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コミュニケーション
今回の定例会が始まる前には路上生活者に関する勉強会や、練馬区がやった児童虐待に関する講演会に出席して、考えることがたくさんありましたので、報告したいと思っているんですが、その前に、今日ちょっと気になったことを書きます。
私の活動の中の優先順位を考えてみました。
議員になる前、福祉の仕事をしていた頃から、かなり「仕事好き」ではありました。
前からブログにも書いているようにお酒も好き。
ただ、お酒よりもさらに好きなものがありまして。
「睡眠」がかなり好き。
睡眠時間を削ってまで酒を飲みたいとは思わない。
どんなに深い悩みを持っても、「眠れないほど悩む」という経験はない。
困った困った・・・zzz・・・みたいな感じ。
でも、やりたいことがどんなにいっぱいあっても、1日は24時間。
仕事も、酒も、眠ることも好きなら、どうやって時間を確保するか。
そうなると、削れるのは、「食事の時間」になってしまうんですねぇ・・・
だから、忙しくなっても睡眠時間は削れないけど、食事時間は短縮されていきます。
定例会で忙しくなるほど、私の食事は粗食になり、「食事」が「エサ」へと変化していくわけです
つい何回か前のブログを書いた頃には、ちゃんとイモをむいて調理していたんですが、定例会がすでに始まっている今となってはかなりめちゃくちゃ。
仕事の合間の10分くらいを見つけて食べるようになってしまうんですが。
だから、ファストフード、チェーン店なんかに駆け込むことも、増えてしまいます。
スーパーマーケットでの買い物もそうですが、ファストフード店で買う時って、店員さんと人間的なコミュニケーションを望めない淋しさっていうのがあるでしょう。
店員さんが私の目を見ないで宙を見つめながら販売をするから。
ありゃあ、この人、マニュアルを読み上げてるだけなんだろうなあ、と感じる。心はどこにあるのだろうか、と。
でも、このファストフード化・チェーン店化は、この2,30年のことですね。
28歳の私が物心ついたときにはすでにチェーン店が増えていました。
ファストフードのマニュアル通りなバイトさんがお客の目を見ず業務をこなすって話は、昔から有名な話だけれど、だけど最近、牛丼屋なんかに入って気になることは、「店員だけではなくてお客さんも、相手の目を見ずに注文する」ということ。
「ご注文はこれでよろしいですか?」と店員さんから聞かれても、手に持った携帯やら雑誌やらを眺めたまま、口だけで「ハイ」と答える若い人が結構いる。
いや~、口だけ動かすんでも意志は通じるけれども、でも確認している相手は機械じゃなくて人間なんだから、せめて注文する時くらい会話の体をなせばいいのに・・・と、不思議に思いながら眺めています。
店員さんがマニュアル的にこちらの目を見ずしゃべるという店の形態に子どものころから慣れてしまった結果、客も相手の目を見なくなってしまったんでしょうかねぇ。
・・・たまには中島みゆき以外の歌詞を引用してみますが・・・
泉谷しげるの春夏秋冬という歌をふと思い出したりしました。(いずれにしても20代の選曲らしくないとは思いますが・・・^^;)
季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人にあう
・・・
些細な部分ではあるけれど、「相手も心を持つ人間だ」ということを感じずに生活できてしまう環境によって、だんだんと「道行くほかの人にもかけがえのない人生があるんだ」という実感さえも失われていくのではないか・・・こんな小さなコミュニケーション不足の積み重ねが、じわりじわりと社会の中に大きな闇を広げているような気もしたのです。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
私の活動の中の優先順位を考えてみました。
議員になる前、福祉の仕事をしていた頃から、かなり「仕事好き」ではありました。
前からブログにも書いているようにお酒も好き。
ただ、お酒よりもさらに好きなものがありまして。
「睡眠」がかなり好き。
睡眠時間を削ってまで酒を飲みたいとは思わない。
どんなに深い悩みを持っても、「眠れないほど悩む」という経験はない。
困った困った・・・zzz・・・みたいな感じ。
でも、やりたいことがどんなにいっぱいあっても、1日は24時間。
仕事も、酒も、眠ることも好きなら、どうやって時間を確保するか。
そうなると、削れるのは、「食事の時間」になってしまうんですねぇ・・・

だから、忙しくなっても睡眠時間は削れないけど、食事時間は短縮されていきます。
定例会で忙しくなるほど、私の食事は粗食になり、「食事」が「エサ」へと変化していくわけです

つい何回か前のブログを書いた頃には、ちゃんとイモをむいて調理していたんですが、定例会がすでに始まっている今となってはかなりめちゃくちゃ。
仕事の合間の10分くらいを見つけて食べるようになってしまうんですが。
だから、ファストフード、チェーン店なんかに駆け込むことも、増えてしまいます。
スーパーマーケットでの買い物もそうですが、ファストフード店で買う時って、店員さんと人間的なコミュニケーションを望めない淋しさっていうのがあるでしょう。
店員さんが私の目を見ないで宙を見つめながら販売をするから。
ありゃあ、この人、マニュアルを読み上げてるだけなんだろうなあ、と感じる。心はどこにあるのだろうか、と。
でも、このファストフード化・チェーン店化は、この2,30年のことですね。
28歳の私が物心ついたときにはすでにチェーン店が増えていました。
ファストフードのマニュアル通りなバイトさんがお客の目を見ず業務をこなすって話は、昔から有名な話だけれど、だけど最近、牛丼屋なんかに入って気になることは、「店員だけではなくてお客さんも、相手の目を見ずに注文する」ということ。
「ご注文はこれでよろしいですか?」と店員さんから聞かれても、手に持った携帯やら雑誌やらを眺めたまま、口だけで「ハイ」と答える若い人が結構いる。
いや~、口だけ動かすんでも意志は通じるけれども、でも確認している相手は機械じゃなくて人間なんだから、せめて注文する時くらい会話の体をなせばいいのに・・・と、不思議に思いながら眺めています。
店員さんがマニュアル的にこちらの目を見ずしゃべるという店の形態に子どものころから慣れてしまった結果、客も相手の目を見なくなってしまったんでしょうかねぇ。
・・・たまには中島みゆき以外の歌詞を引用してみますが・・・
泉谷しげるの春夏秋冬という歌をふと思い出したりしました。(いずれにしても20代の選曲らしくないとは思いますが・・・^^;)
季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人にあう
・・・
些細な部分ではあるけれど、「相手も心を持つ人間だ」ということを感じずに生活できてしまう環境によって、だんだんと「道行くほかの人にもかけがえのない人生があるんだ」という実感さえも失われていくのではないか・・・こんな小さなコミュニケーション不足の積み重ねが、じわりじわりと社会の中に大きな闇を広げているような気もしたのです。
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
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