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災害対策⑥ 災害時のペット対策(一般質問)

【かとうぎ桜子の質問】

災害時のペットへの対策について伺います。
現行の地域防災計画にもペットへの対応は書かれていますが、今回の震災を受けて、改めてどう課題を整理されているでしょうか。区民の方からも、大きな震災が起きた際の自分の家のペットへの対応を心配する声が寄せられています。こうした区民の皆さんに対して、ペットの防災を考える啓発なども必要と考えますが、ご見解をお聞かせください。

【危機管理室長】

ペット対策についてであります。

災害時において避難が必要な場合には、ペットを「同行避難」することとしておりますが、このたびの大震災もふまえ、避難拠点での受け売れ体制についてさらに具体的に検討してまいります。
また、飼い主のマナー等の徹底や他の方への理解の促進に向け、今後ペット防災に関する啓発についても、区報やリーフレット等により一層取り組んでまいります。

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今回の震災では、東北地方の動物たちも被害に遭いました。

石巻では獣医師会が今回の震災対応のために一時的な活動として被災して飼い主の分からないペットの預かりや里親探し、ペットを探している人への支援などをしていたようですし、NPOでも同様の活動、また飼い主情報が入力されている「マイクロチップ」というものを動物の体に埋め込むことで迷子になっても再会できるしくみの普及を進めていたりします。

こうした被災地での活動をふまえ、練馬区も災害時の獣医師会との連携体制を改めて確認しなおす必要もあると思います。


「ペットは同行避難」と区は言いいますが・・・よくしつけられた犬なら「同行避難だよ」と言えば「うん、いいよ」と言うかもしれませんが、猫だったら「やだよ」と言うことでしょう・・・

猫の場合、一時的に被災していない地域の知り合いか動物愛護関係の団体を探して預かってもらうなどの方法をとるしかないのかなとも思いますが、どう対処するか、不安に感じている人も多いのではないでしょうか。

私が行ったアンケートでも、「うちの動物が心配」という声もいくつかありました。


ですので、啓発については、区報などで基本的な情報をお知らせするだけではなく、できれば獣医師会等と連携をとりながら、シンポジウムや質疑・意見交換ができるような機会も作る必要があるのではないかと思います。



ちなみに私の家には、人間年齢でいえばハタチくらいになる、ももちゃんという乙女猫がいるのですが
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乙女がこうして伸びきっている姿を見ると、いやはや、この子は大丈夫だろうか、と思います・・・

こういう、しましま猫ってよく道端を歩いているから、緊急時にひとたび外に飛び出してしまったら、どれがどれだかわからなくなってしまいそうだし(^^;


動物を飼っている区民の皆さんがどんな不安を感じ、どんな対策を立てているかを聞く機会も欲しいなと。

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災害対策⑤ 医療的ケアを必要とする人の災害時対応(一般質問)

【かとうぎ桜子の一般質問】

医療的ケアを必要とする区民の方々への対応を伺います。

災害が起きたとき、災害によるけがや病気だけでなく、ふだんから人工透析、人工呼吸器、定期的な服薬など、障害や慢性疾患で継続的な支援が必要な方々への対応も必要ですが、どのように行なっていくお考えでしょうか。こうした状況の方への対応について、医療機関と救護所、福祉避難所と一般の避難拠点の役割分担をどう整理されるのか。お考えをお聞かせください。

【福祉部長の答弁】

医療的ケアの必要な方への対応等についてであります。

今回の震災においても、関係部署が把握している情報をもとに、可能な限りの個別の情報提供等に努めたところでありますが、この経験をふまえ、対象者の把握と必要な対応に努めてまいります。

また、各拠点の役割分担についてであります。医療救護所は軽傷の被災者への応急処置を行い、医療機関は主に中症、重症の被災者の治療を行います。また避難拠点は全区立小中学校において災害発生時に迅速に開設し避難者の受け入れをおこない、福祉避難所は要介護高齢者などの受け入れを行うため必要に応じ開設する拠点であります。今後、それぞれの円滑な連携を確保するため、実務的な検討を深めてまいります。

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災害時は、災害によって発生する傷病など、特別な事態への対応と合わせて、今までのブログにも書いてきたように、ふだんの生活の中でも支援が必要な人がより一層大変な状況に置かれるということがあります。

定期的な服薬が必要なのに薬が不足していたり、医療機器が壊れたり電気が通っていないことによって人工透析・人工呼吸器などの患者さんの命の危険が生まれる場合もあります。

緊急時に初めて発生する患者の対応と、ふだんの延長で困難が生じるケースは分けて対策をとる必要があるのではないかと思います。

インスリンなど定期的に使う必要のある薬が揃っていれば災害時にずっと病院にいなくても通常の避難拠点、あるいは福祉避難所で生活できる人もいるでしょうから、病院、医療救護所、福祉避難所、避難拠点が連携して対応できる体制を作る必要があると考えて質問したんですが、答弁はなぜかそれぞれの機能の解説に終わるという、かみ合わない結果となりました・・・

9月14日に、区と練馬区医師会が共催で、災害時の医療対応についてのシンポジウムをやったので、私も見に行きました。何人かのお医者さんのお話が聞けて、とても興味深い内容でした。

お医者さんは専門的な目で、今回の震災の課題をとらえていらっしゃるだろうし、被災地支援にいらっしゃった方もいるので、区はそれをしっかり受け止めて計画に反映させるべきと思います。

また、こういった専門的な視点からの課題整理を区民の皆さんと共有できる機会は、地域防災計画見直しの時期にとどまらずに、継続的に行っていってほしいなと思いました。

災害対策④ 福祉避難所と災害時の福祉事務所の体制(一般質問)

【かとうぎ桜子の質問】

福祉避難所について伺います。
(注:福祉避難所=要援護者のための配慮がなされた避難所。主に福祉施設を指定している。)

いま、練馬区は40ヶ所の福祉施設・特別支援学校と福祉避難所の協定を結んでいますが、区内のどの施設と協定を結ぶか、また対象者・地域・それぞれの受け入れ人数の整理が必要と考えます。区のお考えをお聞かせください。

また、今回の東北の震災では、福祉施設そのものが倒壊したり、職員自身が被災するなどで対応が難しいこともあったと聞きます。このようなケースへの対応など、協定を結んだ施設との情報交換、研修、連携をどう行なっていくのか、お考えをお聞かせください。

また、小中学校の避難所から対象者が移動してくる際の支援など、福祉避難所と地域の避難拠点が連携しながら日頃からともに避難訓練を行うなどの体制も必要と考えますが、区としてはどのような体制をとるお考えでしょうか。お聞かせください。

福祉避難所としての協定を結んでいない福祉施設であっても、緊急時に地域の方が避難してくるケースがあったということは、今回の東北における課題としてあったと聞きます。福祉施設全体に対する、災害時の対応を確認する場を区としても持つべきではないでしょうか。お考えをお聞きします。


福祉事務所の対応について伺います。災害時、福祉事務所ではもともとあった福祉の対応と合わせて、災害によって困難を抱える区民のみなさんの対応も必要になります。災害時の生活上の困難に対する対応を、福祉事務所でどうとっていくか、お考えをお聞かせください。

【福祉部長の答弁】

次に福祉避難所についてであります。

福祉避難所につきましては、それぞれの施設の状況を踏まえた運営体制や開設手続きなど様々な課題があると考えております。今後、課題の整理とあわせ、より実効的な運営ができるよう協定先の拡充や協定内容の改善について検討を進めてまいります。

また、協定を結んだ施設等との情報交換、研修連携についてでありますが、協定内容の改善を進める中で、今後の研修や訓練のあり方について検討してまいります。

また、避難拠点から福祉避難所への移動支援につきましては、その方法を精査したうえで、訓練は避難拠点と連携して行うなど、実践的な態勢の確立をめざしてまいります。

また、区内の福祉施設の災害時の対応につきましては、介護サービス事業連絡会等を通じて、このたびの大震災の経験や被災地支援から得た情報を共有し、研修などを通じて連携の強化が図れるよう努めてまいります。

