Entries
区政報告&意見交換会が終了しました
25日(日)、区政報告&意見交換会が無事終了しました。
当日は照姫まつりがあって、昼くらいにそのセレモニーがあって、それに出席してから急いで大泉に帰ってきて報告会をやりました(^^;
照姫まつり、区議会の人たちは会派の代表が一人ずつ出るのですが、私の会派は先輩2人が都合が悪かったので私が「ほいほい」と引き受けて行くことになったんですけれど。
でも改めてよく考えてみたら私も区政報告会じゃないか・・・自分の区政報告会の日程と重なっているのを忘れていたなんて、なんてマヌケなんだろうと思いながら、でも間に合って両方出られたから良かった(><)
そんなわけで私も冷や汗をかいたわけですが、この日は、照姫まつりやら、他にも色々とイベントが重なっていて、ふだんは区政報告会に参加してくださる区民の方からも「欠席」のご連絡が多かったのでした。
ふたを開けてみたら私と司会とボランティアスタッフと私の父しかいなかったりして・・・
なーんて思ってたんですけど。
人数は少ないながらも無事、「身内だけ」の状態は回避されて、そして初めて私の会に参加してくださった方も何人かいました。ふう。ありがたや、ありがたや。
人数が少なかった分、車座になるような形でお話もできて、これはこれでアットホームで良かったなあと思います。
資料は、予算のことやら、子どもの虐待の実態についての資料や高齢者の住まいのことやら、気づけばやたらと大部な資料が完成したのですが(^^;)、結局話した内容は、民主党の離党の経緯と、それから子どもの虐待の問題でした。
民主党離党のことはブログにはずいぶん書いたから、割愛します(^^; 万一、もっと聞きたいという人は連絡ください。リクエストがあったら書きます(笑)
報告会の参加者の中には会派を離脱するというときから心配してくれてた方も何人もいて、「しかし、なんでかとうぎさんが出て行かないとならないのかねぇ」とご心配くださったという感じでした。
でも私にとってもっと大事だったのは、子どもの虐待の議論。
私が議員として今までずっと気になってきたのは、行政として、しっかりと相談体制を整えていくべきだろうということでした。
でも今回、区民の皆さんと議論するにあたって改めて、司会の川田とらおさんともずいぶんこの問題を考えました。
まず、虐待といって特にクローズアップされるのはお子さんが亡くなってしまうような重大で深刻なケースだけれど、死にまでは至らないけれどももっともっと誰にとっても身近な根っこというのがあるだろうということ。
それから、一般的に虐待の問題を話し合うと、「親はひどい」とか「行政は何をやっている」と、誰かを責める形になりがちだけれど、その前に「私たちにできることは?」と問い直してみる必要があるのではないかということでした。
ここまでは川田さんと2人で話すなかで見えてきたところだったんですが、さて、じゃあどう議論を進めるかということで悩みまして。
いやはや・・・と悩んだまま当日を迎えまして(^^;
で、会がスタートしてしまったのですが、そこにちょうど良い具合に子育て支援の団体で活躍している方が参加者として来てくださいまして。助かりました・・・。
今、子育てをしている親御さんたちはみんな必死で頑張っている。だけど、情報があふれすぎていてどれが自分の子に合っているのか判断しようがない。今の状態が正しいのか分からない。ただ一言、「よく頑張ってるね。大丈夫だよ」と言ってもらえたら楽になるはずなのに、だれも言ってくれない・・・それが、今の子育ての現状だろう。
そんな、子育ての実態の話を、事例を交えながらお話してくださいました。
児童虐待防止法のなかで、地域の人の通告の義務ということが言われている。もちろんそれは大切だけど、でもその前に、ちょっと一声掛け合う、ちょっと温かな目を注ぐということが、子育てと社会がつながる最初の大事な一歩なのでしょうね。
そんなことをしみじみと考えることのできた会でした。

ちなみに余談ですが、司会をやってくれた川田とらおさんは、来年の春にある埼玉県議会議員選挙で民主党の候補予定者になったらしいですよ。民主党埼玉県連のHPを見たら書いてあったから、私もブログに書いて良いんだろうなと判断して書いたんですけどね。
川田さんと私は年齢も同じで、福祉の仕事をしているときからの友人で、議員になる時期も同じで、福祉を標榜して議員になったわけですけど、4年を経たらずいぶんと真逆な状況に置かれたものです(^^;
違う立場になったとしても、同じ思いでそれぞれ社会を変えていけたら良いんだろうなとは思いますけど、さらにこれから2,3年後はどうなっていることでしょうね。
なんだか、世の中って、1日1日大きな変化もなく日常は過ぎていき、何も物事は変わらないように見えるけど、でも確実に時は流れて人は変わっていくんだなあとしみじみしました。 (・・・若干トゲのある書き方でしょうか・・・笑)
※かとうぎ桜子のHPはこちら
当日は照姫まつりがあって、昼くらいにそのセレモニーがあって、それに出席してから急いで大泉に帰ってきて報告会をやりました(^^;
照姫まつり、区議会の人たちは会派の代表が一人ずつ出るのですが、私の会派は先輩2人が都合が悪かったので私が「ほいほい」と引き受けて行くことになったんですけれど。
でも改めてよく考えてみたら私も区政報告会じゃないか・・・自分の区政報告会の日程と重なっているのを忘れていたなんて、なんてマヌケなんだろうと思いながら、でも間に合って両方出られたから良かった(><)
そんなわけで私も冷や汗をかいたわけですが、この日は、照姫まつりやら、他にも色々とイベントが重なっていて、ふだんは区政報告会に参加してくださる区民の方からも「欠席」のご連絡が多かったのでした。
ふたを開けてみたら私と司会とボランティアスタッフと私の父しかいなかったりして・・・

人数は少ないながらも無事、「身内だけ」の状態は回避されて、そして初めて私の会に参加してくださった方も何人かいました。ふう。ありがたや、ありがたや。
人数が少なかった分、車座になるような形でお話もできて、これはこれでアットホームで良かったなあと思います。
資料は、予算のことやら、子どもの虐待の実態についての資料や高齢者の住まいのことやら、気づけばやたらと大部な資料が完成したのですが(^^;)、結局話した内容は、民主党の離党の経緯と、それから子どもの虐待の問題でした。
民主党離党のことはブログにはずいぶん書いたから、割愛します(^^; 万一、もっと聞きたいという人は連絡ください。リクエストがあったら書きます(笑)
報告会の参加者の中には会派を離脱するというときから心配してくれてた方も何人もいて、「しかし、なんでかとうぎさんが出て行かないとならないのかねぇ」とご心配くださったという感じでした。
でも私にとってもっと大事だったのは、子どもの虐待の議論。
私が議員として今までずっと気になってきたのは、行政として、しっかりと相談体制を整えていくべきだろうということでした。
でも今回、区民の皆さんと議論するにあたって改めて、司会の川田とらおさんともずいぶんこの問題を考えました。
まず、虐待といって特にクローズアップされるのはお子さんが亡くなってしまうような重大で深刻なケースだけれど、死にまでは至らないけれどももっともっと誰にとっても身近な根っこというのがあるだろうということ。
それから、一般的に虐待の問題を話し合うと、「親はひどい」とか「行政は何をやっている」と、誰かを責める形になりがちだけれど、その前に「私たちにできることは?」と問い直してみる必要があるのではないかということでした。
ここまでは川田さんと2人で話すなかで見えてきたところだったんですが、さて、じゃあどう議論を進めるかということで悩みまして。
いやはや・・・と悩んだまま当日を迎えまして(^^;
で、会がスタートしてしまったのですが、そこにちょうど良い具合に子育て支援の団体で活躍している方が参加者として来てくださいまして。助かりました・・・。
今、子育てをしている親御さんたちはみんな必死で頑張っている。だけど、情報があふれすぎていてどれが自分の子に合っているのか判断しようがない。今の状態が正しいのか分からない。ただ一言、「よく頑張ってるね。大丈夫だよ」と言ってもらえたら楽になるはずなのに、だれも言ってくれない・・・それが、今の子育ての現状だろう。
そんな、子育ての実態の話を、事例を交えながらお話してくださいました。
児童虐待防止法のなかで、地域の人の通告の義務ということが言われている。もちろんそれは大切だけど、でもその前に、ちょっと一声掛け合う、ちょっと温かな目を注ぐということが、子育てと社会がつながる最初の大事な一歩なのでしょうね。
そんなことをしみじみと考えることのできた会でした。

ちなみに余談ですが、司会をやってくれた川田とらおさんは、来年の春にある埼玉県議会議員選挙で民主党の候補予定者になったらしいですよ。民主党埼玉県連のHPを見たら書いてあったから、私もブログに書いて良いんだろうなと判断して書いたんですけどね。
川田さんと私は年齢も同じで、福祉の仕事をしているときからの友人で、議員になる時期も同じで、福祉を標榜して議員になったわけですけど、4年を経たらずいぶんと真逆な状況に置かれたものです(^^;
違う立場になったとしても、同じ思いでそれぞれ社会を変えていけたら良いんだろうなとは思いますけど、さらにこれから2,3年後はどうなっていることでしょうね。
なんだか、世の中って、1日1日大きな変化もなく日常は過ぎていき、何も物事は変わらないように見えるけど、でも確実に時は流れて人は変わっていくんだなあとしみじみしました。 (・・・若干トゲのある書き方でしょうか・・・笑)
※かとうぎ桜子のHPはこちら
スポンサーサイト
