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朝鮮学校の見学
6月最初の土曜日に、十条にある朝鮮学校の見学に行きました。中学と高校で、公開授業をやっているというのでお邪魔したのです。
民主党政権で高校無償化がいわれていますが、そのなかで今のところ朝鮮学校が除外をされているのです。
私は、どんな理由をつけたとしても、同じ社会に生きる人を差別・排除することは絶対許せません。
「差別はいけない」というのは一般論としては誰もが言うけれど、実際にはいろんな理由をつけて人を差別することがあるからです。
今回のことは、「北朝鮮との関係」だとか、「どんな教育をしているか分からないから」ということが言われていました。
でもそんなこと、日本で育ち、教育を受けている子どもたちには何の関係もないはずです。
そもそも、高校無償化は、どんな状況にある子どももひとしく教育を受ける権利を保障することが目的であるはずなのだから、学校によって選別をするのはおかしいと思うのです。
「除外すべきだ」という人たちにも何人か出会いましたが、たいていマスコミをうのみにした意見を言っているだけのようにも感じました。「教育の内容が不安だ」というならば、テレビなどで見るだけじゃなくて、実際に学校に行って自分の目で見てみればいいじゃないか。
私はどんな理由をつけても排除をすることだけは嫌だという思いが強かったのですが、それを言うにしてもやはり現場を見ておかなくてはならないという思いがあって、行ってきたのです。
それで、見てきた感想ですが、朝鮮語を使って教育をされている以外は、あえて別段なにか言うこともない、普通の学校という印象です。
数学、英語、日本語の俳句、漢文など、私たちが中学高校でやったのと同じように授業が行われていました。
それから子どもたちのルーツである朝鮮の言葉や歴史を勉強していました。
参加した人の中には、「日本の学校で学ぶ子どもたちよりずっと勉強に熱心だし、純粋な良い子たちに見えた」という感想をおっしゃる方もいたのですが、私の意見はちょっと違います。たしかに廊下ですれ違う朝鮮学校の子は私たちにあいさつの言葉をかけてくれたりして、ほんとに良い子たちだなあという感じがしたんだけど、でも、日本の子どもたちだって良い子たちだと思うから。
国籍などに関係なく、社会に出る前の子どもは本来、親や地域、学校の大人たちに守られて、みんな純粋で良い子であるはずだと私は思います。もし良い子でいられないとすればそれは本人のせいではなくて、その子をとりまくなんらかの環境の問題だと思うのです。
子どもはみんなのびのび、誰に干渉されることもなく自分の夢に向かっていきいきと生きる権利があるはずです。
公開授業というような形で地域や社会に向けて学校を開いていくということは、日本の公立学校等であれ朝鮮学校であれ良いことだと思います。でも、そこにかかわる大人たちが、善意であれ悪意であれそこにいる子どもたちを「批評」するとしたら、それは子どもにとって良い環境とはいえないのではないか、ということが気になりました。
朝鮮学校を除外することは、そこにいる子どもたちが悪い意味で大人たちの目にさらされるという一点だけをとりあげて考えてみるだけでも十分に人権侵害といえる事態だろうと、しみじみ思った、この1日でした。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
民主党政権で高校無償化がいわれていますが、そのなかで今のところ朝鮮学校が除外をされているのです。
私は、どんな理由をつけたとしても、同じ社会に生きる人を差別・排除することは絶対許せません。
「差別はいけない」というのは一般論としては誰もが言うけれど、実際にはいろんな理由をつけて人を差別することがあるからです。
今回のことは、「北朝鮮との関係」だとか、「どんな教育をしているか分からないから」ということが言われていました。
でもそんなこと、日本で育ち、教育を受けている子どもたちには何の関係もないはずです。
