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ブログのページをお掃除しました
ブログの体裁をちょっと変えました。
リンクの欄や並び順などもちょっと整理しまして、私のツイッターとmixiのページにつながるリンクを載せました。
しかし、最近、ツイッターとかmixiとか、あとグリーとかFacebookとかもちょっといじってみたんですけど、なんか、あまり意識せずに全部つなげちゃうと結構怖いなって気がします。個人情報が全部つながってしまいそう。
趣味とか生活のリズムが全部記録されてしまう可能性もあるし、Facebookなんか勝手に「私の友達の可能性のある人」を探しだして示してくるので、ちょっと気持ち悪くて活用できません(苦笑)
私なぞは議員なので自分の個人情報はある程度すでに流出してるからまあ良いんですが。
ただその分、私の仕事とはまったく関係のない友人とか、信頼関係を持って安心して一緒に酒を飲んでいる仲間が誰なのかということは特定されないように私なりに明確に切り分けているつもりなんです。
(たとえば前回、前々回に友人のことを書きましたが、その「Nさん」が男性なのか女性なのかも書いていないでしょう。)
でもこれって、皆さんも気をつけたほうが良いような気がするんですけど、どうでしょう。
情報の便利さを求めすぎると、自分の生活パターンとか食べ物の好み、趣味、友人関係とか家族関係とか恋人のこととか、全部が一元的に管理されかねない怖さを私は感じるんですけどね・・・。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
リンクの欄や並び順などもちょっと整理しまして、私のツイッターとmixiのページにつながるリンクを載せました。
しかし、最近、ツイッターとかmixiとか、あとグリーとかFacebookとかもちょっといじってみたんですけど、なんか、あまり意識せずに全部つなげちゃうと結構怖いなって気がします。個人情報が全部つながってしまいそう。
趣味とか生活のリズムが全部記録されてしまう可能性もあるし、Facebookなんか勝手に「私の友達の可能性のある人」を探しだして示してくるので、ちょっと気持ち悪くて活用できません(苦笑)
私なぞは議員なので自分の個人情報はある程度すでに流出してるからまあ良いんですが。
ただその分、私の仕事とはまったく関係のない友人とか、信頼関係を持って安心して一緒に酒を飲んでいる仲間が誰なのかということは特定されないように私なりに明確に切り分けているつもりなんです。
(たとえば前回、前々回に友人のことを書きましたが、その「Nさん」が男性なのか女性なのかも書いていないでしょう。)
でもこれって、皆さんも気をつけたほうが良いような気がするんですけど、どうでしょう。
情報の便利さを求めすぎると、自分の生活パターンとか食べ物の好み、趣味、友人関係とか家族関係とか恋人のこととか、全部が一元的に管理されかねない怖さを私は感じるんですけどね・・・。
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2,30代の雇用と健康の問題
前回のブログに書いた、友人のお通夜に昨日、行ってきました。
同級生たちと思い出を語り合ってきましたが、悲しみを表に出すのって、難しい・・・。悲しいということを口に出したら心がぱんとはじけて崩れてしまいそうで、みんな、いつもどおりに楽しい風で話をしていました。
悲しい思いがうまく発散できません。夏の酷暑の疲れとあわさって近いうちに体調を崩すのではないかという予感がしますが、定例会が終わるまではなんとか気力で乗り切りたいと思います。
死んでしまったNさんと一緒に増上寺を散歩したこととか、慶応の隣にあるひどい大量のラーメンを食べたこととか、Nさんとの個人的な思い出を心に浮かべて悲しいのはもちろんありますが、それ以外にも悲しいような悔しいような怖いような、そんな理由が2つあります。
1つ目は、仲間同士の支え合いがNさんの健康を守れなかったこと。
今回のことではっと思い出したのですが、私の母は典型的に地域とも友達とも家族とも制度とも関係が切れているようなタイプの人でした。