イベントのご案内
明日の報告会の打ち合わせ、無事に司会の川田さんと仲良く(笑)できました。
ぜひご参加くださいませ~。
近いうちに行なう、その他のイベントのご案内をします。
★お蕎麦の会
4月にやる予定だったけど会場の都合で延期になってしまったお蕎麦の会、再設定しました。前のよりもちょっと値段の設定が高くなっちゃいましたが(^^;
5月3日(祝)午後2時15分 かとうぎ桜子事務所集合 参加費2500円
この後、会場のお店に移動して、蕎麦打ちを見て、3時くらいから食べます。
お申込は今月中に電話かメールでお願いします。
(電話 03-3978-4154 メール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp)
★伝統芸能と落語の会
私のいとこで和力を主催している加藤木朗と、その幼なじみ(2人とも、秋田のわらび座で育ちました)の落語家・柳家さん若を呼んでの会です。
6月19日(土)午後1時から Buddy (江古田駅南口すぐ)
参加費2500円(ワンドリンクつき)
チラシはこちら
※かとうぎ桜子のHPはこちら
ぜひご参加くださいませ~。
近いうちに行なう、その他のイベントのご案内をします。
★お蕎麦の会
4月にやる予定だったけど会場の都合で延期になってしまったお蕎麦の会、再設定しました。前のよりもちょっと値段の設定が高くなっちゃいましたが(^^;
5月3日(祝)午後2時15分 かとうぎ桜子事務所集合 参加費2500円
この後、会場のお店に移動して、蕎麦打ちを見て、3時くらいから食べます。
お申込は今月中に電話かメールでお願いします。
(電話 03-3978-4154 メール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp)
★伝統芸能と落語の会
私のいとこで和力を主催している加藤木朗と、その幼なじみ(2人とも、秋田のわらび座で育ちました)の落語家・柳家さん若を呼んでの会です。
6月19日(土)午後1時から Buddy (江古田駅南口すぐ)
参加費2500円(ワンドリンクつき)
チラシはこちら
※かとうぎ桜子のHPはこちら
区政報告&意見交換会が近づいてきました
なんだか最近、天気が悪いですね。自転車でひょいと出歩けなくて不便・・・憂鬱な気分になってきますねぇ(--;)
私はいつまでも咳をしているので、ちょっと前に病院で検査をしてもらったら、スギ花粉症だったと判明しました。花粉症だと咳が出ることもあるから・・・とお医者さんは言っていましたが。
今まで「花粉症じゃないぞ!」と言い張ってきたのですが、血液検査の結果だからしょうがないですねぇ。花粉症だといわれたとたんに鼻水がたれてくるようになりました
さて、今度の日曜日、区政報告&意見交換会です。
照姫まつりを初めとして、いろんなイベントと日程が重なってしまったので、参加者が少なさそうなのですが・・・(><)
日程調整の仕方がうかつでした・・・(でも4月中のほかの土日に会場が取れなかったのです。すみません。)。
でも少人数な分だけアットホームな会にしたいと思っていますので、お時間のある方はぜひいらしてください。
区政報告&意見交換会
4月25日(日)午後2時~4時 勤労福祉会館(大泉学園駅南口)
司会:川田虎男(日高市議会議員)
ようやく資料の準備が終わったのですが、予算全体のお話を少し行うほかに、区立保育園民間委託の現状のこと、子どもの虐待のこと、高齢者の住まいのことについてお話したいと思います。
参加者の希望にもよるのですが、子どもの虐待に関しては、江戸川区が虐待死亡事件についての検証報告書を出しているので、それを見ながらみんなで「なぜ死亡にいたってしまったのか」「どうしたら今後、こんなケースを起こさずに済むのか」ということを議論できたらと思っています。
私が今、政治に携わっていてすごく気になることがあります。
「行政改革」とか「無駄をなくす」ということが言われるけれど、では具体的に何なのか、どうすることが一番いいのかということが深く議論されていないということです。
たしかに、テレビなんかで取り上げられているように、独立行政法人がとっても豪華な建物を使っていたりするというのを見ると、これは明らかに無駄だろうとは思うけれど。
非常識な豪華さをもっているということは言語道断だけれども、でもだからといって「どうせ行政は無駄なことをしているだろう」という先入観をもって見るだけでは実態も課題も見えてこないと思うのです。
「無駄だからなくす、減らす」というのは、とても分かりやすいけれども、ともすれば思考を深めることがなくなってしまうキーワードでもあるような怖さを感じます。
そもそも、本来行政がやらなくてはならないのは、数字にあらわれないこと、売り上げの上がらないこと、だけど社会に必要なことであるはずです。
虐待も、対応を失敗して子どもが死んでしまえば問題になるけれど、上手く対応できていればまるで無かったことのように評価されない心配もある。
保育園のことも、どんな保育環境で育つとどんな人間になるのかは、すぐには見えない。20年くらいしてからわかってくることもあるでしょう。
必ず何らかの形でいつかは結果が出てくるけれど、すぐには数字としてあらわれない取り組みの必要性をどう検証していくのか、というのは、行政の職員にとっても、政治家にとっても、それから対人サービスに従事している福祉の仕事をしている人などにとっても、今後大きな課題になるのではないかなと考えているところです。
・・・課題が大きすぎて、区政報告会で上手く伝えられるかどうかも心配なところですが。。
司会をやってくれる川田さんとは今晩打ち合わせをするんですけどね。
先日、電話でちょっと話し合った感じだと、どうも若干、私と川田さんには見解の相違があるような気がしています。
今日、打ち合わせをすることによってその溝が埋まれば良いんですけど、溝が深まった場合には、当日は私と司会者が喧嘩をする会になったりして・・・(^^;
※かとうぎ桜子のHPはこちら
私はいつまでも咳をしているので、ちょっと前に病院で検査をしてもらったら、スギ花粉症だったと判明しました。花粉症だと咳が出ることもあるから・・・とお医者さんは言っていましたが。
今まで「花粉症じゃないぞ!」と言い張ってきたのですが、血液検査の結果だからしょうがないですねぇ。花粉症だといわれたとたんに鼻水がたれてくるようになりました

さて、今度の日曜日、区政報告&意見交換会です。
照姫まつりを初めとして、いろんなイベントと日程が重なってしまったので、参加者が少なさそうなのですが・・・(><)
日程調整の仕方がうかつでした・・・(でも4月中のほかの土日に会場が取れなかったのです。すみません。)。
でも少人数な分だけアットホームな会にしたいと思っていますので、お時間のある方はぜひいらしてください。
区政報告&意見交換会
4月25日(日)午後2時~4時 勤労福祉会館(大泉学園駅南口)
司会:川田虎男(日高市議会議員)
ようやく資料の準備が終わったのですが、予算全体のお話を少し行うほかに、区立保育園民間委託の現状のこと、子どもの虐待のこと、高齢者の住まいのことについてお話したいと思います。
参加者の希望にもよるのですが、子どもの虐待に関しては、江戸川区が虐待死亡事件についての検証報告書を出しているので、それを見ながらみんなで「なぜ死亡にいたってしまったのか」「どうしたら今後、こんなケースを起こさずに済むのか」ということを議論できたらと思っています。
私が今、政治に携わっていてすごく気になることがあります。
「行政改革」とか「無駄をなくす」ということが言われるけれど、では具体的に何なのか、どうすることが一番いいのかということが深く議論されていないということです。
たしかに、テレビなんかで取り上げられているように、独立行政法人がとっても豪華な建物を使っていたりするというのを見ると、これは明らかに無駄だろうとは思うけれど。
非常識な豪華さをもっているということは言語道断だけれども、でもだからといって「どうせ行政は無駄なことをしているだろう」という先入観をもって見るだけでは実態も課題も見えてこないと思うのです。
「無駄だからなくす、減らす」というのは、とても分かりやすいけれども、ともすれば思考を深めることがなくなってしまうキーワードでもあるような怖さを感じます。
そもそも、本来行政がやらなくてはならないのは、数字にあらわれないこと、売り上げの上がらないこと、だけど社会に必要なことであるはずです。
虐待も、対応を失敗して子どもが死んでしまえば問題になるけれど、上手く対応できていればまるで無かったことのように評価されない心配もある。
保育園のことも、どんな保育環境で育つとどんな人間になるのかは、すぐには見えない。20年くらいしてからわかってくることもあるでしょう。
必ず何らかの形でいつかは結果が出てくるけれど、すぐには数字としてあらわれない取り組みの必要性をどう検証していくのか、というのは、行政の職員にとっても、政治家にとっても、それから対人サービスに従事している福祉の仕事をしている人などにとっても、今後大きな課題になるのではないかなと考えているところです。
・・・課題が大きすぎて、区政報告会で上手く伝えられるかどうかも心配なところですが。。
司会をやってくれる川田さんとは今晩打ち合わせをするんですけどね。
先日、電話でちょっと話し合った感じだと、どうも若干、私と川田さんには見解の相違があるような気がしています。
今日、打ち合わせをすることによってその溝が埋まれば良いんですけど、溝が深まった場合には、当日は私と司会者が喧嘩をする会になったりして・・・(^^;
※かとうぎ桜子のHPはこちら
いただいたご意見に対して
民主党の離党のこと、多くの方にご理解をいただきました。
ただ、これは会派を離脱する頃から時々ご心配いただくことなんですが、「多数派にならなければ実現できないじゃないか」というご意見を今回もいただきました。
結局その後のやりとりで、ご意見くださった方も私の思いをわかってくださったのですが、上記のご意見に対する私の考えをここにも書いておきたいと思います。
どんなに正しいと信じていることを言っていても、それが私一人で終わってしまって他の人へと広がっていかなければ、独りよがりでしかないと思います。ですから、「少数になったらだめじゃないか」とおっしゃる気持ちもよく分かります。
ただ、それは一般論としては分かるんだけれど、じゃあ具体的にどんな場面なのか?というのが私には分からないのです。
たとえ多数であっても、思いを共有している多数でなければ意味が無いし、言うべきことを言うことができない多数だったら何も役に立たないからです。
それから、物事を変えていく力は2種類あると思います。
まず、今まで誰ひとり注目していなかった問題を、「こういう問題があるんだよ」と声をあげて俎上に載せていく力。
それから、俎上に載ってきたものをみんなで議論して、みんなで変えていく力。
後者は、多数の力によって変えていくことが必要だけど、前者は一人でもできるものです。
修士論文の報告のときにも書きましたが、「公共とは何か」というのは時代によって変わっていくものです。今まで、公共の課題として捉えられていなかった問題で、実はとても重要な社会問題というのはたくさんあると思うのです。そういう問題をまずは俎上に載せていくという仕事は、多数によって行う仕事と同じくらい重要なことではないかと思います。
私は、制度の中に収まっていない課題というのがいつも気になるのです。
それは、やはりハンセン病問題に関わったことが影響しているのかもしれません。
今でこそ社会福祉士会がハンセン病問題に取り組んだりしているけれど、たぶん私がハンセン病療養所に通っていた頃は福祉的なかかわりをしている専門職がほとんどいなかったんじゃないかなと思います。
医療的なケアはあっても、当事者の人生や生活の支援という視点が少ないんじゃないかと、(当時私は福祉の勉強を始める前だったので、気付いていないだけで、既にあったのかもしれませんが)感じていました。
ハンセン病問題に関わる人といえば、国賠訴訟の支援をしている市民が中心になるから、あふれる思いをもってどーんとぶつかってくる支援者達の調整を、なんとハンセン病の当事者の人たちがやらなくてはならないような状況を見て、私は子ども(?)心にも「うーん・・・」と思ったものでした。
だから、狭い意味での福祉の枠内には入っていない問題でも、人と人とが出会う問題はある意味すべて福祉であり、より良い方策を考えていかなくちゃならないんだろうと思うのです。
私は福祉の勉強をしたといっても、社会福祉士の養成校に行っただけですから、本当に基本的なことしか教わらないのです。
生活保護のことも、制度上どうなっているのかということくらいしか教わらないんだけど、「受給できるかできないかギリギリの人はどうするんだろう」とか、「客観的に受給できる状況にありながらしない人にはどう支援するのか」とか、路上生活の問題とか、なんだかとても気になったのがたしか2004年くらいでした。
まだ日本国内の貧困問題というのがあまり注目されていませんでした。
でも、生活保護のワーカーさんとか、路上生活の支援をしているボランティアさんは、当時からすでにいろんな課題を感じていたわけです。
私が気になるくらいだってことは、やっぱり同じように気になっている人は、社会の中に点在しているんですよね。たとえその時点ではマジョリティーではなくても。
その「なんか、気になるなあ・・・」という一人ひとりのボソボソのつぶやき声が線になり面になり、つながったときに、ぐっと世の中が動くんだろうと感じます。
ハンセン病問題も、貧困問題も、そうやって動いてきたんだと思います。
ちなみに今、私が気になっているのは、自殺予防(保健の視点ではなくて、社会的・福祉的な視点からの)のことと、性暴力被害の問題です。
両方とも今はまだ福祉の視点から語られることが少ない問題だと思います。貧困問題もそうですが、「本人の問題だろう」と突き放されがちな問題だからですね。
でもそれでいいの?と声をあげていくことは必要なことだと思うし、私が議員として声をあげていくことも、大事なことだろうと思っています。
そして、一生懸命声をあげれば、共感してくれる人は必ずいるとも思っています。
以上は、区政とは少し離れた事例で説明しましたが、区政においても私はできるだけ、まだだれも俎上に載せていない問題があるのではないかという視点から活動するようにしています。
多くの人が突き放したとしても、まずはせめて私は気づきたい・・・そんな思いを大切にしながら、活動を続けていきたいなあと思っているのです。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
ただ、これは会派を離脱する頃から時々ご心配いただくことなんですが、「多数派にならなければ実現できないじゃないか」というご意見を今回もいただきました。
結局その後のやりとりで、ご意見くださった方も私の思いをわかってくださったのですが、上記のご意見に対する私の考えをここにも書いておきたいと思います。
どんなに正しいと信じていることを言っていても、それが私一人で終わってしまって他の人へと広がっていかなければ、独りよがりでしかないと思います。ですから、「少数になったらだめじゃないか」とおっしゃる気持ちもよく分かります。
ただ、それは一般論としては分かるんだけれど、じゃあ具体的にどんな場面なのか?というのが私には分からないのです。
たとえ多数であっても、思いを共有している多数でなければ意味が無いし、言うべきことを言うことができない多数だったら何も役に立たないからです。
それから、物事を変えていく力は2種類あると思います。
まず、今まで誰ひとり注目していなかった問題を、「こういう問題があるんだよ」と声をあげて俎上に載せていく力。
それから、俎上に載ってきたものをみんなで議論して、みんなで変えていく力。
後者は、多数の力によって変えていくことが必要だけど、前者は一人でもできるものです。
修士論文の報告のときにも書きましたが、「公共とは何か」というのは時代によって変わっていくものです。今まで、公共の課題として捉えられていなかった問題で、実はとても重要な社会問題というのはたくさんあると思うのです。そういう問題をまずは俎上に載せていくという仕事は、多数によって行う仕事と同じくらい重要なことではないかと思います。
私は、制度の中に収まっていない課題というのがいつも気になるのです。
それは、やはりハンセン病問題に関わったことが影響しているのかもしれません。
今でこそ社会福祉士会がハンセン病問題に取り組んだりしているけれど、たぶん私がハンセン病療養所に通っていた頃は福祉的なかかわりをしている専門職がほとんどいなかったんじゃないかなと思います。
医療的なケアはあっても、当事者の人生や生活の支援という視点が少ないんじゃないかと、(当時私は福祉の勉強を始める前だったので、気付いていないだけで、既にあったのかもしれませんが)感じていました。
ハンセン病問題に関わる人といえば、国賠訴訟の支援をしている市民が中心になるから、あふれる思いをもってどーんとぶつかってくる支援者達の調整を、なんとハンセン病の当事者の人たちがやらなくてはならないような状況を見て、私は子ども(?)心にも「うーん・・・」と思ったものでした。
だから、狭い意味での福祉の枠内には入っていない問題でも、人と人とが出会う問題はある意味すべて福祉であり、より良い方策を考えていかなくちゃならないんだろうと思うのです。
私は福祉の勉強をしたといっても、社会福祉士の養成校に行っただけですから、本当に基本的なことしか教わらないのです。
生活保護のことも、制度上どうなっているのかということくらいしか教わらないんだけど、「受給できるかできないかギリギリの人はどうするんだろう」とか、「客観的に受給できる状況にありながらしない人にはどう支援するのか」とか、路上生活の問題とか、なんだかとても気になったのがたしか2004年くらいでした。
まだ日本国内の貧困問題というのがあまり注目されていませんでした。
でも、生活保護のワーカーさんとか、路上生活の支援をしているボランティアさんは、当時からすでにいろんな課題を感じていたわけです。
私が気になるくらいだってことは、やっぱり同じように気になっている人は、社会の中に点在しているんですよね。たとえその時点ではマジョリティーではなくても。
その「なんか、気になるなあ・・・」という一人ひとりのボソボソのつぶやき声が線になり面になり、つながったときに、ぐっと世の中が動くんだろうと感じます。
ハンセン病問題も、貧困問題も、そうやって動いてきたんだと思います。
ちなみに今、私が気になっているのは、自殺予防(保健の視点ではなくて、社会的・福祉的な視点からの)のことと、性暴力被害の問題です。
両方とも今はまだ福祉の視点から語られることが少ない問題だと思います。貧困問題もそうですが、「本人の問題だろう」と突き放されがちな問題だからですね。
でもそれでいいの?と声をあげていくことは必要なことだと思うし、私が議員として声をあげていくことも、大事なことだろうと思っています。
そして、一生懸命声をあげれば、共感してくれる人は必ずいるとも思っています。
以上は、区政とは少し離れた事例で説明しましたが、区政においても私はできるだけ、まだだれも俎上に載せていない問題があるのではないかという視点から活動するようにしています。