次に、災害時における総合福祉事務所の対応についてであります。
災害時には、福祉サービスに関する臨時窓口の設置や訪問活動の実施など、生活相談の体制を整えるとともに、相談の内容に応じて適切な情報提供を行うほか、必要に応じて関係機関と連携し、対応してまいります。

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現行の防災計画を見ていると、協定を結んだ施設とのその後の情報交換・研修までは想定できていないようです。
どの地域に福祉避難所が必要なのか。そこはどんな状態にある方も受け入れるのか、あるいはもともとの施設特性に合わせた役割分担をするのか。(たとえば高齢者のデイサービスは高齢の避難者を中心に受け入れるのか?など)
備蓄はどうするのか。
せっかく避難所があっても地域の人が知らなければ連携ができないので日頃からの交流が必要。

・・・など、見直すべき点がたくさんあります。


また、福祉事務所については、障害のある子を持つ親御さんが、災害時の不安のひとつとして挙げていたものです。普段から福祉事務所で相談・手続きをしているけど、緊急時は十分な体制がとられるんだろうか、と。

緊急時にスムーズな相談体制をとるためには、あらかじめ具体的な職員体制をある程度想定することも必要だと思います。


災害対策③ 災害時要援護者対策(一般質問)

【かとうぎ桜子の質問】

要援護者への対応について伺います
(注:高齢者、障害者など、災害の発生時に手助けが必要な方をあらかじめ登録する制度。2007年度から行なっている。)


災害時要援護者名簿については、今回のように建物は大きく倒壊しなくても要援護者の安否確認が必要なケースについては十分な想定と対応がされなかったといえます。

区民の方からお話を聞くと、家の中で食器棚の中身が落ちたり、余震の不安があって高齢の一人暮らしの方は大きなストレスを抱えたという方もたくさんいらっしゃいました。こうした今回の震災の状況を踏まえ、今後は、避難の有無だけではなく安否の確認や緊急な情報の提供の方法として災害時要援護者名簿の活用のしかたについて検討すべきと考えますが、区のお考えをお聞かせください。

また、ご高齢の方でご家族はいても、日中一人暮らし・高齢者のみになる方も、今回は不安を感じたと伺いました。日中独居の高齢者への対応について、お考えをお聞かせください。

【福祉部長】

私から、災害対策に係るお尋ねのうち、福祉、医療に関連したご質問にお答えします。

まず、要援護者への対応についてであります。区の災害時要援護者名簿には、現在2万9千人余の方にご登録いただいております。この名簿の効果的な活用方法については課題のひとつと認識しており、災害時の安否確認等への活用を視野に入れ、検討を進めているところであります。
なお、日中一人暮らしの方なども名簿に登録されており、あわせて安否確認等の対象者として対応してまいります。

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上記の質問に書いたように、高齢の人が今回の地震とその後に続いた余震に大きなストレスを感じたと聞きました。
地域の民生委員さん等とさらに連携して、震災時の声かけ、安否確認、正確な情報提供(たとえば今回の震災後、計画停電の正確な情報が入りづらかったことへの対応)をしていく必要があると思います。

また、今回の震災で感じた課題について、私は区民のみなさんにアンケートをしましたが、その中で、「3月11日の震災発生時、都心の職場にいて帰れず、電話も通じず、家にいる高齢の両親の安否が不安だった」という意見もいくつかいただきました。

名簿登録に日中高齢者のみの世帯も対象になるという答弁があり、実際にすでに登録している方もいらっしゃるそうなのですが、こういうしくみを区民の皆さんに十分に周知することも必要と思います。

災害対策② 避難所の対応(一般質問)

【かとうぎ桜子の質問】

避難拠点について伺います。(注:練馬区内の小中学校99ヶ所を避難所+防災拠点=避難拠点と位置づけています。)

今の地域防災計画では震度5弱以上の地震で避難拠点要員は参集することになっていますが、3月11日は高所カメラで区内の状況を確認した結果、すぐには避難拠点を開かずに職員は職場で待機をし、夕方になって帰宅困難の人などのための避難拠点が開かれました。(注:避難拠点要員=近隣に居住しているか、近隣施設に勤務している区職員と学校職員)

実際の利用状況をみると、約870人中約470人が帰宅困難ではない理由で避難拠点を利用したと伺っています。これは、避難の必要性だけではなく、情報が欲しいという理由や家にいると不安であるというニーズがあったということだと思います。これを見ても、避難拠点はいったんすべて開設し、地域の状況を確認すべきだったのではないでしょうか。
当初の計画と違って一部の避難拠点を開設したことは、地域の方々との連絡体制や対応などに課題があったと考えます。
今後、この経験を踏まえて、避難拠点の開設の基準をどう見直すのか、お考えをお聞かせください。

また、避難拠点における障害のある人への配慮、女性への配慮について伺います。
物理的なバリアという点では、トイレのバリアフリーが不十分であるために障害のある人が自力では利用できず周囲に気兼ねをして我慢をしてしまったり、男女のトイレを分けるなどの配慮がないために女性が我慢をし体調を崩すといった問題が起きがちです。

あわせて、普段と違う生活にストレスをためてパニック状態になってしまう障害者への配慮や、女性が抱える困難への配慮は、心のバリアフリーという観点で区民への啓発が必要です。

こうした物理的なバリアへの対応、また災害時に弱い立場に立たされる方の問題についてどう啓発していくか、お考えをお聞かせください。

【危機管理室長の答弁】

避難拠点の開設基準の見直しについてであります。

現在避難拠点は震度5弱以上の地震が起こり、実際に被害が生じ、避難者がいる場合に開設することとしております。
しかし、避難者や避難拠点運営連絡会の方などにとって開設の有無が分かりづらく、また被害や避難者の発生は発災直後に限らず一定の時間の経過後に起こる可能性もあります。そこで避難拠点の開設基準をより実態に即した誰にとっても分かりやすいものになるよう検討してまいります。

つぎに、避難拠点における障害者、女性への配慮についてであります。

避難拠点では、不特定多数の避難者が生活することになるため、様々なニーズのすべてに対応することには一定の限界があります。
しかしながら、障害者等が少しでも生活しやすい環境となるよう、住空間を分けることも含め可能な限り配慮することとしております。
今後とも避難拠点運営連絡会をはじめ、区民の皆様に対し配慮の必要性等について周知・啓発に努めてまいります。

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普段の生活の中でも困難に直面しがちな障害のある人や女性などについて、災害時には特別な配慮が必要です。
誰もが不安に感じる避難所生活で、みんながストレスを抱える状況にある時に、弱い立場にある人への配慮をする雰囲気作りができるかどうかは、とても大切なところです。

間仕切りも十分にない避難所で、性暴力の被害が発生することもあるし、たとえ被害にあっても「みんながピリピリしている状況の中で、被害を申し出にくい」という話も聞きます。

だからこそ、平時から十分な想定と区民への啓発を進める必要があると思います。

今回の答弁は、まず「不特定多数の避難者が生活することになるため、様々なニーズのすべてに対応することには一定の限界があります」という言葉が出てくるのは残念です。

障害者、女性以外にも高齢者や子どもなど、弱い立場に置かれがちな人が緊急時であることを理由に人権侵害を受けないように配慮をすることは、区が「やってあげる」ことではなく、「やるべき」ことだと思います。

まずは区の職員の意識啓発にも取り組む必要があると感じました。

災害対策①初動対応(一般質問)

なかなか一般質問の報告が終わらなくてすみません(^^;
このところ、福祉の施設をやっていて面白い取り組みをしている人と知り合ったり、原発の集会に行ったり、ブログに書いたほうが良いなと思う体験が色々あるし、議会は今日から決算委員会がスタートしたりと、色々書くべきことはあるんですけど、ひとまず一般質問の報告を終わらせなければ・・・と思っています。最新の状況についてはツイッターのほうもご覧ください。



