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朝の駅での出会い

今日、石神井公園駅北口の駅頭で、今年最後の朝の挨拶をしました。

今日がこの冬一番寒いというから、だるまのように着込んだので、意外と大丈夫でしたが(^^;

朝の駅でチラシ配りを始めたのが、選挙に出る前の年の夏でしたから、かれこれ2年半になります。

毎週毎週駅に立っていると、顔見知りも増えてくるので、ちょっとした「出会いと別れ」を感じることもよくあります。

いつもチラシを受け取ってくださってた方、最近見かけないなあと思っていると、仕事の時間が変わったんだよ、とか、退職したから朝の駅にはもうあまり行かないんだよ、などなどの近況が聞こえてくることもあります。

引越しされる方もいるでしょうしね。

だから当然のことながら季節ごとに少しずつ顔ぶれも変わっていきます。見慣れた顔を見かけなくなるのは寂しいことです。


体調が悪くなって仕事を休んでいるために、「駅では会えなくなりました」とおっしゃった方がいらっしゃいました。
ずーっと気になっていたのですが、その方に、今朝の駅で再会!
「ご無沙汰しました。仕事に出られるようになったんです。」とのこと。

改札に向かって人が流れる中での会話だから、「お元気になったんですね」としか言えなかったけれど、再会できて嬉しかった。

出会いもあり、別れもあり、そして再会もある。
駅に立って挨拶するのは、だから楽しいんです。


そして、体調が悪かった方が無事戻ってこられた姿を見て、6月の「あしがらさん」上映会のときに北村年子さんがおっしゃっていた言葉を思い出しながら、駅に立っていました。


「誰もが完全でなくて、弱点も欠点もあり、遅いこと、小さいこと、間違うことがあること、そういう不完全さを許しあえる、優しさや共感性を育むことができる社会だったらいいのになあと思います。」


朝の駅での挨拶は、来年は1月5日から再開する予定です。

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日常の中の幸せ

なんとなく、クリスマスイブが終わると、クリスマスの大騒ぎも一山越えた感じがしますよね(^^;

皆様、いかがお過ごしでしょうか。無事、クリスマスを乗り越えましたか?(笑)

私は案の定、友人と居酒屋であん肝を食べてビールを飲んで終わりました

うーん、いつもどおりだ・・・やっぱりクリスマスって釈然としない。
皆さん、なにかもっとスペシャルなことをして過ごしてるんですかねぇ?

慣れ親しんだ友人と一緒にいたら、別にスペシャルになりようがないような気がするんだけど・・・。

まあでも、もしかしたら、特別なことではなくて、当たり前の日常を、いつもの友人や家族と過ごせるのが一番の幸せなのかもしれませんねえ。

そして、その「当たり前の日常」が、当たり前に過ごせなくなっているのが今の社会なのかもしれませんよね。

区議会は、今日の委員会で今年はおしまい。
いよいよ年末になりますが、来週私は、大学院の人々とともに横浜・寿町のドヤ街に泊まりに行くことになりました。。寿町に行くのは初めてですが、ここのところの社会の影響なんかも出ているでしょうかね。
行ってきたらまたご報告したいと思います。

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12月

ハッと気づけば年末ですね

★練馬区出身の友人で、今は地方で仕事をしているAさんから電話が来ました。
年末年始には実家(練馬)に帰るから、どこかで時間を合わせて会いましょうか、というお誘い。

事務所に寄るよ、と言うから、「Aさん、私の事務所に来たことあったっけ?」と聞いてみた。

Aさん「うん、ありますよ。書類が散乱していて、どこに座ったらいいのか悩んでしまうような事務所だよね」

私「・・・

Aさん「ああやって部屋中が散乱している友達って、たまにいるんだけどさ。でも、最初はどこに座ったら良いか悩むくらいなのに、そういう部屋って、しばらくするとだんだん居心地が良くなってくるんだね」

私「ふーん・・・」

Aさん「だって、座ったままでも手を伸ばせばなんでも取ることができるからね。便利だよね。だから、最初は居心地が悪いけど、10分くらいすると、居心地が良くなってくるんだね。加藤木さんの事務所も、数十分いると居心地が良くなるタイプの部屋だったと記憶しています」

私「・・・

・・・大掃除の季節ですよねえ・・・

★クリスマスの季節でもありますね。街はほんとにクリスマス一色で・・・。
これもあと1日の辛抱ですね

17,8歳までは素直に楽しんでいたと思うんですが、どうもこの10年くらい、クリスマスが苦手で

街中にクリスマスソングが流れ始めると、なぜか憂鬱な気分になります(^^;

何が私を憂鬱にさせるのか、としみじみ考えました。

これはたぶん、恋人がいるか否かというような問題ではなくて、誰もがみんな同じになるということに居心地の悪さを感じているんだと思うんです・・・。

中島みゆきの12月の歌は暗いから、クリスマスのフワフワにあまりの居心地の悪さを感じるときには中島みゆきを歌うしかない。

何万人の女たちが あたしはちがうと思いながら
何万人の女たちと 同じと気がついてしまう月
人の叫びも 鵙(もず)の叫びも
風の叫びも 警笛(ふえ)の叫びも
みんな似ている みんな似ている
人恋しと泣け 十二月


・・・こんな歌を歌ったら余計に憂鬱になりますが・・・


だけど、バレンタインデーは4,5年前に私の中では廃止されたんですが(笑)、クリスマスは苦手なのにまだ達観しきれない。

12月24日の夜は仕事関係の集まりは避けるようにしたり。だけどその後、家にこもるのも癪に障るので友達をつかまえて。
だからって甘いものは食べられないからケーキはダメだし、クリスマスにふさわしそうな店に行くと混んでそうで面倒くさいから普通に刺身とか食べて。
まあ一応は24日を乗り切った、と思ったところでふと、「ああ、今年もまたクリスマスに振り回された・・・」という気分になる・・・(--;)

だからクリスマスは嫌いだ。


いっそのこと、もっと平等な視点に立って、キリストの誕生日だけではなくお釈迦様の誕生日も世界中でこぞって祝うべきではないかと(^^;

そんな憂鬱な季節も、あと少し。頑張って乗り越えましょう・・・

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大人に対する人権教育って・・・

6月の「あしがらさん」の上映会の報告書がなかなか完成しなくてですね・・・
ようやく原稿ができたので、あと数週間で参加者のみなさんに発送できると思うのですが。

ホームレス問題の授業作りを課題にしている清野賢司さん、北村年子さんがお話くださった内容で共通していた点は、「子どもは大人の社会から影響を受けて路上生活者に嫌悪感をもってしまうことがある。でも実際に路上生活者に会ってみれば、『自分達と同じ、普通の人間なんだなあ』と気づくことができる。子ども達にそういう機会を作りたい」というところでした。

路上生活者は自分とは関係のない人、自分とは違う世界の人だと思っていると優しさが通わないけれども、「私と同じ人間が、何かのきっかけでたまたま路上に行かざるを得なかったんだね」と思えれば変わる。

そんな話だったと思います。


私はこのシンポジウムでは司会役をやっていて、当日は実のところテンパって半分頭が白くなりかけながらやってたんですが(^^;)、報告書を作るためにテープ起こしをしながら、改めて色々考えました。

たしかに、子どもは、真実を知れば変わるのかもしれない。
恐れは無知によって起こると思うから、知れば怖くなくなるでしょう。怖くなくなれば攻撃しなくなるかもしれない。襲撃はなくなるかもしれない。

でも、そのためには、子どもと同時に大人も変わらないといけない。
これがなかなか、難しい気がする。


今回のシンポジウムに参加してくれていた小学生が、感想文をくれました。「大人は偏見を持つ生き物なんでしょうか」という趣旨のことが書いてあった。


それで思ったんです。子どもは「自分と変わらない人間だね」と分かることで偏見が消えるかもしれないけれど、大人はそうじゃないような気がするのです。


大人は、路上生活者が自分と変わらない普通の人間だということに、本当は気づいているのではないですかね。

だけど、それを認めたくない。認められない。
認めてしまったら、「自分もいつかは路上で生活する身になるかもしれない」ということになるから。それを想像すると心が痛いから。


路上生活以外の例を挙げてみましょうか。

何か悲惨な事件が起きた時。
被害者についても加害者についても、家庭環境だとか、学校時代の話だとか、職業の話だとか、何か特別な特徴を見つけて、週刊誌なんかで報道されたりする。

悲惨な事件の当事者は、自分とはまったく違う何かを持っていたに違いないと思い込もうとするところが、私達の中にはありませんかね?
だって、私達と何も変わらない「普通の人」の身にそんなことが起きたなんて認めるのが辛いから。
そんな心理が、報道による被害を生むのかもしれません。


だから、路上生活の問題を考えるときもそれと同じだと思うのです。
路上生活になってしまう人はきっと自分とは違う何かをもっていたんだろう、と思い込もうとする。
それが、子どもに対して、「努力しないと、ホームレスになってしまうんですよ」と教え込むことに発展するのかもしれない。

北村さんは、「誰でも間違えることはある。ちょっとしたタイミングで、誰でも路上生活になりうる」とおっしゃっていました。それはたしかに間違いないと思う。
でも、大人は、本当はみんなそれを分かっていて、でも心のどこかで、無意識にそこから目を背けているのではないかと。


だから、わざと強く「路上生活者は私とは違う」と言う。

それは、路上生活者を差別したいんじゃなくて、自分を守りたいということなんじゃないかしら。

子どもが偏見を持つ理由と、大人が偏見を持つ理由は、こんな風に、違うような気がしたんです。


大人の人権教育は、まずは、「自分の安全が侵害されそうな恐怖」と向き合うことなのかもしれないなあ、とふと思ったんです。

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産科医療補償制度

★なんだか最近、やたらと頻繁に、「加藤木さんって、どういうきっかけで議員になったの?」と聞かれます。
一日一回はこの質問をされているような気がするほど・・・(^^;

なんでだろう・・・最近新しく知り合う人が増えているのかなあ・・・

あんまりしょっちゅう聞かれるから、非常に流暢に答えることができるようになりましたが(笑)

「福祉の仕事をしていて、たとえば高齢者の孤独死の問題だとか、世の中おかしいなと思うことがあるのに変えることができないから、変えられる仕事をしたかったんです。で、何の仕事に就いたらそれを実現できるかなと悩んでたんです。
大学時代にハンセン病の支援をしていた頃、ハンセン病の当事者の方が民主党から選挙に出たことがあった。そのお手伝いをした時に、練馬の民主党の国会議員の秘書と知り合っていたんだけれど、ある時その人と話をしていて『どうしたら地域に関わる仕事ができるだろうか』と言ったら、『議員の仕事をしてみたら?』と言われたのがきっかけです。」

というような内容です。。

そうすると、「ふ~む、ずいぶんスムーズに行ったもんだねえ。良かったねえ」と言われることが多い。流暢に説明できるようになったために簡単に聞こえちゃうのかしら
でも、要約すれば上記のように簡単な話になってしまいますけど(^^;)、当選するためには私なりに努力も苦労もしたつもりではあるんです。

ただ、こうやって毎日いろんな人に説明していて、しみじみ思うことがあります。

努力しなけりゃ当選はしなかっただろうけど、でも努力すれば必ず当選するというわけではないですよね~。世の中には、自分の努力だけではどうしようもないことがある。

こうやって考えてみると、選挙は人生に似ているなあと思いませんか?

ちょうど、ここのところ改めて「あしがらさん」上映会のふりかえりをしていたんですが、路上生活者の人生も似たものがありますよね。

人間、どんなに努力をしても、さまざまな問題の巡りあわせで路上生活になってしまうこともある。。

人生の中で、社会の中で、「正しさ」が必ず通るわけでもないし、「努力」が必ず報われるわけでもない。

ああ、人生って不条理だわ、と妙にしみじみ思う今日この頃です。


★12月の議会の議案に、国民健康保険条例の改正というのがありました。
これは、赤ちゃんを産んだとき支給されている出産育児一時金が3万円増額になるというものでした。

1月から「産科医療補償制度」というのが始まります。

今、産婦人科が足りないことが社会問題になっていますね。
産科が不足する理由のひとつとして、出産の際に赤ちゃんに障害が起きたり、母子が亡くなってしまうような事故が起きたときに、訴訟になるリスクがあるからといわれています。

そこで、お医者さんの負担を軽減するために、医者が事故の補償をしないとならないときのための保険を始めるというものです。

医療機関が3万円の保険料を支払って加入し、赤ちゃんに障害があったときには3000万円の補償。

それは良いとして、ただこの制度にいくつかの課題があります。
・赤ちゃんの障害が一定の条件の脳性まひに限られているから、ほかの障害を持ったり、脳性まひでも条件に合わない場合には補償がされない。

・医療機関が保険に加入するという形をとるにもかかわらず、その費用がそのまま分娩費用に上乗せされると想定されるために、今回のように出産育児一時金を引き上げるという措置をとらざるを得なかったということ。
それなら、もっと単純に医療機関に国が補助をする形をなぜとらなかったのか、素朴な疑問として、理解できないなあ・・・。

・そもそも3万円という保険料が妥当なのかが良くわからない。すべての障害に適用されるわけでもないし、実際に対象になる赤ちゃんの数を年間500~800人と想定しているそうなのですが、その数字が本当に妥当なものなのか、集めたお金は余るんじゃないか・・・?ともいわれている。

・それで、どんな運用がされるのかをチェックしたいと思っても、保険は民間の損害保険会社がやるので、情報があまり出てこないおそれがある。

・今までよりも値上げになっている分娩費用を支払わなければならないとなったときに、妊婦さんにわかりやすい説明がされるのかも心配。

・国民健康保険からの支出を増やすんだから、これは妊婦と赤ちゃんだけではなくて国全体で議論すべき内容なのに、国民全体への周知が不十分である。

・そしてこれが、法律に基づく公的な制度ではなく、民間の保険という位置づけになっていること。公的制度にしようとすると、審議に時間がかかるから、急いで産科医を助けるために民間の保険にしたんだということだけれども、公的な支出があるにもかかわらず国会できちんと審議されないまま、任意保険とはいえ事実上はほとんどの医療機関が入る保険になっている。


