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総合福祉センターと子育て広場の見学(沖縄視察報告②)

議会の健康福祉委員会で沖縄に視察に行った1日目、那覇市の「総合福祉センター」と子育ての「つどいの広場」の見学に行きました。

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ピンボケしちゃったんですけど、この施設内にはボランティアセンター、高齢者のデイサービス、児童館、老人憩いの家、障害者生活支援センター、ファミリーサポートセンター、社会福祉協議会、民生委員児童委員連合会、母子寡婦福祉会などなど、福祉に関するサービスを提供する場や関連の団体の事務所などが入っています。
平成7年(1995年)にできた施設だそうです。

施設の管理運営は指定管理者制度で社会福祉協議会に任せているとのこと。

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私が健康福祉委員会のメンバーとして視察に行くのは3回目なのですが、見学する場所が複合施設であることは多いなと思います。それだけ、複合施設を作っている自治体が多いということだと思いますが、今回、見学をしながら、「そういえば、私は学生時代に複合施設について調べたことがあった」とふと思い出して、7,8年前に書いた卒業レポートを引っ張り出してみました。以下に、その時調べたことを少し紹介します。


私が学生時代に研究したのは、高齢者と子どもの世代間交流についてだったので、それ以外の分野も入っている今回の見学先とは厳密には異なるかもしれませんが・・・

日本で複合施設が作られ始めたのは1990年代だそうです。少子高齢化の対策を練らなければならないという問題意識が出てきた時期。かといって、土地がたくさんあるわけではない中で、どうやって問題解決に当たるか、ということで、複合施設ができていったようです。(参考文献:草野篤子氏「インタージェネレーションの歴史」)

今回、見学した施設も1995年にできたものです。

複合施設として併設されるものとしては、
(参考文献:林廓子氏「「老人と子ども」統合ケアに関する自治体の取り組み状況調査」。1998年に行った調査)

・老人ホームと保育園
・デイサービスと保育園
・高齢者福祉センターと保育園や児童館

といったケースが多いようです。

ただ、異なるニーズを持つ高齢者、子ども、障害者などがともに交流をして地域で支えあうという理念を実現するためというよりも、限られた土地で効率的にサービス提供をするということを主眼として作られている場合が多いのではないかと私は思います。


ハードの面で集約していることで、日常的に顔の見える関係を作るなど、活かせる部分は存分に活かしたいところですが、「地域で誰もが安心して暮らす」社会を作るためには、むしろハードが集約することよりもソフト面の対応が重要なのではないかと思います。

異なるニーズを持つ人への対応を行う場合、それぞれの特性を十分に理解する必要があります。(たとえば、子どもと高齢者がともにいる機会を作るからといって、高齢者を子ども扱いして良いわけではない。)

また、ケアする側とされる側が分断されるのではなく、ともに不足する分を補い合っていくことに地域福祉の意義があるのではないかと思います。


広井良典さんという人が「ケア学―越境するケアへ」という本の中で、地域で支えあう「コミュニティケア」について次のように書いています。

たんにケアの提供される場所が施設からコミュニティ(地域)に移るということに尽きるのではなく、つまり「コミュニティにおけるケア care in community」ということに尽きるのではなく、より積極的に、「コミュニティ支援としてのケア」あるいは「コミュニティ(づくり)のためのケア care for community」という意味までを包含すると思われるのである。

「在宅ケア」というものは、決してたんに「物理的な意味」での在宅を意味しているのではなく、英語でいう"feel at home" つまり自分がその場所で安心感を得られること、そこに"根をおろしている感じ"がもてること、等々を意味するのであり、だとするとコミュニティの支えというものがきわめて重要な要素となるのではないだろうか。




複合施設の見学が終わった後は、「栄町市場」という商店街の中でやっている子育ての広場を見に行きました。

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(商店街の入り口)


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写真だとあまり伝わりませんが、栄町市場はとても古くからありそうな、使い込まれた雰囲気の商店街でした。


