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区民のみなさんとともに、気仙沼、女川へ
報告が遅くなりましたが、11月5日と6日、被災した地である気仙沼と女川に再び出かけてきました。
今回は、区民のみなさんにもお声かけさせていただきました。先方の受け入れのご都合もあるので、そんなに大人数ではなく、総勢11人での旅でした。
8月にお邪魔した気仙沼の猪苗代病院でのボランティア、そして神社の境内にある紫会館に泊めていただきました。
猪苗代病院は改修工事中、気仙沼の復興商店街もまだ建設中で、これらが完成していればまた他にもお手伝いできることがあったかもしれないけど、今は過渡期で、ほんのちょっとした、庭の草刈りのお手伝いを・・・。

参加者の中に、ふだんは電気の工事の仕事をしている人がいたので、病院内の電気の具合を見てもらう、というような活動もありました。

(猪苗代病院の建物)
お手伝いが終わり、気仙沼の街を歩きました。猪苗代病院、紫会館の近くの商店街は、8月に行った時とまったく変わりませんでした。

(津波の被害にあって使えなくなった建物も残っている)

(柵などが崩れかけているのもそのまま残っている)

(この「男山」と書いてある建物は、もともとは3階建てだったとか。)

(これは、私の家にいるももちゃんと同じような猫が歩いていたので撮りました・・・)
信号もまだ点灯せずに暗くなったままのところもありました。
気仙沼市のHPを見ると、10月にようやく震災復興計画ができて、これから具体的に動いていくようです。
地盤沈下がおきて、冠水しているので、車道部分は土を盛り上げてありますが、建物のほうはまだ手つかずです。

この写真では、車道と建物側の段差が見えると思いますが、これだけ土を盛っているということですね。
水道、電気などのライフラインを復活させて、建物を建て直せるだけの整備を進めるには、本当に長くかかるかとは思います。
しかし、それにしても8ヶ月間、津波の被害が生々しく残る建物をそのままにしてあるというのは、住んでいる人にとってはつらいのではないんだろうか・・・と思いました。
「波なんてものではない、街に【海がやってきた】という状態なのね・・・」と参加者のひとりがつぶやきました。

(久しぶりの紫会館)

(夜にはさんまをいただきました。)
街が元通りになるには当分の時間がかかりそうだという中で、地域の人たちは仮設の復興商店街づくりを頑張っています。

6日の朝は雨だったのでちょっと見えにくいですが、建設中の復興商店街。12月中旬にはオープンさせたいと頑張っているところ。
6日は気仙沼から女川に移動し、みずからも被災しながら地域の人たちを励ます活動をしているボランティアグループの人と一緒に炊き出しをやりました。
女川町の津波の被害は本当に大変だったようで、少し小高い丘の上まで津波の被害にあっています。壊さなければならない家もあったし、被害にあったお家を直しながら生活している人もいる。
自宅を直して暮らす人たちは、避難所や仮設住宅に入っている人よりも支援の手や目が届きに行くい、という困難も抱えていると伺いました。
そんな、お家で暮らしている方々の地域で、ご飯を作って交流したのでした。


宮城はやはり車では遠くて、1泊で出かけてできることなど、本当に限られたものです。
でも、実際に出かけてその場を見て、そこに住む人と交流することで、参加者が感じるものは大きく、東京にいるときに被災地にはせる思いもとても大きくなります。
普段は平日お仕事をしていて被災地に行くことができていない人や、継続的にボランティアをやる自信はまだないけどでも何かしたいと思っている人たちが訪れる機会も重要ではないかとも思います。
同じ地域の人と、継続的な交流も続けたいなと思います。
私たちにできることは、たまに出かけてお話をしたり、そしてその地にあるものを味わう、購入するなどのことなのかなあ、と改めて感じながら帰ってきました。
完成した復興商店街を見てお祝いもしたいし、今回ご関心がありながらも参加できなかった人も多いので、春になって車で訪ねられる季節になったら、また企画をしたいと考えています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
今回は、区民のみなさんにもお声かけさせていただきました。先方の受け入れのご都合もあるので、そんなに大人数ではなく、総勢11人での旅でした。
8月にお邪魔した気仙沼の猪苗代病院でのボランティア、そして神社の境内にある紫会館に泊めていただきました。
猪苗代病院は改修工事中、気仙沼の復興商店街もまだ建設中で、これらが完成していればまた他にもお手伝いできることがあったかもしれないけど、今は過渡期で、ほんのちょっとした、庭の草刈りのお手伝いを・・・。

参加者の中に、ふだんは電気の工事の仕事をしている人がいたので、病院内の電気の具合を見てもらう、というような活動もありました。

(猪苗代病院の建物)
お手伝いが終わり、気仙沼の街を歩きました。猪苗代病院、紫会館の近くの商店街は、8月に行った時とまったく変わりませんでした。

(津波の被害にあって使えなくなった建物も残っている)

(柵などが崩れかけているのもそのまま残っている)

(この「男山」と書いてある建物は、もともとは3階建てだったとか。)

(これは、私の家にいるももちゃんと同じような猫が歩いていたので撮りました・・・)
信号もまだ点灯せずに暗くなったままのところもありました。
気仙沼市のHPを見ると、10月にようやく震災復興計画ができて、これから具体的に動いていくようです。
地盤沈下がおきて、冠水しているので、車道部分は土を盛り上げてありますが、建物のほうはまだ手つかずです。

この写真では、車道と建物側の段差が見えると思いますが、これだけ土を盛っているということですね。
水道、電気などのライフラインを復活させて、建物を建て直せるだけの整備を進めるには、本当に長くかかるかとは思います。
しかし、それにしても8ヶ月間、津波の被害が生々しく残る建物をそのままにしてあるというのは、住んでいる人にとってはつらいのではないんだろうか・・・と思いました。
「波なんてものではない、街に【海がやってきた】という状態なのね・・・」と参加者のひとりがつぶやきました。

(久しぶりの紫会館)

(夜にはさんまをいただきました。)
街が元通りになるには当分の時間がかかりそうだという中で、地域の人たちは仮設の復興商店街づくりを頑張っています。

6日の朝は雨だったのでちょっと見えにくいですが、建設中の復興商店街。12月中旬にはオープンさせたいと頑張っているところ。
6日は気仙沼から女川に移動し、みずからも被災しながら地域の人たちを励ます活動をしているボランティアグループの人と一緒に炊き出しをやりました。
女川町の津波の被害は本当に大変だったようで、少し小高い丘の上まで津波の被害にあっています。壊さなければならない家もあったし、被害にあったお家を直しながら生活している人もいる。
自宅を直して暮らす人たちは、避難所や仮設住宅に入っている人よりも支援の手や目が届きに行くい、という困難も抱えていると伺いました。
そんな、お家で暮らしている方々の地域で、ご飯を作って交流したのでした。


宮城はやはり車では遠くて、1泊で出かけてできることなど、本当に限られたものです。
でも、実際に出かけてその場を見て、そこに住む人と交流することで、参加者が感じるものは大きく、東京にいるときに被災地にはせる思いもとても大きくなります。
普段は平日お仕事をしていて被災地に行くことができていない人や、継続的にボランティアをやる自信はまだないけどでも何かしたいと思っている人たちが訪れる機会も重要ではないかとも思います。
同じ地域の人と、継続的な交流も続けたいなと思います。
私たちにできることは、たまに出かけてお話をしたり、そしてその地にあるものを味わう、購入するなどのことなのかなあ、と改めて感じながら帰ってきました。
完成した復興商店街を見てお祝いもしたいし、今回ご関心がありながらも参加できなかった人も多いので、春になって車で訪ねられる季節になったら、また企画をしたいと考えています。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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沖縄の高齢者住宅(沖縄視察報告:番外編)
沖縄での委員会視察の1日目、総合福祉センターと子育て支援施設の見学が終わった後に、短い休憩時間がありました。
私の企画した講演会に講師として来ていただいた本庄有由さんの紹介で、少し前に沖縄の医療法人の看護師さんと会いました。(東京で。)
病院を運営しながら、高齢者用の住宅(高齢者専用賃貸住宅)を作っている。できれば将来的には全国各地の高齢者住宅と連携をして、入居者が他の地域の高齢者住宅にも泊まりに行くことができるような取り組みができないかと考えているというお話でした。
そうすれば、寒い時期に沖縄に行き、暑い季節には涼しい地域に訪ねていくことができて、入居者にとっても楽しいだろうと。
それから、できるだけ高齢者の経済的な負担がないようなとりくみをしていきたいと頑張っているけど、なかなか厳しいというお話も。
今回、ほんとに短い休憩時間で、この人にお会いして、施設を見せていただきました。
本当に、30分くらいの時間でしたが・・・。
HPはこちら
(施設の看板)

(道路から見た、施設の外観)

高齢者用の住宅の同じ建物の中に、診療所やデイサービス、認知症の方のためのグループホームがあります。また、保育施設も併設されているので、ここのスタッフや近隣の子どもが利用することができます。
(診療所)

(グループホーム)

(保育施設)

HPにも料金表が出ていますが、敷金が20万円で月額12万9千円~13万9千円。有料老人ホーム・高齢者専用賃貸住宅は高い金額のところも多いので、わりと安い方なんだろうとは思います。
ただ、そうはいっても年金の額が低めの人にはきついですよね・・・。
中低所得の高齢者が安心して住まえる環境作り、本庄さんも取り組んでいらっしゃるけれど、取り組みながら課題を解決していくしかないですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
私の企画した講演会に講師として来ていただいた本庄有由さんの紹介で、少し前に沖縄の医療法人の看護師さんと会いました。(東京で。)
病院を運営しながら、高齢者用の住宅(高齢者専用賃貸住宅)を作っている。できれば将来的には全国各地の高齢者住宅と連携をして、入居者が他の地域の高齢者住宅にも泊まりに行くことができるような取り組みができないかと考えているというお話でした。
そうすれば、寒い時期に沖縄に行き、暑い季節には涼しい地域に訪ねていくことができて、入居者にとっても楽しいだろうと。
それから、できるだけ高齢者の経済的な負担がないようなとりくみをしていきたいと頑張っているけど、なかなか厳しいというお話も。
今回、ほんとに短い休憩時間で、この人にお会いして、施設を見せていただきました。
本当に、30分くらいの時間でしたが・・・。
HPはこちら
(施設の看板)

(道路から見た、施設の外観)

高齢者用の住宅の同じ建物の中に、診療所やデイサービス、認知症の方のためのグループホームがあります。また、保育施設も併設されているので、ここのスタッフや近隣の子どもが利用することができます。
(診療所)

(グループホーム)

(保育施設)