調べるほどに「??」となってくるしくみなんですね。

それで、この議案の賛否が、今回の定例会で一番悩みました。

議案そのものは産科医療補償制度のことではなくて、それに伴う3万円の引き上げでしょう。
それに、練馬区内の産科はすべてこの保険に加入するというから、現実的に妊婦を守るためには、出産育児一時金を上げるしかないとも思う。

ただ、国会の審議を経ないでできてきたという経緯を考えると、この制度をチェックできる最後の手段が区議会ではないかとも思ったんです。

この議案の審議は、私が所属している委員会ではないので、録音を借りて聞いていました。
委員会の中でも上記と同様の意見が複数の会派から出ていました。

それで、「議案そのものには賛成するけれど、制度に課題があることは、委員会の委員長報告に載せてほしい」という意見が出ていました。

でも結局、賛成した議案に意見をつけることは慣例にない、というようなことで、委員長報告には触れられなかったんですね。

あ~、そうなるといよいよ、賛否で態度を示すしかないのかなあ・・・ということで結局、私は、反対をすることにしました。

う~ん、でも、どういう態度表明がもっとも適していたのか、いまだにう~んと考え込んでしまう、悩ましい議案でした。

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会派の忘年会??/保育園民間委託

★先日、知人から、「会派の忘年会はやらないの?」と言われました。

・・・


ちなみに、その知人、私が一人会派になったこと、知っているんですが、なんでそんなことを言ったのかなあ。。

う~ん、でも、面白いことを言う人もいるもんですね。

ひとり酒を飲むことを「会派の忘年会」と呼べば良いんでしょうかね(^^;

そしたら、独り言を言うことを「会派総会」と称しますかね(笑)

★なんやかんやで、後期はあんまり大学院に行かれなかったんです(><)
9月からが後期でしょう。9月以降、私は仕事でいろんな人から怒られっぱなしでしたからねえ・・・大学院に行っているどころではありませんでした(^^;
今年の下半期の私を漢字で表すと間違いなく、「怒」でした。
決して一部の人ではなく、多様なセクターの方から怒られました。人生でこんなにいろんな人から怒られたことは初めてだわ・・・とよく友人に愚痴ったものです。ははん。

来年からはさらに一層・・・かもしれませんが(^^;

そんなわけでほとんど大学院に行くことができずにいたのですが、今日はさすがに、そろそろシメの時期ということがあって出かけました。

うーん・・・ついつい、議会の活動があまりに劇的な変化が起きて忘れがちでしたが、そろそろ修士論文が、まずい


民間委託と市民参加の関わりをテーマにする予定なんですけどね。
保育園のことを中心にするつもりなんですけどね。

どういう絞り方をするかでずっと悩んでいたのです。

悩んで途中で止まってたんですが(^^;

例えば図書館とか公民館の委託のこともからめて書いたほうがいいかなあ、とか。
ここのところは、新自由主義が問題なんじゃないかと思っているんだけど、それを追及したら論文としてはとんでもなく広がっていきそうな気もするし。。
区民と行政の協働について、というのは、どうもいまいち全体的に確立していなくて、ふんわりした話になりそうな気がしますしねえ。


そんな今日この頃ですが、昨日、練馬区の保育園民間委託の裁判の判決が出ました。
報告会に参加しましたが、こりゃまた随分ひどい判決で。

いくらなんでもこんなひどい判決が出るとは思いませんでした。

「委託をすることで保育の質が下がったとは思うし、保護者と話し合って合意を図ってきた部分を反故にした部分もあるかもしれないけれども、それも含めて区長の裁量の範囲内だ」というような内容だと聞きました。

いやはや、こんなに幅の広い裁量を認められちゃったら、区民との協働なんてあったもんじゃないですね。区長はほとんど、独裁状態ですね。

そこまで区民の思いを犠牲にしても民間委託をやったほうが良い理由としては、「そうじゃなければ保育サービスが拡充できないからだ」と。
「直営でやってサービスが拡充できない状態」か、「委託をして若干質は下がってもサービスを拡充する」か、という二者択一。
より良い方法はないのか、という議論がない。
これは、6月に私が一般質問をする時に気づいた、練馬区がやった調査の中で、へんてこりんな二者択一のアンケート調査をやっているのとまったく同じ発想なので、びっくりしました。


いやはや、しかし、裁判の判決も、どうも正義とは思えませんねえ。がっかりしました。

この前もチラッと書きましたけど、やっぱり、大きな権力を持つものが必ずしも正しいとは限らないんですよねえ・・・改めて、しみじみ。

でも、当事者を置き去りにしても、官から民へと流れていくべきだというのが、裁判所を含めて社会全体の流れであるならば、それって一体なんだろうかという視点から、修士論文が書けるような気もしてきました。。

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高齢者の施設の民営化

★同い年の友人が2人も、来年結婚することが発覚しました・・・。
まだ同い年の友達は独身の子が多いことを心の支えに生きてきたというのに(笑)、ついに来ましたね、ラッシュが・・・。むむ、これはまずいことになった。

しかも一人の子は社会福祉士の学校でクラスメートだった男性と結婚するとか。
なんていうことだ、いつのまに付き合っていたんだろう・・・って、ブログでぼやいても仕方ないですが、この、持って行き場のない驚きをどうしたら良いかわからないもので

今朝はそんな、眠気も吹き飛ぶ結婚報告メールで一日が始まりました・・・。

ちなみに私は間違いなく来年1年間も独身だと思います(^^;

結婚ばっかりは、私一人の決意だけではできませんからねえ・・・22,3歳で結婚しなかったら30歳すぎまで結婚しないような予感は、なんとなく小さい頃からしていたんですが・・・ぶつぶつぶつ・・・

以上、ぼやきでした。

そうそう、私の結婚の予定は未定ですが、来年の和力のコンサートの予定は決まりました。2009年11月28日と29日だそうです。
まだまだ随分先ですが、くじ運の悪い私の叔父がようやく「1番」を引いて、場所がとれたそうです。良かった良かった。


★議案-高齢者の施設の民営化に関連したもの

指定管理者の指定の議案がたくさん出てきたと以前書きましたが、今回はその中でも特別養護老人ホームの指定について書きます。
特養は社会福祉事業団が指定管理者として運営してきた形をとっていましたが、練馬区としては民営化をするという方針を出している。
指定管理者という形だと、次に更新する時に別の法人にかわるかもしれない。そうすると先々を見越せないから安定的な運営ができない。
それに、介護が「措置制度」だったときには区が関与する意味があったけれども介護保険制度になって保険の収入が入る形になったので、民営化しても運営は安定的にやっていけるだろう。
というのが区の言い分なんですね。

指定管理者制度の問題点は2つ前のブログでも指摘しましたが、指定される団体側にとって安定的な制度でないことは、特養だけじゃなくてすべての施設にあてはまることだと思います。
それを特養の話だけで言うのはどうも釈然としないし、安定的でないから即民営化がいいねという話にしてしまっていいのかも気になる。

指定管理者制度を数年やってくる中で浮かび上がってきている課題の検証もまだできていないということも気になります。

いずれにしても、もし、「民営化したほうが利用者のためになるね」という結論になるにしても、民営化するにあたっての課題の整理は議会全体でもやっていくべきことだと思います。

今回、特養と、併設されているデイサービスやケアハウスの指定管理者の指定は、2年間という期限。ほかの福祉施設は「安定した運営をするために」5年間の指定をしているのだけれど、これだけは2年間。

私が所属する医療・高齢者等特別委員会では、7,8,9月と、この特養民営化についての報告がありました。
けれども、所属する13人の議員以外が議論できる場はなかったし、まだまだ課題の整理ができていないとも思う。区の計画にあるとはいえ当事者の方との議論というのもまだまだな状態。

それから、同様に2年間の指定にしているケアハウスに関しては、民営化にふさわしいかどうかはこれから検証すると、区は言っていました。
ケアハウスは60歳以上で、家で自立して生活するには不安がある方が入れる老人ホームです。利用料金が比較的低いので、高齢者の「住む場所」の保障になるわけですが、運営する側としてはなかなか採算が合わない。
だから、民営化するのには課題が多い。
「有料老人ホーム」という位置づけにして、利用料金を上げるのか?
それでは、従来区立のケアハウスが持っていた公共性が失われてしまいますね。

グループホームは家賃が高いし、特養は待機が多いし・・・高齢者が生活に支えが必要になったとき、活用できる「住居」の選択肢は決して豊かではないと思います。
そんな中で、ケアハウスの持つ役割を、前向きに評価していく必要があると思います。

高齢者の住宅の保障というのは課題があるんだよと、社会福祉士の学校に行ってたときに、冷水豊先生がおっしゃってたようにも記憶しています。冷水先生は練馬区の介護保険運営協議会の会長でもありますしね。
そういう意味でも、多方面からの意見聴取がもっと必要だと思います。

区としては、「ケアハウスに関しては、今後の2年のうちに検討します」と答弁してます。でも、どっちの方向性になっていくのかが見えない。

そういう状況で、本来福祉施設の指定管理は5年間で指定しているにもかかわらず、2年の指定を認めるということは、事実上、民営化を承認したことになるのではないかと危惧しました。


そんな経緯があり、2年間という期限のある特養、デイサービス、ケアハウスの指定管理者の指定の議案には反対しました。

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寒くなりましたね

★今週は、月曜火曜の2日間、駅に立ちました。寒かった~。
特に月曜は寒かった!

私は大泉学園町4丁目に住んでいるので、駅まで自転車でも15分くらい。
旗と看板とスピーカーを自転車に積んで行くのはなかなかつらいため(やってた時期もあるんですけどね。でも股関節が壊れそうになりました)、車で駅まで行っています。

月曜の朝、車のドアを開けようとしたら「バリっ」と音がしました。凍ってる・・・。

フロントガラスも凍ってる。

溶けるまで10分ほど、車の中でじーっとしてました。


畑には霜が降り、アスファルトさえも凍り、マンホールから湯気があがっている。
私が出る時間は7時前ですから、今はちょうど日の出の時間。空がオレンジ色に染まっている。

あー、きれいだなあ・・・としみじみしたいところですが、でもできれば7時から駅でチラシを配りたいので、ぽかんと空を見ているわけにもいかない(^^;

でもきれいですよ。
霜の降りた畑、湯気の立つ道、赤い空。

★議案のことの続きを書きます。

様々な福祉施設も、民間団体に委託されています。

障害者の福祉サービスは、大きく分ければ、知的障害・身体障害・精神障害という風に分かれます。

私は大学時代、手話を勉強していて、聴覚障害のことを少しだけ教えてもらったけれど、例えば聴覚障害のある当事者の方が、聴覚障害以外の障害のことを知る機会がなかなかないんだろうなあということを感じていました。
だから、さまざまな障害のある方がすべて団結して社会全体のありようを変えるということはなかなか難しかったんだと思います。

障害者自立支援法は様々な課題が指摘されているものの、知的・精神・身体という3障害を一体的にとらえようとしたという意味では意義があったのかなと思います。
特に精神障害に関しては、従来は「福祉」としてではなく、保健所で保健師さんが相談を受けていました。知的・身体とは相談に乗ってもらう場所、人が違う。

そんな中で、3障害を一体的にとらえようとすると、課題がたくさんある。

「福祉」の中で、精神障害に関わってきた人がいない状態なわけだから、保健師さんが福祉部署に関われるような体制を作らないと、当事者の方のニーズにマッチした施策が作れないのではないかというのが心配。

実際のところ、障害者自立支援法が始まったときに、一度は精神障害の福祉サービスの給付も福祉事務所が受けるようにしたようですが、でもやはりきめ細かな対応をするためには保健相談所で対応したほうが良いという状況があったようで、今はまた保健相談所が中心となる体制になっているということ。


さて、今回の議案の中に、「障害者地域生活支援センターの指定管理者の指定」というものが2件ありました。
豊玉と石神井。
ここは、主に精神障害者の相談を受ける場所。(3障害一体を目指すから、知的障害、身体障害の人も来られる場所にもしていくという目標はあるということではありますが。)

この、指定管理者の指定をしたり、その管理をする区の担当は保健相談所のある健康部ではなく、福祉部の障害者担当の課。
そうなると、現場で当事者の方と関わる部署と、その現場を管理する部署が、違う部になってしまう。

精神障害者の持つニーズをきちんと把握した上で指定管理者の管理をできるのかどうか、とても心配です。

2ヶ所の地域生活支援センターが主体的に精神障害のニーズを把握し、それが区の施策につながるように声をあげていくことはひとつ必要だと思います。今回のこの2ヶ所は、社会福祉協議会が指定管理者になりましたから、社協にはそういう役割もあるでしょうしね。

でも同時に、指定管理というしくみを使う以上は行政も責任のある体制づくりが必要だと思います。
今よりもっと、現場の声と施策が一致するしくみづくりをする必要があると思います。

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指定管理者の議案のことと、ひとりごと

★さて、議案について書きます。

前々回の第一弾の報告で、環境まちづくり委員会特有の議案は一応終わり。
あと、多くの委員会にかかった内容で、「指定管理者の指定」というのがありました。
環境まちづくりが担当したのは、区営アパート、練馬・石神井・大泉の駅前駐車場、大泉交通公園の指定管理者の指定でした。

ほかの委員会を見てみると、
特別養護老人ホーム、デイサービス、豊玉高齢者センター、大泉ケアハウス、女性センター、向山庭園、石神井公園区民交流センター、石神井町福祉園、福祉作業所(白百合、かたくり)、障害者地域生活支援センター(豊玉、石神井)、しらゆり荘、母子生活支援施設
といったところが出ていました。

特養のことと障害者の施設のことはまた次以降のブログで詳しく書きたいと思います。

指定管理者制度は、2003年の地方自治法の改正でできたものです。従来、「公の施設」の管理は公共団体等にしかできなかったんだけれども、株式会社やNPO等であっても指定されたら管理者になれるようになったのです。

