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つれづれ

11月10日に一人会派になってから、今までとは違う形での人間関係やらコミュニケーションやらが生まれて、新発見も多く、毎日が楽しいのですが、怒涛のような情報量で頭がパンクして何から書いて良いのやら

議案の審査のことも書きたいのですが、まだ毎日ひいひいしているのでなかなか書けずに毎日が過ぎる・・・というわけでブログの更新が滞りがちなので、今日はちょっと、議会から離れた内容を書きます。

★土曜日に、遠い親戚の結婚式がありました。
私よりも6,7歳若い子の結婚式でした

それで帰ってきて布団に入ってしみじみ考えました。
私が結婚する時は、どういう結婚式にしようかなあと。

せっかくテーブルごとに座るようになってるんだから、グループワークをやろうと思う。

加藤木家は全部同じテーブル、とか、同級生は同じテーブル、というんじゃ交流がなくてつまらないからバラバラにしちゃおう、と。

グループワークのとりまとめをする「ファシリテーター」ができそうな友達を各テーブルにつけよう、と。うーん、AちゃんとBちゃんとCちゃんと・・・と名前も思い浮かべる。

付箋と模造紙を配って、グループワークのテーマは「結婚とは何か」とかにしようか。

グループワークばっかりやってたら何時間もかかるからテーマは一つに絞って1時間程度で収めよう。

全体の司会は日高市議の川田虎男さんにでも頼むか。

和力に演奏をしてもらいたいけど、グループワークの前と後とどっちが良いだろうか。

全体の自己紹介もしたほうが良いんじゃなかろうか。


・・・などなどと考えてたら、だんだん眠れなくなってきまして(^^;

よしよし、これはなかなか、パーフェクトなプランではなかろうか。お客さんを楽しませる結婚式をやろう。うんうん、よしよし。

ばっちりばっちり、これでいつでも結婚式はできるぞ。

司会者もファシリテーター役も大体決まったから、あとは、結婚相手さえ決まればもう完璧・・・。


・・・


★日曜日は別な用事で出かけましたが、前の晩に結婚式のプランを練りすぎたせいか、どうも体調が悪く。

どうも腹痛がするから鎮痛薬を飲んだら今度は頭がぼーっとしてきました。

「腹の痛むときは薬を飲んで早く寝ちゃうことだよ」と友達が教えてくれたことがありましたが、まあそうそう寝てもいられないし

元の不調の根源である腹痛も治らない上に頭までボーボーするから、若干不機嫌な気分になりつつ(苦笑)外に這い出ました。

そしたらまあ、空の青いこと。
日曜日は、寒くなるといわれてましたけど、思ったほどじゃなかったですね。良い天気で気持ち良い空気が流れている。

でも、調子が悪いと、こんな空の青ささえ腹が立つもんですね(^^;
「まったくもう、こんなに腹が痛いというのになんで空は青いんだ」と、完全に空に八つ当たりをしながら、(=_=) こんな感じの顔をしながらとぼとぼと歩いていました。

いやはや、しかし痛かった・・・眉間にしわを寄せながら電車の中で朝日新聞を開いたら「痛みは上手にコントロールしよう」という記事が載っていた。まあ、なんてタイムリー。

★そんでも、いろんな方に会って、いろんな話を聞いていると、なんとか元気になるものですね。

日曜日にお会いした方のうちの一人のお話を聞いていて、ふと思い出したことがありました。

私は大学生の頃、ハンセン病問題の支援をしてたことがありまして。
1996年に「らい予防法」が廃止になって、当事者の方が国を相手に裁判をしていて。

私は1997年くらいからハンセン病のことに関心があったんですが、実際に当事者の方にお会いしたのが2000年くらいになってから。2001年に判決が出る頃まで随分しょっちゅう、東村山の全生園に行っていたものです。

裁判の判決が出た2001年はちょうど小泉さんが首相で人気があった頃で。

5月11日に判決が出てから、国が控訴を断念してくれないかと、毎日願いながら、私も大学の授業が終わると当事者の方たちと一緒に座り込んでいました。

結論から言えば5月23日に控訴断念ということを小泉さんが言ったのですが、そこに至るまでは交渉をしている当事者の代表の方にも、国がどうしたいのかが全然見えないという情報が来ていたんです。

ところが、たしか5月18日くらいだったか、新聞のトップに「国が控訴を決めた」という記事が載ったことがありました。

まったく見えない状態だったのにどうしてそんなことになったんだろうか!?と一瞬現場も混乱したけれども、結局、そんなことは国も言ってはいなかったと、しばらくして分かったのでした。


私がハンセン病問題に関心を持つきっかけも新聞記事だったので、高校生だった私の社会への窓は新聞だったわけですけれど、そんな新聞に載ることが、必ずしも本当であるとは限らないということにそのとき気がついてとってもビックリしました。

そのとき、「自分が気になったことは、本や新聞を読むだけじゃなくて、自ら現場に行って、自分の目で見て、耳で聞き、匂いを感じ、空気を感じ、相手の目を見て真実を知らないといけないんだ」と肝に銘じたのでした。

これまた、私のその後の活動に大きな影響を与える転機であったと、ふとしたことで思い出したので、書いてみました。
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桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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