あまり体が丈夫ではなかったので、一人の子どもだけ出産して専業主婦をしていました。
子ども(私)に対して干渉をしすぎる。子育てのことを自分の親に頼れない。地域でもちょっと関係がこじれるとすぐ付き合うのが嫌になってしまう。短大時代の友達のことは大事に思っていたけど、友達はみんなお仕事をしているのでだんだん話題も会える時間もずれてしまって疎遠になってしまった。
体調が悪いのに「寝ていれば治る」と言って病院に行かなかった。
もっと早く病院に行ったり周りに相談していればたぶん死ななかったと思うのです。
母が人に相談することもできず孤立するタイプの人だったことが、私が福祉の仕事、議員の仕事をするようになったきっかけだったのではないかということに、今ハッと気が付きました。
それだから私は、仕事では「孤立しがちな人が相談できる体制を作りたい」と思ってきたし、プライベートでは一度親しくなった友達とのつながりを極力切らないようにしてきたんだなあと。
「誰にも相談できない」ということは、人の命に関わることがあるから。
時々、友達なんかと連絡が取れないときに、「死んじゃったのかと思って心配した」と言ってしまうことがあるのですが、それは悪い冗談で言ってるわけではなくて、本当に、親しい人が死んでしまったらどうしようといつも心のどこかで思っているからなのです。
大学のゼミでは私が代表をしていることもあって、とにかくゼミのメンバーは卒業してからこれから先もずっとつながりが続くようにという思いで、交流のイベントを続けてきたつもりだったので、そこで死んでしまう人がいたこと、そして死ぬまで不調に気づかなかったことが本当に悔しいです。
しかもNさんは、私達のような友人との関係だけではなくて家族との関係も切れてはいなかった。だったら一体どうすれば良かったんだろうか・・・と思ってしまう。
それから2つ目に悲しく感じたのは、20代、30代の人が、年齢の近いNさんの死に触れた時に、なんとも言えない独特な感情を持っているように感じたことです。
私は悲しみを自分の体に溜めこまないために、このことについてできるだけたくさんの人と話したほうが良いように思って、周りの人にも話したし、ブログにも書いたのですが。
それに対する反応が、2,30代の人とそれ以上の年代の人と、少し違うような気がしたんです。
Nさんが死んでしまった話をしたときに、2,30代の人たちは、「私たちは健康や命が日々蝕まれている」という感覚を、他人事ではなく「自分にも起こり得る」深い痛みとして感じ取っているような気がしました。具体的にどういう感じなのか、うまく言葉にはできないのですが。
それはNさんとは直接の知り合いでない人であっても同様でした。
そこで感じたこと。
一般的に若い人たちは非正規雇用の人が多くなっていると言われていますが、一方で正規の仕事を得た人たちは自分の健康を侵しながら走らざるを得ない環境にあるのではないか。
普段、若い人たち同士で酒を飲んで馬鹿話をしていれば難しい話はしないけど、Nさんの死にふと、自分自身が普段感じている不安を投影するような気持ちが働いたような気がします。
これは直接に言葉として表現されて現れ出たわけではなくて私が感じただけだし、ましてや数字で測れるものではありません。
だけどそんな思いがひたひたと若い世代に影のように広がっているとしたら・・・と想像すると、なんだか怖いなと思ったのです。「それ」がジワリと広がり社会全体に広がる大きな影になってしまっているとするならば、「友達とのつながり」といったようなものだけでは防ぎようがないですから・・・。
いったいどうしたらいいんだろうかと絶望的な気持ちになってしまいますが、ひとまず来週の決算特別委員会での質問では、2,30代の雇用と健康の問題について質問をしたいと思っています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
同級生たちと思い出を語り合ってきましたが、悲しみを表に出すのって、難しい・・・。悲しいということを口に出したら心がぱんとはじけて崩れてしまいそうで、みんな、いつもどおりに楽しい風で話をしていました。
