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2011年4月1日現在の練馬区の保育所待機児
5月25日に区の保育課から、今年度4月1日の保育園の待機児の資料をもらったので、前年度との対比をしながら紹介します。
2011年4月1日現在の待機児:564人(2010年4月1日:552人⇒12人の増)
認可保育所の定員8818人(2010年:8414人⇒404人の増)
認可外保育施設定員1625人(2010年:1426人⇒199人の増)
保育園を増やして定員は増えてはいるけれど、それを上回る数で待機が増えているということです。500人を超える待機という、とんでもない状況が今年も起きてしまっています。
受け入れられる保育所を増やすとともに、保育の質の向上も進めなければなりません。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
2011年4月1日現在の待機児:564人(2010年4月1日:552人⇒12人の増)
認可保育所の定員8818人(2010年:8414人⇒404人の増)
認可外保育施設定員1625人(2010年:1426人⇒199人の増)
保育園を増やして定員は増えてはいるけれど、それを上回る数で待機が増えているということです。500人を超える待機という、とんでもない状況が今年も起きてしまっています。
受け入れられる保育所を増やすとともに、保育の質の向上も進めなければなりません。
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放射能について、学校のプールの対応
原発事故の影響による放射能の汚染で不安であるとのことで、小学生の保護者の方からお問い合わせがありましたので、区の今の状況を確認しました。ひとまず現状をご報告します。
保護者の方からのお問い合わせは、これから始まるプールについてのご心配でした。
★まずプールの掃除を子どもたちが手伝うことがあるかどうか。
これは普段から基本的には業者が行っていて、ときに子どもが手伝う場合があるとのこと。ただ、今年に関しては業者が清掃することで徹底する。
★授業はいつも通り行うのかどうか。
普段から循環の浄化システムを使っているので、汚れたまま使うことはないため、通常どおりに行う予定。ちなみにプールの授業の開始時期は学校によって差があるが、6月中旬くらい。
★放射線量の測定は行わないのか。
今、計測地点や評価の基準をどうするのかなど、教育担当だけではなく、保育、環境、健康などの多部署が関わり検討会議をおこなっている。
少なくともプールの授業が始まるまでには計測が行えるように、考えをまとめたい。
今の状況はこういったところです。
昨日の新聞記事によると、足立区ではすでに測定を始めており、板橋区でも6月中旬に開始。世田谷区も検討中とのこと。
特にこどもの安全に不安を感じている区民の方は多いですし、プールの時期も迫っています。私としても早急な対応を求め、ブログでも報告したいと思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
保護者の方からのお問い合わせは、これから始まるプールについてのご心配でした。
★まずプールの掃除を子どもたちが手伝うことがあるかどうか。
これは普段から基本的には業者が行っていて、ときに子どもが手伝う場合があるとのこと。ただ、今年に関しては業者が清掃することで徹底する。
★授業はいつも通り行うのかどうか。
普段から循環の浄化システムを使っているので、汚れたまま使うことはないため、通常どおりに行う予定。ちなみにプールの授業の開始時期は学校によって差があるが、6月中旬くらい。
★放射線量の測定は行わないのか。
今、計測地点や評価の基準をどうするのかなど、教育担当だけではなく、保育、環境、健康などの多部署が関わり検討会議をおこなっている。
少なくともプールの授業が始まるまでには計測が行えるように、考えをまとめたい。
今の状況はこういったところです。
昨日の新聞記事によると、足立区ではすでに測定を始めており、板橋区でも6月中旬に開始。世田谷区も検討中とのこと。
特にこどもの安全に不安を感じている区民の方は多いですし、プールの時期も迫っています。私としても早急な対応を求め、ブログでも報告したいと思います。
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高齢者の孤独死問題-5月13日の集会の報告
ご報告が遅くなりましたが、5月13日の講演会の報告を書きます。
タイトルは「縁なき社会から援ある地域へ」。
4月中旬まで街にポスターを貼ってはいましたが、選挙後には改めてのお知らせを十分にできず、どうなることかと思ったけれど、たくさんの区民の方にお集まりいただき、無事行うことができました。
出演者は本庄有由さん。本庄さんは新宿で「人と人をつなぐ会」という、孤独死防止のためのNPOを作っています。
本庄さんのNPOの活動は時折テレビ・新聞などでも紹介されているので、今回の集会では最初に30分ほど、この映像を見て頂きました。
本庄さんと私が初めてお会いしたのはたしか2005年でした。
私は社会福祉士の資格を取得し終わって、新宿でデイサービスをやっているNPOに就職し、地域の活動にも参加し始めていました。
本庄さんは当時はまだNPOを作っておらず、戸山団地の自治会の役員をする中で孤独死の問題にぶつかって悩んでいらっしゃいました。
新宿区が「20年後の新宿区の将来像を考えよう」と区民を集めた会議で、本庄さんは「今、孤独死が起きているというのに、20年後どころじゃない」と怒っていらっしゃった。
その後、何度もお話をするうちに、本当に真剣に地域のことを考えていらっしゃるんだなあと、私はすごく勉強になりました。
孤独死の問題のように、制度だけでは対応できない課題を、ともに考えていくことのできる仕事がしたい―議員になりたいと思うきっかけのひとつは本庄さんにいただきました。
その後、2007年に私は議員になり、同じ年に本庄さんはNPOを立ち上げ、2008年に何年かぶりで再会してから、時々交流させてもらっています。
本庄さんの今の活動は、
・地域の高齢者が参加できるようなイベント(食事会、閉じこもりがちな男性を対象にした会など)
・高齢者施設を見学するバスツアー
・外に出づらい人の安否確認をする「見守りケータイ」システム。(折りたたみ式の携帯電話を開けば自動的に、あらかじめ登録した家族などにメールが届く)
・「見守りケータイ」を持ったものの、携帯電話の使い方がわからない高齢者を対象にして、大学生に協力してもらっての携帯電話講座をする
などです。
講演ではこういった活動の概要をお話いただきました。
そこで挙げられた課題。
公営住宅は所得制限があるので、子どもたちは経済的に自立すると出て行かざるをえない。だから必然的に一人暮らしの高齢者が増えてくる。高齢者ばかりになってくるので自治会が機能しなくなる。(特に戸山団地は昭和20年代に建設されたため、8,90代の人が多く、自治会活動が難しい。)
公営住宅に新しく入る人も多くが高齢者だが、自治会が機能していないところへ入ると、地域のことを誰に聞いていいかもわからず孤立してしまう・・・という悪循環。
私からは、練馬の状況をお話しました。
練馬区が3,4年に1度の割合で「ひとりぐらし高齢者等実態調査」というものをやっていますが、それによれば2009年のひとりぐらし高齢者は約2万人弱。高齢者のみで暮らしている世帯は約9千弱。
練馬区内で特に一人暮らし・ご夫婦で高齢世帯という家が多いのは、団地などの集合住宅がある地域であるという結果も出ており、やはり戸山団地と同様の課題は練馬でも起きつつあります。
公営住宅の問題は私も感じます。
たとえば区のHPに過去の区営住宅の申込についてのページがあって、その中に申し込める条件が書いてありますが、たとえばひとり親家庭の2人世帯(例えばお母さんと子ども1人)の場合の所得の上限は227万6千円です。
この上限を超えたからといって決して高額所得とはいえないのに、公営住宅の対象にならなくなってしまう。ひとり親家庭だったら、ようやく子どもが自立して低所得ながらも収入を得るようになったら住めなくなってしまうような状態。
こういう状態では、それぞれが自分の生活を立てていくのでも大変で、お互いに支えあうというのはなかなか難しいのではないかと私は思います。
