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バリアフリー分科会

★今日は、大学院で先生の面接を受けました。
論文、どのくらい進んだ?という話です。

いやーん、全然進んでいないのに~。

11月までに、7割がた書いて仮提出をしないといけないのです。
ははー。まだ3行くらいしか書いてないのに・・・。

「あと3ヵ月半。楽観視できる状態ではないと思うけど、頑張りましょうね」と先生。

お優しい・・・。

楽観視できないどころじゃないのに・・・悲観的、絶望的な感じですわね。

しかし、行政と市民の関係がどうあるべきか、公共とはどうあるべきかということは、今年度中に一度結論を出した方がいいなとも思うんです。小泉改革の振り返りでもあると思うので、今年のうちに総括して、新たな出発に向かいたいでしょう。
そんなわけで、あと3ヶ月、なんとか踏ん張ってがんばってみます。。(遠い目)


★7月26日の日曜日、バリアフリー分科会を行ないました。

この勉強会をご提案くださったTさんが、車椅子を借りる手配をしてくださっていた。
私と車椅子の持ち主さんは初対面だったのですが、「亡き玉山さんの思いを継ぎたいので」ということで、無償で車椅子をお貸しくださって、使い方のご説明もしていただきました。こういう出会いは嬉しいですね。

Tさんが作ってくださった資料を読んだ後、参加者みんなでまちを歩きました。

本当は勤労福祉会館のほうまで行って駅の前を見て戻る、という順路をとりたかったのですが、日曜日は久々に暑かった・・・無理をしたら倒れてしまいそうなので、近くの小学校までで我慢しました。

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私の事務所の前の道。
歩道は広いけど、案外、舗装がガタガタする。
乗っている人は「腰が痛いなあ・・・」

信号待ちをする交差点は、車道に向けて歩道が坂になっている。なかなかの急傾斜で、信号待ちも大変だ・・・。

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車道と歩道の段差。

ビックリしたのは、比較的大きな集合住宅の前にスロープはついていたものの、そのスロープと道路の境目が段差だったことです 一体全体、どうしちゃったんでしょうね・・・

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公園の木陰でひとやすみ。
ご自身の息子さんも障害があり、息子さんの介助以外にも施設でのボランティア体験を持つ参加者の方から、体験談を聞きました。


事務所に戻って暑さを冷ましたあと、感想を出し合いました。

・車椅子のタイヤがもっと大きかったり、材質に工夫されていれば、もっと座りやすいんじゃないかな・・・ →技術的には開発されていても、高いのかも・・・

・道の工夫が必要(段差など)

・車椅子がまちを移動していることに対して、ずいぶん世間の人は慣れてきたみたい。(別に手助けしてはくれないけど、珍しそうにしたり邪魔そうにすることはない)

・車椅子に乗ると目線が低くなるから、前から自転車が迫ってくると怖かった

・駅周辺は歩道も整備されているところが多いけど、歩道がないと怖いだろうな。

・歩いていると意識しないけど、道路には案外、傾斜があって、まっすぐ走りにくい。

などなど。

こういう状態だとやはり、「老老介護」で車椅子を押すのも高齢者だった場合、きついなあと思いますね。

そんな共有をしているときに、一人の参加者がぽつり。

赤ちゃんを産んだ友人がヨーロッパで生活していたので遊びに行ったことがある。ベビーカーを押していると自然と周りに人が集まってきて、ごく普通に手伝ってくれる。
だから、物理的に段差があろうが階段があろうが、何もバリアを感じない。
本当は、物理的な整備よりも、そうした成熟した感覚を育てることの方が大事ではないか。


なるほどー・・・


私もかつてヘルパーをやっていたときに、お寺参りが好きなALSの患者さんのお出かけの時は、ヘルパーやボランティアが坂を押して階段を持ち上げて、行きたい場所へ行く支援をしていたことを思い出しました。
段差があろうが行きたい所に行くんだ!という気持ちと、それを支える周りの人間関係というのは、良いものだと思ったものです。


障害を持っていても高齢になっても、物理的なバリアには負けずに出かけられるようになるためには、社会全体の心のバリアを除くことは大事ですね。
手伝ってあげたいなと思っても、どうして良いか分からなくて見て見ぬふりをしてしまうこともあるかもしれませんから、障害にあわせた声のかけ方、配慮の仕方を学ぶ機会は必要ですね。

そうした啓発活動を進めつつ、しかし現実には社会の無理解によって障害をお持ちの方が嫌な思いをすることが多いと思いますので、やはり物理的なバリアを除くことも同時並行的に必要だとも思います。


今回の勉強会は、車椅子体験と課題を出し合うワークショップで終わりました。
次回は9月27日(日)を予定しています。

今回の体験を受けて、「では、今ある制度はどうなっているのか」を整理していきます。
国の「バリアフリー新法」、都の「福祉のまちづくり条例」、区の「福祉のまちづくり総合計画」、そして今度作る予定の条例。
何ができていて、何が足りないのかを考えて行きたいと思います。

ぜひ、今回ご参加ではない方もお気軽にご参加ください。

次回日程:9月27日(日)午後2時~4時 かとうぎ桜子事務所

※かとうぎ桜子のHPはこちら
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女子大でゲストスピーカー

先週から大学院が夏休みになりまして。
授業が休みになっても、なんだかんだで夜も仕事が入ったりするものですが、でも随分と楽になりました・・・なにせ、毎日ブログを更新することができるようになりました・・・(^^;

この数ヶ月、あんまり頻繁にブログも更新できなかったので、「うーん、やっぱり30歳近くなって、20代前半と同じ勢いで動くのは無理なんだろうか」と結構しみじみ思っていたのですが、学校がなければ何とかなりそうです・・・


今日行なったバリアフリー分科会も楽しい会にできましたので報告したいのですが、まずはその前にあった出来事・・・大学でのゲストスピーカー体験を報告します。

22日に、横浜のフェリス女学院大学でしゃべってきました。

議員になってから、年に1回くらいの割合であちこちの大学のゲストスピーカーに呼んでもらう機会があります。
・・・この前のブログに書いたように、しゃべるのは下手なんだってば、という感じですが・・・。

なんで私を呼ぶのですか?と聞くと、たいてい、「若い女性がどうやって仕事を選んだかという体験談が、学生の参考になると思うから」と言われるのですが。
うーん、これまた時々書いているように、私は性別とか年齢をあまり気にしていないので、一体何を話したら良いのやら・・・です。

当選直後に呼ばれてしゃべったときは、選挙について話したりしたんですが、今回は、「そもそも議員の役割とは何なのか」という説明と、なぜ私が議員を目指したのかという話を中心にしました。

仕事については、私はもともと福祉関係で女性が多い職場だったし、議員の仕事も女性だからと差別されることもない恵まれた環境にあると思うけど、でも、どんな仕事につきたいのであれ、「自分が何をやりたいか」を大事にすることが一番ではないかという風に話しました。
もし、自分のやりたい職種が、「男社会」で、思うように働けないならば、新たな価値観で起業をすることもできるわけだし、とにかく自分自身でやれる範囲の壁を作らないことが一番大事ではないかと。


しかし、大学でしゃべるのはこれが3度目で、全部違う大学なんですが、すべての先生がしみじみと「学生はほとんど手を挙げてしゃべらないんだ」とおっしゃっていました。
質問ありますか?と聞いてもほとんど誰も手を挙げない。
でも、課題として、感想を書いておいで、というと、ちゃんとそれはこなしてくる。

んー。大学って、議論をする土壌があまりないのですかねぇ。
一人ひとりがいったい、どんなことを思いながら大学の授業に参加しているのか、というのが、なかなか見えてこない。
「出る杭」にならないようにしているような気配も感じるのですが、もう少しこの壁を揺り動かすことができる力を、私が持つことができたらいいのになぁ、と感じるところです。



女性であることを私が特段に大きく意識せずに生きていられるのは、やはり私が恵まれた環境にあるからだということにもふと気づきました。
私を呼んでくれた先生は、大学では講師でいらっしゃるのですが、もともといろんな社会を見ていて、まだまだ女性が生きるのに壁を感じる状況を知っている。

「女性なんかにはこの仕事はできないだろう」という声を前にした時、女性は自ら女性であることを生かした道に向かわざるを得ないということがあるのかもしれません。
結婚をして仕事を辞めようと思うこと。
性を売る仕事に就くこと。
いずれも、自ら進んで選択するなら個人の自由ですが、他に生きる道がないと思わせる社会環境があるならば問題でしょう。

そして、そういう環境にある女性は今もまだ多いということ。

私はのびのびと生きているけれども、これは決して当たり前のことではないのだということ。だからこそ、「こんなに当たり前のようにのびのび生きている女性もいるから大丈夫だよ~」と、多くの女性に言うことも必要なのかもしれないと、しみじみ感じました。

★バリアフリー分科会のご案内 ★裁判員制度の勉強会

★バリアフリー分科会のご案内

何度かブログにも書きましたが、明日7月26日(日)午後2時から かとうぎ桜子事務所にてバリアフリー分科会を行います。参加費は無料。お気軽にお立ち寄りください。

5月の区政報告会で、参加者・Tさんがご提案くださった勉強会です。Tさんはその後、ご病気によりお亡くなりになりましたが、その思いを受け継ぎ、バリアフリーについて継続的に勉強し、最終的に政策提言にまとめていければと思っています。

第1回目である明日は、
・Tさんの作ってくれていた提案書を読んでみる
・車椅子で実際に大泉の周辺をまち歩きしてみる。
・まち歩きの結果、感じたことを参加者同士で出し合い、議論する。
・今後、私たちが考えていくべき課題を整理する。
・2回目の勉強会の日程と、議論する課題と方向性を決める。

といったことをやる予定でおります。

まちを歩くから、雨は降らないでほしいけど、あんまり暑くならないでほしいですねえ・・・(><)

★裁判員制度の勉強会
7月21日の夜、私の事務所を使って、裁判員制度の勉強会を行いました。

裁判員制度は直接区政に関わるものではありませんが、区政だけにとどまらずに社会に起きる問題を議論する場も必要ではないかという思いで行いました。
また、日中の集まりではご参加いただけない、お仕事をしている皆さんにもご参加いただける時間帯にやってみたいという思いもありました。

私の小さな事務所に、なんとか全員座りきれる程度のちょうど良い人数(10人くらい)のご参加でした。
あんまり事前にお誘いができなかったこともあり、関心はあっても予定が入ってしまって参加できないという方もいらっしゃったのですが・・・。

しかし、思った以上に有意義な会にできたと思います。


この勉強会を開催するにあたって、事前にまず裁判所にパンフレットをもらいに行きまして、それを持ち帰って事務所のボランティアスタッフと読み込みました。

報道されるところだけでは、はっきり分からないことが色々あるでしょう?

例えば、裁判員候補者はくじ引きで選ぶというけど、そのもとになる名簿は何なのか、とか。・・・これは、衆議院選挙の選挙人名簿から選ぶので、裁判所から区市町村の選挙管理委員会に依頼するのだそうです。
そういう意味では、裁判員制度も区市町村にまったく関係ないとはいえませんね。

くじで選ばれた人に手紙が届き、その中に調査票が入っていて返送する。仕事の都合で受けられないとか、もともと裁判官だから裁判員にはなれないとか、いろんな条件をチェックして、できない人を除外し、できる人を絞っていく。
ちなみに区議会議員は、定例会中は辞退できるようです。

で、その次は具体的に担当する事件ごとに裁判員候補が選ばれる。これもくじ引き。

選ばれた人には今度は質問票というのが届く。具体的な日程の中で受けられない理由がある場合はそれを書いて返送し、辞退の理由として認められたら行かなくて良い。

そのあとは、実際に裁判所に足を運んで面接を受け、人数によってはさらにくじ引きをして6人に絞る。

ここで選ばれたら、その日のうちに裁判が始まるようです。
かかる日数は、2,3日だとのこと。


小川敏夫さんによると、これは司法に国民が参加するためにできた制度だとか。
議員は選挙で選ばれ、その議員が行政を監視するので、行政・立法には国民の参加の機会が与えられているといえる。しかし、司法は独立したものだと言われるだけで、国民の参加の機会がなかった。
裁判員になるからといって、特別に法律の勉強をしておくことを求めるのではなく、日常の国民の意見・考えを反映させていくこと、普段の声を述べることが重要なのだ。

という趣旨の説明が、小川さんからありました。

裁判員が6人、裁判官が3人で審理に参加するわけですが、最終的に刑を決めるときには、有罪の場合、裁判員・裁判官の1人以上を含む過半数が賛成する必要が出てきます。

これを見ると、裁判官のみで裁判をしていたときと比べて被告側に特別に不利になるとか、裁判員のもつ責任が重くなりすぎるということがないように作られているんだろうな、と感じます。
小川さんのおっしゃるように、まずは参加するということで司法を社会に開いていくことを目指したのでしょう。


しかし、議論をする中では、さまざまな意見が出てきました。

裁判員が参加するときに短期間で終わらせるために、事前に論点が整理されているので、大事な論点が抜け落ちたりはしないだろうか。

初めて参加する裁判員が、本当に自分の意見を自由に言うことができるだろうか。
声の大きな人や、専門家である裁判官の意見に引きずられることはないんだろうか。
みんなが等しく思ったことを言えるように、ファシリテーターの役割を果たすのは裁判官なんだろうか?もしそうであるとしたら、ファシリテーターとしての研修などが行われているんだろうか?

専門家を前にしたら言いたいことを言えなかった・・・という体験も含めて、体験することに意義があるんだろうか?

参加してみて感じた課題を社会に発信するしくみ(守秘義務との兼ね合い)をきちんと整備する必要があるのではないか。それぞれの心にしまっておいては、せっかくの機会を社会化することができないから。

など。

市民参加に意味はあるが、あまりにも国民に丸投げをしすぎるのではないかという意見も出ていました。これは、裁判員制度だけに限らず、「市民参加」と言われる場合の課題であるようにも思います。


それから、私が気になるのは、なぜ行政訴訟が対象にならないのかということ。
そして、今、産休・育休さえとりにくいのに、仕事を休んで裁判員に参加するということに課題が多いのではないのかということ。


市民に向けて、制度が開かれていくことには意味があると思います。
参加のしくみを作ることは開くための第一歩ではありますが、それはゴールではないでしょう。
行政で行なわれているパブリックコメントや審議会等への公募市民の参加も同様ですが、参加するという形を作ることに意味があるのではなく、参加したことによって市民は何を感じたか、何が足りないのか、どう改善していくべきなのかを議論していくことに意味があるのでしょう。参加した側から主体的に声を発してこそ意味のあることだと思います。


今後、実際に裁判員制度が行なわれる中で、具体的な報道がされるようになるでしょう。
その際、参加した人の声がどう反映されていたのか、誰がファシリテートをしたのか、といった点から、チェックをしていくことが必要だと感じました。

「行政訴訟が対象にならないなど、今作った裁判員制度の中の問題点を改善していくためにも、政権交代は意味があるだろう」と小川さん。
ほほう、成る程・・・と思いつつ、こういう視点からも、政権交代をした後に何が起きるかというチェックは必要かもしれませんね。


いずれにしても、複数の人間で議論をしてみることで、私が一人で考えていたのでは見えなかった問題点・論点が浮かび上がってくる面白さを感じる勉強会でした。
ちょうど偶然、この勉強会の参加者の数が、裁判員制度をやった場合の人数(裁判官3人・裁判員6人の計9人)とほぼ同じくらいだったということも、合議をすることの意義と課題を肌で感じることのできる機会であったように思っています。
初めて集まった9人が、等しく意見を出し合うのはなかなか難しい。ファシリテーターがいなければ、一言も発しないまま終わる人も出てきてしまうはずです。


裁判員制度そのものは、3年で見直すということですが、今後も継続的にチェックしていき、市民ふくしフォーラムでもまた2,3年後に改めてこの会をやってみるのも良いかなと思っているところです。

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結婚式

この前の土曜日は、大学の友人の結婚式でした。

式の後にちょっとしたお食事会をやるから、その司会をやってねと言われていました。
色々打ち合わせをするうちに、「なんだ、お食事会じゃなくて披露宴じゃないか!!」と気づきましたが・・・

「桜子ちゃんは人前でしゃべるのが仕事なんだから大丈夫でしょ」というわけです。

そうやって最近、しゃべり役を依頼されることが多いのですが、私が決してしゃべるのが上手じゃないということは普段交流していれば分かるだろうに・・・とほほ。

議員の仕事は、区民のみなさんや行政の人と個別にお話をすること、資料を読んで調査すること、それに基づき質問を作ること、その結果を区民の皆さんにお知らせすること、でしょう。
これをやるプロセスで、駅でしゃべったり議場で質問をしたりというように人の前に出る機会はまああるわけですが、私はこの「人前で」という部分だけは本当に自信がないのです。だって、上手じゃないんだもの。

この前、舞台の影から「携帯電話のスイッチはあらかじめお切りください」というような案内をするボランティアをしましたが、あまりの下手さ加減に我ながらビックリしました。「ほ、ほ、本日はご来場いただき・・・」とか言うわけです。開会前の会場アナウンスがテンパっているのってあんまり聞いたことないですよね。とほほ。

それでも、イベントなんかでしゃべるのを失敗しても「今度やるときはもっとましになるように頑張ろう」と思えるけれど、結婚式は「次回頑張る」というわけにはいかないから、結構必死で準備しました・・・。

我が人生最大に声を張って頑張りましたよ・・・終わった後に友人が「さすがだね」とさらっと褒めてくれましたが、冗談じゃない、どんなに努力したか(><) 29年間生きてきてこんなに大声を出したのは生まれて初めてだ。。まったく。血のにじむような努力を認めてほしいものです。


結婚式の打ち合わせに行ってみたら、まあ、ずいぶんとたくさん打ち合わせをしているカップルがいること。「この人たち、みんな結婚するの?」というトンチンカンな質問がつい口から出ました。
私の周りはまだ結婚していない人も多いから、みんなあんまり結婚しないのかと思ったら、意外とそうでもないんですねぇ。


で、準備のために結婚式の司会のための本を買って読みました(^^;
いやはや、「○家と△家の結婚」とか、これから妻は夫をもりたてていくでしょうとか、形式的に出てくる言葉の中に、なんだかモヤモヤしたものを感じました。私のこだわりとして、極力こういう言葉は削除しましたけどね。

しきたりの中にさりげなく家制度が残っている。しかも儀式については若干疑問を感じてもなんとなく不謹慎な気がして言葉に出せない。おそるべし、冠婚葬祭・・・


まあしかし、花嫁さんというのは幸せそうですね。
ここのところ、友人の結婚式に行く機会も増えていますが、みんな花嫁さんは幸せそう。

私も自分の結婚式だったら幸せそうにするのかしら・・・自分のときにも「冠婚葬祭、おそるべし」と言ってそうな気もするのですが・・・。


結婚するとなったら、ひとつ区切りとしてイベントをやることには意味があると思っているのですが、どうしたら自分らしくできるかなあ、などとしみじみ考えました。

まずは、司会は日高市議の川田虎男さんにしようと。
せっかくお客さんが円卓に座っているんだからグループワークをやったらどうだろうかと。
「結婚とは」というテーマで議論でもしてもらいますかね。
それから親戚なんだから和力は演奏をしてくれるんじゃないかなと期待。

・・・でも、これじゃあ正装している以外、普段の活動と変わらないや。

しかも、せっかく計画を立てても、肝心の相手がいないじゃないか。

知人の中には、「桜子ちゃんが子どもを産んだら、仕事の間見ててあげるからね」といってくださる方もいらっしゃいます。
こうして、外枠だけは人材豊富で準備できているんですけどねぇ。

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ハンセン病問題

7月15日、練馬文化センターで「新・あつい壁」という映画の上映会がありました。

これは、ハンセン病問題に関する映画です。
ハンセン病療養所に入るようにいわれた男性が、親戚を殺したのではないかという疑いをかけられ(この男性がハンセン病であるという通報をしたことを逆恨みして殺したのだと言われた)、きちんとした証拠調べもしないまま簡単に裁判が終わってしまい、そして死刑になったという、実際にあった事件をもとにした映画です。

何度かブログにも書いたことがあったと思いますが、ハンセン病問題は、私が社会の問題に関心をもつ最初のきっかけとなったものです。私の大学の卒業論文も、「ハンセン病問題と文学」でした。

「らい予防法」という法律と、人の心の奥底にある差別意識が車の両輪のように機能し、病気になった人を社会から排除してきた。
身内からハンセン病患者が出たことによる差別を恐れ、家族も沈黙をした。
たまたまハンセン病という病気になっただけで、患者さんは社会からのみならず、家族からも見放されてしまった。

法律が廃止されたのは1996年。私がこの問題を知ったのは1997年。
廃止されるまで知らずに普通に生活していた、私のような人間がいるから、問題が長いこと放置されてしまったのだと、ショックを受けたのでした。

しかし、その後のハンセン病問題の置かれている状況を見ていると、制度を変えるだけでは人の心は変えられないという無力感を覚えます。心の中にある差別意識は、いったいどうしたら消せるのか、ということに悩んでしまいます。

この映画の中でも少し触れられていましたが、数年前、ハンセン病元患者が温泉の宿泊を拒否された事件がありました。
その後の謝罪も心のこもったものではなかったために、元患者さんたちは「問題にもう一度しっかり向き合った上で謝罪をしてほしい」と言った。それが「謝罪拒否」と報じられると、温泉側ではなくて元患者に対するバッシングが始まったのでした。税金で食わせてもらっているくせに・・・などなど。


なぜ、ちょっとしたきっかけでバッシングへと転じたのか。
それは、ハンセン病問題を、当事者の人権の回復という視点から捉えているのではなく、自分より一段下の存在、施しをしている・恵んでやっている存在として捉えている人がいたからではないかと思います。
かわいそうだと言ってやっているうちは良いけれど、ひとたび当事者が意見を言い始めると「上がってくるな、引っ込んでいろ」とその頭を殴る。

他人を自分よりも下に置くことでしか、自分の存在を相対的に高められないという人は、実はおそらく自己肯定感が低い人なのだろうと思います。

そして、自分は一番下ではないはずだと思いたい気持ちは、実は多かれ少なかれ誰でも心の奥のほうには潜んでいるのかもしれません。その醜い思いを顕在化させるという意味で、制度は罪深い。
ハンセン病問題も、部落の問題もそうでしょう。

しかし、制度がなくなった後も沸き起こる差別感情は、どうしたら取り除くことができるのか・・・大きな課題です。

どこに解決を求めたら良いか、なかなか答えは出ませんが、しかし過去にこうした問題が起きたことを、私は忘れてはいけないと思っています。
無知が再び同じ問題を起こすかも知れないから。
そして、もしかしたら私の先祖が、無知によって差別をしたことだってあったかもしれないから。

自分の心にだってもしかしたら差別意識はあるのかもしれない、ということは、いつも自らに問うていかなくてはならないと思っています。


映画の後、監督と、元患者の森元美代治さんが舞台挨拶をしました。
森元さんは、私は20歳くらいのときからの知り合いです。2年ぶりくらいに再会しました。

ハンセン病療養所に入ると、ほとんどの場合、偽名を名乗ります。
家族に迷惑をかけないため、今までの自分を捨てる思いで偽名を名乗るのです。

そんな背景がありながらも、森元さんは実名で、体験を書いた本を出版しました。
10代から療養所に入所し、過酷な人生を生きながらも、いつも周りにいる仲間を信じて前へ向かって進む人です。

森元さんがこんな趣旨のことをおっしゃっていました。
家族は、「小さな社会」だ。この、「小さな社会」の中でさえも、ハンセン病は差別されてきた。ここに大きな問題がある。社会を変えるためには、家族というものを見つめなおす必要があるだろう。



これは、ハンセン病問題だけではなくて、どんなことにも共通することであるように思います。
子育てや介護を家族の中で完結しようとするあまりに虐待などが起きてしまう問題だとか。
障害のある子どもを支えるために家族の負担があまりにも重くなってしまう問題だとか。
家族という小さな単位でひずみが生じるのはおかしい。
家族の関係が健全であるために、社会全体が果たすべき役割というものがあるのだと思います。


ハンセン病療養所は東村山市にあって、資料館もあります。
私は大学時代はよく行ったものですが、近いですから、みんなで資料館に出かけて、森元さんに解説してもらうなんていう企画をいつか、立ててみようかなあ、などと、思いつきました。


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新聞を読んで・・・

梅雨入りしたと言えば晴れて、梅雨明けしたと言えば降る、私の性格のような空模様の今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか・・・。

今日は皆既日食だったとか。
ずいぶんさかんに報道されていましたが、世の人々がそんなに日食好きだったとは、数日前まで知りませんでした(笑) 
「46年ぶりです!」と言われてましたが、皆さんひそかに46年、待ち望んでたんでしょうか・・・??


私は先週から、ハンセン病問題に関する映画の上映会に参加したり、大学時代の友達の結婚式の司会をしたり、昨晩は事務所で裁判員制度の勉強会をしたり、今日は大学のゲストスピーカーでお話をしたり、という日々を過ごしていました。どれも事前準備が必要だったので、どれか一つくらい間に合わないことになるのではないかと、毎日が綱渡りのようでした・・・。
とりあえず、今日でひと段落。一つずつ、ぼちぼち報告していきたいと思います。


今日の朝日新聞で、今度の選挙に関連して貧困問題に関する3人の方の議論(宮台真司さん、雨宮処凛さん、中島岳志さん)が載っていました。これが、面白かった。ぜひ読んでみてください。

私がここのところ、ずっとモヤモヤとしていて、前回前々回のブログにモニョモニョと書いていたことが、もっとスパッと書いてありました(^^;

例えば、ちょっと要約してみると・・・自民党はずっと、自己責任論でやってきたのに、景気対策といっていつのまにか新自由主義ではなくなっているようだ。それに対して国民が怒るのは当然だけれど、自民党が転げ落ちていく様を「快楽」と感じ、引きずりおろす祭りになるだけで終わるのではいけないのではないか、というようなこと。


だいたい、こういう紙面では、異なる意見を持つ人を載せるものなのでしょうが、宮台さんという方の意見と他の二人が少し違っていて、そして年代も違っているというのが興味深かったです。
あえてそういう構造を作ったのかもしれませんが、雨宮さんと中島さんは75年生まれで同い年―「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代なんですね。


私は、4,50代以上の人でも仲良くしている友人がいるし、性別とか年齢とかで区分けするのはあんまり好きではないのですが、でもこの社会の状況のひどさについて語り合うという場面では、どうも年代による考えの違いというのは傾向としてありそうだと、最近ちょっと感じています。

仕事は探せばあるはずなのに、怠けているだけに違いない。自分は一生懸命働いて税金を払っているのに、なんで怠けている人に配分されないといけないのだ。・・・所得の再配分ということに対して、一定年齢以上の人の嫌悪感がとても強いように感じられるときがあります。

もちろん一定年齢以上だって、そうじゃない方もたくさんいらっしゃるのですが、やはり、「貧困が自己責任ではない」ということを強く実感として持っているのは2,30代のはずだから、この年代が自らの問題として声をあげることが必要だと思います。

構造改革だとか、無駄をなくすんだといって削ってきたのは、邪悪なモンスターではなく、自分の身だったんだということ・・・。

2,30代の人で、もっと、自分の身に起きることを社会に向けて発信する力を、つけていきたいですね。

・・・あ、でも議会で議論する中で自己責任論を言う人には若い人もいるから、やっぱ年齢じゃないかも・・・(^^;

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★7月21日さくらカフェ ★「世論」

★7月21日のさくらカフェ「裁判員制度について議論する」会(午後7時~かとうぎ桜子事務所)に、参議院議員の小川敏夫さんが来てくださることになりました。

会を開くために資料集めをしていてふと、「あ、そうだ。小川さんって、弁護士だった・・・」と思い出しまして
専門家がいてくれたら、議論が浮遊せずに済むなあと思ってお願いしてみたら、「いいよ」と。
国政の状況によっては来られなくなることもあるかもしれませんが、今のところ、来てくださるお約束です。

小川さんは、同じ政党に所属しているとか2年前の選挙でお世話になったとかいう事情を除いても、私は好きなんです。目指したい社会の方向性が、多分ほとんど同じ方向を向いていると感じるから。
そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、そう思える人はなかなかいないものです(^^;

21日は、小規模で、ざっくばらんに話し合う会になりますので、(私の事務所なので、物理的に大規模にできない・・・)ぜひお気軽にお立ち寄りください。

私の事務所は、大泉学園の北口から東映撮影所のほうに向かって歩く途中にあります。徒歩10分弱。

来られそうな方は、事前にメールやブログへのコメントでご連絡をいただけると嬉しいです。

初めての試みなので、どれだけの人が来てくださるかがまったく分からず、不安で・・・。最悪の場合、私と事務所のボランティアスタッフだけという状況になり、「さくらカフェ」が「サクラカフェ」(→こちらの国語辞典のページの(4)の意味)になるのではないかと危惧しているもので・・・(^^:


この勉強会は、普段なにげなく耳にしている様々な社会問題、時事問題をわが身にひきつけ、「私自身の言葉」で語り合えるように深め、討論するための会です。
様々なテーマで開催したいと思っていますが、その初回が裁判員制度なのです。
どんな手続きで選ばれるのか、という基礎知識からはじまり、事例検討をし、課題を見つけて、今後わたしたちがどうやって裁判員制度に向き合っていくかを考える会にしたいと思います。


★今日の大学院の授業で、面白いことを聞きました。

「世論」について。
「せろん」と読んだり、「よろん」と読んだりするでしょう。

以前は、「よろん」は「輿論」と書いたそうです。

で、「せろん」はpublic sentiments で、「よろん」はpublic opinion の意味があったとか。
ウィキペディアにも書いてありました。

つまり、「よろん」が意見で、「せろん」は気分なんですね。

さてさて、今私達が政治に向き合う時は、「よろん」になっているでしょうかね、という話を授業でしていたのです。


さて、どうでしょうね。


じゃあ、どうしたら「よろん」になるのか・・・ですね。


今回の場合はまずは、
「なぜ私は今、政権交代を望むのか(あるいは望まないのか)→そもそも、政権交代って、なんだろう?」
「これから先の社会をどう変えていきたくて投票するのか。その後どうチェックしていきたいと考えるのか」
ということを、自らの言葉に表してみるところ(報道されているままの言葉ではなく、自分自身の言葉で。)が第一歩でしょうか・・・

※かとうぎ桜子のHPはこちら


★レポート配布、再開しました ★都議選のこと

暑いですねえ…部屋の中にいてもムシムシ・・・

★昨日、都議選が終わりましたので、朝の駅での私の活動報告を再開しました。
活動報告休止をしたときにブログに「良いチラシを作っておく」と書きましたが、カラーのチラシです。
体裁が見やすいかどうかは「?」ですが、頑張って作ったので、ぜひお受け取りください。
衆議院選挙の公示までの期間、配布します。

★微力ながら応援していた中谷ゆうじさん、無事当選しました。2番目で当選。良かった良かった。


人間って、「普段どんなことを考えて生きているのか」とか、「どうやって人と向き合うか」という信念が、顔に表れるものだと思うんです。特に、目に出る。
目は、脳に近いから、思っていることが出やすいという話を聞いたことがあります。

だからしゃべっている相手の目をじっと見ていると、「この人は、私の前で言うことと他の人の前で言うことが違うんだろうな」というようなことを感じとることができます。

他人を言葉でごまかすことはできたとしても、自分自身は騙せないもの。その場その場で言うことを変えていると、だんだん顔に出てくるんだろうと思うのです。
特に、40歳を超えると、出ると思いませんか?


中谷さんが選挙に出るという決意をされてから、何度もお会いしてお話をしました。
それで、中谷さんの目を見ていて「この人は相手によって言うことを変えるような人ではない」と感じたんです。
だから、私も安心して話ができるような気がしています。

そんなの、人として当たり前のことのようですが、だけど案外そうじゃない人が多い。

今回の選挙は、政党だけが選択の基準になっていましたが、でも、政治をやるのは人間です。どうやって有権者と向き合っていくか。一人ひとりの日常の中からの声をどうやって議会活動に反映させるか。それを判断していくのは一人ひとりの政治家です。

中谷さんの政策を聞いていると、必ずしも私と同じだとは思えない部分もあったのですが(^^;)、でも、一人ひとりの人間としっかり向き合い、地道に活動をしている姿を見ると、きっと連携していけるだろうと感じました。

だから、当選して良かった。


★選挙って、なんだか不思議なものです。今回、お手伝いをしてしみじみ思い出しました。
区議選だと告示から投票日が1週間、都議選だと10日間。
この選挙期間は、「お祭り」のようになります。
車で大きな音を出して、手を振って走り回る。

最初はぎこちなかったり恥ずかしかったりしても、だんだん感覚が麻痺してくる(^^;

そのうちだんだん気持ち良くなってくる(笑)

カラオケで、はじめは恥ずかしがっていた人が、マイクを離せなくなるような感じでしょうか・・・。

中谷さんの選挙では最初は窓から手を振る方法さえ忘れていた私でしたが、3日目くらいに、プツっと何か(「日常生活の常識」でしょうか・・・?)が切れて、楽しくなってきました。

しかしこの感覚が怖いなあと思います。「生活感覚に近い政治を作りたい」と言っていたって、街中をマイクで叫び歩いている時点で日常の生活から乖離してますからねぇ・・・。

間違えると、選挙期間が終わってもそのままふわふわ遊離していく危険もあります。

だけど本来、選挙はお祭り騒ぎで終わってはいけないし、騎馬戦のように相手の帽子を取ってゴールになるわけではありません。

多数をとった民主党が都議会の中で実際にどんな発言をし、決断をしていくのか。
本当に有権者の皆さんの思いを代弁する活動をするんだろうか。
皆様には、継続的に見ていっていただきたいなと思います。

私も、都議会のこともチェックしながら、時折ブログに書いていきたいと思います。

★しかしそれにしても、投票率の伸びも、民主党の伸びも、すごかったですねぇ。

この勢いは、郵政選挙のときと同じ空気を感じますね。

私は、社会全体がみんなで同じ方向に流れていく、この空気がとても苦手です。
怖いというか、気持ち悪いというか・・・。

みんな、生き方も悩みも、信念もそれぞれ個性があって違うはずなのになぁ・・・。

・・・うぅむ。

色々考えさせられる選挙でした。

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2つ、イベントのお知らせ

今日はいくつかお知らせ。

★夜間さくらカフェ@桜子事務所 7月21日午後7時~

前のブログで、極力事務所を開いて「さくらカフェ」を開催すると書きました。
一応、毎週火曜の午後は開いています。
でも、平日の日中ではなかなか人が来られないね、ということで、時々、夜間も行なうことにしました。

そこで、初回のご案内。

7月21日(火)午後7時~ かとうぎ桜子事務所にて。
夜間のさくらカフェでは、時事問題をテーマにして議論をしたいと思っています。
茶でも飲みながら、一つのテーマを語り合いませう。

21日のテーマは、「裁判員制度」です。

制度の是非について、こっちの方向に持って行きたいということを、私の会として事前に決めているわけではありません。
とにかく、自分の身に起こりえる問題としてしっかり捉えなおしてみることが第一の目的です。

前にもちらりと書きましたが、報道されたことについて私たちは自らの価値観をいれずに何でもそのまま無批判に「善」とか「悪」と理解してしまいがちではないでしょうか。
私たちは自分の心と相談して物事を判断しているでしょうか。

たとえば、(この前、大学院の授業で話が出ていたのですが、)漢字検定協会の問題。いかにも悪そうだけれど、具体的に何がどう悪かったのか、説明できますか?
報道で「悪い」と言われているから、「悪いんだろう」と思っているだけではありませんか?

これは小沢一郎さんの問題も同様だと思います。

「悪い」のは、法的に悪いのか、道徳的に悪いのか、はたまた「みんながそう言っているから」悪いのか?
他人事だからそう言えるのか?
もし自分の身に降りかかってきたらどうなのか・・・?

一つひとつの社会問題に自分自身がどう向き合うのか。
自ら行動し、考え、発言し、その言葉に責任を持つという主体的な市民の活動を起こしていけたらと思っています。

★バリアフリー分科会@桜子事務所 7月26日午後2時~

バリアフリーについて勉強して政策提言をしていく会を提案してくださったTさんがお亡くなりになった話、1ヶ月ちょっと前に何度かブログに書きました。

本当は6月下旬に予定していた会を延期していたのですが、これを7月26日に再開することになりました。
音頭をとってくれるはずのTさんがいないので、一体どうなることやら・・・なのですが、まずはTさんが用意してくれていた資料を読み解き、そしてTさんが業者にお願いして車椅子を手配してくれていましたので、それを使ってまちを歩いてみたいと思います。

なんせTさんは理系の研究者でしたからねぇ・・・すごい綿密に計画を立ててくれていたので、とても私の頭では引き継いでいけないのですが(T_T)、でも参加者の皆さんのお知恵をいただきながら、少しでもTさんの思いを実現していきたいと思っています。

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からすとすずめ

なんだか最近、カラスが多い気がしませんか??

カラスって、なんで怖いんでしょうねぇ・・・私は嫌いな動物はほとんどないですけど、カラスは怖いなあ。
カラスにしてみたら普通に飛んでるだけだろうに、気の毒なことです。


私が駅でレポート配りをするのは7時からだから、まちを走るのは7時前。
そのときには既に、カラスがゴミを荒らしている。
その数が、ここのところやたらと多く感じる。

駅でレポート配りをするときは車で行くのですが、車の中から見ても怖く感じるくらい、ひとつの集積所に5,6羽いるような感じ。


なんだろうかなぁ・・・と思っていたら、やはり他の方も感じているようで、知り合いから、「カラスが大変っ!」というご相談をいただきました(^^;


カラス対策は行政でも色々やって、随分減ってきていたはずだったんですよね・・・なんで今、また増えたんだろう・・・。


それから、これとは別に、なんだかこの数年、雀が減ったような気もしていました。
テレビだか新聞だかで、雀が減ってるっていうのも報じられていた記憶もある。

それが、ここのところ、雀も増えている気がする。
よく、車道でチュンチュンしている。

雀とカラスはえさが似ているんでしょうかね。一時期減ってまた増えだした時期がほとんど重なる気がするけれど・・・

雀は小さいけど、カラスは大きくて怖いから・・・雀は減るとどちらかというと寂しがられるのに、うーん、やっぱりカラスは気の毒だ。でもゴミを荒らすのが困る。
奴らは頭が良いから、防鳥ネットの隙間をうまいこと見つける。
多分、上から見ていて、隙のありそうな集積所を探しているんだと思う。

さてまあ、どうしたもんなんでしょうね。
もし、鳥に詳しい方がいたら、ぜひお知恵をください。


ちなみに、ゴミの担当課長に電話して聞いてみたら、さらっと「防鳥ネットですよ」と言われました。
ま、そりゃあそうでしょうけどねぇ。

カラス対策をしているのはまた別の担当者なんだろうし、ゴミの部署としては防鳥ネット以外に対策のしようもなく、あとは区民のゴミ出しの工夫を呼びかけるしかないんだろうけど。

それで、議員としては縦割りになっている対策を解きほぐして生活課題に近づけるのも仕事だと思っているからまあ良いんだけど・・・

でも、区民の方から直接連絡が来てもさらっと「防鳥ネットです」って言うのかしらね。
防鳥ネットで解決できるんだったら初めから相談なんかしないよなぁ。
なんか釈然としない。ぶつぶつ。

ゴミの出し方についての相談は受けますよ、ともおっしゃっていましたが、でも、なんだか最近のカラスのすさまじい増え方は、ゴミの出し方が突然変化したということでもないような・・・。

・・・ん?突然変化したことといえば・・・ゴミの分別が変わったせいじゃないですよね??


うーん、考え始めると謎は深まるばかりです。

いろんな釈然としなさはまあひとまず置いておいて、カラス(ついでに雀も)の実態は、ちょっと調べてみたいなと思っているところです。

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教科書

7月4日まで、総合教育センターで小中学校の教科書の展示会をしているというので、一昨日、見に行ってきました。

教科書がずらっと並んでいるのを見た途端に、「ああ、私、学校ってあんまり好きじゃなかったなあ」ということを思い出しました(^^;
みんなで前を向いて座って、みんなで同じ教科書を開く。あの手触りも文字の大きさも・・・

手にとってしばらくは、「はぁ~・・・」という気分になりましたが、読み始めてみると、これが意外と面白いものです。
ちょうど一番手前にあったのが国語の教科書だったのでそこから見始めたというのもありますが、私は元々国語が専門なので、国語の教科書をしげしげと、メモをとったりしながら読んできました。

理科や数学は事実を学ぶけど、「事実を前にして自分はどういう価値観を持つか」ということを学ぶのが国語や社会なんだろうと思います。

国語の教科書は5社分が並んでいましたが、見比べてみると個性的。

考えてみれば、教科書を作るのって面白いでしょうね。
この世には一人では読みきれないほどたくさんの文学作品があるわけですが、その中からどれを選んで教科書に載せるか。
作者を絞ったとしても、その人のどの作品を載せるか。
作品の中から抜粋して載せる場合には何というタイトルをつけるか。
作者のプロフィールはどう書くか。

教科書を編修する人の思いが表れると思います。

第二次世界大戦に関する思いが述べられている作品をたくさん載せているものもある。
「いかにも教科書っぽい文字配置」ではない工夫をしている教科書もあった。
話し方・書き方についてページを割くものもある。

ちなみに、ひとつ例を挙げると、中島みゆきの歌詞を載せているのが2社ありました。
私が小学生くらいの時まで、中島みゆきの歌は恋愛関係が多かったんだけど、90年代後半から急に社会性のあるテーマを扱うようになってきたのです。
だから私が子どものころには中島みゆきの歌詞が教科書に載るなんてあり得なかったので、なんかしみじみ・・・。

1社は、「誕生」という歌を載せていました。

泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため 泣いてきたのね


もう1社は、「永久欠番」という歌を載せていました。

どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を

100億の人々が 忘れても見捨てても
宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番


同じ中島みゆきでも、1社は「生きていくこと」を取り上げ、1社は「死んでいくこと」を取り上げているでしょう。

同じ作者のどの作品を取り上げるか、がまったく違う。


ところで、教科書に載る太宰治の作品はなぜいつも「走れメロス」なのか、ということが、私は子どものころから気になっていました。「走れメロス」はあんまり太宰っぽくない気がするのだけれど・・・。
(ちなみに、私が国文学に惹きつけられたきっかけとなった作品のひとつは、太宰治の「斜陽」でした。)


ある教科書は、子どもの権利条約の一節を紹介し、その次のページに黒柳徹子の途上国での体験談を載せていました。
私はこれが一番心に残りました。

黒柳徹子の出会った子どもが、かなり病気の重い状態でいるのだけれど、気遣う徹子さんをじっと見て、「あなたの幸せを祈っています」と言う。
死にゆく子どもは誰のことも恨まない・・・
このエッセーの前に、子どもの権利条約の第六条(子どもの生存権と発達の保障)が添えられている。

教科書編集者自体が何を考えているのかが書いてあるわけではないんだけど、作品をどういう順番で載せるかということで、思いが伝わってくるものなんだと思いました。

教科書って、使い方しだいでは子どもの人格を左右するものになるんだなあと、しみじみ。
子どもは、たとえそのときは気がつかなかったとしても、教えられたことは後からジワリと心に浸透してくるものなのでしょう。

ある意味、怖いほどのものですね。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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