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保育セミナー
最近カメラを買いました。今まで使っていたのは私が大学生のころ、10年位前に買ったものだったので重量が重くて画像は粗いという感じだったのです・・・。
ブログに載せる写真は携帯電話で撮ったものだったりもしたので、今度からは新しいカメラを持ち歩いてブログももっと写真を載せようと思います。
(でも撮りなれていないので、かばんの中にカメラを入れたまま撮り忘れたりするんですけど。)
この3日間、研修に出ています。
まず、7月27日、28日は、保育の研修を受けました。全国社会福祉協議会等が主催の研修で横浜で行われました。

福祉全般そうだと思いますが、保育園についても、その専門性や必要性を広く社会全体で共有するのってとても難しいなと感じています。
まず、「子育ても介護も本来家族がやるべきなのに、制度に頼ろうとするなんて甘えているのではないか」「そんなことは自己責任だ」という人がまだまだ世の中にはたくさんいます。
それが第一の壁。
次に保育の必要性は認めたとしても、何が重要かというときに、保育園民営化の議論の中などでは、延長保育や休日保育といったように明らかに数字ではかることのできる「サービス向上」がいわれてしまう。
だけど本当は保育は、子どもを預かるということだけが仕事なわけではなく、子どもが最善の環境の下に育つ権利を保障するという意味があるはず。
でも、「では子どもに保障すべき保育の質とは何なのか」という点がなかなか議論に至らない。
これが第二の壁。
こんな中で、子どもが育つ最善の環境を保障するためにすべきことは何なのか、ということを、もっともっと広く社会で共有できるような発信をするのが私の仕事だと思うのですが、どうやったらいいのか、日々悩むところです。
今回のセミナーでは、1日目に国の動向についての説明と、大学の先生・保育園の先生・三鷹市長のシンポジウムがあり、2日目に関心あるテーマごとに議論をする分科会へと分かれました。

まずは「地域主権」という流れの中で、保育の環境の格差が生まれないか、という点は気になるところです。
「高齢者の住環境の保障」などでもそうですが、東京のような都市部で空間的なスペースもなく、人間が多い地域は、そもそも入りたくても入れないという人がたくさんいるわけです。だから都市部に限っては規制をゆるめて受け入れられる数を増やすしかないじゃないか、という方向にいってしまうのですが、本当にそれでいいのかなあ・・・って、気になります。
それに、地域ごとに決めていくことができるようになったときに、人数的にマイノリティである福祉利用者の最善の利益が優先されるのだろうか、という点も気になる。
むしろ「少数派のくせにたくさん要求して」というバッシングの中で切り下げられる危険性もあるのではないか。しかも、「地域主権だから、地域ごとの責任において決めることだからしかたない」ということを言い訳にして、弱い立場にある人の生存権を侵すようなことが、全国的な議論にもならずに進められていくという危険もあるのではないか・・・。
中央集権的な決定のしかたが、一人ひとりの国民の思いとかけ離れた動きを生み出したという今までの状況を思えば、地域ごとにニーズに合った決定をできるしくみは必要だと思いますが、でもちょっと「本当に大丈夫かな・・・」と、心に引っかかるところは多いと思っています。
今後の国の動きをよく見ながら、私という地方自治体の一議員のレベルでも区民の皆さんとともに議論を進めていかないといけないなと思っています。
保育の質ってどういうことだろう・・・という点では、今回のセミナーでいろんな保育園で実践している人達の話を聴けてよかったなと思いました。
ひとつ、良いなあと思いながら聞いた話を紹介します。1日目のシンポジウムのときに報告をしていた人の話です。
保育園にきたお客さんからチョコレートをもらった。でも子ども達みんなで食べるには、数が足りない。
実は「はんぶんこ」すればちょうど数が合う量だったので、大人が考えればすぐに答えは出るのですが、そうはせずに、「どうしたらみんなが気持ちよく食べることができるかな」ということを子ども達と一緒に話し合いをし、結論が出るまで4日間の時間をかけたそうです。
「クラスを限定して、大きい子達だけ食べるのだったら足りるよ」という意見。でも小さい子も食べたいはず・・・。
「今ここにいる人だけでこっそり食べてしまえば、だれも気付かない・・・」という誘惑に駆られたり。いやいや、でもそれはいけない。
最終的に、「はんぶんこ」の結論に至ったそうですが、おとなが初めから仕切っていくのではなく、どんなに時間をかけても子ども達がみんなで考えていくプロセスが、じっくり育ち学びあうということなのだなあと、この事例を聞いて思いました。
こういうとりくみって、必ずどこの園でもできているわけではないだろうと思います。
ちなみに私が幼少期に通っていたのは他の自治体(都外です)にある私立の幼稚園だったのですが、どちらかというと、たくさんイベントをやって、「親に見せること」を評価の軸にしていたなあと思い出されます。
展覧会をやるからクラスで貼り絵をやりましょう。それが終わったら運動会だからみんなで鼓笛隊の練習をしましょう・・・という具合に。
まあそういうとりくみは、親は喜びますよね。活動が見えるから。
5歳くらいだった当時の私は(当然のことながら)、今の私以上にぼーっとしていたので、結構マイペースで、黙々とどんぐり拾いに熱中していたりしました。
しかしそうやって没頭しているときに限って先生がすごい勢いで飛んできて「桜子ちゃん!何やっているの!練習の時間じゃないの!」と追い掛け回されて恐ろしかった記憶があります(苦笑)
たとえば同じ「貼り絵をする」ということであっても、何を最終目標に、何を評価の指標として取り組んでいくかによって、子どもの育ち方はたぶん全然違うだろうなと思います。
子どもが自ら創意工夫して楽しんで貼り絵をできるような環境を作るのか、あるいは効率的に完成させて外見的に美しく出来上がった作品を親に見せることを優先するのか・・・とか。
私の行っていた幼稚園では、上に例をあげた保育園のように時間をかけて、チョコレートの議論なんてやらないんじゃないかと思うんですよね・・・。
こういう違いは傍から見たら分からないかもしれないけれど子どもにとってはとても大きなことだし、それはその園の方針の違いによって出てくるのだろうなと思います。
こういったことを、実際に普段の活動を見ていない一般の市民などがどうやって知っていくかがとても大切なのではないかと思いました。
保育の質は、数字や事象だけでは判断しきれないものですものね。
でも考えてみれば、保育に限らず介護でも医療でも教育でも何でもそうですが、議会という政策を作る場では制度的な部分は議論されるけど、現場で実際に何が行われているのかという事例を検証する機会はまったくないんですよね。
議員がみんな福祉や医療、教育の現場に詳しいわけではないんだから、実は前段として事例を知るというとりくみも必要なのではないかとふと思いました。
それから、日々取り組んでいる保育士さんにしてみれば、一人ひとりの子どもの顔を思い浮かべて、何が必要か、何を大切にするかと考えているわけですが、制度を作る側の議論はそうではないということを知る機会もないだろうなということもしみじみ思ったところです。
私は議員として現場実態を議会で論じたり他の区民の皆さんに伝える義務がありますが、同時に今まさに現場で働いている人たちが、政策の場に発信をしていくことがもっともっとできたらいいのになということを思いました。
今日はまた違う研修を受けてきたのですが、まさに、当事者の声を政策につなげていくのが専門職の責務であろうというような議論を聞いてきました。この話はまた次回。
余談ですが、横浜って遠いですね・・・。
大学1年のときに東横線の日吉という駅まで通っていたので、気分的にはそんなに遠いと思わなかったのですが、27日は午前中に健康福祉委員会を終えてから会場に向かったのですけど2時間近くかかりました・・・。
もしかしたらもう二度と横浜なんて行かないかも・・・という気分になってきたので、記念に1枚、観覧車の写真を撮ってきました。

※かとうぎ桜子のHPはこちら
ブログに載せる写真は携帯電話で撮ったものだったりもしたので、今度からは新しいカメラを持ち歩いてブログももっと写真を載せようと思います。
(でも撮りなれていないので、かばんの中にカメラを入れたまま撮り忘れたりするんですけど。)
この3日間、研修に出ています。
まず、7月27日、28日は、保育の研修を受けました。全国社会福祉協議会等が主催の研修で横浜で行われました。

福祉全般そうだと思いますが、保育園についても、その専門性や必要性を広く社会全体で共有するのってとても難しいなと感じています。
まず、「子育ても介護も本来家族がやるべきなのに、制度に頼ろうとするなんて甘えているのではないか」「そんなことは自己責任だ」という人がまだまだ世の中にはたくさんいます。
それが第一の壁。
次に保育の必要性は認めたとしても、何が重要かというときに、保育園民営化の議論の中などでは、延長保育や休日保育といったように明らかに数字ではかることのできる「サービス向上」がいわれてしまう。
だけど本当は保育は、子どもを預かるということだけが仕事なわけではなく、子どもが最善の環境の下に育つ権利を保障するという意味があるはず。
でも、「では子どもに保障すべき保育の質とは何なのか」という点がなかなか議論に至らない。
これが第二の壁。
こんな中で、子どもが育つ最善の環境を保障するためにすべきことは何なのか、ということを、もっともっと広く社会で共有できるような発信をするのが私の仕事だと思うのですが、どうやったらいいのか、日々悩むところです。
今回のセミナーでは、1日目に国の動向についての説明と、大学の先生・保育園の先生・三鷹市長のシンポジウムがあり、2日目に関心あるテーマごとに議論をする分科会へと分かれました。

まずは「地域主権」という流れの中で、保育の環境の格差が生まれないか、という点は気になるところです。
「高齢者の住環境の保障」などでもそうですが、東京のような都市部で空間的なスペースもなく、人間が多い地域は、そもそも入りたくても入れないという人がたくさんいるわけです。だから都市部に限っては規制をゆるめて受け入れられる数を増やすしかないじゃないか、という方向にいってしまうのですが、本当にそれでいいのかなあ・・・って、気になります。
それに、地域ごとに決めていくことができるようになったときに、人数的にマイノリティである福祉利用者の最善の利益が優先されるのだろうか、という点も気になる。
むしろ「少数派のくせにたくさん要求して」というバッシングの中で切り下げられる危険性もあるのではないか。しかも、「地域主権だから、地域ごとの責任において決めることだからしかたない」ということを言い訳にして、弱い立場にある人の生存権を侵すようなことが、全国的な議論にもならずに進められていくという危険もあるのではないか・・・。
中央集権的な決定のしかたが、一人ひとりの国民の思いとかけ離れた動きを生み出したという今までの状況を思えば、地域ごとにニーズに合った決定をできるしくみは必要だと思いますが、でもちょっと「本当に大丈夫かな・・・」と、心に引っかかるところは多いと思っています。
今後の国の動きをよく見ながら、私という地方自治体の一議員のレベルでも区民の皆さんとともに議論を進めていかないといけないなと思っています。
保育の質ってどういうことだろう・・・という点では、今回のセミナーでいろんな保育園で実践している人達の話を聴けてよかったなと思いました。
ひとつ、良いなあと思いながら聞いた話を紹介します。1日目のシンポジウムのときに報告をしていた人の話です。
保育園にきたお客さんからチョコレートをもらった。でも子ども達みんなで食べるには、数が足りない。
実は「はんぶんこ」すればちょうど数が合う量だったので、大人が考えればすぐに答えは出るのですが、そうはせずに、「どうしたらみんなが気持ちよく食べることができるかな」ということを子ども達と一緒に話し合いをし、結論が出るまで4日間の時間をかけたそうです。
「クラスを限定して、大きい子達だけ食べるのだったら足りるよ」という意見。でも小さい子も食べたいはず・・・。
「今ここにいる人だけでこっそり食べてしまえば、だれも気付かない・・・」という誘惑に駆られたり。いやいや、でもそれはいけない。
最終的に、「はんぶんこ」の結論に至ったそうですが、おとなが初めから仕切っていくのではなく、どんなに時間をかけても子ども達がみんなで考えていくプロセスが、じっくり育ち学びあうということなのだなあと、この事例を聞いて思いました。
こういうとりくみって、必ずどこの園でもできているわけではないだろうと思います。
ちなみに私が幼少期に通っていたのは他の自治体(都外です)にある私立の幼稚園だったのですが、どちらかというと、たくさんイベントをやって、「親に見せること」を評価の軸にしていたなあと思い出されます。
展覧会をやるからクラスで貼り絵をやりましょう。それが終わったら運動会だからみんなで鼓笛隊の練習をしましょう・・・という具合に。
まあそういうとりくみは、親は喜びますよね。活動が見えるから。
5歳くらいだった当時の私は(当然のことながら)、今の私以上にぼーっとしていたので、結構マイペースで、黙々とどんぐり拾いに熱中していたりしました。
しかしそうやって没頭しているときに限って先生がすごい勢いで飛んできて「桜子ちゃん!何やっているの!練習の時間じゃないの!」と追い掛け回されて恐ろしかった記憶があります(苦笑)
たとえば同じ「貼り絵をする」ということであっても、何を最終目標に、何を評価の指標として取り組んでいくかによって、子どもの育ち方はたぶん全然違うだろうなと思います。
子どもが自ら創意工夫して楽しんで貼り絵をできるような環境を作るのか、あるいは効率的に完成させて外見的に美しく出来上がった作品を親に見せることを優先するのか・・・とか。
私の行っていた幼稚園では、上に例をあげた保育園のように時間をかけて、チョコレートの議論なんてやらないんじゃないかと思うんですよね・・・。
こういう違いは傍から見たら分からないかもしれないけれど子どもにとってはとても大きなことだし、それはその園の方針の違いによって出てくるのだろうなと思います。
こういったことを、実際に普段の活動を見ていない一般の市民などがどうやって知っていくかがとても大切なのではないかと思いました。
保育の質は、数字や事象だけでは判断しきれないものですものね。
でも考えてみれば、保育に限らず介護でも医療でも教育でも何でもそうですが、議会という政策を作る場では制度的な部分は議論されるけど、現場で実際に何が行われているのかという事例を検証する機会はまったくないんですよね。
議員がみんな福祉や医療、教育の現場に詳しいわけではないんだから、実は前段として事例を知るというとりくみも必要なのではないかとふと思いました。
それから、日々取り組んでいる保育士さんにしてみれば、一人ひとりの子どもの顔を思い浮かべて、何が必要か、何を大切にするかと考えているわけですが、制度を作る側の議論はそうではないということを知る機会もないだろうなということもしみじみ思ったところです。
私は議員として現場実態を議会で論じたり他の区民の皆さんに伝える義務がありますが、同時に今まさに現場で働いている人たちが、政策の場に発信をしていくことがもっともっとできたらいいのになということを思いました。
今日はまた違う研修を受けてきたのですが、まさに、当事者の声を政策につなげていくのが専門職の責務であろうというような議論を聞いてきました。この話はまた次回。
余談ですが、横浜って遠いですね・・・。
大学1年のときに東横線の日吉という駅まで通っていたので、気分的にはそんなに遠いと思わなかったのですが、27日は午前中に健康福祉委員会を終えてから会場に向かったのですけど2時間近くかかりました・・・。
もしかしたらもう二度と横浜なんて行かないかも・・・という気分になってきたので、記念に1枚、観覧車の写真を撮ってきました。

