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「地域活性化」というテーマの会

28日の土曜日、またゲストスピーカーをやってきました。


ある日、私の知り合いの知り合いという人からメールが来て、「地域活性化」について話をしてくれないかといわれたのでした。なんでも、大学生の人たちがいろんなテーマで勉強会を始めようとしていて、その第1回目のテーマが「地域活性化」なんだとか。

「地域」の「活性化」って、いったい何のこっちゃい・・・とは思ったのですが(^^;

私を含めて3人でのシンポジウム形式でした。

ほかの2人も30代で、デザイン関係の会社を起こしている人と理系の会社を起こしている人だったのです。
熊谷玄さん
丸幸弘さん

まあ、年代が同じという共通点はあるのだけど、彼らのHPを見る限り、私と一体なんの共通点があるのか、そしていよいよ「地域活性化」って一体なにを指しているんだ!?と頭が混乱しつつ、とにかく会場に向かいました。


会場に行くとまず、熊谷さんにお会いしました。
ホームページを見る限り、とてもおしゃれな感じの活動をしていることは分かるし、雑然と資料が散乱している私の事務所と大違いで、美しい事務所の写真も載っている。で、どんな仕事をしているんですかとお聞きしたところ・・・
デザインの仕事が基本なんだけど、それを応用して地域に関わる仕事をしているんですって。

たとえばある地方で、中心市街地の商店街で火事が出て商店街がなくなってしまったそうで。
そこを再生するプロジェクトを熊谷さんが長期的なスパンで関わっている。
最終的にはその場所を使って役所的な役割とお買物ができるスペースと居住空間を作りたいという目標もあるんだけど、それが本当にその地域の人にとって必要としているものなのかどうか、確認をして合意形成を図っていく必要があるわけです。

そこで実現まではとても歳月を要するそうです。
今は、火事のあとで空き地になった場所を使って時々おまつりのようなことをやったり、キャンプファイヤーをやったりしているとか。

地域にいれば利害関係もあったり、課題解決に向けての意識に温度差もあったり、たぶん合意形成を図るのはとっても大変なことだけど、結論ありきではなくて長く関わり関係をつくり、楽しみながら少しずつ進めていく。

聞いているだけでわくわくしますよね。
みんなが眉間にしわを寄せて話し合うだけじゃなくて、キャンプファイヤーをやるなんて・・・。


地域へのかかわり方って、いろんなアプローチがあるんだなと、話を聞きました。


しばらくしてやってきたのが丸さん。
丸さんはもともと理系の大学院に所属をしているときに、子どもたちに理系を楽しんでもらえる教育をしたくて起業したんだとか。
企業に対して理系の技術的な支援をするような形でビジネスとして「食っていける」道も持ちつつ、子どもと関わることのほか、つながりの中でいろんな分野が開けていって、たとえばおいしい野菜を作って、作るだけじゃもったいないとレストランをやったり、スポーツ関係の活動をしたり、とにかく地域やたくさんの人に関わる多様な活動をしているということでした。


いやー、デザインとか理系とか、いろんな切り口から地域に関わる方法ってあるもんなんだな!と目を丸くしながらお話を聞いてきました。
もっと面白い話がいっぱいあったんだけど、あまりに奇想天外すぎて忘れてしまった・・・(><)


私がよく、「介護の仕事をしていて、課題がいっぱい見えてきて、制度を変えたり地域に面的に関わりたいと思って議員になったんです」と説明すると、「変えたいと思ったからって議員になろうと思うものかね!」とびっくりされることが多いのですが、熊谷さんと丸さんのお話を聞いて私も、「デザインから、理系から、地域に関わろうと思うかね!」と仰天しました。
それで、しみじみ思ったのは、目的を達成するための手段っていっぱいあるんだなということです。

その人の持つ得手不得手とか、元々やっていた分野とか、偶然の出会いとか、何かを始めるときにはいくつかの要素があるだろうと思います。

たぶん、興味関心の向かう方向性は、私も熊谷さんも丸さんも似ていたのだろうなと思うのですが、そんな中で私は福祉の資格を持っていたことや、政治に関わる友人がそばにいたことが、議員という道でもって地域に関わろうと思うきっかけでした。そして熊谷さんにとっては、地域に関わっていくツールがデザインだったし、丸さんにとっては理系の知識だったんですね。

ってことは、自分自身が持っている知識や経験や人脈といった「資源」と、自分自身が目指したい仕事の方向性や目標というのは融合させながら今まで誰も切り開いていない新しい分野を開拓することってできるんじゃないかな、と、すごくわくわくする気分になりました。