災害対策については色々な事を聞いたので、いっぺんに書くとすごく量が多くなるから、何度かに分けて書きます。

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[かとうぎ桜子の質問]

災害対策について伺います。

3月11日の震災では、練馬区でも震度5弱の地震が起こり、初動対応の体制や区民への情報提供、高齢者や障害のある方、子どもたちへの対応など、様々な課題が見えています。私自身も区民の方からたくさんのお声をいただいています。この震災を機に、区民のみなさんが防災対策や区政を身近に感じ、その声をしっかり反映させる形で計画の見直しをする必要があります。そこで、区民のみなさんからいただいた声を中心に、震災対策について質問します。

まず、災害が起きた際の初動体制の考え方について伺います。今回の震災があり、区民のみなさんには「もし東京でもっと大きな地震が起きたらどうなるだろうか」という不安の思いがあると聞きます。たとえばある一人暮らしの障害のある方は、日中ならばヘルパーさんがいるけれど、夜中に震災が起きたらヘルパーがいないし、自力でベッドから車いすに移動するのも難しいから心配だとおっしゃっていました。また一方で、今回、帰宅困難になった区民の方が、家で留守番をしている高齢の家族の安否がすごく心配だったという声もありました。今後、災害対応を見直すにあたって、震災が起きる時間帯や曜日によっての違いを考慮した体制づくりが必要と考えますが、区のお考えをお聞かせください。

[危機管理室長の答弁]

現在区では、先の東日本大震災を機に、地域防災計画の抜本的な修正に取り組んでおり、その中で初動対応の整備を主な課題のひとつとして取り上げております。
震災は時間を選ばず突然に襲ってまいりますが、いかなる状況下でも迅速かつ的確な初動対応は被害を最小限に抑えるために大変重要であると認識しております。
今後、曜日別・時間帯別等、様々な被害状況を想定し高齢者や災害時要援護者も含めた対応を防災計画に反映するとともに、安否確認の方法を記した初動対応マニュアルの充実を図ってまいります。

給食の放射性物質検査などの対応(一般質問)

3月の震災以降、放射性物質の不安についてたくさん声をいただいていたので、個別の対応はしてきましたが、ようやく議会で正式な質問をする機会を得ましたので、特に今まだ対応が不十分な食材への対応について聞きました。

[かとうぎ桜子の一般質問]

放射性物質への対応について伺います。

福島第一原発事故による放射性物質の影響について、練馬区は夏季のプールの水の検査や校庭等の調査を行ってきました。
特に子どものいるご家庭は放射性物質による影響を心配されています。
区長は所信表明でもこの間の対応について話されていますが、内部被爆の問題には触れていません。そこで、まだ区では十分な対応がなされていない、給食への対応について伺います。

区は、給食に使われる食材の産地の公表も各学校の対応に任せてきたと伺いました。しかし、学校によって、保護者によって、得られる情報が異なるのではなく、すべての学校で情報公開をし、食の安全という観点から議論できる場を設ける必要があると考えます。これは、各学校の対応ではなく、練馬区の教育委員会の方針として明確にすべきではないかと考えますが、この間、教育委員会としてどのような対応をし、各学校での状況をどう把握されているのかをお聞きします。

また、牛肉からセシウムが検出され、他の自治体の学校給食ではそうした食材が使われてしまったことも判明しています。区は、出荷されている食材は安全であるという説明をしてきていますが、必ずしもそうではない状況があるのです。子どもの安全を守り、保護者の不安を解消するためには、食材の産地を明らかにするだけではなく、その食材の放射線の測定をする必要があると考えます。

杉並区は測定機器を購入しての対応をするということです。練馬区も、もっと積極的に子ども達の安全を守る姿勢を示すべきです。給食の食材の測定をすべきと考えますが、区のお考えをお聞かせください。食に対する区民の不安の声に対し、区のこの間の回答が非常に消極的であることは残念です。情報の公開をして不安を取り除く努力をすべきです。食の安全を区はどのように考えているのか、お考えをお示しください。

[教育長の答弁]

私から、学校給食における食材に関する放射性物質への対応についてお答えします。

区の学校給食では、米や牛乳などを除き、大半の食材について各学校が地域の業者等から調達しており、各学校において従来から産地、品質、鮮度、残留農薬の有無等を確認して選定すること、納品された食材を確認、記録することなど、安全な食材の調達を基本に運営しております。

今回の福島第一原子力発電所事故に伴い、学校における給食食材に対し、区民の方から多くのお問い合わせやご意見をいただいており、教育委員会といたしましては、保護者の不安を払拭することが必要であると考えております。

そこで教育委員会では各学校に対し「学校だより」や「給食だより」等を通じて、食材の調達方法および留意点などを伝えること、購入した食材の産地等を検収簿等に記録し、保護者からの問い合わせに対しては適切に対応することを通知したところであります。各学校においては、給食で使用する食材に関して周知を図り、保護者の不安の払拭に努めております。

農産物等の放射性物質検査につきましては、市販されている農産物等は生産地において出荷前に検査が実施されており、暫定規制値を超える放射性物質が検出された場合には出荷制限が行われております。したがいまして、市場に流通しているものを使用している学校給食用食材について、区が独自に放射性物質検査を行うことは、現時点では考えておりません。

いずれにいたしましても、食材の安全性の確保は、学校給食のみならず、区民生活にとって最も重要なことであります。今後とも、食材の安全性については関係機関に働きかけていくとともに、関係する情報を、保護者をはじめ区民の皆様に分かりやすく提供し、食の安全の確保に努めてまいります。

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従来、子どもたちの安全のために食材の確認をしてきたというのは言い分として分からなくもないのですが、食材の放射線の質問をするたびに「放射性物質の問題が起きる前から、食の安全の確認はしていたんです」という答え方をされるのはなんとも違和感が。

もちろん、いつでも安全の確認をするのは当然のことですが、3月11日以降、今までは想像もできなかった不安が私たちの社会にはあり、そして特に子どもを持つ人たちはその不安を強く感じているわけですね。

そんなときに、「食の安全は前から気をつけてます」という答え方って、不安に寄り添う答え方ではないな、と思ってしまいます。

ともあれ、食材の公表のほうは一定程度進められてはいる様子。

ただ、一般質問の本文にも書いたように産地を確認するだけでは安全とは限らない状況があるわけですね。牛肉からのセシウムの問題だけではなく、回遊する魚は大丈夫なのか、などの問題もあるわけで。

今後さらなる対応を求めたいと思います。

他の自治体ではすでに独自の対応をしているところもあるし、国が一部補助を出すような報道もあります。

今、議会には内部被ばくについての区民の方からの陳情が出ているので、改めて議論を続ける機会もあるかと考えています。

保育園の面積基準の緩和の問題(一般質問)

一般質問の続きです。

今回は、保育園の問題について書きます。

(かとうぎ桜子の質問)

保育園の待機児解消についての区の考え方をお聞きします。

8月の新聞報道で、保育園待機児の解消のための方策として厚生労働省が保育園の面積基準の緩和を認める方針を出したことが書かれており、ここで練馬区もその対象地域として名前があがっていました。

これは、地域主権改革の中で、厚生労働省令で定める基準を緩和することのできる特例措置の対象地域を定めるというものです。具体的には、待機児が100人以上いることや地価水準を限定して、35の市と区について認めるということです。8月に厚生労働省はこれについてのパブリックコメントを行い、9月2日に告示が出ました。また、東京都児童福祉審議会の専門部会でも、基準緩和による待機児解消は肯定的に受け止められており、子どもの置かれる環境の悪化が心配です。

待機児解消は重要な課題ですが、それを理由にして子どもたちが長時間生活する保育園の環境を悪くすることは避けなければなりません。待機児解消を理由に面積基準の緩和をするという流れに危惧を抱きます。そこで、この問題について区の見解を伺います。