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フェリスのゲストスピーカー
今日は少し湿度が低いのか分かりませんが日陰にいると少し涼しく感じますね。
ここのところ、朝の駅でチラシを配るだけでも大汗をかいて倒れそうなほどになるので、今朝は準備万端、大きめのタオルと飲み物を用意して行ったのに、こんな日にかぎって今までよりは比較的涼しいという・・・人生ってなんでこううまくいかないものなのか。(しかし、こんなに暑いのに、それでもまだ涼しいと感じてしまう、体の順応性ってすごいものですね。。)
7月22日に、フェリス女学院大学でゲストスピーカーをやってきました。
昨年に引き続き、2度目です。
学生さんがゲストの話を聴いて、限られた字数にまとめるという、記事を書く練習をする授業です。
私は議員になったきっかけや、議員としての活動の内容をお話するのですが、それとあわせて、ジェンダーの視点からの話も盛り込んで・・・ということでした。
実は昨年呼ばれたときには、私が女性である意味というのがいまいちピンときていなかったので、そのあたりがうまくいかなかったのです。
今の社会の中では、女性であることによって性暴力被害があったり、DVの被害にあったりすることもあり、低賃金の問題もあり、解決すべき課題はたくさんあります。だけど、そういう課題があることと、議員の私が女性であることはあんまり関係ないように思っていました。
でも、その後いろいろ考えることがあって、自分自身でも気付かなかった、「女性であることによる壁」が私にもあったのだと思うようになりました。
私自身が性的な言葉をかけられて嫌な思いをさせられたり、男性の議員から大声で怒鳴られて圧力をかけられたりする経験はありましたが、それはその男性個人が嫌な奴だというだけだと思っていたのですが(まあ、実際、嫌な奴であることに間違いはないとは思いますが ^^;)、実はこういう個人的な体験がとても社会的な問題なのではないかと気付いたのです。
性的な嫌がらせが「おふざけ程度」で許容されてしまう社会。声の大きさ・体の大きさが違うのにもかかわらずその力を使って威圧することが許されてしまう社会。
私自身が我慢すれば済む個人の問題ではなくて、声をあげていかなくてはならないのだろうと、この1年の間に思い至ったのでした。
そうはいっても、なかなかその場で声をあげることは難しいんですけどね。せめて、「私はちっとも楽しくない、我慢しているだけだ」ということだけでも伝えられるようにしないといけないなと思っています。
今回の授業では、そんな話をしました。
授業が終わった後、学生さんが声をかけてくれて、私が学生時代から今にいたるまでの進路のことについて、「加藤木さんは、何か行動に移すときにあんまり悩んだりしないでぱっとやってしまうんですね。なぜ悩まずにできるのですか」と質問されました・・・。
まあ、たしかにあまりネガティブな心配はせずに「えい!」と行動に移すという感じはあるのですが、改めてそう言われると、なんか随分のんき者みたいな感じですね・・・
※かとうぎ桜子のHPはこちら
ここのところ、朝の駅でチラシを配るだけでも大汗をかいて倒れそうなほどになるので、今朝は準備万端、大きめのタオルと飲み物を用意して行ったのに、こんな日にかぎって今までよりは比較的涼しいという・・・人生ってなんでこううまくいかないものなのか。(しかし、こんなに暑いのに、それでもまだ涼しいと感じてしまう、体の順応性ってすごいものですね。。)
7月22日に、フェリス女学院大学でゲストスピーカーをやってきました。
昨年に引き続き、2度目です。
学生さんがゲストの話を聴いて、限られた字数にまとめるという、記事を書く練習をする授業です。
私は議員になったきっかけや、議員としての活動の内容をお話するのですが、それとあわせて、ジェンダーの視点からの話も盛り込んで・・・ということでした。
実は昨年呼ばれたときには、私が女性である意味というのがいまいちピンときていなかったので、そのあたりがうまくいかなかったのです。
今の社会の中では、女性であることによって性暴力被害があったり、DVの被害にあったりすることもあり、低賃金の問題もあり、解決すべき課題はたくさんあります。だけど、そういう課題があることと、議員の私が女性であることはあんまり関係ないように思っていました。
でも、その後いろいろ考えることがあって、自分自身でも気付かなかった、「女性であることによる壁」が私にもあったのだと思うようになりました。
私自身が性的な言葉をかけられて嫌な思いをさせられたり、男性の議員から大声で怒鳴られて圧力をかけられたりする経験はありましたが、それはその男性個人が嫌な奴だというだけだと思っていたのですが(まあ、実際、嫌な奴であることに間違いはないとは思いますが ^^;)、実はこういう個人的な体験がとても社会的な問題なのではないかと気付いたのです。
性的な嫌がらせが「おふざけ程度」で許容されてしまう社会。声の大きさ・体の大きさが違うのにもかかわらずその力を使って威圧することが許されてしまう社会。
私自身が我慢すれば済む個人の問題ではなくて、声をあげていかなくてはならないのだろうと、この1年の間に思い至ったのでした。
そうはいっても、なかなかその場で声をあげることは難しいんですけどね。せめて、「私はちっとも楽しくない、我慢しているだけだ」ということだけでも伝えられるようにしないといけないなと思っています。
今回の授業では、そんな話をしました。
授業が終わった後、学生さんが声をかけてくれて、私が学生時代から今にいたるまでの進路のことについて、「加藤木さんは、何か行動に移すときにあんまり悩んだりしないでぱっとやってしまうんですね。なぜ悩まずにできるのですか」と質問されました・・・。
まあ、たしかにあまりネガティブな心配はせずに「えい!」と行動に移すという感じはあるのですが、改めてそう言われると、なんか随分のんき者みたいな感じですね・・・

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★ポスター ★当事者の声を政策に・・・
★ポスター
暑いですねぇ・・・我慢して努力するのではどうにもならないほど暑い(--;)
さて、最近私のポスターを貼り始めました。

これは私の事務所の前に貼ってあるもの。
基本的に4年前のポスターと同じような形式にしたんですけど、改めて比べてみるとずいぶん違います・・・。

これが4年前のポスター。写真が不評でした・・・(--;)
画素数が低くて粗いし、写真に撮られるのが苦手でオドオドしながら写ったせいか、見比べてみるとしみじみひどい写真ですねぇ。。
今回のほうがまだましだと思いますが、もうこれ以上は、何か加工しないかぎりは実物以上に良くはなり得ないので、もうこれであきらめるしかありません(^^;
★当事者の声を政策に・・・
7月12日号の福祉新聞に、国土交通省の実施したアンケートの結果というのが載っていました。6月30日に発表した「住生活に関する国民アンケート」というものだそうです。
記事によると、「今年1月から2月にかけて全国1199人(有効回答994人)のモニターを対象に実施した。」ということでした。
その中で、気になったものがあったんです。
「スーパーや医療・福祉施設などが整備され、建物から出なくても便利に生活できる暮らし」という項目に対して、55%の人が「してみたい」と答えた、ということ。
私達は、「一つの場で完結すること」が理想だと思いがちなのでしょうかねぇ・・・。
だけど、「建物から出なくても便利に生活できる暮らし」というのを見て、私はハンセン病療養所を思い出しました。
療養所の中には郵便局も小さなスーパーのようなものも、宗教施設もあって、そこから出なくても生活が成り立ちます。それは、患者さんを外に出さないような政策を立てていたのだから当然、療養所内で生活が完結するようになるわけですね・・・。
でも、患者さんはその中で人生が終わることを望みはしなかった。患者さんは自分の行きたい場所に行き、生きたい場所で生活をすることを望んでいた。
本人が望まないのに限られた範囲で生活を完結させることは、人権侵害にもつながるものだと思います。
国交省のアンケートはモニターを対象にしていて、必ずしも現に介護が必要だとか、生活に困っている人に対して意向を聞いているわけではないということを改めて考えないとならないんだろうなと思いました。
私は、ハンセン病の隔離政策が長く続いたのは、必ずしも病気に対する偏見という悪意によるものだけではなくて、「病気なんだから療養所の中で生活が完結したほうが本人にとっても良かろう」という、「善意の余計なお世話」による部分も大きいのではないかと感じています。
良かれと思ったことが人権侵害につながるというのは悲しく、そして恐ろしいことだと思います。周りの善意による判断ではなくて、当事者の声を政策に反映させる必要性を強く感じるところです。
モニターアンケートだけで政策が決まらないように、当事者の声を政策に反映させる場の必要性を改めて切実に感じた記事でした。
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暑いですねぇ・・・我慢して努力するのではどうにもならないほど暑い(--;)
さて、最近私のポスターを貼り始めました。

