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水俣病の講演会を聴いて

5月6日に、「水俣病記念講演会」を聞くために有楽町に行ってきました。詳細はこちら

私は水俣には2009年に行っていて、詳しいことは過去のブログに書いてありますのでこちらをご覧ください。水俣の海の写真なども載っています。


今回の講演では、水俣病の当事者である杉本雄さん、作家の高橋源一郎さん、法政大学教授の田中優子さんがお話をされました。
長年患者さんを診てきた、お医者さんの原田正純さんも講演する予定だったのですが、ご病気のため欠席でした。直接お話を聞けず、残念。

どなたのお話も良かったです。まず当事者である杉本さんのお話。
もっと早い時期に、病気の原因を明らかにしていれば、水俣病にならずに済んだ人も多かっただろう、と。
おそらく魚だろうということは早い時期からみんな感じていたけれど、「食べているうちにもし具合が悪くなったらしばらく食べなければ治るだろう」という感覚があったのではないかということでした。
病気の原因と予後について、早くに説明があれば、きっぱりと魚を食べないということができたはずなのに、それが遅れたのはやはりチッソという会社と国のせいである。

その後、「水俣を教訓にして」ということがずっと言われたのにもかかわらず、結局福島の原発事故では同じ問題が繰り返されている。

・・・そういう指摘が、杉本さんからはありました。


一連の講演のなかで私が特に共感したのは、田中優子さんのお話でした。
田中さんはいま62歳。高度経済成長を見ながら育ってきた世代で、「高度経済成長の中で、何かを失っていくような感覚」がしていたという話をしてくださいました。

田中さんは、小さな子どもだった頃、長屋形式の家に住んでいたそうです。優子さん兄弟が大きくなるにつれ、平屋の家が狭くなり、隣の空き地に2階の1戸建てを建てることになった。
戸建てを建てれば、子どもの勉強部屋ができます。子どもたちに勉強して大学に行って良い就職、良い家庭を作ってほしい・・・高度経済成長時代に夢に描いたものを実現するための象徴が、戸建ての住まいだった。

でも、家を建てる空き地には、小さかった優子さんがいつも親しんでいた「いちじくの木」があったのだそうです。木登りをし、季節にはいちじくの実をとって食べていた大切な木を切ってしまわなければ、新しい家は建ちません。

木が切られていく様を見て、小さな優子さんは、「この木を無くしてしまって、私はいったい何を得られるというんだろう」という感覚を持ったのだそうです。

今まで長年ずっと大事にしていたものを切り捨てていく。高度経済成長時代に新たに得たものは、今まで大事にしてきた何かを切り捨てることによって成り立っているんだという感覚を、この「いちじくの木」以来、心のどこかに持ち続けてきたという話でした。


田中さんが水俣病にはじめて関心を持ったのは18歳、大学生になった年だそうです。
石牟礼道子さんの「苦海浄土」を知り、「胎児性水俣病になった人たちは自分と同年代。生まれる場所は選べないのだから、自分がその立場になっていたとしてもおかしくはなかったのだ」という思いから、強い関心を持つようになったそうです。

そこで田中さんは、苦海浄土の一文を読み上げて聞かせてくださいました。

内容としては・・・
水俣では、お金を出さなくても、目の前の海に糸をたらせば魚がとれる。海水で炊いたお米はとてもおいしい。
東京では、まずい死んだ魚をお金で買っているらしい。東京の生活は大変なんだなあ・・・。

水俣の人たちはそうやって暮らしてきたのに、この生活が、工場排水による海の汚染によって奪われてしまったのです。


田中優子さんの話を聞いていると、いちじくの木も、水俣の海も、目の前に広がっているような気持ちになりました。

目の前の豊かな海や土地から、とれたばかりの魚などをとって、金銭によって動いている都会とはまったく別の豊かさと幸せを持って暮らしていた地域。
その生活が突然に奪われる。
しかも、それは、ここに住む人とはまったく関係のない、都会の生活の便利さが原因なのです。

これはまったく、福島と同じ状態です。

自然の豊かさへの感動と、それを台無しにした絶望感を感じます。

水俣にも、また足を運びたいという気持ちになりました。
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「フクシマで起きていること」を聞いて