まず、厚生労働省と東京都の動きについて、23区はどのような対応を協議しているか、現在の状況をお示しください。

次に、新聞報道によれば、他区ではすでに「緩和の予定はない」と明言している自治体もあるようですが、練馬区としてはこうした動きをどのようにとらえ、対応していくお考えなのかをお示しください。

子ども・子育て新システムのことも含め、保育について国や東京都がどのように動いていくかはまだ流動的でありますが、練馬区としてどう対応するかは練馬区が決めることです。待機児解消を理由に、保育の質を下げることがないよう、認可保育園の面積基準は今までのものから切り下げることがないよう強く求めます。

また、待機児解消については、区立保育園の改築時の定員拡大や民間保育園の新設などで対応を図っていますが、今後さらにどのような方針を持っているか、認証保育所も含む民間保育園の質を高める支援策とあわせてお聞かせください。

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(児童青少年部長の答弁)

保育園の待機児解消についてであります。

まず、認可保育所の面積基準の緩和についてであります。
地域主権改革に伴う児童福祉法の改正により、待機児童が多い首都圏、大阪府、京都府などにおいて、保育所の面積基準の緩和を都道府県条例に委任することとなり、東京都では0歳と1歳の面積基準を2.5㎡に緩和する方向で検討していると聞いております。

こうした国・都の動きに対し、23区では、特別区福祉主管部長会において情報を収集し、各区の状況について意見を交換しているところであります。また、区としましては、現在、面積基準のあり方について調査・研究しているところであります。

次に、待機児解消につきましては、現在長期計画において平成26年度までに1923人の保育所定員の拡大を計画化しておりますが、平成22年度から平成24年度までを保育所集中整備期間として位置付け、区有地を活用した民節民営の認可保育所の整備促進のための補助金制度の拡充や、認証保育所の誘致などにより、来年4月までには合計で1660人を超える定員拡大を図る予定であります。今後におきましても、待機児童数の推移を見守りながら適切に対応してまいります。

また、認証保育所をはじめとする民間保育園に対しては、巡回指導に加え、第三者評価の受審の奨励や区主催による乳児保育研修、障害児保育研修等の各種研修への受講の働きかけ、さらには自主的な保育関連研修の開催に伴う補助金交付により、保育の質的向上を引き続き図ってまいります。
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私の質問に出てくる「子ども・子育て新システム」というのは、国が今議論しているものですので、また近いうちにブログに書きたいと思いますが、子どもにとって本当に良い環境づくりになるかというととても疑問のあるものです。(子育て支援を介護保険と似たしくみにするというものです。介護保険にもたくさん課題があるのですから、それと似たしくみをとりいれたら問題が起きるだろうということはご想像いただけるかと・・・詳細はまた近日中に。)

子どものおかれる環境の悪化がとても心配される様々なしくみの変更が検討されてきている中で、待機児解消を名目にした面積基準の切り下げが行われようとしています。

これは地域主権改革の一環で、「国で最低基準を定めてきたものを、自治体ごとの条例で定めていこう」という議論から進められたものです。
しかし、最低基準は最低限の基準なんだから、自治体がそれぞれ主体的により基準の高いものを作っていこうというのは今まででも自由なわけで、地域主権を理由に最低限の基準をなくすというのはおかしいと私は思います。むしろ、国が定める最低基準程度しかできていない現状を、より基準の高いものに引き上げる努力はどうすればできるようになるかを考えるべきではないかと。

しかし、最低基準の切り下げは、国が決めても自治体はやらないことができる(従うか従わないかを決めるのは自治体であるというのが地域主権だから)わけです。

東京都は、当面の待機児解消のために一時的に面積基準を緩和するのはやむを得ないというスタンスに立っているようですが、都内の市や区の中にはすでに、「うちの自治体は待機児解消を理由にして基準を切り下げるつもりはない」と明言している自治体もあるので、私は練馬区にもぜひ明言してほしかったんですが。

主体性なく周りをきょろきょろ見ているような答弁で残念です。


この面積基準緩和については、厚労省は来年4月からOKということで告示しています。練馬区がこれに乗ってしまわないように、これからも状況を確認し、近いうちにきっと「やらない」と明言してもらいたいと思います。

日大の後継医療機関の決定

9月16日の議会・医療高齢者等特別委員会で、日大光が丘病院を引き継ぐ後継医療機関の決定について資料が出て議論がされました。

私は別な委員会(災害対策等特別委員会)に所属をしているので、それが終わってから傍聴をし、医療の委員会に所属をしている同じ会派の議員さんにあとで資料を見せてもらいました。

後継医療機関の名前は地域医療振興協会。公益社団法人で、東京北社会保険病院(北区)や台東区立台東病院などを運営しており、全国的に活動している団体だそうです。

提案として、小児科や産科は日大と同程度の医師を確保するということなのですが、ただ16日の委員会に出た資料は数が少なく、今までの経緯や選定の際の選定評価表が出ているだけです。地域医療振興協会が具体的にどんな提案をしたのかが分かりません。

選定理由の中には「運営開始後に損失が出た場合の補てんを区に求めていない」ということも書かれています。

一般質問でも言ったように、今まで赤字問題が繰り返されてきたことに対して今後区としてどう向き合っていくかが重要だと思います。上のように書かれているけれど、実際に赤字が続いた場合、どう対処していくのかはずっと考えていかなければならない問題だし、また医師の確保など本当に提案通りにできるのかも見ていかなければなりません。

それから、一般質問の答弁で「後継法人決定後は、区民の皆様のご意見を伺いながら、より良い病院づくりをめざしてまいります。」とありますから、区民の皆さんとともにこれらの課題を考える機会を作らないといけないと思います。


ひとまず、ご報告でした。

子ども分野の組織改正(一般質問)

練馬区は、来年度からの組織改正の素案を出しています。

その中でも大きな変更は、これまで健康福祉事業本部のもとにあった保育園や学童クラブ、虐待対応などの子育て支援分野について、教育委員会のもとへと移すというものです。私はこれに課題を感じているので、一般質問でも指摘をしました。

区役所の中の組織のことなので、一般的になかなかわかりにくいし、行政側の答弁が、一体何を言っているのかさっぱりわからないのでなおさら分かりづらいのですが、後半部分に私が感じている問題点についてコメントをつけますので、前半部分は辛抱してお読みください

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(かとうぎ桜子の質問)

組織改正について伺います。

区は、子ども施策や生涯学習等の来年度からの組織改正についての素案を出しています。

子ども分野に関しては、基本構想でも主要な分野として項目を立てており、この基本構想を実現するために、今まで福祉と教育にまたがっていた子ども施策を一元化することを目的とするといっています。

素案には、組織改正の目的について
「乳幼児期から青年期に至るまでの子どもに対する総合的かつ切れ目のない成長支援を効率的、効果的に展開できる体制を構築すること」
と書かれていますが、しかし、区の出す素案では、必ずしもすべての子どもとその家庭が対象になるわけではなく、障害児、ひとり親、DVと虐待問題の関連、子どもの貧困、子どもの人権という観点ではかえって分断が起きる部分があることに私は大きな疑問を感じています。そこで、子ども分野の組織改正について何点か伺います。

まず、この組織改正によって、子ども分野には具体的にどのようなメリットがあると考えているのか。あらためて区のお考えをお聞きします。

第二に、子どもに関わる現場との意見交換の状況を伺います。
組織を変えるのであれば、ただ看板を付け替えるだけでは意味がなく、実際に子育てをしている人にとって、また継続的に子ども・子育て支援に関わっている人にとって分かりやすく使いやすいものでなければなりません。
しかし、今まで健康福祉事業本部にあった子育て支援の部分を教育委員会のもとに置くことによって、区長から教育委員会への委任、教育長への再委任などの必要性が生じ、かえって分かりづらい印象があります。このことについて、今、子どもの分野に関わっている区の職員や、また関係する区内の子育て支援や教育に関わる団体などからはどのような形で意見をお聞きになっているのでしょうか。また、どんな声があるかをお示しください。

第三に、今まで福祉と教育とで分かれていたものを一体化させるにあたって、物理的に庁舎内の配置の変更などはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
たとえば幼稚園と保育園の担当が近くになるなどの形で、日頃からの情報交換ができるようになるのでしょうか。連携体制が具体的にどう進んでいくのかをお聞かせください。

第四に、特に支援を必要とする子どもや家庭への対応について伺います。
ひとり親家庭への支援、障害児への支援、DV問題への支援などは福祉分野に残るという今回の組織改正は、すべての子どもと子育て家庭を支えるという意味では大変不十分であると考えます。

たとえばひとり親家庭を支えることとその家の子の育ち、学校とのつながりは密接に関連します。

また、虐待の問題では保健相談所、福祉事務所、学校、地域、幼稚園や保育園との連携、都の児童相談所や警察等との連携を、子ども家庭支援センターが核となって行っていきますが、虐待問題と家庭でのDV問題は関連する場合も多いし、子どもにとっての様々な生活課題は貧困問題を原因にすることも多く、福祉の視点からの支援が欠かせないものです。

今回の改正によってこれらがかえって分断されるのではないかと懸念します。健康福祉委員会で質問した際には、「今まで通りの組織間の連携をしていく」という答弁がありましたが、今まで通りの連携で済むならばそもそもなぜわざわざ組織改正をするのでしょうか。矛盾を感じます。お考えをお聞かせください。

また、特に障害のある子に対しては、インクルーシブの視点が欠かせません。
子どもに対する総合的かつ切れ目のない成長支援をすべての子どもに対応できる形で組織改正をするのであれば、今までは地域の学校に行かずに特別支援学校や少し離れた特別支援学級に行くという形で近所の子どもと交流する機会を持てなかったり地域の人たちとも離れてしまうこともあったり、福祉と教育のあいだで分断されがちだった障害のある子への支援を、地域全体で行えるような体制作りをしなければなりません。なのになぜ、障害児は一体化される子ども施策からは外されてしまうのでしょうか。障害のある子は総合的かつ切れ目のない成長支援を受けられる対象からは外されるのでしょうか。
これは、区が障害のある子どもたちにどう向き合うかという姿勢がとわれる問題です。お答えください。

最後に、検討されてきた児童相談所の区への移管との関係を伺います。地方分権の議論のなかで、東京都の児童相談所を将来的に区に移管させることが検討されていますが、その場合の対応は今回の組織改正のなかでどう位置づけられるのでしょうか。お考えをお聞かせください。

私は、今回の組織改正の素案は、子ども施策のわかりやすさという点からも、すべての子どもへの支援という点からも不十分であり、かえって混乱を招くものであると考えます。一旦撤回し、子どもの視点に立った対応はどうすべきか、検討し直すべきです。


(健康福祉事業本部長の答弁)

まず、組織改正による子ども分野でのメリットについては、基本構想と長期計画に基づく子ども関連施策が一体的、総合的、かつ効果的に展開できるようになることであります。また、組織の一元化により、子どもに関する担当窓口等が区民にとってよりわかりやすくなるということであります。

次に、子どもに関わる現場との意見交換についてであります。職員には保育園長会や児童館長会などを通じ、また青少年育成地区委員会をはじめとする子どもに関わる団体についても随時情報を提供しております。こうした中で、新たな組織と各団体との関わり方に変更があるかなどのご質問はいただいておりますが、組織改正の方向性等についての特段のご意見は伺っておりません。

次に、組織改正に伴う庁舎内の配置変更については、組織改正を伴わない既存組織の配置を含め、全庁的な視点で、良好な職場環境となるよう検討を進めてまいります。

次に、特に支援が必要な子どもや家庭への支援については、子ども施策と福祉施策との両面から対応していく必要があると考えております。ひとり親家庭への支援については、主に親への福祉的支援が中心となっており、現在、総合福祉事務所で様々な事業を担っていることから、福祉分野において一体的に取り組んでいくことが効果的であると考えております。

また、障害児への支援については、障害者福祉施策としての自立に向けた支援が中心であり、「乳幼児期から青少年期までの成長支援」にとどまらず、「生涯を通じて成長段階に応じた一貫した支援」が重要であります。こうしたことから、今回の組織改正の検討においては、引き続き健康福祉事業本部が担うことといたしました。

いずれにいたしましても、子どもの健全な育成を支援していくためには、教育委員会と健康福祉事業本部との連携は大変重要であり、組織改正後についても子どもの視点に立って、さらなる連携強化に努めてまいります。

次に、組織改正と将来的な児童相談所の移管との関係についてであります。今回の組織改正は、現行の区組織における子ども関連組織の一元化を図ることを目的としております。一方、児童相談所の区移管は、23区全体の問題として、現在、東京都と具体的協議が開始される段階であり、今回の組織改正とは別に検討すべき都区間の課題であると考えております。

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区の答弁が、わかりづらいなあと思う理由。
①私は、素案に書かれている「目的」を読み上げた上で「だけど今の素案では、子どもがかえって分断される部分があって、メリットが感じられないから、もっと具体的にメリットを説明して欲しい」と質問しているのに、答えが「目的」に書かれている以上のものではないということ。なんだ、結局具体的なメリットは特にないってことかな?と思ってしまう。

②組織改正を機に庁舎の配置を工夫して連携が進むのかな、でも大幅な庁舎の配置変更はお金がかかるだろうなあ・・・と思って、庁舎内のレイアウトについて質問したら、「組織改正を伴わない既存組織の配置を含め、全庁的な視点で、良好な職場環境となるよう検討を進めてまいります」ときた。
もはや言葉の意味が理解できないんだけど、うーむと唸りながら解釈した結論としては、「区役所内の配置は、組織の改正とは別なこととして、全体的に良い感じにします」って訳せば良いのかなぁ・・・。

③障害のある子が障害のない子への対応と異なることについては、全然説明になってないと思う。

④いま、東京都にある児童相談所を将来的に区に置こうという話は、具体化はまだこれからとしても議論されていることなのに、それを想定しない組織改正であるのも不思議。具体化したらまた組織改正するのかしら。

それにいま、国でも「子ども・子育て新システム」というものが検討されていて、これまた具体的に区にどう影響するかはこれから議論しなければならないのに、その前に急いで区が先に組織改正したら、国や都の状況が変わるたびに対応しなければいけなくなるのでは?と思います。しかも急いでやるメリットが見えない・・・というか、デメリットが目立つように思います。

これは質問をしてみて改めて、疑問を感じる課題です。

日大光が丘病院の問題④ 行政側の答弁

日大の問題については、今度は16日の委員会で議論される予定。私はその委員会には所属はしていないのですが、状況は確認してまた改めて報告を書きたいと思います。

文章が長くなるので分けましたが、先ほどのブログに載せた私の一般質問に対する行政側の答弁を載せます。

【健康福祉事業本部長】
日本大学医学部付属練馬光が丘病院についてであります。

同病院は平成3年4月に開設し、以来これまで区の中核病院としての役割を担ってきました。これに対し区は、病院の安定化に寄与するため、建物賃借料の免除や手術室の増設など総額百億円を超える支援を行なってまいりました。

しかし、平成22年2月に、日本大学から区に対し、平成23年3月をもって日大練馬光が丘病院の運営から撤退することを決定したとの報告が突然なされました。区としては到底認めることはできないことから、少なくとも基本協定に基づく30年間は運営をするよう主張し、新たな提案も含め日本大学と話し合いを続けてまいりましたが、日本大学は理事会の決定を盾に、撤退の意思を変えることはありませんでした。このような日本大学の姿勢は、極めて遺憾であり、かつ社会的責任を放棄したものであると考えております。

日本大学には、病院運営を終了するにあたって、来年4月以降も引き続き区民が安心して医療を受けられるよう、十分な引継ぎを行う責務があると考えております。したがって、その責務を果たすよう日本大学に要請し、協議してまいります。

一部の新聞において、過日、日大練馬光が丘病院の後継運営主体が決定されたかのような報道がなされました。この報道は、現在、公平・公正に進められている区の選定手続きを著しく阻害するものであり、かつ区民の皆様や患者の皆様に著しい誤解と不信感を与えるものであり、区として看過することができないものと考え、当該報道機関に対して、厳重に抗議をいたしました。

後継法人の選定にあたりましては、これまでと同等の医療水準を確保することを重視しており、救急医療、小児医療、周産期医療および災害時医療の4つの医療機能を重点とし、人材の確保、経営力など多角的に評価を行なっております。

日本大学が病院運営から撤退する経過については、区報やホームページでお知らせしておりますが、後継法人決定後は、区民の皆様のご意見を伺いながら、より良い病院づくりをめざしてまいります。
医療機関への支援につきましては、現在、将来にわたる区の医療施策の基本となる地域医療計画を策定中でありますが、その中で検討してまいります。

また、人口10万人あたりの病床数が23区平均の3分の1に過ぎないことから、区内の病床を確保することは、極めて重要な課題であると考えております。一方、限られた医療資源を最大限有効に活かすことも必要であり、これまでも、医療機関と連携をはかり、休日急患診療所やこどもクリニックを設置し、地域医療の質の向上に努めてまいりました。

今後も、様々な場面で、区民のみなさまのご意見を伺いながら、地域医療の質の向上に務めてまいります。

日大光が丘病院の問題③ 私の一般質問

今日、一般質問が終わりました。まず、前回、前々回とブログで書いた日大の問題についての私の質問を載せます。


【かとうぎ桜子の質問】
日本大学医学部付属練馬光が丘病院の撤退問題について伺います。

日本大学は1991年度から2020年度までの少なくとも30年間は光が丘病院の運営をするという契約を練馬区と結んでいましたが、この7月15日になって突然、今年度いっぱいで撤退するとの報告が議会に対して行われました。私はこの唐突な報告にとても驚きました。

日本大学は2009年に、「このまま赤字が続けば撤退せざるを得ない」として、建物の賃料の免除などを区に求め、議会も議論の末、支援をすることを認めてきた経過があるからです。こうした支援は、少なくとも契約通りに2020年度までは日大光が丘病院を運営してもらうことが当然の前提であったわけです。赤字解消と医療の継続のために日本大学の経営努力も求めつつ、区としての支援をすることによって地域医療をともに支えようということだったはずです。
その結果、赤字も随分解消されて、今年度には黒字になる見込みも立ってきたと聞きましたが、そんな状況の中で本来の契約をあと9年間残した今年度いっぱいで撤退をするという大学の方針は到底認められるものではありません。大学法人の社会的責任を問うべき問題です。

報告によれば練馬区は、2010年2月には日大から「理事会で、区に対して撤退の意思表示をすることを決定した」との話を聞き、撤退を回避するための話し合いをしてきたといいます。そして2010年12月1日には、「撤退は認めがたいという区と、大学の見解が異なっているが、大学の意向が変わらない状況の中では、後継の医療機関への引継ぎのための協議を行ない、2012年3月末日には解決させる」という趣旨の文書を交わしています。区は、この文書を交わした後も、赤字解消によって撤退を回避する努力をしていたのだと説明していますが、文書を見る限り、撤退を認めたととらえることができます。

残念なのは、議会として建物の賃料の免除などの日大への支援を認めて以降、これだけ具体的に撤退の方向へと動いていたにもかかわらず、その経過がこの7月に至るまでまったく報告されなかったことです。突然の撤退の発表をうけて、今まで日大光が丘病院を利用していた区民の方々にも不安が広がり、「継続してほしい」という声が上がっています。
日大光が丘病院の現場で働く医師や、地域の医療機関からも、継続を望む声があがっています。

もし、日大からの撤退の申し出を受けたときにできる限り早い段階で公表をしていれば、「どうすれば日大の撤退を避けることができるか」「日大病院は地域医療にどう貢献してきたのか」「撤退やむなしとなるならば、どうすれば地域医療の質を落とさない方法をとれるのか」ということを議会、区民、日大で働く現場の医師やその他の区内医療機関のみなさんとも知恵を出し合い、話し合うことができたでしょうし、公表から引き継ぎを半年程度で行わなければならないという切迫した状況も避けることができました。

この間の日本大学の不誠実さはもちろんですが、区の対応も区民に対して誠実ではなく、問題があったと言わざるを得ません。

そこで、まずこの間、日大への財政的支援と合わせて区は日本大学とどのように話し合いをしてきたのか、そして大学法人としての姿勢をどのように受け止めてこられたのかを改めて伺います。

第二に、日大の協力体制について伺います。今までの経過をふまえると、今後、日大は練馬区の地域医療を低下させないよう協力する責任があると考えますが、区はどのような形で日大と話を進められるのか、お聞かせください。

第三に、後継医療機関の選定に関してうかがいます。先日、新聞で、後継医療機関の選定結果が出たかのような報道がありました。区が進めている選定作業の状況はまだ議会でも知らされていないのに、報道があったことには疑問を感じます。区としてのこの問題に対する対応をお聞きします。また、12日には選定委員会が開かれて、選定委員会としての一定のまとめをされると伺っていましたが、選定にあたって応募した医療機関が日大と遜色のない医療機能を持つかどうか、どのような観点から評価を進められてきたかを伺います。

第四に、区民への説明責任についてうかがいます。この間の経過を区民に説明する機会をいまだに持っていない点は問題です。区は、後継医療機関を決定してから説明の場を持つといいますが、来年度以降の医療の質を落とさないためにもまずは今まで日大病院を利用していた方々の声を聞くべきだったと考えます。今後、区民への説明、意見交換をどのように行っていくのか、お考えをお聞かせください。

次に、今後の区としての医療機関への支援体制をうかがいます。光が丘病院は、医師会立病院から日大へ引継ぎ、そしてまた日大が撤退しようとしています。このような問題を二度と起こさないために、区としては今後、場当たり的ではない体系的な関わり方の整理を行う必要があると考えますが、区はどんな方針をお持ちか、お聞かせください。

最後に、医療機関の質の確保と区民への啓発・意見交換の場の必要性について伺います。区長は、練馬区に病床が少ないことを理由に、新たな病床確保を目指していらっしゃいましたが、日大撤退問題で考えさせられるのは、医療を充実させるために必要なことは新たな病床を確保することだけではなく、今あるものをどう継続・向上させていくかということではないでしょうか。
今回の撤退問題を機に、日大光が丘病院の小児科は医師の数も豊富で、地域の医療機関との連携など、大変重要な役割を果たしていたのだということを、私達も改めて認識しました。こうした認識を深めることができたのが撤退問題がきっかけだったというのはとても残念です。こうした状況を反省し、今後は、ただ病院の数・病床の数という面を見るのではなく、その医療の質について、普段から区民の皆さんとともに考え、認識を深める場を持つべきと考えます。区としてのお考えをお聞かせください。

今後、医療水準の低下を招くことなく、地域医療の向上をさせることを強く求めます。

日大光が丘病院の問題②

7月中旬に突如発表された日大撤退問題。

練馬区議会は4月の選挙を経て、6月に最初の定例会が開かれましたが、このときにも、撤退問題についてはまったく報告がなかったのです。それなのに、定例会が休会中の委員会での突如の報告ですから、この問題について区長がどう考えているのかもわからないまま、7月、8月と時間がたちました。


一方で、日大は9月10日までには後継の医療機関を選定してほしいと、区に言ってきています。

そこで区は、8月初旬から後継医療機関の募集を始めました。

8月18日までに、4団体の募集がありましたが、その後、書類を提出する段階になって辞退をしてしまった団体が2つあり、結局8月末の段階で2団体しか残りませんでした。今、選定作業が進められており、9月16日の委員会では経過の報告がある予定です。