本来ならば地域は、年齢も家族構成も社会的立場も様々な人がいて初めて、お互いの困りごとを支え合えるはずです。
これは「公営住宅法」の問題なので、区だけでは解決はできないけれど、まずは多くの人と問題共有をする必要があると私は思います。
今回の講演会は、立教大学の中村陽一先生がコーディネーターをしてくださいました。
中村先生は私が昨年修了した大学院でお世話になったのですが、練馬区民でもあります。
市民活動・NPOがご専門なので、「行政だけではない、民間との協力関係も考えていかなくては」という視点からお話をしてくださいました。
中村先生のお住まいはコーポラティブハウスというもので、いろんな世代・いろんな人が一緒に作り上げるというものだそうで。
中村先生の住まいは練馬区内にあって民間が主体にやっているものなわけですが、こういった新しい集合住宅のかたちを広げていくことが、支えあう地域づくりのひとつの可能性になるのではないかという話をしてくださいました。

参加者の皆さんから出していただいたアンケートの中に「孤独死の話なのか住宅問題なのかがよく分からなかった」という趣旨のものがありました。
孤独死の話と住宅問題は同じなのに、どういう意味だろう・・・と私は思い悩みましたが、何日か考えてみて、ようやくわかりました。
孤独死の問題を、個人の問題ととらえるか社会の問題ととらえるかという視点の違いではないかと。
その人の生き方、仕事のしかた、家族関係といった、個人に要因があって孤独死が起きると考えればこれは住宅問題ではないですね。きっとアンケートを記入してくださった人は、個人レベルの課題としての孤独死に注目していらっしゃったのではないかと。
ただ、いろんな生き方の人はいつの時代にもいるはずなのに、なぜ今孤独死がこれだけ問題になっているかと考えると、それは個人ではなく社会のあり方になんらかの課題があると捉えられるべきだと思います。そしてそれは、住まいのありかたに問題があるということでしょう。
何人かの参加者の方は、「住まいの問題がこんなに大変な状況になっているとは知らなかった」とおっしゃっていました。
まずはこうして課題を共有するのが第一歩かと思います。
本庄さんはよく「議論ばかりしていてもしかたない。動かなきゃ」とおっしゃいます。
私もこれからさらに、本庄さんとも連携しながらアクションを起こしていきたいと思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
タイトルは「縁なき社会から援ある地域へ」。
4月中旬まで街にポスターを貼ってはいましたが、選挙後には改めてのお知らせを十分にできず、どうなることかと思ったけれど、たくさんの区民の方にお集まりいただき、無事行うことができました。
出演者は本庄有由さん。本庄さんは新宿で「人と人をつなぐ会」という、孤独死防止のためのNPOを作っています。
本庄さんのNPOの活動は時折テレビ・新聞などでも紹介されているので、今回の集会では最初に30分ほど、この映像を見て頂きました。
本庄さんと私が初めてお会いしたのはたしか2005年でした。
私は社会福祉士の資格を取得し終わって、新宿でデイサービスをやっているNPOに就職し、地域の活動にも参加し始めていました。
本庄さんは当時はまだNPOを作っておらず、戸山団地の自治会の役員をする中で孤独死の問題にぶつかって悩んでいらっしゃいました。
新宿区が「20年後の新宿区の将来像を考えよう」と区民を集めた会議で、本庄さんは「今、孤独死が起きているというのに、20年後どころじゃない」と怒っていらっしゃった。
その後、何度もお話をするうちに、本当に真剣に地域のことを考えていらっしゃるんだなあと、私はすごく勉強になりました。
孤独死の問題のように、制度だけでは対応できない課題を、ともに考えていくことのできる仕事がしたい―議員になりたいと思うきっかけのひとつは本庄さんにいただきました。
その後、2007年に私は議員になり、同じ年に本庄さんはNPOを立ち上げ、2008年に何年かぶりで再会してから、時々交流させてもらっています。
本庄さんの今の活動は、