4月28日、「フクシマで起きていること」という講演を聴きに、都心に出かけてきました。

福島の郡山で女性相談を受けている方が、郡山の実情や相談内容についてご報告くださるものでした。

郡山は原発からは少し距離があるものの、放射線量は比較的高い値が出るということで、スーパーのチラシには当たり前のように放射線測定器が載っていたり、高圧洗浄機が売っていたり、公園には各所に「モニタリングポスト」がおかれて数値の定点観測が行われている・・・そんな状況を、写真とともに説明してくださいました。

その後、相談の実態についてのお話です。

相談内容について割合を出してみると、一番多いのが夫婦関係、そして、家族関係などが中心。「震災関連」が相談の主たる内容というものが出てこないということでした。

困っていることは、「困っている」と認識できて初めて「相談」になります。たとえばDVだって、課題として認識されていなければ相談につながりません。
「震災」というのが相談内容として明確に出てこないのは、もう困っていないのではなくて、「困っていると言っても良い」と思えていないのではないかということでした。

実際、よくよく話を聞いてみると、目に見えない放射能のことでたくさんの不安を感じているし、家族の間で見解がずれることによっての悩みも抱えているようです。

たとえば、

お母さんは子どもと一緒に避難したいけど、お父さんは仕事があるので一緒には避難できない。でもお父さんは「子どもと離れたくない」という。

日々の子どもの環境は安全なんだろうか…幼稚園の先生に聞いても明確に答えてくれないので不信感を持つ。(でも、幼稚園の先生にも放射能の対策で何がベストなのか、明確な答えは分からないのが現実)

おじいちゃんおばあちゃんは、「うちで作った野菜は安全だから大丈夫」と言って、今までと変わりなくお土産に持たせてくれる。もちろん作った人の感情からすれば「こんなにおいしそうなんだし、心を込めて育てたんだから食べてほしい」と思うだろうけど、小さな子どもを持つ人からすれば食べさせることができない。おじいちゃんおばあちゃんの愛情を素直に受け取れなくなってしまった心苦しさ…。

県外に避難をすれば、「避難できる人は良いわね」と言われたり、避難先で、「福島の人ってお金もらえるの?」と心ない言葉をかけられることがある。普通の生活を取り戻したいのに、「がれきの処理についてどう思う?」など常に聞かれ続けたりして「普通であること」が認められない。

逆に、家族のこととか経済的なこととか、いろいろな事情があって県外に避難できないと、「避難をしないなんておかしい」という言われ方をする。


そんな実態について、個人情報に配慮した形で事例化してご紹介くださいました。

このような状態では、当事者であれば、こういう問題について話したくもない、と思ってしまうのではないかと感じました。
そして、放射能汚染は目に見えないから、このようにいろいろ気にしないといけないことや、家族との関係がうまくいかなくなることに対して、「自分が何か変わってしまったんではないか」と自分を責めてしまうことも多いとか・・・。


震災から少し時間がたつと、いずれがれきの処理も終わり、仮設から新しい家に移る人も少しずつ増えていき、被災地の課題が目に見えづらくなる日がくるだろうと思っていましたが、原発事故の影響を受けている地域には震災直後からすでにその問題が起きているということを改めて感じました。

地域のおいしい野菜や魚をとり、お客や子どもにふるまって暮らしていた人たちの生活を奪う悲惨な事故を起こす原発は絶対になくさなければならないと私は思いますが、まずは福島に住む人たちの気持ちに寄り添う必要があるということを思いました。

福島に行って、その地域を感じ、そこに住む人たちと話す機会を持ちたいと思います。

おすすめの動画

DVの問題に取り組んでいる知り合いに、「性暴力や性的搾取の問題について偏見が起きないように伝えていくのって難しい」という話をしたら、外国で作られている、とても良い動画を紹介してくださいました。

こちらからご覧ください。

女の子への教育の支援をしている活動のようですが、なぜ女子への支援が必要なのかをとても素敵な動画にまとめています。

あえて言葉にすることは少ないけれど、性暴力や性的搾取の危険性は、すべての女性にとって身近な問題ではないでしょうか。
混んだ電車で継続的に通学・通勤したことのある女性ならばほとんどが痴漢の被害の経験を持っているのではないかと思いますし、成長とともに性的な好奇の目にさらされる不快感を味わったことのある女性も多いのではないかと思います。

私は中学生の時から電車で通学していましたが、中学の頃がもっともたくさん痴漢の被害にあいました。
警察の人に相談したら、なんと「スカートを短くしているとか、刺激的な服を着ないことだ」と、まるで被害に遭う方が悪いような言い方をされてびっくりしました。

ちなみに私が中学時代に痴漢にあったときは、制服を着ていて、スカートの丈も膝くらいで長かったのです。

つまり、どんな服を着ているかというように被害者側に責任があるのではなくて、抵抗できなさそうな人を狙ってくるという加害者側の卑劣な考えによって起こっているのが痴漢という性犯罪であるということです。


そういった、性犯罪・性的搾取から逃れて女性が健全に生きるために必要なことは、「自分の身体は自分のものだから、自分の意に反して他人に触られることは嫌だと言って良いのだ」と知ることができる教育を受けること。そしてその時々の成長にあわせた形で親など周りの大人から守られること。


でももしそうした環境が「貧困」によって奪われるとしたら・・・というのが、ご紹介した動画の内容です。

12歳をすぎると、女の子は「女性」として好奇の目で見られる。
その中に放り込まれた女の子は、10代のうちに望まない妊娠にいたるかもしれない。
子どもを産んで生きていくすべが見つからなくなれば、自分の体を売るしかなくなるかもしれない。
そうすると、HIVなど健康を奪われる事態にさらされるかもしれない。

こうした事態を避け、女の子を魔の手から守るために、女の子が教育を受けられる環境を作り、定期的に婦人科検診を受けて自分の体を知ること、自分自身で職を持って生計を立てていくこと、年齢や環境など準備が整ったときに子どもを産むことができるようにしていくことが大事である。そうすれば、その子も、その孫も、同じように守られた環境で幸福な人生を歩めるようになるから。

・・・これが、動画の趣旨です。

これは海外でのみ起こっている課題ではありません。
日本で、性産業で働く女性たちも、様々な困難を抱えてそこに至ったという人も多いと聞きます。
偏見で見るのではなく、正確に実態を伝え、啓発をし、社会が共通認識をもって事態を改善させていくために、日本でもこのような質の高いわかりやすい映像が作れたらいいのになと思います。

おすすめの雑誌

3月の入院中は、ふだんなかなか読めずにたまっていた雑誌や本などを読んで過ごしていたのですが、改めて「おもしろいなぁ~」と思った雑誌をご紹介します。

「we」という雑誌。HPはこちら

女性の問題、男女共同参画に関心を持ってとりくみをしている何人かの知り合いから「ぜひ読んで」とおすすめされたのをきっかけに、購読しているものです。

たとえば児童相談所で働いている児童福祉司の人や学校の先生が日々、子どもや家庭と向き合う中で感じていることを書いた連載。

特集記事では、いろいろな分野で活躍する方のインタビューを掲載しています。
たとえば最新号だと、福島で放射能から子どもたちを守るための活動をしている人。
その前の号だと、反原発の運動をしている人。被災地支援をしている人。

福祉の関係の活動をしている人が紹介されることもあります。

いろんな活動をしている人が、それぞれその人にしかない人生の中で、その人にしかない思いをきっかけにして活動に至っているんだなあ、という、「その人の物語」を感じるので、良いなあと思うのです。


政治は、一言で言い切れる、ワンフレーズのわかりやすさを持った人が人気を集めがちです。
「わかりやすさ」は、典型的な「悪者」を作ってそれを叩くことによって大衆の溜飲を下げるという形で行われます。

しかし、一言で言い切るということは、「一人一人の物語」を吹き飛ばす暴風です。

暴風と、それを支持するうねりを前にすると、いったいどうしたら良いか、無力感に襲われる気持ちになります。


ワンフレーズの暴力に立ち向かうためには、「一人一人の物語」を紡ぎ続けるしかないのだと思います。

学校の先生が卒業生と久しぶりに会ったときに感じる気持ち。

児童相談所で児童虐待の対応をしている職員が、家庭と向き合う中で感じる困難や無力感。

それらを紙面を通して目にしながら、「その人の人生の物語」が語られる力強さをしみじみと感じる。
おすすめの雑誌ですので、気になった方はぜひ購読してみてください。

8月には福島でフォーラムも開かれるそうです。
私は行きたいと思っていますので、詳細が分かりましたらまたお知らせします。

4月の区政報告会

4月27日(金)夜7時~8時30分まで、大泉学園駅南口近くにある勤労福祉会館で区政報告会をおこないました。

連休前の金曜日の夜、また雨であったにもかかわらず多くのご参加をいただきました。

当日はまず、パワーポイントの資料を用いて、私から第1回定例会で議題になった内容や予算委員会で私が指摘した課題のご紹介をしました。(資料はこちらからご覧ください)

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次に、参加者のみなさんに、ひとり1分を目安に自己紹介をしていただきました。
話さずに聞いていたいという人はパスもOK。
政治と聞いてイメージすること、期待すること、失望すること。そして区政についてもう少し詳しく聞いてみたい内容は何か。


タイムキーパー係はうさぎのウサコさん(豊島園・トイザらス生まれ、399円)です。

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1分の時間がたつとウサコさんがキュウと鳴いて知らせます(ちなみに時間をはかるのもウサコを鳴かせるのも人間による手動ですが)。
参加者のみなさんは、ひどく真剣な面持ちでウサコさんをみつめていました・・・(^^;


多くの参加者の方がご発言くださいましたが、たとえば次のような意見が出ました。

・限られた人の意見だけを聞くのではなくて、幅広く聞き、現場を見て物事を判断してほしい。

・病院の問題や区立施設で検査済み証がなかった問題では、区民の当たり前の感覚から離れた対応がされているように感じる。

・議会を見に行きたいと思うが、平日の昼間では行かれないので、夜間や土日にもやって欲しい。

・自分が大泉に住み始めた何十年も前は、道路も整備されておらず、泥を跳ね上げながら米軍の戦車が走っていて、住民みんなが困っていた。そういう困りごとが今はないので、区政の課題が見えにくい。

・テレビで国政のことを見ると、なんだか喧嘩ばかりしていて、何をやっているんだろうという不信感を持つ。

・メディアで言っていることじたいが本当のことが少ないように感じて、何を信じていいのか分からない。

などです。

DSC01243.jpg


お話をうかがって感じたのは、
ご家族に子どもや高齢者、障害のある人などがいて、区の施策を身近に感じる人は具体的な課題を感じているけれど、そうでなければテレビでやる国政をイメージすることが多いし、国政についても政策についての報道よりも政争が中心で自分の生活に関連する問題だと思えないことが多いようです。でも報道されていないだけで、実は色々な問題が起きています。

例えば福祉に限っていえば、民主党政権が廃止すると言っていた障害者自立支援法は廃止せずに改正で済ませようという形に矮小化されてしまったし、介護保険もこの4月から変わったし、子育てに関する法案が今の国会に出されています。
良くなるよりも悪くなる部分も多いのですが、いずれにしても国レベルでさまざまな政策の動きがあるのに、一般的にはほとんど報道されません。それはメディアの問題点だと思いますが、メディアにのらないたくさんの課題を一個人が追うのはとても大変なので、色々なテーマの勉強会をやるのも私の役割だと思っています。


区政で、目に見える課題は分かりやすいけど、今起きている問題の多くは目に見えない問題だから、認識を共有するのが難しいということもあると思います。
参加者の方が発言してくださったように、道路が悪くて被害があれば、それはだれの目にも見えるから、地域が一丸となって課題解決にあたることができます。
でも、たとえば孤独死の問題などは死にいたるまでは目に見える課題ではないから、まず共通認識を持つことが困難であるという難しさを改めて感じました。
これもまた、客観的な指標を用いながら皆さんにお伝えしていくことが、私の役割であるだろうと思います。


議会改革に関しては、議員全員で話し合いながら進めていくものなので、私の思いだけで進むものではありませんが、たとえば休日・夜間に開催してみるべきではないか、現在おこなっていない傍聴者への資料配布をすべきではないか、また異なる立場にある議員が一緒に区政報告会を開けたら区政の課題が立体的に見えておもしろいのではないかな、とも思います。


区政報告会の後半では、参加者のみなさんが「もう少し詳しく聞いてみたい」とおっしゃったものの中で多数を占めていた、「大泉学園駅北口の再開発」のことと「障害児への支援」について少し詳しくご説明しました。

特に大泉学園駅北口の再開発については、賛否がどうというよりも、今、なにがどう動いているかを知らないからまずは事実関係を聞かせてほしいという方が多かったです。


上にリンクしたパワーポイントの資料を見ていただくと分かるように、区政には本当にたくさんの課題があります。何か動きがあるたびに区報やホームページなどでお知らせされていますが、それをしっかり読み込んで現状を理解するというだけでも、忙しい区民のみなさんにはとても大変なことだと分かります。


区政報告会ではまず、基本的な情報を共有したうえで意見交換をする必要があるなと思いましたが、情報を得たその場で意見交換をしていくというのもなかなか困難なものでもあると思います。理想的には、数回にわたって同じ参加者が集まる意見交換会ができるのが良いのかもしれません。(ただ現実的には難しいかとも思います。)

情報に差がある状態で会を進めると、議員はともすれば、議員としての考えを言うのではなくて、行政が出している情報をそのまま区民のみなさんに伝えるだけの「行政の広報係」で終わってしまう危険性も感じました。

そういうわけで、テーマを定めないで幅広く行う区政報告会というのは、とても難しいなといつも感じています。

次回はあらかじめ、「今、区政について特にどんなことが気になりますか?」というアンケートもあわせてやろうかな、などと考えているところです。
試行錯誤しながら、少しずつ良い会にできればと思っていますので、ぜひご参加ください。

私の病気体験談:まとめと余談

昨年11月に、たまたま受けた子宮頸がん検診で、がんが見つかり、3月に治療をしたプロセスを複数回にわたってブログに紹介してきました。

それは、
・比較的初期のものであったとしても、がんになったときにどんな治療のプロセスを経て、どんな不安を感じるのかを具体的にご報告することによって、少しでも多くの方ががん検診を受けようと考えてくれたらということ。
・今後、「子宮頸がんの疑い」と言われた人が治療を始めるにあたって、どんなことがあるのか不安にお感じになった時に、少しでも参考になればということ。

そんな思いから、かなり細部にわたって書きました。

改めて書きますと、私は子宮頸がんの中でも比較的治療の難しい腺がんと言われましたが、円錐切除という一部切除の手術をした結果、今のところ上皮内にがんが収まり、広がっていないことが分かって、ひとまず円錐切除のみで治療が完了しています。今後は、再発がないかの検査を定期的に受けますが、服薬などの必要は今のところ言われていない、という状態です。

今後、私の体験談をご覧いただくときに分かりやすいように、以下に目次のようなものをつけておきます。

①病名を公表した最初のブログはこちら

②子宮頸がんの基礎知識についてはこちら

③2011年11月~12月、検診から精密検査に行くことになった時のことはこちら

④2012年1月~2月、入院前の通院の時のことはこちら

⑤2012年3月13日 入院前日のことはこちら

⑥2012年3月14日、入院1日目のことはこちら

⑦2012年3月15日、入院2日目(手術の日)のことはこちら

⑧2012年3月16日、入院3日目のことはこちら

⑨2012年3月17日、退院の日とその後数日間の経過のことはこちら

⑩手術後の出血のことなどはこちら

⑪仕事のことや保険のことはこちら

⑫病気になってみて気持ちの面で感じたことはこちら



最後に余談ですが、私が最初にがんであることを言われたときに、一番心配だったのが猫のことでした(^^;
子宮頸がんは比較的治りやすいと思っていたので、そんなに自分の身体のことは心配していなかったのです。(のちに、治りにくいがんかもしれないと言われて衝撃を受けましたが・・・。)

4日間の入院の間、猫は父に見てもらっていました。
入院前日から退院の翌日まで、父が私の家に来てくれていました。

はじめて父が来た時には、猫はひどく驚いて、腰が引けた状態でそーっと父に近づき様子を見に行っていました。
少し父に近づいて見てくることができると、猫は私の足元に走って戻ってきて、「変なおじさんがいるの、見てきたよ!」と満足げにのどをゴロゴロ言わせていました。

この日は猫はずっと私の足にくっついて様子をうかがっているようだったので、私がいない間大丈夫だろうかと心配しました。

でも、彼女はなかなかのお調子者で、私の留守中にごはんをくれる私の父に、そこそこなついて、お腹を見せてやったりしていたそうです。

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(私の入院中に、父が撮った写真)

ところが、私が退院して家に戻ったあとに父が仕事から帰ってきたら、「だれ、このおじさん!」というひどく驚いた顔をしていました・・・

父は、「ふたりでいたときには仲良くしてたのに、ひどいや」と落胆して帰って行きました。

猫というのは、ずいぶん勝手なものです。

それからしばらくは、玄関のほうで物音がすると「またおじさん来たの?」と警戒する様子を見せていた猫ですが、最近はようやく落ち着いたようです。

私の病気体験⑫ いろいろ、感じたこと

病気を体験して、心で感じた部分については、愚痴っぽくなるのでさらっと書いて、今回で体験談ブログは終了します。


気持ちの面では、病気になると、ともすれば自分の意思が奪われかねない場面が増えてくるということを感じました。
福祉の分野では、「当事者の主体的な決定が大事」ということが言われますが、元気で自分で動けるときには当たり前と思われるようなこんなことを、あえて言わなければならないほど、弱っている人は主体性が奪われがちであることを実感として感じました。

たとえば、
・病名を公表すべきか否か。
・病院への付き添いが必要か否か。必要なら誰についていってもらうか。
・お見舞いは受け入れるか断るか。受け入れるなら、どの範囲の人まで来てもらってOKにするか。

これらは、本来、病気になった私自身が私の意思で決めるべきことですが、良かれと思って周りが決めてしまいそうになることがありました。
そうなると、「ああ、病気になると、私が自分で決めたいことまで他の人に決められてしまうくらい弱い立場になってしまうんだろうか」という気持ちになりました。
でもあるときから気持ちを切り替えて、「そんな時こそ自分の気持ちをきちんと言葉にして相手に伝えなくてはいけないんだな。相手は良かれと思っていることなんだから、伝えなければ分からないもの。」と思い直しました。

たとえば「お見舞いに行ってあげるよ」と言われることがありましたが、化粧もせずパジャマを着て、ときによっては尿の管をつけてぼーっとしてるところに、できれば他人は来てほしくないというのが私の気持でした。

入院がよほど長引けば淋しいから来てほしいとも思うかもしれないけど、少なくとも私は来てほしいとは思わなかったです。せいぜい、家族やそれに準ずるくらい親しい人までが良いなと思いました。

この気持ちは人によって違うかもしれません。入院している人が女性か男性かということによっても感覚が異なるかもしれないし、その人のもともとの性格によっては、「たくさん来てくれた方が嬉しい」という風に感じる人もいるかもしれないです。

ただ、いずれにしてもお見舞いに行きたいと思った時には、本人が来てほしいかどうかの確認は必要ですね。



励ましの言葉はどんな言葉であっても嬉しいものですが、「お父さんはさぞ悲しかったでしょうね」という言い方をされたときはあまり良い気持ちがしませんでした。

私が病気になったことで家族が悲しむのは言うまでもなく当たり前のことです。
本人が受け止めるショックと、家族が感じるショックはまた別の種類のものだと思います。
家族は、「自分は身体的な苦しみを代わってやることができない」という悲しみを感じるのかもしれません。
父にしてみたらもしかしたら、自分が大腸がんになった時よりもショックだという気持ちをもったかもしれません。

だけど病気を告知されたときにまず第一に、一番ショックなのは当然、私自身です。手術によって失うのは、私の身体の一部であって、私の身体は家族・親の所有物ではないからです。

病気になった本人に対して、「お父さんはショックでしょうね」という、聞いても聞かなくてもいいようなことは言うべきではないと思います。

その言葉が社交辞令ではなくて本当に私の父の気持ちを聞きたいというのであれば、父に直接聞いてもらわなければなりません。
私には父がどう感じていたか、その気持ちは分かりません。
家族は、家族であっても同一人物ではないからです。


当事者への支援と家族への支援は別個に行われるべきものだということを改めて感じました。


あと、私が病名の公表をすることによって、もともとの友人・知人の中から、「実は私も子宮の病気を持っている」「実は私は子宮を摘出する手術を経験している」という人が何人もいました。

私自身は、せっかくの体験を言うことによって他の人に少しでも役立てば良いなと思うし、病名を言ってしまったほうが万一あるとき不調が襲ってきたとしても周りに理解してもらえて自分も楽だろうと思うので公表しましたが、多くの人は病気になってもあまり人には言わないし、婦人科系の病気であればなおさらのことであると思います。

でも、自分の身体は自分のものですから、言いたくなければ言わなくても快適に生きられる権利も保障されなくてはいけないと思います。
軽い雑談のなかで「お子さんはいるんですか」などという会話はまだまだよくあることですし、女性が選挙で立候補するときに「私は子どもを産んだ経験があるから分かるんです」と主張することもよくありますが、そういう何気ない言葉に人知れず傷ついている女性が、実は私たちの目の前にいるかもしれないということを考える必要があると思いました。