悲しい思いがうまく発散できません。夏の酷暑の疲れとあわさって近いうちに体調を崩すのではないかという予感がしますが、定例会が終わるまではなんとか気力で乗り切りたいと思います。
死んでしまったNさんと一緒に増上寺を散歩したこととか、慶応の隣にあるひどい大量のラーメンを食べたこととか、Nさんとの個人的な思い出を心に浮かべて悲しいのはもちろんありますが、それ以外にも悲しいような悔しいような怖いような、そんな理由が2つあります。
1つ目は、仲間同士の支え合いがNさんの健康を守れなかったこと。
今回のことではっと思い出したのですが、私の母は典型的に地域とも友達とも家族とも制度とも関係が切れているようなタイプの人でした。
あまり体が丈夫ではなかったので、一人の子どもだけ出産して専業主婦をしていました。
子ども(私)に対して干渉をしすぎる。子育てのことを自分の親に頼れない。地域でもちょっと関係がこじれるとすぐ付き合うのが嫌になってしまう。短大時代の友達のことは大事に思っていたけど、友達はみんなお仕事をしているのでだんだん話題も会える時間もずれてしまって疎遠になってしまった。
体調が悪いのに「寝ていれば治る」と言って病院に行かなかった。
もっと早く病院に行ったり周りに相談していればたぶん死ななかったと思うのです。
母が人に相談することもできず孤立するタイプの人だったことが、私が福祉の仕事、議員の仕事をするようになったきっかけだったのではないかということに、今ハッと気が付きました。
それだから私は、仕事では「孤立しがちな人が相談できる体制を作りたい」と思ってきたし、プライベートでは一度親しくなった友達とのつながりを極力切らないようにしてきたんだなあと。
「誰にも相談できない」ということは、人の命に関わることがあるから。
時々、友達なんかと連絡が取れないときに、「死んじゃったのかと思って心配した」と言ってしまうことがあるのですが、それは悪い冗談で言ってるわけではなくて、本当に、親しい人が死んでしまったらどうしようといつも心のどこかで思っているからなのです。
大学のゼミでは私が代表をしていることもあって、とにかくゼミのメンバーは卒業してからこれから先もずっとつながりが続くようにという思いで、交流のイベントを続けてきたつもりだったので、そこで死んでしまう人がいたこと、そして死ぬまで不調に気づかなかったことが本当に悔しいです。
しかもNさんは、私達のような友人との関係だけではなくて家族との関係も切れてはいなかった。だったら一体どうすれば良かったんだろうか・・・と思ってしまう。
それから2つ目に悲しく感じたのは、20代、30代の人が、年齢の近いNさんの死に触れた時に、なんとも言えない独特な感情を持っているように感じたことです。
私は悲しみを自分の体に溜めこまないために、このことについてできるだけたくさんの人と話したほうが良いように思って、周りの人にも話したし、ブログにも書いたのですが。
それに対する反応が、2,30代の人とそれ以上の年代の人と、少し違うような気がしたんです。
Nさんが死んでしまった話をしたときに、2,30代の人たちは、「私たちは健康や命が日々蝕まれている」という感覚を、他人事ではなく「自分にも起こり得る」深い痛みとして感じ取っているような気がしました。具体的にどういう感じなのか、うまく言葉にはできないのですが。
それはNさんとは直接の知り合いでない人であっても同様でした。
そこで感じたこと。
一般的に若い人たちは非正規雇用の人が多くなっていると言われていますが、一方で正規の仕事を得た人たちは自分の健康を侵しながら走らざるを得ない環境にあるのではないか。
普段、若い人たち同士で酒を飲んで馬鹿話をしていれば難しい話はしないけど、Nさんの死にふと、自分自身が普段感じている不安を投影するような気持ちが働いたような気がします。
これは直接に言葉として表現されて現れ出たわけではなくて私が感じただけだし、ましてや数字で測れるものではありません。
だけどそんな思いがひたひたと若い世代に影のように広がっているとしたら・・・と想像すると、なんだか怖いなと思ったのです。「それ」がジワリと広がり社会全体に広がる大きな影になってしまっているとするならば、「友達とのつながり」といったようなものだけでは防ぎようがないですから・・・。