そもそも、高校無償化は、どんな状況にある子どももひとしく教育を受ける権利を保障することが目的であるはずなのだから、学校によって選別をするのはおかしいと思うのです。
「除外すべきだ」という人たちにも何人か出会いましたが、たいていマスコミをうのみにした意見を言っているだけのようにも感じました。「教育の内容が不安だ」というならば、テレビなどで見るだけじゃなくて、実際に学校に行って自分の目で見てみればいいじゃないか。
私はどんな理由をつけても排除をすることだけは嫌だという思いが強かったのですが、それを言うにしてもやはり現場を見ておかなくてはならないという思いがあって、行ってきたのです。
それで、見てきた感想ですが、朝鮮語を使って教育をされている以外は、あえて別段なにか言うこともない、普通の学校という印象です。
数学、英語、日本語の俳句、漢文など、私たちが中学高校でやったのと同じように授業が行われていました。
それから子どもたちのルーツである朝鮮の言葉や歴史を勉強していました。
参加した人の中には、「日本の学校で学ぶ子どもたちよりずっと勉強に熱心だし、純粋な良い子たちに見えた」という感想をおっしゃる方もいたのですが、私の意見はちょっと違います。たしかに廊下ですれ違う朝鮮学校の子は私たちにあいさつの言葉をかけてくれたりして、ほんとに良い子たちだなあという感じがしたんだけど、でも、日本の子どもたちだって良い子たちだと思うから。
国籍などに関係なく、社会に出る前の子どもは本来、親や地域、学校の大人たちに守られて、みんな純粋で良い子であるはずだと私は思います。もし良い子でいられないとすればそれは本人のせいではなくて、その子をとりまくなんらかの環境の問題だと思うのです。
子どもはみんなのびのび、誰に干渉されることもなく自分の夢に向かっていきいきと生きる権利があるはずです。
公開授業というような形で地域や社会に向けて学校を開いていくということは、日本の公立学校等であれ朝鮮学校であれ良いことだと思います。でも、そこにかかわる大人たちが、善意であれ悪意であれそこにいる子どもたちを「批評」するとしたら、それは子どもにとって良い環境とはいえないのではないか、ということが気になりました。
朝鮮学校を除外することは、そこにいる子どもたちが悪い意味で大人たちの目にさらされるという一点だけをとりあげて考えてみるだけでも十分に人権侵害といえる事態だろうと、しみじみ思った、この1日でした。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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再度、「伝統芸能と落語の会」のご案内
全然ブログが更新できなくて本当にすみません・・・
いろいろ書きたいことはあるのですが、あまりにも更新できないので、今日はせめて短くてもちょっとでも書こうと思っています。
練馬区議会の定例会は明日で終わります。
私が所属をしていた清掃リサイクル等特別委員会に付託をされた議案について、議論がありましたので、これは近いうちにブログに書きます。
あと、近況といえば・・・誰も正式に連絡をくれないのでよく分かりませんが、どうやら民主党の離党については受理をされたみたいです。民主党の東京都連のHPに私が載っていないので。
(私は2月に離党届を出して、4月に練馬の民主で受理をされて、5月に都連で受理をされたようです。)
というわけで、今後もしどこかで、民主党のところに私が載っているのを見かけたら、「ああ、古い情報なんだな」と思ってください。
さて、いつも以上にブログの更新ができないのには実は言い訳があります。
議員になってから今まで3年くらい、議会で議論したことなど、普段の活動を書いた活動レポートを月に1度新しく作って配っていたのですが、参議院選挙が終わった後からは、「1期目の活動の総括と、今後に残された課題」をまとめたもの(=政策を書いたレポート)を配るようにしたいと思ってます。
今のところ、これも毎月1号ずつで6号くらい出そうと思っているんですけれど、今、その原稿を書いています。
きちんとまとまったらHPも作り変えようと思ってます。
それから、昨年度から、月1回くらいの割合で勉強会やイベント、区政報告会などをやっているので、この活動記録の冊子も作ろうと思っていまして、そのまとめの作業などもやっています。
その作業で頭の中がいっぱいになって、ブログに文字を書くことができません(><)
6月初旬に、朝鮮学校の見学に行ってきたので、そのことを報告したいと思ってもいるのですが、これまたディープな感じで半分書きかけて止まっています。(最近、ブログに書く内容が、ディープな話が多いですねぇ・・・)
そんなわけですから、今回は近況報告と、近日中に書く予定のブログの内容の予告のみで失礼します。
なんでこんな中途半端なブログを書いたかというと、「伝統芸能と落語の会」が今度の土曜日に迫ってきましたので、もう一度このブログでもご案内したかったからです(^^;
久々に更新してイベントの案内だけというのも無愛想だなあと思いまして・・・。
まだ席に余裕もありますので、ぜひご参加ください。
伝統芸能と落語の会
6月19日(土)午後12時30分開場 午後1時開演 @江古田Buddy(西武池袋線・江古田駅南口すぐ)
出演:加藤木朗(和太鼓・獅子舞など)、柳家さん若(落語)
参加費2500円(ワンドリンクつき)
午後1時から、和太鼓などの伝統芸能と落語を1時間半ほど楽しんでいただいたあとに、ご参加いただいたお客様と交流する時間を取りたいと思っています。
加藤木朗の伝統芸能は、今まで「和力」という団体として練馬文化センターなどを使ってやっていますが、見てくださった皆さんがいろいろと感想をお持ちになっても、直接演技者とお話をいただくような時間がなかなかとれません。
今回は小規模な会ですので、朗さんやさん若さんと、楽しくお話する時間を持てたらと思っています。
チラシはこちらに載っております。
※かとうぎ桜子のHPはこちら

いろいろ書きたいことはあるのですが、あまりにも更新できないので、今日はせめて短くてもちょっとでも書こうと思っています。
練馬区議会の定例会は明日で終わります。
私が所属をしていた清掃リサイクル等特別委員会に付託をされた議案について、議論がありましたので、これは近いうちにブログに書きます。
あと、近況といえば・・・誰も正式に連絡をくれないのでよく分かりませんが、どうやら民主党の離党については受理をされたみたいです。民主党の東京都連のHPに私が載っていないので。
(私は2月に離党届を出して、4月に練馬の民主で受理をされて、5月に都連で受理をされたようです。)
というわけで、今後もしどこかで、民主党のところに私が載っているのを見かけたら、「ああ、古い情報なんだな」と思ってください。
さて、いつも以上にブログの更新ができないのには実は言い訳があります。
議員になってから今まで3年くらい、議会で議論したことなど、普段の活動を書いた活動レポートを月に1度新しく作って配っていたのですが、参議院選挙が終わった後からは、「1期目の活動の総括と、今後に残された課題」をまとめたもの(=政策を書いたレポート)を配るようにしたいと思ってます。
今のところ、これも毎月1号ずつで6号くらい出そうと思っているんですけれど、今、その原稿を書いています。
きちんとまとまったらHPも作り変えようと思ってます。
それから、昨年度から、月1回くらいの割合で勉強会やイベント、区政報告会などをやっているので、この活動記録の冊子も作ろうと思っていまして、そのまとめの作業などもやっています。
その作業で頭の中がいっぱいになって、ブログに文字を書くことができません(><)
6月初旬に、朝鮮学校の見学に行ってきたので、そのことを報告したいと思ってもいるのですが、これまたディープな感じで半分書きかけて止まっています。(最近、ブログに書く内容が、ディープな話が多いですねぇ・・・)
そんなわけですから、今回は近況報告と、近日中に書く予定のブログの内容の予告のみで失礼します。
なんでこんな中途半端なブログを書いたかというと、「伝統芸能と落語の会」が今度の土曜日に迫ってきましたので、もう一度このブログでもご案内したかったからです(^^;
久々に更新してイベントの案内だけというのも無愛想だなあと思いまして・・・。
まだ席に余裕もありますので、ぜひご参加ください。
伝統芸能と落語の会
6月19日(土)午後12時30分開場 午後1時開演 @江古田Buddy(西武池袋線・江古田駅南口すぐ)
出演:加藤木朗(和太鼓・獅子舞など)、柳家さん若(落語)
参加費2500円(ワンドリンクつき)
午後1時から、和太鼓などの伝統芸能と落語を1時間半ほど楽しんでいただいたあとに、ご参加いただいたお客様と交流する時間を取りたいと思っています。
加藤木朗の伝統芸能は、今まで「和力」という団体として練馬文化センターなどを使ってやっていますが、見てくださった皆さんがいろいろと感想をお持ちになっても、直接演技者とお話をいただくような時間がなかなかとれません。
今回は小規模な会ですので、朗さんやさん若さんと、楽しくお話する時間を持てたらと思っています。
チラシはこちらに載っております。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
「女性の人権ってどんなこと?―一緒に考えよう、子どもの人権も・・・」
6月1日から議会が始まりました。
内容はまたおいおいご報告します。
遅くなりましたが、「女性の人権ってどんなこと?-一緒に考えよう、子どもの人権も・・・」と題した勉強会のご報告をします。
5月16日に東大泉地区区民館で企画した会です。
婦人保護施設というのは、売春防止法という法律のもとにできている施設なのですが、なかなか身近に感じる機会がないと思います。
私も、社会福祉士の学校に行っていても内容を知る機会はほとんどありませんでした。区内にある「いずみ寮」を見学させていただいて、初めてその実態をお聞きすることができたのがほんの2,3年前です。
ぜひ皆さんにもいずみ寮のスタッフ(っていうかほんとは施設長なんだけど、「施設長」という呼び名があまり好きじゃないというから、どうしたらいいかわからない・・・)である横田千代子さんに来ていただいて、お話を聞く時間を持ちました。
婦人保護施設はいろんな理由でによって自立した生活をするのが厳しい環境にある女性が入所して支援を得ながら生活をしている施設です。
この実態をどうお伝えしたらいいか・・・言葉にするのが難しいのです。文章にするのも、話をするのも、誤解を受けずに的確に伝えるのがとても難しい。
ご参加いただいた方から本を借りました。いずみ寮と同じ法人がやっている「かにた婦人の村」という施設の様子を描いた、沢木耕太郎の「棄てられた女たちのユートピア」という文章。(新潮文庫の「人の砂漠」に入っています。)
誇張も隠しだてもなく、差別も生まないとても良い文章だと思ったので、ぜひ読んでみてください。
これを紹介する以外に、どうやってお伝えしたらいいのか悩んでしまいます。
この社会で生きていると、性別にかかわりなく、とても大変な状況で生きるということがあると思います。
たとえば、何らかの障害を持っていて、しかも周りのだれも助けてくれない状況であるとか。
人間関係に失敗したり借金をしたり、何かしらの失敗をしたときに、ひとりになってしまってやり直す糸口が見つからなかったりだとか。
子どもを産んでも、周りのだれも祝福し支えてくれないということもあるかもしれない。
喜びでも悲しみでも、だれかと分かち合える状況にないというのが一番つらいことかもしれません。
前回のブログで、路上生活の人のなかに障害のある人もいて、支援につながっていないケースがあるということを書きました。それもそういうこと(「つながり」の欠如)だと思います。
そんな困難は誰でもが陥る可能性があると思います。
私たちは多くの場合、何か困ったことがあったときに、友達、家族など誰かがとても親身になってくれて抜け出すことができる場合が多いと思います。
だから逆にたまたまタイミングによっては誰も助けてくれる状況にないことだって起き得ますよね。
そんな大変な状況にあるとき、女性差別が加わるとまたさらなる困難が起きます。
性的な搾取、性暴力被害など。
たとえば、家庭で受けていた虐待から逃れるために家を飛び出してきたけれど、その後の行き場がないために性的搾取の中に身を投じていかなければならないということがあるとしたら・・・想像するだけでも悲しいですね。
そこでぶちあたるのが「性」の問題。
私たちはふだん心のどこかで、「性を売る仕事はフィクションの世界」であるように遠いものとして考えているのではないかということです。
性を売る仕事をしている人は自分とは関係のない世界の人、自分で選んでその仕事をしている人、「商品」であると。性にかかわる商売をするほうが悪いんだ、という前提でできているのが、「売春防止法」という法律でしょう。
「なぜ、売春だけが罰する対象として法律になっていて、買春は対象になっていないのか」と、横田さんもいつもおっしゃっています。
それは、売春をする女性を一人の人間として扱わず、「商品」としてしか見ていないという考えが大前提にあるのではないかと私は感じます。
しかし、改めて、「もし自分だったらどんな形で性の問題と向き合うか」を考えてみると、それは自分自身の「人格」と不可分であるように思うのです。
友達であれ恋人であれ、よほど信頼した人にしか性の話はしない。別に親しくもないおっさんから酒の席で突然性的な話をされると非常に不愉快だ。
それはなぜかというと、「私が私を大事に思う気持ち―自己肯定感」と性の問題は一緒だからだと思います。
だから、性暴力や性的虐待、性的搾取は、被害者に想像を絶する後遺症を残してしまう。
そこでもう一度、性産業に携わる人のことに思いをはせてみます。
なぜ、彼女はその仕事を選んだのか。
性を売る仕事をしている人も、生まれた時は可愛い赤ちゃんで、そしてだんだん成長し、夢を持ったり誰かを好きになったり、いろんな希望を胸に生きているふつうの一人の人間であるはずなのに、なぜ、一番大切なもののひとつであるはずの、「性」を仕事にしているのか。
それはもしかしたら、何かの理由で自分自身を大事にする気力や希望を奪われているからではないかと私は思うのです。
なぜ、自分を大事にする気力が奪われてしまうのか。それは、いろんな理由があるでしょうが、たとえば虐待、貧困、孤立、などなど、社会からの排除という要素も大きいのではないかと想像します。
そんな、なんらかの理由で自分自身を大事にする力が奪われた人たちがやむにやまれず選ぶ道を「自己責任」といってさらっと平気で搾取する世界があるのです・・・。
性を売る人に人格があることを忘れて商品のように扱う男性がいる。そうじゃない男性(もちろん女性も)もいっぱいいると思いますが、そういう場合はその世界から目をそむけるでしょう。
「あらやだ、そんな話」といって、笑い話にしたり顔をしかめたり、とにかく自分とは関係ない世界として通り過ぎていく。
でもそれは実は、目の前でとんでもない人権侵害が行われていることを、フィクションと思いこむことによって見過ごしているにすぎないのではないかと私は思います。
それを思うと、胸がかきむしられて頭がクラッとして涙が流れるような気持ちになります。
かといってどうしたらいいのか、何ができるのか、答えはまだ出ないのですが、とにかく一人でも多くの人と一緒に、女性の人権について考える時間を作りたいと思って、今回は勉強会を企画しました。
・・・これで私の書き得る精いっぱいですね。
今回は性的搾取のことだけ書きましたが、でも、とってもタブー視されていて、議会なんかでほとんど議論をされることはないけれど、身体的な性の問題と人権の問題は実は深く深くかかわっていることを私たちは認識し、社会の問題にしていかなければならないと思っています。これは、私が1期目の議員の活動だけではまだまだ解決しがたい大きな大きな課題の一つです。
今回、講師としてきてくださった横田さんもかかわっていらっしゃるイベントが今度あるそうなので以下にお知らせします。