お2人にはまたいつかじっくりお話を聞いてみたいし、私が開催している勉強会の講師候補になりそうだな、なんて思いました。


参加していた学生さんたちも、まちづくりとか起業とか、いろんな事に関心を持ってる人が多くて面白かったです。
シンポジウムのあと、グループに分かれてお話をしたのですが、個別に話すほとんどすべての人に「なぜ議員になったのか」「議員は普段は何をしているのか」「何か壁は感じないのか」という質問をされるので、何度も何度も同じ答えを繰り返し繰り返し、すべての人に説明しなおすというのはほとんど修業のようでしたが・・・

(ブログを読んでくださっている方には、以上の質問に対する答えをわざわざ書かなくても大丈夫ですよね・・・? でも、いつもだいたいこの質問を受けるので、ホームページのどこかに「よくあるご質問」みたいなページを作ったほうが良いのかもしれないですね。)


それで、「地域活性化」というテーマについてですが、3人とも共通していた思いとしては、地域が活性化するかどうかなんてそんなに短期間に成果が出るものじゃないし、何をもって成果というのかも分からない。でも、楽しんで長い目で関わり続けることだな、という点でした。


今回の会では普段は知り合えないような人と知り合えたのは良かったです。

※かとうぎ桜子のHPはこちら
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障害者政策に関するミニ集会

いつまでも毎日暑いですね・・・。
この前、家の近くを自転車で走っていたら、何を思ったのかセミが私のわき腹に激突してきました
突然、ミーンッときたので、大変驚きました(+。+) セミも暑さでフラフラしているのでしょうか・・・。


ご報告が遅くなりましたが、この前の土曜日に障害のある人の生活について考えるミニ集会をやりました。
(集会の趣旨・日程等の詳細はこちら

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(講師として来てくださった山本創さんと私)

山本さんご自身、重症筋無力症という難病をお持ちで、使いやすい障害者制度を求めて運動をしてこられた方です。
20代の頃、就職をして一生懸命お仕事をしている中で、病気の症状が出たのだそうです。
そのときによって症状が重く出るとき、比較的楽な時があるそうなのですが、調子の悪い時には筋肉が思うように動かないために手がうまく動かせなかったりだとか、疲れやすいといった状態になるために、仕事を続けることができなかったそうです。

(ちなみに集会の日も、あまり調子が良くないということでマスクをしていらっしゃいました。)

でも一方で、症状に波があって動くことのできる日もあるので、障害として認定されなかったそうです。

一般の就労は難しいのに障害者の支援制度も使えないという谷間に落ちてしまった。そんなときに重い障害を持った当事者として、障害のある人の相談にのる活動をしている人に出会ったそうです。
そして、「今、制度に無いものは自分で作りだしていけば良いんだよ」というアドバイスをもらったことをきっかけに、活動を始めたのだそうです。

集会の前半は、そんな山本さんのエピソードや、実際に必要なヘルパーの時間数を求める運動をしてきた事例などをお話いただきました。

そして、
・障害の有無や年齢といった条件で分断されることのない、誰もが気軽に集える居場所が必要だろうということ。
・何か困りごとが生じた時に、寄り添ってともに解決に向かって歩んでくれる伴走役が必要だろうということ。(それは今、国が始めようとしている「パーソナルサポート」のしくみに期待したいということ)

といった当面の課題を整理することができました。

今回の会は、当事者が思いを語り、それ以外の区民とも意見交換するということを目的にしていましたので、参加者の方々も障害のある当事者やご家族、支援活動をしている人たちが多かったのです。後半は参加者の思いを語ってもらう時間を取りました。

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障害といっても状況は人によってさまざまです。
たとえば、障害のある子をもつ親御さんが2人来てくださったのですが、1人は今小学生の子を持つ若いお母さん。今現在、学校が終わった後に障害のある子が過ごせる居場所が少ないことに困っていらっしゃる。

もう1人の親御さんは、お子さんがもう30代半ば。親御さんはもうそろそろリタイアする年齢に近づいていて、「親の方が介護が必要になったときに子どもはどうなるのか」という心配事を持っていらっしゃる。


本当は、一通り、それぞれの持つ課題をお話いただいた上で、さらに参加者同士で意見交換をしながら深めていきたかったのですが、あっという間に時間が過ぎてしまい、深めるところまではいけませんでした。

ただ、まずは当事者が発言をしていくということがはじめの一歩としてとても大切だなということを改めて思いました。
その上で、
・今の制度に足りないものについて改善を求めて声をあげていくこと
・ふだんはなかなか障害のある人に関わりを持つ機会のない人や「大変なのは分かるけど、財源はどうなるのか」と心配する人に対してしっかり向き合い理解を求めていくこと

が、今後の私がとりくむべき課題だと思います。

特に後者(福祉を身近に感じられない人に向き合い、理解を求めていくこと)は、当事者がやるにはあまりにもしんどいことなので、議員としてたくさんの人と知り合う機会のある私がやっていかなくてはならないことだろうと思います。

今後も、政策のテーマごとにミニ集会を開催していきたいと思います。難しく政策を議論するというよりも、ふだんの生活の中で感じていることを語り合う会です。

次回は、アロマセラピーでリラックスして子育てについて語り合う会。10月3日の午後に練馬区役所の会議室で予定しています。(アロマの詳しい内容や参加費については今、打ち合わせ中。決まり次第お知らせします。)


それから、政策ミニ集会とは別に、以下のような会も企画しています。

1期目のふりかえりと2期目をめざす集会「女性が政治を変えるとき―無所属の意義」
10月23日(土)午後2時~4時 勤労福祉会館
講師:五十嵐暁郎氏(立教大学教授)


講師は、私の大学院の論文指導をしてくださった先生です。詳細を書いたちらしはこちらをご覧ください。



※かとうぎ桜子のHPはこちら

ホームページを更新しました

★最近は、私のポスターを貼っていただくお願いをして歩いていますが、区民の方とお話をしている間に蚊に食われまくってかゆいです。。

★先日、変な夢にうなされました。
区役所に車で向かう途中に車が壊れて、なぜかポニーに乗り換えるのです。目白通りをパカパカと走っていこうとするのですが、ポニーが途中で立ち止まってポケーッとよそ見をしたりするので、全然進まない。「早くしないと議会に遅れてしまう!早く走ってー!!」と言うんだけど、ポニーはぼけーっとしている・・・という。

わけが分からない夢ですが、そろそろポスターを貼ったり政策のまとめをしたりしているので、ちょっと心が追い詰められているのかもしれません・・・

★暑くても、30度の前半であれば気合でなんとか頑張れますが、35,6度にもなるとだめですね・・・。
今日は外でポスター貼りなどをするのはあきらめて、ホームページの更新をしました。

今配っているチラシに政策を載せていますが、これをホームページにも載せました。こちら

まだ簡易ですが、今後、一つ一つの政策の具体的な内容についても載せていきたいと思っています。

ブログのコメント欄でご指摘いただいたので、プロフィールのところも少し書き加えました。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

障害のある人の生活に関するミニ集会

山での火おこしのストレスでまだ胃が痛いです 今朝は夢の中でも火をおこしていました・・・。


さて、今日は集会のお知らせです。



障害があっても暮らしやすい練馬」
~あなたの声を聞かせてください~


日時:2010年8月21日(土)午後2時~4時
場所:練馬公民館2階会議室

練馬区議会の任期は来年5月まで。私の1期目の活動も終わりに近づいております。
そこで、(詳細は近日中にHPに載せたいと思っていますが)これまでの総括と次期の活動に向け、「障害」「子育て」「高齢」「雇用・貧困」「人権」「市民参加」の6つを政策としてまとめました。
今回は政策テーマの中でも「障害」について、皆さんと意見交換をしたいと考えております。

講師:山本創 氏
患者の生活・就労をつむぐ会で「制度の谷間」のない総合的な障害者福祉を求めて活動中。自身も重症筋無力症という難病の当事者。障害や病気の種別をこえて、いろいろな当事者の方とともに、生活に困ったこと、制度の紹介や手続き等の相談活動に取り組む。反貧困ネットワークにも参加。貧困・自殺・孤独死対策等、人と人とのつながりを広げる活動を模索中。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

アウトドア・・・

ようやく練馬に帰ってきました。ただいま・・・。

いとこは長野の阿智村というところに住んでいて、いとこ一家が夏休みの家族旅行に行く間に私・父・伯父が犬猫の世話に行っていました。本当は8月5日に帰ってくるつもりだったのですが、ちょうど同じ時期に福祉関係の知り合いが団体で長野に遊びに行く計画があってお誘いいただいたもので、5日から8日まで合流することになりました。

その福祉の集団(?)は、本当は8月7日から10日まで長野に来る予定だったのですが、私がちょうど5日まで阿智村にいるということを知って、一部の人が5日に先に来てくれることになったのでした。

飯田市の山奥に大平という場所があって、かつて林業をやったり、宿場として栄えていたそうです。

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しかし産業が移行してく中で集落の人が食べていく方法もなくなり、閉村することになったという経緯だそうで。
宿場としてあった場所はいろりのある昔風の家々で、これをすべてつぶすのはもったいないということで、「大平宿をのこす会」が中心になって、宿としての活用と保存を図ってきたようです。

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泊まる人は家の掃除をし、いろりに火をたいて食事を作る。自然を楽しみ、残された家を活用することによって今後も保存していこうということで。

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それで、この大平宿を使って、障害のある人たちが宿泊をするという取り組みをしたことがあるという方が知り合いにいまして、あるときの雑談の中で「加藤木さんもぜひいつか大平宿に行こう」と言われていたのが今回実現したのでした。

携帯電話も通じない山奥です。(この3日間のあいだに電話をくださった方にはご迷惑をおかけしました。)

8月5日、いとこの家から大平へと移動。
仕事の都合のある父と伯父は1泊だけ大平へ宿泊。

父は料理が大好きで、伯父は自然が大好きなので、嬉々としながら火をおこして料理を作って満足した様子で6日の朝、先に帰って行きました。

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(嬉々としている伯父の後ろ姿)


本来、来るはずだった福祉集団の後発隊は8月7日に合流する予定。

アウトドア派の加藤木家が帰ってから福祉集団・後発隊が来るまでの丸一日、私を含めて何人かが大平に残されていたのですが、この人たちが全然何もできない状態でして・・・(--;) 若干予測はしていたものの、予想以上に地獄のような丸一日でした。


実は私、今まで隠していましたが、アウトドアが大嫌いなのです(笑)
休みの日は家にこもって誰にも会わず、中島みゆきの歌でも聞いてじとーっと家にいたい。
さわやかに外で遊ぶ気がしれない。

でも、アウトドアが趣味の人を否定するつもりはないので、あんまり嫌いだと公言したら悪いなあと思って、隠していたんです(^^;

年に何回か、色んな人からバーベキューのお誘いをいただくことがあって、もちろんお誘いいただいたら都合がつく限り喜んで参加させていただくのですが、でも個人的には、なんでわざわざ外で肉を焼かなくてはならないのか理解ができない。家の中で食べればいいじゃないか・・・って。

それでも散歩とか山歩きとかはだいぶ楽しんでできるようになったんですけどね。


そんなわけですから、アウトドアの行事には、それが大好きな人に誘われてかなり消極的に参加するだけなので、私自身はまったく何もできないし、やろうとも思わなかったのです。

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(いろりの火)

いとこの家のお風呂は薪で炊いて温めるのですが、アウトドア大好きな伯父が嬉々として沸かしてくれるお風呂に「ほいほい」と入るだけなのが私です。

そんな私が、似たようなタイプの人とともになぜか山の中に取り残された格好。


しかし、火をおこさないとご飯も食えない。
イライラして、本物の火がつく前に私の頭に火がつくかと思いました(--;)

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(むかっ腹を立てながら火の世話をする私の後ろ姿)



料理はそんなに苦痛じゃなくできるけど、でも別に大好きなわけでもない。
普段だって週1回くらいしか自炊をしないというのに、せっかくの夏休みに恋人でも家族でもなんでもない人たちのためになんでせっせと料理をしてやらなくてはならないのかと思うとまたイライラ(苦笑)


結局、試行錯誤の末、火は起こせるようになりました。
山登りだろうがバーベキューだろうが、火がおこせなくて困ったら私を呼んでくれ、どんとこいだ、という感じです。でもできるようになったからといって全然、アウトドアが趣味にはなりそうもないです。仕事に近い義務感で火をおこし料理をした感じです(^^;

7日に合流した福祉集団・後発隊はアウトドア派が多かったので、地獄の苦しみは1日で無事、終了しました。

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(後発隊が来てホッとした団欒)


いやはや、しかし、人には本当に得手不得手というものがあるものですね。私はアウトドアはなんとなく「食わず嫌い」なのかなと思っていたのですが、どんなにやっても好きにはなりませんでした・・・普段のお仕事以上のストレスでした。。さながらドラマの「北の国から」で、幼い純君が初めて北海道の山奥に移り住んだ時の気分でした。

私は過度のストレスがたまるとまず自律神経がおかしくなってきて胃腸を壊しまして、それもさらに超えてくると、「電気を消したかしら」「戸締りをしたかしら」「もっと手を洗いたい」ということが執拗に頭をもたげてくるという神経症のような状態になるのですが(^^;)、何年かぶりにそれに近い状態になってげんなりしながら東京に戻ってきました。

そうだそうだ、私はこの神経質なところをごまかすために普段は努めてポケーっとしていたんだよなあ・・・などと、自分の弱点を改めて思い出してさらにぐったり。

あーあ、私はさわやかな明るいアウトドア派にはなれないわ、とぐったりして、しばらく家に引きこもりたい気分で、休みに行ったのかストレスを溜めに行ったのか分からない状態ですが、なんとか気分を入れ替えて明日からは通常業務に戻ります。
やれやれ。


でも、アウトドアが得意な人たちと一緒に行きさえすれば、大平は涼しいし自然もいっぱい、お水もきれいなとても素敵なところでしたよ。自然大好きな人はぜひおすすめです。

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※かとうぎ桜子のHPはこちら

共生社会についてのセミナー②

長野に来て私は何をしているかというと、パソコンでチラシを作って印刷屋さんに発注したり、その印刷物を送る宛名を準備したり、今後の集会の会場を予約したりしています・・・場所が事務所から長野に変わっただけで、あまりふだんの生活と変わらないのですが、ときおり猫とたわむれたり田んぼを見たりで少しほっとした時間をもてています。