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その中の商店スペースの一角に、小さな子どもと親御さんたちが遊び、過ごすことのできる「ひろば」があります。


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向かいのお肉屋さんが、いつも親子たちを見守ってくれているそうです。


商店街はベビーカーを押すには決して広い道だとはいえないし、「ひろば」の部屋も大きくはない。ハードの面では十分に整ってはいないかもしれないけど、親子に声をかけてくれる人はひろばのスタッフだけではなくてまわりの商店の人も見守っていてくれる。
"feel at home"の空間は、やはり、ハードよりもソフトなんだろうなあと、ここでまた改めて感じて帰ってきました。


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はじめての沖縄(視察報告①)

10月25,26日に、健康福祉委員会で沖縄に視察に行ってきました。

私は以前、沖縄戦について考える勉強会というのを地域でやったこともあるのですが、実際に沖縄に行ったことがなく、今回が初めてでした。

1日目は、那覇市の福祉の複合施設と子育てひろばを見せてもらいました。2日目は、琉球大学でがんについての取り組みを伺いました。
それから、たまたま1ヶ月ほど前に沖縄で病院と高齢者専用賃貸住宅をやっている人と知り合ったので、短い休憩時間を使って個人的に見学をさせてもらってきました。

これらを順番に報告したいと思いますが、今回のブログではまず、はじめて沖縄に行った感想。

ホテルは、国際通りの近くでした。
那覇空港から国際通りまで移動する中で感じたのは、たしかに沖縄は米軍が当たり前のようにあり、そして観光で成り立っているのだということです。
そして、言葉も文化も食も違うということ。それは、もともと琉球が独立したひとつの国だったということを感じさせるものでした。

観光スポットの地域には、沖縄の料理、沖縄の音楽を聞かせてくれるお店なども多数あります。

私は今回は仕事で行ったわけですが、沖縄に観光旅行に行く場合、ベースとして沖縄が歩んできた歴史を知ることと、その文化を尊重することができるだけの勉強はしておくべきなのではないかと思いました。

そうでなければ、なんだか沖縄の文化を単に「消費」しているような違和感を持ったのです。


沖縄だけではないですが、海外旅行の旅番組などで、「エステに行って安く買い物をして楽しい」という情報が流れると、私はいつも違和感を持ちます。私たちとは違う文化を持つ国に行くのに、その国のことを知るよりも先に自分自身だけの快楽を求めているようで、なんだか異文化に土足で踏み込むような違和感です。

沖縄で感じた違和感はそれに似たものですが、日本における沖縄との関わりは特別だと思います。

もともとは異なる文化を持つ別の国だったこと。戦争の時に沖縄に大きな犠牲を強いてきたこと。そして日本の米軍基地が沖縄に集中している現状などを踏まえた上で訪ねていくべきなんじゃないかなと改めて思いました。


今回は福祉の視察なので、米軍の状況を見たり、沖縄戦の跡を見たりといったことはできなかったのですが、そういう観点で改めて行きたいなと感じました。

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うちの猫

うちの猫の名前はももちゃん。秋生まれだけど、単に飼い主の名前が桜子だから、ももになったのです。


この春はまだ体が小さかったので、寒い時には電気釜の内釜がないところに入りました。
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こうやって。


そして、
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こう寝る。



夏の間は暑いから入りませんでした。
その間にすくすく成長して、秋に1歳になりました。人間でいえばもうオトナです。


10月に入り、そろそろ寒い日もある今日この頃なので、久々に電気釜に入ることにしました。

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あら。

入りきれない。

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なんだか、釜から猫が生えてるみたい。


もう、寒くてもお釜の中には寝られません。残念でした。



私は明日から1泊で議会の視察に行ってきます。沖縄です。

記録をするためにカメラの写真の整理をしていまして、そんな中で猫の写真を載せてみました。

次回のブログでは視察の報告をしたいと思います。

放射線測定の23区の状況

10月初旬から、議会事務局を通して23区の放射線測定の調査をしました。PDFファイルです。こちらからご覧ください。

特にこのところ、雨どいなどで高い放射線量が出ることが増え、測定箇所の充実や除染を新たに始める自治体など、対策は日々動いていますので、調査が不足する点もあるかもしれませんがひとまず今日までの時点で把握できた状況です。
事務局を通した調査に加えて、各区のHPの内容を確認して書き加えてあります。