多くの人が突き放したとしても、まずはせめて私は気づきたい・・・そんな思いを大切にしながら、活動を続けていきたいなあと思っているのです。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
民主党に離党届を出した理由
前回のブログで、民主党に離党届を出していることを簡単にご報告しました。
今回は、離党をしようと思い至る経緯をご報告したいと思います。
(1)民主党に入って選挙に出た理由
長くなりますが、まずはそもそもなぜ民主党に入ったのかというところからご説明します。離脱するくらいなら初めから入らなければ良かったじゃないか、というのがだれもが抱く最初の疑問だと思いますので。
私が最初に、民主党に間近に出合ったのは、今から約9年前の参議院選挙のときでした。
私は21歳でしたが、もともとは政治の活動に関心があったというよりも、ハンセン病の問題にかかわりをもっていたことから、選挙を手伝うことになったのでした。
前にも書いたことがあったかもしれませんが、私は17歳のときからハンセン病問題に関心がありました。その前年に「らい予防法」が廃止になって、ようやくハンセン病の当事者が隔離される法律がなくなったのですが、なぜそんなに最近までそんな人権侵害の法律が残っていたのか、そしてそれを知らずに17年間も平気で生きてきた自分に腹が立って、何かせずにはいられませんでした。
かといって、自分の周りにそういう問題にかかわる知り合いもいるわけではないので、どうしたらいいかと悩んでいたのですが、当事者が国を相手に裁判を起こしていることを知り、その裁判を支援する会に入ることによって、当事者とのかかわりを持つようになったのでした。
2001年にこのハンセン病問題の国賠訴訟の決着がはかられたのですが、同じ年の夏にあった参議院選挙に、ハンセン病問題の当事者の方が民主党から立候補したのでした。
この人はもともと、支援活動に一人でぴょんと飛び込んだ私にとても優しくしてくださった方だったので、これはお手伝いせねばならんと、毎日選挙事務所に通ったのでした。
結局この人自体は落ちてしまったのですが、そこで民主党に関わるいろんな人とお話をしてみて、「政治の世界にもいやな人もいれば良い人もいて、特別な世界ではないんだな。そして、政治にかかわるということは、生活の中にある壁を解消していくことなんだな」と気が付いたのでした。
その当時は私自身が政治に携わるようになるとはまったく思いませんでしたが、福祉の仕事に制度の壁を感じて、変えるための何かをしたいと考えたときに、2001年の選挙のときに知り合った人と議論する中で民主党から立候補しようということになったのです。
昨年の衆議院選挙で多くの方がお考えになったところと似ているのではないかと思いますが、少なくとも自民党と比較して、民主党は一人ひとりの生活を大切にする政治を目指していると思ったからです。
(2)区議会の会派を分かれた理由
(さて、ここからが、他人の悪口を書かないようにするのが大変なところです・・・^^;)
まず、議会の中には「会派」というグループがあります。
政党のグループと近いけれども完全なイコールではないものです。
例えば、民主党の会派の中に無所属の人が入っていたり、他の政党の人が入っているという例もあります。
比較的近い考えの人たちが集まって、一緒に議会における議案に対する態度を議論したりするのです。
今、練馬では民主党に所属する会派が(私を入れて)3つに分かれていますが、他の自治体では自民党も複数の会派に分かれている例もあるようです。
有権者にしてみれば、同じ政党なら同じ考えを持っているだろうと思って投票しているのだから、なぜ複数に分かれる必要があるのかわかりにくいので、同じ政党が同じ会派であることが望ましいと思いますが、あとは政党が内部でルールを作るかどうかという問題になるのだと思います。
私は議員になった当初、民主党の人達と一緒に会派を作っていましたが、2008年の11月に一人で離脱しました。その半年くらい後に、残った民主党の人たちがまた2つに分かれたので、現在では3つになっているわけです。
さて、会派と政党がイコールであることが望ましいということを分かっていながら、なぜ私が先陣を切って会派から離脱したのかを説明しなくてはなりません。
それは、「このままこの会派にいたら、私が言うべきことも言えなくなるし、それだったら私が議員になった意味もなくなってしまう」ということを切実に感じたからでした。
私が会派を離脱する直接的なきっかけとなった議案は、元区長を練馬の名誉区民にするという議案に対する賛否でしたが、賛否に関する見解の不一致はこのときだけではありませんでした。
詳細は会派離脱をしたときのブログに書いたので、こちらを見てください。
名誉区民のこと自体は区民の生活に大きな影響を与えるものでもないし、政策的なことでもないわけですが、逆にいえばこのくらいの議案にすら反対の意志を表明できないでどうするんだろうと思ったのでした。
当時同じ会派だった議員さんには、対立するたびごとに「今回の議案くらいで反対するよりも、もっと重要な議案が出たときに反対したほうがいいじゃないか」と言われましたが、その「もっと重要な議案」とは具体的にどんなものをさすのかが分かりませんでした。少なくとも、保育園民営化の陳情も、予算審議も、この「もっと重要な議案」には当たらなかったようですし、私が民主の会派に所属していた1年半の間には1度もその「もっと重要な議案」は存在しなかったようです。
しかし、その議案の先にある区民の生活―その議案にかかわる当事者にとってみれば、すべてが身を削るような重要な議案だし、一つ一つを重要な議案だと思えないならば、議員の存在理由すらなくなってしまうと思うのです。
会派を離脱した私を心配して、「組織というのは思い通りなるものではないんだから、まだ新人の今は我慢して、いつか自分が上に立って少しずつ変えていけばいいのではないか」と言ってくださる方もいました。
だけど、最近のブログにも書いたように、行政が市民から離れてしまっている原因は行政が組織であることのデメリットが強くなるからなのです。行政が組織の論理で市民から離れていこうとしていくときに歯止めをかけるのが政治の役割だと思うんです。
なのに、その政治さえもが組織の論理になってしまったら、いったいだれが市民の側にいるのか・・・。これもまた、政治の存在意義そのものの否定につながりかねないと思うのです。
それに、「いつか自分が上になったら」といっても、本来議員同士は上司と部下の関係ではないですからね。
それから、そうやって待っているうちに「ミイラ取りがミイラになる」という気もします。
さらに言えば、区議会の民主党が出している賛否の結論は、「民主党」として出している方針に合致しているものでもありませんでした。例えば後期高齢者医療にかかわる議案にも賛成していたし、区長選では対立候補を出しているにもかかわらず、現区長の予算にはいつも賛成しているのだから、区議会の民主党の多数派に乗っかることは実は「民主党」に反することであるという、不思議な現実もあったのです。
会派は1つであったほうが良いという原則があるにもかかわらず、離脱せざるを得なかったのは、「このまま残って何も意見を言わずに1期目の4年間を過ごすことと、しっかり自分のスタンスを出すことのどちらが有権者に対して失礼じゃないか」と考えた上での苦渋の決断でした。
本当に、結論が出る直前まで悩んだことでした。
(3)今回、民主党から離党する理由
さて、そういうわけで民主党の会派から離脱し、まず一人会派になり、さらに半年後に社民党の議員さんと無所属の議員さんとで3人の会派を作ったわけですが、では次に、会派離脱をした時点でなぜ政党も離党しなかったのかということです。
これもまた、私自身、とても悩んだところでした。
会派を離脱するにあたっては、特に1期目の選挙の際にお世話になった方を中心としてたくさんの人と議論をしたのでした。そこで出てきた考え方は1つには、「会派を出るなら同時に政党との関係もはっきりさせたほうが分かりやすいだろう」ということ。もう1つは「民主党として当選したのに、期の途中で離党すべきではなく、次期の選挙のときに結論を出すべきだろう」という考え方でした。
特に、(2)の会派のところに書いたように、私の出している結論が「民主党」に反しているわけではないんだから・・・ということです。
これも、どうすることが一番、有権者に対して誠実であることなのか、悩むところでしたが、私は、「1期目は民主党としての活動をし、都政や国政においては民主党を応援し、一方で有権者からの意見を聞きながら、次期の自分の選挙に向かう段階で整理をしよう」という結論に至りました。
それで今、次の選挙を約1年後に控え、練馬の民主党も公認をどうするかという話が始まりつつあります。
そこで私も、次期に向かっての準備を始める時期に入ったと判断し、離党届を出すにいたりました。
会派を離脱してからの1年半、たくさんの人と意見を交わす時間を持つようにしてきました。
区政報告会、勉強会、交流会、駅でのレポート配布など・・・
そういった取り組みに参加してくださる仲間は、会派を離脱してから格段に増えましたし、離脱したからこそ来てくださるようになった方もたくさんいらっしゃいます。
そんなやり取りの中で私が出した結論は、むしろ民主党に戻っていくことのほうが、有権者の理解は得られないだろうということです。
次の選挙でも民主党の公認をもらうのに、選挙が終わったらまた会派が別々というようなわけにはいかないでしょう。くっつくのか離れるのか、どっちかにしてくれという感じでしょう。
それから、その地域に住む市民の声を聞いてそれを反映させるということが、政党という枠に収まりきらない場面がたくさんあるということも、この1期目の活動をする中で感じているところです。
「人」か「コンクリート」か、という大枠の選択肢であれば私も当然「人」を選ぶわけですが、じゃあ、具体的にどう「人」と向き合うのか、ということになれば意見も分かれてくるところだし、地域で考える「人」と国のレベルから考える「人」は異なる可能性もあるわけです。
たとえば子ども手当のように現金給付がベストなのか・・・むしろ相談支援の拡充や保育園を増やすほうが先ではないかとも思えるわけです。
鳩山首相は「友愛」といって、かつて書いていた文章の中で、非生命体(鉱物とか空気、水)も含めて地球上に存在するすべてのものが尊く、それを自分中心の考えで侵すようなことがあってはならないという趣旨のことを書いていたのですが、その「友愛」からは朝鮮学校に通う子ども達は除外されてしまうのだろうかということも、私には不思議です。
このように、特に政権交代が可能になった今の日本の社会では、「どちらがより良いか」という選択をすることが可能になったけれども、それが必ずしもすべての点において地域生活と一致するとは限らないと思います。
政党に所属し続けることによって、こうした地域から見えてくる疑問との整合性が見つけられなくなる可能性があるならば、むしろ、無所属になって、国政や都政についてはその候補者の政策を見ながらより近い人と連携をしていくことが一番いいのではないかと考えました。
こうした議論を続けてくる中で、会派離脱当初は私が離党することには懸念を持っていらっしゃった方の中でも「それがかとうぎさんの信じる道ならばかまわないと思う」と言ってくださるようになったということも、今、決断をした大きな理由です。
以上でひとまず私の考えの表明を終わりますが、まだ説明しきれていない部分もあるかもしれません。
疑問、質問等ありましたら、メールでもブログへのコメントでもかまいませんので、ご連絡ください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
今回は、離党をしようと思い至る経緯をご報告したいと思います。
(1)民主党に入って選挙に出た理由
長くなりますが、まずはそもそもなぜ民主党に入ったのかというところからご説明します。離脱するくらいなら初めから入らなければ良かったじゃないか、というのがだれもが抱く最初の疑問だと思いますので。
私が最初に、民主党に間近に出合ったのは、今から約9年前の参議院選挙のときでした。
私は21歳でしたが、もともとは政治の活動に関心があったというよりも、ハンセン病の問題にかかわりをもっていたことから、選挙を手伝うことになったのでした。
前にも書いたことがあったかもしれませんが、私は17歳のときからハンセン病問題に関心がありました。その前年に「らい予防法」が廃止になって、ようやくハンセン病の当事者が隔離される法律がなくなったのですが、なぜそんなに最近までそんな人権侵害の法律が残っていたのか、そしてそれを知らずに17年間も平気で生きてきた自分に腹が立って、何かせずにはいられませんでした。
かといって、自分の周りにそういう問題にかかわる知り合いもいるわけではないので、どうしたらいいかと悩んでいたのですが、当事者が国を相手に裁判を起こしていることを知り、その裁判を支援する会に入ることによって、当事者とのかかわりを持つようになったのでした。
2001年にこのハンセン病問題の国賠訴訟の決着がはかられたのですが、同じ年の夏にあった参議院選挙に、ハンセン病問題の当事者の方が民主党から立候補したのでした。
この人はもともと、支援活動に一人でぴょんと飛び込んだ私にとても優しくしてくださった方だったので、これはお手伝いせねばならんと、毎日選挙事務所に通ったのでした。
結局この人自体は落ちてしまったのですが、そこで民主党に関わるいろんな人とお話をしてみて、「政治の世界にもいやな人もいれば良い人もいて、特別な世界ではないんだな。そして、政治にかかわるということは、生活の中にある壁を解消していくことなんだな」と気が付いたのでした。
その当時は私自身が政治に携わるようになるとはまったく思いませんでしたが、福祉の仕事に制度の壁を感じて、変えるための何かをしたいと考えたときに、2001年の選挙のときに知り合った人と議論する中で民主党から立候補しようということになったのです。
昨年の衆議院選挙で多くの方がお考えになったところと似ているのではないかと思いますが、少なくとも自民党と比較して、民主党は一人ひとりの生活を大切にする政治を目指していると思ったからです。
(2)区議会の会派を分かれた理由
(さて、ここからが、他人の悪口を書かないようにするのが大変なところです・・・^^;)
まず、議会の中には「会派」というグループがあります。
政党のグループと近いけれども完全なイコールではないものです。
例えば、民主党の会派の中に無所属の人が入っていたり、他の政党の人が入っているという例もあります。
比較的近い考えの人たちが集まって、一緒に議会における議案に対する態度を議論したりするのです。
今、練馬では民主党に所属する会派が(私を入れて)3つに分かれていますが、他の自治体では自民党も複数の会派に分かれている例もあるようです。
有権者にしてみれば、同じ政党なら同じ考えを持っているだろうと思って投票しているのだから、なぜ複数に分かれる必要があるのかわかりにくいので、同じ政党が同じ会派であることが望ましいと思いますが、あとは政党が内部でルールを作るかどうかという問題になるのだと思います。
私は議員になった当初、民主党の人達と一緒に会派を作っていましたが、2008年の11月に一人で離脱しました。その半年くらい後に、残った民主党の人たちがまた2つに分かれたので、現在では3つになっているわけです。
さて、会派と政党がイコールであることが望ましいということを分かっていながら、なぜ私が先陣を切って会派から離脱したのかを説明しなくてはなりません。
それは、「このままこの会派にいたら、私が言うべきことも言えなくなるし、それだったら私が議員になった意味もなくなってしまう」ということを切実に感じたからでした。
私が会派を離脱する直接的なきっかけとなった議案は、元区長を練馬の名誉区民にするという議案に対する賛否でしたが、賛否に関する見解の不一致はこのときだけではありませんでした。
詳細は会派離脱をしたときのブログに書いたので、こちらを見てください。
名誉区民のこと自体は区民の生活に大きな影響を与えるものでもないし、政策的なことでもないわけですが、逆にいえばこのくらいの議案にすら反対の意志を表明できないでどうするんだろうと思ったのでした。
当時同じ会派だった議員さんには、対立するたびごとに「今回の議案くらいで反対するよりも、もっと重要な議案が出たときに反対したほうがいいじゃないか」と言われましたが、その「もっと重要な議案」とは具体的にどんなものをさすのかが分かりませんでした。少なくとも、保育園民営化の陳情も、予算審議も、この「もっと重要な議案」には当たらなかったようですし、私が民主の会派に所属していた1年半の間には1度もその「もっと重要な議案」は存在しなかったようです。
しかし、その議案の先にある区民の生活―その議案にかかわる当事者にとってみれば、すべてが身を削るような重要な議案だし、一つ一つを重要な議案だと思えないならば、議員の存在理由すらなくなってしまうと思うのです。
会派を離脱した私を心配して、「組織というのは思い通りなるものではないんだから、まだ新人の今は我慢して、いつか自分が上に立って少しずつ変えていけばいいのではないか」と言ってくださる方もいました。
だけど、最近のブログにも書いたように、行政が市民から離れてしまっている原因は行政が組織であることのデメリットが強くなるからなのです。行政が組織の論理で市民から離れていこうとしていくときに歯止めをかけるのが政治の役割だと思うんです。
なのに、その政治さえもが組織の論理になってしまったら、いったいだれが市民の側にいるのか・・・。これもまた、政治の存在意義そのものの否定につながりかねないと思うのです。
それに、「いつか自分が上になったら」といっても、本来議員同士は上司と部下の関係ではないですからね。
それから、そうやって待っているうちに「ミイラ取りがミイラになる」という気もします。
さらに言えば、区議会の民主党が出している賛否の結論は、「民主党」として出している方針に合致しているものでもありませんでした。例えば後期高齢者医療にかかわる議案にも賛成していたし、区長選では対立候補を出しているにもかかわらず、現区長の予算にはいつも賛成しているのだから、区議会の民主党の多数派に乗っかることは実は「民主党」に反することであるという、不思議な現実もあったのです。
会派は1つであったほうが良いという原則があるにもかかわらず、離脱せざるを得なかったのは、「このまま残って何も意見を言わずに1期目の4年間を過ごすことと、しっかり自分のスタンスを出すことのどちらが有権者に対して失礼じゃないか」と考えた上での苦渋の決断でした。
本当に、結論が出る直前まで悩んだことでした。
(3)今回、民主党から離党する理由
さて、そういうわけで民主党の会派から離脱し、まず一人会派になり、さらに半年後に社民党の議員さんと無所属の議員さんとで3人の会派を作ったわけですが、では次に、会派離脱をした時点でなぜ政党も離党しなかったのかということです。
これもまた、私自身、とても悩んだところでした。
会派を離脱するにあたっては、特に1期目の選挙の際にお世話になった方を中心としてたくさんの人と議論をしたのでした。そこで出てきた考え方は1つには、「会派を出るなら同時に政党との関係もはっきりさせたほうが分かりやすいだろう」ということ。もう1つは「民主党として当選したのに、期の途中で離党すべきではなく、次期の選挙のときに結論を出すべきだろう」という考え方でした。
