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民主党に離党届を出した理由

前回のブログで、民主党に離党届を出していることを簡単にご報告しました。

今回は、離党をしようと思い至る経緯をご報告したいと思います。

(1)民主党に入って選挙に出た理由

長くなりますが、まずはそもそもなぜ民主党に入ったのかというところからご説明します。離脱するくらいなら初めから入らなければ良かったじゃないか、というのがだれもが抱く最初の疑問だと思いますので。

私が最初に、民主党に間近に出合ったのは、今から約9年前の参議院選挙のときでした。

私は21歳でしたが、もともとは政治の活動に関心があったというよりも、ハンセン病の問題にかかわりをもっていたことから、選挙を手伝うことになったのでした。

前にも書いたことがあったかもしれませんが、私は17歳のときからハンセン病問題に関心がありました。その前年に「らい予防法」が廃止になって、ようやくハンセン病の当事者が隔離される法律がなくなったのですが、なぜそんなに最近までそんな人権侵害の法律が残っていたのか、そしてそれを知らずに17年間も平気で生きてきた自分に腹が立って、何かせずにはいられませんでした。

かといって、自分の周りにそういう問題にかかわる知り合いもいるわけではないので、どうしたらいいかと悩んでいたのですが、当事者が国を相手に裁判を起こしていることを知り、その裁判を支援する会に入ることによって、当事者とのかかわりを持つようになったのでした。

2001年にこのハンセン病問題の国賠訴訟の決着がはかられたのですが、同じ年の夏にあった参議院選挙に、ハンセン病問題の当事者の方が民主党から立候補したのでした。

この人はもともと、支援活動に一人でぴょんと飛び込んだ私にとても優しくしてくださった方だったので、これはお手伝いせねばならんと、毎日選挙事務所に通ったのでした。

結局この人自体は落ちてしまったのですが、そこで民主党に関わるいろんな人とお話をしてみて、「政治の世界にもいやな人もいれば良い人もいて、特別な世界ではないんだな。そして、政治にかかわるということは、生活の中にある壁を解消していくことなんだな」と気が付いたのでした。

その当時は私自身が政治に携わるようになるとはまったく思いませんでしたが、福祉の仕事に制度の壁を感じて、変えるための何かをしたいと考えたときに、2001年の選挙のときに知り合った人と議論する中で民主党から立候補しようということになったのです。

昨年の衆議院選挙で多くの方がお考えになったところと似ているのではないかと思いますが、少なくとも自民党と比較して、民主党は一人ひとりの生活を大切にする政治を目指していると思ったからです。

(2)区議会の会派を分かれた理由

(さて、ここからが、他人の悪口を書かないようにするのが大変なところです・・・^^;)

まず、議会の中には「会派」というグループがあります。
政党のグループと近いけれども完全なイコールではないものです。
例えば、民主党の会派の中に無所属の人が入っていたり、他の政党の人が入っているという例もあります。
比較的近い考えの人たちが集まって、一緒に議会における議案に対する態度を議論したりするのです。

今、練馬では民主党に所属する会派が(私を入れて)3つに分かれていますが、他の自治体では自民党も複数の会派に分かれている例もあるようです。

有権者にしてみれば、同じ政党なら同じ考えを持っているだろうと思って投票しているのだから、なぜ複数に分かれる必要があるのかわかりにくいので、同じ政党が同じ会派であることが望ましいと思いますが、あとは政党が内部でルールを作るかどうかという問題になるのだと思います。

私は議員になった当初、民主党の人達と一緒に会派を作っていましたが、2008年の11月に一人で離脱しました。その半年くらい後に、残った民主党の人たちがまた2つに分かれたので、現在では3つになっているわけです。


さて、会派と政党がイコールであることが望ましいということを分かっていながら、なぜ私が先陣を切って会派から離脱したのかを説明しなくてはなりません。


それは、「このままこの会派にいたら、私が言うべきことも言えなくなるし、それだったら私が議員になった意味もなくなってしまう」ということを切実に感じたからでした。

私が会派を離脱する直接的なきっかけとなった議案は、元区長を練馬の名誉区民にするという議案に対する賛否でしたが、賛否に関する見解の不一致はこのときだけではありませんでした。

詳細は会派離脱をしたときのブログに書いたので、こちらを見てください。

名誉区民のこと自体は区民の生活に大きな影響を与えるものでもないし、政策的なことでもないわけですが、逆にいえばこのくらいの議案にすら反対の意志を表明できないでどうするんだろうと思ったのでした。

当時同じ会派だった議員さんには、対立するたびごとに「今回の議案くらいで反対するよりも、もっと重要な議案が出たときに反対したほうがいいじゃないか」と言われましたが、その「もっと重要な議案」とは具体的にどんなものをさすのかが分かりませんでした。少なくとも、保育園民営化の陳情も、予算審議も、この「もっと重要な議案」には当たらなかったようですし、私が民主の会派に所属していた1年半の間には1度もその「もっと重要な議案」は存在しなかったようです。

しかし、その議案の先にある区民の生活―その議案にかかわる当事者にとってみれば、すべてが身を削るような重要な議案だし、一つ一つを重要な議案だと思えないならば、議員の存在理由すらなくなってしまうと思うのです。

会派を離脱した私を心配して、「組織というのは思い通りなるものではないんだから、まだ新人の今は我慢して、いつか自分が上に立って少しずつ変えていけばいいのではないか」と言ってくださる方もいました。

だけど、最近のブログにも書いたように、行政が市民から離れてしまっている原因は行政が組織であることのデメリットが強くなるからなのです。行政が組織の論理で市民から離れていこうとしていくときに歯止めをかけるのが政治の役割だと思うんです。
なのに、その政治さえもが組織の論理になってしまったら、いったいだれが市民の側にいるのか・・・。これもまた、政治の存在意義そのものの否定につながりかねないと思うのです。

それに、「いつか自分が上になったら」といっても、本来議員同士は上司と部下の関係ではないですからね。
それから、そうやって待っているうちに「ミイラ取りがミイラになる」という気もします。

さらに言えば、区議会の民主党が出している賛否の結論は、「民主党」として出している方針に合致しているものでもありませんでした。例えば後期高齢者医療にかかわる議案にも賛成していたし、区長選では対立候補を出しているにもかかわらず、現区長の予算にはいつも賛成しているのだから、区議会の民主党の多数派に乗っかることは実は「民主党」に反することであるという、不思議な現実もあったのです。

会派は1つであったほうが良いという原則があるにもかかわらず、離脱せざるを得なかったのは、「このまま残って何も意見を言わずに1期目の4年間を過ごすことと、しっかり自分のスタンスを出すことのどちらが有権者に対して失礼じゃないか」と考えた上での苦渋の決断でした。
本当に、結論が出る直前まで悩んだことでした。

(3)今回、民主党から離党する理由

さて、そういうわけで民主党の会派から離脱し、まず一人会派になり、さらに半年後に社民党の議員さんと無所属の議員さんとで3人の会派を作ったわけですが、では次に、会派離脱をした時点でなぜ政党も離党しなかったのかということです。

これもまた、私自身、とても悩んだところでした。
会派を離脱するにあたっては、特に1期目の選挙の際にお世話になった方を中心としてたくさんの人と議論をしたのでした。そこで出てきた考え方は1つには、「会派を出るなら同時に政党との関係もはっきりさせたほうが分かりやすいだろう」ということ。もう1つは「民主党として当選したのに、期の途中で離党すべきではなく、次期の選挙のときに結論を出すべきだろう」という考え方でした。
特に、(2)の会派のところに書いたように、私の出している結論が「民主党」に反しているわけではないんだから・・・ということです。

これも、どうすることが一番、有権者に対して誠実であることなのか、悩むところでしたが、私は、「1期目は民主党としての活動をし、都政や国政においては民主党を応援し、一方で有権者からの意見を聞きながら、次期の自分の選挙に向かう段階で整理をしよう」という結論に至りました。

それで今、次の選挙を約1年後に控え、練馬の民主党も公認をどうするかという話が始まりつつあります。
そこで私も、次期に向かっての準備を始める時期に入ったと判断し、離党届を出すにいたりました。

会派を離脱してからの1年半、たくさんの人と意見を交わす時間を持つようにしてきました。
区政報告会、勉強会、交流会、駅でのレポート配布など・・・
そういった取り組みに参加してくださる仲間は、会派を離脱してから格段に増えましたし、離脱したからこそ来てくださるようになった方もたくさんいらっしゃいます。

そんなやり取りの中で私が出した結論は、むしろ民主党に戻っていくことのほうが、有権者の理解は得られないだろうということです。
次の選挙でも民主党の公認をもらうのに、選挙が終わったらまた会派が別々というようなわけにはいかないでしょう。くっつくのか離れるのか、どっちかにしてくれという感じでしょう。

それから、その地域に住む市民の声を聞いてそれを反映させるということが、政党という枠に収まりきらない場面がたくさんあるということも、この1期目の活動をする中で感じているところです。
「人」か「コンクリート」か、という大枠の選択肢であれば私も当然「人」を選ぶわけですが、じゃあ、具体的にどう「人」と向き合うのか、ということになれば意見も分かれてくるところだし、地域で考える「人」と国のレベルから考える「人」は異なる可能性もあるわけです。
たとえば子ども手当のように現金給付がベストなのか・・・むしろ相談支援の拡充や保育園を増やすほうが先ではないかとも思えるわけです。
鳩山首相は「友愛」といって、かつて書いていた文章の中で、非生命体(鉱物とか空気、水)も含めて地球上に存在するすべてのものが尊く、それを自分中心の考えで侵すようなことがあってはならないという趣旨のことを書いていたのですが、その「友愛」からは朝鮮学校に通う子ども達は除外されてしまうのだろうかということも、私には不思議です。

このように、特に政権交代が可能になった今の日本の社会では、「どちらがより良いか」という選択をすることが可能になったけれども、それが必ずしもすべての点において地域生活と一致するとは限らないと思います。

政党に所属し続けることによって、こうした地域から見えてくる疑問との整合性が見つけられなくなる可能性があるならば、むしろ、無所属になって、国政や都政についてはその候補者の政策を見ながらより近い人と連携をしていくことが一番いいのではないかと考えました。

こうした議論を続けてくる中で、会派離脱当初は私が離党することには懸念を持っていらっしゃった方の中でも「それがかとうぎさんの信じる道ならばかまわないと思う」と言ってくださるようになったということも、今、決断をした大きな理由です。

以上でひとまず私の考えの表明を終わりますが、まだ説明しきれていない部分もあるかもしれません。
疑問、質問等ありましたら、メールでもブログへのコメントでもかまいませんので、ご連絡ください。

※かとうぎ桜子のHPはこちら
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桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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