさか諦めて行ってしまおうとするんだけれど、「いやいや、本人が行きたいところには何としても行こう」と皆でよいしょと車椅子を持ち上げる。人工呼吸器と携帯用吸引機が乗っている車椅子だし、背もたれも頭のところまである大きなものだから重いわけですが。
でもそれを何度も繰り返すうちにそのうちガイドさんもそれが当たり前になってきて、「ちょっと段差があるけど、あっちからだと少しは行きやすいかも」なんて、工夫をしてくださるようになる。

学生時代に一度、一緒についていって見たその光景は、とても新鮮でした。

バリアは極力ないほうが良い。
でも、諦めてしまう心のバリアさえなければ、物理的なバリアは取り除けるんじゃないか、ということに気づいたのでした。

そして、周りの人の心のバリアを取り除きながら、障害のある人が社会に参加して行くことを支えるのが、福祉の仕事なんだなーと思いました。




今日のブログでとりあげたのはALSのことですが、他にもたくさんの障害があって、人によって支援してほしい状況も異なる。

でも、練馬区はどんなに重い障害を持とうと、どんな家族状況、住宅状況であろうと、最高で使える時間数が一律14時間までの訪問介護であるということが分かりました。
もっと前には20時間を超える支給もしていたようなのですが、平成15年に障害者に「支援費制度」というのができた頃から「上限14時間」を設けたという流れのようです。この頃、他区の状況を調べてみたら、平均14時間程度の支給をしていたから、練馬もそこをラインにした、と答弁される。

それから、「国庫負担基準」というのがあって、国から出るお金が一定の割合までとされているから、区としての支出も一定の制限を設けざるを得ないんだと。

そうはいっても、1日は24時間あるわけです。
それじゃあ残りの10時間はどうやって生活しているのでしょう。
実際にはどうやら、家族がやったり、訪問している事業所がボランティア状態でやっている場合もあるようです。


厚生労働省は、国庫負担基準を定めている一方で、
国庫負担基準は、あくまで国が市町村の給付費の支弁額に対して国庫負担する際の一人当たりの基準額であり、当該基準額が個々の利用者に対する支給量の上限となるものではない

支給決定基準を適用して支給量を定めることが適当でないと判断される場合は、支給決定案について市町村審査会の意見を聞いた上で個別に適切な支給量を定めること

という見解を出しています。(平成18年6月26日障害保健福祉関係主管課長会議資料より)

国で上限を定めながら、あとは市町村でちゃんとやれ、というのはそもそもおかしな話だと思います。
福祉はただの「お買い物」とは違うんだから、個別のニーズに合わせて必要な福祉サービスを提供するのは、生存権の保障にも関わることです。

だけどそれにしても、要綱でもって上限を1日14時間なんて定めているのは練馬区以外に今のところ見つかりません。どんな状況でも上限は14時間だから、審査会を開いて検討することもやっていない。
こんな、生存権を犯しかねない要綱があって良いんでしょうか。上記の国の方針とさえ、外れていますよね。

色々と問題の多い障害者自立支援法ではありますが、その第2条には市町村等の責務がかかれています。法律って読みにくいけど、原文をそのまま書きます。特に注目していただきたい点には下線をつけました。

障害者が自ら選択した場所に居住し、又は障害者もしくは障害児がその有する能力及び適正に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、当該市町村の区域における障害者等の生活の実態を把握した上で、公共職業安定所その他の職業リハビリテーションの措置を実施する機関、教育機関その他の関係機関との緊密な連携を図りつつ、必要な自立支援給付及び地域生活支援事業を総合的かつ計画的に行うこと

上限が一律14時間というのは、法にある市町村の責務を果たしていることになるでしょうか。非常に疑問を感じます。

練馬区に住む当事者の声をよく聞き、市町村の責務を果たしていくべきです。

現場を大切にする練馬区を目指したいですね。

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決算の審議―子ども家庭支援センター

9月30日から今日まで3日間、決算の質問を担当しました。私がやったのは、産業地域振興費、保健福祉費、児童青少年費。

その準備で毎日朝から夜中までバタバタしていてブログがご無沙汰でした。

思うことがたくさんあって、順番に報告したいと思ってますが、まずはちょっと順番を変えて、直近の児童青少年費から。


区内には今、3カ所の子ども家庭支援センターがあります。
これは、虐待ケースも含め、子育ての相談に乗る場所。

練馬地域、関町地域の2カ所は直営で、光が丘地域は委託で運営している。

練馬区は人口が多いせいもあると思いますが、年間の相談件数が1000件を超えています。

必ずしも虐待相談なわけではなく、比較的軽微な子育て相談も含まれているわけだけど、でも軽微な相談かと思いきや実はその後ろに虐待が隠れている場合もあるわけだから、相談員にはつねに専門性が求められるし、一人でこなせる仕事にも限界がある。

だけど、今、直営のセンターで相談職として活動しているのは9名。そしてそのうち5名が非常勤。

さらには、委託をしているセンターでは虐待相談は受けられないということで、光が丘の虐待相談はそのまま練馬センターに回されているらしい。

広い練馬区の虐待相談を一手に、2カ所で受けるには、業務量としても職員の精神的負担も相当なものになるということは、少し想像すれば分かることですね。

それに、その地域の特性や、民生・児童委員さんなどの地域の「人」をよく知る職員が、人間関係の中で連携しながら問題解決する必要性を考えると、光が丘地域のケースを練馬地域でやるのでは意味がない。
東京都の児童相談所だけではなく、市町村の子ども家庭支援センターが存在する意味は、地域性を持った支援が必要になるからなのですから。


桜の保全の問題でこのブログにとりあげましたが、大泉にもセンターを作ることになっていて、そしてこれまた委託の方向。

光が丘のように、虐待相談を受けられない状況を考えると、大泉を委託にすることに対する大きな疑問がわきます。

大泉の虐待相談まで練馬か関町のセンターが受けなくてはならなくなるのか。しかも、非常勤が過半数を占める状況で。


気になる点がいくつもあるので、今日の決算で指摘をしました。

虐待相談と分類されるケースは、ひとりの職員が60件ほど受け持っているという答弁。

そうなるとやはり気になるのは、非常勤も正職員と同じほどの業務をこなさなくてはならない状況なのではないかということです。

そこで、「非常勤は週四日勤務ということですが、他に正職員と違う点は」と質問しました。

そしたら、「お給料が違います」ですって。

練馬区の相談件数の多さや一人が受け持つケースの多さの話をしているという流れの中で、この答弁。

課長さん、よほど頭の働きが鈍い方なのか、現場の深刻さをご存知ないのか、あるいは人を馬鹿にする趣味をお持ちなのか。

私はこの答弁を聞いて非常に不愉快な気分になりました。


この件だけではありませんが、例えば保育園の民間委託の話の時なんかにもありましたけれど、時折、起きている問題そのものの本質を探ろうとせずに、口先だけの逃げ答弁を練ったんだなと感じることがあります。

小手先の議会対策をするのが行政の仕事ではありますまい。
そんな小手先の対応をして、してやったりという顔をしている課長や部長を見ると、内容の如何以前の問題で、地域課題を解決する職に就く者として非常に不愉快になります。


民間委託をどんどん進める怖さは、例えば保育園の質が下がるとか、そういった個別の問題だけではなくて、行政の管理職が現場の切実さからかけ離れていくことだと思います。

今回の定例会の一般質問で他の議員さんが、今の委託の進め方と行政のあり方を「手足も足腰も失って頭だけになっている」と表現していましたが、まったくその通りではないかと思います。

児童青少年費は他にも、学童クラブや保育園など課題がたくさんありますが、ほかの議員さんへの答弁も含め、今日はなんとも後味の悪い答弁が多かった。

いまだに胸がムカムカします。


子ども家庭支援センターについては、虐待ケースで取り返しのつかないことが起きないようにということ、そしてセンターの職員が激務で燃え尽きないようにということがとても重要です。

もしこのどちらかに問題が起きたら、区長をはじめ、本部長、部長、課長は当然責任をお取りになるんでしょう。

何か問題が起きるとしたらそれは、非常勤の多さ、業務量の多さ、委託という形態に起因するのですから、責任は現場の長ではなく計画の責任者が取るべきです。

現場の切実さを切り捨てるならばせめてその程度の切実さをお持ちになるべきですね。
それでも子どもの命よりは軽いでしょう。

子ども家庭支援センターのことは、私はこれからずっとチェックし続けますから。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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