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「和力」の演奏会のご案内

「和力」演奏会
2012年11月25日(日)午後4時~練馬文化センター小ホール
【チケット】
前売り・一般3500円(当日4000円)
中学生以下・障害のある方は割引があります。(前売り2000円)


詳細を書いたちらしはこちらをご覧ください。


「和力」は、私のいとこ・加藤木朗が主宰する伝統芸能のユニットです。時折、練馬でも公演をしていますが、今回久々に文化センターでやることになりました。

私が初めて和力の舞台を見たのは、今から7,8年前のことです。
初めて見る和力の舞台は、それまで「和太鼓」という言葉で持っていたイメージをはるかに超えたものでした。

加藤木朗さんは長野県阿智村の山の中にある木の家に、ご家族と犬や猫と一緒に暮らしています。舞台の仕事などの合間に畑や田んぼで野菜や米を作り、犬は散歩の時にはその畑を駆け抜け裏山の池に飛び込んで泳いでいます。和力のメンバーの皆さんが、この家に集まって舞台について話し合ったり練習することもあると聞きました。

こうしてたくさんの命とともに自然の中で日々暮らしている豊かさが、和力の舞台にもあふれ出て、私たちを癒やしてくれるのかもしれません。

初めて舞台を見て以来、日常のストレスから解放されるような爽快感を味わえる和力の舞台を見るのをいつも楽しみにしています。

ぜひ、多くの皆さんに見ていただければと思っております。

チケットご購入の方、また「何枚か預かってお友達に誘ってみても良いよ」という方は、かとうぎ桜子までご連絡ください。
(連絡先:メール sakurako_happy_society@yahoo.co.jp またはFAX03-3978-4158)


そのため、まずは過去の公演の映像を見て、11月の舞台を成功させるためにどんな準備をすべきか、考える会を企画しています。
「見てみたい気もするけど、どんな舞台なのかなあ・・・」など、ご関心のある方はぜひ、まずはお気軽に事前の会にご参加くださいませ。

【実行委員会】
★9月28日(金)午後6時半~ 勤労福祉会館 1階小会議室

★10月28日(日)午後2時~ かとうぎ桜子事務所

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気仙沼への旅④

気仙沼の報告は今回が最後です。

26日の早朝は3グループに分かれて行動していましたが、10時に全員で集合し、改めて明るい時間の気仙沼復興商店街を見学、それぞれ買い物や早めの昼食をいただきました。

そして昼の12時頃、気仙沼とお別れし、マイクロバスは石巻に向かいました。
前回、11月に行ったときは2日目に雨が降ってしまい、じっくりとまちの全体像を見ることができなかったので、石巻の様子を見ようということになったのです。

まず、石巻の全体が見える日和山公園に。
20120826.jpg
(迷子が出ないように、旗を持っていました。)


それから、特に被害の大きかった地区をバスで走りました。

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車中からの写真ですが、まだ水につかり、壊れたままのものが手つかずになっている状態を感じていただけるかと思います。


石巻の見学のあと、我々は帰途につき、21時をすぎて大泉学園に戻ってきました。


今回の旅で感じたこと。
昨年に比べれば、道路の舗装が進んだり信号機がついたり、壊れてしまった建物の撤去がある程度進んだり、変化も感じられました。
けれども、建物を撤去したあとにまちをどうしていくのかといった具体的な動きはまだまだこれからのようです。

ホテルの講話で聞いた説明によれば、気仙沼の津波の被害の大きかった地域は建物を撤去して土地をかさ上げしたあとは緑地にするか、あるいは建物を建てるとすれば水産加工場くらいだろうということです。再びの津波の被害を避けるために人は住めなくなるということです。
では、人はどこに住むのか、プレハブでない本格的な商店街はどこに再建させれば良いのか、という具体的な課題が残ります。

また、昨年と同程度の津波の被害を避けるために、大規模な防潮堤を作る計画もあるけれど、まったく海の見えないまちになってしまったら、観光や漁業という点で問題が残るという話も聞きました。


被災地域はまだまだ復興にはほど遠いけれど、残る課題の多くは行政の対応という面が強くなっているように思います。

また、被災地としての課題だけではなくて、都心部から少し離れた地方が持つ課題が改めて今後、再び被災地にも突きつけられていくのかもしれないと思いました。
たとえば過疎の問題。大規模なチェーン店が進出して地元の商店街をシャッター街にしてしまう問題。地元に住む人ではなくて外から入ってくる大企業がもうけて搾取していくような構造はやはりあるんじゃないかと思います。


じゃあ私たちはこれからどう関わっていったら良いんだろうか・・・ということをしみじみと考えました。

観光に行ってその地の名物を買うということは、ひとつの貢献だとは思うけれど、私はやはり出かけた地では単にお客さんとしてその地のものを「消費」するのではなくて、その地の人と友達になりその地の歴史を知って深いつながりを持っていきたい。(それは、被災地との関係に限らず、ほかの地域に出かけた時も同様ですが。)

都心の人が時々地方に出かけて、おいしいもの・美しいものだけを見て、それを消費して、その地に住む人、働く人の声に耳を傾けずに通り過ぎていくのであれば、大企業との関係だけではなく個人レベルの関係性でも、搾取の関係である気がして、なにか心にひっかかるのです。
だから、今回の震災を機にこうした都心と地方の関係性を変化させていくとりくみができたらいいなと思いました。

被災直後とはまた違う新たなつながりを、今後考えていけたら良いなと思っています。

気仙沼への旅③

そもそも気仙沼との出会いは、ちょうど1年前に、当時、毎週のように被災地ボランティアに行っていた大泉在住のTさんにお声かけいただき、ボランティアに行ったのが最初でした。

民間の病院で、被災直後になかなか支援の手が入らなかったという猪苗代病院で、Tさん手作りの網戸に防腐剤を塗ったり、津波につかってしまったけどそれまでずっと大事にしてきたからこれからも使いたいという椅子にさび止めを塗ったりといったボランティアをしたのです。(そのときのブログはこちら

そんな作業をしているときに、のちに復興商店街に奔走する坂本正人さんがやってきて、「紫会館に泊まっていきなさい」と声をかけてくださったのが今にいたる交流のきっかけでした。

だから、今回、気仙沼を訪ねてのお手伝いも、猪苗代病院で。
民地の部分はなかなか行政の支援が受けられないけれど、建物の撤去をした跡の隙間など、草が生えて虫がわきやすくなってしまう場所があるので、草刈りをしてほしいということでした。
東京では35度前後の暑さが続く猛暑のまっただ中。気仙沼も暑かった・・・。そこで草刈りは朝6時から8時までやることになりました。

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ホテルから病院まで行く途中にある港「エースポート」の建物。外観は保っているようですが、中はすっかり壊れてしまっているので、使われていません。見えづらいですが、手前の階段室のようなところの2階の少し下に青いステッカーが貼ってあります。(写真をクリックすると少し大きく表示されるのでお試しください。)
この青いステッカーのあるところまで、津波が来たと書いてありました。


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(病院に行く途中にいた、ほやボーヤと。)

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(草刈り作業)

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(昨夏、さび止めを塗った椅子と再会。)

(つづく)

気仙沼への旅②

気仙沼復興商店街のことは、以前みなさんにカンパを呼びかける形でご紹介しました。(こちら

昨年11月に気仙沼にいったときのことはこちらのブログに書いてあります。

昨年12月のクリスマスにようやくオープンした商店街ですが、私自身は子宮頸がんが見つかったりしてあたふたしていたので、まだ行くことができていませんでした。

ようやく行くことができた商店街。
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仮設商店街を建てるために使える土地を見つけて、プレハブの商店街を作る段取りをつけ、助成金をもらえるよう手続きを進めたり、店舗で使う備品を安く(あるいは寄付で)探すようにつてを探したり、商店街全般にわたることをずっとやってきた坂本正人さん。
25日の夕飯は、復興商店街の中にある坂本さんのご実家の割烹でいただくことになりました。
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(夕飯をいただくお店の中で、坂本さんと私)

気仙沼復興商店街へのカンパは、12月のオープンの頃から皆さんに呼びかけを始めて、だいたい1ヶ月に1回、商店街宛に送金しています。8月9日現在で累計45万4317円お送りしています。

お送りしたカンパは、商店街をもっとたくさんの地元の人に利用してもらうための新聞広告などの広報費用として、また商店街を使いやすくするために作った手作りのポイントカードや商品券の印刷費用など、商店街全体の運営にかかる費用にご活用いただいているということでした。カンパは今後も続けたいと思いますので、ぜひ引き続きのご協力をお願いします。



さて、25日はこうして交流をして終了しましたが、26日の朝は、
・近くの猪苗代病院に草刈りのボランティアに行く人
・少し足をのばして陸前高田まで見学に行く人
・ゆっくり過ごす人

の3グループにわかれて行動し、10時には全員集合して改めて商店街で買い物などをして、石巻に移動するということになりました。
(つづく)

気仙沼への旅①

8月25日、26日の2日間、宮城県気仙沼に行ってきました。昨年8月と11月に訪れて、仲良くなった気仙沼の人たちと再会するためです。

前回は参加してくれた人の中で運転してくれる人をお願いしましたが、遠くて帰り着いたときには運転している人がヘトヘトになってしまったので、今回はマイクロバスで運転手さんも専門の方をお願いして、20人近い人数で行くことになりました。

25日(土)の朝7時、大泉学園駅の北口に集合。2時間に1度の休憩をとりますから、やはり時間がかかります。
午後3時半頃、気仙沼に到着してまずは街並みを見学しました。

昨年行った時に比べると、壊れて動かなくなった信号機は使えるようになっており、地盤沈下した土地をかさ上げして砂利道が多かった道路も舗装されているところが増えて、壊れた建物も撤去されているものが増えたという印象はあります。しかし、まだまだ壊れた建物が残ったままだし、撤去したところで建物があった部分はまだ地盤沈下しており、その後のまちづくりまではまだまだほど遠い印象。

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(これは昨年11月に行ったときの写真ですが、このように砂がむき出しになった道路はだいたい、今回は舗装されていました。)

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(舗装された道路と地盤沈下した土地)

海から津波で流れ着いた大きな船はそのまま残ったまま。
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津波の被害の爪痕を思い起こすためのものとして残したいという人と、自分たちの家が失われてしまったことを思い出してしまうので撤去して欲しいという意見が分かれていると聞きました。


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(家が撤去されて土台の跡だけ残った場所)

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午後4時、気仙沼プラザホテルに到着。
前回行った時は、震災当時に避難所として使われていた町会の集会所・紫会館に泊めさせてもらい、お風呂だけプラザホテルのものを借りたのですが、今回は宿泊もホテルです。

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(昨年宿泊させていただいた、紫会館の前で。)


4時半からは、プラザホテルの人が被災体験について1時間ほど話してくれる講話に参加しました。
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津波が迫ってきたときに、いろいろな人が撮っていた映像を見せてもらいました。
大きな家がかなりの勢いで津波に流されていく映像に、改めて驚かされました。


この日の夕飯は、復興商店街でいただきました。(以降は次回に続く。)

Appendix

桜子のツイッター

プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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