HPのリンクもつけてありますので、より新しい情報についてはそれぞれのHPを見ていただければと思います。

調査する中でいくつか特徴と感じた点を書きます。

空間線量の測定は、荒川区を除く22区が実施していますが、その内容は様々です。特に練馬区では取り組んでいない他区の取り組みを書き出してみると、
・土壌を中心的に調査しているところ
・定点を1か所決めて、毎日測定しているところ
・区内の小学校などで栽培している野菜の測定をしているところ
・測定箇所を校庭の中心でやっているところもあれば、植え込みや排水口までやっているところもある
・畑、農園などでもやっているところ
・落ち葉、堆肥の調査、水道水の調査も独自で行っているところ
・保育ママなども含む私立保育施設や区民が希望した際に簡易測定器の貸し出しを行っているところ

などがありました。

また、測定した放射線についてどう判断するか、専門家の意見を求めている自治体や、放射線について考える講演会などを行った自治体もありました。

このところは雨どいなど、堆積しやすい場所での高い放射線量が判明しているところも増えているので、こうした場所を中心に測定を行っている自治体も増えているようですし、区民から高い場所の通報があったときに区として再測定して必要な場合は除染する取り組みも増えてきているようですが、これもまた練馬区ではいまだ十分な対応が図られていません。

練馬区は、学校農園の調査を2校でサンプル調査した結果、1校から高い放射線量が測定されたとして対応を始めています。(こちらに詳細が書いてあります。)
こういう状況であれば、他の学校の測定や、雨どいなどホットスポットになりやすいと言われる場所の測定をもっと積極的に行う必要があるでしょう。


給食の食材についてはすでに9区が実施。(牛乳のみのところも4区ありますが。)
それ以外に、今検討中の自治体が2区。
食材の調達は各学校がやる場合が多いですが、その情報を区のHPでまとめて情報公開している自治体もあります。


状況がどんどん変わる、しかも良くはならずに悪くなる傾向がある中で、自治体は積極的に、まずは測定と情報公開を進める必要があります。
その方法は、上に見て分かるように自治体によって様々です。練馬区の対応はまだまだ工夫すべき点があると思います。

今までに例のない放射能汚染から子どもを守り、保護者の不安に寄り添って少しでも良い状況へと持っていくために、自治体には積極的な対応が求められると考えます。

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議会最終日、補正予算の反対討論

ご報告が遅くなりましたが、14日(金)で議会の定例会が終了しました。

議会の最終日は、その定例会に出された議案のうち、賛否がわかれた案件について討論がおこなわれます。

私は、補正予算に対する反対討論をしました。

今回の補正予算は、こちらの区のHPから、PDF形式で概要版を見ることができます。

当初予算を審議する定例会は、今年の3月11日まで開かれていました。つまり、当初予算は震災前に作られたものであり、震災の影響に対する対応策は今回の補正予算に初めて入れられるものです。

ですので、他の自治体では積極的な放射線対策などを入れていますが、練馬区はあまり目立ったとりくみがされていません。

討論では、そうした課題を指摘しました。

以下、討論の内容です。

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生活者ネット・市民の声・ふくしフォーラムを代表して、議案第74号平成23年度(2011年度)練馬区一般会計補正予算に反対の立場から討論をします。

今年度の当初予算は3月11日の震災前に編成・審査されたものでした。今回は震災をふまえた初めての補正予算です。

3月11日の震災とそれによる被害は、私たちの初めて経験する大きなものであり、今まであたりまえのように受け止められてきた社会のあり方・生き方を見直さなければならないと、改めて考えさせられるものでした。

東京にいる私たちも、東北の被災地にいる人たちのために何ができるか今後も継続的に考える必要がありますし、福島第一原発の事故による放射線の被害は、特にお子さんのいる区民の方に大きな不安を与えています。

また、東京のような電力消費量の大きな都心部にいる私たちの生活を支えるために、地方に原発がつくられ、今回のような事故によって住み慣れた地域で生きる権利を奪われる人が出てしまったことは、私たち自身が自分の問題として捉え、ひとりひとりが生活の中のエネルギーの使い方を見直す必要があることを改めて考えさせられました。


区は、これだけ大きな社会のあり方の転換をせまった震災を踏まえた補正予算を作るべきでしたが、対応が十分であるとはいえません。

まず、区は放射線量の測定について、プールの水中の測定、12ヶ所の空間線量測定、保育園等の簡易測定を進めていますが、いま、多くの区民のみなさんが不安に感じているのは子どもが口にする食材の安全です。杉並区では給食の食材の測定をする機器の購入を補正予算に入れたと伺っていますし、他の近隣区でも測定を予定している自治体が増えてきています。
練馬区は出荷された食材は安全との立場で、食材の測定には消極的ですが、牛肉からセシウムが検出された例もあり、今後どのような形で放射性物質の影響が及ぶかも未知である状況の中では、区民に身近な自治体として、区民の不安に寄り添う姿勢を示すべきです。

都内でも高い放射線量が測定される例も見られるため、区内の測定箇所をより充実させる必要もありますし、モニタリングポストの設置も早急に検討すべきです。

被災地への支援については、職員派遣など被災地に対する長期的視点に立った支援が必要ですが、それだけではなく、練馬区内に住むことになった避難者へのきめ細かな対応をもっと充実させるべきです。今、区は避難者登録をした人に対して区からのお知らせを郵送し、またご相談があるときには区役所等で受けているということですが、区として受け身の姿勢ではなく、アウトリーチをすることも必要です。
社会福祉協議会が孤立予防の事業を始めたと伺いましたが、区が把握している避難者と社会福祉協議会がつながるまでには個人情報の課題があります。かといって郵送で事業のご案内をするだけでは本当に困っている人の目には届かない可能性もあり、十分ではありません。慣れない土地での生活でお困りの方を見逃すことがないよう、まず区の職員が訪問する、あるいは区から社会福祉協議会にアウトリーチを委託するなどの形で個人情報の問題をクリアする方法を検討し、積極的な支援を進めるべきです。

震災に関連する施策・事業の他にも、区民とともに区政を進めるためには課題が多くあります。

日大練馬光が丘病院はこの間の経過を7月中旬まで明らかにしなかったこと、また、いまだ公表されている資料は十分でなく、区民への説明会が開かれていないことは問題であると考えます。これまでの日大との交渉の経過と後継の医療機関の選定経過についても早急に詳細な情報公開をして、区民の皆さんとともに地域医療を築く土壌をつくるべきです。

練馬駅北口区有地は、民間の事業者任せでその内容を決めるやり方は、区の責任のあり方として問題があります。この土地は50年間の定期借地権方式ですが、30年の契約を途中で破った日大を見ても、施設を整備・管理する事業者の撤退や施設内に入るという病院が撤退するようなことが起きたらどうするのかなど、その安定性に疑問がありますし、今回の震災の状況を見ても、駅直近にある区有地はひろばとして整備し災害時の対応の拠点とすべきです。
ここがひろばとして整備されることは、ふだんの区民のつどう場を駅近くに作るということにもなり、工場のあった土地を地域の環境改善の観点から購入した経過から考えても、区の姿勢として評価されるものになるはずです。

以上、述べましたような点から、震災以降に特に見えてきた様々な課題や区民の不安に応えていない今回の補正予算に反対を表明し、討論とします。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

決算委員会のこと

練馬区議会の定例会は明日までです。
今日は事務整理日で議会の会議はないので、私は今日は大泉の事務所で、たまった事務作業を片づけています。

今回の定例会で一番時間を費やしたのが、決算委員会。昨日が決算の最終日でした。

区議会では2・3月に翌年度の予算、9・10月に前年度の決算の審議をします。
予算・決算の特別委員会は、議長を除く49名の議員全員で構成をし、会派ごとに一定の時間内で質疑をしていきます。
委員会運営を進める委員長・副委員長は会派が順に出していて、今回は私の会派の番だったので、私は初めて副委員長の職を務めました。

全部の議員(議長もオブザーバーという形で出席しています)が入る大きな部屋に、その日の決算の担当の部課長も入った委員会が開かれます。

部屋の中は、ロの字に机が並んでいます。
正面に委員長・副委員長、議長・副議長が座っていて、その対面に区長や行政の部課長が座っています。
のこりの2辺に質問をする46人の議員が座っています。
(・・・図を書けばわかるのですが、ブログには図が載せられない・・・。イメージできますか? ^^;)


行政側があらかじめ出してくる資料だけでは十分な審査ができないので、各議員は補足資料を個別に請求し、調査をしたうえで質問を組み立てます。委員長・副委員長は各議員が個別にどのような資料を手にしたかを把握したうえで委員会運営を進めます。

基本的には委員長が進行をするのですが、時折、副委員長が委員長職を務めることがあります。
予算・決算の質問は一問一答式ですので、議員と担当課長・部長を指名していくのです。これは単純な役割のようで、なかなか大変なのだということも、初めての経験。

委員長席は、他の席より階段2段分くらい高くなっています。
決算写真
(委員長席に座った時の様子。)


だから、大人数がいる部屋でも、誰が挙手をしているかが見えるのですが、上から見ると、各議員や部課長が手元に何をおいて、どういう動きをしているのかもよく見えるのです。(特に、私は視力が良いので。)

質問をする席のほうにいるときには、自分自身が質問をするだけでも必死で、答弁をする行政側がどういう状態になっているかがわかりませんでしたが、今回は行政側のことがよく見えて興味深かった。

質問をしたあと、行政の答弁が返ってくるのに時間がかかることがあります。一生懸命資料を探していることもあれば、手元は資料を探すような動きは全然してないのになかなか答弁の挙手をしようとしない人も中にはいました 
(もちろん、ほとんどの場合は、自分の担当に関係がある質問だなと思った段階で身構えて答弁の機会を待っているんですけどね。)

考えてみれば、細かな数値は資料を見なければわからないとしても、基本的な考え方については、担当課長は即答できて当然ですものね。

つまり、向き合い方が答弁の姿勢にあらわれることがあるんだなあ、と感じることがありました。

また、逆に、質問をしている議員の側が答弁を求めていないのに議員の発言中に割って入って答弁しようとする人もたまにいました…。

行政側にしてみれば、議員の質問の内容によっては、「一生懸命やってるのに、そんな指摘のしかたをされると不本意だ」と思うこともあるんだろうなとは思いましたが、それでも人がしゃべっている途中に割って入るという姿勢は良くないですね。

ましてや、はじめに書いたように、予算・決算の質問時間には一定の限りがあるし、質問をする権限は議員のもっとも大切な役割なので、誰かにその権限を奪われることがあってはならないのです。

だから、委員会を進行する人は、それぞれの議員が質問する権利を守るということがとても大切な役割だということを、改めて考えました。


行政の担当者が、どういう立場の議員にどういう質問をされたとしても、誠実に答えられるかどうか、ということは、日々、誠実に仕事に向き合っているか、誠実に区民に向き合っているかという姿勢を端的にあらわすものなのだなあと感じて、とても興味深かったです。


副委員長は委員会中に質問をすることはできないので、この決算委員会は私は質問はしませんでしたが、その分、普段とは違う位置から違う視点で委員会を見ることができたのは良かったです。

来年2月の予算委員会では、今回の経験を生かして質問をできたらと思っています。

※かとうぎ桜子のHPはこちら

災害対策⑦ 被災地支援(一般質問)

一般質問の報告、これでついに最後です。

【かとうぎ桜子の質問】

今後の被災地への支援の考え方を伺います。

練馬区は宮城県亘理町に12月まで復興計画作りのための職員派遣をしています。

今、被災地では多くの避難所が閉鎖されてアパートや仮設住宅へ移る人も増え、がれきの山はまだ片付かないものの、震災直後とは違った形に移行してきていますし、当初とは違った形の支援が必要になってくると思います。

区長は所信で、今後も継続的な支援をしていきたいとおっしゃっていましたが、今の段階で具体的にはどのようなことをお考えになっているかお聞かせください。

たとえば、障害のある方や高齢の方、小さなお子さんのいらっしゃるご家庭など、ふだんの生活でも支援が必要な方は被災地ではなおさら大変な状況にあると考えられます。こうした方々の支援にあたる現地の行政職員もまだまだ大変な状況があるかと思いますが、今まで練馬区が支援に入った自治体からはどのようなお話をお聞きになっているでしょうか。

区として、これからも長期的な支援活動を続け、そして区民のみなさんにもそれをお伝えしていくことによって、東北の被災地からは遠く離れた練馬区でもこれからもずっと我が事として復興を考えていく必要があると考えます。被災地に対する区としての思いをお聞きして、私からの一般質問は終わります。


【区長の答弁】

今後の被災地への支援についてであります。

区では震災発生後、基本方針のひとつとして「被災地に対する支援」を掲げ、迅速かつ的確な対応に取り組んでまいりました。これまで被災地への救援物資の搬送をはじめ、宮城県亘理町のほか、特別区長会での申し合わせに基づく被災自治体への職員派遣など、でき得る限りの対応を図ってきたところであります。

現時点では亘理町への中長期派遣を含め、岩手、宮城および福島県の10を超える自治体に被災家屋調査等に従事するため、一人一日単位で計算すると延べ二千人以上の派遣を行っております。

本区が職員派遣を行った亘理町や特別区が連携して派遣した自治体からも、感謝の意が表明されておりますが、現地では行政事務に従事する自治体職員が足りないという切実な声も伺っております。

現在区では亘理町をはじめ被災自治体への派遣を継続中でありますが、さらに11月に被災地で実施される選挙に従事職員の派遣を予定するなど、復興へ向けた人的支援は大変重要な役割であると考えております。すでに東日本大震災の発生から半年が経過いたしましたが、被災地の復旧・復興にはこれから長い年月がかかると思われます。
私といたしましては、今後も、被災地の復興に向け的確な支援を継続してまいります。

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被災地では、現地の行政職員もみずから被災していながら行政の仕事をしなければならないことで、かなり大変な状況にあると言われています。まだまだしばらく、長期的な視点での支援をし続ける必要があると思います。

そして、それを区民のみなさんに知っていただく機会を、これからも持ち続ける必要があるかと思います。やはり、緊急時にしっかり対応していくことは、自治体が向き合うべき公共性の高い大切な役割ですものね。


それにしても、区長の答弁、「本区が職員派遣を行った亘理町や特別区が連携して派遣した自治体からも、感謝の意が表明されておりますが」というところに、なんだか違和感。

この被災地支援は長期的な視点で取り組むことが必要になるし、そこから見える課題を今後の防災に活かす必要があると思います。
具体的に何をするかは、こちらが押しつけるものではなくて、現地の人からの依頼を受けてやるということにはなりますが、それでも支援する側は支援する側なりの計画を立てて全体を見渡し、やってきた活動の成果を客観的な指標を用いて評価していく必要があるのではないかと思います。

「感謝の意が表明されていますが」という言葉をあえて答弁の中に入れたのはおそらく、それがひとつの評価の指標だという意味だろうと思いますが、これはあんまり良くない気がします。
今後に活かすためには今回の経験をもっと客観的な評価の言葉で表わすべきだし、こういう言い方をするとなんだか、「感謝されたいためにやったの?」と言いたくなってしまうから。

まあ、いずれにしても、区としての関わりと区民との情報交換は、一過性のものではなくて続けていくべきと思います。

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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