パソコンや携帯があるから、どこでも仕事ができちゃうのですが、でも逆にそうじゃなければ忙しくて長野に来ることなんてできないから、「パソコンのせいで休めない」ともいえるし、「パソコンのおかげで休めた」ともいえる・・・。

2年前にきたときは、寒く感じるほど涼しかった長野ですが、今年はあまり涼しさを感じません(^^;
ほんとに今年は全国的に暑いのですねぇ・・・。


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8月中旬から配る予定のチラシをようやく完成させたのですが、その下書き原稿を踏んづける猫。



さて、前回のブログの続きです。

鉄道弘済会で主催した「共生社会への道筋」というセミナーへ参加してきましたが、午後は幾つかのテーマごとの分科会に分かれました。

私が参加したのは、ハンセン病当事者の森元美代治さんが出ている分科会。そのほかに、埼玉のほうで活動しているほっとポットという路上生活者支援の団体の方と、神奈川で外国籍住民の方の支援をしている方の3人がシンポジウムの形式でお話をしました。


まずハンセン病問題は国内で新しい患者が出ることはもうないので、森元さんはNPOを立ち上げて、今でも患者が出ているほかの国の支援をメインにやっています。ネパールなど、他の国の状況を見に行くことが多いということでした。
他の国では今でも患者が出る状況があり、そして療養所も貧しい状況にあるんだけれども、でも患者は子どもを生むこともできるし、病気が治ったらそこで看護師さんになったり他の職業について生きていくことができるというのが日本のハンセン病患者との大きな違いだというお話をしてくれました。


路上生活の問題は、複合的な課題が重なっている場合が多い。たとえば、もともとアルコール依存の問題を抱えていた人が年をとって認知症の症状ももち、そして路上で生活をしているというケース。
高齢者福祉の対象となる状況でありながら、アルコール依存の治療ができるような環境はなかなか得られないのでサービスにつながりにくい。そして路上生活で住民票を持っていないからサービスにつながりにくい。
(そういえば、前々回のブログで書いた子どもがネグレクトで亡くなった事件も、児童相談所が「住民票がなかったから把握できなかった」と言っていたという報道がありましたね。本当にそんなことを言ったのかどうか、直接大阪市の児童相談所に確認したわけではなく、報道で知るしかないので分かりませんが、これも住民票がないことを理由に制度につながらなかった深刻な事例と言えますね。)

経済的にも環境的にもある程度、整った状況にある人が制度に位置づけられた福祉サービスを利用し、本当に社会とのつながりが途絶えて貧困な状態におかれた人は制度的に保障されていない支援や、さらには非合法的なネットワークのなかに入らざるを得ないという理不尽さも見えてくるというお話もありました。


次に外国籍住民の支援をしている人の話。

労働力として求められたり、結婚相手として求められたり、さまざまな理由で日本に住むことになった外国籍の人がたくさんいます。しかし、例えば子どもを生んで子育てに悩んだり、言葉が通じないことや文化の違いに苦労したり、DVの被害にあったり、といったような状況のときにどこに相談できるのかというのがとても難しいようです。
多くは民間で対応をしてきている。というのは、法律に位置づけられる福祉制度が適用されるのは「日本国民」が前提になっているから。


これら3つに共通するのは、今ある制度に人をおさめようとするのではなく、今現実に生きている人が何に困っているのかを見ていかなくてはならないということ。
ハンセン病は法律に基づいて隔離をすることによってその人たちが本当に求めていた生き方を見つめずにきてしまった。路上生活者は「住民票が無いから」とか「起きている課題が複数にまたがっていて全部を支えきれない」ということを理由にして福祉的支援から抜け落ちていってしまう。いろんな理由で外国の人が日本に住む機会は増えてきているのに、日本国籍住民しかいないことを前提に作られた様々な制度の見直しが行われていない・・・など。


そして、ひとつひとつの事例をとらえれば、その人その人個人の問題に見えたとしても、それが社会全体の問題であると認識していくことが必要であること。

本来は当事者が発信できる力を取り戻すことが大事なのでしょうが、しかし、当事者はとてもじゃないけど社会に訴えられる余裕が無かったり、あまりにひどい状況でその力を奪われていることもあるので、少なくとも当面は支援する側が代弁して社会に課題を訴えていく必要があるということ。


制度の中でおさめようとせず、だれも見向きもしない数少ない一人の困りごとにしっかり耳を傾けるのがソーシャルワーカーの仕事であるだろうということを改めて思いました。

一方でこの研修の前日に受けていた保育に関する研修で、現場の保育士さんたちが本当に真摯に試行錯誤しながら子ども達と向き合っている姿も見てきました。
専門職も一人ひとりの課題に向き合えば、その解決にむけて取り組むことが先になるから、それを社会に向かって訴えていくだけの余力は残っていないというのも分かる気がします。

