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介護の専門性

前回のブログは前段の話で終わったので、今回のブログで本題に入ります。

金曜日に福祉関係の知人と久々に話をしていたのですが、そこで、「介護の仕事をする人のやりがいの有無は、お給料の問題じゃないだろう」という話になりました。

介護の人材不足は低賃金のためだといわれるけど、そんな単純なものではないだろう、と。
それで、介護職の専門性とは・・・という話をしていたのですが、話を終えて一人で家に帰る道々、思い出したことがありました。

これまた和力の話なのですが。

1月下旬、和力は松戸と練馬を中心にいくつかの公演をしていました。
大きな公演の合間で、先方とタイミングがあったときに、特別養護老人ホームに行って演奏をするということもあります。
今回は松戸・練馬で2ヵ所の特養にお邪魔しました。

私は見に行っていないので、和力事務所から聞いた話なのですが。

1つの特養に行ってお囃子を演奏している最中に、ベッドで横になっていたおばあちゃんがその音に反応したそうです。このおばあちゃん、あと数日が山だろうといわれる状態だったので、部屋で横になっていた。
かなり重い状態だったのに、遠くから聞こえるお囃子の音に反応をした。

それは、このおばあちゃんの生まれが下町で、小さい時からお祭りの笛太鼓を聴いて育ったからだったのでした。
命の終わりが近づく中でも、この音がおばあちゃんの心に響いたのでしょう。

そのかすかな反応に気づいた介護士が、おばあちゃんをベッドごと会場に運び、近くでお囃子を聞かせてあげたとか。


このお話は、後になって介護士さんから和力の加藤木朗さんが聞かされた話だそうです。


死が近づくおばあちゃんの動きを感じ取り、その人の生い立ちにまで思いをはせ、その心の動きにあわせてお囃子の会場まで連れて行く―これは、その人との継続的な関係ができていなければできないことだし、その心の動きを見逃さずに捉えるのは大変なことだと思います。
そして、これが、介護職の専門性なんだろうと思います。


だから、介護職の人材不足というのは単に低賃金なだけではなくて、人手不足等による余裕のなさによって、一人ひとりの利用者の人生に思いをはせてその人が今何を求めているかを想像する時間さえ奪われていることなのではないかと思います。


死の間近に幼い頃の楽しい思い出を心に浮かべることができたおばあちゃんは幸せに思ってくれたかもしれない。
でも、それだけじゃなくて、その話を聞かされた和力の人たちは、音楽がどれだけ人の人生に深く関わっているかを改めて感じて、力を得られたと思います。
そして、その場にいた介護士さんにとっても、死を間近にした人に対して一つでも何かできたということが、これから仕事に向き合う力になったことでしょう。


人は死ぬまで、他人の心にエネルギーを与えることができるんだなあということ。そして、それを支えるのは専門職であり、そこに新しい空気を送り込むのがボランティア等の外からの力なのでしょうね。

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心の柔軟体操

音楽を聴くとか芸術に触れるとか、本当に好きだなあと思う人とお話をすると、心にエネルギーをもらえますよね。

心が豊かなときには楽しいものをスッと心が受け入れられるのに、疲れているときには久しぶりに楽しいものを受け入れようとすると心がミシッとします。久々に柔軟体操をして足がつった、みたいな感じ。

24日は練馬で和力をやりましたが、その前日には松戸でやりました。私の叔父をはじめとして、お世話になっている人たちが企画している会だったのでちょっとだけ手伝いに行ったのですが、ここで久々に和力を見たときに、心がミシッとしました。なんか心が硬直してくたびれていたのね…という感じ。
松戸で心の柔軟体操をしたので、練馬公演は豊かに楽しめたのですが。


金曜日に、福祉関係の知人と数ヶ月ぶりにお会いしてお話しました。1,2ヶ月に1度お会いする機会がある人たちですが、お会いするととても元気な気持ちになれるのです。
ここのところタイミングが合わなくてかなり久しぶりにお会いしたのですが、この瞬間も心がミシッとしました。2,3時間でほぐれましたが。

最近は仕事をしていて悪いストレスを感じることなんて全然ないのに、知らず知らずに心のやわらかさが失われていたんだなあ・・・としみじみ思いました。

みなさんも、数ヶ月に1回は好きな友達に会うとか、好きな音楽を聴くとか、意識的にやってみてください。仕事以外のほかのものと触れるのが大事ですね。心が一方向に硬直していたんだなあということに気づいて、パッと視野が広がるものですね。

・・・他に書きたいことがあるんですが、そこにいたる前段の話が長くなりました。
どうも私のブログは長いので、ここで一度切ります。
次のブログをすぐにまた更新するという手法にします。

和力

またご無沙汰をいたしました。

最近ちょっと過労気味で、頭の中がフリーズしていてブログが書けません・・・。とにかく近況報告を。

1月24日、無事、和力の公演が終わりました。
おかげさまでたくさんのお客様に来ていただくことができました。

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すやすや寝ているお獅子。

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だんじり囃子

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みなさんにご挨拶。

(写真提供:和力事務所)

2年ほど前から、和力は「音舞語り」というのをやっています。演奏とあわせて、お芝居のようなものをやるのです。前回の練馬公演では「牡丹燈籠」。ほかに、ヤマタノオロチのお話や、浦島太郎などもあります。

誰もが聞いたことのあるお話に、和力としての解釈を加えて新たな物語にしている。

それで、今回の演目は「雪女」。

雪女は、春になったら溶けてしまうけれど、自分に惚れた男性の命を吸い取ることによってその命をつなぐことができる。
だけど、ある時、雪女のほうが男を好きになってしまう。だんだん暖かい季節になってきて、雪女の体は弱っていく。男の顔を見て悩む雪女…


和力の作るお話には、ある種の共通点があるように思っています。
牡丹燈籠の主人公は、すでにこの世にいない女性。ヤマタノオロチは半身が蛇の男性。雪女も、人の命を奪っていく存在。
昔話の中で、「異種」として恐れられる存在として登場する人物達。
けれど、和力の音舞語りに登場する彼らは、恋心を持ち、迷い、苦しむ「ふつうの人」として現れます。

「異種」を恐れるという感覚は、自分と異なる者に自分と同様の人格があることを認めないこと―差別の感覚につながっているように思うのです。
だから和力が、「異種」とされる者の中にある「心」に着目した物語作りをしていることに、興味と共感を覚えます。

私はどちらかというと、そんな風に客観的に見ていたのですが、今回、来てくださったお客さんの感想を聞いてみると、「もし自分が雪女の立場だったら」という、私とは違う視点の話が出て、面白かったです。

和力版雪女では結局、愛する男の命を取ることなく雪女は姿を消すのですが。

姿を消す前、雪女は眠る男の脇で悲しそうに舞います。

それを見てまず、「雪女は最後まで、男の命をとるかどうか迷っていたんだ」という人がいました。
それに対して、「いや、迷ってなんかいない。はじめから自分が消える覚悟はしていたけど、男のもとを去るのが辛かったんだ」という人もいました。

「私だったら、どんなに愛する人のためでも自分を犠牲にしたりはしない」という女性。
「私は、どうすれば良いかと悩んで、結論が見つからないままもだえ苦しんで死んでいくかも・・・」という女性も。
「自分が雪女の夫の立場だったら、ひとり後に残されて悲しむよりも、命を吸い取られてしまったほうがましだ」という男性もいました。

ふーん、そうか、おもしろい。同じ物語を見ても、解釈は人によって違うし、自分だったらどうするかというのも人によって違うんだ。

そこで私も客観的解釈から離れ、改めて「私が雪女の立場だったら」を考えてみました。

私は、好きな人の命は吸い取らずに、自分が溶けて消える方が良い。
それは、相手の命を吸い取って生き延びても、好きだった人がいなくなっている状態で自分が生きていかなくちゃならないのはたまらないから。まあ、この考えは相手のためというより、ある意味自分のためかもしれませんが・・・。

とにかく、大変な選択です。看取るのと看取られるのとどちらが幸せかという、誰もが人生の最期に突きつけられる問題にも通じるような。

だから、私の結論としては、雪女が舞っているときは、男の命を奪うかどうか、迷っていたのではないかと思います。それは、自分が生き延びるためではなくて、どっちの選択がお互いにとって幸せなのかということの迷い。


まあ、いずれにしても作品に唯一の回答はなくて、「こんな解釈もあるね」と話し合うことによる楽しみもあるんだと思います。

今回の公演には、そんなことを語り合える人たちがたくさん見に来てくださったのが嬉しかったです。

1年半前にやった練馬公演よりも、お客さんの人数も客層もずっと幅が広がり、これからも進化を続けていく予感がします。

次回は、いつ会場を取れるかというくじ運によるのですが(^^;)、近日中に次回の公演予定をご案内できればと思っていますので、ぜひ、お越しください。

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バリアフリー勉強会(4回目)

★おととい、ようやく修士論文を提出しました・・・。最後の最後までひいひいでしたが。あとは月末に先生と面接をしておしまい。
しみじみ、もう二度と論文なんて書きたくないと思う今日この頃です
たくさんの方にヒアリングをさせてもらって書いたのですが、突然のお願い、日程の迫ったお願いなどを、皆さん嫌な顔もせずに受けてくださって、本当にありがたかったです。

書いている中で色々思うこともありましたので、追々ご報告していきたいと思います。


★論文提出を終えて半ば呆然としながら、昨日は地域の勉強会をやりました。
「バリアフリーを考える」会の4回目。

TOTOのショールームの見学です。

11月下旬に建築士さんに来ていただいて、バリアフリーの制度的な部分についてお話を伺ったのですが、そこで、TOTOのバリアフリーブックが良いと紹介してもらいました。

そこで調べてみたら、TOTOは随分古くから(1960年代から)障害のある人のための商品の開発をしていて、今はユニバーサルデザイン研究所を作っているとのこと。
区内にショールームがあることが分かったので、お願いをして話を聞かせてもらいました。

障害のある人とかだけではなくて、健康な人でも誰でも使いやすいものが「ユニバーサルデザイン」。

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たとえばお風呂場で、浴槽に入るときに、あまり意識はしていないけど、浴槽のふちっこを手でつかんで入っている。だから、このふちの幅をつかみやすい幅にして、中にも手すりをつけておくと、入りやすい。
高齢者の方はもちろんだと思いますが、たぶん、私くらいの若い人でも使いやすくなると思います。(ショールームで私がためしに出入りしてみたら、使いやすかったので。)

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これは、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、シャワーのところ。お湯を出す蛇口が、ひねったりするのではなくて、ぽんと押せば出るようになっている。指を使わないでも、てのひら全体とか肘とかで押しても出る。
これは、細かな指の作業が難しい人(小さい子どもとか、障害のある人とか、高齢者とか)にとっても使いやすいけど、健康な人でもシャンプーなどで泡だらけになっているときには、ポンと押して出るほうが使いやすいですよね。



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浴室と外の床の段差が5ミリしかないそうです。
段差がある程度なければ、外に水が流れ出てしまいそうなものですが、それが5ミリで大丈夫なしくみになっているとか。
(以前、この浴室を採り入れている福祉施設の人に聞いた話では、浴室のとびらの下の所に小さな排水口があって、外に水が出るのを防いでいるとか。)



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こういったトイレットペーパーのケース(? ←紙巻機というらしいです。昨日知りました。)をよく見かけると思いますが、この、上の木目調の部分、平らになっているでしょう。これ、手すりがわりに体を支えるのに使えるらしいですよ。
他にも、トイレの中で、脇にちょっとした台のようなものがあるときがあるでしょう。ウォシュレットのリモコンが置いてあって、お店なんかだとちょっとお花とか飾ってあるようなやつ。あれも、手すりがわりに使うためのものなんですって。
なるほど、そのつもりで手を置いてみると、体が安定して楽になります。


帰り道に参加者の皆さんとしみじみお話していたのは、障害があるから、とか高齢だから、ということで特別に配慮をするのではなくて、誰にでも使いやすいものがあるっていうのはとても大事だなあということでした。特別の配慮ではなくてそれが当たり前になれば、わざわざそのためにお金をかけなくてはいけない(お金のある人しか使えない)ということもなくなるし、デザイン性も高いものであれば誰もが採り入れやすいし。

TOTOが研究、開発してきたものが、今の日本の社会の中でバリアフリーのしくみを作るときに参考にされている部分も多いようです。


今回は、いつものバリアフリー勉強会の一環として、2,3時間で行って帰ってこられるような場所にしたので、区内のショールームにお邪魔しましたが、桜新町や茅ヶ崎にはさらにいろんなユニバーサルデザインの商品があるということでした。

1日がかりになりますが、改めて、みんなで出かけるツアーを企画してみても良いなあと思ったところです。

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和力の公演

ブログの沈黙が続いてすみません
今週末に修士論文の提出が終わりますので、しばしお待ちください・・・

和力のお知らせをブログであまりしていなかったので、ご案内させていただきます。

1月24日(日)午後4時~ 和力「音綯ひ」@練馬文化センター
前売り3500円 当日4000円
出演:
加藤木朗(私のいとこ)
木村俊介
小野越郎
帯名久仁子

和太鼓、舞踊り、笛、津軽三味線、お琴など

ちらしはこちら→ 

おととしの5月にゆめりあホールで公演をしたのですが、くじ運が悪くて会場が取れなかったので、久々にやります。

日本の伝統芸能というとちょっとハードルが高く感じるかもしれないですが、とても楽しい会ですので、ぜひご参加ください。

「音綯ひ」は、「おとない」と読みます。
練馬でやるときはこの公演名をつけています。
ネーミングの由来を朗さんに聞いたことはありませんが、おそらく、私が議員として区民の皆さんのもとを「訪う」ということと、朗さんとその仲間たちがともに音を綯うという意味がかけてあるんじゃないかと私は解釈しています。

和力の皆さんの立ち居振る舞いというのがとてもせいせいとしていて、同じ空間にいるということがとても楽しくなるのです。
それに、ジャズもそうでしたが、音楽というのは良いものですね。
普段、忙しく動き回っている私たちですが、音楽を聴くとひととき日常の喧騒を忘れ、心がのびのびします。

和力の音楽を聴くと、「明日からも自分らしく、いきいきと生きよう!」という気分になれます。
ぜひ、一度見にいらしてください。

第二部は、お芝居仕立ての音舞語りで、今年のテーマは「雪女」です。
雪女という誰もが知っているお話の中から、男女の関係、人と人との心のつながりを改めて見つめることの出来る作品です。


・・・と、私の書き得ることをすべて書いてみましたが、つまり、練馬文化センターの席が埋まるかが心配なのです(苦笑)
でも、面白い会なのは間違いありませんので、ぜひとも、ご参加を。。

チケットご希望の方は、かとうぎ桜子事務所まで。
電話:3978-4154
FAX:3978-4158
メール:sakurako_happy_society@yahoo.co.jp


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働き方

★今年は暦のうえではあっという間に正月休みが終わりましたが、皆さんは何日からお仕事でしたか?

私は4日から駅でレポート配りをしていましたが、4日はまだ人が少なかったですね。
ぼつぼつ、今週の後半から日常生活が戻ってくる感じでしょうか。

私は、初日の出を見に行った以外は、4日から配るレポートを作ったり修士論文を書いたり、日常と変わらぬあわただしさを繰り広げながら今日に至ります。

★昨年12月の区議会の定例会で練馬区の新しい基本構想の議決が行なわれました。

10年後の練馬区がどんなまちであってほしいか、目標を定めたものです。

この1年ほどの世界的不況や、日本の中でも広がる貧困問題など、切迫した問題がたくさんあるのに、それがほとんど触れられていないことや、まちづくりを「区民と協働でやっていく」というけれども、それは一体どういう意味なのかがほとんど分からないという点に疑問を感じる内容だったのが、基本構想でした。


それで、この基本構想を受けて、その下位にある行政の長期計画というのがこれから定まります。

今年最初の定例会では、この長期計画についても議論をすることになるだろうと思います。

そんなわけで、1月4日から配り始めた区政レポートでは、この長期計画のことを書こうと思いまして、年末年始に改めて、素案の冊子(PDF版がネット上に載っています。こちら)を読んでいました。

そこで、ムムッ!!と思った一文をご紹介します。「社会の動向」という項目の「少子高齢化の進展」というなかに書かれています。

生産年齢人口の減少に伴い、労働力人口は高齢化しながら減少していくと予想されることから、若年者、女性、高齢者などの就業の促進や、仕事と生活との調和(ワーク・ライフ・バランス)を図りながら労働生産性を高める取組が必要となっています。

この文章、「働ける人口が減っていくから、その分、若者も女性も高齢者も働けよ」っていう意味でしょう。
それって、なんか違うんじゃないのかなあ。


「働くこと」は、どう生きるかということに直結していると私は思います。
仕事をするってことは、単にお給料をもらうという意味ではない。その人の生き方、価値観とつながるものだと思います。


年齢が高齢になっても働きたいと思う人もたくさんいる。だけど、現状では年齢だけで排除されてしまうこともある。

女性が働きやすい環境も、まだまだ足りない。女性であるがゆえに壁を感じることがある。

若い人は、その人の能力に見合った教育が不十分であるために、ぴったり合う仕事を見つけられないことがある。

それぞれ、現状の壁を取っ払うことさえできれば、もっと自分らしく、主体的に生きることができるかもしれない。阻む壁があるならば、それを取り除くのが公共の役割だと思います。

性別・年齢に関係なくその人らしく働ける場を保障することは、それぞれの生きる権利を保障することに直結すると思うのです。


それなのに、長期計画の文章を見て御覧なさいよ。
働き手が減るから、若者も高齢者も女性も働け、っていっているわけだ。これは、権利の保障とは程遠い発想ですよね。

区が書いたこの一文は、私にとっては時代劇なんかのイメージで・・・悪政を行なう人がおっかない顔をして、「人手が足りねえんだ、女も子どもも年寄りも働け!」とムチを振り回している・・・という図が私の頭の中に浮かびました。

このイメージ図は、区民と行政が対等な立場で課題解決をするという「協働」ではないですよね。。ある意味、今の練馬区らしい一文だと思いました。

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新年

新しい年ですね。2010年。

なんだか今年はいつも以上に、あたふたと日常の忙しさに追われながら年を越してしまったような感じがします。そしてもうあさってには日常が戻ってきますものねえ・・・あさっての朝から配布するレポート作りをしている今日この頃です。

私にとって2010年は、議員としての活動が4年目に入ってこれまでの活動を総括していく時期でもあり、それから30歳代に突入する年でもあります(--;)
10代で、今よりもっと生意気だった頃の私は、「30代になってもまだ若いつもりで物事の責任をとらないような大人にはなりたくないもんだ」と思っていましたので、気を引き締めて頑張っていきたいと思います・・・


大学時代から、お正月には高校の友達と初日の出を見に行っているのですが、今年はとてもきれいでした。目玉焼きの目玉のようでした。

たしか2003年くらいから2006年くらいまで、元旦にばっちり曇って、まったくお日様が見えなかったのです。私個人は、お日様が見えた年のほうが、人として新たな成長を遂げられる出来事が起きているような気がするのですが・・・。

日本の社会全体のことを考えると、むしろ日の出の見えているこの数年のほうが悪くなる一方にも思えます。福祉も、雇用も。
だけど、今、顕在化している問題は、実はもっと前からずっと潜在的にあったように思います。もやもやした曇り空のように。

不安定雇用の問題や貧困の問題も、ずいぶん前から言われていたけど、誰もが意識したのはつい最近。
誰もが意識せざるを得ないほど問題が広がっているのは大変なことですが、でも、社会問題の多くは、「他人事」と感じる人がいることに深刻さがあると思うのです。意識が広がることは、解決のための第一歩になり得るはず。

たとえ自分に直接関係ない問題だったとしても、自分のことのように心を痛め、問題解決をともに考えることのできるつながりを、社会の中で作っていくことができれば、それは暗闇の中の光になるのではないかと。


元旦のお日様のように、今年1年が、多くの人にとって、光の見える1年になるように、私も頑張っていきたいと思います。

そんなわけで私が今年、企画する勉強会は、「人権」の視点から、女性や子ども、地域の問題について考えるミニ講演をやっていきたいと思っています。

今年もよろしくお願いします。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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