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Weフォーラム・参加者同士の交流会で

前回のブログでご紹介した、武藤類子さんと吉野裕之さんのシンポジウムの後、1時間ほど参加者同士の交流会の時間をとりました。
100人ほどの参加者の方々が6~8人くらいずつのグループに分かれ、1人3分ずつ「シンポジウムを聞いて、自分に何ができる・何をしたいと考えたか」という話をしてもらうというものです。そして、グループワークが終わった後には、他の人から聞いた話を全体の前で共有しましょう、という時間でした。

私はこの交流会の担当者という役割だったのですが、もうひとりの担当者が頼りがいのある方で進行役をしてくれたので、私は単にオロオロ、オロオロと3分の時間のタイムキーパーをやっていました(^^;

グループワーク後に、「ぜひ全体の人に聞いてほしいことがある」という人に手を挙げてもらいました。
そこで、一人の女性が手を挙げて「私自身の話を聞いてほしい」といいました。
その話の概要を以下に書きます。

その女性は、この勉強会の会場・福島県立男女共生センターのある地元・二本松に住んでいる方。
男女共生センターは、震災当時、原発周辺の住民が避難してくる場となっていたそうです。(インターネットで調べてみたところ、双葉町の病院から患者さんを避難させてきた後、放射性物質の除染・スクリーニングをする施設として使われたため、震災後1ヶ月ほどは本来の男女共生センターとしての役割は休止していたそうです。)

原発周辺の人たちが、ヘリコプターで運ばれてくる。
病院で、もともと病状が重く寝たきり状態にある人も避難のために乗せられてくる。
体力がもたずに亡くなってしまった人もいた。
でも、緊急時なので十分な寝床などの設備もなく、ホールに転がされたままのような形で最期を迎えざるを得なかった人がいた。

福島に住む人たちは当時、原発事故の詳細も知らされていない。
なぜ、次々とヘリコプターがやってくるのかも分からない。
あとから思えば、そのヘリコプターに、瀕死の状態の人も含めてたくさんの原発周辺住民が乗っていたのだということを考える。

小さな孫を抱いて、「ヘリコプターが飛んでるね」と眺めていたおじいちゃんもいた。
あとから思えば、ヘリコプターの風で放射能がたくさん降り注いでいたかもしれないのに。


事実を何も知らされない、とんでもない状況で死んでいった人もいる、その悲惨な状況は決して忘れることができない。こんなひどい思いを、辛い思いを、もう福島以外の人には絶対に味わわせたくない。こんな思いはもう誰にもさせたくない。
だから原発は絶対になくしてほしい。


そんな風に、二本松の女性は話をしてくれました。

100人の会場が静まりかえりました。
ぐっと胸をしめつけられる思いです。
(今、女性の言葉を思い出してこうして書いていてもまた胸が締め付けられます。)

日本で暮らすすべての人が、穏やかに人生を送り、そして穏やかに人生を閉じることができなければ、いったい何のための社会でしょうか。

やはり、当事者の言葉は重いです。
身の引き締まる思いでした。
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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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