私がやる「伝統芸能と落語の会」と同じ日なのですが、時間が違うのでかけ持つことも可能です(^^;
「性暴力禁止法をつくろうネットワーク 2周年チャリティーコンサート」
2010年6月19日(土)午後5時30分~7時30分
@お茶の水女子大学・大講堂(丸の内線茗荷谷駅より徒歩7分、有楽町線護国寺駅より徒歩8分)
【入場料】2000円(学生・支払い困難な方は1000円)
【主催】性暴力禁止法をつくろうネットワーク
第1部:当事者の語り/全国縦断キャラバンについて/活動中間報告
第2部:チャリティーコンサート(出演:シャンソン歌手・嵯峨美子)
※かとうぎ桜子のHPはこちら
内容はまたおいおいご報告します。
遅くなりましたが、「女性の人権ってどんなこと?-一緒に考えよう、子どもの人権も・・・」と題した勉強会のご報告をします。
5月16日に東大泉地区区民館で企画した会です。
婦人保護施設というのは、売春防止法という法律のもとにできている施設なのですが、なかなか身近に感じる機会がないと思います。
私も、社会福祉士の学校に行っていても内容を知る機会はほとんどありませんでした。区内にある「いずみ寮」を見学させていただいて、初めてその実態をお聞きすることができたのがほんの2,3年前です。
ぜひ皆さんにもいずみ寮のスタッフ(っていうかほんとは施設長なんだけど、「施設長」という呼び名があまり好きじゃないというから、どうしたらいいかわからない・・・)である横田千代子さんに来ていただいて、お話を聞く時間を持ちました。
婦人保護施設はいろんな理由でによって自立した生活をするのが厳しい環境にある女性が入所して支援を得ながら生活をしている施設です。
この実態をどうお伝えしたらいいか・・・言葉にするのが難しいのです。文章にするのも、話をするのも、誤解を受けずに的確に伝えるのがとても難しい。
ご参加いただいた方から本を借りました。いずみ寮と同じ法人がやっている「かにた婦人の村」という施設の様子を描いた、沢木耕太郎の「棄てられた女たちのユートピア」という文章。(新潮文庫の「人の砂漠」に入っています。)
誇張も隠しだてもなく、差別も生まないとても良い文章だと思ったので、ぜひ読んでみてください。
これを紹介する以外に、どうやってお伝えしたらいいのか悩んでしまいます。
この社会で生きていると、性別にかかわりなく、とても大変な状況で生きるということがあると思います。
たとえば、何らかの障害を持っていて、しかも周りのだれも助けてくれない状況であるとか。
人間関係に失敗したり借金をしたり、何かしらの失敗をしたときに、ひとりになってしまってやり直す糸口が見つからなかったりだとか。
子どもを産んでも、周りのだれも祝福し支えてくれないということもあるかもしれない。
喜びでも悲しみでも、だれかと分かち合える状況にないというのが一番つらいことかもしれません。
前回のブログで、路上生活の人のなかに障害のある人もいて、支援につながっていないケースがあるということを書きました。それもそういうこと(「つながり」の欠如)だと思います。
そんな困難は誰でもが陥る可能性があると思います。
私たちは多くの場合、何か困ったことがあったときに、友達、家族など誰かがとても親身になってくれて抜け出すことができる場合が多いと思います。
だから逆にたまたまタイミングによっては誰も助けてくれる状況にないことだって起き得ますよね。
そんな大変な状況にあるとき、女性差別が加わるとまたさらなる困難が起きます。
性的な搾取、性暴力被害など。
たとえば、家庭で受けていた虐待から逃れるために家を飛び出してきたけれど、その後の行き場がないために性的搾取の中に身を投じていかなければならないということがあるとしたら・・・想像するだけでも悲しいですね。
そこでぶちあたるのが「性」の問題。
私たちはふだん心のどこかで、「性を売る仕事はフィクションの世界」であるように遠いものとして考えているのではないかということです。
性を売る仕事をしている人は自分とは関係のない世界の人、自分で選んでその仕事をしている人、「商品」であると。性にかかわる商売をするほうが悪いんだ、という前提でできているのが、「売春防止法」という法律でしょう。
「なぜ、売春だけが罰する対象として法律になっていて、買春は対象になっていないのか」と、横田さんもいつもおっしゃっています。
それは、売春をする女性を一人の人間として扱わず、「商品」としてしか見ていないという考えが大前提にあるのではないかと私は感じます。
しかし、改めて、「もし自分だったらどんな形で性の問題と向き合うか」を考えてみると、それは自分自身の「人格」と不可分であるように思うのです。
友達であれ恋人であれ、よほど信頼した人にしか性の話はしない。別に親しくもないおっさんから酒の席で突然性的な話をされると非常に不愉快だ。
それはなぜかというと、「私が私を大事に思う気持ち―自己肯定感」と性の問題は一緒だからだと思います。
だから、性暴力や性的虐待、性的搾取は、被害者に想像を絶する後遺症を残してしまう。
そこでもう一度、性産業に携わる人のことに思いをはせてみます。
なぜ、彼女はその仕事を選んだのか。
性を売る仕事をしている人も、生まれた時は可愛い赤ちゃんで、そしてだんだん成長し、夢を持ったり誰かを好きになったり、いろんな希望を胸に生きているふつうの一人の人間であるはずなのに、なぜ、一番大切なもののひとつであるはずの、「性」を仕事にしているのか。
それはもしかしたら、何かの理由で自分自身を大事にする気力や希望を奪われているからではないかと私は思うのです。
なぜ、自分を大事にする気力が奪われてしまうのか。それは、いろんな理由があるでしょうが、たとえば虐待、貧困、孤立、などなど、社会からの排除という要素も大きいのではないかと想像します。
そんな、なんらかの理由で自分自身を大事にする力が奪われた人たちがやむにやまれず選ぶ道を「自己責任」といってさらっと平気で搾取する世界があるのです・・・。
性を売る人に人格があることを忘れて商品のように扱う男性がいる。そうじゃない男性(もちろん女性も)もいっぱいいると思いますが、そういう場合はその世界から目をそむけるでしょう。
「あらやだ、そんな話」といって、笑い話にしたり顔をしかめたり、とにかく自分とは関係ない世界として通り過ぎていく。
でもそれは実は、目の前でとんでもない人権侵害が行われていることを、フィクションと思いこむことによって見過ごしているにすぎないのではないかと私は思います。
それを思うと、胸がかきむしられて頭がクラッとして涙が流れるような気持ちになります。
かといってどうしたらいいのか、何ができるのか、答えはまだ出ないのですが、とにかく一人でも多くの人と一緒に、女性の人権について考える時間を作りたいと思って、今回は勉強会を企画しました。
・・・これで私の書き得る精いっぱいですね。
今回は性的搾取のことだけ書きましたが、でも、とってもタブー視されていて、議会なんかでほとんど議論をされることはないけれど、身体的な性の問題と人権の問題は実は深く深くかかわっていることを私たちは認識し、社会の問題にしていかなければならないと思っています。これは、私が1期目の議員の活動だけではまだまだ解決しがたい大きな大きな課題の一つです。
今回、講師としてきてくださった横田さんもかかわっていらっしゃるイベントが今度あるそうなので以下にお知らせします。
私がやる「伝統芸能と落語の会」と同じ日なのですが、時間が違うのでかけ持つことも可能です(^^;
「性暴力禁止法をつくろうネットワーク 2周年チャリティーコンサート」
2010年6月19日(土)午後5時30分~7時30分
@お茶の水女子大学・大講堂(丸の内線茗荷谷駅より徒歩7分、有楽町線護国寺駅より徒歩8分)
【入場料】2000円(学生・支払い困難な方は1000円)
【主催】性暴力禁止法をつくろうネットワーク
第1部:当事者の語り/全国縦断キャラバンについて/活動中間報告
第2部:チャリティーコンサート(出演:シャンソン歌手・嵯峨美子)
※かとうぎ桜子のHPはこちら