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水俣病②

前回のブログで予言(!?)したとおり、更新が遅くなってすみません・・・(--;)


チッソの分社化の問題について、国会の議事録を読んだり、水俣病資料館でもらってきた資料を読んでみたり、以前に切り抜いていた新聞記事を引っ張り出してもう一度読んでみたり、ずーっと考え込んでいたのです。


今年の7月に「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」というものができました。

水俣病は、どこまでの症状の人を認定するか、いつの時期に水俣にいた人を水俣病とするか、などで議論が続き、根本的な解決が図られていないのですね。
そもそもは、発生した初期に、チッソの水銀によって起きた病気だと認めなかったことによって、胎児にまで影響が出るなど問題がどんどん複雑化したのではないかと思いますが。

そのために、裁判で闘わなくてはならなかったり、当事者の皆さんがとてもしんどい思いをしてきた。早く、解決をしたいと感じていらっしゃる。

そこで、今回の法律は、今度こそしっかり解決しようということで作られたのだけれど、一方で、「チッソの会社を分社化する」ということもあわせて行われたのでした。

今、チッソは液晶などを作る事業をやっているそうです。
こうした事業をやる部分を切り分けて新会社を作って、患者さんに対して補償をしている今の会社と分けるというものです。

これは、そうでなければとても将来的にやっていけないと、チッソ側が言ったためのようです。いつまで補償が続くか分からないのは大変だ、と。

地元としても、チッソが水俣市民の働く場として大きな役割を果たしているから、水俣にずっといて欲しいという思いもある。
それで、補償の部分と事業の部分を分けるから、かわりに水俣には残って地域振興をするように、という法律のようです。

分社化して、補償をしているほうの会社は、水俣病の問題が解決した後にはなくなるわけですが、ここで心配されているのは、「解決した」と思った後に新たに患者がいたことが判明したらどうするのか、ということ。

当事者のお話を聞いていて思うのは、比較的軽い症状だった場合、しびれがあったり視野狭窄があっても自分でも気づかずに、加齢とともにだんだん症状が進行して気づくことがあるということ。

それから、差別を恐れて、我慢してしまっている人もいること。

胎児のときに病気になった人は現在40代くらいだということなので、まだまだ今後、何十年もにわたって新たな課題が出てくる可能性はあると思います。


そして、今までより幅広い患者の救済はするということ、そして水俣病についての調査・研究をするということが法律に書かれてはいるものの、具体的に何をどう進めていくのか、現段階でも(7月の時点じゃなくて、今でも)はっきりしていないということ。

国会の議論を読んでいて思ったのは、それでも補償していくしくみを作ることが優先されたのかなということです。


当事者の団体はいくつかあるようですが、今回の法律でOKという団体と、これではチッソの救済だけで患者の救済にはなっていないからダメという団体とに分かれていたようです。
けれども、共通しているといえるのは、誰も別にチッソの分社化を望んではいなくて、早期に解決してほしいと考えているということです。今、折り合うか折り合わないかという点で意見が分かれているだけです。


今年の7月当時の与党だった自民党が出してきた最初の案は、救済される対象も狭く、水俣を公害の地域指定を解除するということまで書かれていました。これに対して民主党が対案を出していて、救済対象を広くすること、地域指定を外さないこと、そして分社化しないことを言っていたのですが、与野党の協議の中で分社化については折り合ったということのようです。


なんで分社化で折り合ったんだろう・・・というのが私にはどうしても謎でして。その頃、切り抜いてあった朝日新聞を改めてじっくり読んだら、余計頭がこんがらがってきました(--;) 読んだ記事が分かりにくかったのか、はたまた私の頭が悪いのか、あるいは事実そのものが分からないのか・・・

今年の7月1日の新聞です。
妥協を急げば「公害の幕引き」と批判を浴びかねないが、結論を出せないまま衆院が解散されれば、「再び解決の機運が盛り上がる機会はない」(民主党幹部)。与党、民主党とも今国会での決着を最優先して妥協を探らざるをえないのが実情だ。

・・・これが良く分からないのです。

なんで「機運が盛り上がる機会はない」んだろう。盛り上げれば良いじゃないね。

「妥協を探らざるをえない」・・・なんでだろう・・・??


この新聞記事を前にしてずーっと頭をひねっているのですが、さっぱり分からんのです。

というわけで、ここのところずっと、「分からん・・・」という独り言を言っています。


同じ記事には、総選挙後に政権交代してから法律を作れば手厚い救済になるかもしれないけれど、それではチッソが応じないかもしれないから成立しないかもしれない、とも書いてあります。

しかし、なんで法律の内容に、被害者ではなくてチッソの意向が優先されるのかもさっぱり分からない。


発生から50年以上経っているんだから、早期解決を目指すのは当然だけど、でも、法律ができたのは7月でしょう。少なくとも1,2ヵ月後には総選挙で、おそらく政権交代するだろうと言われていたのに、なぜここであわてて妥協する必要があったのかしら・・・。

どんなに頭をひねっても分かりませんでした。。うーん・・・歩み寄りをして、「実」をとったのか・・・?いや、でも、それならやはり分社化の議論は患者救済と抱き合わせずに分けてするべきじゃないのか??むむむ・・・

なんというか・・・「水俣病の患者を早期に救済するためにはチッソの分社化が必要です」っていうのって、「保育園の待機児を解消するためには民営化が必要です」というのと同じくらい、論理が飛躍している気がするのです。
保育園民営化については修士論文のために整理していて、飛躍した論理の隙間に何があるのかがだいぶ分かってきたのですが(論文ができたら報告します・・・)、一見して飛躍している論理には、その隙間に何かもっと別の意味があるような気がするのです。


水俣病発生当時、チッソは、プラスチック製品を作るために私用した水銀を含む廃液を海に向かって流していた。早い時期に原因をつきとめる機会はあったのに、国は見逃してきた。それは、プラスチック製品の8割くらいをチッソが支えていたからではないかと思うのです。一人ひとりの人間の命よりも、産業社会の発展を選んだ。
そういう意味で、国は「チッソと患者を仲介する第三者」ではなく、自らが加害者なのです。だから法律を作るにあたっても、それを意識していないといけないはず。

チッソの事業は今は液晶です。
液晶も、パソコンやテレビに使われて、今の社会では欠かせない存在ですよね。
とすると、チッソを守る分社化の法律を作る理屈って、昭和30年代の国の対応と同じなんじゃないか?と思えてしまう。



とにかく、今はまだ何も解決に向かって進んでいないわけです。具体的な支援のしかたや調査研究をどう進めるのかはこれから決まるのです。
水俣がもつ課題を知るには、1度や2度訪ねるだけでは足りない。私はとても遠い場所にいて、何も役には立てないかもしれないけれど、でもなんだかとてもこの問題が気になるのです。

なんでこんなに気になるのか・・・これは、私が高校生の頃にハンセン病の問題を初めて知ったときもおなじ感覚だったのですが、私もある意味、加害者の一人であるような気がしてしまって、いてもたってもいられない気持ちになるんです。

水俣病の原因は、戦後にぐっとプラスチック製品の消費が増えたことでしょう。便利な生活を求めた結果、ひどい生活に追いやられた人がいたということ。

じゃあ私は、いつも使っている服や、モノや、そして食べ物が、一体どこで作られているのか、誰がどうやって作っているのかを全部知っているのか。
使い終わったものを捨てるけれども、捨てたものはどこで処理されているのか。
加工場や処分場の近くに住んでいる人は、生き物は、いったいどうしているのか。

少しずつ知っていきたいとは思うけれど、知らないことはたくさんあります。

私の無知や想像力の欠如が、どこかで誰かを傷つけているのではないかと思ってしまうんです。だから、間接的には、私も加害者ではないかと。


それともう一つ、水俣病の問題は人が生きる問題そのものにつながる面があります。
水俣病に差別があること。

国会の議事録を読むと、今なお残る差別・偏見をなくすために、水銀による身体症状について啓発をしてほしいとおっしゃっていた議員さんがいました。
水銀の性質と汚染の被害という事実を知るのはもちろん大事だけど、でもそれだけじゃない気が、私にはするのです。

水俣病に差別があったのは、初めのころの症状が劇症だったからとか、はじめは伝染病が疑われたから、とか、そういう、医学的な啓発の不足だけが理由ではないように思うのです。もっと、普遍的な人の心理が働いているような・・・。


資料館で当事者の体験談の書かれた資料を買いました。
この当事者を仮にAさんとしましょう。Aさんのお母さんはかなり早い時期に水俣病になって病院に行った。
そしたら今まで親戚のように親しくしていた近隣の人が突然冷たくなって、石を投げたり、ひどいことをしてきた。とても辛い日々だったけど、数年たったら、今度はAさん一家を差別をしていた人たちが水俣病にかかって、病院に行かずに亡くなっていった。「Aさんたちをいじめて悪いことをした」と家族に言いながら死んでいったと。
それで、Aさんは思ったのだそうです。具合が悪くても周りの目を気にして病院に行かなかった人たちは、病気になってすぐ病院に行くという行動をしたAさん一家に対して腹を立てたのかもしれないと。そして自らは死ぬほどになるまで体調を崩しても病院に行けずにいたのかもしれないと。もし、自分たちが逆の立場だったら、やはり同じようなことをしていたかもしれないと。

それは、病気そのものに対する差別というよりも、地域の中での関係性だとか、多数派とは違う行動をとることへの嫌悪であるとか、自らの思いを病院にであれ政治にであれ裁判という形であれ社会に向かって訴えることに対する嫌悪感である気がします。「みんな」とは違う行動をする人を排除してしまう心理。

であるならばそれは水俣病特有の問題ではなく、私たちの社会に、そして私たち一人ひとりの心の中に潜む闇である気がするのです。

だから、水俣が気になるのです。

※かとうぎ桜子のHPはこちら
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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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