これは私の事務所の前に貼ってあるもの。
基本的に4年前のポスターと同じような形式にしたんですけど、改めて比べてみるとずいぶん違います・・・。

これが4年前のポスター。写真が不評でした・・・(--;)
画素数が低くて粗いし、写真に撮られるのが苦手でオドオドしながら写ったせいか、見比べてみるとしみじみひどい写真ですねぇ。。
今回のほうがまだましだと思いますが、もうこれ以上は、何か加工しないかぎりは実物以上に良くはなり得ないので、もうこれであきらめるしかありません(^^;
★当事者の声を政策に・・・
7月12日号の福祉新聞に、国土交通省の実施したアンケートの結果というのが載っていました。6月30日に発表した「住生活に関する国民アンケート」というものだそうです。
記事によると、「今年1月から2月にかけて全国1199人(有効回答994人)のモニターを対象に実施した。」ということでした。
その中で、気になったものがあったんです。
「スーパーや医療・福祉施設などが整備され、建物から出なくても便利に生活できる暮らし」という項目に対して、55%の人が「してみたい」と答えた、ということ。
私達は、「一つの場で完結すること」が理想だと思いがちなのでしょうかねぇ・・・。
だけど、「建物から出なくても便利に生活できる暮らし」というのを見て、私はハンセン病療養所を思い出しました。
療養所の中には郵便局も小さなスーパーのようなものも、宗教施設もあって、そこから出なくても生活が成り立ちます。それは、患者さんを外に出さないような政策を立てていたのだから当然、療養所内で生活が完結するようになるわけですね・・・。
でも、患者さんはその中で人生が終わることを望みはしなかった。患者さんは自分の行きたい場所に行き、生きたい場所で生活をすることを望んでいた。
本人が望まないのに限られた範囲で生活を完結させることは、人権侵害にもつながるものだと思います。
国交省のアンケートはモニターを対象にしていて、必ずしも現に介護が必要だとか、生活に困っている人に対して意向を聞いているわけではないということを改めて考えないとならないんだろうなと思いました。
私は、ハンセン病の隔離政策が長く続いたのは、必ずしも病気に対する偏見という悪意によるものだけではなくて、「病気なんだから療養所の中で生活が完結したほうが本人にとっても良かろう」という、「善意の余計なお世話」による部分も大きいのではないかと感じています。
良かれと思ったことが人権侵害につながるというのは悲しく、そして恐ろしいことだと思います。周りの善意による判断ではなくて、当事者の声を政策に反映させる必要性を強く感じるところです。
モニターアンケートだけで政策が決まらないように、当事者の声を政策に反映させる場の必要性を改めて切実に感じた記事でした。
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参議院選挙が終わって・・・
参議院選挙で小川敏夫さんが当選して、私はとてもホッとしました。
私は民主党は離党したけど、小川さんを応援してました。
最初に私が選挙に出るとき小川さんに応援してもらったからという気持ちもあるけど、それだけでなくて、小川さんってとっても良い人なんですもの。こんなに良い人で大丈夫なんだろうかと心配になるほど・・・(^^;
区民の方からいただいた相談のなかで、特に私だけでは解決できないような、国政にもかかわるような人権侵害のケースについて、私から小川さんに相談することも何度かありましたが、そんなとき小川さんは、「そんな人権侵害、あってはいけないんだから、必ず解決するよ、大丈夫!」と答えてくれます・・・まあ、社会問題はそんなに簡単に解決しないだろうと思うんだけど
、でも基本的に視点が温かくて、愛すべきポジティブシンキングだなあと思っています。
うまくいかないかもしれない、とくよくよ考えるよりも、「大丈夫!実現する!」と思えば、ほんとに実現するのかもしれないですねぇ。私は比較的ネガティブシンキングなので、小川さんに会うと心がほっこりします。
もし、議員としてではなくて職場の同僚とか学校の仲間とか、違う場で出会ったとしてもぜひ友達になりたいと私が思えるほとんど唯一の政治家です。
今回の選挙も、後半かなり小川さんが厳しいようだったので、「小川さん、もし落ちちゃったらどうなるのかしら・・・」と心ひそかにやきもきしていたのですが、ほんとに良かった。
昨日の8時頃、私は自分の仕事を終えて家に帰る途中だったのでまだテレビを見ていなかったのですが、区民のYさんが電話をくれて、「小川さん、大丈夫そうだよ、よかったね」と教えてくれました。
心の中に少しずつ、澱のようにたまっていた[心配]がふっと取れました。いやはや、自分の選挙以外でこんなにホッとしたのは初めてでした・・・ふう。
「よかったね」って連絡をくれる人がいたことも、とてもうれしかったです。
参議院選挙の期間は駅で私のチラシ配りをするのはお休みをしていたので、ほぼ3週間ぶりに今朝から再開しました。
いやー、3週間も休むと、ただでさえへたくそな演説がさらにへたくそになるものですな。
ピアノは毎日弾かないと下手になる、運動は毎日やらないと体がなまる、というのと同じで、数週間ぶりにマイクを持つと口の中がへんてこな感じになります(><)いやになっちゃう。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
私は民主党は離党したけど、小川さんを応援してました。
最初に私が選挙に出るとき小川さんに応援してもらったからという気持ちもあるけど、それだけでなくて、小川さんってとっても良い人なんですもの。こんなに良い人で大丈夫なんだろうかと心配になるほど・・・(^^;
区民の方からいただいた相談のなかで、特に私だけでは解決できないような、国政にもかかわるような人権侵害のケースについて、私から小川さんに相談することも何度かありましたが、そんなとき小川さんは、「そんな人権侵害、あってはいけないんだから、必ず解決するよ、大丈夫!」と答えてくれます・・・まあ、社会問題はそんなに簡単に解決しないだろうと思うんだけど

うまくいかないかもしれない、とくよくよ考えるよりも、「大丈夫!実現する!」と思えば、ほんとに実現するのかもしれないですねぇ。私は比較的ネガティブシンキングなので、小川さんに会うと心がほっこりします。
もし、議員としてではなくて職場の同僚とか学校の仲間とか、違う場で出会ったとしてもぜひ友達になりたいと私が思えるほとんど唯一の政治家です。
今回の選挙も、後半かなり小川さんが厳しいようだったので、「小川さん、もし落ちちゃったらどうなるのかしら・・・」と心ひそかにやきもきしていたのですが、ほんとに良かった。
昨日の8時頃、私は自分の仕事を終えて家に帰る途中だったのでまだテレビを見ていなかったのですが、区民のYさんが電話をくれて、「小川さん、大丈夫そうだよ、よかったね」と教えてくれました。
心の中に少しずつ、澱のようにたまっていた[心配]がふっと取れました。いやはや、自分の選挙以外でこんなにホッとしたのは初めてでした・・・ふう。
「よかったね」って連絡をくれる人がいたことも、とてもうれしかったです。
参議院選挙の期間は駅で私のチラシ配りをするのはお休みをしていたので、ほぼ3週間ぶりに今朝から再開しました。
いやー、3週間も休むと、ただでさえへたくそな演説がさらにへたくそになるものですな。
ピアノは毎日弾かないと下手になる、運動は毎日やらないと体がなまる、というのと同じで、数週間ぶりにマイクを持つと口の中がへんてこな感じになります(><)いやになっちゃう。
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ちらしができた
「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」
6月19日に「伝統芸能と落語の会」を行なったあと、茗荷谷にあるお茶の水女子大学で開催された、「性暴力禁止法をつくろうネットワーク 2周年チャリティーコンサート」に参加してきました。
以前、私の勉強会の講師で来てくださったいずみ寮の横田千代子さんたちが企画をしていたものです。
性暴力の被害にあった人に対する社会の理解がまだまだ少ない。なぜか被害者のほうが社会に遠慮しなくてはならない。ほかの犯罪だったら被害者が遠慮するなんて考えられないはずなのに・・・。
被害にあった人が周囲の心ない言葉で傷つくことも多い。
私が中学生のころ、文化祭のクラス展示で、性教育の問題を扱ったことがありました。
そのときに警察の人に来てもらって、痴漢被害の問題について話を聞きました。
私も電車で通学をしていてときどき痴漢にあうこともあったので、警察の人に、「どうやったら痴漢被害を防ぐことができるのでしょう」と質問をしました。
そしたら、「女性が刺激的な服装をしないようにすることだ」という答えが・・・。
私が通学するときは当然制服だし、スカートも短くしていたわけでもなかったのに被害にあうこともあったのです。
子ども心に、それ以上話をするのがばかばかしくなった思い出があります。
今から15年くらい前のことなので、社会の認識もずいぶん変わってきたのではないかと思いますが、こんなふとした言葉の中にも、「被害者に落ち度があったんだ」という意識が感じられます。
それが被害者の心にさらなる負担をかけるものになるのでしょう。
それに、以前のブログにも書いたように、性の問題はその人の人格そのものともいえるものです。他人に勝手に入りこまれるのは許されないことです。
今回の会は、こうした性暴力の被害をなくすこと、そして被害にあった人を守るための制度を作ろうということで行われたものでした。
被害にあった人が体験談を読み上げてくれるという場面もありました。とても大変なことだったと思います。
児童虐待が社会的に認識されるようになったのは1990年代になってからだといわれています。
「親のせっかんによって子どもが死んだ」という事件は報道されても、それは「特殊なケース」だととらえられ、社会問題として認識されてこなかった。
起こってほしくないことは、なかったことにしてしまう傾向が、私達の社会にはあります。
でも、なかったことにしてみたところで、実際には起こっているのです。
起きてほしくないような出来事に向き合うのは、私達にとってもつらいです。でも、なかったことにしてしまうことによって、さらに傷つく人がどれだけいるかを考えないといけませんね。
性暴力の問題も同じだと思います。
起きてほしくない、想像もしたくないから、なかったことにしてしまう。起きた場合はきっと特殊なケースだと思っておきたい。
しかし、それによって被害者は、自分の存在そのものを否定されたように感じてしまうのです。
性暴力禁止法を作ることによって、被害者がしっかりとケアされるしくみを作ること、どれだけ大きな被害をもたらすかを社会がしっかり認識することが、この会の目標だろうと思いますが、まずは被害者の声から目をそらさずに向き合うこと、私達一人ひとりが日ごろから自分の生き方、性の問題をどうとらえているかについて胸に手をあてて考えてみることから始めるしかないのかなと思いました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
以前、私の勉強会の講師で来てくださったいずみ寮の横田千代子さんたちが企画をしていたものです。
性暴力の被害にあった人に対する社会の理解がまだまだ少ない。なぜか被害者のほうが社会に遠慮しなくてはならない。ほかの犯罪だったら被害者が遠慮するなんて考えられないはずなのに・・・。
被害にあった人が周囲の心ない言葉で傷つくことも多い。
私が中学生のころ、文化祭のクラス展示で、性教育の問題を扱ったことがありました。
そのときに警察の人に来てもらって、痴漢被害の問題について話を聞きました。
私も電車で通学をしていてときどき痴漢にあうこともあったので、警察の人に、「どうやったら痴漢被害を防ぐことができるのでしょう」と質問をしました。
そしたら、「女性が刺激的な服装をしないようにすることだ」という答えが・・・。
私が通学するときは当然制服だし、スカートも短くしていたわけでもなかったのに被害にあうこともあったのです。
子ども心に、それ以上話をするのがばかばかしくなった思い出があります。
今から15年くらい前のことなので、社会の認識もずいぶん変わってきたのではないかと思いますが、こんなふとした言葉の中にも、「被害者に落ち度があったんだ」という意識が感じられます。
それが被害者の心にさらなる負担をかけるものになるのでしょう。
それに、以前のブログにも書いたように、性の問題はその人の人格そのものともいえるものです。他人に勝手に入りこまれるのは許されないことです。
今回の会は、こうした性暴力の被害をなくすこと、そして被害にあった人を守るための制度を作ろうということで行われたものでした。
被害にあった人が体験談を読み上げてくれるという場面もありました。とても大変なことだったと思います。
児童虐待が社会的に認識されるようになったのは1990年代になってからだといわれています。
「親のせっかんによって子どもが死んだ」という事件は報道されても、それは「特殊なケース」だととらえられ、社会問題として認識されてこなかった。
起こってほしくないことは、なかったことにしてしまう傾向が、私達の社会にはあります。
でも、なかったことにしてみたところで、実際には起こっているのです。
起きてほしくないような出来事に向き合うのは、私達にとってもつらいです。でも、なかったことにしてしまうことによって、さらに傷つく人がどれだけいるかを考えないといけませんね。
性暴力の問題も同じだと思います。
起きてほしくない、想像もしたくないから、なかったことにしてしまう。起きた場合はきっと特殊なケースだと思っておきたい。
しかし、それによって被害者は、自分の存在そのものを否定されたように感じてしまうのです。
性暴力禁止法を作ることによって、被害者がしっかりとケアされるしくみを作ること、どれだけ大きな被害をもたらすかを社会がしっかり認識することが、この会の目標だろうと思いますが、まずは被害者の声から目をそらさずに向き合うこと、私達一人ひとりが日ごろから自分の生き方、性の問題をどうとらえているかについて胸に手をあてて考えてみることから始めるしかないのかなと思いました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
伝統芸能と落語の会
先日、家から私の事務所に行くためにバスに乗っていて、事務所近くの停留所が近付いてきたのでボタンを押しました。
そしてそのまますました顔して乗り過ごしました・・・寝てたわけでも酔ってたわけでも本を読んでいたわけでもなく、窓の外を見ていたのに、「降り忘れる」っていうことがあるもんなんですねえ。びっくりした。。
さて、6月19日の「伝統芸能と落語の会」の報告をします。

江古田の駅前にある、Buddyというライブハウスを借りてやりました。上の写真は飲み物や食べ物のカウンターの周辺。
私のいとこの加藤木朗が和太鼓や獅子舞、コマの芸などをやり、その幼なじみの柳家さん若(←「さんじゃく」と読みます。)が落語をやるという会です。

コマの芸

さん若さんと加藤木朗が落語と狂言風のやりとりを融合させた「草餅」のお話。

司会進行は私がやりました。
会場がほどよくいっぱいになるお客さんが来てくれました。
私は主催者だからと思って遠慮して後ろのほうの席に座っていたら、後ろに座りすぎてよく見えなかったのですが(^^;
でも文化センターやゆめりあホールを使って、きちんとした舞台としてやるのとはまた違う、アットホームな雰囲気でよかったなと思いました。
朗さんとさん若さんは、2人とも親御さんが「わらび座」という劇団の団員だったので、生まれた時からその中で一緒に育ちました。親が劇団の仕事をしているあいだは、子どもたちは兄弟のように一緒に過ごすような環境だったようです。
さん若さんは、文化センターの和力の公演があるときなどにお客さんとしていらっしゃって、私は顔を合わせてご挨拶するというくらいのかかわりでした。
昨年、私が水俣に行ったというブログを書いたことがありましたが、このときの和力の公演にも、さん若さんが来てらっしゃって。
そこで一緒にお昼のうどんを食べて少しお話をしたのです。
私も父も落語が好きなので、「修業は大変なんですか?」なんていう質問をして。
修業中は、偉い落語家さんが寄席にやってくると、お茶を出したり履物を片づけたり服の準備をしたりするそうです。
師匠によってお茶の好みなども違うので、全部覚えておかないといけない。
その師匠が何を望んでいるのか、しっかり目を配るのが修業のうちなのだそうで。
きっとそこで、「間」というものをつかんでいくのでしょうね。
落語だけじゃなくて、福祉でもなんでも、人と人のやりとりにかかわる仕事って、そうなんだろうなと思いながら、さん若さんの話を聞きました。
相手が何を望むのか、どうすればみんなが心地よく過ごせるのか、というのは、訓練と感性の両方がありますよね・・・。
そんなことを思っていたら父も同様のことを考えたのか、「なかなかうまくできない人もいるのではないですか?」とさん若さんに質問しました。
「いろんな面白い出来事があります」とさん若さん。
高座が終わったら、師匠は次の仕事へ向かいます。服をたたんでおくのも、修業中の「前座」の人の仕事。
お茶の濃い薄い・熱いぬるいに好みがあるのと同じで、着物のたたみ方も師匠によって違うし、そのときの状況によっても変わる。
急いで次の用事に向かわないとならないようなときには、袖の部分だけを簡単にたたむ方法をとるということもあるそうで。
このたたみ方を、「袖でたたむ」というそうです。(インターネットで調べてみたら、「袖だたみ」と言って、急場をしのぐときのたたみ方だそうです。)
あるとき師匠が「袖でたたんでおいて」と言ったら、ある前座さん、トコトコトコと舞台袖に行き、そこに座って着物をたたみ始めたとか。
「だって、[袖でたため]と言われたから・・・」とー
いやはや、修業中の大変な思い出、私のような凡人だったら「こんなに変なこともあった」と愚痴話になりがちですが、面白おかしいエピソードにしてぱっと話してくれる。しかも、昼のうどんを食べながらぱっと思いつくなんて・・・。
この人の落語はぜひ聞いてみたい。練馬で公演を実現したいと思ったのでした。
ちなみに私がよく行く大泉の飲み屋のママが見に来てくれたのですが(^^;)、「お客さんのお付き合いなんかで落語を見に行くこともあるから聞きなれているけど、さん若さんの落語は面白かった」とほめてくれました。
また企画したいと思います。
「市民ふくしフォーラム」で企画するものは、遊びの企画も勉強の企画も、基本的に私が見てみたい!聞いてみたい!と心の底から思えるものをやるようにしています。
来ていただいた方には後悔させないように頑張って企画してますから、大船に乗ったつもりでご参加ください(^^;
年末は、今後恒例にする予定(←2期目の選挙で当選しなかったら、今度が最終回になりますが 涙)のジャズを聴く会もまた企画したいと思ってます。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
そしてそのまますました顔して乗り過ごしました・・・寝てたわけでも酔ってたわけでも本を読んでいたわけでもなく、窓の外を見ていたのに、「降り忘れる」っていうことがあるもんなんですねえ。びっくりした。。

さて、6月19日の「伝統芸能と落語の会」の報告をします。

江古田の駅前にある、Buddyというライブハウスを借りてやりました。上の写真は飲み物や食べ物のカウンターの周辺。
私のいとこの加藤木朗が和太鼓や獅子舞、コマの芸などをやり、その幼なじみの柳家さん若(←「さんじゃく」と読みます。)が落語をやるという会です。

コマの芸

さん若さんと加藤木朗が落語と狂言風のやりとりを融合させた「草餅」のお話。

司会進行は私がやりました。
会場がほどよくいっぱいになるお客さんが来てくれました。
私は主催者だからと思って遠慮して後ろのほうの席に座っていたら、後ろに座りすぎてよく見えなかったのですが(^^;
でも文化センターやゆめりあホールを使って、きちんとした舞台としてやるのとはまた違う、アットホームな雰囲気でよかったなと思いました。
朗さんとさん若さんは、2人とも親御さんが「わらび座」という劇団の団員だったので、生まれた時からその中で一緒に育ちました。親が劇団の仕事をしているあいだは、子どもたちは兄弟のように一緒に過ごすような環境だったようです。
さん若さんは、文化センターの和力の公演があるときなどにお客さんとしていらっしゃって、私は顔を合わせてご挨拶するというくらいのかかわりでした。
昨年、私が水俣に行ったというブログを書いたことがありましたが、このときの和力の公演にも、さん若さんが来てらっしゃって。
そこで一緒にお昼のうどんを食べて少しお話をしたのです。
私も父も落語が好きなので、「修業は大変なんですか?」なんていう質問をして。
修業中は、偉い落語家さんが寄席にやってくると、お茶を出したり履物を片づけたり服の準備をしたりするそうです。
師匠によってお茶の好みなども違うので、全部覚えておかないといけない。
その師匠が何を望んでいるのか、しっかり目を配るのが修業のうちなのだそうで。
きっとそこで、「間」というものをつかんでいくのでしょうね。
落語だけじゃなくて、福祉でもなんでも、人と人のやりとりにかかわる仕事って、そうなんだろうなと思いながら、さん若さんの話を聞きました。
相手が何を望むのか、どうすればみんなが心地よく過ごせるのか、というのは、訓練と感性の両方がありますよね・・・。
そんなことを思っていたら父も同様のことを考えたのか、「なかなかうまくできない人もいるのではないですか?」とさん若さんに質問しました。
「いろんな面白い出来事があります」とさん若さん。
高座が終わったら、師匠は次の仕事へ向かいます。服をたたんでおくのも、修業中の「前座」の人の仕事。
お茶の濃い薄い・熱いぬるいに好みがあるのと同じで、着物のたたみ方も師匠によって違うし、そのときの状況によっても変わる。
急いで次の用事に向かわないとならないようなときには、袖の部分だけを簡単にたたむ方法をとるということもあるそうで。
このたたみ方を、「袖でたたむ」というそうです。(インターネットで調べてみたら、「袖だたみ」と言って、急場をしのぐときのたたみ方だそうです。)
あるとき師匠が「袖でたたんでおいて」と言ったら、ある前座さん、トコトコトコと舞台袖に行き、そこに座って着物をたたみ始めたとか。
「だって、[袖でたため]と言われたから・・・」とー
いやはや、修業中の大変な思い出、私のような凡人だったら「こんなに変なこともあった」と愚痴話になりがちですが、面白おかしいエピソードにしてぱっと話してくれる。しかも、昼のうどんを食べながらぱっと思いつくなんて・・・。
この人の落語はぜひ聞いてみたい。練馬で公演を実現したいと思ったのでした。
ちなみに私がよく行く大泉の飲み屋のママが見に来てくれたのですが(^^;)、「お客さんのお付き合いなんかで落語を見に行くこともあるから聞きなれているけど、さん若さんの落語は面白かった」とほめてくれました。
また企画したいと思います。
「市民ふくしフォーラム」で企画するものは、遊びの企画も勉強の企画も、基本的に私が見てみたい!聞いてみたい!と心の底から思えるものをやるようにしています。
来ていただいた方には後悔させないように頑張って企画してますから、大船に乗ったつもりでご参加ください(^^;
年末は、今後恒例にする予定(←2期目の選挙で当選しなかったら、今度が最終回になりますが 涙)のジャズを聴く会もまた企画したいと思ってます。
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近況と、6月の議会のこと
ご無沙汰しました・・・
前にも書いたかと思いますが、このところ、参議院選挙が終わった後から配る予定のチラシを作っていました。
私の1期目の活動を総括するためのものということで計画性を持って(?)作っていまして、まず「障害者政策」「子どもに関する政策」についての原稿をつくり、そして実際に障害をお持ちの方や子育て支援の活動をしている方、市民活動をしている方などを中心に原稿を見てもらっていました。
それでいただいたご意見を集約して、作り直すという作業をしていました。
6月初め頃に作った原稿とはずいぶんと中身も変えて、たぶん最初よりは見やすくなったはずのチラシが完成し、ようやく昨日、印刷を発注してほっと一息です。
いやはや、意見をいただきながら作り直すってとっても大変(><)
パブリックコメントを受けて計画を作る人の気持ちってこんな感じかしらと思いつつ・・・。
何が大変って、いただいた意見の趣旨を自分のなかで噛み砕いて理解して、どう反映させるか考えてチラシを作り直すという、物理的な大変さです。
しかし、「福祉」とか「市民活動」という点でおおむね同じ方向性を見ているだろうと思っている人に改めて意見をいただくことで、「お、意外と違う意見だったんだ」と気付くことができたり、「ああ、私にはその視点が抜けていたんだ」と気付くことができて、物理的には大変だったけど、心の中はとても楽しかったです。
1号目のチラシは、ずーっと昔にブログでも書いたことがあった、重度障害者の在宅生活の支援について、過去にどんな課題があったのか、いまだ残っている課題は何なのか、あわせて自立支援法の問題点を書いたものにしました。
7月12日から配布予定です。
予定では、来年の統一地方選までに7,8号発行したいと思っているのですが、1号作るだけでヘロヘロなので若干心配な今日この頃です・・・。
さて、6月に開かれていた第一回定例会ではそれぞれの議員が所属する委員会などが新しく決まりました。
私は健康福祉委員会と、それから昨年度に引き続き清掃リサイクル等特別委員会に所属をすることになりました。
6月の定例会はこんなふうに、人事を決める時間がかなり多いのですが、議案ももちろんあります。
特に気になる議案だったのが、リサイクルセンター条例の改正というものでした。
練馬区には今、3か所のリサイクルセンターがあります。春日町・豊玉・関町の3か所。今後大泉にも作る予定です。
ここを拠点にして、リサイクルのこと、環境のことを区民が考える機会を作っていくというものです。
具体的には、要らなくなった家具をきれいにして売ったりとか、講座をやったりとかしているということです。
以下は私が議員になる前の出来事なので、議事録などひもときながら調べたところによると・・・
1997年に開設された関町リサイクルセンターと2002年に開設された春日町リサイクルセンター。
リサイクルの問題に取り組む区民を育てるという取り組みもしてきたのでした。
それが、区立施設に指定管理者制度(それまでは公立の施設の管理は行政か公共的な法人しかできなかったのだけど、2003年の地方自治法改正によって、株式会社やNPOなども含めた民間の団体に委託できるようになったという制度)が導入されるという流れの中で、「リサイクルセンターについては、それまで関わっていたボランティアさんたちに団体を作ってもらって、指定管理を受けてもらいたい」という方向に動き出したそうです。
リサイクルに取り組んでいた人たちがみんなで話し合ってNPO法人化をして、さらに「施設管理も含めて私たちがやらなければ!」と自発的に思うに至ったのならば良いと思うのですが、当時の議会の議事録などを読むとどうやらそうではなくて、区のほうが「ぜひともやってくれ」とお願いをして団体を作ってもらって受けてもらったというような経緯があるようです。
かかわっている人たちにとってみれば、いろんな工夫をしながらリサイクルの取り組みを楽しんでいたのに、施設管理―たとえば施設を利用する区民からの苦情処理とか運営にかかる金銭の管理とか―までやるようなことになってしまったわけですね。
それで、以前のブログでも書いたことが思い出されるのですが、ボランティアというのは自発性が大事なわけです。自発性というのは「言われなくてもやるけど、言われてもやらないこと」だとものの本に書いてあったと紹介しましたが、そういう視点から考えてみると、もはや指定管理を無理やり受けてもらった時点でボランティアという形態は崩れてしまっていたといえると思います。
でもそうかといって、きちんと労働としての対価をもらって施設管理を仕事としてやっていたかというとそれとも違っていて、あくまで「有償ボランティア的」な形で、運営されていたようです。(ちなみに、かつては、事業に関わったボランティアさんがもらっていた額は時間あたり420円だったそうです。今は「どれだけ払うかは指定管理団体が決めることで、区は把握していない」と答弁していましたが・・・)
こうした過去からの経過を見てみると、どうも、区民が環境問題にかかわりたいという思いを区が安く利用しただけなのではないか、という印象を持ってしまいます。
今回の議案は直接的には、2009年に開設して直営で運営してきた豊玉リサイクルセンターに指定管理者制度を導入するための条例改正だったのですが、さらには、上記のような経過を持つリサイクルセンターを今後すべて一括して一つの団体に委託をし、一元的な管理にするというものでした。
実質的には、それぞれの地域で団体を作ってかかわっていた区民の団体は、すべてのセンターを一括して受託することは無理でしょう。
今後できる予定の大泉センターも含めて4か所を一括して受託できるだけの規模を持つ団体に任せることにするということになるのです。
今までの経過は一体何だったんだ・・・っていう感じですよね。
区が言うには、「家具の再利用事業とか講座とか、そういった事業はとてもよくやってくれていて評価しているけど、苦情処理とか会計などに課題があった。区民には今後はボランティア登録をしてもらって関わってもらうという形に変える」ということでした。
今までのとりくみに問題があったわけではなくて、今後リサイクルセンターが4か所になるし、それから今年中にオープンする予定の「資源循環推進センター」との連携を密にするためには一元的な管理にしていったほうが良いと判断しただけのことだと言います。
しかし一方で、指定管理者の状況を評価する「モニタリング評価」では、数ある区立施設の中でリサイクルセンターのみ「要改善」という低い評価にされています。
運営に関わっていた区民の方によれば、施設利用者からの苦情が合った場合には、みんなで話し合って再発防止にも取り組んできたし、大変な施設管理にもしっかり取り組んできたつもりだったのに、なぜこんな評価をされてしまうのか・・・という思いだということでした。
私はこれは、リサイクルセンターの運営に関わってきた区民の問題ではなくて、区が区民とどう向き合うかという問題を露呈しているように思うのです。
リサイクル問題にボランティアとして関わりたいと言っている人たちに無理に団体を作らせて施設管理までさせて、うまくいかなかったら自省もせずに「課題があった」と総括して今までのことをなかったことにする。
その前に、そもそも無理やり短期間で指定管理者制度に移行しようとした区が悪かったんだと反省すべきだったのではないかと思います。
こんなやり方をしていて、一方では「区民との協働」というんだから、いったい何なのか。
行政の進めたい方向にうまく乗せられることだけが「協働」であるならば、それはやはりかっこよさげに体裁を整えた「下請け」にすぎないと思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
前にも書いたかと思いますが、このところ、参議院選挙が終わった後から配る予定のチラシを作っていました。
私の1期目の活動を総括するためのものということで計画性を持って(?)作っていまして、まず「障害者政策」「子どもに関する政策」についての原稿をつくり、そして実際に障害をお持ちの方や子育て支援の活動をしている方、市民活動をしている方などを中心に原稿を見てもらっていました。
それでいただいたご意見を集約して、作り直すという作業をしていました。
6月初め頃に作った原稿とはずいぶんと中身も変えて、たぶん最初よりは見やすくなったはずのチラシが完成し、ようやく昨日、印刷を発注してほっと一息です。
いやはや、意見をいただきながら作り直すってとっても大変(><)
パブリックコメントを受けて計画を作る人の気持ちってこんな感じかしらと思いつつ・・・。
何が大変って、いただいた意見の趣旨を自分のなかで噛み砕いて理解して、どう反映させるか考えてチラシを作り直すという、物理的な大変さです。
しかし、「福祉」とか「市民活動」という点でおおむね同じ方向性を見ているだろうと思っている人に改めて意見をいただくことで、「お、意外と違う意見だったんだ」と気付くことができたり、「ああ、私にはその視点が抜けていたんだ」と気付くことができて、物理的には大変だったけど、心の中はとても楽しかったです。
1号目のチラシは、ずーっと昔にブログでも書いたことがあった、重度障害者の在宅生活の支援について、過去にどんな課題があったのか、いまだ残っている課題は何なのか、あわせて自立支援法の問題点を書いたものにしました。
7月12日から配布予定です。
予定では、来年の統一地方選までに7,8号発行したいと思っているのですが、1号作るだけでヘロヘロなので若干心配な今日この頃です・・・。
さて、6月に開かれていた第一回定例会ではそれぞれの議員が所属する委員会などが新しく決まりました。
私は健康福祉委員会と、それから昨年度に引き続き清掃リサイクル等特別委員会に所属をすることになりました。
6月の定例会はこんなふうに、人事を決める時間がかなり多いのですが、議案ももちろんあります。
特に気になる議案だったのが、リサイクルセンター条例の改正というものでした。
練馬区には今、3か所のリサイクルセンターがあります。春日町・豊玉・関町の3か所。今後大泉にも作る予定です。
ここを拠点にして、リサイクルのこと、環境のことを区民が考える機会を作っていくというものです。
具体的には、要らなくなった家具をきれいにして売ったりとか、講座をやったりとかしているということです。
以下は私が議員になる前の出来事なので、議事録などひもときながら調べたところによると・・・
1997年に開設された関町リサイクルセンターと2002年に開設された春日町リサイクルセンター。
リサイクルの問題に取り組む区民を育てるという取り組みもしてきたのでした。
それが、区立施設に指定管理者制度(それまでは公立の施設の管理は行政か公共的な法人しかできなかったのだけど、2003年の地方自治法改正によって、株式会社やNPOなども含めた民間の団体に委託できるようになったという制度)が導入されるという流れの中で、「リサイクルセンターについては、それまで関わっていたボランティアさんたちに団体を作ってもらって、指定管理を受けてもらいたい」という方向に動き出したそうです。
リサイクルに取り組んでいた人たちがみんなで話し合ってNPO法人化をして、さらに「施設管理も含めて私たちがやらなければ!」と自発的に思うに至ったのならば良いと思うのですが、当時の議会の議事録などを読むとどうやらそうではなくて、区のほうが「ぜひともやってくれ」とお願いをして団体を作ってもらって受けてもらったというような経緯があるようです。
かかわっている人たちにとってみれば、いろんな工夫をしながらリサイクルの取り組みを楽しんでいたのに、施設管理―たとえば施設を利用する区民からの苦情処理とか運営にかかる金銭の管理とか―までやるようなことになってしまったわけですね。
それで、以前のブログでも書いたことが思い出されるのですが、ボランティアというのは自発性が大事なわけです。自発性というのは「言われなくてもやるけど、言われてもやらないこと」だとものの本に書いてあったと紹介しましたが、そういう視点から考えてみると、もはや指定管理を無理やり受けてもらった時点でボランティアという形態は崩れてしまっていたといえると思います。
でもそうかといって、きちんと労働としての対価をもらって施設管理を仕事としてやっていたかというとそれとも違っていて、あくまで「有償ボランティア的」な形で、運営されていたようです。(ちなみに、かつては、事業に関わったボランティアさんがもらっていた額は時間あたり420円だったそうです。今は「どれだけ払うかは指定管理団体が決めることで、区は把握していない」と答弁していましたが・・・)
こうした過去からの経過を見てみると、どうも、区民が環境問題にかかわりたいという思いを区が安く利用しただけなのではないか、という印象を持ってしまいます。
今回の議案は直接的には、2009年に開設して直営で運営してきた豊玉リサイクルセンターに指定管理者制度を導入するための条例改正だったのですが、さらには、上記のような経過を持つリサイクルセンターを今後すべて一括して一つの団体に委託をし、一元的な管理にするというものでした。
実質的には、それぞれの地域で団体を作ってかかわっていた区民の団体は、すべてのセンターを一括して受託することは無理でしょう。
今後できる予定の大泉センターも含めて4か所を一括して受託できるだけの規模を持つ団体に任せることにするということになるのです。
今までの経過は一体何だったんだ・・・っていう感じですよね。
区が言うには、「家具の再利用事業とか講座とか、そういった事業はとてもよくやってくれていて評価しているけど、苦情処理とか会計などに課題があった。区民には今後はボランティア登録をしてもらって関わってもらうという形に変える」ということでした。
今までのとりくみに問題があったわけではなくて、今後リサイクルセンターが4か所になるし、それから今年中にオープンする予定の「資源循環推進センター」との連携を密にするためには一元的な管理にしていったほうが良いと判断しただけのことだと言います。
しかし一方で、指定管理者の状況を評価する「モニタリング評価」では、数ある区立施設の中でリサイクルセンターのみ「要改善」という低い評価にされています。
運営に関わっていた区民の方によれば、施設利用者からの苦情が合った場合には、みんなで話し合って再発防止にも取り組んできたし、大変な施設管理にもしっかり取り組んできたつもりだったのに、なぜこんな評価をされてしまうのか・・・という思いだということでした。
私はこれは、リサイクルセンターの運営に関わってきた区民の問題ではなくて、区が区民とどう向き合うかという問題を露呈しているように思うのです。
リサイクル問題にボランティアとして関わりたいと言っている人たちに無理に団体を作らせて施設管理までさせて、うまくいかなかったら自省もせずに「課題があった」と総括して今までのことをなかったことにする。
その前に、そもそも無理やり短期間で指定管理者制度に移行しようとした区が悪かったんだと反省すべきだったのではないかと思います。
こんなやり方をしていて、一方では「区民との協働」というんだから、いったい何なのか。
行政の進めたい方向にうまく乗せられることだけが「協働」であるならば、それはやはりかっこよさげに体裁を整えた「下請け」にすぎないと思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら