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私の病気体験談⑩ 手術後の出血のことなど

3月26日、この日は入院する前からあらかじめ予約を入れてあった日だったので、病院に行き、術後の診察をしてもらいました。

3月24日頃から少し出血量が増えていて、「生理の一番多い時」くらいになっていたので、相談しました。術後に「生理の一番多い時」以上に出血量が増えた場合は病院に来るように言われていたからです。
内診で実際に手術の痕も診てもらいましたが、まあこの程度ならば術後2週間ではあり得る程度だろうということで、止血の薬を塗られて帰ってきました。手術から2週間くらいすると、傷口のかさぶたが取れて、出血することがあるそうなのです。


短時間ずつ仕事をするようになってからちょうど1週間になる3月28日。
そろそろ普通に仕事をするリズムに切り替えようと考えました。朝、寒い時間に駅でチラシを配るのはまだちょっとつらいけれど、それ以外の仕事はもう普通のリズムでやっても大丈夫だろうと自分なりに思ったのです。

4月末には区政報告会をやろうと考えて、その告知に使うはがきを大量に買い込み、重くなった袋を両手にぶら下げて事務所に向かいます。
「重い荷物を持って走ったら出血しやすくなるから気をつけろって言われたっけなあ。重い荷物持っちゃったけど走らなきゃ大丈夫だろう」と思いつつ。

前の週、家で作業をしながら発注してあった区政レポートの印刷物の配達も届き、3月中にやらなければならない政治団体の収支報告の提出作業などをし、この日は一日バンバン働きました。
なにせ、12月にがんが発見されてから、いつ治療が始まるのか、治療に伴い何ができなくなるのかなどがとても流動的で、はっきりしないまま数カ月を過ごしましたから、やっと手術が終わって、その疲れも取れてきて、動けるようになってきたことが嬉しくてずんずんと仕事をしたわけです。

この日は夕方には江古田のほうで人と会う約束があったので、それまでに仕事にめどをつけて、出かける準備をします。そのころになると昼間暖かかった天気が急に変わり、外は強い風が吹き始めました。

「嫌な天気だなあ」と独り言をいいながら、午後4時頃、出かける前にトイレに行くと、なんだかいつもよりひどい出血
うーん、これは生理の一番多い日をはるかに超える出血量だぞ、なんかおかしいぞ。

まあでも、その2日前に病院で診てもらって止血の薬を塗ってもらったばかりだし、ちょっと様子を見よう。でも念のため、病院に電話して相談しておこうと考えました。

駅に向かう道々、病院に電話をしますが、やはり私の判断と同様に、「2日前診たばかりだし、かさぶたがとれて出血をすることもある。熱やめまいなど他の症状がなければしばらく様子を見るように」と言われたので、なるほどと思いながら約束のあった江古田に向かいました。

それにしても出血はいっこうに減る気配を見せません。
私の事務所から駅に向かうあいだに、明らかにダブダブと血の流れ出す気配があり、だんだん歩くのも困難になってきます。
駅に着いたら生理用ナプキンを交換しましたが、それはもう、サスペンスで見る事件現場のような、大惨事でした(-_-)

約束していた人とお会いして打ち合わせをしている間にも、ザブザブと出血する感覚があり、だんだんと頭がくらくらして目の前が真っ暗になってきました(>_<)

その場で横にならせてもらって、もう一度病院に電話をしました。
病院の人は「なにせ2日前に診察したんだから来なくても大丈夫・・・」という感じがありましたが、江古田からのほうが病院には近く、いったん大泉の家に戻ってもっと具合が悪くなったときに大変だし、どう考えてもこの出血とめまいは尋常でないと思って、来院する約束をとりつけました。
タクシーに乗って病院に向かいます。

病院に到着したのは午後7時頃。夜間の救急外来です。
婦人科のお医者さんが来られるまで20分ほどの時間がかかって、ようやく診察してもらいます。

このときには、大出血のピークも過ぎて、めまいも落ち着いていました。

ただ、やはり出血量は少ないとは言えず、お医者さんが内診すると、膣のあたりに血とかたまりがたくさんある状態だったそうです。
レーザーによる手術は、切ってもそのときは血が出ないため、縫ったりはしないそうです。ただ、この日、診た感じでは2か所ほど少し傷が開いたようなところがあるので、後で溶ける糸を使って縫っておこうということになりました。

しかし、円錐切除をしたあとの傷口には麻酔が効かないそうで(-_-;)、痛み対策なしに縫います。
実際には痛みはほとんどないのかもしれませんが、器具があたる感覚と音があるため、なんだか痛い感じがしてしまいます。

「痛い―、痛い―、ひーひー」と叫んでいたら、ついていた看護師さんが私の手を握ってくれて、ちょっと感動。
不安や痛みがあるときに、手を握ってもらうだけでこんなに安心感が増すものなのか、としみじみ思ったし、目の前に痛がっている人がいるときにパッと手を出すということはたぶん教育だけでできることではなくてその看護師さんの感性によるところが大きいのだろうなあと感じて、その若い看護師さんを尊敬のまなざしで見ました。

縫い作業に恐れおののいたせいで血圧が80代に下がり、目がくるくる回り始めました。(目の前が暗くなるような感じです。)
終了後3,40分、簡易ベッドで休ませてもらいました。
たくさんの出血があったことと、緊張したことで血圧が下がっているので、たくさん水分をとってくださいと言われて、水をがぶがぶ飲みながら横になり、血圧が100代に戻ってきたところで、またタクシーに乗って帰ることにします。

翌日はまだ若干ふらふらしていました。でもそれはもしかしたら、検診台でひーひー怖がって足を踏ん張っていたせいで足がふらついていたのかもしれませんが(^^;

縫ってもらったおかげで、この翌日からは出血はほんとに微量に改善されました。

でも、せっかくようやくバンバン仕事をしようと思った矢先にひどい体調不良に見舞われたことがとてもショックで、2日ほどぼんやりしていました(-_-)


その後、4月22日頃(3月15日の手術から1ヶ月ちょっとたった頃)にようやく、完全に出血が収まりました。

もともと体力がある人なら若干の出血が続いてもそんなにつらくないのかもしれませんが、私が経験上、思ったのは、最初の2週間、かさぶたがとれて出血がある可能性があるので、可能であるならば術後2週間はあんまりあせって仕事のことを考えずに、ゆっくり療養できるのがベストなのではないかなということでした。


そして、手術からちょうど1ヶ月たつ4月16日にようやく、術後の検査の結果が出て、「がんが上皮内におさまっているから、これ以上取る必要はないですよ」といわれた、というのが、これまでの私の子宮頸がん治療体験のすべてです。

今後、2年くらいは3ヶ月に1度の検査を続けて、再発がないかを確認していくことになります。
腺がんという難しいがんである可能性が高いと言われた経緯があるので、今後無事、再発せずに済むのかが少し心配な気持ちでいますが、もし何か変化があったときにはまた報告を書きたいと思います。


今回の体験の中で、病気になった時の仕事のこと、医療保険のこと、周りとの人間関係のことなど、いろいろ感じたことがありましたので、次回のブログからはそのことを書きたいと思います。

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私の病気体験談⑨ 退院の日(3月17日)とその後の経過

退院の日にはもう血圧も普段通りになり、体調が悪いところもなく、8時に朝ご飯を食べたら、9時半頃までに帰ってくださいと言われました。

円錐切除で取り除いた子宮頸部の一部を、これから病理検査して、ガンの広がり具合を確認するそうです。検査の結果が出るのには2,3週間かかると言われました。
結果によって、ガンが上皮内におさまっていればこれ以上の治療は必要なくなるし、もしさらに広がっていることがあれば再度手術をして子宮の全摘出をすることもあり得るということです。
結果を待つまでの数週間が嫌です・・・。


入院をする行きの道は元気でバリバリ電車に乗って、大量の荷物をワッサワッサ抱えて移動してきましたが、帰りはさすがにそれをやるのはちょっと不安・・・そしてこの日は朝から雨でもありました。たまたま午前中に来られる友人がいたので、車で迎えに来てもらって家まで送ってもらいました。


家に戻ってからは数日ぶりの猫との再会を果たし、こたつでぼんやりしながら、心配してくれた友人などに退院の報告のメールを書くなどして過ごしました。

インターネットで調べる限り、円錐切除手術はきわめて簡単な手術で、当日または翌日から動くことができるし、仕事も数日で復帰できると書いてありました。
それは、開腹による手術に比べたらずっとずっと楽だとは思うのですが、私は事前にあまりに「とても楽な手術」と思ってしまっていたために、後々、「意外と辛いじゃん!!」とびっくりしました(^^;
たぶん、基礎体力など、人によって違いもあるのではないかと思います。

まず、私は生理痛のような痛みがなかなかとれず、数日にわたって「ロキソニン」という鎮痛薬を飲み続けていました。
でも、薬を飲みすぎたせいか、服薬4日目くらいに顔が痛いようなかゆいようなカサカサするような状態になりました。あとでお医者さんに聞いたら「もしアレルギーならば薬を飲んだ後すぐに出るものだから、何日かして違和感があったというのは、胃が荒れたせいかもしれない。今後飲むときは、飲み方を気をつけたほうが良いかもしれない」と言われました。まあ、これは、今後痛み止めを使う機会があるときに相談しながらやっていくしかないのでしょう。


退院後、週明けの3月19日には、家でパソコンを使って区政レポートづくりなどを始めましたが、結構疲れやすかったので、3月21日頃までは家にいました。

それでも少しずつ動き出さないと、いつまでたっても体力が戻らないと考えて、3月22日から少しずつ事務所に行って仕事を始めました。入院前日の3月13日から仕事を休んだので、9日で復帰した計算です。
ただ、まだ体力の自信がなかったので、数日間は5,6時間で家に戻るという短時間の目標を立てて、出かけるようにしていました。

私の病気体験談⑧ 入院3日目(3月16日)

この日はちょっと寝坊して6時半になっても寝ていたら、看護師さんに声をかけられました。「7時くらいになったら起き上がる練習をしましょう。」と。

起き上がる前に血圧を測ると、普段は100~110くらいある上の血圧が85しかないという状態でした。ゆっくり起き上がって、看護師さんに支えてもらいながら廊下を移動してみます。
若干ふわふわするものの、気持ち悪くもならないし、一人で歩いても大丈夫そうだということで、無事、尿の管を外してもらって、晴れて自分でトイレに行かれる身となりました。

この日は朝食から食べることができるということだったので、点滴も外れました。

生理と同程度の出血があって、生理痛のような痛みがありました。私はもともと、この時期に生理になる予定だったので、もしかしたら手術後に生理が来たのかもしれないし、あるいは手術による出血なのかもしれないし、よくわからない状態でしたが、痛み止めの薬を出してもらいました。

この日は1日、血圧は低めで、ふわふわしていました。
よく、高齢の人などがトイレに行ったときに倒れることがありますが、排泄をすると血圧が変動するんですね。この日はもとが血圧低めだったので、トイレに行った後が特にふらふら感があり、「たしかに血圧が変動しているに違いない」という実感を持ちました。。

それでも前の日の午後4時以降、自分の意思で動くことができなかったものが動けるようになったのがとても嬉しくて、うろちょろうろちょろして過ごしました。

病棟の地下にはコンビニがあるので、そこに買い物に行ったり、洗濯をしたり。

廊下に、「手術後は廊下を往復してリハビリをしましょう。腸の動きも良くなって、便秘を防ぐことができます」という張り紙がありました。
でも身体的に可能であれば、ただ廊下を往復するよりも、「冷蔵庫に飲み物を取りに行こう」とか、「お菓子を買おう」とか、「洗濯をしよう」と考えてその目的のために動くほうが良いように思いました。そのほうが単に廊下を往復するよりわくわくするからです。ただ、ふらつき方が激しかったり、身体の調子が極めて悪い人にとっては難しいのかもしれません。

廊下には他にも張り紙があって、「カーテンは防犯・防火上、開けるようにしましょう」と書いてあります。万一の時に避難をしたり、不審者が侵入した時にその危険を回避するためにはカーテンが邪魔になるからということでしょう。

しかしそうはいっても、大部屋は1つの部屋の中に6人が生活しています。
きれいによそゆきの服を着てバシッと座って仕事をしている状態ならば、他の人に見られてもかまわないでしょうが、体調が悪く身なりが整えられる状態ではなく、パジャマを着て横になっているところを人が通過していくのは落ち着かないものです。
もちろん、通り過ぎる人たちがいちいちベッドを覗き込んでいくわけではないのだから気にしなければいいのでしょうけど、気分としてはやはり落ち着かない。
災害時に避難所で、各家庭ごとのプライベートなスペースが確保されていなかった問題が言われていましたことを思い出しました。
生活空間に「誰にも見られない安心できるスペース」は必要なもので、病室でも各ベッドごとにどうしてもカーテンを閉め切りがちになります。

昼になると元気な看護師さんがやってきて「明るいですからカーテン開けましょうねー!」と叫びながらカーテンをガンガン開けて去っていきます。

それから20分くらいたつと、ベッドの患者さん達がもそもそと起き上がり、静々とカーテンを閉めます。

またしばらくすると先ほどの同じ看護師さんがやってきて、「あらー、明るいほうが良いじゃない」とカーテンを開けていきます・・・。

看護師さんは、「防犯防火上、安全のためにカーテンを開けたいのです」というよりも、「明るい方が気持ちいいよ」と言うほうが患者にとっては良いと考えてくれたのだろうと思います。

でも、やはりできれば閉めていたい患者の身としては、2度3度と繰り返していると、だんだん、看護師さんが憎らしく感じてきました(苦笑)

防犯防火と患者さんの心の安定を両立させるためには、本来1室であるものを複数人数で使うためにカーテンで仕切るというつくりじたいが問題なのかもしれないなあ・・・としみじみ思いました。


午後になるとずいぶん身体も安定してきて、午後4時にはシャワーを浴びることができました。

私の病気体験談⑦ 入院2日目(3月15日)手術の日

病院では、朝は6時起床、8時に朝食が出ますが、この日は手術なので、飲み食いができません。お水も飲めないというのはなかなか辛いもの。口をゆすいでごまかして過ごしました。
朝からすでに、手術のための服を着て待っています。ガウンのようなものです。

8時前に研修医の人が来て、点滴をさしていきました。一日食事がとれないので、栄養と水分を補給するためのようです。

私の手術は開腹はせず、膣から器具を入れてレーザーのメスで切除するというものなので、体への負担も少ないようですが、それでも万一のときのためにと家族が呼ばれて、手術にあたっての説明を受けます。

昼前に父がやってきて、お医者さんの説明を聞きました。
レーザーの手術というのは、血も出ずにピッと切れるので、縫う必要もなく、その場では出血もしない。でも、治る途中に出血する可能性がある・・・といった話を聞きます。

説明のあとはひたすら呼ばれるのを待ちます。手術室の空き具合によって手術となるので、時間はぎりぎりにならないと分かりません。

午後4時前に看護師さんがやってきて、「4時10分になったら手術室へ移動しましょう」と言われました。
時間になると看護師さんと一緒に、点滴をひきずりながら歩いて手術室前まで移動します。

頭に使い捨ての帽子のようなものをかぶって、髪をしまって、待っていると、ストレッチャーがやってきました。ここに横になり、ここから先は横になったままで手術をする部屋まで運ばれていきます。
横になっていると、天井と壁しか見えませんが、運ばれる側ってこんな感じなのか、と思いました。車椅子を押すことはあっても、押される側に立つことは今までありませんでしたから・・・(体験としてやってみることはあったとしても、それは「ためしの体験」であって「実体験」ではありませんから。)
「手術の部屋に入る時には、頭のほうから入りますからね」と、押している人が声をかけてくれます。これからどういう動きをするのか、声をかけてくれることはとても安心感につながるということをしみじみ思いました。

手術の部屋に入ってストレッチャーが定位置に固定されると、2,3人の人が近づいてきて、血圧の機械、心電図の機械、そして足には、マッサージの機械(今後しばらく動かなくなるため、血栓を予防するためだと思う)をつけていきます。血圧の機械は、定期的に作動して、継続的に測定ができるもののようです。定期的に腕に圧がかかります。「何度も締まるから、痛いかもしれないけれど、だんだん慣れてきますからね」と教えてもらいました。

そうそう、私の手足には猫にひっかかれたひどい傷がたくさんあるから、それをスタッフの人たちに伝えておかなければ、手術中に「いったいこの人はなんでこんなに傷だらけなんだ」と心配されるのではないか、と思うのですが、緊張してそれを伝えられません(^^;

「これから、点滴に麻酔を入れていきます。腕が痛くなると思いますが、それは麻酔のせいなので、大丈夫ですよ」と声をかけられました。
なるほど、たしかに腕が痛くなってきました。まるで、強くつねられたような痛みが腕を襲います。いってってー!!と腕を抱えたい気分になっていると、「これからだんだん眠くなりますからね」との声。
眠くなるって言ったって、腕はこんなに痛いし、さっき手術の順番を待っている間に居眠りしちゃったから全然眠くないし、薬を入れたからってそんなにすぐ眠るもんか・・・と考えている数秒の間に意識がなくなって眠っていました。麻酔、おそるべし。

次の瞬間には「終わりましたよ」と肩をとんとん叩かれていました。
口にはいつの間にか人工呼吸器が差し込まれていました。もごもごしながら「あれ!いつの間に!!」と叫びました。
麻酔から覚めた直後はなんだか酔っぱらったような感じになっていて、「実は私の手は猫にやられて傷だらけでー!」など、べらべらしゃべっていた記憶があります。


それでも若干、朦朧とした状態でストレッチャーで病室に運ばれました。
ベッドでは枕はせずに横になります。
腕には点滴、尿は管で外に出されるようになっていて、足には血栓予防のマッサージがついたままです。口にはマスク型の酸素吸入のための機械もはめられています。身動きが取れません

そのとき、時間は5時20分。先ほど病室から移動をはじめて1時間弱ですべてが終了したようです。

父は、帰ってきた私を見て、「やれやれ終わった、お腹すいたから帰る」と帰っていきました。

それにしても、いろんな管をつけて仰向けになり天井を見て寝ているだけというのは、体が痛くなるものです。
看護師さんが来てくれたときに、「どのくらい動いていいですか?」と確認。「ベッドの上でゴロゴロ転がるのは大丈夫ですよ」と許可をもらいました。

管がついているので、思いっきり寝返りはうてません。そろそろと横向きになります。

私が介護の仕事をしている時に、病気で寝たきりの状態になっている人を定期的に寝返りを打たせることをやっていましたが(体位交換といいます)、いやほんとに、自らの意思で自由に寝返りを打つことができないと背中がバリバリになるということが分かりました。

それから、トイレに行かなくても尿が排泄できるように、管が入れられているのですが、膀胱に管を入れているせいか、なんかずっと「トイレに行って出してしまいたい」という感覚があって、嫌でした。

しばらくゴロゴロ体位を変えていましたが、それもだんだん飽きてきて、点滴を眺めて1時間ほどすごします。
次に看護師さんが来たときに、「あのう、テレビとか本とかはダメですか?」とおそるおそる聞いてみました。
すると看護師さんはにっこり、「いいですよ。21時になったら酸素のマスクも外しますし、22時からはお水も飲めますよ」。
その答えに思わず「えへ!」と言ってしまいます。水飲んでテレビ見て本読むなんていうことが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。

21時に酸素マスクを外して口のまわりはすっきり。
就寝時間で、病室は暗くなります。うつらうつらしていたら、22時過ぎに看護師さんがやってきて、お茶を飲ませてくれました。1日ぶりに飲むお茶は、おいしかった!

私の病気体験⑥ 入院1日目(3月14日)

3月14日、大荷物を背負って電車に乗って、病院へと出かけました。
私の入院する病院は大きな病院で、外来はいつも大混雑です。まるで、大きな駅の構内のような混雑ぶり。

指定された10時前、入院受付に到着しましたが、ここもまた大変な混み具合。
「受付の事務は病院の職員じゃなくて業者に委託されているんだなあ・・・」なんていう観察をしながら、順番を待ちました。

さて、受付が無事済んで、私が入院する病棟に行きます。私は、6人の大部屋に入る予定です。
この病棟、かなり使い込まれた建物で(^^;)、壁も床もかなり古びている。「うーん、ここで暮らすのかあ・・・」と思いながら中に入りました。

しばらく荷物を整理していたら、看護師さんがやってきて、浴室や給湯室などの場所を教えてくれます。

それが終わってもまだ昼前なのですが、手術前は全然具合が悪いわけでもないのに、古びた建物のベッドでごろごろしているのもつらいなあ・・・まっすぐ座って本を読んだり手紙を書いたりしたいなあ、と、椅子やテーブルがある場所を探して彷徨ってみますが、ない・・・(苦笑)
外来のほうに行けばあるかな、と思ったら、外来は当然のことながらいつものとおり大混雑(^^;

元気な時には、医療に大事なのはソフトの面(医療技術)の質だと思っていたけれど、ハードも大事だなあと思いました。ただでさえ、入院で気がめいっているので、病棟はできれば明るくきれいであって欲しいし、ベッド以外にくつろげるスペースも欲しいものです。

しかし、手術前日に必要な血圧の測定や採血を終えた頃には彷徨うことを諦めました。ごろごろしやすい服に着替えて、読めずにたまった雑誌などを読むことにします。

「古びた壁や床を見ないようにすれば、新しい病棟と変わるところなんてない。面積基準が変わるわけではないもんね・・・」と自分に言い聞かせつつ。(でも、今になって調べてみたら、2001年の医療法改正の際、新規または全面改築をする病棟は入院患者一人あたり6.4㎡以上、既存の病棟は4.3㎡以上となっているので、やっぱり新しい病棟のほうが面積という点でも良いのかもと気付いてしまった(-_-;)もしかしたら、部屋をきれいにしたら、それに伴って面積を広くしなければならず、病床が減ってしまうから古いままにしているという事情もあるのかも・・・?)

手術の前日はシャワーを浴びるよう言われ、21時からは飲食をしないようにと言われました。

夕方になったらだんだん古い病棟の大部屋生活にも慣れてきました。入院は初めてなのに、なんだかこういう経験、以前にもしたことがあったような気がしてきました。記憶をたどってみたら、横浜・寿町のドヤ街を一般の宿泊施設に変えたところに泊まったときと似ているんだということに気付いた(^^;

21時には消灯ですが、なかなか眠れるものではありません。それに、この日は21時すぎに比較的大きな地震があって、「もし手術中に大地震が来た場合はどうなるんだろう」という、嫌な想像が頭をもたげながら眠りにつきました・・・(-_-;)

私の病気体験⑤ 入院前日(3月13日)のこと

子宮頚部の円錐切除という手術は比較的軽微な手術であるため、病院によっては局所麻酔、日帰りでの治療というところもあるようですが、私が行ったK病院は、4日間の入院と全身麻酔での手術という方法をとるということでした。
入院は、3月14日から17日になりました。

議会は3月9日まででしたが、3月11日は震災から1年目にあたる行事などがあり、12日は所属している「健康推進協議会」の会議もあってバタバタしており、なかなか入院の準備も進みませんでした。

とはいえ、自覚症状は全くなく、体調は悪くなかったので、仕事はいつも通り続けており、13日は朝、駅で区政レポートの配布をし、午前中は事務所の片づけをしていました。午後は休みをいただいて、入院の物品の準備、入院中の猫の世話をしてくれる私の父に猫との顔つなぎ(?)などをしました。

入院時に必要な持ち物は、病院からパンフレットももらうのですが、「がんになったら手にとるガイド」というものを参考にしました。

これは、2011年の秋に健康福祉委員会の視察で琉球大学のがん診療のとりくみを聞いた際に教えてもらった本です。まさか、視察で得た知識が自分の身の役に立つとは思わなかった・・・(-_-;)

3泊4日の入院ですが、考えてみれば旅行だって3泊4日ならば結構な荷物になります。
パジャマや羽織るもの、きっと暇だろうから読む本をたくさん用意。
キャリーバッグ1つの他に、手提げ袋2つという、ひどい荷物を背負って出かけることになりました。
入院の当日は10時までに受付を済ませるように言われています。

ちなみに、猫は、突然やってきた知らないおじさん(←私の父)に警戒して臨戦態勢(^^;
留守にする4日間が思いやられますが、仕方ないです。

私の病気体験④ 通院

私自身は、子宮頚部の腺がんという、治療が難しい病気だと言われましたが、今のところ子宮全体には広がっていないようだということで、入口付近を一部切除するだけで済んでいます。なので今のところ物理的には妊娠・出産することができる状態です。(妊娠・出産する機会があるかどうかは別の問題ですが・・・ ^^;) 
インターネットで腺がんの体験記を調べる限りでは全部摘出せずに済んでいる例がほとんど見つかりませんでしたが、私は今のところ全摘しておらず、特に服薬もしていません。
退院から1ヶ月以上経っている今日(4月19日)の段階で、まだ若干疲れやすいような感じがあったりちょっと生理痛がひどくなったかなあ・・・?という気はしますが、それ以外は健康な時と変わらない生活をしています。

今後、2年間、再発の有無を検査し続けるので、また何か変わってくることもあるかもしれませんが・・・。


病気が発見されてから治療に至るまでのプロセスは、発見された時期や行く病院、その人の病気の進み具合によって変わってくると思いますが、そうはいっても治療が始まる前に他の人の体験を知りたいと私は思ったので、今後どなたかの参考になればという思いから、今回のブログでは、通院時の経験を時系列的に書いていくことにします。

【1月11日】
精密検査の結果でがんが分かってから、年末年始をすごし、ようやく1月11日に、もともと以前から定期検診などに行っていた診療所に行きました。
いつも検査をしてくれる女医さんにお会いしたら、「さあ、これからどうする?」と言われました。
どうする、っていったって、どうしたらいいかの選択肢を示してくれなくちゃ分からないや、と思いました。
しょうがないから、「どういう選択肢があるんですか」と私から聞いて、ようやく病院を紹介してもらいました。

【1月17日】
今まで行っていた診療所の先生に紹介されて、T病院に行きました。
先生はとても優しい雰囲気の男性でした。「31歳なんだよね。なんで腺がんになっちゃったんだろうねえ。ふつうの女の子なのにね・・・。腺がんは一般的にとても治療しにくい病気なので、一般的に、子宮を全部摘出するのが基本。40代半ばも超えていれば、その後の転移のことなども考えて、摘出を勧めるんだけど、なにせ独身の31歳でしょう・・・困ったねえ。扁平上皮がんならともかく、腺がんで対応できるかは分からないけど、K病院だったら比較的子宮の温存がしやすいので、ここで治療するよりはダメ元でそこに行ってみたらいい」と勧められました。

調べる中で、かなり厳しい病気だろうとは思っていたけれど、改めてお医者さんにそう言われると、とてもつらい気持ちになります。
子宮のがんは、転移で生きるか死ぬかの前に、子どもを産めるかどうかに関わるとても大きな病気であることを改めて感じました。私自身、今現在、独身ですから、これから先、出産することがあるかどうかは分かりません。結果的に産まないかもしれない。でも、「産まない」のと「産めない」のは違います。

それからこれは落ち着いてから思ったことですが、たとえ善意とはいえ「普通の若い女の子なのにね」というお医者さんの言葉はちょっと引っかかるところです。

もちろん、「なんで私が・・・」という、私の気持ちを代弁してくれようとしたのは十分にわかるのですが、「普通の女の子」って、なんだろう・・・って。

たとえ他意はなかったとしても、こういうときの、女性に対する言葉かけの難しさを改めて感じもしました。

【1月23日】
紆余曲折を経て、ようやくK病院の受診にいたりました。
T病院の先生は受け入れてくれるかどうかを心配してくれていましたが、幸いこの病院は受け入れをしてくれました。
この日は、入院・手術を前提とした検査をしました。簡単な検査ですが、一日がかりです。
まず、初診の診察で、過去の検査結果を確認する。そして、改めてもう一度、子宮頸部をぱちんぱちん切り取る精密検査をする。
そして、レントゲン、心電図、血液検査、尿検査をしました。

K病院はとても混雑していて、一日がかりの検査になりました。

【2月6日】
1月23日の検査結果と入院のことを聞きに行きました。
23日の結果によると、私のがんは前がん状態か、ごく初期で、子宮全摘まではいたらずに、円錐切除のみで終わるのではないかと言われました。
ただし、2月中は病院やお医者さんの都合が合わないため手術は3月になりそうで、その日程も数日前にならないと分からないとのこと。

子宮を全部とる可能性が高いと考えていただけ、だいぶ気が楽にはなりました。

【2月22日】
入院は3月ということになったので、2月8日~3月9日の区議会は通常通りに出席。質問づくりでバタバタしているところに病院から電話がきて、「3月14日に入院、3月15日に手術」が決まったのでした。

結果的に議会はまったく休まずに済むことになり、入院の前日の午後から、入院準備の意味で休業することにしました。

私の病気体験談③ 検診から精密検査へ

一般的に「子宮頸がん」と言われているのは、「扁平上皮がん」というもので、子宮の入り口付近の表側にできるがんです。「子宮頸がん」の9割程度はこの扁平上皮がんであり、この場合、1,2年に1度の検診を受けていればがんになる前の「異形成」という状態で発見することができます。

厚生労働省のHPでは「2年に1度検診を受けましょう」と書いてありますし、練馬区も2年に1度検診の助成をしていますが、私がかかっていたお医者さんは「1年に1度は受けたほうがいい」と言っていましたので、できれば2年よりも1年に1度のほうが良いのでしょう。

ただ、前回のブログにも書いたように、検診はかなり心身のストレスの大きなものなので、私は「受けなくちゃなあ」と思いながらも、どうしても2,3年に1度しか受けられていませんでした。

前に受けたのが2009年。この頃、時々不正出血があったので検診を受けたのですが、扁平上皮に軽い異常(軽度異形成)があるので、必ず1年に1回検診を受けて、気をつけておいたほうが良いとは言われていました。
だから頻繁に検診に行かなくてはと思いつつ、その後は不正出血もおさまったし・・・と、つい先延ばしして、次にやっと検診に行ったのが2011年11月だったのです。
12月はじめに結果が出て、「高度異形成の疑いがあるので、精密検査をしてください」と言われました。

そこで、一般の子宮頸がん検診よりもっと詳しい検査-子宮頸部の組織をぱちぱちと切り取って調べる検査を受けました。どういう器具を使ってぱちぱちしているかは私には見えませんが、感覚としては、内臓を穴あけパンチでぱちん!とされている感覚です(^^; 痛覚がそんなにあるわけじゃないから痛くないはずだとお医者さんには言われるんですが、なんだか痛いような気がする検査です。


そして、12月末に精密検査の結果が出ました。「扁平上皮は高度異形成の状態で、がんにはなっていないようだけど、それとは別に腺がんというものになっているようだ」ということでした。

子宮頸がんは「検診の受診率の向上」など予防の観点では考えたことがあったけど、いざ病気になった後のことについてはあまり考えたことがなかったので(結局は、自分は病気にはならないだろうと思い込んでいたってことでしょうね)、説明を聞いても「??」という感じでしたが、家に帰ってインターネットで調べてみればみるほど腺がんの治療は難しいということが分かってきました。

扁平上皮がんは先に書いたように、検診によってがん化する前に治療ができ、万一がんになっても早期であれば治療しやすいものです。インターネットで調べたところによると、放射線治療をしたり、子宮頸部のがん化している部分だけを円錐型に切り取って子宮本体を残す手術(円錐切除手術)をすることができるので、のちのち妊娠・出産することが可能です。

しかし私がかかった腺がんというのは、分泌物を出す「腺」ががん化するので、検診をしても表側からは見にくく、がん化するまで発見されにくいそうなのです。一定程度に進行するまで発見されず、ちらばってできやすく、しかも進行後は転移しやすく、治療が難しいとか…。

9割型が治しやすいがんなのに、私は病気まで少数派かあ、というのが最初の感想でした(苦笑)

しかし、なぜ腺がんになるのかというのは良く分かっていないようです。若い女性に増えてきているという論文も見かけましたが、もしかしたら医療が進んで発見しやすくなっただけで以前からあったのかもしれませんね。

妊婦検診によってがんが見つかった場合、初期のがんであれば出産後に治療するということもあるようですが、進行の程度によっては治療とあわせてお腹の子を諦めなければならないケースもあるようです。

また、腺がんは進行すると卵巣のほか、腸など腹部の他の内臓にも転移しやすく、難しい治療を要するようです。こういう病気を受け止めるのは嫌なことですが、それでもできる限り発見されることによって命を守る必要があるのではないかとも思います。

そんな腺がんになっているのだとすれば、検診で見つかったとしてもすでに広がっている可能性があるという不安を、私は抱え続けることになりました。結果的には4月16日に出た検査結果によって、腺がんも上皮内にとどまっているために子宮を全摘することなく完治したと判明したんですが、再発しないかどうか、これからも気をつけていかなくてはなりません。

ぜひ20代以上の女性には、毎年の子宮頸がん検診と、医師と相談の上今からでも効果がある場合にはワクチン接種をお勧めしたいと思います。

私の病気体験談② 子宮頸がんの基礎知識

これから、私の実体験を書いていくにあたり、まずは子宮頸がんってどういうものなのか、というのを書いておくことにします。以下は厚労省のHPなどを参考に書いたものです。
近い将来、お医者さんを呼んで、子宮頸がんや婦人科の病気についての勉強会などもやれたら良いなと思っています。そこで得られた新たな知識や訂正すべき情報があった場合は、そのつどご報告します。

【子宮頸がんについて】
子宮頸がんは、多くの場合HPVウィルスというものが原因のようです。
ウィルス感染は多くの女性に起きるようです。ウィルス感染したとしても、これが必ずしもすべてがんに変わるわけではないようですが、誰でも感染の可能性があるので1,2年に1度の検診によってがんになっていないかどうかを確認する必要があります。

他のがんは、40代以降になるものが多いですが、子宮頸がんの場合には比較的若い人(2,30代)もなりやすく、検診やワクチンで予防・早期発見ができるがんだと言われています。
練馬区も2010年度から中学3年生の女子を対象にHPVウィルスに対するワクチン接種が始まりました。

ただ、ワクチンは、すべてのHPVウィルスの型に効果があるわけではありません。厚生労働省のHPによれば、ワクチンによる予防効果は6~7割程度とのこと。
ですから、たとえワクチンを接種したとしても、検診は受けなければ万全ではありません。

子宮頸がん検診は、膣の内部に器具を入れて、子宮頸部から細胞をこすりとったものを検査するという方法でおこなうものです。 
追々、私の体験談も書きたいと思いますが、痛みはないものの気分的にはハードルがとても高い検診ですから、受診率が低いのだと思います。これまた厚労省のHPによれば、日本の子宮頸がん検診受診率は2割程度で、他の国と比べてきわめて低いそうです。

私は、日本でワクチンが承認された時、「ワクチンばかりが広がってしまったら、ただでさえハードルの高い検診の受診率がさらに落ちてしまう危険があるのではないか」という感想を持ちました。
それに、検診で早期発見できるのであれば、あえてワクチンを受ける必要もないのではないかという疑問を持っていました。むしろ、検診受診率を上げることのほうが効果があるのではないかと。

しかし、自分自身ががんになってみて、考えが変わりました。
詳しいことは次回に譲りますが、子宮頸がんは、8、9割程度はがん化する前に定期的な検診で発見されます。それは「子宮頸部の扁平上皮ガン」というものです。
しかし1割程度のがんは「腺がん」といって、検診でも極めて見つけにくいのです。

そして私のがんは、その発見されづらい「少数派」のがんだと言われたのです。
そういうタイプのがんがあるということがあまり啓発されていなかったということにも驚きました。

ですから、子宮頸がんを予防するためには、「8・9割程度、がん化する前に発見できる検診」と、「6・7割程度、予防できるワクチン」を組み合わせることが必要なのではないかと思います。そして、それでもがん化することを防ぎきれない場合もあると考えたほうが良いのだろうと思います。

私の病気体験談①

区議会・第一回定例会が終わった後、3月中旬から10日ほど、病気療養のために休業させていただいておりました。

今日、ようやく検査の結果がでて、無事完治をしたことがわかりましたので、これからしばらく病気の体験の報告を書きたいと思います。
今日、確定した病名は「子宮頸部上皮内がん」というものです。
子宮頸がんですが、「上皮内」にとどまっていたため、ごく一部を切除するだけで完治したということです。
今後は、再発がないかどうか、3ヶ月に1回の検査を受ける以外には特段の治療をせずに済むことになりました。



昨年11月にたまたま子宮頸がん検診を受けたのですが、その結果、がんが見つかったのです。
しばらく通院をして様々な検査をしたうえで、3月中旬から4日間入院し、手術をしました。

私が受けた手術は「円錐切除」というもので、子宮頸部の一部を円錐形に切り取るものです。それによって異常が起きた場所のみを取り除く効果と、それ以上に進行・転移などがあるかどうかを詳しく検査できるというものでした。

私は、「子宮頸部の扁平上皮の高度異形成と腺がんの疑いがある」と言われたのです。

子宮頸がん検診は全国的にも練馬区でも受診率が2割程度で決して高いとは言えないことを、以前のブログでも書きました。
また、子宮頸がんはHPVウィルスというものに感染して起こることが多いので、若いうちにワクチンを接種することで予防できる部分もある(でも全部ではない)とも言われていて、練馬区でも中学3年生を対象にワクチン接種を始めています。

・・・ばーっと書いてみたものの、見慣れない漢字も多くて、なんだかよく分からないですよね(^^;
これから少しずつ、できるだけわかりやすく書いていきたいと思います。

私自身が病気の当事者になることで、特に予防の啓発のしかたについては課題を感じたところもありましたし、また、私が一般論ではなくて自らの体験として書くことによって、少しでも多くの女性が婦人科検診を受けてみようと思ってくれること、また現に同じ病気である人と思いを共有するために、これからこのブログで少しずつ書いていきます。

NPOの勉強会と福玉バッグ

昨晩は、NPOなどに関わっている比較的若い世代の方々が集まった勉強会に呼ばれて行ってきました。

スピーカーは私を含めて3人。かつてNPOで働いた経験があり、今はNPOをやめて別の仕事をしている人が、NPOではどんなことをしていて、NPOについてどんな課題があると考えているかを話すという会でした。

私が働いていたNPOは、路上生活を経験してきた人のことも偏見なく受け入れることのできるデイサービスでした。そういう点に共感をして就職したのですが、私が就職した頃には開設当時の「熱い思い」がずいぶん薄まってしまっていて、むしろいかにして赤字状態をなくすか、安定させるかということが中心になり、発想が後ろ向きになりがちでした。

介護保険からの収入のあるデイサービス事業でいかに経営を安定させるかということが毎日の愚痴のネタでした。

私は、それならばヘルパーの事業を始めるとか、介護保険事業とは別の収益のあがる事業を考えるとか工夫をすることと、せっかくNPOなのだからお金のことばかりじゃなくて高齢者の生活全般を考えられるようなとりくみもすべきなのではという提案をしたのですが、できない理由を言われることばかりだったので、改善させることはあきらめて退職して議員を目指しました。


そんな体験談をお話しした後、参加者と意見交換をしました。

経営を安定させて継続して運営するということだけに重きを置くのならばNPOである必要はなく、その事業の特性に応じて株式会社や社団法人を作るという選択肢もあるだろう、という意見も出ました。

NPOは、「この課題を解決したい!」という思いがあることが大前提であり、それを実現するためにいかにして持続可能な組織作りをするかという両輪のバランスが必要だろう、ということです。


興味深いなと思ったのは、「思い」と「持続可能な体制作り」のバランスは、いろんな分野で共通しての課題であるということです。

議員も同じだと思います。
「これを実現したい」という思いをもって議員になった人も、さらに活動を継続するためには選挙を経てまた当選する必要があります。
でも議員が当選するために、できるだけ簡単に多くの人の支持を得るために「思い」よりも「一見したわかりやすさ」を追い求めるようになってしまえば本末転倒になります。

また、昨日参加した方のお話の中では、環境や健康に配慮した商品を販売するようなお店であっても、お客さんがより便利にその品物を買えるようにするためには販売員を大幅に増やさなければならず、そうなると販売員ひとりひとりが本来そのお店がもっていたはずの「環境を大切にする」などの理念を必ずしも共有できないままになりがちであるという話もありました。


より多くの人に知ってもらい、継続的な活動につなげながら、しかも設立当初の思いを持ち続けるということが、いろいろな社会活動における課題だなあということを改めて思いました。


終了後に懇親会をしましたが、私は誕生日が近かったのでお祝いをしてもらいました。

cake.jpg


左手に持っているのは「福玉バッグ」というもので、福島県双葉町から埼玉県加須市に避難をしてきた人たちが新聞で作ったバッグだそうです。
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福玉バッグができた経緯について、詳しいことはこちらに載っていました。

中には、埼玉県内の障害者の作業所が作った、いろいろなクッキーが入っています。
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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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