でも、まだまだ制度外で困っている人は私達のすぐ隣にたくさんいます。一人ひとりの状況をよく知り、ともによりよい社会を目指していかなければ、顔の見えないひとくくりにされて、「財源不足」などで福祉がさらに切り下げられてしまうと思うのです。
福祉制度が切り下げられるギリギリになってあわてて運動するのではなく、日ごろから、個人情報の問題にも配慮しながらも、一人ひとりがどんな問題に困っているのかをより広い社会全体に訴えられる力を、福祉の関係の人達みんなで築き上げていくしかないのかなというのがこの数日間の研修を受けて改めて心に残った思いです。

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この研修の資料を踏む猫。・・・資料を床に置く私がいけないのですな・・・。


※かとうぎ桜子のHPはこちら

共生社会についてのセミナー①

8月2日の夕方から私の夏休みに突入させてもらいました。数日間、長野のいとこの家に滞在します。

だんだん自分の選挙も近づいてくるし、ちょっとほっとできるお休みを取れるのもこれでしばらくはないかもしれないなあと思っているところ・・・。

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いとこの家で、新聞の上で眠る猫。カメラを向けたら薄目をあけてしまったので、人相(?)が悪いですが。



さて、7月29日に受講してきた、鉄道弘済会の研修のことを書きます。

ほんとは2日連続だったんですが、30日は清掃リサイクル等特別委員会があったので、29日のみ受講。

テーマは「共生社会への道筋」というものだったのですが、分科会の講師としてハンセン病の当事者に来てほしいという話があって、いろいろなつながりから、私が森元美代治さんという当事者の方をご紹介したのでした。

まあ、紹介したんだから当日まで見守らなくては・・・と思って行きました。


まず基調講演で星加良司さんという、ご自身も視覚障害のある方が「共生社会とは何か」というテーマでお話をされていました。
私はこの日の朝、保谷駅でチラシ配りをしてから行ったものですから、開始時間に遅れてしまい、そして睡眠不足で若干記憶も飛んでいるのですが(^^;)、でも興味深いお話でした。


話の要旨はこんな感じです。

長い間、社会の中では、障害のある人は障害の無い人に比べて低く見られてきた。けれどもその分、救済すべき存在とも見られてきた。
仕事をして自活をすることが生きることの前提となるならば、仕事をせずに支援を受けることは「特権」のように見られるはず。「特権をもって、ずるいじゃないか」と。
でもそうは言われずに支援の対象となってきたのは、障害のある人やなんらかの福祉の支援を受けている人を対等な存在としてではなく、低く見ることによって納得してきたからなのではないか。

障害があろうとなかろうとみんな同じ、対等な人間としてともに生きるんだということが言われるようになると、「じゃあなぜ支援を受けられる人と受けられない人が出てくるのか。障害がなかったとしても生活に困っている人もいるのに、障害があるからというだけで支援を受けられるなんて、ずるいじゃないか」という意見がまた頭をもたげてしまう。

社会のしくみとしてあきらかに障害者への排除が働いている場合には、制度を変えるなどの方法で改善させることができるけれど、一見、「包摂」しているかのように見えながら、実際のところは排除の構造は変わっていないとなると、かえってそのほうが解決しがたい課題として残ってしまうのではないか。

そこで、その後に進むべき選択肢は2つ。ひとつは、やっぱり障害があろうがなかろうが対等に生きようと言うこと自体が無理だったんだとあきらめてしまうこと。でも、そんなの、おかしいですよね。

もうひとつは、今までとは違う新たな価値観を作っていくこと。
たとえば、長年の風習とか慣習にとらわれないとか。
障害のある人が「異なる存在」のように見られてしまうのは、多数派が作りあげてきた慣習に収まりきることが難しいから、ということもあるでしょう。
たとえば、食事をするときに食器で音をたてないというマナーがあると、耳の聞こえない人は音がたったことにも気付くことができないから、ここでとても大きな困難と冷たい目にぶつからざるを得ない。
コミュニケーションのしかた・・・目をあわせてにっこり笑う、けれどもあまりじろじろ相手を凝視しないのがマナー、というようなことが前提にあると、自閉症の人などにはとても大きな壁になってしまう。

こうした、ふだんの生活の中の、ほとんど無意識なほどの習慣が、その習慣を持たない人(文化的に持ったことが無い人も、心身の状況によって持つことができない人も)を無意識に区別し、差別することにつながっているならば、これはとんでもない大きな壁です。
そうした「健常者の価値基準」をいったん脇において見ていくという努力が必要になってくるのかもしれないわけです。

つまり、何をもって対等な存在とみなし、ともに生きるというのはどういうことなのかを改めて考え直すことが必要なのでしょうね。



これはとても大きな壁で、さあどうしたらいいのかというと、私には分からなくなってしまいますが・・・。でも、改めて考えてみる必要があることなのかもしれないですね。

なぜ、「ともに生きる」ということが困難なのか、ということについて、ご自身も障害があるからこそ思い至るお考えなんだろうなと思いました。

ここまで書いたら長くなってきたので、肝心の森元さんの分科会については次回に回します(^^;

※かとうぎ桜子のHPはこちら

区長のつどい

先週受けた研修の報告を書きたいのですが、先に書きたいことが次々と出てきてしまったので、研修のことはちょっと置いておいて、この次にまわします。

今日は区長のつどいのことを書きます。

土曜日に大泉の勤労福祉会館で「区民と区長のつどい」というのがあったので、見に行ってきました。

今年度は福祉のまちづくり推進条例ができたので、「福祉のまちづくり」というのが今回の会のテーマでした。

会場が大泉なので、外環のこととか、関越の高架下に高齢者センターを作るという計画が心配だ、というような参加者の意見が出ていました。


今、練馬区は関越の高架下(大泉学園町の地域)を活用して、あいている空間に建物を建ててリサイクルセンターや高齢者センターにしようという計画を出しています。

地域に住んでいる多くの人は、突如出された計画にびっくりして不安を感じています。

「なんで高齢者を高速道路の下に入れるのか」という不安や心配だとか、「高架下をふさぐことによって見通しも風通しも悪くなる」という不安などが出ています。

あいている空間を活用するにしても、そもそもどんな方法があるのかをみんなで話し合うべきだと私も思います。
今は空間に入れないようにネットが張ってあるけれど、それによるメリットとデメリットは何なのか。
どういう使い方をしたら安全で快適なのか。
などなど、まずは現状の課題の整理から地域住民と話し合う必要があるはず。

そんな経過が背景にあって、参加者から出た質問がありました。

参加者の方は、「練馬区は区民の参加・参画、協働というけれど、いつも計画を決めてから出してきて「理解しろ」という。本当に区民と対等な立場で政策を決定していくならば、まったく白紙で【これからどうしていこうか】というところから地域住民と話し合うべきでは」という趣旨のことをおっしゃいました。


それに対して区長の答えは、
「まったくの白紙のうちに話し合いを持ったら、大変なことになってしまいます。」と。

具体的に何がどう大変なのかはおっしゃらなかったけれど、とにかく何の案もないのに話し合いをしてもどうしようもないから、行政がある程度の計画を出してから説明会などをするんだということです。

でもそれならばその計画は完全にたたき台という位置づけで、住民の意見が出る中で大きく変更もあり得るのならばまだしも、だいたい今まで、一度行政が出してきたものが大きく転換をしたことはほとんどないと思います。

結局のところ、区民は行政が出してきたもののレールのうえに乗れる範囲で「協働」をしてほしいということなんですよね。


しかし、白紙から議論することによって生じる「大変なこと」って、具体的にはいったいどんなことなんでしょうね。乱でも起きるってことかしら(^^;
区長の頭のなかでどんな事態が想定されているのかはさっぱり分かりませんが、いずれにしても「白紙の状態で区民と話し合ったら大変なことが起きる」と思っているというのは区民を信頼していないということなんだろうなと思います。対等な立場の相手に言う言葉でもないですしね。


区長は議会でほとんど言葉を発しないので、ふだん何を思っているのかなかなか知る機会がなかったのですが、そうかー、こういう風に考えていたんだなあというのは、発見でした。

保育園民営化でもなんでも、ドンと計画を出してぐいぐい進めて、区民がとてもついていけない状態になるということがとても多いので、なんでなんだろうとずっと思っていました。

市民参加で区政を作るのはたしかにとても難しいと思うのです。
行政の人も議員も、お給料をもらって仕事として、時間をしっかり確保して区政に関わっているから、時間を割いてじっくり考えることができる。
でも市民はみんな自分の仕事は別に持っていたり、現に困っていることがあって区政にアプローチしてくるわけだから、時間的な余裕ということだけ考えてもなかなかじっくり時間をかけて区政に向き合うことは難しいでしょう。

私もいろいろ地域で勉強会を企画してみていますが、なかなかみんなで政策提言をまとめるというところまでは至らないのです。まずはともに課題について勉強をするところから、試行錯誤しながらいろいろ取り組んでみるしかないと思って、いろんな方法を悩みながらやっています。

だけど、市民ひとりひとりが区政(もちろん都政や国政も)を自分のものとして考えて、少なくとも自分の生活に関わる部分(たとえば子育て中の人ならば子育て政策)だけでも自ら決定していく社会を目指したいと思っています。


だから、たとえすぐにうまくはいかなくても、みんなで築く社会を目指して頑張ってみるしかないと思うのです。

それなのに、まず最初から「計画を立てる前の段階から区民が関わったら大変なことになる」という考えが前提で取り組んでいるんだとしたら、絶対に、決して、今以上の発展はしないでしょうね。