今回は、新規に指定したものよりも、「2度目の指定」になるものが多かった。

指定をして枠をはめる方法で本当に「民間のよさ」が生かされるんだろうか、とか、数年間でまた指定しなおすというやり方をして本当に安定的な運営ができるんだろうか、とか、指定管理者制度には課題がたくさんあります。

今回、2度目の指定になったところは、公募をしても今までやっていた法人しか手をあげない例が多くて、実質的に「前の法人が継続してくださいね」とお願いしてしまっている形になる。

さまざまな課題を抱えつつも、民営化ではなくて指定管理者でやっていく意味があるとするならば、それは、その現場の声がきちんと区政のなかに届くこと、それが施策に生かされること、収益が上がらなくても公共性は高いものをきちんとやっていける基盤を用意しておくこと、公共性がきちんと担保できているかどうかを区議会や区民がチェックしやすいことだと思います。

だから、更新の時期を迎えたときに、今までの指定管理のあり方をどう評価していくか、新たに応募してきた団体とどう比較をするのか、というところをもっと整理していかないといけないんだと思います。

指定管理者を始めた当初の課題だけではなく、実際にやってみての課題の検証が必要な時期ですね。


★昨日、知人が企画した会に行きました。
私がいろんな活動をする中で、「尊敬できる人だなあ」と思っていた知人なので、その集まりに参加して、私がその場を共有できているということがなんだかそれだけでシアワセでした(^^)

仲間の輪の中に入れてもらって、「好きだ好きだと心の中でしつこく念じていれば案外相手には通じるものなのかしら」と思いながら(笑)、この1年の、特に議会の活動をしみじみと振り返っていました。

いろいろありましたねえ・・・

保育園の委託の陳情審査から始まって、腹が立ったり、悩んだり、イライラしたり、胃が痛くなったり・・・
そんな中でいろんな方に支えていただきました。


1年のうちで本当にいろいろあったなあ・・・と、しみじみ思い出すこともできて、昨日は、年末にふさわしい一日でした。


・・・昨日の会に参加した人以外にはなんだかよく分からない文章だと思いますが(^^;)、ちょっと書きたかったのです。ひとりごとです。


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今朝の出来事

今日は最高気温が14度くらいだとテレビで言っていたから、「昨日ほど暖かくないにしても寒くもないかな」と思って、スカートをはいて外に出たら、案外寒いですね・・・(+。+)
天気予報め、どうしてくれよう・・・足が寒い・・・

そしてふと左手を見れば、昨晩猫にひっかかれた後が・・・猫にひっかかれたんですよと説明書きをつけておかなければ、なんだか悲惨な感じ・・・


自宅から事務所へ向かうバスに乗ってたら、なんだか運転手さんがとっても優しい人で、バックミラー越しにぽけーっと見惚れていました。

赤ちゃんを抱っこしたお母さんが、バスが来たのを見てバス停に走っていたんだけれど、「走らなくていいですよ。ここで開けますからね」と、バス停よりちょっと手前でとまってあげた。
そのバス停で降りる予定の人も、ほかに乗りそうな人もいなかったから、問題ないですよね。

それを見て、へーと思って。
ちょっと地方に行くと、電車もバスも、「待ってー!」って言うと結構待ってくれるじゃないですか(^^;
東京ではあんまりないと思いますが。

だから、やさしい運転手さんだなあと思って、ぼーっと眺めていたんです。

だんだんバスが混んできたら、「少しずつ奥に進んでくださいね。これからまた乗ってきますからね」という言い方も優しい。

混んでいるからと乗るのを遠慮しようとしている学生さんにも「大丈夫ですよ、乗ってくださいね」と声をかける。

そうすると混んでいてもなんとなく、乗っている人みんなが穏やかな気分でいられるんですね。

どんな仕事でも、決められたことをやっていれば誰にも怒られることはないだろうけれども、そこからさらに一工夫を自分でできるかどうかで、人と人の関係は変わってきますね。

運転手さんも、もし赤ちゃんを抱っこしてバスに乗りたがっている人を無視したとしても、乗るのを遠慮している人を置いたまま走っていったとしても、ただバスを運行するということだけを考えれば「問題ない」となるのかもしれない。

「運転」という仕事でも、心の持ちようで社会が広がる可能性があるんだなあと、しみじみ、感動した今朝でした。

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今日で議会が終わりました

11月26日から始まった議会が、今日で終わりました。
初の一人会派での議会。

いやはや~

と思いながら終了後に大学院に行き、その帰りに

いやはや~
と思いながら、近所の猫の顔を見に行きました。

いや~
と言いながら猫の頭を撫でたら、なぜか猫がかぷっと手にかじりついた。
あれ~
と思っていたら、今度はぱしぱしと手を殴り始めた。

帰ってきてみたら、手が真っ赤になっていました・・・。とほほ。痛い。
昼に会えばおとなしく頭を撫でられている猫なのに、猫はやっぱり夜行性なんですねぇ・・・夜は元気だ・・・。


さて、今回の議案のこと、まだ全然書けてませんが、全部を書いたら40を越す数の議案なんで、どこから手をつけていいやら
う~ん、特に気になったところを中心に、どんな理由で審査の結論をしたかを簡潔に書いていきましょうか。。

まず今日は、私が所属している環境まちづくり委員会に付託されて審査された議案から行きましょう。

・「震災復興の推進に関する条例」
新設の条例です。
阪神淡路大震災をはじめ、多くの大震災を教訓にして、復興をする際のとりきめをした条例です。
たとえば復興の際、まちに新しい建築をするときに、合意形成をしないままに無秩序に建物が建つのを防ぐ必要があるから、一定程度の制限をすることとか。
復興について区民との協働を重視するとか。
特に復興が必要な地区に優先度をつけて指定をするとか。

たしかに、震災が起きてから混乱をした中でとりきめをするのは大変なことだから、一定のきまりを事前に作ることは必要でしょう。
ただ、少し気になったのは、この条例に区民の活動に対して制限的な部分が目立つことでした。
一通りのきまりを作っておくことで、ある種、「アリバイ作り」的にならないかどうかも気になります。

区民との協働というのは、平時からもなかなか難しいものです。区が引いたレールの上を走らされているだけともなりかねないから。本当に対等で開かれた議論を作るのはとても大変な道のりのように思います。
それが震災が起きた時となればなおさら。
条例を作るのであれば、その内容を区民の皆さんに分かりやすく伝えていくこと、決定の過程の透明性を確保することが重要であると思います。

また、住宅の確保であるとか、メンタルのケアであるとか、健康状態のことであるとか、復興に関する重要事項は、今回の条例では押さえきれていません。そういった、区民の生活の保障をどうしていくのかも今後の課題だと思います。

この議案そのものには賛成しましたが、上記の点を指摘しました。

・土支田中央地区の地区計画の変更
大江戸線延伸にともない、道路の整備の計画があります。光が丘から土支田、大泉へと伸びるわけですが、その土支田地域の地区計画の変更が出されました。
土支田は今、畑が多くて、その真中を道路が通ることになる。駅もできるので、その周辺は「用途地域」を緩めて、今までよりは高い建物を建てたり、種類も住宅だけではなくて店舗等に広がっていくという変更。
大江戸線延伸は多くの人が望むものである一方、それに伴い不必要に開発されることも防ぐべきだと思います。
練馬の特長はみどりであると、区も認めているわけですから、みどりは極力守りたいですね。