HPにも料金表が出ていますが、敷金が20万円で月額12万9千円~13万9千円。有料老人ホーム・高齢者専用賃貸住宅は高い金額のところも多いので、わりと安い方なんだろうとは思います。
ただ、そうはいっても年金の額が低めの人にはきついですよね・・・。
中低所得の高齢者が安心して住まえる環境作り、本庄さんも取り組んでいらっしゃるけれど、取り組みながら課題を解決していくしかないですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
がん対策(沖縄視察報告③)
2日目の視察では、琉球大学の医学部の先生からお話を伺いました。
「沖縄県がん診療連携協議会」というものがあって、医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会、県立・市立の病院、患者の立場の人、有識者などが参加して定期的に会議をして、情報や問題意識の共有を図っているそうです。
生涯でがんにかかる割合は2人に1人。年齢が上がるほどその割合は高まるので、誰でもかかり得るということを前提にして、がんになった時に安心して将来の生活の見通しを立てられる支援をする必要があるというお話を聞きました。
タバコはがんのリスクを高めるけれど、それ以外のことで何をすればがんにならない(何をするとがんになる)とは言えないし、多くのがんは遺伝もしないと。
でも、自分や身内ががんになったら、「なんで自分が・・・」と理由を考えてしまうのは当然の気持ちであると。
そこで、がんについての情報は必ずしも正確ではないものもある中で、正確な情報を当事者に届けるとりくみをしているというお話でした。
たとえば「がんになったら手にとるガイド」という本や「がんナビ」というサイトの紹介など。
情報というのは具体的には、
・がんになった時、他の人はどう向き合ってきたかを知ること
・自分のかかったがんの特徴を知ること
・医療機関との関係の作り方
・セカンドオピニオンのこと
・経済的な負担のこと
・負担を軽減するためにどんな年金・保険などどんな制度が使えるかということ
など。
そして、色々な経験はやはり経験者同士で話し合うことで解決できたり、理解しあえることもあるので患者会のことなども情報として知ることは大切。
また、自分のがんが今どういう状態にあって、今後どういう治療や検査をするのか、リハビリなどのスケジュールを表にした「クリティカルパス」というものを作り、さらには急性期、回復期という状態にあわせて関わる複数の医療機関の連携に活かしていくという取り組みを沖縄では進めているそうです。
お話を聞いていて思ったのは、がんというのは私にとって(そして多くの人にとって)客観的な問題ではなくて自分の問題であるということです。
私の父も大腸がんになって、転移はせずに今5年目になりました。父の場合は良い経過をしているけれど、親しかった恩師や友人知人の中にもがんになった人は多く、亡くなってしまった人もいます。
親しい人や身内ががんになるという中で、私は支援する側の立場としてがんを見ることができず、「なんで○○さんががんになってしまったんだろう・・・」と、何かの答えを求めたいという心の混乱の渦を経験したし、そこから今でも抜け出すことはできず、しかも抜け出せていないことに自分でも気づいていなかったということを感じました。
「なんで自分ががんになったんだろう、と思うのは、誰もが持つあたりまえのこと」
これを、今回お話をしてくださった先生から聞いて、ハタと自分の気持ちにも気付いたのでした。
福祉の仕事をしたり議員として色々な相談に乗っている中で、気持ちの混乱というのは起こり得るということはわかっているつもりだったのに、いざみずからが当事者になってみるとやはり自分にも同様の気持ちが起こっていた。しかもそれに気付けていなかったんだ!というのは衝撃的でした。
自らが抱えている気持ちに気付くということはとても大切だなと思います。それが客観性につながり、そして同様の立場に立った他の人への思いやりの気持ちや支援につながるからです。
「生涯で2人に1人ががんになるのだから、家族にがんを患う人がいる子どもも多い。だから、教育の中でのケアもしていく必要がある」と、先生は説明してくださいました。
誰もががんにかかる可能性がある中で、やるべきことはできるだけ早期に発見すること。そして心のケアも含めてしっかりと情報提供をしながら進めていくことが必要だということです。
早期に発見するためにはがん検診が必要ですが、検診率を上げるためには新聞・テレビなどで不特定に呼び掛ける方法ではなく、対象者に個別に直接電話をしたり、訪ねていったりということが有効だそうです。
これは興味深い話ですが、練馬区のように人口の多い自治体はどう取り組むべきか、難しいところですね。
そこで私が考えたのは、がんの体験をした人がその体験をふまえて、友人たちに検診を勧めることができたらいいんだろうなと。
ただ、そのためにはやはり「なんで自分が・・・」という心の渦から抜け出すことがまずは必要ですよね。
それから、がん検診って、カメラなどの器具を身体の中に入れるでしょう。これ、痛いというほどじゃなくても、体にとってのストレスではありますよね。子宮がん、乳がん、大腸がんの検診などは特に体のデリケートな部分に触れるので、つい受診を先延ばしにしてしまいがちだったり、いやな思いをしたらもう受けたくないなと思ってしまうこともあるんじゃないかと思います。(実際、私も以前、検診を受けていやな思いをしたことがあったし・・・)
いずれにしても、医療にかかわる「なんで?」という気持ちや「いやだな」という気持ちや体験は、とてもプライベートなことで、自分の中で抱えて外に吐き出されないことが多いんじゃないかということを改めて考えました。