特に、(2)の会派のところに書いたように、私の出している結論が「民主党」に反しているわけではないんだから・・・ということです。
これも、どうすることが一番、有権者に対して誠実であることなのか、悩むところでしたが、私は、「1期目は民主党としての活動をし、都政や国政においては民主党を応援し、一方で有権者からの意見を聞きながら、次期の自分の選挙に向かう段階で整理をしよう」という結論に至りました。
それで今、次の選挙を約1年後に控え、練馬の民主党も公認をどうするかという話が始まりつつあります。
そこで私も、次期に向かっての準備を始める時期に入ったと判断し、離党届を出すにいたりました。
会派を離脱してからの1年半、たくさんの人と意見を交わす時間を持つようにしてきました。
区政報告会、勉強会、交流会、駅でのレポート配布など・・・
そういった取り組みに参加してくださる仲間は、会派を離脱してから格段に増えましたし、離脱したからこそ来てくださるようになった方もたくさんいらっしゃいます。
そんなやり取りの中で私が出した結論は、むしろ民主党に戻っていくことのほうが、有権者の理解は得られないだろうということです。
次の選挙でも民主党の公認をもらうのに、選挙が終わったらまた会派が別々というようなわけにはいかないでしょう。くっつくのか離れるのか、どっちかにしてくれという感じでしょう。
それから、その地域に住む市民の声を聞いてそれを反映させるということが、政党という枠に収まりきらない場面がたくさんあるということも、この1期目の活動をする中で感じているところです。
「人」か「コンクリート」か、という大枠の選択肢であれば私も当然「人」を選ぶわけですが、じゃあ、具体的にどう「人」と向き合うのか、ということになれば意見も分かれてくるところだし、地域で考える「人」と国のレベルから考える「人」は異なる可能性もあるわけです。
たとえば子ども手当のように現金給付がベストなのか・・・むしろ相談支援の拡充や保育園を増やすほうが先ではないかとも思えるわけです。
鳩山首相は「友愛」といって、かつて書いていた文章の中で、非生命体(鉱物とか空気、水)も含めて地球上に存在するすべてのものが尊く、それを自分中心の考えで侵すようなことがあってはならないという趣旨のことを書いていたのですが、その「友愛」からは朝鮮学校に通う子ども達は除外されてしまうのだろうかということも、私には不思議です。
このように、特に政権交代が可能になった今の日本の社会では、「どちらがより良いか」という選択をすることが可能になったけれども、それが必ずしもすべての点において地域生活と一致するとは限らないと思います。
政党に所属し続けることによって、こうした地域から見えてくる疑問との整合性が見つけられなくなる可能性があるならば、むしろ、無所属になって、国政や都政についてはその候補者の政策を見ながらより近い人と連携をしていくことが一番いいのではないかと考えました。
こうした議論を続けてくる中で、会派離脱当初は私が離党することには懸念を持っていらっしゃった方の中でも「それがかとうぎさんの信じる道ならばかまわないと思う」と言ってくださるようになったということも、今、決断をした大きな理由です。
以上でひとまず私の考えの表明を終わりますが、まだ説明しきれていない部分もあるかもしれません。
疑問、質問等ありましたら、メールでもブログへのコメントでもかまいませんので、ご連絡ください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
5月の勉強会のご案内など
「女性の人権」ってどんなこと?~一緒に考えよう、子どもの人権も…
2010年5月16日(日)午後2時~4時@東大泉地区区民館
名前・性別・年代・住所・電話・(FAX・メールアドレス)・この会を知ったきっかけ・どうして参加しようと思ったのかをお書きの上、メールかFAXでお申込ください。定員に達ししだい、締めきらせていただきます。
FAX 03-3978-4158
メール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp
女性が社会で活躍することも増えていますが、まだまだ困難な環境で生きる女性、そして子どもがたくさんいます。
DVの被害、児童虐待、性的搾取などはたくさん起きています。
今回の勉強会では、そんな女性の支援を日々行なっている婦人保護施設のスタッフの方に講師に来ていただき、今なお男女平等ではない実態についてお話しいただきます。
講師:女たちの家 いずみ寮・横田千代子さん
今日は私は20代最後の日だったのですが(笑)、上記の会の打ち合わせのために半日近くいずみ寮に居座って(?)いました。
この一日をここで過ごせて良かったなあとしみじみ思いました。
そばにいるだけでホッとできて、日々感じているストレスさえもふっと解き放ってくれる人っているんですよね。
私の感覚では仕事のストレスが知らず知らずに背中にたまってくる感じがあるのですが、今日、横田さんに会ってお話したおかげで背中にたまった毒素がとれた感じがしました。
私は横田さんに知り合って初めて、いまだに女性が信じられない大変な環境に置かれているのだということを知ることができました。
でも女性問題というテーマについてというだけじゃなくて、「社会はこうあるべき」という思いに向かって頑張っている人の話を聞けるのは本当に貴重だなと思います。素敵な人です。
いつも私の会はあまり締め切りを設けないのですが、今回は内容の性質と会場の関係で申込を前提とします。
本当にぜひ聞いていただきたいお話ですので、ぜひお早めにお申込ください。
私は先日、女性センターを男女共同参画センターに変更する議案に反対をしましたが、そのときに、「男性だってDVの被害者になることだってあるし」とか、「男性にも優しくしてくれよー」と野次を飛ばしたりだとか、本当に緊張感のない声をあげる議員もいました。
政治に携わる者として、現状に耳を傾けずにそういう態度をとることは、本当に、恥を知れという感じですが、異なる意見をお持ちの方にこそ知っていただきたい現実があるので、そんな方でもご遠慮なく、ぜひいらしてください。
私は、政治は社会の中で相対的に弱い立場にある人のために存在すると思っているんです。
完全に自然のなりゆきに任せていれば、強い人に優位になるんだから。強い人に加担するだけの政治ならば、なくても全然困らないと思うのです。
弱い立場に立たされる人を「自己責任」と切り捨てる政治家もいます。だけど弱い人を守る方策を考えずに高見の見物で論評する人は、政治家ではなく、「評論家」かそれ以下だと私は思うのです。
(ちなみに、「論文」というのは根拠を基にして論じることで、「評論」は自説が正しいことを証明するための文章だそうですので。)
以上が、私の20代最後の報告でした(^^;
それからもうひとつ。
民主党に離党届を出しています。
私が東京第9区総支部長の木内さんに離党届を出したのは2月中旬だったんですが、民主党の練馬支部で議論したのが数日前だったそうなので、そのけじめがついてからご報告しようと待っていたしだいです。
これから東京都連に出して、それで受理ということになるそうなのでまだ時間がかかるのかもしれませんが・・・。
どんな思いで離党届を出したのかということについては、次回の、30代最初のブログで報告させていただきます。
お別れをする際にもできるだけ他人の悪口は書きたくないなあと思って、できるだけスマートな報告をしたいと思っているのですが、なかなかどうして、悪口以外の言葉が思い浮かばないものですから(笑 ←冗談・・・?)、数日時間がかかるかもしれませんが、近日中に必ずご報告しますのでしばらくお待ちください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
2010年5月16日(日)午後2時~4時@東大泉地区区民館
名前・性別・年代・住所・電話・(FAX・メールアドレス)・この会を知ったきっかけ・どうして参加しようと思ったのかをお書きの上、メールかFAXでお申込ください。定員に達ししだい、締めきらせていただきます。
FAX 03-3978-4158
メール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp
女性が社会で活躍することも増えていますが、まだまだ困難な環境で生きる女性、そして子どもがたくさんいます。
DVの被害、児童虐待、性的搾取などはたくさん起きています。
今回の勉強会では、そんな女性の支援を日々行なっている婦人保護施設のスタッフの方に講師に来ていただき、今なお男女平等ではない実態についてお話しいただきます。
講師:女たちの家 いずみ寮・横田千代子さん
今日は私は20代最後の日だったのですが(笑)、上記の会の打ち合わせのために半日近くいずみ寮に居座って(?)いました。
この一日をここで過ごせて良かったなあとしみじみ思いました。
そばにいるだけでホッとできて、日々感じているストレスさえもふっと解き放ってくれる人っているんですよね。
私の感覚では仕事のストレスが知らず知らずに背中にたまってくる感じがあるのですが、今日、横田さんに会ってお話したおかげで背中にたまった毒素がとれた感じがしました。
私は横田さんに知り合って初めて、いまだに女性が信じられない大変な環境に置かれているのだということを知ることができました。
でも女性問題というテーマについてというだけじゃなくて、「社会はこうあるべき」という思いに向かって頑張っている人の話を聞けるのは本当に貴重だなと思います。素敵な人です。
いつも私の会はあまり締め切りを設けないのですが、今回は内容の性質と会場の関係で申込を前提とします。
本当にぜひ聞いていただきたいお話ですので、ぜひお早めにお申込ください。
私は先日、女性センターを男女共同参画センターに変更する議案に反対をしましたが、そのときに、「男性だってDVの被害者になることだってあるし」とか、「男性にも優しくしてくれよー」と野次を飛ばしたりだとか、本当に緊張感のない声をあげる議員もいました。
政治に携わる者として、現状に耳を傾けずにそういう態度をとることは、本当に、恥を知れという感じですが、異なる意見をお持ちの方にこそ知っていただきたい現実があるので、そんな方でもご遠慮なく、ぜひいらしてください。
私は、政治は社会の中で相対的に弱い立場にある人のために存在すると思っているんです。
完全に自然のなりゆきに任せていれば、強い人に優位になるんだから。強い人に加担するだけの政治ならば、なくても全然困らないと思うのです。
弱い立場に立たされる人を「自己責任」と切り捨てる政治家もいます。だけど弱い人を守る方策を考えずに高見の見物で論評する人は、政治家ではなく、「評論家」かそれ以下だと私は思うのです。
(ちなみに、「論文」というのは根拠を基にして論じることで、「評論」は自説が正しいことを証明するための文章だそうですので。)
以上が、私の20代最後の報告でした(^^;
それからもうひとつ。
民主党に離党届を出しています。
私が東京第9区総支部長の木内さんに離党届を出したのは2月中旬だったんですが、民主党の練馬支部で議論したのが数日前だったそうなので、そのけじめがついてからご報告しようと待っていたしだいです。
これから東京都連に出して、それで受理ということになるそうなのでまだ時間がかかるのかもしれませんが・・・。
どんな思いで離党届を出したのかということについては、次回の、30代最初のブログで報告させていただきます。
お別れをする際にもできるだけ他人の悪口は書きたくないなあと思って、できるだけスマートな報告をしたいと思っているのですが、なかなかどうして、悪口以外の言葉が思い浮かばないものですから(笑 ←冗談・・・?)、数日時間がかかるかもしれませんが、近日中に必ずご報告しますのでしばらくお待ちください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
卒業式と入学式
入学式の季節ですね。
昨日は区立小学校、今日は中学校の入学式でした。
昨日は暖かくて良い天気。今日はちょっとお天気が悪かったけど、入学式が終わるまではなんとか雨が降らずにすんだという感じでした。
今年は桜が長持ちして、まだきれいに咲いていて良かったですね。
私は、なぜか小学校の入学式の帰り道に自転車で転び(--;)、膝をすりむいて痛いです。まさか三十路を目前にして膝小僧をすりむくことがあろうとは・・・
さて。
子ども達も親御さんも、きれいな服を着て、少しドキドキした面持ちで学校に向かう姿を見ると、始まりと終わりの儀式があるのって良いものなのだなと思います。
儀式があることによって、「よし!」と気合を入れるもんなんでしょうねぇ。
修士論文の報告が長引いてなかなか書けませんでしたが、私は3月25日、区立小学校の卒業式と同じ日に大学院を修了しました。
大学の卒業くらいまではおめかしをしてピリッとしていたのだけれど、その後に福祉の専門学校に行き、また今回大学院に行って、あんまりたびたび入学したり卒業したりしているものだから、ちょっと緊張感がなくなってきましたが・・・(^^;
普段通りの服を着て仕事をして、終えて、夜の修了式に出るには少し早めに池袋に着いたので、お茶でも飲もうかと思って店に入ったら、カフェオレにクマがついてきて

それを見て一人で「うっへっへ、可愛い」とニヤニヤ独り言を言いながら写真を撮ったりなんぞして。
やれやれじゃあ修了式に行きましょうかとぶらぶら行ってみたら、みんなちゃんと袴とか着てめかしこんでおり。おっと、これは、しまったぞ、という気分になった・・・というような修了式でした
そんな感じでもやっぱり、式に参加していると、一区切りがついたんだなあという気持ちにはなりますね。
「社会デザイン学」という、何度見てもどうも覚えにくい名称の修士学位をもらいました。
以上、年度の終わりと初めの報告でした。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
昨日は区立小学校、今日は中学校の入学式でした。
昨日は暖かくて良い天気。今日はちょっとお天気が悪かったけど、入学式が終わるまではなんとか雨が降らずにすんだという感じでした。
今年は桜が長持ちして、まだきれいに咲いていて良かったですね。
私は、なぜか小学校の入学式の帰り道に自転車で転び(--;)、膝をすりむいて痛いです。まさか三十路を目前にして膝小僧をすりむくことがあろうとは・・・

さて。
子ども達も親御さんも、きれいな服を着て、少しドキドキした面持ちで学校に向かう姿を見ると、始まりと終わりの儀式があるのって良いものなのだなと思います。
儀式があることによって、「よし!」と気合を入れるもんなんでしょうねぇ。
修士論文の報告が長引いてなかなか書けませんでしたが、私は3月25日、区立小学校の卒業式と同じ日に大学院を修了しました。
大学の卒業くらいまではおめかしをしてピリッとしていたのだけれど、その後に福祉の専門学校に行き、また今回大学院に行って、あんまりたびたび入学したり卒業したりしているものだから、ちょっと緊張感がなくなってきましたが・・・(^^;
普段通りの服を着て仕事をして、終えて、夜の修了式に出るには少し早めに池袋に着いたので、お茶でも飲もうかと思って店に入ったら、カフェオレにクマがついてきて

それを見て一人で「うっへっへ、可愛い」とニヤニヤ独り言を言いながら写真を撮ったりなんぞして。
やれやれじゃあ修了式に行きましょうかとぶらぶら行ってみたら、みんなちゃんと袴とか着てめかしこんでおり。おっと、これは、しまったぞ、という気分になった・・・というような修了式でした

そんな感じでもやっぱり、式に参加していると、一区切りがついたんだなあという気持ちにはなりますね。
「社会デザイン学」という、何度見てもどうも覚えにくい名称の修士学位をもらいました。
以上、年度の終わりと初めの報告でした。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
練馬区立保育園民間委託の最近の状況
ようやく、最近の練馬区の保育園の状況を書きます。
練馬区は、私が議員になった年である2007年に、新たに16の保育園の民間委託の計画を発表しました。
1年に2園ずつ委託をするということで、2007年当初の計画の最初の3年間を見ると、
2009年度 豊玉第二保育園、光が丘第四保育園
2010年度 北町保育園、高野台保育園
2011年度 東大泉第二保育園、平和台保育園
ということでした。しかし、今、区のホームページを見ると、
2009年度 なし
2010年度 光が丘第四保育園、豊玉第二保育園、北町保育園
2011年度 高野台保育園、東大泉第二保育園、平和台保育園
となっています。
かなりずれています。
豊玉第二保育園は、建て替えの時期と委託の時期が同時期であることに保護者がとても不安を感じていました。引継ぎをするのが仮設の園になるからです。区はいつもの通りに、保護者の声を素直に聞こうとしていませんでしたが、結局、「建て替えが完成する時期が当初の予定よりもずれ込んでしまって委託のタイミングと合わなくなるので、1年ずらす」というような理由をつけて1年延ばしました。
光が丘第四保育園は私の論文の事例にも挙げたところですが、事業者が見つからなかったということで1年延期。
高野台も事業者の選定ができずに1年延期。
もう、当初の計画の原型をとどめないような状況になっています。
委託をするときには、その前に1年間引継ぎをするということになっているので、この4月からは2011年度に委託予定の準備期間に入っています。
しかし、東大泉第二は事業者の選定にすら入っていない。さらに、平和台ではこの数ヶ月、大きな混乱を起こしてきました。
昨年の11月に平和台保育園を委託する事業者は株式会社に決定しました。
しかし、12月になって、現在その株式会社が運営をしている保育園で事故が起きていたということ、それを練馬区は知らないままに委託を決定していたことが判明しました。
事故は、ボイラーに使う重油が誤って流出し、付近の土壌や川に流れてしまったというもので、その地域の議会でも問題になったようです。
法人として、事故を受けてどんな対応をとったのか。今後失敗を繰り返さないためにリスクへの対応をどうするのかなども考えなくてはならないだろうし、行政としても確認しないとならない。それを踏まえて区立の保育園を委託すべき法人かどうかを選定委員会で議論しないとならない。なのに、区はこの詳細を把握していなかった―つまりは、選定委員会で議論もされないままに決定したのだろうと考えられるわけです。
これは、選定作業そのものが振り出しに戻ってもおかしくない状態ですね。
そんな中で今度は、その会社が委託を受けた場合に園長を務める予定だった人が辞めてしまうという事態が起きました。
事故の事実は知らなかったわ、園長候補者が交代するわ、では、ほんとに完全に振り出しです。
私が論文の事例に挙げた保育園でもそうですが、多くの場合、保護者はやむを得ず、委託に協力しようとします。
それは、保育士が全員入れ替わってしまうような委託化にはとても不安を感じるけれど、現実として避けられないならばせめて混乱をできる限り回避し、少しでも良い法人に来てもらい、少しでも園長や保育士さんたちといい関係を築いて、子どもが安心して過ごせる環境を作らなくてはならないと思うからです。
平和台の保護者の方々もそうやって区と協議をしてきたようですが、これだけひどい状況では、黙っているわけにはいかないとお考えになったのでしょう。8割くらいの保護者の署名を集め、選定を白紙に戻して欲しいと意思を表明したのでした。
それでも区は、園長候補者も代替が見つかったことだし・・・と、決定を変えようとしませんでした。保護者が訴えている不安は漠然としたものだとも言いました。
上に書いたような明白な事実があるのに、不安が漠然としたものだとは、いったいどういうことなのやら。
結局、3月23日に開かれた委員会で、代替の園長候補者も辞退したいといってきたから、という理由で、4月からの準備委託はできないという報告があったようです。
それも、新しく来た園長候補者に対して保護者の側が色々言ったせいだというような報告。
しかも、4月からの準備委託はできないというだけが報告されていて、今後どうするのかが明らかになっていない。
いやはや。保護者の意見をきちんと受け止めて決定をしない点も、責任を保護者に押し付ける点も、何も成長のない区です。
2004年に初めて委託をしようとしたときから何も変わらない。
物事の決定の際に何を一番大事にしようとしているのか。保護者の声よりも、子どもの安心よりも、それらの人たちとの信頼関係よりも優先しているものは何なんだろう。ほんとに素朴な疑問として理解ができません。どんな頭の構造になっているのか、できるものなら開いて見せてもらいたいくらい。
「民間にだって良い法人もあるんだから、そんなに民間委託が悪いといわなくたって良いじゃないですか」という人もいますが、民間委託で混乱を起こすのは民間事業者ではなくて、行政なのです。民間委託への批判を、民間事業者に対する批判と捉えるっていうのは、事業者に対しても失礼な話です。民間委託への批判は、その地域の政治のあり方に対する批判なのです。
私の論文に挙げた問題が過去の検証ではなくて現在も進行している問題だと思うと、げんなりします。
こんな、保護者も子どもも疲れるようなことをやるんじゃなくて、区立保育園とは別にはじめから民間の認可保育園を作って待機児解消を図るほうが急務だと思いますが、今の区長は保育園利用者よりも自分が振り上げたこぶしを守ることの方が大事なんでしょう。そうとしか思えないですね。
ほんとに、次の選挙では区長を変えたいですねぇ・・・しみじみ。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
練馬区は、私が議員になった年である2007年に、新たに16の保育園の民間委託の計画を発表しました。
1年に2園ずつ委託をするということで、2007年当初の計画の最初の3年間を見ると、
2009年度 豊玉第二保育園、光が丘第四保育園
2010年度 北町保育園、高野台保育園
2011年度 東大泉第二保育園、平和台保育園
ということでした。しかし、今、区のホームページを見ると、
2009年度 なし
2010年度 光が丘第四保育園、豊玉第二保育園、北町保育園
2011年度 高野台保育園、東大泉第二保育園、平和台保育園
となっています。
かなりずれています。
豊玉第二保育園は、建て替えの時期と委託の時期が同時期であることに保護者がとても不安を感じていました。引継ぎをするのが仮設の園になるからです。区はいつもの通りに、保護者の声を素直に聞こうとしていませんでしたが、結局、「建て替えが完成する時期が当初の予定よりもずれ込んでしまって委託のタイミングと合わなくなるので、1年ずらす」というような理由をつけて1年延ばしました。
光が丘第四保育園は私の論文の事例にも挙げたところですが、事業者が見つからなかったということで1年延期。
高野台も事業者の選定ができずに1年延期。
もう、当初の計画の原型をとどめないような状況になっています。
委託をするときには、その前に1年間引継ぎをするということになっているので、この4月からは2011年度に委託予定の準備期間に入っています。
しかし、東大泉第二は事業者の選定にすら入っていない。さらに、平和台ではこの数ヶ月、大きな混乱を起こしてきました。
昨年の11月に平和台保育園を委託する事業者は株式会社に決定しました。
しかし、12月になって、現在その株式会社が運営をしている保育園で事故が起きていたということ、それを練馬区は知らないままに委託を決定していたことが判明しました。
事故は、ボイラーに使う重油が誤って流出し、付近の土壌や川に流れてしまったというもので、その地域の議会でも問題になったようです。
法人として、事故を受けてどんな対応をとったのか。今後失敗を繰り返さないためにリスクへの対応をどうするのかなども考えなくてはならないだろうし、行政としても確認しないとならない。それを踏まえて区立の保育園を委託すべき法人かどうかを選定委員会で議論しないとならない。なのに、区はこの詳細を把握していなかった―つまりは、選定委員会で議論もされないままに決定したのだろうと考えられるわけです。
これは、選定作業そのものが振り出しに戻ってもおかしくない状態ですね。
そんな中で今度は、その会社が委託を受けた場合に園長を務める予定だった人が辞めてしまうという事態が起きました。
事故の事実は知らなかったわ、園長候補者が交代するわ、では、ほんとに完全に振り出しです。
私が論文の事例に挙げた保育園でもそうですが、多くの場合、保護者はやむを得ず、委託に協力しようとします。
それは、保育士が全員入れ替わってしまうような委託化にはとても不安を感じるけれど、現実として避けられないならばせめて混乱をできる限り回避し、少しでも良い法人に来てもらい、少しでも園長や保育士さんたちといい関係を築いて、子どもが安心して過ごせる環境を作らなくてはならないと思うからです。
平和台の保護者の方々もそうやって区と協議をしてきたようですが、これだけひどい状況では、黙っているわけにはいかないとお考えになったのでしょう。8割くらいの保護者の署名を集め、選定を白紙に戻して欲しいと意思を表明したのでした。
それでも区は、園長候補者も代替が見つかったことだし・・・と、決定を変えようとしませんでした。保護者が訴えている不安は漠然としたものだとも言いました。
上に書いたような明白な事実があるのに、不安が漠然としたものだとは、いったいどういうことなのやら。
結局、3月23日に開かれた委員会で、代替の園長候補者も辞退したいといってきたから、という理由で、4月からの準備委託はできないという報告があったようです。
それも、新しく来た園長候補者に対して保護者の側が色々言ったせいだというような報告。
しかも、4月からの準備委託はできないというだけが報告されていて、今後どうするのかが明らかになっていない。
いやはや。保護者の意見をきちんと受け止めて決定をしない点も、責任を保護者に押し付ける点も、何も成長のない区です。
2004年に初めて委託をしようとしたときから何も変わらない。
物事の決定の際に何を一番大事にしようとしているのか。保護者の声よりも、子どもの安心よりも、それらの人たちとの信頼関係よりも優先しているものは何なんだろう。ほんとに素朴な疑問として理解ができません。どんな頭の構造になっているのか、できるものなら開いて見せてもらいたいくらい。
「民間にだって良い法人もあるんだから、そんなに民間委託が悪いといわなくたって良いじゃないですか」という人もいますが、民間委託で混乱を起こすのは民間事業者ではなくて、行政なのです。民間委託への批判を、民間事業者に対する批判と捉えるっていうのは、事業者に対しても失礼な話です。民間委託への批判は、その地域の政治のあり方に対する批判なのです。
私の論文に挙げた問題が過去の検証ではなくて現在も進行している問題だと思うと、げんなりします。
こんな、保護者も子どもも疲れるようなことをやるんじゃなくて、区立保育園とは別にはじめから民間の認可保育園を作って待機児解消を図るほうが急務だと思いますが、今の区長は保育園利用者よりも自分が振り上げたこぶしを守ることの方が大事なんでしょう。そうとしか思えないですね。
ほんとに、次の選挙では区長を変えたいですねぇ・・・しみじみ。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
区政報告&意見交換会のご案内
明日の蕎麦の会、一緒に企画をしていた人の都合が悪くなってしまい、やむを得ず延期になりました。うーん、残念。また近いうちにできればと思っています。
今日は、区政報告&意見交換会のご案内です。
4月25日(日)午後2時~ 勤労福祉会館2階中会議室
今回の区政報告・意見交換会では2010年度予算の特徴や、かとうぎ桜子が質問した内容をご報告させていただき、
皆さんと意見交換をできればと思っています。
議題は、「高齢者の住まい」と「保育園、子ども家庭支援センターの民間委託」を考えています。
司会は、かとうぎ桜子が福祉の仕事をしていたときからの友人である川田虎男氏(日高市議会議員)。
ぜひご参加ください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
今日は、区政報告&意見交換会のご案内です。
4月25日(日)午後2時~ 勤労福祉会館2階中会議室
今回の区政報告・意見交換会では2010年度予算の特徴や、かとうぎ桜子が質問した内容をご報告させていただき、
皆さんと意見交換をできればと思っています。
議題は、「高齢者の住まい」と「保育園、子ども家庭支援センターの民間委託」を考えています。
司会は、かとうぎ桜子が福祉の仕事をしていたときからの友人である川田虎男氏(日高市議会議員)。
ぜひご参加ください。
※かとうぎ桜子のHPはこちら