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地震で感じる課題と区行政への要望
東京では恐ろしい余震は落ち着きました。地震の当日、議会の関係で私は家を長く留守にしたため、我が家の猫はしばらくおびえていましたが、ようやくずいぶん元気を取り戻してきました。
東京にいる私たちの身体的なショックは少し落ち着いてきたかもしれませんが、しかし、それとは別に、週が明けて様々な点で混乱していますね。
まず停電のこと。
昨晩に急に今朝からの計画停電が発表になりましたが、東電のHPを見てもいまいちよくわからず、私は不安な気持ちで眠りました。
夜半になって西大泉の知り合いからメールをもらったり、練馬区の「ねりメール」という、情報提供のメルマガで情報をもらったりして、具体的に練馬のどの地域が停電の可能性があるのかということ、それに伴って西武線が運休するということを知りました。
(ちなみに、練馬区からの情報によると、東大泉1~7丁目・西大泉1~6丁目・南大泉1~6丁目・学園町2丁目・上石神井1~4丁目、石神井台1~8丁目、関町北1~5丁目、関町東1・2丁目、関町南1~4丁目、立野町が東電のいうところの「第1グループ」。旭町2・3丁目が「第3グループ」だそうです。)
月曜日はいつも大泉学園駅でチラシ配りをしている日ですが、電車も止まるということでとりやめて、駅の様子だけ見に行きました。
私が行った朝8時くらいは駅への入場制限があって北口も南口も長蛇の列でした。
高齢の人たちは、「いったいなんで並んでいるんだろう・・・電気のせい?余震のせい?」という具合に、まったく新しい情報を得られていない人もいるようでした。
停電に関しては東電じたいが混乱しているようだし、練馬区のHPもアクセスしづらくなったりして、本当に混乱した一日でした。
停電すると、医療を必要とする人の状況も心配です。
病院にいればいいけど、在宅の人もいる。
福祉関係の人のなかでは人工呼吸器使用者には配慮されるんじゃないか・・・という情報が昨日は飛び交いましたが、どうやらそうではないらしい。医療機関に相談しつつ自分たちで工夫するしかないようですね。
私が介護の仕事をしていた時、人工呼吸器を使用する患者さんの介護をしていたときがありました。
ふだんはコンセントから電源をとることによって、人工呼吸器が作動して呼吸できているのですが、外出時や緊急時にはバッテリーを使うことになる。
あらかじめ充電されていたバッテリーを使って人工呼吸器を作動させるんですが、やはりコンセントから電源をとるよりパワーが弱いし、不安定で何かしらトラブルが起きたりする。
さらに電源がダメでバッテリーもダメということになったら手動のアンビューというもので空気を送ります。風船みたいな形のものを手で凹ますことによって空気を送りだして呼吸をうながすのですが、強すぎたら肺を傷めるし弱すぎたら苦しいし、本人も介助者も冷や汗をかくものです。
本当に想定もできない緊急事態ならばしかたないけど、こんな状態を「計画停電」で味わうなんて、たまらないです。
街はガソリンスタンドもスーパーも大変な混雑。なんで東京でこれほどまで・・・というほどの状態。
まずは早急に情報共有をして、不必要な混乱は抑えていくこと、医療・介護の必要な人で電力が欠かせない人への配慮のしかたを早急に考えることが必要だと思います。
それから、震災が起こった日に議会が終わってしまったので、今すぐに議会で提案できないのでここに書きますが、区の情報発信のしかたはもっと工夫が必要だと思います。
ぜひ、こうした緊急時だけでもツイッターをやるべきだと思います。
私は今までツイッターをただの簡易ブログというくらいの気持ちでとらえていました。一応私自身も始めたけど、それほど重きを置いていなかった。たまに他の会派の議員が「区もツイッターを始めたら?」と言っていたけど、私はまあやってもやらなくてもいいのではと思っていました。
けれど今回の出来事で、今ツイッターの情報共有の能力はすごいなと思いました。
11日の震災が起きた日は私は議会にいて、残念ながら区民の皆さんの生の状況を知ることはできなかったけれど、ツイッターを通じて、区民が歩いて練馬まで帰ってくる様子や、あちこちで帰宅困難者対策が行われている様子が伝わってきました。
そしてテレビなどではなかなか乗りづらい地域の情報、一人ひとりの困りごととその対策がツイッターには載りやすいことも分かりました。
たとえば、停電がいったいどこで起きるのか、テレビを見ているだけでは分かりづらかった。それが練馬区のHPに載ったので私は分かりました。でも、区民の皆さんのなかには分からない方もいた。私がツイッターを通して区の情報を書くことで初めて知る区民の方々も何人もいました。
ですからぜひ、緊急時の情報発信だけでかまわないから、練馬区にもツイッターを始めていただきたいのです。
国の省庁ではすでにツイッターで情報収集をやっているところもあるわけですしね。
別に双方向性まで活用できなくても、まずは情報発信だけでもかまわないのです。
今日、練馬区のHPにつながりにくい状況が生じていても、ツイッターには接続できました。もし区がツイッターをやっていれば、区民の皆さんはもっとスムーズに情報を得られるのです。
今、区の公式のツイッターがない状態では、とりあえず当面、私は区や西武鉄道などから得られる情報は自分のツイッターで発信するようにしますが、やはり一人の議員が情報発信するのではツイッターをやっているすべての区民には届ききれないと思います。
ツイッターを始めるのには予算は要りません。数日中に大きな余震が来るかもしれないとも言われている中です。ぜひ早急に検討していただきたいです。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
東京にいる私たちの身体的なショックは少し落ち着いてきたかもしれませんが、しかし、それとは別に、週が明けて様々な点で混乱していますね。
まず停電のこと。
昨晩に急に今朝からの計画停電が発表になりましたが、東電のHPを見てもいまいちよくわからず、私は不安な気持ちで眠りました。
夜半になって西大泉の知り合いからメールをもらったり、練馬区の「ねりメール」という、情報提供のメルマガで情報をもらったりして、具体的に練馬のどの地域が停電の可能性があるのかということ、それに伴って西武線が運休するということを知りました。
(ちなみに、練馬区からの情報によると、東大泉1~7丁目・西大泉1~6丁目・南大泉1~6丁目・学園町2丁目・上石神井1~4丁目、石神井台1~8丁目、関町北1~5丁目、関町東1・2丁目、関町南1~4丁目、立野町が東電のいうところの「第1グループ」。旭町2・3丁目が「第3グループ」だそうです。)
月曜日はいつも大泉学園駅でチラシ配りをしている日ですが、電車も止まるということでとりやめて、駅の様子だけ見に行きました。
私が行った朝8時くらいは駅への入場制限があって北口も南口も長蛇の列でした。
高齢の人たちは、「いったいなんで並んでいるんだろう・・・電気のせい?余震のせい?」という具合に、まったく新しい情報を得られていない人もいるようでした。
停電に関しては東電じたいが混乱しているようだし、練馬区のHPもアクセスしづらくなったりして、本当に混乱した一日でした。
停電すると、医療を必要とする人の状況も心配です。
病院にいればいいけど、在宅の人もいる。
福祉関係の人のなかでは人工呼吸器使用者には配慮されるんじゃないか・・・という情報が昨日は飛び交いましたが、どうやらそうではないらしい。医療機関に相談しつつ自分たちで工夫するしかないようですね。
私が介護の仕事をしていた時、人工呼吸器を使用する患者さんの介護をしていたときがありました。
ふだんはコンセントから電源をとることによって、人工呼吸器が作動して呼吸できているのですが、外出時や緊急時にはバッテリーを使うことになる。
あらかじめ充電されていたバッテリーを使って人工呼吸器を作動させるんですが、やはりコンセントから電源をとるよりパワーが弱いし、不安定で何かしらトラブルが起きたりする。
さらに電源がダメでバッテリーもダメということになったら手動のアンビューというもので空気を送ります。風船みたいな形のものを手で凹ますことによって空気を送りだして呼吸をうながすのですが、強すぎたら肺を傷めるし弱すぎたら苦しいし、本人も介助者も冷や汗をかくものです。
本当に想定もできない緊急事態ならばしかたないけど、こんな状態を「計画停電」で味わうなんて、たまらないです。
街はガソリンスタンドもスーパーも大変な混雑。なんで東京でこれほどまで・・・というほどの状態。
まずは早急に情報共有をして、不必要な混乱は抑えていくこと、医療・介護の必要な人で電力が欠かせない人への配慮のしかたを早急に考えることが必要だと思います。
それから、震災が起こった日に議会が終わってしまったので、今すぐに議会で提案できないのでここに書きますが、区の情報発信のしかたはもっと工夫が必要だと思います。
ぜひ、こうした緊急時だけでもツイッターをやるべきだと思います。
私は今までツイッターをただの簡易ブログというくらいの気持ちでとらえていました。一応私自身も始めたけど、それほど重きを置いていなかった。たまに他の会派の議員が「区もツイッターを始めたら?」と言っていたけど、私はまあやってもやらなくてもいいのではと思っていました。
けれど今回の出来事で、今ツイッターの情報共有の能力はすごいなと思いました。
11日の震災が起きた日は私は議会にいて、残念ながら区民の皆さんの生の状況を知ることはできなかったけれど、ツイッターを通じて、区民が歩いて練馬まで帰ってくる様子や、あちこちで帰宅困難者対策が行われている様子が伝わってきました。
そしてテレビなどではなかなか乗りづらい地域の情報、一人ひとりの困りごととその対策がツイッターには載りやすいことも分かりました。
たとえば、停電がいったいどこで起きるのか、テレビを見ているだけでは分かりづらかった。それが練馬区のHPに載ったので私は分かりました。でも、区民の皆さんのなかには分からない方もいた。私がツイッターを通して区の情報を書くことで初めて知る区民の方々も何人もいました。
ですからぜひ、緊急時の情報発信だけでかまわないから、練馬区にもツイッターを始めていただきたいのです。
国の省庁ではすでにツイッターで情報収集をやっているところもあるわけですしね。
別に双方向性まで活用できなくても、まずは情報発信だけでもかまわないのです。
今日、練馬区のHPにつながりにくい状況が生じていても、ツイッターには接続できました。もし区がツイッターをやっていれば、区民の皆さんはもっとスムーズに情報を得られるのです。
今、区の公式のツイッターがない状態では、とりあえず当面、私は区や西武鉄道などから得られる情報は自分のツイッターで発信するようにしますが、やはり一人の議員が情報発信するのではツイッターをやっているすべての区民には届ききれないと思います。
ツイッターを始めるのには予算は要りません。数日中に大きな余震が来るかもしれないとも言われている中です。ぜひ早急に検討していただきたいです。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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12日の集会のこと
12日におこなった集会、当然のことながら参加者は少なめではありましたが、地域に密着した政治のこと、震災を受けて私たち市民に何ができるのか、そして政治は何ができるのか、ということを参加者のみなさんとともに考える機会を持つことができました。
地震が起こる前にこの会を企画した当初、「楽しい会にするために」ということで、伝統芸能を仕事にしている私のいとこの加藤木朗さんに来てもらって、獅子舞など披露してもらう予定でした。長野から予定通り来てくれましたが、今回はただにぎやかに演技をするのではなく、それに先立ちお話をしてくれました。
この震災の中、多くの方が必要としているのはなによりも安否の情報であること。
「私はここにいるんだよ」と誰かに伝えたいのに伝えられない状況。「あの人はどこにいるのか」と知りたいのに知ることができない状況。それが何よりも苦しいことだということが改めて分かった。
自分がここにいることを伝えられない状況はとても苦しい。人と人がつながっていることはとても大切なこと。
それをスムーズにしていく活動をともに広げていけたら・・・
・・・こういった趣旨の話を、朗さんはしてくれました。
そのうえで、「こんなときこそ笑顔になってつながりあうために」と、独楽の芸や舞など、いくつかの芸を披露してくれました。
それから、今、大泉を中心とした街に私と本庄有由さんという方のポスターが貼ってあります。
本庄さんは新宿の戸山団地という高齢化の進んだ都営住宅に住んでいて、孤独死防止のNPOを作っている方です。
この本庄さんも来てくださいました。
本庄さんが代表をしているNPOの会員は全国あちこちにいて、仙台にも会員がいる。その会員の安否が分からないというとても不安な状況もありながら、来てくださったのでした。
昨年3月に私は立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了しましたが、そこで主査として指導してくださり、練馬区民でもある中村陽一先生も大変な中来てくださいました。
立教大学は11日に教室を開放して帰宅困難者の受け入れもしていたので、先生も大変な状況にあったそうです。
「かとうぎさんを応援するというだけでなく、震災についてみんなで考えよう」という呼びかけをしてくださり、区民のみなさんの発言のコーディネートをしてくださいました。
私は今まで後援会的なものはあえて作らずにいたのですが、区民のみなさんがいろんな角度から活動に参加しやすい状況を作っていくために、今回改めて後援会を形作ることにしまして、重川治樹さんという、元毎日新聞の記者で今はフェリス女学院大学の講師をされている方に「かとうぎ桜子を育てる会」の会長をお願いし、ひと言ご挨拶をいただきました。
元々は共通の知り合いからの紹介で、2年前に私が重川先生の授業のゲストスピーカーとして呼ばれてからの縁なのですが、まさかこんなにお手を煩わせるとは・・・(^^;
それから、区民の方からは、障害者関係のお仕事をされている方や介護関係のお仕事をされている方、保育園のことに関わっていた方からもご発言いただいた会でした。
この時期に集会を予定通り行うことについては、懸念の声もいただきました。
しかし、「もうすぐ選挙だぞー」というような、この時期にしてはある意味浮かれたような話をするのではなくて、震災のこと、福祉のことについて私も参加者も、その場にいたみんなが自分の胸に手を当てて、今後どうしたらいいのかとじっくり考え合うことのできる、地に足のついた落ち着いた会を実現することができたと思っています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
地震が起こる前にこの会を企画した当初、「楽しい会にするために」ということで、伝統芸能を仕事にしている私のいとこの加藤木朗さんに来てもらって、獅子舞など披露してもらう予定でした。長野から予定通り来てくれましたが、今回はただにぎやかに演技をするのではなく、それに先立ちお話をしてくれました。
この震災の中、多くの方が必要としているのはなによりも安否の情報であること。
「私はここにいるんだよ」と誰かに伝えたいのに伝えられない状況。「あの人はどこにいるのか」と知りたいのに知ることができない状況。それが何よりも苦しいことだということが改めて分かった。
自分がここにいることを伝えられない状況はとても苦しい。人と人がつながっていることはとても大切なこと。
それをスムーズにしていく活動をともに広げていけたら・・・
・・・こういった趣旨の話を、朗さんはしてくれました。
そのうえで、「こんなときこそ笑顔になってつながりあうために」と、独楽の芸や舞など、いくつかの芸を披露してくれました。
それから、今、大泉を中心とした街に私と本庄有由さんという方のポスターが貼ってあります。
本庄さんは新宿の戸山団地という高齢化の進んだ都営住宅に住んでいて、孤独死防止のNPOを作っている方です。
この本庄さんも来てくださいました。
本庄さんが代表をしているNPOの会員は全国あちこちにいて、仙台にも会員がいる。その会員の安否が分からないというとても不安な状況もありながら、来てくださったのでした。
昨年3月に私は立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了しましたが、そこで主査として指導してくださり、練馬区民でもある中村陽一先生も大変な中来てくださいました。
立教大学は11日に教室を開放して帰宅困難者の受け入れもしていたので、先生も大変な状況にあったそうです。
「かとうぎさんを応援するというだけでなく、震災についてみんなで考えよう」という呼びかけをしてくださり、区民のみなさんの発言のコーディネートをしてくださいました。
私は今まで後援会的なものはあえて作らずにいたのですが、区民のみなさんがいろんな角度から活動に参加しやすい状況を作っていくために、今回改めて後援会を形作ることにしまして、重川治樹さんという、元毎日新聞の記者で今はフェリス女学院大学の講師をされている方に「かとうぎ桜子を育てる会」の会長をお願いし、ひと言ご挨拶をいただきました。
元々は共通の知り合いからの紹介で、2年前に私が重川先生の授業のゲストスピーカーとして呼ばれてからの縁なのですが、まさかこんなにお手を煩わせるとは・・・(^^;
それから、区民の方からは、障害者関係のお仕事をされている方や介護関係のお仕事をされている方、保育園のことに関わっていた方からもご発言いただいた会でした。
この時期に集会を予定通り行うことについては、懸念の声もいただきました。
しかし、「もうすぐ選挙だぞー」というような、この時期にしてはある意味浮かれたような話をするのではなくて、震災のこと、福祉のことについて私も参加者も、その場にいたみんなが自分の胸に手を当てて、今後どうしたらいいのかとじっくり考え合うことのできる、地に足のついた落ち着いた会を実現することができたと思っています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら