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婦人科の勉強会を企画しました。

「自分で守ろう、自分のカラダ~ライフサイクルの中での女性の健康づくり~」
9月29日(土)午後2時~4時
石神井公園区民交流センター2階 会議室2・3
講師:吉野一枝先生(よしの女性診療所 院長)

*男性の方もぜひご参加ください。


先生のプロフィールなど、詳細のチラシはこちらからご覧ください。



私自身ががんになった体験談は、このブログでもご紹介しました。(詳しくはこちらをご覧ください。)


結果的に今のところ完治してますけれど、がんだと言われた時には治療にどのくらいの時間と費用がかかるのかも、子宮を残すことができるのか全部とっちゃうかも分からなかったし、今はすっかり元気とはいえ、これからもいつ再発するか分からないわけです。

病気のことを知りたいと思っても、情報は、断片的なお医者さんの話を聞いたり(しかもその時によって微妙に言うことが違ったりして・・・)、正しいのか誤っているのか分からないインターネットの情報を調べるくらいしかありませんでした。


そこで、福祉施設などでも女性に対して性について、健康についての正しい知識を教える講演をしてくださっているというお医者さんを知り合いから紹介してもらい、勉強会を企画しました。

本当は、和室の部屋を取ることができたら子ども連れでも参加しやすいかなあと、頑張ったのですが、残念ながら抽選の闘いに敗れました・・・(+_+)

なので、ふつうの会議室だし保育もついていませんが、できれば若いお母さんにも聞いて欲しいです。それから男性にも。


以下は私が企画した「思い」なので、お時間があったらお読みください。

病気は本当に突然、襲ってきます。他人の病気の話は、落ち着いてから打ち明けられるので、整理した状態で説明されますが、自分の病気は治るか治らないかさえもわからない先の見通しの立たない混とん状態に突然放り込まれるようなものです。

一方で、子どもが小さいお母さんたちは、自分の体のことは後回しにしがち。でも、少なくとも年に1回の検診に行く時間はとるべきだと思います。病気を早期に治すことは、結果的にはお子さんのためにもなるわけですから。そのためにも、自分の体の何を気をつけておけばいいのか、基本的なことを知る機会は必要だと思います。


子宮頸がんワクチンを子どもに接種させるべきか否かで悩んでいる方もいるかもしれません。
ちなみに私は、20歳を過ぎたら年に1回の検診を受けるということとあわせてワクチンは接種すべきだと思います。
なぜかというと、一般的には子宮頸がんは定期的に検診を受けていればがん化する前に発見できると言われますが、私は2年に1回検診を受けていたのにもかかわらず、がんになるまで見つからなかったからです。

それは私のがんのタイプが珍しいものだったからで、もちろん、そういうことは割合としてはごくわずかですが、そういうものも予防できる可能性があるなら予防した方が良いじゃないかと私は思います。
ただし私の意見は一当事者の意見ですから、これも、お医者さんの専門的な意見を聞いて、皆さんが判断すべきことかと思います。


あと、今回の経験を機に改めて考えましたが、女性が子どもを産むか産まないかという選択、あるいは女性が婦人科の病気になるという経験が、その女性一個人の個人的な問題と突き放されることが多いように思います。
子どもを産み育てるのは女性だけの責任ではないし、女性が病気になることは家族や社会にとっての問題でもあります。
でも、男性はなおさら、こうしたことについて学び考える機会が少ないのだと思います。
ですので、ご家族の健康について考えていただくためにも、男性にも参加していただきたいと思います。


女性は自分の体のしくみを知った上で、自分はどんな人生を送りたいのか、主体的に考える機会を作る必要もあると思います。
思いがけず妊娠してしまった、思いがけず妊娠できなかった、こどもができれば幸せになれるかと思ったらそうではなかった―そういった、女性の人生に起こり得る様々な課題についても考える必要があると思います。

ぜひご参加ください。
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weフォーラム・オプショナルツアー・天栄村

8月4,5日の2日間参加してきたweフォーラムの報告は、今回のブログで最後です。

2日目の午後は、2種類のオプショナルツアーがあって、私は天栄村のお米を見に行きました。

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この地域には、震災より前の、今から5年位前から、「全国一おいしいお米を作るぞ!」と創意工夫を重ねている「天栄米研究会」があったそうです。

除草剤をまけば簡単に雑草は取り除けるけど、それをせずに手でむしる。

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(毎日毎日、雑草を手でむしって取り除いているので、そのあとからまた生えてきている。)

肥料を使えば収穫できる米の量は増えるけれど味は落ちるので、いっぱいとることよりも味を重視した栽培をしている。

その成果を感じるために、村でもお米のコンクールをやり、そして全国のコンクールにも出して、おいしさが認められるようになり、研究会に参加している農家の人たちも、手間暇かかってもお金がかかってあまり大きな利益が得られなかったとしても、おいしいお米を作りたいと思うようになって、工夫をしながら頑張っていたそうです。

こうした活動で、情報を集めるなど後方から支援をしていたのは、天栄村の産業振興課長である吉成さんという人でした。

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(吉成さんと、農家の方々)


そんなときに、震災と原発事故が起きました。
原発事故直後の天栄村の空間放射線量は5マイクロシーベルトあったそうです。(ちなみに、私が行った時のモニタリングポストの値は0.427マイクロシーベルトでした。)

福島の農作物はもう売れないかもしれない、と農家の人たちががっかりしているときに、吉成さんは、「あきらめてしまわないで、放射能の出ない農作物を作るように頑張ろう」と励まし、放射性物質に関する情報を集めました。そうしなければ、農家の人たちは落胆して死んでしまうのではないかと心配だったそうです。

まず、放射性セシウムは植物の栄養分であるカリウムに似ているので、カリウムが不足している土壌では栄養分と間違えて放射性セシウムを吸収してしまう。そこで、土壌にカリウムを多く撒くという工夫をする。

それから、放射性物質が水に溶けて植物に吸収されてしまうのを防ぐために、ゼオライトというものを使うと、放射性セシウムがゼオライトに吸着されるという方法をとってみる。

栄養分を入れすぎたら味が落ちるかもしれないし、ゼオライトを入れすぎたら土壌が変わってしまうかもしれない・・・そのバランスを工夫しながら、昨年は農作物を作り、結局、昨年の秋に収穫されたお米は検出限界10ベクレルの測定器で放射性物質が不検出だったそうです。


単に放射能の検出されない米であるだけではなくて、震災前に引き続き除草剤などは極力使わず、また味もおいしいものにして、昨年も全国コンクールでかなり上位の結果を残したということでした。


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(出していただいたおにぎりとおかず。お米の話と関係ありませんが、この中にある、じゃがいもを味噌であえた料理が、忘れられないほどおいしかった・・・)

また、キュウリやナスなど、村でとれる他の野菜についてもすべて測定をしているそうです。


創意工夫をしながら米作りをしている農家の方たちもすばらしいし、それを支える吉成さんの存在も大きいと感じました。
やはり、現場で米作りをする当事者である農家の人たちだけではいろいろな情報を集めるのは困難だろうと思うし、特に昨年の震災・原発事故でがっかりしたときに励まし情報集めという形で応援をすることができる立場の人がいたことはとても大きなことだったと思います。

「知の力」はこうして、現場で汗を流して働く人のために活用されるべきものだと、しみじみ思いました。
知と金の力で地方で暮らす人たちの人生を搾取してきた原発の存在とは対照的です。


その一方で、原発事故さえなければ必要のなかった苦しみと、努力やお金が必要になってしまっていて、それが個々人の責任に任されてしまっているのだという課題を感じます。

天栄村について詳細が分かるHPはこちら

日々の活動についてはブログに書いてありますが、東京でも時折、販売されることがあるようです。

天栄村ではこれからも、放射能検出を限りなくゼロに近づけ安心でおいしい米作りに取り組んでいくということですが、大変なとりくみであるため、これを応援しようという「田んぼのパートナー制度」というものもあります。

あらかじめ、支援金を支払うという方法で応援し、無事おいしく安全な米ができあがったときには支援金額に応じてお米をもらえるというしくみです。


今回の訪問をご縁に、今後も、天栄村とのつながりを持ち続けていけたらいいなと思っています。

weフォーラム・分科会「放射線の授業をつくる」

Weフォーラム、2日目の午前中は5つの分科会に分かれました。
私はその中で、「放射線の授業をつくる」というテーマの会に参加し、郡山と横浜の小学校の先生の実践を伺いました。

郡山の坂内先生は、震災当初に「ビッグパレットふくしま」にみんなで避難したときから、自分の立場でできる〈ニーズへの対応〉はなんだろうかと考えたそうです。
そこで、避難所での子どもたちの勉強会を始めたそうです。3月時点では、4、5月に学校が再開できるのかも分からず、子どもたちは避難所でぼんやり過ごすしかないし、親もその状態にストレスがたまっている。はじめは子どもたちが勉強するスペースすら十分に確保できない状態だったけれど、子どもたちはたとえ立ったままでも一生懸命勉強していた、と、当時の写真を見せてくださいました。

いくらなんでも立ったままで勉強しているのはかわいそうだと、周りの大人も次第に配慮してくれるようになり、机といすを置いての学習会が始まりました。

4月上旬には学校が再開できたので、先生は次に解決すべき〈ニーズ〉を考えたそうです。

親は子どもの健康を心配して放射能汚染に不安を抱いている。大人も何が正しい情報かに悩みながら、子どもに対して「外で遊んだらダメ」、「植え込みに座ったらダメ」などというんだけど、子どもたちは大人(親や先生)からダメと言われても楽しいことなら気にせずやってしまうことがある。
だから、単にダメというんじゃなくて、「何が危険なのか」「どうすれば危険を避けることができるのか」を伝え、自分自身で判断してもらうことが大切だと考えて、テキストづくりを始めたのだそうです。

テキストにはわかりやすい絵がついていたら良いな、と思っていたら、ツイッターで柚木ミサトさんというイラストレーターの方と出会って、可愛らしい絵付きのテキストが完成したそうです。(柚木ミサトさんは、放射性物質を赤いつぶつぶで表したイラストを描いています。こちらをご覧ください。)

放射能の問題を学ぶときには、科学的な知識だけでなく、人権の観点、また社会学的な観点も一緒に考えていかなければならないし、すべてが解明されて大人が全部説明できる状態にはないけれど、こどもとともに大人も学んでいく姿勢が大切なのではないかという話をしてくださいました。


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(最初に作ったテキストの内容をさらに充実させて作ったイラストブック「放射線になんか、まけないぞ!」)


横浜の山本先生は、今年の3月に定年退職をする前に、退職記念公開授業という形で小学2年生の子どもたちに対して授業をした話をしてくださいました。
坂内先生が作ったテキストも参考にし、震災直後に放射性物質がどのように東日本を流れていったのかといった映像も見せながら、子どもたちに放射性物質の基本的な知識についてお話をされたそうです。

健康に与える影響について「気にするしかないでしょう」と苦しそうに話しているお医者さんと「放射線はニコニコしている人にはきません」と話している専門家の映像両方を見せるということもしたそうです。
子どもたちはそれを見て、「2人はまったく違うことを言ってるね」と気づく。

そして授業の最後に、福島の動物たちを保護し、必要な場合は里親を見つける活動をしている横浜の動物愛護団体の方に来ていただいて、福島の動物たちの実態を話していただいたそうです。
ようやく見つけ出すことのできた飼い主にペットをどうするか聞いたら、「避難先では動物を飼えないから」と、泣く泣く里親を探してほしいと頼まれたこともあること。
逆に、ペットの犬と別れ別れになってしまってからずっと各地の保護施設を探し続けて、ようやく横浜で再会できた飼い主がいたこと。
また、この原発事故の影響を受けているのは飼育されていたペットや家畜だけではなく、野生の動物たちは今も知らずに汚染された場所で生きているということ…。



2人の先生の取り組みを伺って思ったのは、放射能の話に限らず、すべての事柄において、答えは必ずしもひとつではなくて分からないこともたくさんあるのだということや、その中から自分で判断をして行動していくことを学校で学ぶことが大切だということだなということです。

坂内先生が「大人がダメだといって危険な行為をやめさせるのではなくて、こどもが自分で判断できるような学びの場を作ることが大切」とお話されていたことがとても心に残りました。大人が決めた〈正解〉にこどもを誘導するのではなく、こどもが自分でたくさんの材料から判断できるような力をつけていくことが大切なのですね。

Weフォーラム・参加者同士の交流会で

前回のブログでご紹介した、武藤類子さんと吉野裕之さんのシンポジウムの後、1時間ほど参加者同士の交流会の時間をとりました。
100人ほどの参加者の方々が6~8人くらいずつのグループに分かれ、1人3分ずつ「シンポジウムを聞いて、自分に何ができる・何をしたいと考えたか」という話をしてもらうというものです。そして、グループワークが終わった後には、他の人から聞いた話を全体の前で共有しましょう、という時間でした。

私はこの交流会の担当者という役割だったのですが、もうひとりの担当者が頼りがいのある方で進行役をしてくれたので、私は単にオロオロ、オロオロと3分の時間のタイムキーパーをやっていました(^^;

グループワーク後に、「ぜひ全体の人に聞いてほしいことがある」という人に手を挙げてもらいました。
そこで、一人の女性が手を挙げて「私自身の話を聞いてほしい」といいました。
その話の概要を以下に書きます。

その女性は、この勉強会の会場・福島県立男女共生センターのある地元・二本松に住んでいる方。
男女共生センターは、震災当時、原発周辺の住民が避難してくる場となっていたそうです。(インターネットで調べてみたところ、双葉町の病院から患者さんを避難させてきた後、放射性物質の除染・スクリーニングをする施設として使われたため、震災後1ヶ月ほどは本来の男女共生センターとしての役割は休止していたそうです。)

原発周辺の人たちが、ヘリコプターで運ばれてくる。
病院で、もともと病状が重く寝たきり状態にある人も避難のために乗せられてくる。
体力がもたずに亡くなってしまった人もいた。
でも、緊急時なので十分な寝床などの設備もなく、ホールに転がされたままのような形で最期を迎えざるを得なかった人がいた。

福島に住む人たちは当時、原発事故の詳細も知らされていない。
なぜ、次々とヘリコプターがやってくるのかも分からない。
あとから思えば、そのヘリコプターに、瀕死の状態の人も含めてたくさんの原発周辺住民が乗っていたのだということを考える。

小さな孫を抱いて、「ヘリコプターが飛んでるね」と眺めていたおじいちゃんもいた。
あとから思えば、ヘリコプターの風で放射能がたくさん降り注いでいたかもしれないのに。


事実を何も知らされない、とんでもない状況で死んでいった人もいる、その悲惨な状況は決して忘れることができない。こんなひどい思いを、辛い思いを、もう福島以外の人には絶対に味わわせたくない。こんな思いはもう誰にもさせたくない。
だから原発は絶対になくしてほしい。


そんな風に、二本松の女性は話をしてくれました。

100人の会場が静まりかえりました。
ぐっと胸をしめつけられる思いです。
(今、女性の言葉を思い出してこうして書いていてもまた胸が締め付けられます。)

日本で暮らすすべての人が、穏やかに人生を送り、そして穏やかに人生を閉じることができなければ、いったい何のための社会でしょうか。

やはり、当事者の言葉は重いです。
身の引き締まる思いでした。

weフォーラム・シンポジウム「福島で生きるということ」

8月4日と5日、福島県二本松で開かれた「weフォーラム」に、同じ会派の菊地靖枝さんと区民の方と一緒に参加してきました。

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2日間にわたっていくつかの会に参加し、新たな出会いと学びがたくさんありましたので、何回かに分けてブログに書きたいと思います。

【8月4日午後 全体会・シンポジウム「福島で生きるということ」について】
武藤類子さんと、吉野裕之さんというお2人の話を聞くシンポジウムでした。

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武藤さんは、昨年9月に東京・明治公園であった「さようなら原発5万人集会」でのスピーチが話題になった方です。
私もこの集会は行きましたが、当日はあまりよくスピーチは聞き取れなかったけれど、こちらでその内容を読むことができます。心を打たれる内容です。

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(武藤さんのうしろに写っている画像のモニタリングポストは、1ヶ月ほど前の郡山駅前のものだそうです。8月5日に私が郡山駅で見たときは0.27でした。武藤さんによると、少し前に駅前の広場の掃除をして数値が下がったとのこと)


武藤さんは福島に住んでいた方で、チェルノブイリの事故の頃からずっと原発に疑問を感じて、原発のない社会をめざしたいと考えて活動してきた方です。
じゃあ、原発のない生活ってどうやって作れるだろうかと、みずから山の中を切り開き、小さな小屋を建て、太陽光などを使いながら生活をしていらっしゃいました。
お仕事は学校の先生だったそうですが、40代で退職をし、その退職金で少し立派な小屋を建てて、どんぐりや山菜をとってきたり、畑の野菜を使って料理をし、それを食べられる喫茶店を運営していました。
しかし昨年の原発事故の放射能の影響で、この喫茶店もたたまざるを得なくなったということです。

すごい活動をしてきた人だけれど、スピーチの内容と同様に、穏やかで静かな雰囲気の方です。

そして次のような話をしてくださいました。

福島県内の放射線量の高い場所では表土が削られ、木も切られるといった「除染」がおこなわれている。除染した直後は放射線量は下がるけれど、時間がたつとまた上がってしまう場所もある。
そんな状況にある中で、昨年は中止されていたプールやマラソン大会といった子どもたちのイベントが再開され、また県外の子どもたちがボランティアとしてお手伝いに来るといったことも出てきている。依然として放射能はあるのに、「もう安全だ」というPRに子どもたちが利用されている感がある。
避難をするのかしないのか、この食べ物を食べるのか食べないのかという決断で、住民が分断されていくし、「もう放射能はそんなに気にしなくてもいい」という情報が入ってくることによってさらに分断されていく感じがしている。

そして、普通は民間企業などが問題を起こせば、すぐに捜査が始まるのに、今回の原発事故に関してはそれがおこなわれず、だれも責任をとっていない・・・ということで、この事故を招いた東京電力と国の責任者を刑事告訴するという運動を始めているというお話でした。

もうひとり、話をしてくださった吉野裕之さんは、みずからにも小さいお子さんがいて、子どもたちを放射能の影響のない場所に短期間でも行かせたいという活動をしているということでした。

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震災と原発事故の直後、原発はいったいどんな状態にあるのか、漏れ出した放射能がどんな影響を与えるものなのかという情報がまったくない中で、外に救援物資を取りに行くお手伝いをこどもたちにさせてしまったと後悔している親たちがいるということでした。

調べていくうちに、汚染の状況によっては本来はかなり厳密に管理しなければならない(一定以上の放射線量の場合にはその場で飲食をしてはいけないなど)ということがわかり、親たちは「この地域の放射能汚染の実態を調査して分かるまでは学校を再開しないでほしい」と要望をしたそうですが、行政の動きが鈍いために自分たちで動こうと活動し始めたというお話でした。

子どもの健康を考えて、避難することができる人はもうすでに避難をしている。
今、残っている人は、たとえば仕事の関係とか、親の介護があるとか、なんらかの事情を抱えて引っ越すことが困難な人たち。だから、引っ越すことまではできなくても、短期間でも子どもたちが放射能の影響のない地域に行って思う存分外で遊び空気を吸い、汚染されていない食べ物を口にすることによって、身体にたまってしまっている放射性物質を体外に排出するための時間を持つ、「保養」が必要だということです。

今、各地でボランティア団体が福島のこどもを受け入れる取り組みをしていますが、それでも福島に住む子どもの数と比べれば圧倒的に少ないので、抽選にあたるかどうかで行けるかどうかが決まるし、お友達同士で同じ思い出を作ることも難しい状態。
だから今後は、学校のクラスごとに合宿のような形で保養をするしくみを作ることができれば、クラスの思い出づくりもできるし、行ける子と行けない子が出てしまう状況をなくすことができるのではないか。そのためには、国として法的な整備をし検証していく必要があることを訴える活動を始めているということでした。

3時間にわたってお2人の話を聞いた後、100人を超える参加者同士の交流会の時間になります。
その話はまた次のブログで。

7月13日の区政報告会について

報告がとても遅くなってしまいましたが、大泉学園駅南口にある勤労福祉会館で、7月13日の夜7時~8時半、区政報告会をおこないました。
今回は、駅頭での区政レポート配布の際や郵送で、事前にアンケートを配りました。6月の区議会で出た議案や私の一般質問のテーマのうち、特に詳しく聞きたいテーマを丸で囲んで返信いただくというアンケートです。

上位が拮抗してしまったので、7つのテーマを報告しました。
1. 外国人登録法の廃止について
2. 区税条例の改正について
3. 大泉学園駅北口・石神井公園南地区の地区計画に関する条例改正
4. 介護報酬の改定について
5. 障害のある子どもの教育について
6. 戸籍などを第三者が入手する際の個人情報の保護について
7. 生活保護について

皆さんに報告をしてみた結果思ったのは、やっぱりもう少しテーマを絞れば良かったということでした(^^;
本当は25分くらいで私からの報告を終えて意見交換の時間を長く取りたかったのですが、予定の倍近い時間がかかってしまいました・・・。

その後、質問用紙も提出していただいて、質疑の時間をとりましたが、なぜか皆さん、上記7項目とは別の質問をされたため、なかなか十分なお答えができなかった部分もあり、広く浅くの内容になりました(苦笑)

当日に十分にお答えできなかった質問に関しては、後日改めて調査をしまして、参加してくださった皆さんには昨日、郵便をお送りしたところです。


テーマを絞った勉強会の際には、そのテーマについて深めた議論ができるのですが、区政報告会は元々扱うテーマ自体も幅広くなり、参加された皆さんとのやりとりも議論と言うより質疑になりがちです。もっと、参加した皆さんが「参加した甲斐」のあるおもしろいやり方ができないんだろうかと、毎回少しずつ運営方法を変えながら試行錯誤しています。

議論を深める理想的な形としては、1回で終わりではなく複数回にわたった会にできたらおもしろそうです。(たとえば、2週連続土曜の午後に企画をして、参加者の方にもいったん家に持ち帰って貰って次の週に改めて意見を出して貰うなど。)
ただ、それは参加のハードルがものすごく上がるとも思いますし、どうしたものか・・・。

次回は、9月10月の区議会が終わったら企画しようと思っていますが、「こんな進め方はどう?」というご意見がありましたらぜひお寄せください。


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Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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