この問題に対しては、練馬区長だけではなく、議会としても意思表示をする機会がありませんでした。

そこで、この問題を扱う委員会で9月2日に、決議文を取りまとめました。内容は以下の通り。



練馬区と練馬区議会は、これまで地域医療の充実を図るために、医療機関の誘致などの施策を展開してきたところである。

しかしながら、7月4日、区の地域医療の中核をなす日本大学医学部付属練馬光が丘病院を運営する日本大学は、区に対して同病院の運営を平成24年3月末をもって終了するとの通告を行った。

このことは、区民の命と健康に影響を及ぼすとともに、これまで充実を図ってきた区の地域医療に重大な支障を及ぼすものである。

本区議会は、区に対して、区民の命と健康を守るため同病院の機能を維持するのみならず、さらなる地域医療の充実を図るため速やかに後継医療機関を決定し、区と後継医療機関および日本大学との間で円滑な引継ぎを行い、地域医療の確保・充実に全力で取り組み、今後、地域医療計画策定に十分配慮し、推進されるよう強く求めることをここに表明する。
以上、決議する。



この決議文は、9月9日の定例会初日、本会議で採決されましたので、このときに私も賛否の意思表示をしました。

私は、議会としては、日大の責任と区の対応の責任を問い、今後、日大の運営してきた医療の水準を落とさないことを求める必要があると考えましたが、残念ながらまとまった決議文はそのどちらも欠けていて、行政がやってきたことを追認するものでしかないと感じました。


議会は、ここまで長いあいだ、この問題について行政から事実を明かされておらず、そのためにこの問題について解決をはかるべくともに考える機会を奪われてきたのですから、もっと行政との距離感をもって議会の意思を表示すべきだと考えたのです。

ですので、この決議については、反対をしました。

では私は何を言うべきか・・・明日の議会で一般質問をし、この問題に対する私の考えを発言したいと考えています。

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日大光が丘病院の問題①

日大練馬光が丘病院が今年度いっぱいで撤退する問題は、報道等が行われているところですが、私のブログではきちんと書いたことがないので、今回はまず基本的なことを書きます。

7月15日、区議会の特別委員会で、光が丘にある「日本大学医学部付属練馬光が丘病院」が今年度いっぱいで撤退する報告がありました。区は、撤退の方針を変えない日大に対して「遺憾の意」を示しつつも、来年度以降の病院運営をしてもらえる事業者を募集すると言いました。


光が丘に病院ができたのは、1986年。
91年度から日本大学が病院運営をすることになりました。そのとき、区は日大と「91年度から2020年度までの30年間」の契約を結びました。


日大は、病院がずっと赤字であるという理由で、09年から区に支援を依頼するなど、協議をしていました。その結果、区は09年度から10年度までの建物賃料を免除するなどの対応をしてきました。
日大側は、「民法では、二十年を超える契約は認められないので、1991年に結んだ契約はすでに2010年度で終了している。撤退したい。しかし、円滑に引き継ぐために2011年度までは運営を続ける」と言いました。

区は、当初の契約どおり2020年度まで運営を続けるべきだと主張しましたが、「大学が意向を変えない以上、後継の医療機関への引継ぎのための協議を行ない、2012年3月末日には解決させる」という趣旨の文書を、昨年末に交わしています。しかし、この経緯は議会にはまったく報告されませんでした。区民のみなさんにも、何もお知らせしないままだったのです。
その結果、今になって、来年度になるまでのあと半年で引き継ぎしてくれる新たな医療機関を探さなければならないという切迫した事態になりました。


もともと、練馬区は人口の割に病床数が少なく、「23区平均の3分の1しかない」という理由から、区長は「今後、200床以上の規模の病院を区の西側に2つ新しく作って、すでにある3つの大きな病院(練馬総合病院、順天堂練馬病院、日大練馬光が丘病院)とあわせて5病院で地域医療を支えていく」という方針を昨年末に出していました。この方針じたい、具体化はまだまだこれからという段階のものでしたが、しかし、この方針を実現するにしても、今まで20年間、練馬区の医療を支えてきた日大がこれからも関わり続けることが前提だったわけです。

将来的な練馬区の地域医療体制の見通しそのものを立て直さなければならないかもしれません。それどころか、光が丘の病院を支えてくれる医療機関がみつからなければ、練馬区に「医療過疎」状態が生まれてしまう心配が、突如7月中旬に発生してしまったのです。

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9月4日区政報告会

9月4日(日)に勤労福祉会館で区政報告会をおこないました。

区政報告会の進め方はいつも試行錯誤なんですが、今回はふだんからボランティアで私の活動を手伝ってくれている人が司会を手伝ってくれて、被災地について思うところを参加者の皆さんと話し合いました。

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3月11日の震災の時にどこにいたか、どんな不安を感じたか、そしてその後に何をしたかを参加者の皆さんに発言してもらいました。

一般的に報告会は、議員のほうが話すのを参加者が聞く形が多く、私はできればそうじゃなくて参加型にしたいなと思っているのですが、中には参加型は苦痛だと思う参加者もいるだろうなあというのが悩みどころ。

今回も、発言してもらうのはつらい人もいるかなあと思ったので、「パスありで」と何度か言いながら順番に話していただきました。
けれども思いのほか、たくさんの思いをほぼすべての参加者が発言してくださって、ほとんどそれすべてで終わっちゃうような形になりました(^^;

話し合いを言いっぱなしで終わらないように円滑に進めるためには、「ひとり1分」ルールを設けるとか、もっと進行の工夫が必要だったと反省するところもあったのですが、ただ改めて思ったのは、自らが体験をしたこと(特に怖かったとか、人生が転換するような経験など)を自らの言葉で語るという時間を持つ大切さでした。

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要約してしまえば「情報提供」とか「高齢者への配慮」とか、どこでも言葉に出されているようなものになってしまうかもしれないけれど、一人ひとりが体験した事実、思いを「語り」として記録していくこともとても大切な作業なのではないかと感じました。


私のほうとしては、被災地で見てきたこととか、日大光が丘病院の問題のことも時間をとって話したいなと思っていたのですが、今回は時間切れで、本当に簡単にしか話せませんでした。

区政報告会の進め方はまだまだ課題が残るところです(--;)

日大問題は、私のブログでもまだ書いていないので、次回、書きたいと思います。

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被災地⑥ 石巻

昨日から議会が始まりました。その報告も書かなくてはいけませんが、長くかかってしまった8月末の被災地の報告を今回で終わります。

8月27日、短い被災地ボランティアの最後に、石巻駅の周辺に行きました。ここは、8月初旬の議会の視察の時にも行った地域です。


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避難所になっている湊小学校。

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その一角にピザを焼く窯があります。ピザの店をやる専門の人たちが、避難所の人の炊き出しとして時々、ピザを焼くのだそうです。
「最低限の生活」になりがちな避難所での生活に、潤いを与えるボランティアの活動はすごいなと感じます。


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小学校の前の信号はまだ復旧していません。当初、かなりの津波の水が来たので、歩道橋にあがって助かった方もいらっしゃったとか。

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道路の真ん中に、鯨の大和煮の缶詰を模した看板らしきものが落ちています。インターネットで調べたら、被災した「木の屋石巻水産」というところのもののようです。この会社も被災して復興に向けて頑張っている様子。(こちら
看板は車道ではない場所にとどまっているので、倒れたそのままになっています。


