Entries
女性センターの名称変更
今日で練馬区議会の第一回定例会が終わりました。
このブログでは、私の修士論文についての一連の報告が済んだら順番に区議会での議論を書こうと思っていたのですが、今日はどうしても先に書きたいことができたので、そっちを書くことにします。
今日は議会の最終日ということで、この定例会に出ていた議案の賛否を決める日でした。
私は、女性センター条例の改正の議案に反対の討論をしました。
女性センターは、石神井公園駅の近くにある施設です。これを、男女共同参画センターと名称を変えて、その目的も「女性の地位向上」や「女性問題の解決」というものから、性別にかかわりなく暮らしやすい社会を目指す・・・というような趣旨のものに変わるのです。
私はブログでは、自分の思っていることを十分に言い切れたなあと思うことはよくあるのですが、議会だとなかなかうまくいかないのです。正式な場であんまり変なことは言っちゃまずいかなあとも思うし、緊張もするし、まだまだ不慣れだし・・・結果として、どうも不完全燃焼ということが多いのです。思いのたけを言い切れないからブログで補足することが多いのです。
それが、この女性センターの反対討論に関しては、十分に言い切れた感じがしました。
議会の場で初めて、私の言葉で私らしく、しっかり言い切った感じがして、この内容を早く皆さんにお伝えしたくなって、今日はこのことを書きました。
以下、討論の文章を書きます。
議案第13号 練馬区立練馬女性センター条例の一部を改正する条例に反対の立場から討論をします。
練馬女性センターは1987年に婦人会館として誕生しました。
婦人会館設立に関しては、区議会にも陳情が出され、採択されたということですが、1987年の婦人会館事業概要には、その目的・機能について次のように書かれています。
「すべての婦人がお互いの生活課題を持ち寄り、婦人に共通の問題を考え、婦人が生き生きと暮せる社会を目ざして集い、活動する場を提供することにより、婦人問題の解決に寄与するものである」。
この、女性の地位向上をめざしたいという区民の思いは、現在の練馬女性センター条例にも引き継がれています。
しかし、今回の議案で新しく出された男女共同参画センターの条例では、この「女性の地位向上」という文言が抜けて、「性別にかかわりなく」という表現に変わってしまいました。
区は、「今まで女性の地位向上に向けて一定の取り組みをしてきたので、今後は性別にかかわらずに男性も女性も暮らしやすい社会を目指すのだ」といいます。
しかし、2009年の区民意識意向調査では、社会全体において男女平等であると答えた数が16.4%にすぎず、男性優位と答えた割合が66.6%であることを考えてみれば、今もなお、男性と女性が平等であるとは言いがたい状況があるのです。
私は議員になる前、4年間在宅介護の仕事をしていましたが、そこでは職場の8割,9割は女性という環境でした。
そんな中では精神的に女性であることによる壁を感じたことはありませんでしたが、しかし、今改めて、なぜ介護の職場にそれだけ女性が多いのかと考えるとそれは低賃金の問題につながってきます。
国がこの1月に発表した資料によれば、現在の介護職全体の平均給与は約23万円、訪問介護のヘルパーであれば約14万円です。このような状況では、結婚をして家庭をもった男性はやむを得ず離職していくという話をよく聞きます。
男性が稼いで一家を支えるという前提、そして長年、介護や家事は女性が無給か低賃金で担ってきたという女性差別の問題と介護の低賃金の問題は切っても切り離せないことなのです。
さて、練馬区政における女性の割合ですが、2009年度の「練馬区人事行政の運営等の状況の公表」という資料によれば、部長級32人のうち女性は2人で約6%、課長級77人のうち女性は10人で約13%ということでした。区議会議員50人のうちの女性は16人です。区の管理職に比べれば多いとはいえ32%です。
私は3年前に議員になって初めてこのように男性の割合の多い職場に身をおきました。そんな中では、「かとうぎさんは若い女の子だから当選できたんだね」というように、性別をことさらに強調する言い方にたくさん出会いました。それは、女性が政策決定の場に関わることがまだまだ珍しいということの表れでしょう。皆さん、悪気があって言っているわけではないと思うのですが、だからこそ潜在的にひそむ、女性差別の根深さを感じます。
誰もが暮らしやすい社会を作るためには、まずは社会の中で相対的に弱い立場に立たされてきた人、現に壁を感じている人の視点に立って問題を考え、環境を改善していかなくてはなりません。男性も生きやすい社会を作るためには、まずは今、女性が感じている社会の壁を取り払わなくてはならないのです。それなのに、性別にかかわりなく…という表現ではいまだ解決していない問題がうやむやになってしまいます。
たとえばドメスティックバイオレンスの問題です。男性と女性の身体的な力の違いと社会的な力の違いを背景にして、DVの被害者となるのは圧倒的に女性です。被害にあった女性が相談する最初の窓口として、女性センターの果たす役割は大きなものです。
このような状況のなかでなぜ、あえて今、名称を変更する必要があるのか、私には理解できません。
先の見通しのつきにくい社会にあって、女性をとりまく環境も決してよくはなっていません。低賃金、不安定雇用の問題。結婚や出産を機に仕事を辞めなくてはならないような状況。
働いている女性は忙しさや社会の窮屈さの中で孤立し、家庭に入った女性は社会とのつながりが見つけられずに孤立しているのです。
今、女性センターがなすべきことは、ひとりでも多くの女性がつながり、元気に社会で生活できるようにしていくという、設立当初の目標に向かってさらに取り組むべきであるということを申し上げ、反対討論といたします。
私のほかにも2人、他の会派の議員さんが反対討論をしていましたが、その討論に対して野次を飛ばす議員がいました。
私と違う考えを持つ人がいるのはしかたのないことだけど、議論をする場である議会で、正式に議論を挑むのではなくて、野次という形で妨害するのはみっともないですね。
議会に傍聴に来る区民の方は残念ながら少ないですから、直接区民の目には触れないかもしれないけれど、もし区民に見られたらはばかられるような態度を恥ずかしげもなくするようになったときには私は議員を辞めようと、いつも心に決めています。
時々、その反面教師となるような状況を目の当たりにするので、改めて心が引き締まる思いです。
そして、私は腹が立つと勢いづいて元気になるというひねくれた性格なものですから、ばかげた野次が飛んできたおかげでイラッとした勢いで緊張も解け、無事、咳き込むこともなく、しっかり討論することができました。
反面教師になってくださり、緊張を解いてくださった議員さんたちに、感謝感謝、ですな。
来週に入ったら、議会のHPに動画が載ると思いますので、またお知らせします。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
このブログでは、私の修士論文についての一連の報告が済んだら順番に区議会での議論を書こうと思っていたのですが、今日はどうしても先に書きたいことができたので、そっちを書くことにします。
今日は議会の最終日ということで、この定例会に出ていた議案の賛否を決める日でした。
私は、女性センター条例の改正の議案に反対の討論をしました。
女性センターは、石神井公園駅の近くにある施設です。これを、男女共同参画センターと名称を変えて、その目的も「女性の地位向上」や「女性問題の解決」というものから、性別にかかわりなく暮らしやすい社会を目指す・・・というような趣旨のものに変わるのです。
私はブログでは、自分の思っていることを十分に言い切れたなあと思うことはよくあるのですが、議会だとなかなかうまくいかないのです。正式な場であんまり変なことは言っちゃまずいかなあとも思うし、緊張もするし、まだまだ不慣れだし・・・結果として、どうも不完全燃焼ということが多いのです。思いのたけを言い切れないからブログで補足することが多いのです。
それが、この女性センターの反対討論に関しては、十分に言い切れた感じがしました。
議会の場で初めて、私の言葉で私らしく、しっかり言い切った感じがして、この内容を早く皆さんにお伝えしたくなって、今日はこのことを書きました。
以下、討論の文章を書きます。
議案第13号 練馬区立練馬女性センター条例の一部を改正する条例に反対の立場から討論をします。
練馬女性センターは1987年に婦人会館として誕生しました。
婦人会館設立に関しては、区議会にも陳情が出され、採択されたということですが、1987年の婦人会館事業概要には、その目的・機能について次のように書かれています。
「すべての婦人がお互いの生活課題を持ち寄り、婦人に共通の問題を考え、婦人が生き生きと暮せる社会を目ざして集い、活動する場を提供することにより、婦人問題の解決に寄与するものである」。
この、女性の地位向上をめざしたいという区民の思いは、現在の練馬女性センター条例にも引き継がれています。
しかし、今回の議案で新しく出された男女共同参画センターの条例では、この「女性の地位向上」という文言が抜けて、「性別にかかわりなく」という表現に変わってしまいました。
区は、「今まで女性の地位向上に向けて一定の取り組みをしてきたので、今後は性別にかかわらずに男性も女性も暮らしやすい社会を目指すのだ」といいます。
しかし、2009年の区民意識意向調査では、社会全体において男女平等であると答えた数が16.4%にすぎず、男性優位と答えた割合が66.6%であることを考えてみれば、今もなお、男性と女性が平等であるとは言いがたい状況があるのです。
私は議員になる前、4年間在宅介護の仕事をしていましたが、そこでは職場の8割,9割は女性という環境でした。
そんな中では精神的に女性であることによる壁を感じたことはありませんでしたが、しかし、今改めて、なぜ介護の職場にそれだけ女性が多いのかと考えるとそれは低賃金の問題につながってきます。
国がこの1月に発表した資料によれば、現在の介護職全体の平均給与は約23万円、訪問介護のヘルパーであれば約14万円です。このような状況では、結婚をして家庭をもった男性はやむを得ず離職していくという話をよく聞きます。
男性が稼いで一家を支えるという前提、そして長年、介護や家事は女性が無給か低賃金で担ってきたという女性差別の問題と介護の低賃金の問題は切っても切り離せないことなのです。
さて、練馬区政における女性の割合ですが、2009年度の「練馬区人事行政の運営等の状況の公表」という資料によれば、部長級32人のうち女性は2人で約6%、課長級77人のうち女性は10人で約13%ということでした。区議会議員50人のうちの女性は16人です。区の管理職に比べれば多いとはいえ32%です。
私は3年前に議員になって初めてこのように男性の割合の多い職場に身をおきました。そんな中では、「かとうぎさんは若い女の子だから当選できたんだね」というように、性別をことさらに強調する言い方にたくさん出会いました。それは、女性が政策決定の場に関わることがまだまだ珍しいということの表れでしょう。皆さん、悪気があって言っているわけではないと思うのですが、だからこそ潜在的にひそむ、女性差別の根深さを感じます。
誰もが暮らしやすい社会を作るためには、まずは社会の中で相対的に弱い立場に立たされてきた人、現に壁を感じている人の視点に立って問題を考え、環境を改善していかなくてはなりません。男性も生きやすい社会を作るためには、まずは今、女性が感じている社会の壁を取り払わなくてはならないのです。それなのに、性別にかかわりなく…という表現ではいまだ解決していない問題がうやむやになってしまいます。
たとえばドメスティックバイオレンスの問題です。男性と女性の身体的な力の違いと社会的な力の違いを背景にして、DVの被害者となるのは圧倒的に女性です。被害にあった女性が相談する最初の窓口として、女性センターの果たす役割は大きなものです。
このような状況のなかでなぜ、あえて今、名称を変更する必要があるのか、私には理解できません。
先の見通しのつきにくい社会にあって、女性をとりまく環境も決してよくはなっていません。低賃金、不安定雇用の問題。結婚や出産を機に仕事を辞めなくてはならないような状況。
働いている女性は忙しさや社会の窮屈さの中で孤立し、家庭に入った女性は社会とのつながりが見つけられずに孤立しているのです。
今、女性センターがなすべきことは、ひとりでも多くの女性がつながり、元気に社会で生活できるようにしていくという、設立当初の目標に向かってさらに取り組むべきであるということを申し上げ、反対討論といたします。
私のほかにも2人、他の会派の議員さんが反対討論をしていましたが、その討論に対して野次を飛ばす議員がいました。
私と違う考えを持つ人がいるのはしかたのないことだけど、議論をする場である議会で、正式に議論を挑むのではなくて、野次という形で妨害するのはみっともないですね。
議会に傍聴に来る区民の方は残念ながら少ないですから、直接区民の目には触れないかもしれないけれど、もし区民に見られたらはばかられるような態度を恥ずかしげもなくするようになったときには私は議員を辞めようと、いつも心に決めています。
時々、その反面教師となるような状況を目の当たりにするので、改めて心が引き締まる思いです。
そして、私は腹が立つと勢いづいて元気になるというひねくれた性格なものですから、ばかげた野次が飛んできたおかげでイラッとした勢いで緊張も解け、無事、咳き込むこともなく、しっかり討論することができました。
反面教師になってくださり、緊張を解いてくださった議員さんたちに、感謝感謝、ですな。
来週に入ったら、議会のHPに動画が載ると思いますので、またお知らせします。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
スポンサーサイト