今までも、いろんな問題を見る中で感じてはいたことだったけど、改めてはっきりと区長の口から言葉で聞くと、あーあ、がっかりだね、って気分です。


※かとうぎ桜子のHPはこちら

大阪の子どものネグレクトの事件

大阪のほうで、2人の子どもが死んで発見され、親が逮捕されたという事件が報道されています。

亡くなった兄弟の、お姉ちゃんの名前が「桜子ちゃん」だったそうです。3歳。
たぶん、そのころ桜子という名前の主人公のドラマの人気があったから、今3,4歳くらいの子どもの名前で「桜子」というのはそんなに珍しくないのかもしれませんが、でもそんなにたくさんある名前でもないので、目に留まりました。

そして改めて新聞報道に目を通しましたが、書いてあるわずかな内容から想像するだけでも心の締め付けられる事件です。

まず、虐待で重篤な事件が起きる多くの場合は、関係者は頑張ろうとしていても人手不足でどうにもならないということが多いんですが、この事件はさすがにもう少し打つ手があっただろうという気がしてなりません。

時系列的に順番に書きたいと思います。

まず、新聞記事から判断するところによると、お母さんは19歳か20歳くらいで結婚して、たぶん20歳のときに「桜子さん」を出産。21歳か22歳で弟を出産しています。そして、この2番目の子が生まれるか生まれないかという時期に離婚して、ひとりで子育てを始めます。
離婚して半年くらいで風俗の仕事を始め、その半年後くらいからネグレクトが激しくなり、1歳と3歳の子どもを家に放置して戻らなくなってしまったようです。

この事実だけ並べてみても、2人の子が死ぬというひどい事態に至ったのは、お母さんだけのせいだと思えますか?私は、お母さんがかわいそうでならない気持ちです。逮捕された今の段階でお母さんはまだ23歳です。

23歳といえば、大学を出ていれば社会人1年目です。たくさんの社会の壁に初めて立ち向かう時期だけど、実家から通っていればまだまだ楽ができます。外でどんなにつらくても、家では家事は親御さんがやってくれるから。愚痴だって、家族が聞いてくれます。いくら外でつらいことがあっても、支えてくれる人がいる。
ちなみに私自身は19歳の時に母が亡くなって、父も祖母の介護をしていて私は実質一人暮らし状態だったのでちょっと違うのですが、私の大学の友人たちの多くは、少なくとも20代前半のうちは家事も精神的にも親に支えられている、という感じでした。

同年代の人を見ればかたやそんな生活をしている人もいるのに、2人の子どもを抱えてひとりぼっちで生きていかなければならないなんて、どんなにつらかっただろう。
性を売らないと生きていけないのです。お金の面でも子育てでも精神的な部分でも、誰も助けてくれないし、愛してもくれない。本来は愛を分かち合うはずの性行為を商品にしないと生きていけない。じゃあそもそも、目の前にいる2人の子どもも本当に[愛の証]だったのだろうかとさえ疑ってしまうかもしれない。性行為なんて所詮、性欲のはけ口でしかなかったのかもしれない、と。子どもが生まれたのも、その結果に過ぎないのかもしれない・・・。

そして、誰も自分を愛してくれないのに、子どもは自分に愛を求めてくる・・・。

子どもを放置した理由について、「子どもがいなければ良いと思った」という趣旨の供述をしていると新聞に書いてありました。

これをそのまま言葉通りに受け取って、「わがままな母親だ」と思うのはあまりにひどいと思います。

どうしてお母さんがそう思ってしまう前に誰も手を差し伸べられなかったのか。なんで子どもを抱えて性を売っている女性を誰も助けることができなかったのか。私たちはお母さんを責めるのではなく、自分自身を責めるべきだと思うのです。

新聞記事から客観的に判断できるのはこの程度のことですが、さらに考えれば、かなり若い年齢で結婚・出産をするに至るまでには、もしかしたら若いうちから親に頼って生きられないような理由があったのかもしれない、ということも少し気にもなります。

児童相談所は、何度か「子どもがひどく泣いている」という匿名の通報に従って訪問をしたけれど会えなかったと言っているそうです。そりゃあ親は子どもを置き去りにしていないのだから、いくらノックをしても出てこないでしょう。出てこなかったとしても、部屋のドアを開ける方法があるか、本当に子どもがいるかどうか、確認すべきだったと思います。


児童相談所が通報を受けていながら対応しきれなかったのは、2人の子どもが何カ月かの苦しみを味わいながら衰弱死をしてしまったというとても重い事実とあわせて、誰からも愛情を感じることのできない状態に追い詰められたお母さんを救うことができなかったという点でも、とても責任が大きいと思います。


やはり、福祉の問題―特に虐待やDV、貧困等の問題を考えるとき、性的搾取の問題に踏み込んでいくことがとっても必要なことだろうなと改めて思います。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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