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ゲストスピーカー

12月5日に東洋大学にゲストスピーカーで行ってきました。

ずーっと以前も東洋大学でお話したことがあったのですが、加山弾先生という方に呼んでいただいたのです。

加山先生は2,3年前の地域福祉学会でお会いして、それから時々勉強会にお誘いいただいたりしていたのですが、今回は先生のゼミの学生さんたちが卒業記念に公開プレゼンテーションをやるというので、コメンテーターみたいな役割で呼ばれました。

私と、他にお2人のコメンテーターも。


頼まれるとつい引き受けるのですが、しゃべるのが上手じゃないので、がっくり俯きながらトボトボと大学に向かいました。
冷たい雨も降っているし、2,3年前にもゲストスピーカーで来たはずなのに大学がどこにあるのか分からなくなるし、とほほな状態で大学に到着。

だけど、学生さんたちのお話を聞く中で色々考えさせられることがあって、良い体験ができました。


学生さんたちはいくつかのグループに分かれて、子育て支援とか高齢者の地域参加とか町会との関係だとかを調べ、さらに「こんな地域だったら参加したい」と思えるような新たな提案をする、というものでした。

自分が学生だった頃のことを思い出しながら見ていましたが、どうしても正式な場で発表をするときって、「ちゃんとしなくちゃ」と思うから、自分の言葉で語れなくなっちゃいますよね。
私の議会での一般質問も同様かもしれませんが(苦笑)
どうしても、新聞に出てきたり、小論文で使うような小難しい言葉を使ってしまう。

今回のプレゼンだと、「少子高齢化が云々」とか、「地域の人間関係の希薄化が云々」とか。

だけど、自分の言葉で語れた方が魅力的ですよね。
たとえば高齢者分野を調べた人は、退職後の人がどう地域活動に参加をするかというテーマだったのだけれど、ならばまずは自分の親は退職後に何をしたいと思っているのか、それはなぜなのかを聞いてみることから始めたら良いんじゃないかな、とか。
障害者の雇用について調べた人たちは、雇用している会社のインタビューはしたけど障害のある人自身にはお話が聞けなかったらしい。でも、できれば当事者が何を思うかを聞いたほうが良いですよね。


20代のうちは、何かやろうと思ったり、発言したりすると、オトナたちから「経験もないくせに」と言われるかもしれないけど、めげずに、現場を見て、自分の言葉で思ったことを言ったほうが良いよ・・・みたいなことをコメントしてきました。


授業のあとには懇親会があって、学生さんたちとお話をしました。
みんなそれぞれ、いろんな思いを持っていて、感じたことを自らの言葉で表現する様は授業中よりずっと魅力的でした。

福祉の勉強をしても就職は一般企業にする人が増えているという話は以前から聞いていたのですが、今年はいつもより福祉関係に行く人が多いようだということでした。(不況で、一般企業に就職できないという面も

でも、一般企業に行く子も、福祉の視点をもって会社で働きたいと思っていると言っていました。

それから、実習でいろんな体験をしてきたという話も。


まあ、個別の内容はここには書けませんが、みんなの話を総合的に判断すると、福祉系の学生さんが福祉の仕事に就かないのにはそれなりの意味があるんだなということでした。

今まで、福祉関係の仕事についている友達と話をしていて、学生が福祉の仕事に行かないという話題が出ると、だいたい、「なんてこっちゃい、けしからん」というニュアンスになりがちなのですが、実は、けしからんのは学生ではなくて、学生が働きたいと思えるような現場作りをできていない大人たちのほうなのではないかと。

お給料が低いという問題だけではなくて、どのくらい利用者さんを大事にしているかとか、どのくらい職員が個性豊かにいきいきと仕事をしているかとか、どれだけ福祉のあるべき理想を求めて仕事ができているかという点が、今は欠如していて(たぶん、それを考える余裕がなくなっている)、思いのある学生さんほど「これじゃあとても働けない」と思ってしまうのではないかと。悪循環ですね・・・。

そこはやはり、今、福祉の現場で働いている人たちや、私のような議員が、少しずつでも改善させていかないといけないですね。

※かとうぎ桜子のHPはこちら
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近況など

★決して今年度中には書き終えられないのではないかと思っていた修士論文が、奇跡的に書き終わりそうな気配です(笑)
完成したら内容はまたご報告したいと思っていますが、現在4万字くらい。モジョモジョ修正しているうちに5万字くらいになって出来上がるんじゃないでしょうかね。というわけで、さすがに文字を書く気力がほとんどなくて、ブログが更新できなくてすみません。

★ご報告ができていなかったと思いますが、11月15日に「バリアフリー」の勉強会を開き、区内にお住まいの建築士さんからお話を聴きました。もともと、障害のある人等の住宅改修なんかの相談を受ける仕事をしていたということで、車椅子が通れる間口はこのくらいと設定されているんだよ、などのご説明をいただきました。

都には「福祉のまちづくり条例」があって、練馬区も今条例を作ろうとしている。
バリアフリーの難しさはやはり、どういう基準を作れば障害のある人にとってベストなのかということが、素人にはなかなか分からないことじゃないかと思っているのです。現状では、「福祉のまちづくり」とか「バリアフリー」という言葉が、漠然と「良いこと」として使われることはあっても、じゃあ具体的にどうすることが「福祉のまちづくり」なのかが語られない場合が多いように思うんです。

障害といっても人によって違うし、一方がよければ他の人が使いにくくなる可能性もあるから、色んな視点で見ていかないといけない。そして、完全にベストになることはなく、少しずつ良くしていかなくてはいけない。

この勉強会でお話を聴くことによって、今のルールはどんな理由で作られているのか、実感をもって知ることが出来ました。

一連の勉強会の内容は、来年、報告書としてまとめたいなと思っています。


★それから、11月29日には「高齢者の住まい」について考える勉強会で、私の事務所の近くにある大泉特別養護老人ホームを見学させていただき、職員さんからお話を聴いてきました。

参加者の皆さんは、福祉の仕事をしている人からまったく福祉のことが分からない人まで幅広かったので、実際に施設を見ることができて良かったと思います。

これも改めて報告書をまとめたいと思いますが・・・。

★この2つの勉強会でしみじみ感じたのは、現場を見てきた専門家の声というのはとても重く、そして聞いている私たちも実感をもって感じることができるのだということです。

それは、水俣の議員さんもそうだし、成年後見の話をしてくれた人達もそうだったのですが、つねに悩みながら携わっている人達の言葉を聴くと、私たちはふだん、報道等で「分かったつもり」になっていただけだったんだということが突きつけられるようです。

バリアフリーの課題だって、高齢者介護の課題だって、水俣病の問題だって成年後見制度のことだって、私たちはいつも新聞やテレビで「なんとなく」は聞いているじゃないですか。
だけど、こうして現場で頑張っている人からお話をいただくと、「なんとなくわかっている」気になることほど、当事者に対して失礼なことはないということに気付き、見の引き締まる思いです。


だけど、福祉の仕事や地域の仕事をしていれば必ずそういう専門性を身につけられるかというと、そうじゃないんですよね。

議員になったばかりのことだったと思いますが、他の自治体の議員さんと話をする機会がありまして。
その議員さん、ひたすら、「自分はあの議員とも知りあいなんだ」「あの人のことも知っている」ということだけを言い続けていらっしゃったんです。
それで、だから何なんだろう・・・ととても違和感を持ったのです。誰と知り合いであろうが、そこで何かしら地域課題の解決に役立てていなければ何の意味もないでしょう?

でもこういう感じって、議員だけじゃなくてどんな仕事でも、陥りがちなところかなと思うんです。
私は大学で国文学でしたが、そういう場では「私はあの本もこの本も読んだ」とか「あの先生ともこの先生とも知りあい」という人もいますしね。それでその本をどう解釈したかを論じることのほうが大事なはずなのに。

福祉でも、大学の先生とか研修の講師をやっているような、有名な先生の名前をたくさん挙げながら「こんなに知り合いがいるんです」という人もいるんです。

自分が何を為すかではなくて、誰と知り合いか、何を知っているかを言いたくなってしまうのは、人間の性なのでしょうかね。

けれども、それではせっかくその仕事に携わっていても、何も深みは生まれないし、言葉に重みも持たないのだろうなと思うんです。

私は福祉の仕事も議員の仕事も、始めてそんなに年月がたっているわけではないけれど、10年後には言葉に重みのある人になれるように、この陥りがちな罠に落ち込まないように、しっかりと自分の立ち位置を見ていかなくてはならないなと思う今日この頃です。

この11月12月は、上に書いたように、反面教師ではなくて、目標にしたい人生の先輩と何人も出会えたので、良かったなと思っています。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

ジャズ、無事に終わりました

ご報告が遅くなりましたが、19日の「ジャズを聴く会」、めでたく無事終了しました。

初めての試みでずいぶんドキドキしていたのですが、とても楽しい会になりました。

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前のほうから見ていると、お客さんたちがとても楽しそうな表情をされていて、んー音楽って良いもんだなあとしみじみ。

私はといえば、最初のころはテンパって無駄に会場内をウロウロしており、後半はだんだん酔っ払ってきて気が大きくなってニヤニヤしており、いずれにしても会の運営じたいはボランティアさんたちにすっかり頼りきりでした(^^;

お手伝いくださった皆様、どうもありがとうございました。

私自身も、日々の生活の中では知らず知らずに頭の中が狭くなってしまう、視野が狭まっていってしまう感じがあるけれど、音楽を聴くことによってふーっと解き放たれたような気持ちになりました。


途中の休憩時間には、私の事務所でボランティアをしてくれている人が音頭をとってゲームをして参加者同士の懇親を深め、そして私の大学院の恩師からひとことご挨拶いただきました。

先生には改めて来年、講演に来ていただこうと思っています。(政治学の先生なので。) ですので、何をテーマにお話をされたかという詳細は、改めてそのときに。(^^;

温かいお人柄の先生なので、懇親のゲームと先生のお話によって会場も温かい雰囲気になりまして、後半の演奏は会場も盛り上がってとてもよかった。


準備は大変でしたが、とても良い会になったので、1年に1回くらい、定例化できたらいいなと思っています。

ぜひ、皆さんも次回、ご参加ください。


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明日のジャズのことと今朝の駅の出来事

★随分長いこと企画を暖めていた「ジャズを聴く会」がいよいよ明日になりました。

一応念のため、もう一度ご案内。


Jazz Night in Nerima~ジャズを聴く会

練馬区役所地下多目的会議室 18時30分~20時30分
参加費2000円(ワンドリンク・おつまみつき)

チラシをHPのほうに載せてあります。こちら


私が演奏するわけでもないのに、なぜかやたらと緊張しています・・・(苦笑)

友人に、「閉会の挨拶は他の人にやってもらったほうが良いよ。桜子ちゃんがしゃべるとボソボソしていて、会が終わったのかどうか、みんなが分からないだろうから。」と言われました(--;)

とにかく、楽しい会になるように頑張りたいと思います。


ブログも書きたいことが色々とたまっているのですが、今はそんなわけで心がいっぱいなので、また週明けにでも書きます。


★今朝、石神井公園駅にレポート配布に行こうと思って起きたら、なんだかグラグラするから、「疲れてめまいがしているんだろうか・・・」と思っていたら、地震でした

それにしても今朝は寒かったですね!
この冬は、駅でレポート配布をしていても、まだそんなに寒いとも感じなかったのだけれど、今日は寒かった・・・。

そうしたら、通勤途中の女性が近づいてきて、温かいカフェオレのペットボトルを差し出してくれました。
朝の忙しい時間に、なんて親切な人がいるのでしょうね・・・びっくりしました。うれしかった。

ポケットに入れたペットボトルを時々握り締めながら、駅に立っていたのでした。

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成年後見制度のシンポジウム

★11月26日の午前中に、区役所内で「成年後見制度」についてのシンポジウムがありました。手をつなぐ親の会と社会福祉法人が主催しているものでした。

「成年後見制度」というのは、障害があったり、高齢になって、自分で財産の管理や契約などが難しい人に対して支援をするしくみです。

多治見市というところで成年後見センターをやっている方と、千葉県で「どんな人の生活の相談も受ける」という活動をやっているという中核地域生活支援センターのセンター長さんが事例報告をしてくださいました。

★千葉のセンター長さんは朝比奈ミカさんという方なのですが、この朝比奈さんは5年くらい前まで違うところでお仕事をしていらっしゃった。私はその、朝比奈さんの前の職場でバイトをしていたのでした。

茗荷谷にある福祉の研修室ですが、私はそこはとても好きな職場でした。

その前職を朝比奈さんがおやめになってから私はまったくお会いする機会がなかったので、時々、「朝比奈さんは元気かしら・・・」と思っていたものです。

今回、たまたまシンポジウムのチラシを、同じ会派の北川さんからもらいまして。「お!朝比奈さんじゃないか!」と思って出かけ、実に5年ぶりに再会をしてきました。


朝比奈さんはいつもにこにこしていて、ぽーッとした感じなのに、その言葉に私はよくグサッと来た記憶がありまして(^^;
もう5,6年前なので、具体的にどうグサッときていたのかは思い出せないのですが・・・。


ひとつだけ覚えているのは・・・
私は当時、研修室の事務補助のバイトをしていたので、研修の資料のコピーをしたり、ホチキスで止めたりといった仕事をしていました。
あるとき、職員さんから、A4の紙に書いてある図を渡されて、「この図を、全体で共有したいので、模造紙に書き写してください」と言われました。

そう言われるまで自分でもあまり気づかなかったのですが、私はとても図工が苦手で(--;)、「まる」とか「やじるし」とかをフリーハンドで書けなかったのです。
でも仕事だし、なんとか頑張らなくてはいけない。苦手で困っていることを誰にもばれないように、なんとか乗り切らなくてはならない・・・と一人で冷や汗をかきながら、「まる」を書く工夫をしていました。

なんとかかんとかヘナチョコな図を模造紙に書き上げて、「ハイ、できました」と職員さんに渡しました。

よしよし、誰にも私の冷や汗はばれなかったに違いない・・・と思って何日かした後に、他の職員さんから「朝比奈さんが、『加藤木さんって図工が苦手みたいだよ』と言っていたよ。なんか、見ていて気づいたんだって。」と言われた・・・。


そうやって、なんか、「そこだけはつついて欲しくない」と思っているところを、まったく悪気なくつついてくださる方であるという印象があるのです。


★さて、シンポジウムはとても興味深かったです。
昨年の不況以来、朝比奈さんのところに来る相談がとても増えているということ・・・それは、不況のあおりで家を出なければならない人が増えていて、その中には高齢だったり障害がある人もいて、周りが見かねて相談してくれるケースが増えているということでした。

それで、成年後見制度を利用したケースについて、少し具体的に事例をお話してくださったのですが、例えば親が介護が必要になったために子どもに連絡を取ってみたら、その子に障害があると判明して支援につながったケースだとか、家族がいない一人暮らしで親戚も支援できないという人とよく話をしてみて障害者手帳を申請することになったケースだとか。

一人が持つ障害だけでなく、家族との関係などがものすごく複雑にからまっていて、制度の狭間に落ちてしまっている人がとてもたくさんいるのだろうと感じさせられるお話でした。


もう一人の多治見市の方も、そのまちで障害のある人が暮らしていけるようなしくみを整えなくてはならないという必要に迫られて活動を続けてきたというお話で、とても興味深かった。

これは次回のブログで改めて書きたいと思いますが、やはり、水俣についてのブログでも書いたように、日々、当事者とともにへとへとになって悪戦苦闘して活動を続けている人の話はとても魅力的です。


★それで、シンポジウムが終わってから朝比奈さんのところに挨拶に行きました。5,6年も経てばもう忘れちゃってるかしらと思いつつ。

そしたらちゃんと覚えていてくれて、

朝比奈さん「あら!久しぶり!選挙に出たって聞いたけど・・・」
私「そうなんです」
朝比奈さん「そうか~。それで、今は何をやっているの?」(にっこり)
私「・・・ えーと、議員をやってるんです。ここで。」
朝比奈さん「あ、そうなんだ、受かったんだ~」(にっこり)

・・・そうそう、こういう感じが、なんだかグサッとくるんだった。

朝比奈さん「でも議員さんになっても、全然変わってないのね~」(にっこり)
私「・・・ハイ」

これもまた、褒められているような、グサッとくるような、ちょっと複雑な気分になりつつ、またいつか会えたら良いなと思いながら、午後の本会議のために議会へと向かった11月26日(定例会2日目)でした。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

水俣病②

前回のブログで予言(!?)したとおり、更新が遅くなってすみません・・・(--;)


チッソの分社化の問題について、国会の議事録を読んだり、水俣病資料館でもらってきた資料を読んでみたり、以前に切り抜いていた新聞記事を引っ張り出してもう一度読んでみたり、ずーっと考え込んでいたのです。


今年の7月に「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」というものができました。

水俣病は、どこまでの症状の人を認定するか、いつの時期に水俣にいた人を水俣病とするか、などで議論が続き、根本的な解決が図られていないのですね。
そもそもは、発生した初期に、チッソの水銀によって起きた病気だと認めなかったことによって、胎児にまで影響が出るなど問題がどんどん複雑化したのではないかと思いますが。

そのために、裁判で闘わなくてはならなかったり、当事者の皆さんがとてもしんどい思いをしてきた。早く、解決をしたいと感じていらっしゃる。

そこで、今回の法律は、今度こそしっかり解決しようということで作られたのだけれど、一方で、「チッソの会社を分社化する」ということもあわせて行われたのでした。

今、チッソは液晶などを作る事業をやっているそうです。
こうした事業をやる部分を切り分けて新会社を作って、患者さんに対して補償をしている今の会社と分けるというものです。

これは、そうでなければとても将来的にやっていけないと、チッソ側が言ったためのようです。いつまで補償が続くか分からないのは大変だ、と。

地元としても、チッソが水俣市民の働く場として大きな役割を果たしているから、水俣にずっといて欲しいという思いもある。
それで、補償の部分と事業の部分を分けるから、かわりに水俣には残って地域振興をするように、という法律のようです。

分社化して、補償をしているほうの会社は、水俣病の問題が解決した後にはなくなるわけですが、ここで心配されているのは、「解決した」と思った後に新たに患者がいたことが判明したらどうするのか、ということ。

当事者のお話を聞いていて思うのは、比較的軽い症状だった場合、しびれがあったり視野狭窄があっても自分でも気づかずに、加齢とともにだんだん症状が進行して気づくことがあるということ。

それから、差別を恐れて、我慢してしまっている人もいること。

胎児のときに病気になった人は現在40代くらいだということなので、まだまだ今後、何十年もにわたって新たな課題が出てくる可能性はあると思います。


そして、今までより幅広い患者の救済はするということ、そして水俣病についての調査・研究をするということが法律に書かれてはいるものの、具体的に何をどう進めていくのか、現段階でも(7月の時点じゃなくて、今でも)はっきりしていないということ。

国会の議論を読んでいて思ったのは、それでも補償していくしくみを作ることが優先されたのかなということです。


当事者の団体はいくつかあるようですが、今回の法律でOKという団体と、これではチッソの救済だけで患者の救済にはなっていないからダメという団体とに分かれていたようです。
けれども、共通しているといえるのは、誰も別にチッソの分社化を望んではいなくて、早期に解決してほしいと考えているということです。今、折り合うか折り合わないかという点で意見が分かれているだけです。


今年の7月当時の与党だった自民党が出してきた最初の案は、救済される対象も狭く、水俣を公害の地域指定を解除するということまで書かれていました。これに対して民主党が対案を出していて、救済対象を広くすること、地域指定を外さないこと、そして分社化しないことを言っていたのですが、与野党の協議の中で分社化については折り合ったということのようです。


なんで分社化で折り合ったんだろう・・・というのが私にはどうしても謎でして。その頃、切り抜いてあった朝日新聞を改めてじっくり読んだら、余計頭がこんがらがってきました(--;) 読んだ記事が分かりにくかったのか、はたまた私の頭が悪いのか、あるいは事実そのものが分からないのか・・・

今年の7月1日の新聞です。
妥協を急げば「公害の幕引き」と批判を浴びかねないが、結論を出せないまま衆院が解散されれば、「再び解決の機運が盛り上がる機会はない」(民主党幹部)。与党、民主党とも今国会での決着を最優先して妥協を探らざるをえないのが実情だ。

・・・これが良く分からないのです。

なんで「機運が盛り上がる機会はない」んだろう。盛り上げれば良いじゃないね。

「妥協を探らざるをえない」・・・なんでだろう・・・??


この新聞記事を前にしてずーっと頭をひねっているのですが、さっぱり分からんのです。

というわけで、ここのところずっと、「分からん・・・」という独り言を言っています。


同じ記事には、総選挙後に政権交代してから法律を作れば手厚い救済になるかもしれないけれど、それではチッソが応じないかもしれないから成立しないかもしれない、とも書いてあります。

しかし、なんで法律の内容に、被害者ではなくてチッソの意向が優先されるのかもさっぱり分からない。


発生から50年以上経っているんだから、早期解決を目指すのは当然だけど、でも、法律ができたのは7月でしょう。少なくとも1,2ヵ月後には総選挙で、おそらく政権交代するだろうと言われていたのに、なぜここであわてて妥協する必要があったのかしら・・・。

どんなに頭をひねっても分かりませんでした。。うーん・・・歩み寄りをして、「実」をとったのか・・・?いや、でも、それならやはり分社化の議論は患者救済と抱き合わせずに分けてするべきじゃないのか??むむむ・・・

なんというか・・・「水俣病の患者を早期に救済するためにはチッソの分社化が必要です」っていうのって、「保育園の待機児を解消するためには民営化が必要です」というのと同じくらい、論理が飛躍している気がするのです。
保育園民営化については修士論文のために整理していて、飛躍した論理の隙間に何があるのかがだいぶ分かってきたのですが(論文ができたら報告します・・・)、一見して飛躍している論理には、その隙間に何かもっと別の意味があるような気がするのです。


水俣病発生当時、チッソは、プラスチック製品を作るために私用した水銀を含む廃液を海に向かって流していた。早い時期に原因をつきとめる機会はあったのに、国は見逃してきた。それは、プラスチック製品の8割くらいをチッソが支えていたからではないかと思うのです。一人ひとりの人間の命よりも、産業社会の発展を選んだ。
そういう意味で、国は「チッソと患者を仲介する第三者」ではなく、自らが加害者なのです。だから法律を作るにあたっても、それを意識していないといけないはず。

チッソの事業は今は液晶です。
液晶も、パソコンやテレビに使われて、今の社会では欠かせない存在ですよね。
とすると、チッソを守る分社化の法律を作る理屈って、昭和30年代の国の対応と同じなんじゃないか?と思えてしまう。



とにかく、今はまだ何も解決に向かって進んでいないわけです。具体的な支援のしかたや調査研究をどう進めるのかはこれから決まるのです。
水俣がもつ課題を知るには、1度や2度訪ねるだけでは足りない。私はとても遠い場所にいて、何も役には立てないかもしれないけれど、でもなんだかとてもこの問題が気になるのです。

なんでこんなに気になるのか・・・これは、私が高校生の頃にハンセン病の問題を初めて知ったときもおなじ感覚だったのですが、私もある意味、加害者の一人であるような気がしてしまって、いてもたってもいられない気持ちになるんです。

水俣病の原因は、戦後にぐっとプラスチック製品の消費が増えたことでしょう。便利な生活を求めた結果、ひどい生活に追いやられた人がいたということ。

じゃあ私は、いつも使っている服や、モノや、そして食べ物が、一体どこで作られているのか、誰がどうやって作っているのかを全部知っているのか。
使い終わったものを捨てるけれども、捨てたものはどこで処理されているのか。
加工場や処分場の近くに住んでいる人は、生き物は、いったいどうしているのか。

少しずつ知っていきたいとは思うけれど、知らないことはたくさんあります。

私の無知や想像力の欠如が、どこかで誰かを傷つけているのではないかと思ってしまうんです。だから、間接的には、私も加害者ではないかと。


それともう一つ、水俣病の問題は人が生きる問題そのものにつながる面があります。
水俣病に差別があること。

国会の議事録を読むと、今なお残る差別・偏見をなくすために、水銀による身体症状について啓発をしてほしいとおっしゃっていた議員さんがいました。
水銀の性質と汚染の被害という事実を知るのはもちろん大事だけど、でもそれだけじゃない気が、私にはするのです。

水俣病に差別があったのは、初めのころの症状が劇症だったからとか、はじめは伝染病が疑われたから、とか、そういう、医学的な啓発の不足だけが理由ではないように思うのです。もっと、普遍的な人の心理が働いているような・・・。


資料館で当事者の体験談の書かれた資料を買いました。
この当事者を仮にAさんとしましょう。Aさんのお母さんはかなり早い時期に水俣病になって病院に行った。
そしたら今まで親戚のように親しくしていた近隣の人が突然冷たくなって、石を投げたり、ひどいことをしてきた。とても辛い日々だったけど、数年たったら、今度はAさん一家を差別をしていた人たちが水俣病にかかって、病院に行かずに亡くなっていった。「Aさんたちをいじめて悪いことをした」と家族に言いながら死んでいったと。
それで、Aさんは思ったのだそうです。具合が悪くても周りの目を気にして病院に行かなかった人たちは、病気になってすぐ病院に行くという行動をしたAさん一家に対して腹を立てたのかもしれないと。そして自らは死ぬほどになるまで体調を崩しても病院に行けずにいたのかもしれないと。もし、自分たちが逆の立場だったら、やはり同じようなことをしていたかもしれないと。

それは、病気そのものに対する差別というよりも、地域の中での関係性だとか、多数派とは違う行動をとることへの嫌悪であるとか、自らの思いを病院にであれ政治にであれ裁判という形であれ社会に向かって訴えることに対する嫌悪感である気がします。「みんな」とは違う行動をする人を排除してしまう心理。

であるならばそれは水俣病特有の問題ではなく、私たちの社会に、そして私たち一人ひとりの心の中に潜む闇である気がするのです。

だから、水俣が気になるのです。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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