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まだまだ、壊れた車がそのまま置いてある場所も。


今回の旅に同行していたTさんの知り合いのCさんが、石巻に住んでいます。かつて、Tさんが家の泥を出すボランティアで関わりを持ったことがきっかけで、交流が続いているそうです。
今回は、ようやく獲れるようになった新鮮なカツオやサンマを持ってお邪魔して、一緒に食べました。
魚をさばいている間、Cさんのご家族とお話をしました。
一家は、津波が来た時、「まさかこっちまでは来ないだろうな」と思いながらも裏の山まで逃げたそうです。しかし、家の1階部分は壊れ、使えない状態に。しばらくは近くに住む兄弟の家に住まわせてもらっていたとか。
私たちが伺ったときにもまだ、1階部分の改修工事中でした。
津波の水が引いた当初、壊れてしまった慣れ親しんだ家を、とても見る気持ちになれなかったとおっしゃっていました。
お仕事も休んで復旧に当たり、ようやく4月に入って仕事に入れるかと思ったらまた大きな余震で大変な状況に戻り・・・という状態だったそうです。

近くの避難所からお弁当をもらってきて食べる生活から、ようやく電気やガスが戻って(ただガスはプロパン)、温かいものも食べられる状態になってきたというお話でした。

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視察の時にも行った、日和山公園では、この日はNPOが中心になってお祭りをやっていました。


旅で一緒だったEさんのお知り合いは、日和山公園近くの避難所にいらっしゃいました。
あと数日で仮設住宅に移るというところに訪ねて、少しお話を。
そろそろ寒い時期も近付いているし、生活に必要な品で揃えなくてはいけないものはあるんだろうか・・・と、私たちは心配になりますが、ご本人は「まずは、移ってみないことにはね・・・」。
半年近く避難所で生活をしてきた方が移るときの実感だろうな、と思いました。


石巻から仙台に出る電車はまだ全部直っていないので、電車→バス→電車と乗り換えるか、石巻駅から仙台駅への直通のバスに乗る必要があります。
東京から行く時は車で行ったのですが、そのまま現地に残る人が2人いたので、私とEさんは仙台までバスで向かうことにして、日和山公園近くの避難所から石巻駅に向かって歩きました。

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車のとおる大通りはだいぶ整備されているけど、一本入った商店街の道はまだこんな感じ。一度全部はがして道路工事をしているところ。


議会で視察に行った時はバスでの移動で、大きな被害を受けた地域を見てきましたが、議会で一緒に行ったみなさんとも、駅の周辺を少し歩いてみるということができたら良かったなあと、実際歩いてみて思いました。
道路がはがれていて、ほとんどの店がまだ営業を再開できていないという状態を見ると、改めて被害の大きさを感じます。



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震災とは関係ありませんが、表通りの商店街に仮面ライダーがいました。今は被災したため休館しているそうですが、石巻には石ノ森章太郎の漫画館があって、街の中にはこういうのが時々建てられているみたいです。

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石巻駅。

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石巻駅の駅舎もずいぶん可愛らしい。

駅の近くで、Eさんのお友達と待ち合わせをしました。
石巻に住んでいる人がお2人来てくれて、しばらくお話をしました。
私が特にお話を聞いた方は、飲食店を営んでいたけど店は壊れてしまい、今、新たな場所を借りて営業再開を目指して頑張っているということ。
ご高齢のご両親と被災したそうです。ご両親を車に乗せて逃げようと思ったらもう津波が迫っており、あわてて近くにあった立体駐車場にあがった。なんとか津波からは逃れたけど、水が引かないから立体駐車場で数日間、孤立してしまったそうです。
他にもここに逃げてきた人がいて、若い人たちがご高齢のご両親を気遣って、食べ物や飲み物を分けてくれたそうですが、それでも、脱水になってしまったそうです。
ご両親は最近はようやく落ち着いてきたということでした。

お店が再開したときには、飲みに行きたいなと思いました。




今回の旅で感じたことは色々あります。

まず、ずっと東京に住んでいる人にはイメージしづらいけど、土地がずーっと広いこと。同じ石巻市といっても町ごとに築いてきた歴史も文化もコミュニティーもそれぞれ違うということを考慮した復興を進めなければ、人の心の中にあるアイデンティティを崩してしまう恐れがあるから、丁寧に進めていかなければならないんだろうということです。

そして、人が生きるというのは、ただ何でもいいから食べて、ただ命があれば良いわけではないということを改めて考えさせられました。
家が壊れてしまって物理的に不便だったり、命を失うということだけではない喪失感です。

大切にしていたものがなくなってしまうこと-たとえば、Cさんは、「私の車が壊れてしまった。車自体は見つかったから、中にあったものはほとんど持ってくることはできたけど、車のCDプレイヤーの中に入っていたCD1枚だけはもう取ることができないの」とおっしゃっていました。

他の被害に比べればそれは小さいことだとか、買えばいいではないかとか、たぶんそういうことではないだろうと思います。
毎日車に乗り仕事に通っていた日常、その時聞いていたCDはもう戻ってこないんだという気持ち、ですよね。

被災地に住む方々とお話をさせていただいて、その気持ちを感じてこられたことは、とても重要なことだったと思っています。


今、被災地はまだまだ物理的にも大変な状況で、私たちが関わっていくことで少しでも良くしていかなければならない面はたくさんあります。
それとあわせて東京にいる私たちにできることは、被災地にいる人たちの「気持ち」に思いをはせることではないかと感じました。


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被災地⑤ 女川町

女川町は特に人には会わず、街の状況を見てきましたので、写真をご紹介。

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海沿いにあったトイレは、壁だけが残っています。

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建物は、ごろんと転がってしまっている。この写真でいえば、土台部分が左側面に来ています。

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これも、建物が転がっている。一見、ふつうに建っているように見えますが、よく見ると、階段が地面と水平方向についていますから、横に転がったのだと分かります。

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3階部分まで津波がきたことが分かります。

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これも建物が倒れている。

被災地④ 雄勝町

8月27日、大川小学校をあとにして、次は雄勝町に行きました。

雄勝町は2005年に市町村合併で石巻市に入りましたが、石巻の駅のあたりまでは車でも40分くらいかかる、少し離れた場所にあります。

硯(すずり)の産地だそうです。
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瓦礫の中から見つかった硯が置いてありました。


ここは、2階の高さを超える津波がきたそうで、2階建ての学校が丸ごと津波に飲まれているし、海沿いの街はすべてなくなってしまっている状態。
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ただ、学校にいた子どもたちはみんな裏の山に登って無事だったそうです。
しかし、普通だったら屋上に登れば大丈夫なのではないかと考えてもおかしくないところ。屋上に避難していたら津波に飲まれてしまったわけですから、本当に無事でよかった。

建物の上にバスが乗っています。
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大切にしていたんだろうなと思うものもたくさん落ちています。


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アンパンマンのおもちゃ。子どものものが落ちているのはつらいですね。


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おみこしも、太鼓も壊れてしまっている。地域のお祭りで使っていたものでしょう。

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車中だったのでうまく撮れませんでしたが、空っぽになった建物の中にクマのぬいぐるみが座っていました。
3月11日までそこで暮らしていた人のことを感じるとともに、瓦礫を撤去した人たちが、ぬいぐるみなどは丁寧に置きなおしたんだろうなという、その気持ちを感じます。




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学校の裏にたまった瓦礫

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山の木も海水で枯れています。木の上の方に流れてきた服などが引っかかっている。



この地域で支援活動をしている人からお話を聞きました。

お店も流され、自動販売機すら30分行かないとないような状態になって、多くの住民は別な場所に移動してしまっている状況。でも、アンケートをしてみたら、「雄勝に戻ってきたい」という人がたくさんいたから、まずはお店を作り、住まいを作り、街を立て直したいという話をされていました。


漁に使う網の糸を使って、この地域に住む女性たちが「ミサンガ」というアクセサリー(?)を作り始めたそうです。
詳細はこちら

漁業も中断を余儀なくされて、先の生活の見通しが立ちにくい中で、このミサンガを売ることがひとつの生活復興の方法になれば・・・ということですね。


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私もひとつ、買ってきました。考えてみれば、もっとたくさん買ってくればよかった(^^;
またいつか立ち寄りたいところです。


このあと、私たちは女川町を見に行きました。

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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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