いったいどうしたらいいんだろうかと絶望的な気持ちになってしまいますが、ひとまず来週の決算特別委員会での質問では、2,30代の雇用と健康の問題について質問をしたいと思っています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
友達のこと
さっき、大学の友達が死んだという連絡を受けて、ショックでぐったりしています。
あまりに突然のことで、耳の中がガンガンする感じがして、今晩は仕事になりません。
Nさんは大学に入学した時に同じクラスにいた人でした。私より何歳か年上だった。
当時の私は今よりもっとピリピリした性格だったし、基本的に根暗なので必要がなければあまり周りの人に話しかけない・・・(笑) でもNさんはそんな私にもよく声をかけてくれたものです。
専攻に分かれてゼミを選んだら、またNさんと一緒になり、2人でゼミの代表をやることになりました。
Nさんは優しいけどぽーっとした人で、ゼミ合宿のお金の徴収をどうやったら良いのかもわからないような人。
今でもゼミのみんなとは年に何回か集まるけど、Nさんはあまり動くことができず、今では幹事は私だけがやるのが当たり前、みたいになっていて。
「まったくもう!Nさんはしょうがないな!」と私が頭から湯気を出してぷんぷんしながら仕事をしていたものです。
だけど改めて考えれば、何歳も年下の私から怒られてもいつもにこにこしていて、私が「そろそろ同窓会を企画しようかな」と相談すれば「そうだね」と答えてくれる(まあ、ただ「そうだね」と返事しているだけなんだけど 笑)、私にとっては大切な存在だったんだろうなと思います。
ずっと具合が悪かったなんて、知らなかった。
仕事がかなり忙しくて無理をしているようなのは、気にはなっていました。
だけど死ぬほど具合が悪いなんて知らなかった。
なんで気づかなかったんだろう・・・。
たとえ解決はしなくても、話を聞くことくらいはできたかもしれないのに。
そしてそうやって話を聞くことが普段の私の仕事なのに。
たとえ1年に1,2度しか会わなかったとはいえ、なぜ10年来の友達の異変に気付かなかったのか。私はいったい今まで何をしてきたんだろう・・・と思うと、悔しいです。
もっとじっくり、友達の声に耳を傾けることができなかったんだろうかと。
ただ一方で、普段、どんなに困りごとを抱えていても、たまに会う昔の友達と一緒にいるときは、楽しい自分でいたいという思いもあったかもしれません。
思えば自分の心の中の深い悩みを誰にでもさらけ出す人なんていないですよね。外から見て分からなくても、誰もが何かを抱えて生きている。
何もできなかった悲しみを感じながら、「人の命と健康を守るために、友人・知人のつながりは一つの大事な要素だけど、万全のセーフティーネットではないんだな」ということをしみじみと感じているところです。
友達との関係、地域との関係、家族との関係、制度とのつながり、すべてバランスよく必要です。
せめてNさんが、私が心配するよりももっと心おだやかに最期を迎えていられたなら良いなと思うしかありません。
あまりに突然のことで、耳の中がガンガンする感じがして、今晩は仕事になりません。
Nさんは大学に入学した時に同じクラスにいた人でした。私より何歳か年上だった。
当時の私は今よりもっとピリピリした性格だったし、基本的に根暗なので必要がなければあまり周りの人に話しかけない・・・(笑) でもNさんはそんな私にもよく声をかけてくれたものです。
専攻に分かれてゼミを選んだら、またNさんと一緒になり、2人でゼミの代表をやることになりました。
Nさんは優しいけどぽーっとした人で、ゼミ合宿のお金の徴収をどうやったら良いのかもわからないような人。
今でもゼミのみんなとは年に何回か集まるけど、Nさんはあまり動くことができず、今では幹事は私だけがやるのが当たり前、みたいになっていて。
「まったくもう!Nさんはしょうがないな!」と私が頭から湯気を出してぷんぷんしながら仕事をしていたものです。
だけど改めて考えれば、何歳も年下の私から怒られてもいつもにこにこしていて、私が「そろそろ同窓会を企画しようかな」と相談すれば「そうだね」と答えてくれる(まあ、ただ「そうだね」と返事しているだけなんだけど 笑)、私にとっては大切な存在だったんだろうなと思います。
ずっと具合が悪かったなんて、知らなかった。
仕事がかなり忙しくて無理をしているようなのは、気にはなっていました。
だけど死ぬほど具合が悪いなんて知らなかった。
なんで気づかなかったんだろう・・・。
たとえ解決はしなくても、話を聞くことくらいはできたかもしれないのに。
そしてそうやって話を聞くことが普段の私の仕事なのに。
たとえ1年に1,2度しか会わなかったとはいえ、なぜ10年来の友達の異変に気付かなかったのか。私はいったい今まで何をしてきたんだろう・・・と思うと、悔しいです。
もっとじっくり、友達の声に耳を傾けることができなかったんだろうかと。
ただ一方で、普段、どんなに困りごとを抱えていても、たまに会う昔の友達と一緒にいるときは、楽しい自分でいたいという思いもあったかもしれません。
思えば自分の心の中の深い悩みを誰にでもさらけ出す人なんていないですよね。外から見て分からなくても、誰もが何かを抱えて生きている。
何もできなかった悲しみを感じながら、「人の命と健康を守るために、友人・知人のつながりは一つの大事な要素だけど、万全のセーフティーネットではないんだな」ということをしみじみと感じているところです。
友達との関係、地域との関係、家族との関係、制度とのつながり、すべてバランスよく必要です。
せめてNさんが、私が心配するよりももっと心おだやかに最期を迎えていられたなら良いなと思うしかありません。
近況
9月10日から議会が始まりました。10月15日までです。
9月の定例会は決算の審議です。質問すべきことをあれやこれやと考えていると大抵、内臓が痛くなります・・・今回の定例会こそは胃腸が痛みませんようにと願いつつ、質問の準備をしています。
9月12日に、明治大学でやっている水俣展に行ってきました。とても色々感じたので、書きたいことがあるのですが、書くのは少し先になるかもしれません。。
ついにツイッターを始めました。
流行に乗るのはあまり好きでないので避けていたんですが、食わず嫌いも嫌だなと思って。
でも使い方が分からないし、ひとことでつぶやこうとすると、私の馬鹿さ加減が余計にはっきりしてしまうので、使い方がなかなか難しいです。。とほほ。
ツイッターのページはこちら
9月の定例会は決算の審議です。質問すべきことをあれやこれやと考えていると大抵、内臓が痛くなります・・・今回の定例会こそは胃腸が痛みませんようにと願いつつ、質問の準備をしています。
9月12日に、明治大学でやっている水俣展に行ってきました。とても色々感じたので、書きたいことがあるのですが、書くのは少し先になるかもしれません。。
ついにツイッターを始めました。
流行に乗るのはあまり好きでないので避けていたんですが、食わず嫌いも嫌だなと思って。
でも使い方が分からないし、ひとことでつぶやこうとすると、私の馬鹿さ加減が余計にはっきりしてしまうので、使い方がなかなか難しいです。。とほほ。
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子育てについて語り合う会
私のHPの政策のページで、政策の詳細な内容も少しずつアップしていますので、ごらんください。
こちらから。
また、政策に関するミニ集会の第2回目、子育てに関する会を企画しました。
子育ては、乳児期・幼児期・就学後・・・というように、親御さんが感じる不安や課題は比較的短いスパンで次の段階に移ると思います。そんな中で、なかなか当事者の声を聞き、それを政策提言までつなげていくというのは、ほかの課題以上に難しいなと感じているところです。
当事者抜きに難しい政策の話をしてもしかたないので、今回の会はまず、子育てのストレス解消につながるアロマの講座を行って、リラックスしながら普段の思いを語り合う会にできればと思っています。
(ご案内のPDF版はこちらをご覧ください。)
「子育てしやすい練馬~子育てをみんなで楽しく~」
日時:2010年10月3日(日)午後2時~4時
場所:練馬区役所19階1906会議室
定員:30名(9月30日までにお申し込みください。)
参加費:1000円(アロマセラピーの実費分)
【会の趣旨】
練馬区議会議員かとうぎ桜子の願いは「ふだんのくらしのしあわせを」実現することです。
今回は「子育てしやすい練馬」をテーマに、アロマセラピーの専門家・押田朝子さんをお招きしました。
難しく「子育て」について議論するのではなく、アロマを楽しみながら、ふだんの思いを語り合いましょう。育児中もみんなが笑顔になるような、アロマの活用方法をご紹介します。
また、お気に入りの香りでルームスプレーも作りますので、お楽しみに!(小さなお子さんをお連れの方は事前にお申し出ください)
育児を卒業した方もぜひご参加ください。これまでの経験を共有する時間にできればと願っております。
【申し込み方法】
9月30日までに以下の項目をお書きの上、sakurako_happy_society@yahoo.co.jp(加藤木)までお申し込み下さい。
・名前
・住所
・電話、FAX
・メールアドレス
・子どもの保育の必要の有無(ボランティアが対応します。)
・この会を知ったきっかけ
【講師プロフィール:押田朝子さん】
「ナチュラルプランニング」代表。
英国IFA認定アロマセラピスト
アロマデザイナー
国立市を拠点に、アロマセラピーサロン「ル・マタン」を運営しているほか、オーガニック化粧品の販売、「お肌にやさしいフェイスケアレッスン」「香りで彩るアロアクラフト講座」「ベビーマッサージ」などのアロマセラピー関連講座も行っている。また、香りのプロデュースにも力を入れている。
*押田さんのホームページはこちら
※かとうぎ桜子のHPはこちら
こちらから。
また、政策に関するミニ集会の第2回目、子育てに関する会を企画しました。
子育ては、乳児期・幼児期・就学後・・・というように、親御さんが感じる不安や課題は比較的短いスパンで次の段階に移ると思います。そんな中で、なかなか当事者の声を聞き、それを政策提言までつなげていくというのは、ほかの課題以上に難しいなと感じているところです。
当事者抜きに難しい政策の話をしてもしかたないので、今回の会はまず、子育てのストレス解消につながるアロマの講座を行って、リラックスしながら普段の思いを語り合う会にできればと思っています。
(ご案内のPDF版はこちらをご覧ください。)
「子育てしやすい練馬~子育てをみんなで楽しく~」
日時:2010年10月3日(日)午後2時~4時
場所:練馬区役所19階1906会議室
定員:30名(9月30日までにお申し込みください。)
参加費:1000円(アロマセラピーの実費分)
【会の趣旨】
練馬区議会議員かとうぎ桜子の願いは「ふだんのくらしのしあわせを」実現することです。
今回は「子育てしやすい練馬」をテーマに、アロマセラピーの専門家・押田朝子さんをお招きしました。
難しく「子育て」について議論するのではなく、アロマを楽しみながら、ふだんの思いを語り合いましょう。育児中もみんなが笑顔になるような、アロマの活用方法をご紹介します。
また、お気に入りの香りでルームスプレーも作りますので、お楽しみに!(小さなお子さんをお連れの方は事前にお申し出ください)
育児を卒業した方もぜひご参加ください。これまでの経験を共有する時間にできればと願っております。
【申し込み方法】
9月30日までに以下の項目をお書きの上、sakurako_happy_society@yahoo.co.jp(加藤木)までお申し込み下さい。
・名前
・住所
・電話、FAX
・メールアドレス
・子どもの保育の必要の有無(ボランティアが対応します。)
・この会を知ったきっかけ
【講師プロフィール:押田朝子さん】
「ナチュラルプランニング」代表。
英国IFA認定アロマセラピスト
アロマデザイナー
国立市を拠点に、アロマセラピーサロン「ル・マタン」を運営しているほか、オーガニック化粧品の販売、「お肌にやさしいフェイスケアレッスン」「香りで彩るアロアクラフト講座」「ベビーマッサージ」などのアロマセラピー関連講座も行っている。また、香りのプロデュースにも力を入れている。
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