私も学園町4丁目に住んでいて、大江戸線の駅ができれば徒歩10分以内に駅に行けるようになる(今は自転車で20分くらいかかりますが)。ましてや高齢者や子育て中の人にとっては駅が近くなることは生活に関わる重要なことだと思います。
でも一方で、なぜ私はここに住んでいるの?と考えると、やはり今の街並みを愛しているからでもあるでしょう。
コミュニティが分断されないまちづくりを考えたいですね。

この議案も、上記のような意見を付して賛成しました。

・道路の認定
毎回、新たな「区道」の認定の議案が出てきます。
今回は、北町地区の密集地の整備のための道路というのがありました。
ふつう、認定される道路よりも狭い道幅のところも、道路として認定するというものでした。

・・・道路ってやっぱりいまいち分かりにくいんですよね。
普通に生活をしていると、なんとなく、「道路」という言葉を使うけれど、そもそも道路ってどうやって計画的に作られているんだろうか。どうして、この位置に道路ができるんだろうか。

見逃しがちだけれど、よく見ていかなくてはいけないものなんだろうなと思いました。



・・・ふう。
今日はこんなところにしておきましょうか

つれづれ

11月10日に一人会派になってから、今までとは違う形での人間関係やらコミュニケーションやらが生まれて、新発見も多く、毎日が楽しいのですが、怒涛のような情報量で頭がパンクして何から書いて良いのやら

議案の審査のことも書きたいのですが、まだ毎日ひいひいしているのでなかなか書けずに毎日が過ぎる・・・というわけでブログの更新が滞りがちなので、今日はちょっと、議会から離れた内容を書きます。

★土曜日に、遠い親戚の結婚式がありました。
私よりも6,7歳若い子の結婚式でした

それで帰ってきて布団に入ってしみじみ考えました。
私が結婚する時は、どういう結婚式にしようかなあと。

せっかくテーブルごとに座るようになってるんだから、グループワークをやろうと思う。

加藤木家は全部同じテーブル、とか、同級生は同じテーブル、というんじゃ交流がなくてつまらないからバラバラにしちゃおう、と。

グループワークのとりまとめをする「ファシリテーター」ができそうな友達を各テーブルにつけよう、と。うーん、AちゃんとBちゃんとCちゃんと・・・と名前も思い浮かべる。

付箋と模造紙を配って、グループワークのテーマは「結婚とは何か」とかにしようか。

グループワークばっかりやってたら何時間もかかるからテーマは一つに絞って1時間程度で収めよう。

全体の司会は日高市議の川田虎男さんにでも頼むか。

和力に演奏をしてもらいたいけど、グループワークの前と後とどっちが良いだろうか。

全体の自己紹介もしたほうが良いんじゃなかろうか。


・・・などなどと考えてたら、だんだん眠れなくなってきまして(^^;

よしよし、これはなかなか、パーフェクトなプランではなかろうか。お客さんを楽しませる結婚式をやろう。うんうん、よしよし。

ばっちりばっちり、これでいつでも結婚式はできるぞ。

司会者もファシリテーター役も大体決まったから、あとは、結婚相手さえ決まればもう完璧・・・。


・・・


★日曜日は別な用事で出かけましたが、前の晩に結婚式のプランを練りすぎたせいか、どうも体調が悪く。

どうも腹痛がするから鎮痛薬を飲んだら今度は頭がぼーっとしてきました。

「腹の痛むときは薬を飲んで早く寝ちゃうことだよ」と友達が教えてくれたことがありましたが、まあそうそう寝てもいられないし

元の不調の根源である腹痛も治らない上に頭までボーボーするから、若干不機嫌な気分になりつつ(苦笑)外に這い出ました。

そしたらまあ、空の青いこと。
日曜日は、寒くなるといわれてましたけど、思ったほどじゃなかったですね。良い天気で気持ち良い空気が流れている。

でも、調子が悪いと、こんな空の青ささえ腹が立つもんですね(^^;
「まったくもう、こんなに腹が痛いというのになんで空は青いんだ」と、完全に空に八つ当たりをしながら、(=_=) こんな感じの顔をしながらとぼとぼと歩いていました。

いやはや、しかし痛かった・・・眉間にしわを寄せながら電車の中で朝日新聞を開いたら「痛みは上手にコントロールしよう」という記事が載っていた。まあ、なんてタイムリー。

★そんでも、いろんな方に会って、いろんな話を聞いていると、なんとか元気になるものですね。

日曜日にお会いした方のうちの一人のお話を聞いていて、ふと思い出したことがありました。

私は大学生の頃、ハンセン病問題の支援をしてたことがありまして。
1996年に「らい予防法」が廃止になって、当事者の方が国を相手に裁判をしていて。

私は1997年くらいからハンセン病のことに関心があったんですが、実際に当事者の方にお会いしたのが2000年くらいになってから。2001年に判決が出る頃まで随分しょっちゅう、東村山の全生園に行っていたものです。

裁判の判決が出た2001年はちょうど小泉さんが首相で人気があった頃で。

5月11日に判決が出てから、国が控訴を断念してくれないかと、毎日願いながら、私も大学の授業が終わると当事者の方たちと一緒に座り込んでいました。

結論から言えば5月23日に控訴断念ということを小泉さんが言ったのですが、そこに至るまでは交渉をしている当事者の代表の方にも、国がどうしたいのかが全然見えないという情報が来ていたんです。

ところが、たしか5月18日くらいだったか、新聞のトップに「国が控訴を決めた」という記事が載ったことがありました。

まったく見えない状態だったのにどうしてそんなことになったんだろうか!?と一瞬現場も混乱したけれども、結局、そんなことは国も言ってはいなかったと、しばらくして分かったのでした。


私がハンセン病問題に関心を持つきっかけも新聞記事だったので、高校生だった私の社会への窓は新聞だったわけですけれど、そんな新聞に載ることが、必ずしも本当であるとは限らないということにそのとき気がついてとってもビックリしました。

そのとき、「自分が気になったことは、本や新聞を読むだけじゃなくて、自ら現場に行って、自分の目で見て、耳で聞き、匂いを感じ、空気を感じ、相手の目を見て真実を知らないといけないんだ」と肝に銘じたのでした。

これまた、私のその後の活動に大きな影響を与える転機であったと、ふとしたことで思い出したので、書いてみました。

いきいき健康券―定額給付券?

練馬区は平成19年度、20年度に「いきいき健康券」というのをやっています。

65歳以上の高齢者が、銭湯や理美容、区立体育館やプール、区内の映画館の利用ができる3千円相当の券をもらえるというもの。

私は平成19年4月の選挙で当選したので、この事業開始の審査には直接関わっていませんが、平成19年2月あたりの議会の議事録を見てみると、「“元気高齢者”がさらにいきいき地域に参加するための支援を目的にしている」というようなことが言われている。

うーん・・・。
しかしどうも、この「いきいき健康券」の名を聞くたびに、私の胸には、妙なモヤモヤが生まれます。

うーん・・・。


「元気ならば介護保険サービスは使わないということで、介護保険料を支払うことに不公平感を感じる人がいるから、元気な高齢者への支援も必要」という理屈があります。
しかし、保険制度はそもそも、「困ったときの安心」のためにあるものでしょう。介護保険は、「介護が必要になったときにも社会全体で支えあう」ために作られたものなのですから、そこの納得が得られていないならば、保険制度そのものについて、区民の皆さんと合意形成を図るところから始めないといけないはずです。そこを飛ばして、「じゃあ、元気な高齢者にも利益を」というのは、どうも釈然としない。

それから、介護が必要でない高齢者の施策は色々あるし、これをもっと使いやすいように工夫することが先決であるようにも思います。
例えば、介護保険制度の中の地域支援事業というのを上手に活用すれば、一般高齢者向けの施策を展開することもできる。
敬老館や高齢者センター、地域包括支援センターなど、介護を必要としない高齢者の支援をすべき組織も区内にはある。
それらをきちんとつなげて、計画的、体系的に区内高齢者全般に対する支援を考えるべきだと私は思います。

こんな工夫は、そうお金をかけずに、少し人手を多く割くだけでも随分効果があるように思いますが、一方「いきいき健康券」には年間3億円近い予算がつけられている。

ちなみに、保育園を1園委託することで得られる年間の財政効果は4千万円といわれています。

そんな、私にとっては「??」と感じる「いきいき健康券」ですが、当初、2年の事業としてはじめましたから、今、「今後継続すべきか否か」を決める時期になっていまして、私の所属する医療・高齢者等特別委員会で先日議論がありました。

この券を利用した多くの方が「ぜひ継続して欲しい」と答えているというアンケートがある、という資料が出てきまして。

ふーむ、なるほどー・・・。

しかし、私は、6月に一般質問の準備をしていて、子育てに関するニーズ調査の中にへんてこなアンケートの質問を見つけて以来、アンケートは注意深く見ないといけないなあと思ってるもんですから。

資料では、アンケートの一部を抜き取る形で報告がされていたので、「これだけでは全体が分からないから、アンケートの全文の資料をください」とお願いしました。

で、委員会の後に個別に資料をいただいたんですが。

それを眺めてみると、たしかに、多くの方は「満足した」と答えている。
でも、その他に「自由意見」というのが記入されている。

その中には、「財源に余裕があるなら継続してほしいけど、そうじゃないならカットを」という意見や、「一度きりもらったって“いきいき”なんかできない。それならば保険料を下げて欲しい」というような意見、「生活保護や、医療、教育など、緊急を要すること、困っている人がいる部分にお金を使って欲しい」等々の意見が記載されていました。

利用されていた方の中にも、こんな意見が出てくる「券」なわけですね。

それから、この券の目的が「高齢者がいきいきできること」であるならば、「この券を一回だけ使って終わり」ではなくて、「この券をきっかけに外出の回数が増えたということや新たな趣味・友人を見つけた」というようなことがこの事業の成果であるように思いますけれども、そういった調査はどうやらしていないらしい。つまり評価の指標としては、「利用した人が喜んでくれたかどうか」しかないみたい。


うーん・・・この議論、なにかに似てると思いませんか?

今、話題の「定額給付金」の是非の議論に、とても似ているように、私は感じたんですけれど。

ただ、平成19年2月の議会の議論を見ていると、「いきいき健康券は、金券・商品券という性質のものではないので、現金給付ではない」という趣旨の答弁があるので、それを尊重するならば、「定額給付」ではなくて「定額給付」ですかね。


一方で練馬区では、特別養護老人ホームの待機者が2400人近いことや、病床の不足が喫緊の課題になっています。これらを解決するためには、たくさんの財源が必要になるはずです。

なにを重視すべきか、取捨選択が必要なように思います。

ましてや、今の社会状況の中で、区の財政も様々な部分で厳しいところもあるのです。なにに支出をすべきかは、慎重に見極めるべきだと思います。

この事業の継続を願う陳情が議会に出ていたのですが、今定例会の委員会でこの陳情に結論を出しました。
私は、上記のような理由で、今の段階で拙速に結論を出すべきではないと考えて、「陳情の不採択」という立場をとりました。
委員13人のうち3人だけが反対(13人の委員は自民・公明・民主・共産・生活者ネット・社民・市民ふくし(私)という7つの会派に分かれていますが、そのうち3会派が反対)だったので、委員会全体としては「採択」という方向になっています。

しかし、高齢者施策のあり方として、来年度予算のあり方として、検討すべき点がたくさん残されていると私は思っています。

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児童虐待

11月20日頃から、議案という名の険しい山を、ちぎれそうなロープ1つ身につけてよいしょよいしょと登っているような感じでした
12月4日、委員会で議案についての結論を出しましたので、とりあえず一山越えたかなという感じです。ふー、ロープが切れずにここまで来れてよかった・・・(涙)
詳しいことはおいおいご報告します。



その話題の前に、11月25日に区が行った児童虐待防止の講演会について書きます。
お話してくださったのは、NPO法人日向ぼっこの渡井さゆりさんと、山梨県立大学の西澤哲さん。

渡井さんは、新聞等でお見かけしたことがありました。
施設で育った子ども達が、社会に出てからつながる場を作っている方。渡井さん自身、児童養護施設で育ったということで、この講演でもその話をしてくださいました。

西澤哲さんは子どものトラウマのことを研究されている方で、私も学生時代に本を読んだことがあるけれど、今回初めて直接お話を聞きました。

うーん、なんというか、とっても良かったです。

良かったって思うときって、何がそう思わせるんでしょうね。自分自身、良く分からないんですけれど。
もちろん、話の内容が有意義だったってことはあるんだけど、それだけじゃない。
あー、この人に今日出会えて良かったなー、という感覚が一番強いように思います。
渡井さんの話も西澤さんの話も、聞けてよかった!という気持ちがあまりに強すぎて、要約して書いたらなんだか陳腐になってしまいそうなので、以下は違う話を書きます。



今回の話を聞いて、ハッと思い出したことがあったんです。

私も、社会福祉士の資格を取るための実習で、児童養護施設に行った経験があったんです。そのときのことが、まざまざと思い出された。

児童養護施設は、虐待もそうだけれども様々な事情で家庭では生活できない子達が入る施設。施設によってはかなり大規模な施設をやっているところもあれば、小規模で家庭的にやっているところもある。
イメージとしては、老人ホームにも多床室があったり、ユニットケアがあったり、グループホームがあったりと、規模や形態が異なるのと同じです。

ちなみに、時々、サスペンスなんかに、「児童養護施設」と称するものが出てきますけど、あれは実態と違うと私は思います(--;) あんなステレオタイプな描き方をして、当事者を傷つけると思わないんだろうかと、いつも腹が立つ。


さて、私が行った施設は、とてもきれいなところでした。
いくつかの棟に分かれていて、それぞれ子どもが10人程度で暮らしている。

そこに2週間ほど、実習させてもらいました。

職員がやってる家事の手伝いをしたり、子ども達と遊んだり。

これまたなんとも言葉にできないけれども、すごく濃い2週間でした。あの2週間で間違いなく、私自身が福祉と向き合う姿勢は変わったように思います。

小学生、中学生を中心とした子ども達はとても可愛かったのだけれど、時々なんともいえないやるせなさというか、どう関わったらいいんだろうかと悩んでしまうときがありました。
小さな子どもとは思えない粗暴な言葉や態度がふと顔を出す時。
甘えたいんだけれど素直に甘えられない、屈折した感情が顔を出す時。
この子だけにじっくり向き合って、ぎゅっと抱きしめてあげることが必要なはずなのに、何人もの子と集団生活をしている状況。
子どもにとっても苦しいけれども、職員としてもきつい状況だと思いました。

そして、生まれてからの数年が、人に与える影響の計り知れなさも感じました。

例えば生まれて2,3年、つらい環境の中で育ってくると、そのときの傷を癒すためには、2倍も3倍も4倍も5倍もの時間と労力が必要なように思います。
大人にとっては数年なんてあっという間に過ぎるけれど、子どもにとっての数年がいかにかけがえのないものなのか。
今さら取り返せないその数年を思い、なんとかそれを補える温かい日常をと願い、でもなかなか埋められない現実に立ちすくむ。

どうすることもできない自分に対する歯がゆさと、どうにかしてあげられるかもしれないとどこかで思ってしまっていた自分のおこがましさに対する苛立ちと・・・

そんなことを感じた2週間だったのです。



今回話してくれた渡井さんは、施設に入所した時の思いを話してくれました。
「大人はきっと自分のことを分かってくれないだろう」と思っていて、職員にも困りごとの相談もせずに過ごしてきたんだということ。
施設にいる時の自分の記憶はなんだか嫌な思い出ばかりで・・・でも、大人になってその頃の職員さんに再会してみて初めて、イベントでの出来事や日常の楽しかった思い出を教えてもらって、「ああ、そうか、覚えていなかったけれども、施設にいた時も楽しかったこともあったんだなあ」と再認識したという話。


児童養護施設の子どもと大人がかかわるなかで、大人が「困惑」を感じるときは、きっと子どもの心にも「困惑」が生じている時なのだろうと、ふと思ったのでした。
二人の人が相対しているのに、心と心が出会えていない、切なさを感じます。

そんな、「大人の心の寂しさ」と「子どもの心の寂しさ」の間をつなぐ存在としても、渡井さんとそのNPOである日向ぼっこには大きな役割があるのであろうと感じながら帰ってきました。


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路上生活者の問題

6月に、「あしがらさん」の上映会をやりましたが、そのときにシンポジウム出演者になってもらった北村年子さん、清野賢司さん、飯田基晴さん等を中心として、「ホームレス問題の授業づくりネット」というのがあります。

11月24日に、そのセミナーがありました。

行ってみたら、とっても偶然に福祉関係の友人がいたり、私を山谷に連れて行ってくれた大学院の先生(「あなたは当事者ではない」とういう本の講義をしてくれた先生)に再会したりしました。
いや~、偶然ってこともあるもんだなあとしみじみ思いましたが、考えてみれば興味関心が似ている人と仲良くなるんだから自然なことなのかな・・・(^^;

セミナーは11時前からはじまり、17時過ぎまででした。
学校で実際に子ども達に路上生活者の問題を教えている方たちが、模擬授業をやるような感じ。

当事者の方のお話を聞いたり。
路上生活者が「家」を作りそうな場所にわざとものを置くような形で排除をしている場所がある(新宿駅から都庁に続く「動く歩道」も、あそこに人が住まないために作られたといわれていますね)んですが、そういう写真を見てグループで話し合ったり。
もし路上生活者の保護をする施設が自分の家の近くに作られたら・・・という設定でロールプレイをしてみたり。
若者が路上生活者を襲撃してしまう時、どんな理由があるのかということを考えてみたり。

多分、本当は一日ではまとめられないような内容を詰め込んだんだと思いますが、あまりに盛りだくさんで最後の頃には私は動悸息切れがしてきましたが・・・

私にとってひとつ発見だったのは、私とは反対の立場の意見を持つ人の言うことが、私にもそれなりに結構理解できていた気がしたことでした。

たとえばロールプレイの時に、私は、保護施設反対の住民役をやってみました。
同じグループでロールプレイをやった人は学生さんが多くて、それぞれ「行政役」、「当事者役」をやっていたのです。
私としては大泉学園に練馬寮という施設ができたときに近隣の皆さんが言っていた意見をそのまま言葉に出してみたら、「行政役」や「当事者役」がどんな風に言うのかなあと思ったのです。
練馬寮のときに一番大きかった意見は、近隣の子どもが心配だと言うことでしたね。
それを、このロールプレイでは私が言うわけ。
これが、スラスラと出てくるわけです(^^;
そうすると「行政役」の学生さんは困ってしまった様子で、「近くに施設があることが人権教育になる」などなど、これまた実際の行政と同じようなことを言うわけです。
うーん、そりゃあ一般論としては理解できるけれど、個別の「私の問題」に対する解決にはならないじゃないか、と住民としては感じてしまう。なんか不満だな、と考えているところに最後には、「ご理解ください」と来るわけだ。ふん、なにをどう理解しろって言うんだ、という気分になってしまいますねえ・・・。

学生さんは多分、実際に施設建設の話し合いを見に行った経験があるわけではないと思うのだけれど、でも実際の行政とまるで同じような説明のしかたになるというのも、これまたとっても興味深い。

「当事者役」の言い分、というのも面白かったけれども、でも実際の説明会の場面で当事者の声が出ることってあるかなあ・・・。

練馬寮の時も、住民VS行政みたいになっていて当事者の姿が見えないことが気になっていましたが、でも対立状態にある段階で当事者が登場する難しさも感じますね。


他には、「若者はなぜ襲撃をするのか」を考えたのも興味深いことでした。
私も10代の頃からずっと路上生活者のことに理解があったわけではなくて、20代になって「なんだか存在が気になる」と思うようになったところから心の窓が開いたので、「存在が理解できない」という感覚に立ってものを考えてみることもできるような気がした。

小さい頃から私達は大人に、「努力をしなさい、そうじゃないと大人になって後悔するよ。そして努力は必ず報われる。努力をしないと自分が苦しむ」と教えられているわけですよね。
「努力をしたからあなたは偉い」というように、一定の条件をクリアしなければ存在価値が認められない、誰からも愛されないのではないかというような不安を覚えることもある。
そんな自らの不安のなかで、路上生活者を見ると、「この人が大変そうなのはこの人が努力をしなかったせいに違いない。努力をしなかったから価値がない人なんだ」という心の整理をしていってしまうのかもしれない。

・・・そんな、路上生活者に対するネガティブな見方、結果的に襲撃を容認してしまっている社会のあり方の側に立つつもりで眺めてみると改めて、「じゃあその壁を取り除くにはなにができるんだろうか・・・」という問いが生まれ、その場でたちすくむ思いがします。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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