日頃から医療についての体験や疑問を話し合うような場が必要なのではないかと思います。自分だけの問題ではなく、みんなが抱えている問題として理解することで、リスクを減らすことができるように思います。
私の会でも近い将来、医療について話し合えるような会を開けたらいいなと思いました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
「沖縄県がん診療連携協議会」というものがあって、医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護協会、県立・市立の病院、患者の立場の人、有識者などが参加して定期的に会議をして、情報や問題意識の共有を図っているそうです。
生涯でがんにかかる割合は2人に1人。年齢が上がるほどその割合は高まるので、誰でもかかり得るということを前提にして、がんになった時に安心して将来の生活の見通しを立てられる支援をする必要があるというお話を聞きました。
タバコはがんのリスクを高めるけれど、それ以外のことで何をすればがんにならない(何をするとがんになる)とは言えないし、多くのがんは遺伝もしないと。
でも、自分や身内ががんになったら、「なんで自分が・・・」と理由を考えてしまうのは当然の気持ちであると。
そこで、がんについての情報は必ずしも正確ではないものもある中で、正確な情報を当事者に届けるとりくみをしているというお話でした。
たとえば「がんになったら手にとるガイド」という本や「がんナビ」というサイトの紹介など。
情報というのは具体的には、
・がんになった時、他の人はどう向き合ってきたかを知ること
・自分のかかったがんの特徴を知ること
・医療機関との関係の作り方
・セカンドオピニオンのこと
・経済的な負担のこと
・負担を軽減するためにどんな年金・保険などどんな制度が使えるかということ
など。
そして、色々な経験はやはり経験者同士で話し合うことで解決できたり、理解しあえることもあるので患者会のことなども情報として知ることは大切。
また、自分のがんが今どういう状態にあって、今後どういう治療や検査をするのか、リハビリなどのスケジュールを表にした「クリティカルパス」というものを作り、さらには急性期、回復期という状態にあわせて関わる複数の医療機関の連携に活かしていくという取り組みを沖縄では進めているそうです。
お話を聞いていて思ったのは、がんというのは私にとって(そして多くの人にとって)客観的な問題ではなくて自分の問題であるということです。
私の父も大腸がんになって、転移はせずに今5年目になりました。父の場合は良い経過をしているけれど、親しかった恩師や友人知人の中にもがんになった人は多く、亡くなってしまった人もいます。
親しい人や身内ががんになるという中で、私は支援する側の立場としてがんを見ることができず、「なんで○○さんががんになってしまったんだろう・・・」と、何かの答えを求めたいという心の混乱の渦を経験したし、そこから今でも抜け出すことはできず、しかも抜け出せていないことに自分でも気づいていなかったということを感じました。
「なんで自分ががんになったんだろう、と思うのは、誰もが持つあたりまえのこと」
これを、今回お話をしてくださった先生から聞いて、ハタと自分の気持ちにも気付いたのでした。
福祉の仕事をしたり議員として色々な相談に乗っている中で、気持ちの混乱というのは起こり得るということはわかっているつもりだったのに、いざみずからが当事者になってみるとやはり自分にも同様の気持ちが起こっていた。しかもそれに気付けていなかったんだ!というのは衝撃的でした。
自らが抱えている気持ちに気付くということはとても大切だなと思います。それが客観性につながり、そして同様の立場に立った他の人への思いやりの気持ちや支援につながるからです。
「生涯で2人に1人ががんになるのだから、家族にがんを患う人がいる子どもも多い。だから、教育の中でのケアもしていく必要がある」と、先生は説明してくださいました。
誰もががんにかかる可能性がある中で、やるべきことはできるだけ早期に発見すること。そして心のケアも含めてしっかりと情報提供をしながら進めていくことが必要だということです。
早期に発見するためにはがん検診が必要ですが、検診率を上げるためには新聞・テレビなどで不特定に呼び掛ける方法ではなく、対象者に個別に直接電話をしたり、訪ねていったりということが有効だそうです。
これは興味深い話ですが、練馬区のように人口の多い自治体はどう取り組むべきか、難しいところですね。
そこで私が考えたのは、がんの体験をした人がその体験をふまえて、友人たちに検診を勧めることができたらいいんだろうなと。
ただ、そのためにはやはり「なんで自分が・・・」という心の渦から抜け出すことがまずは必要ですよね。
それから、がん検診って、カメラなどの器具を身体の中に入れるでしょう。これ、痛いというほどじゃなくても、体にとってのストレスではありますよね。子宮がん、乳がん、大腸がんの検診などは特に体のデリケートな部分に触れるので、つい受診を先延ばしにしてしまいがちだったり、いやな思いをしたらもう受けたくないなと思ってしまうこともあるんじゃないかと思います。(実際、私も以前、検診を受けていやな思いをしたことがあったし・・・)
いずれにしても、医療にかかわる「なんで?」という気持ちや「いやだな」という気持ちや体験は、とてもプライベートなことで、自分の中で抱えて外に吐き出されないことが多いんじゃないかということを改めて考えました。
日頃から医療についての体験や疑問を話し合うような場が必要なのではないかと思います。自分だけの問題ではなく、みんなが抱えている問題として理解することで、リスクを減らすことができるように思います。
私の会でも近い将来、医療について話し合えるような会を開けたらいいなと思いました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら