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今日のイベントの報告
今日は、埼玉県の鶴ヶ島で友人の川田虎男さんが企画したイベントに参加してきました。参加というか、ゲストスピーカーみたいなやつです。
政治不信の若者と語ろうというような趣旨で、私と松戸市議の山中啓之さんが呼ばれてました。
社会人になって1~3年くらいの若者が多かったかなと思います。
結構、面白かった。
よく聞かれることですが、「議員の仕事って何なんですか?」とか、「お給料は良いんですか?」とか、「ふだん、何をやっているんですか?」とか、「悪い政治を良くするためにはどうすれば良いと思いますか?」なんていう質問が出て、やり取りをする感じ。
「政治」の話ってなかなか一般的には話題にしにくかったりするし、それに政治に不信感があったり無関心だったりするのは、そもそも「政治」とは何なのかというのが漠然としたイメージしかないからじゃないかなと私は思うのです。
社会の中での人と人の間に生じる葛藤はすべて政治といえるかもしれない。
政治に対する不信感を誘発するのは「政治とカネ」というやつですね。
カネや名誉やしがらみに動かされてしまう、流されてしまう人間の心理と、それを前提とする交渉も「政治的」といえるかもしれない。
だけど本来、政治は何をすべきなのか。どうあるべきなのか。
私は、自由に任せているだけでは光が当たらず放っておかれてしまうかもしれない弱い立場の人たちの声に光を当てることや、組織の理論(役人の考え)では見逃されてしまうかもしれない問題について光を当てていくのが政治の役割ではないかと思っているのです。それが目的。
目的を達成するために、今の課題を多くの人に知らせなくてはいけない。印刷や郵送にお金がかかる。当選しなければ目的は達成できないから、当選するよう頑張る。
これらは、目的を達成するための手段です。
しかしときどき、人間って、手段と目的がごちゃまぜになりますよね。手段だったはずのことが目的化してしまう。
「当選したら何をやるか」ではなくて、当選することそのものが目的になっていってしまう。
カネにだらしがない人間に政治を任せて良いのか、という点では、カネの問題は見逃してはいけないけれど、でもこれはあくまでも手段の失敗だと思うのです。
じゃあ目的の方はどうなっているのか、という点も同時に見ていかないと本末転倒になるんじゃないかと思うんです。
政治家自身が手段と目的を混同して失敗することがたくさんあるけれど、それだけではなくて、社会全体のなかでも、政治の手段と目的が混同して議論される傾向にあるような気がして。だから混乱したまま漠然とした不信感になるんじゃないかなと思いました。
そんなことを一生懸命ぺらぺらしゃべっていたら、風邪でやられた喉が悪化しました。喉が痛いよ~。咳がつらい~。
というわけで、論文の話のつづきはまた明日。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
政治不信の若者と語ろうというような趣旨で、私と松戸市議の山中啓之さんが呼ばれてました。
社会人になって1~3年くらいの若者が多かったかなと思います。
結構、面白かった。
よく聞かれることですが、「議員の仕事って何なんですか?」とか、「お給料は良いんですか?」とか、「ふだん、何をやっているんですか?」とか、「悪い政治を良くするためにはどうすれば良いと思いますか?」なんていう質問が出て、やり取りをする感じ。
「政治」の話ってなかなか一般的には話題にしにくかったりするし、それに政治に不信感があったり無関心だったりするのは、そもそも「政治」とは何なのかというのが漠然としたイメージしかないからじゃないかなと私は思うのです。
社会の中での人と人の間に生じる葛藤はすべて政治といえるかもしれない。
政治に対する不信感を誘発するのは「政治とカネ」というやつですね。
カネや名誉やしがらみに動かされてしまう、流されてしまう人間の心理と、それを前提とする交渉も「政治的」といえるかもしれない。
だけど本来、政治は何をすべきなのか。どうあるべきなのか。
私は、自由に任せているだけでは光が当たらず放っておかれてしまうかもしれない弱い立場の人たちの声に光を当てることや、組織の理論(役人の考え)では見逃されてしまうかもしれない問題について光を当てていくのが政治の役割ではないかと思っているのです。それが目的。
目的を達成するために、今の課題を多くの人に知らせなくてはいけない。印刷や郵送にお金がかかる。当選しなければ目的は達成できないから、当選するよう頑張る。
これらは、目的を達成するための手段です。
しかしときどき、人間って、手段と目的がごちゃまぜになりますよね。手段だったはずのことが目的化してしまう。
「当選したら何をやるか」ではなくて、当選することそのものが目的になっていってしまう。
カネにだらしがない人間に政治を任せて良いのか、という点では、カネの問題は見逃してはいけないけれど、でもこれはあくまでも手段の失敗だと思うのです。
じゃあ目的の方はどうなっているのか、という点も同時に見ていかないと本末転倒になるんじゃないかと思うんです。
政治家自身が手段と目的を混同して失敗することがたくさんあるけれど、それだけではなくて、社会全体のなかでも、政治の手段と目的が混同して議論される傾向にあるような気がして。だから混乱したまま漠然とした不信感になるんじゃないかなと思いました。
そんなことを一生懸命ぺらぺらしゃべっていたら、風邪でやられた喉が悪化しました。喉が痛いよ~。咳がつらい~。
というわけで、論文の話のつづきはまた明日。
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