・地域の高齢者が参加できるようなイベント(食事会、閉じこもりがちな男性を対象にした会など)
・高齢者施設を見学するバスツアー
・外に出づらい人の安否確認をする「見守りケータイ」システム。(折りたたみ式の携帯電話を開けば自動的に、あらかじめ登録した家族などにメールが届く)
・「見守りケータイ」を持ったものの、携帯電話の使い方がわからない高齢者を対象にして、大学生に協力してもらっての携帯電話講座をする
などです。
講演ではこういった活動の概要をお話いただきました。
そこで挙げられた課題。
公営住宅は所得制限があるので、子どもたちは経済的に自立すると出て行かざるをえない。だから必然的に一人暮らしの高齢者が増えてくる。高齢者ばかりになってくるので自治会が機能しなくなる。(特に戸山団地は昭和20年代に建設されたため、8,90代の人が多く、自治会活動が難しい。)
公営住宅に新しく入る人も多くが高齢者だが、自治会が機能していないところへ入ると、地域のことを誰に聞いていいかもわからず孤立してしまう・・・という悪循環。
私からは、練馬の状況をお話しました。
練馬区が3,4年に1度の割合で「ひとりぐらし高齢者等実態調査」というものをやっていますが、それによれば2009年のひとりぐらし高齢者は約2万人弱。高齢者のみで暮らしている世帯は約9千弱。
練馬区内で特に一人暮らし・ご夫婦で高齢世帯という家が多いのは、団地などの集合住宅がある地域であるという結果も出ており、やはり戸山団地と同様の課題は練馬でも起きつつあります。
公営住宅の問題は私も感じます。
たとえば区のHPに過去の区営住宅の申込についてのページがあって、その中に申し込める条件が書いてありますが、たとえばひとり親家庭の2人世帯(例えばお母さんと子ども1人)の場合の所得の上限は227万6千円です。
この上限を超えたからといって決して高額所得とはいえないのに、公営住宅の対象にならなくなってしまう。ひとり親家庭だったら、ようやく子どもが自立して低所得ながらも収入を得るようになったら住めなくなってしまうような状態。
こういう状態では、それぞれが自分の生活を立てていくのでも大変で、お互いに支えあうというのはなかなか難しいのではないかと私は思います。
本来ならば地域は、年齢も家族構成も社会的立場も様々な人がいて初めて、お互いの困りごとを支え合えるはずです。
これは「公営住宅法」の問題なので、区だけでは解決はできないけれど、まずは多くの人と問題共有をする必要があると私は思います。
今回の講演会は、立教大学の中村陽一先生がコーディネーターをしてくださいました。
中村先生は私が昨年修了した大学院でお世話になったのですが、練馬区民でもあります。
市民活動・NPOがご専門なので、「行政だけではない、民間との協力関係も考えていかなくては」という視点からお話をしてくださいました。
中村先生のお住まいはコーポラティブハウスというもので、いろんな世代・いろんな人が一緒に作り上げるというものだそうで。
中村先生の住まいは練馬区内にあって民間が主体にやっているものなわけですが、こういった新しい集合住宅のかたちを広げていくことが、支えあう地域づくりのひとつの可能性になるのではないかという話をしてくださいました。

参加者の皆さんから出していただいたアンケートの中に「孤独死の話なのか住宅問題なのかがよく分からなかった」という趣旨のものがありました。
孤独死の話と住宅問題は同じなのに、どういう意味だろう・・・と私は思い悩みましたが、何日か考えてみて、ようやくわかりました。
孤独死の問題を、個人の問題ととらえるか社会の問題ととらえるかという視点の違いではないかと。
その人の生き方、仕事のしかた、家族関係といった、個人に要因があって孤独死が起きると考えればこれは住宅問題ではないですね。きっとアンケートを記入してくださった人は、個人レベルの課題としての孤独死に注目していらっしゃったのではないかと。
ただ、いろんな生き方の人はいつの時代にもいるはずなのに、なぜ今孤独死がこれだけ問題になっているかと考えると、それは個人ではなく社会のあり方になんらかの課題があると捉えられるべきだと思います。そしてそれは、住まいのありかたに問題があるということでしょう。
何人かの参加者の方は、「住まいの問題がこんなに大変な状況になっているとは知らなかった」とおっしゃっていました。
まずはこうして課題を共有するのが第一歩かと思います。
本庄さんはよく「議論ばかりしていてもしかたない。動かなきゃ」とおっしゃいます。
私もこれからさらに、本庄さんとも連携しながらアクションを起こしていきたいと思います。
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照姫まつり
私の集会の報告もしなければなりませんが、今日はまずは照姫まつりのことを。
この前の日曜日(15日)、石神井公園で照姫まつりがありました。
昨年は来賓で参加しましたが、今年はひょんなことから照姫さんと武士の行列に参加することに(^^;

(いっぱいいてよくわからないですね 笑)
参加者は公募があるんですが、いつも参加している区民の方に「桜子ちゃんも出ようよ!」と言われた次第。
私はアウトドアとかお祭りとか、あまり得意なタイプではないのですが(ずっと外にいると頭痛がしてきたりするもので 笑)、誘ってもらう機会でもなければ参加することなんてないことだから、やってみたというわけです。

私はこんな感じ。
前の週は1週間、夜間に練習がありました。最初はどうなることかしらと思いましたが、当日はけっこう楽しんでできました。

今年は震災の募金活動もしました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
明日の会のご案内
またなかなかブログが更新できずすみません・・・。
明日行う会のご案内を改めてさせていただきます。
「縁」なき社会から「援」ある地域へ
5月13日(金)午後7時~ 大泉学園ゆめりあホール
講師:本庄有由さん(NPO・人と人をつなぐ会 会長)
コーディネーター:中村陽一さん(立教大学教授)
昨年、NHKなどで特集されて話題になった「無縁社会」。私達が住んでいる練馬区も、決して例外ではありません。今回、新宿・戸山団地で孤独死防止の活動に取り組んでいる本庄有由さんを講師にお招きして、練馬からできる新しい「援」について、一緒に考えていきたいと思っています。
明日行う会のご案内を改めてさせていただきます。
「縁」なき社会から「援」ある地域へ
5月13日(金)午後7時~ 大泉学園ゆめりあホール
講師:本庄有由さん(NPO・人と人をつなぐ会 会長)
コーディネーター:中村陽一さん(立教大学教授)
昨年、NHKなどで特集されて話題になった「無縁社会」。私達が住んでいる練馬区も、決して例外ではありません。今回、新宿・戸山団地で孤独死防止の活動に取り組んでいる本庄有由さんを講師にお招きして、練馬からできる新しい「援」について、一緒に考えていきたいと思っています。
選挙中に思ったこと①
選挙期間中は個人の活動・政策レポートが配れません。候補者となる個人の名前が出せなくなるのです。
個人名が入っている印刷物といえば、事務所の前にある看板、選挙カー、そして私が身につけているタスキ程度。
活動の実績や政策を書いたものが配れないなんて、変なルールだなあと思いますが、そんなルールがあるものだから、期間中はほとんど演説だけで政策を訴えることになります。(選挙公報と、2千枚だけ出せるハガキというのもありますが。)
だけど演説をしようにも同じ場所に候補者が重なれば順番待ちになりますから、結果的に周りから見たら「なんでタスキかけてただ立ってるんだろう・・・」みたいな図になるわけです。
だから4月17日からの1週間は私も、そんな形でタスキをかけて、チラシを配らず立っていたというわけ。
選挙ではない時期に、駅で活動レポートを配っているときは、私自身も一人だし、他の議員さんなどが同じ場所に重なって立っていることもほとんどないので他者と比較することができずあまり気付かなかったのですが、選挙の前後はたくさんの人が駅に立つので新しい発見がありました。
それは、みんな、自分と似た雰囲気の人を応援するものなんだなあということ。
体育会系の元気いっぱいという雰囲気の候補者のところには、やはり元気のよさそうな区民が近づいていってがっちり握手をしている。
一方、私のことを応援してくださっている方といえば・・・
ふだんはチラシを受け取って、ついでに「おはよう」とか「頑張ってね」と挨拶してくださる人達の多くが、タスキをかけた人がたくさん立っている駅前の様子に、「あれ、いつもとなんだか違う雰囲気・・・」と感じたようで、私からも目をそらして通り過ぎていきます。
私は、いつもチラシを受け取ってくださる人の顔はたいてい覚えているので、内心「なんだ、目をそらさなくたって良いじゃないか、寂しいじゃないか」と思い、一生懸命、その人に向かって「おはようございます」と声をかけてみる。
そうするとその人はチラッとこちらを見て、「えへ」という表情をして去っていく。。
まあ、私が逆の立場でもそういう態度をとるかもしれないなあと思いました。
そんな、他の候補者と応援者の関係と、私の場合を比較してみて、類は友を呼ぶものなのかなあとしみじみ。
議員というものを身近に感じる機会のない区民の方はとってもたくさんいると思いますが、もし議員を何人か知る機会があるとすれば、やはり自分と似た感じの人を応援しようと考えるのでしょうね。
だから、区議選で当選するためには、自分に共感をしてくれる仲間をたくさん作る必要があるわけですね。練馬区議選の場合、三千数百人以上の区民の方々が共感を寄せてくれたら当選する。
まだ知り合うことのできていない人と出会う機会をたくさん作って仲間を増やすことが大切なわけで、それは他の候補者との争いではなくてむしろ、自分自身がどれだけ多くの人に自分の思いを伝えることができるかという、「自分自身との闘い」なのではないかなと常々思っています。
選挙というのは、短期間で結果が出るものです。
世の中の多くのことは、もっと時間をかけてじっくり成果を出していくものでしょうが、選挙の場合、新人であれば準備期間を含めても数ヶ月。現職が実績を評価されるというふうに考えれば4年間という、そんなに長くはないスパンの中で、当落という形ではっきりと結果が出ます。
選挙が迫ってくれば他の候補者の姿や動きも見えてくる。
そうなるといくら「自分自身との闘い」とはいえ、周りの動きも気になってくるし気持ちの余裕もなくなってくるのが人間というものですね。
つい、「他の候補者より自分のほうが良い政策だし、頑張ってる」と言いたくなる気持ちも芽生えがちだし、アピールのしかたとしても、誰かを敵にするほうが分かりやすいけど、でもそういう気持ちって、人間がつい持ってしまいがちな気持ちの中でも醜い種類のものですものねぇ・・・。
あわただしい状況のときこそ、その人の人間性が表われるものなのだと思います。
大切なのはほかの候補者と比較することではなく、自分が共感し合える仲間をたくさん作ることなのだから・・・。
選挙期間中に何人もの候補者が駅で重なったときに、演説の順番を調整してくださった、ベテランの議員さんがいらっしゃいました。
議会では私とは別の会派に所属していらっしゃる人なのですが、その人と会うと必ず調整してくださるので、恐縮していたら、「こういうのは年長者がやるもんなんだよ、ははは」とさわやかに笑っていらっしゃった。
殺伐としがちなときに笑顔でいられる人間に、私もなりたいものだと思います。
それは、選挙のことだけではなく、ふだんの議会活動の中でも、そしてふだんの生き方の中でも同様ですね。
今ある区政の問題点を責めるのではなく、「こうありたい区政」を言えるような活動を、2期目にはもっと進めていきたいと思います。
まあ、そうは言っても現状に腹が立つと「腹が立った」と書いちゃうんですけどね・・・(^^; 未熟者です。
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個人名が入っている印刷物といえば、事務所の前にある看板、選挙カー、そして私が身につけているタスキ程度。
活動の実績や政策を書いたものが配れないなんて、変なルールだなあと思いますが、そんなルールがあるものだから、期間中はほとんど演説だけで政策を訴えることになります。(選挙公報と、2千枚だけ出せるハガキというのもありますが。)
だけど演説をしようにも同じ場所に候補者が重なれば順番待ちになりますから、結果的に周りから見たら「なんでタスキかけてただ立ってるんだろう・・・」みたいな図になるわけです。
だから4月17日からの1週間は私も、そんな形でタスキをかけて、チラシを配らず立っていたというわけ。
選挙ではない時期に、駅で活動レポートを配っているときは、私自身も一人だし、他の議員さんなどが同じ場所に重なって立っていることもほとんどないので他者と比較することができずあまり気付かなかったのですが、選挙の前後はたくさんの人が駅に立つので新しい発見がありました。
それは、みんな、自分と似た雰囲気の人を応援するものなんだなあということ。
体育会系の元気いっぱいという雰囲気の候補者のところには、やはり元気のよさそうな区民が近づいていってがっちり握手をしている。
一方、私のことを応援してくださっている方といえば・・・
ふだんはチラシを受け取って、ついでに「おはよう」とか「頑張ってね」と挨拶してくださる人達の多くが、タスキをかけた人がたくさん立っている駅前の様子に、「あれ、いつもとなんだか違う雰囲気・・・」と感じたようで、私からも目をそらして通り過ぎていきます。
私は、いつもチラシを受け取ってくださる人の顔はたいてい覚えているので、内心「なんだ、目をそらさなくたって良いじゃないか、寂しいじゃないか」と思い、一生懸命、その人に向かって「おはようございます」と声をかけてみる。
そうするとその人はチラッとこちらを見て、「えへ」という表情をして去っていく。。
まあ、私が逆の立場でもそういう態度をとるかもしれないなあと思いました。
そんな、他の候補者と応援者の関係と、私の場合を比較してみて、類は友を呼ぶものなのかなあとしみじみ。
議員というものを身近に感じる機会のない区民の方はとってもたくさんいると思いますが、もし議員を何人か知る機会があるとすれば、やはり自分と似た感じの人を応援しようと考えるのでしょうね。
だから、区議選で当選するためには、自分に共感をしてくれる仲間をたくさん作る必要があるわけですね。練馬区議選の場合、三千数百人以上の区民の方々が共感を寄せてくれたら当選する。
まだ知り合うことのできていない人と出会う機会をたくさん作って仲間を増やすことが大切なわけで、それは他の候補者との争いではなくてむしろ、自分自身がどれだけ多くの人に自分の思いを伝えることができるかという、「自分自身との闘い」なのではないかなと常々思っています。
選挙というのは、短期間で結果が出るものです。
世の中の多くのことは、もっと時間をかけてじっくり成果を出していくものでしょうが、選挙の場合、新人であれば準備期間を含めても数ヶ月。現職が実績を評価されるというふうに考えれば4年間という、そんなに長くはないスパンの中で、当落という形ではっきりと結果が出ます。
選挙が迫ってくれば他の候補者の姿や動きも見えてくる。
そうなるといくら「自分自身との闘い」とはいえ、周りの動きも気になってくるし気持ちの余裕もなくなってくるのが人間というものですね。
つい、「他の候補者より自分のほうが良い政策だし、頑張ってる」と言いたくなる気持ちも芽生えがちだし、アピールのしかたとしても、誰かを敵にするほうが分かりやすいけど、でもそういう気持ちって、人間がつい持ってしまいがちな気持ちの中でも醜い種類のものですものねぇ・・・。
あわただしい状況のときこそ、その人の人間性が表われるものなのだと思います。
大切なのはほかの候補者と比較することではなく、自分が共感し合える仲間をたくさん作ることなのだから・・・。
選挙期間中に何人もの候補者が駅で重なったときに、演説の順番を調整してくださった、ベテランの議員さんがいらっしゃいました。
議会では私とは別の会派に所属していらっしゃる人なのですが、その人と会うと必ず調整してくださるので、恐縮していたら、「こういうのは年長者がやるもんなんだよ、ははは」とさわやかに笑っていらっしゃった。
殺伐としがちなときに笑顔でいられる人間に、私もなりたいものだと思います。
それは、選挙のことだけではなく、ふだんの議会活動の中でも、そしてふだんの生き方の中でも同様ですね。
今ある区政の問題点を責めるのではなく、「こうありたい区政」を言えるような活動を、2期目にはもっと進めていきたいと思います。
まあ、そうは言っても現状に腹が立つと「腹が立った」と書いちゃうんですけどね・・・(^^; 未熟者です。
※かとうぎ桜子のHPはこちら