Entries

weフォーラム・シンポジウム「福島で生きるということ」

8月4日と5日、福島県二本松で開かれた「weフォーラム」に、同じ会派の菊地靖枝さんと区民の方と一緒に参加してきました。

P1030601(1).jpg


2日間にわたっていくつかの会に参加し、新たな出会いと学びがたくさんありましたので、何回かに分けてブログに書きたいと思います。

【8月4日午後 全体会・シンポジウム「福島で生きるということ」について】
武藤類子さんと、吉野裕之さんというお2人の話を聞くシンポジウムでした。

DSC01336.jpg


武藤さんは、昨年9月に東京・明治公園であった「さようなら原発5万人集会」でのスピーチが話題になった方です。
私もこの集会は行きましたが、当日はあまりよくスピーチは聞き取れなかったけれど、こちらでその内容を読むことができます。心を打たれる内容です。

DSC01341.jpg
(武藤さんのうしろに写っている画像のモニタリングポストは、1ヶ月ほど前の郡山駅前のものだそうです。8月5日に私が郡山駅で見たときは0.27でした。武藤さんによると、少し前に駅前の広場の掃除をして数値が下がったとのこと)


武藤さんは福島に住んでいた方で、チェルノブイリの事故の頃からずっと原発に疑問を感じて、原発のない社会をめざしたいと考えて活動してきた方です。
じゃあ、原発のない生活ってどうやって作れるだろうかと、みずから山の中を切り開き、小さな小屋を建て、太陽光などを使いながら生活をしていらっしゃいました。
お仕事は学校の先生だったそうですが、40代で退職をし、その退職金で少し立派な小屋を建てて、どんぐりや山菜をとってきたり、畑の野菜を使って料理をし、それを食べられる喫茶店を運営していました。
しかし昨年の原発事故の放射能の影響で、この喫茶店もたたまざるを得なくなったということです。

すごい活動をしてきた人だけれど、スピーチの内容と同様に、穏やかで静かな雰囲気の方です。

そして次のような話をしてくださいました。

福島県内の放射線量の高い場所では表土が削られ、木も切られるといった「除染」がおこなわれている。除染した直後は放射線量は下がるけれど、時間がたつとまた上がってしまう場所もある。
そんな状況にある中で、昨年は中止されていたプールやマラソン大会といった子どもたちのイベントが再開され、また県外の子どもたちがボランティアとしてお手伝いに来るといったことも出てきている。依然として放射能はあるのに、「もう安全だ」というPRに子どもたちが利用されている感がある。
避難をするのかしないのか、この食べ物を食べるのか食べないのかという決断で、住民が分断されていくし、「もう放射能はそんなに気にしなくてもいい」という情報が入ってくることによってさらに分断されていく感じがしている。

そして、普通は民間企業などが問題を起こせば、すぐに捜査が始まるのに、今回の原発事故に関してはそれがおこなわれず、だれも責任をとっていない・・・ということで、この事故を招いた東京電力と国の責任者を刑事告訴するという運動を始めているというお話でした。

もうひとり、話をしてくださった吉野裕之さんは、みずからにも小さいお子さんがいて、子どもたちを放射能の影響のない場所に短期間でも行かせたいという活動をしているということでした。

DSC01342.jpg

震災と原発事故の直後、原発はいったいどんな状態にあるのか、漏れ出した放射能がどんな影響を与えるものなのかという情報がまったくない中で、外に救援物資を取りに行くお手伝いをこどもたちにさせてしまったと後悔している親たちがいるということでした。

調べていくうちに、汚染の状況によっては本来はかなり厳密に管理しなければならない(一定以上の放射線量の場合にはその場で飲食をしてはいけないなど)ということがわかり、親たちは「この地域の放射能汚染の実態を調査して分かるまでは学校を再開しないでほしい」と要望をしたそうですが、行政の動きが鈍いために自分たちで動こうと活動し始めたというお話でした。

子どもの健康を考えて、避難することができる人はもうすでに避難をしている。
今、残っている人は、たとえば仕事の関係とか、親の介護があるとか、なんらかの事情を抱えて引っ越すことが困難な人たち。だから、引っ越すことまではできなくても、短期間でも子どもたちが放射能の影響のない地域に行って思う存分外で遊び空気を吸い、汚染されていない食べ物を口にすることによって、身体にたまってしまっている放射性物質を体外に排出するための時間を持つ、「保養」が必要だということです。

今、各地でボランティア団体が福島のこどもを受け入れる取り組みをしていますが、それでも福島に住む子どもの数と比べれば圧倒的に少ないので、抽選にあたるかどうかで行けるかどうかが決まるし、お友達同士で同じ思い出を作ることも難しい状態。
だから今後は、学校のクラスごとに合宿のような形で保養をするしくみを作ることができれば、クラスの思い出づくりもできるし、行ける子と行けない子が出てしまう状況をなくすことができるのではないか。そのためには、国として法的な整備をし検証していく必要があることを訴える活動を始めているということでした。

3時間にわたってお2人の話を聞いた後、100人を超える参加者同士の交流会の時間になります。
その話はまた次のブログで。
スポンサーサイト



Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

カレンダー

07 | 2012/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

過去ログ