妊娠初期の人が体調が悪くても一見妊娠していると分からなくて席を譲ってもらいにくいということもあって、マタニティーマークというのが普及していますが、マークを使って示さないと気遣いあえないというのも残念なことです。
妊娠初期と同様に、病気も、あえて言葉にしなければ目に見えて分からないことも多くあります。
でも、本当は、一見元気そうな人でも、一見若く見える人でも、もしかしたら不調を抱えていたり、困っていることがあるかもしれないと、周りにいる人のことに思いをはせることができる社会にできたら良いですね。

私の病気体験⑪ 仕事のこと、保険のこと


私が子宮頚がんの体験をして感じた、社会の保障の面での課題をご紹介します。

【仕事について】
病気をして思ったのはまず仕事を休まなければいけないこと。
内視鏡による手術であっても少なくとも退院後は1週間、できることなら10日間休めたら後が楽であるというのが私が感じたところでした。

私の場合、幸い議会のある時期ではなかったこともあって、2週間くらいは、相手のある約束は入れないようにしました。体調が良くて、自分がやるべき事務仕事、原稿書きなどをやる分にはいいですが、誰かとの約束だったら万一突然、体調が悪化したときに先方に迷惑をかけるからです。
私は治るプロセスで大出血もあったので、結局本当にいつもどおりに仕事ができるようになるには術後2週間かかりました。

ただ、会社に雇われている場合だと術後でも短時間勤務などあんまり柔軟性を持って仕事をできないかもしれないし、非正規であればあまり長く休みをとるなら辞めてくれといわれるかもしれませんね。
自営でお店などをやっていればお客さんのことを考えるとあまり休めないし休めば収入がなくなってしまうという、かなり厳しい状況に置かれるだろうということを改めて思いました。

正規職員で働いていれば病気の休業をとるなど、ある程度の期間休んでも一定の保障があると思います。私の父は正規職員で働いていて、5年ほど前、大腸がんで開腹の手術をしたので、内視鏡よりも元気になるまで時間がかかり、数か月仕事を休んでいましたが、復職できましたので。

比較的軽いと言われる内視鏡手術でもこれだけ不安を感じるのだから、元気になるまで数カ月かかると思われる開腹による手術ならば、たとえ転移等の心配はなくても、手術後の収入源、生活には不安を感じるだろうということを改めて思いました。

正規職員でないことは、単に普段の収入が少ないだけではなくて、こういう、いざというときの保障がないという問題を持ちます。病気になった時の保障という観点からも、不安定雇用の問題はとらえていかなければならないと思います。


【保険について】
また、健康保険、医療保険についても確認する必要があると思いました。

私が入っている国民健康保険は、入院をする場合、あらかじめ「限度額認定証」というものを発行してもらっておくと、自己負担分に一定以上の費用がかかったときに所得に応じて超過分は公費から出ます。詳細はこちらをご覧ください。

ただ、所得によって上限があるので、内視鏡手術のように比較的軽微で期間も短く済む場合は対象にならない場合があると思います。
ちなみに私の入院・手術の自己負担分は7万円ほどだったので、対象になりませんでした。

また、民間の医療保険も、保障される内容を確認しておいたほうが良いと思います。
私は2つ保険に入っていましたが、そのうちのひとつは簡易保険で、5日以上の入院でなければ対象にならないというものでした。
私は今回、3泊4日で退院できたので、この保険の対象にはなりません。盲腸の手術とか初期のがんなどは日帰りや短期間の入院が増えていると思いますが、保険によって対象にならないかもしれないということもよく確認して保険に入ったほうがいいと思います。
日帰りや数日の入院で済む軽微な手術の場合、公的保険の高額療養分の保障の対象にもならないし、民間の保険の給付の対象にもならないと、結果的に自己負担分が結構な額になることも多いと思います。

私は、もうひとつの保険のほうは今申請しているところですが、これも対象になるかどうか・・・もし給付の対象にならなければまるまる7万円の出費ということになります。

かといって、自分が病気を体験して実感して初めて医療保険の内容を見直して入りなおそうと思うと、病歴のある人は保険に入れないので新たな加入や更新はできないということもありますから、元気な時から時折保険の内容を見直し、あわせて自分の体調を見直すことをお勧めします。

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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