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災害時の障害のある人が抱える課題
2月16日、航空公園駅の近くにある国立障害者リハビリテーションセンターで「障害者の災害対策シンポジウム~被災地から学ぶこれからの備え~」という企画があり、参加してきました。
福祉関係のメーリングリストで知って参加することにしたのですが、シンポジウムに登壇する方の多くが、今度27日に私が上映会を企画している「逃げ遅れる人々」にも登場されたり、何らかのかかわりを持っている方で、映画の背景のお話を聞くことができました。

登壇者の皆さんや、参加者の中から、被災した時に実際に感じた課題を出していただいたので、いくつかご紹介します。
・普段はエレベーターを使って上の階で暮らしていたが、エレベーターが止まって障害のある人は部屋に戻れなかった。その人は結局3日間、車中にいた。車のエンジンで暖房をしていたが、燃料がなくなったため、家族が抱え上げて部屋に戻った。しかし、家の燃料も含め、暖房がつけられなくなると、障害があって体温調節が難しい人には命に関わる事態になる。
・ヘルパーは女性がやっている場合が多いので、災害が起きた時に、自分のこどもの安否確認やケアが最優先となり、障害のある人のもとにはすぐには駆けつけられないことが考えられる。
・避難所で、トイレに行くと周りの人に介助を頼まなければならないので、気兼ねして、本来必要な水分補給や服薬を控え、体調を崩した人もいた。排泄は命に関わることなので我慢してはいけないということは、普段から意識しておくことが大切。
・今回の被災地域には、今まであまり福祉サービスを活用してこなかった障害者も多かった。ヘルパーさんなどにも頼まず、「なんとか自分で頑張ろう」ということで自力で生活してきた人が、住み慣れた福島から遠い地域へと避難を余儀なくされ、避難先の慣れない生活ではヘルパーがなければ生活が難しい状態になる場合もあった。
人に頼むことに慣れていないため、頼むということ自体が本人にとっては負担になってくるということも起きた。「介助を利用することによって自立する」ということは、普段から考えることが大事なのではないか。自立と孤立は違う。サポートを得て自立することが大切。
・避難所はみんな大変なんだから…と気兼ねされていた車いす利用者の方は、周りの人から「大丈夫ですか?」と聞かれると「大丈夫です」と答えてしまっていた。
でも実際にはトイレなどを我慢していたりする。だから、周りの人は、「大丈夫ですか?」ではなくて、「薬は飲んでいますか?」「トイレには行っていますか?」「水分とっていますか?」という具体的な声のかけ方が必要。
・知的障害、精神障害など、周りの人が気づきづらい障害の場合はなおさら、本人がじっと我慢していて周りが気づかない場合がある。
・障害者団体で、仲間でまとまって避難し、被災していない地域のホテルに宿泊した例があった。体温調節や食事管理などがきちんとできないと命に関わる人もいるので、きちんと管理できる場所に避難することが必要と考えた。仲間で避難をすることによって、食べ物も介助者もすべて初めてづくしというストレスフルな状況はできるだけ減らして、過大なストレスがかからないようにする必要がある。
また、人工呼吸器等、電源を必要とする障害のある人の場合も、被災した地域にとどまらずにライフラインが生きている遠方まで避難する方法も考えられる。
・災害が起きた時に障害のある人が福祉避難所まで移動するということ自体が大変になるかもしれない、ということも想定しておく必要がある。
・災害対策基本法では、自宅に避難するのも避難している状態とみなすことになっているので、ライフラインが使える場合は、障害のある人にとっては自宅避難のほうが安全である可能性もあることを考えておく必要がある。
・だから、福祉避難所は「避難してくる場」というよりも、自宅避難している人の支援拠点としての役割を重点的に考えておく必要があるかもしれない。
・上記の様々な課題を考えると、被災した自治体の中だけですべてを解決するのではなく、姉妹都市や災害協定を結んでいる自治体など、被災していない地域に支援を求めるしくみづくりも必要なのではないか。
こういった意見が出ていました。
練馬区では、福祉避難所のマニュアル作りや訓練などもまだ十分にできていませんが、それだけでなくて、他の地域との連携など、考えていかなければならない課題もあると感じました。
映画「逃げ遅れる人々」では、上の話にも登場する、避難所で様々我慢してしまった方自身が語る場面も出てきます。
また、上映会当日は飯田基晴監督にもお越しいただきますので、映画には登場しないエピソードなどもお聞きできるのではないかと思います。
2月27日(木)夜7時から「逃げ遅れる人々」大泉学園駅北口ゆめりあ6階 ゆめりあホールにて。参加費600円。当日券あります。
映画自体は74分間。その後、休憩を挟まず飯田監督からお話を聞き、9時過ぎくらいには終了の予定です。ぜひご参加ください。
福祉関係のメーリングリストで知って参加することにしたのですが、シンポジウムに登壇する方の多くが、今度27日に私が上映会を企画している「逃げ遅れる人々」にも登場されたり、何らかのかかわりを持っている方で、映画の背景のお話を聞くことができました。

登壇者の皆さんや、参加者の中から、被災した時に実際に感じた課題を出していただいたので、いくつかご紹介します。
・普段はエレベーターを使って上の階で暮らしていたが、エレベーターが止まって障害のある人は部屋に戻れなかった。その人は結局3日間、車中にいた。車のエンジンで暖房をしていたが、燃料がなくなったため、家族が抱え上げて部屋に戻った。しかし、家の燃料も含め、暖房がつけられなくなると、障害があって体温調節が難しい人には命に関わる事態になる。
・ヘルパーは女性がやっている場合が多いので、災害が起きた時に、自分のこどもの安否確認やケアが最優先となり、障害のある人のもとにはすぐには駆けつけられないことが考えられる。
・避難所で、トイレに行くと周りの人に介助を頼まなければならないので、気兼ねして、本来必要な水分補給や服薬を控え、体調を崩した人もいた。排泄は命に関わることなので我慢してはいけないということは、普段から意識しておくことが大切。
・今回の被災地域には、今まであまり福祉サービスを活用してこなかった障害者も多かった。ヘルパーさんなどにも頼まず、「なんとか自分で頑張ろう」ということで自力で生活してきた人が、住み慣れた福島から遠い地域へと避難を余儀なくされ、避難先の慣れない生活ではヘルパーがなければ生活が難しい状態になる場合もあった。
人に頼むことに慣れていないため、頼むということ自体が本人にとっては負担になってくるということも起きた。「介助を利用することによって自立する」ということは、普段から考えることが大事なのではないか。自立と孤立は違う。サポートを得て自立することが大切。
・避難所はみんな大変なんだから…と気兼ねされていた車いす利用者の方は、周りの人から「大丈夫ですか?」と聞かれると「大丈夫です」と答えてしまっていた。
でも実際にはトイレなどを我慢していたりする。だから、周りの人は、「大丈夫ですか?」ではなくて、「薬は飲んでいますか?」「トイレには行っていますか?」「水分とっていますか?」という具体的な声のかけ方が必要。
・知的障害、精神障害など、周りの人が気づきづらい障害の場合はなおさら、本人がじっと我慢していて周りが気づかない場合がある。
・障害者団体で、仲間でまとまって避難し、被災していない地域のホテルに宿泊した例があった。体温調節や食事管理などがきちんとできないと命に関わる人もいるので、きちんと管理できる場所に避難することが必要と考えた。仲間で避難をすることによって、食べ物も介助者もすべて初めてづくしというストレスフルな状況はできるだけ減らして、過大なストレスがかからないようにする必要がある。
また、人工呼吸器等、電源を必要とする障害のある人の場合も、被災した地域にとどまらずにライフラインが生きている遠方まで避難する方法も考えられる。
・災害が起きた時に障害のある人が福祉避難所まで移動するということ自体が大変になるかもしれない、ということも想定しておく必要がある。
・災害対策基本法では、自宅に避難するのも避難している状態とみなすことになっているので、ライフラインが使える場合は、障害のある人にとっては自宅避難のほうが安全である可能性もあることを考えておく必要がある。
・だから、福祉避難所は「避難してくる場」というよりも、自宅避難している人の支援拠点としての役割を重点的に考えておく必要があるかもしれない。
・上記の様々な課題を考えると、被災した自治体の中だけですべてを解決するのではなく、姉妹都市や災害協定を結んでいる自治体など、被災していない地域に支援を求めるしくみづくりも必要なのではないか。
こういった意見が出ていました。
練馬区では、福祉避難所のマニュアル作りや訓練などもまだ十分にできていませんが、それだけでなくて、他の地域との連携など、考えていかなければならない課題もあると感じました。
映画「逃げ遅れる人々」では、上の話にも登場する、避難所で様々我慢してしまった方自身が語る場面も出てきます。
また、上映会当日は飯田基晴監督にもお越しいただきますので、映画には登場しないエピソードなどもお聞きできるのではないかと思います。
2月27日(木)夜7時から「逃げ遅れる人々」大泉学園駅北口ゆめりあ6階 ゆめりあホールにて。参加費600円。当日券あります。
映画自体は74分間。その後、休憩を挟まず飯田監督からお話を聞き、9時過ぎくらいには終了の予定です。ぜひご参加ください。
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- 2014-02-24
- カテゴリ : 未分類
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「犬と猫と人間と2」上映会が終わりました
2月20日、大泉学園のゆめりあホールで「犬と猫と人間と2」の上映会をおこないました。
アットホームで素敵な雰囲気の会になりました。
映画は東日本大震災の時に飼い主と離ればなれになってしまった犬や猫、そして牛のお話。
だけど、今の日本の社会で多くの動物は、動物の力だけでは生きられないから、動物に起きている問題の背景には人間の問題があります。
今まで家族同様に大切にしていたペットを失った人。家族を失ったのと同じように悲しいけれど、人間もたくさん亡くなっている中では、その悲しい思いはほかの人には言いづらいという気持ちで我慢している。
震災で大切な人や大切にしてきたものを失って、動物を飼うことでその気持ちを埋めようとする人もいる。でも、それでは喪失感を埋められなかった場合、動物を飼いきれなくなるなどの新たな課題が生じる場合もある。
そんな、動物との関わりの中で人間に起きる様々な課題を取り上げているのがこの映画です。
ご参加いただいたみなさんからは、「この映画は人間の問題を描いているんだと思った」「動物も被災していて大変な思いをしてきたことに今まで思い至らなかったけれども、映画を見て課題を知り、自分にもなにかできることがないかと思った」といった感想をいただきました。
(2分間の映画の予告篇がこちらにありますので、映画をご覧になれなかった方は見てください。)
上映会場では、動物の姿にふと微笑んだり、悲しい現実に息を呑むという、参加いただいた皆さんの息遣いも感じられました。
映画の中にはいくつか、被災した動物を飼育しているシェルターが登場しますが、そのうちのひとつ、SORAに定期的にボランティアに行かれている区民の方が会に参加して下さり、上映後にひとこと話してくださいました。
この方は、夜行バスで福島に行って朝からボランティアをし、その日の夜行で帰ってくるか宿泊して次の日帰ってくるという活動を、かなり頻繁にされているということでした。
SORAは犬が多いけれど、スタッフは2名なので、たくさんのお手伝いがなければ犬たちが満足出来るだけ散歩させてあげることができないので、ボランティアさんに来てもらいたい状態だそうです。

(上映後に、ボランティアに行っている方からお話を聞いている様子。上映直後でプロジェクタがまぶしいので、人が両端に寄っています(^^;)
ちなみに私が何度かボランティアに行った福島県動物救護本部は、行政がやっているシェルターですが、猫の方が多いです。猫の世話はひたすらトイレ掃除とえさやりを繰り返すのですが、なつっこい猫はトイレ掃除をしている人の膝の上に乗ってきます。
各地域でやっているシェルターはおそらくどこも人手が足りない状態で、人手が足りなければ物理的に1匹ずつに丁寧に関わる時間が持てないため、動物たちのストレスにつながる面があると思います。そういう状態は、ずっと関わっているスタッフさんにとっても辛いことだと思うので、もし「震災のボランティアをなにかしたいけれども、今、何ができるかわからない」と思っている方で、動物が好きな方は、こうしたシェルターにお手伝いに行くのも良い方法ではないかと思います。
また、動物がたくさんいれば、餌の消費量も大変なものですから、実際働くボランティアができなかったとしても、カンパや餌の現物の寄付などもとても喜ばれると思います。
ちなみに、SORA以外の映画に登場するシェルター等のHPのリンクを以下に載せます。
・アニマルクラブ石巻
・LYSTA
・希望の牧場
・やまゆりファーム
・震災で消えた小さな命展
上映会場では、ロビーで関連商品(パンフレットなど)の販売、そして南相馬ファクトリーという団体の作っている缶バッジなどの商品の販売もしました。ここは、福島の作業所で働く障害のある人のお仕事作りとして、缶バッジなどの商品を作っているところです。

27日は、「犬と猫と人間と2」のプロデューサーを務めた飯田基晴さんが監督した「逃げ遅れる人々」の上映会を行います。こちらは東日本大震災で被災した障害のある方からお話を聞いたドキュメンタリー映画。上映後は飯田基晴さんのお話もあります。商品販売してくれている南相馬ファクトリーに関わっている方からも、震災時の障害のある方の状況というお話をお聞きできればと思っています。
「逃げ遅れる人々」の予告篇はこちら。
当日券あります。600円です。ぜひご参加ください。(当日ご参加いただける場合は、開場時間18時30分以降に直接、大泉学園駅北口6階のゆめりあホールにお越し下さい。)
アットホームで素敵な雰囲気の会になりました。
映画は東日本大震災の時に飼い主と離ればなれになってしまった犬や猫、そして牛のお話。
だけど、今の日本の社会で多くの動物は、動物の力だけでは生きられないから、動物に起きている問題の背景には人間の問題があります。
今まで家族同様に大切にしていたペットを失った人。家族を失ったのと同じように悲しいけれど、人間もたくさん亡くなっている中では、その悲しい思いはほかの人には言いづらいという気持ちで我慢している。
震災で大切な人や大切にしてきたものを失って、動物を飼うことでその気持ちを埋めようとする人もいる。でも、それでは喪失感を埋められなかった場合、動物を飼いきれなくなるなどの新たな課題が生じる場合もある。
そんな、動物との関わりの中で人間に起きる様々な課題を取り上げているのがこの映画です。
ご参加いただいたみなさんからは、「この映画は人間の問題を描いているんだと思った」「動物も被災していて大変な思いをしてきたことに今まで思い至らなかったけれども、映画を見て課題を知り、自分にもなにかできることがないかと思った」といった感想をいただきました。
(2分間の映画の予告篇がこちらにありますので、映画をご覧になれなかった方は見てください。)
上映会場では、動物の姿にふと微笑んだり、悲しい現実に息を呑むという、参加いただいた皆さんの息遣いも感じられました。
映画の中にはいくつか、被災した動物を飼育しているシェルターが登場しますが、そのうちのひとつ、SORAに定期的にボランティアに行かれている区民の方が会に参加して下さり、上映後にひとこと話してくださいました。
この方は、夜行バスで福島に行って朝からボランティアをし、その日の夜行で帰ってくるか宿泊して次の日帰ってくるという活動を、かなり頻繁にされているということでした。
SORAは犬が多いけれど、スタッフは2名なので、たくさんのお手伝いがなければ犬たちが満足出来るだけ散歩させてあげることができないので、ボランティアさんに来てもらいたい状態だそうです。

(上映後に、ボランティアに行っている方からお話を聞いている様子。上映直後でプロジェクタがまぶしいので、人が両端に寄っています(^^;)
ちなみに私が何度かボランティアに行った福島県動物救護本部は、行政がやっているシェルターですが、猫の方が多いです。猫の世話はひたすらトイレ掃除とえさやりを繰り返すのですが、なつっこい猫はトイレ掃除をしている人の膝の上に乗ってきます。
各地域でやっているシェルターはおそらくどこも人手が足りない状態で、人手が足りなければ物理的に1匹ずつに丁寧に関わる時間が持てないため、動物たちのストレスにつながる面があると思います。そういう状態は、ずっと関わっているスタッフさんにとっても辛いことだと思うので、もし「震災のボランティアをなにかしたいけれども、今、何ができるかわからない」と思っている方で、動物が好きな方は、こうしたシェルターにお手伝いに行くのも良い方法ではないかと思います。
また、動物がたくさんいれば、餌の消費量も大変なものですから、実際働くボランティアができなかったとしても、カンパや餌の現物の寄付などもとても喜ばれると思います。
ちなみに、SORA以外の映画に登場するシェルター等のHPのリンクを以下に載せます。
・アニマルクラブ石巻
・LYSTA
・希望の牧場
・やまゆりファーム
・震災で消えた小さな命展
上映会場では、ロビーで関連商品(パンフレットなど)の販売、そして南相馬ファクトリーという団体の作っている缶バッジなどの商品の販売もしました。ここは、福島の作業所で働く障害のある人のお仕事作りとして、缶バッジなどの商品を作っているところです。

27日は、「犬と猫と人間と2」のプロデューサーを務めた飯田基晴さんが監督した「逃げ遅れる人々」の上映会を行います。こちらは東日本大震災で被災した障害のある方からお話を聞いたドキュメンタリー映画。上映後は飯田基晴さんのお話もあります。商品販売してくれている南相馬ファクトリーに関わっている方からも、震災時の障害のある方の状況というお話をお聞きできればと思っています。
「逃げ遅れる人々」の予告篇はこちら。
当日券あります。600円です。ぜひご参加ください。(当日ご参加いただける場合は、開場時間18時30分以降に直接、大泉学園駅北口6階のゆめりあホールにお越し下さい。)
- 2014-02-23
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上映会の日が近づいてきました。
ゆめりあホールで企画している、東日本大震災のドキュメンタリー映画上映会の日程がいよいよ近づいてきました。
当日券もありますので、ぜひご参加ください。チケット代は1日のみの参加で600円、2日連続参加で1000円です。
当日参加される場合は、大泉学園駅北口にあるゆめりあの6階に直接お越しください。
2月20日(木)開場午後6時30分、開演午後7時「犬と猫と人間と2」 →2分間の予告篇をこちらからご覧いただけます。
2月27日(木)開場午後6時30分、開演7時「逃げ遅れる人々」/飯田基晴監督のお話 →3分間の予告篇をこちらからご覧いただけます。
そもそも、今回上映会を企画したきっかけをあまり書いていなかったなと思い、今日はそのことを書きます。
「犬と猫と人間と2」でプロデューサーを務め、「逃げ遅れる人々」では監督だった飯田基晴さんと、私はちょうど10年前からの知り合いです。
私が福祉の専門学校に行っている頃に、飯田さんの作った「あしがらさん」という路上生活の人のドキュメンタリー映画を見たことがきっかけでした。
私が通っていた福祉の専門学校は夜間の社会福祉士の養成校なので、どちらかというと資格取得のための知識を学ぶことが中心。あまり深くじっくりと福祉について考えるような時間はありませんでした。
そんな中で、学んでいてよく分からなかったのが「公的扶助」。当時は反貧困ネットワークなどもまだできていませんでしたし、国内の貧困問題に今ほど注目が集まっていない時期でした。
生活保護の制度自体は説明されれば理解できるけど、そもそも貧困問題ってどういうことなのだろうか…と当時の私は思っていました。
そんなとき、「あしがらさん」という映画があると知り、見たところ、路上生活の問題がとても分かりやすい映画ですごく良かったのです。
60代の「あしがらさん」という男性が、最初は路上生活をしているところから、だんだん周りのサポートを得てグループホームに入り、介護制度のデイサービスを利用して、人間らしい生活を取り戻していくという映画です。
自分の名前で呼ばれ、友達ができ、自分の個性を大事に毎日を暮らしていく、という、当然あるべき人間らしい生活が失われるのが貧困問題であり、生活保護などの制度は人間らしい生活を取り戻すために絶対に欠かすことのできないものであるということを、「あしがらさん」という個性豊かなひとりの人を通じて考えることのできる映画でした。
これをぜひ多くの人に見てもらいたいと思って、福祉の専門学校の文化祭で上映会を企画し、飯田監督にも連絡をとって文化祭に来ていただいた、というのが、最初の飯田さんとのご縁です。
それで私は専門学校を卒業した後、あしがらさんが実際に通っているデイサービスに就職したのです。
元路上生活者であるあしがらさんを受け入れることにあまり積極的でないデイサービスもある中で、まったくためらうことなく受け入れたのが、新大久保にあるデイサービス「ゆうゆう」でした。こうした取り組みのできるNPOで働きたいなと思って、就職しました。
でもちょうどそのころ、介護保険がだんだん厳しくなる時期で、運営も厳しくなってきて、デイサービスの数もすごく増える中で、民家を使っているためにバリアフリー化が十分でない「ゆうゆう」はお客さんの確保がとても難しくなってしまっていました。
私は、民家を活用している特色をもっとアピールするとか、デイサービスだけでなくて訪問介護などをやるとか、あしがらさんのように貧困状態にある利用者さんをもっと受け入れるとか、新大久保という土地柄を活かすならば在日の方を受け入れるとか、色々工夫はできるんじゃないかと思って提案もしたのですが、「あー、運営厳しい、大変大変」と愚痴るばかりで全然改善されないという(^^;)、そんなことがしばらく続いたのでダメだこりゃと思って辞めちゃった、という経緯がありました
それで、制度の改善に関わったり、地域の福祉に関わる仕事をしたいと思って議員を目指すようになったのでした。
結局「ゆうゆう」というデイサービス自体、その後、なくなってしまったのですが…。
働いているときは「ゆうゆう」を良くすることに関わりたくてもうまくいかないということにストレスを抱えていたのですが、そんな私にいつもあしがらさんが声をかけてくれました。私が悩んでいることを、利用者さんの前で話していたわけでもないのに、「何があっても生きていてこそだよ」など、いつもほんとに良いタイミングで声をかけてくれるのがあしがらさんでした。
そんなご縁のある「あしがらさん」。
あしがらさんご自身は今もお元気でグループホームで生活していらっしゃると、この前飯田さんからお聞きしました(^^)
議員になってから、2008年にゆめりあホールで「あしがらさん」の上映会をやりましたが、今回は久しぶりに飯田さんの映画の上映会です。
飯田さんの映画は、「あしがらさん」もそうですが、テーマとしてはなかなかすぐに解決しがたい重い課題を扱っていますが、「とても遠くにある手の付けられない社会的課題」としてではなく、すぐ身近な友人に起こりうる問題として考えられる、すごく分かりやすくとても良い映画です。上映会の当日は会場で「あしがらさん」等の関連商品も販売する予定です。
ぜひご参加ください。
注:文中に出てくる「デイサービス」「グループホーム」について
・あしがらさんが行っていたのは、介護保険制度上のデイサービスです。自宅で暮らす要介護状態の高齢者が日中通って、入浴やレクリエーションを行う通所施設。
・グループホームは、入所施設より小規模で、自宅に近い環境で暮らすことのできる生活の場です。(位置づけとしては施設ではなくて在宅という位置づけになる。)
制度的には、介護保険制度上の認知症対応型グループホーム、障害者制度上の障害のある人のためのグループホームがあります。あしがらさんが入っているのは、路上生活から脱した人が暮らせる場として非営利団体がやっているものなので、介護保険などの制度上の位置づけにはありません。
当日券もありますので、ぜひご参加ください。チケット代は1日のみの参加で600円、2日連続参加で1000円です。
当日参加される場合は、大泉学園駅北口にあるゆめりあの6階に直接お越しください。
2月20日(木)開場午後6時30分、開演午後7時「犬と猫と人間と2」 →2分間の予告篇をこちらからご覧いただけます。
2月27日(木)開場午後6時30分、開演7時「逃げ遅れる人々」/飯田基晴監督のお話 →3分間の予告篇をこちらからご覧いただけます。
そもそも、今回上映会を企画したきっかけをあまり書いていなかったなと思い、今日はそのことを書きます。
「犬と猫と人間と2」でプロデューサーを務め、「逃げ遅れる人々」では監督だった飯田基晴さんと、私はちょうど10年前からの知り合いです。
私が福祉の専門学校に行っている頃に、飯田さんの作った「あしがらさん」という路上生活の人のドキュメンタリー映画を見たことがきっかけでした。
私が通っていた福祉の専門学校は夜間の社会福祉士の養成校なので、どちらかというと資格取得のための知識を学ぶことが中心。あまり深くじっくりと福祉について考えるような時間はありませんでした。
そんな中で、学んでいてよく分からなかったのが「公的扶助」。当時は反貧困ネットワークなどもまだできていませんでしたし、国内の貧困問題に今ほど注目が集まっていない時期でした。
生活保護の制度自体は説明されれば理解できるけど、そもそも貧困問題ってどういうことなのだろうか…と当時の私は思っていました。
そんなとき、「あしがらさん」という映画があると知り、見たところ、路上生活の問題がとても分かりやすい映画ですごく良かったのです。
60代の「あしがらさん」という男性が、最初は路上生活をしているところから、だんだん周りのサポートを得てグループホームに入り、介護制度のデイサービスを利用して、人間らしい生活を取り戻していくという映画です。
自分の名前で呼ばれ、友達ができ、自分の個性を大事に毎日を暮らしていく、という、当然あるべき人間らしい生活が失われるのが貧困問題であり、生活保護などの制度は人間らしい生活を取り戻すために絶対に欠かすことのできないものであるということを、「あしがらさん」という個性豊かなひとりの人を通じて考えることのできる映画でした。
これをぜひ多くの人に見てもらいたいと思って、福祉の専門学校の文化祭で上映会を企画し、飯田監督にも連絡をとって文化祭に来ていただいた、というのが、最初の飯田さんとのご縁です。
それで私は専門学校を卒業した後、あしがらさんが実際に通っているデイサービスに就職したのです。
元路上生活者であるあしがらさんを受け入れることにあまり積極的でないデイサービスもある中で、まったくためらうことなく受け入れたのが、新大久保にあるデイサービス「ゆうゆう」でした。こうした取り組みのできるNPOで働きたいなと思って、就職しました。
でもちょうどそのころ、介護保険がだんだん厳しくなる時期で、運営も厳しくなってきて、デイサービスの数もすごく増える中で、民家を使っているためにバリアフリー化が十分でない「ゆうゆう」はお客さんの確保がとても難しくなってしまっていました。
私は、民家を活用している特色をもっとアピールするとか、デイサービスだけでなくて訪問介護などをやるとか、あしがらさんのように貧困状態にある利用者さんをもっと受け入れるとか、新大久保という土地柄を活かすならば在日の方を受け入れるとか、色々工夫はできるんじゃないかと思って提案もしたのですが、「あー、運営厳しい、大変大変」と愚痴るばかりで全然改善されないという(^^;)、そんなことがしばらく続いたのでダメだこりゃと思って辞めちゃった、という経緯がありました

それで、制度の改善に関わったり、地域の福祉に関わる仕事をしたいと思って議員を目指すようになったのでした。
結局「ゆうゆう」というデイサービス自体、その後、なくなってしまったのですが…。
働いているときは「ゆうゆう」を良くすることに関わりたくてもうまくいかないということにストレスを抱えていたのですが、そんな私にいつもあしがらさんが声をかけてくれました。私が悩んでいることを、利用者さんの前で話していたわけでもないのに、「何があっても生きていてこそだよ」など、いつもほんとに良いタイミングで声をかけてくれるのがあしがらさんでした。
そんなご縁のある「あしがらさん」。
あしがらさんご自身は今もお元気でグループホームで生活していらっしゃると、この前飯田さんからお聞きしました(^^)
議員になってから、2008年にゆめりあホールで「あしがらさん」の上映会をやりましたが、今回は久しぶりに飯田さんの映画の上映会です。
飯田さんの映画は、「あしがらさん」もそうですが、テーマとしてはなかなかすぐに解決しがたい重い課題を扱っていますが、「とても遠くにある手の付けられない社会的課題」としてではなく、すぐ身近な友人に起こりうる問題として考えられる、すごく分かりやすくとても良い映画です。上映会の当日は会場で「あしがらさん」等の関連商品も販売する予定です。
ぜひご参加ください。
注:文中に出てくる「デイサービス」「グループホーム」について
・あしがらさんが行っていたのは、介護保険制度上のデイサービスです。自宅で暮らす要介護状態の高齢者が日中通って、入浴やレクリエーションを行う通所施設。
・グループホームは、入所施設より小規模で、自宅に近い環境で暮らすことのできる生活の場です。(位置づけとしては施設ではなくて在宅という位置づけになる。)
制度的には、介護保険制度上の認知症対応型グループホーム、障害者制度上の障害のある人のためのグループホームがあります。あしがらさんが入っているのは、路上生活から脱した人が暮らせる場として非営利団体がやっているものなので、介護保険などの制度上の位置づけにはありません。
- 2014-02-18
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雪かき
東京は2週連続の大雪になってしまいましたね。
私は今日はヘルパーの仕事とボランティアに出かける予定だったけれど、バスも運休していて大泉の駅までも出られず、利用者さんやボランティア先にご了解いただいて外出を断念。
先週の雪よりも水分を含んで固まりやすそうな雪…今日はこれを片付けることに専念しようと自宅に戻り、雪かき開始。
雪かきって、ボランティア活動とか政治とか、そういう社会的な活動をするときと似ているなあ…としみじみ思いながら雪をかきました。
動機は、「自分自身が使う場所が少しでも良くなったら自分も快適になるし、同じ場所を使う他の人も快適になるだろう」と考えるところから始まる。
でも、あまりにも膨大な量に圧倒される。私一人がこの雪をかいても、街全体の多量な雪を全部片付けることはできないという絶望感を持つ。
そして、自分が始めた途端に、「なんで私はやってるのにほかの人は協力してくれないんだろう」という狭量な気持ちも芽生えたりする…(^^;
だけど、自分だって今日は用事ができなくなったから雪かきの時間が取れただけで、やらない人にはやれない事情があるんだと理解しなければいけないし、自分以外の人の行為を責めたところで何も状況は変わらない。
私に出来ることは目の前の雪を片付けることしかないわけで、最初は1㎡の小さな場所しかできていなかったのが、続けていけば一連の道がきれいになるのだという達成感とを感じられるようになると、だんだん楽しくなってくる。
例えば選挙なんかも同じで、今回の都知事選について一生懸命「都政を変えたい」と考えていると、なんで投票に行かない人がいるんだ、とか、なんで舛添さんに入れる人がいるんだ、とか思っちゃうけど、でもそうやって自分と違う行動をする人を責めてるだけでは世の中は変わらないわけで、自分にできる行動をすることで共感を広げていく方法を考えなくちゃいけないんだよなー、と。
そんなことを考えながら、私の住んでいる集合住宅の玄関周りと前の道を雪かきしていました。
ひとりでぽつぽつと雪かきを2時間。
それにしても同じ集合住宅に住んでいる人は他には誰も出てこない。
近隣の戸建ての家の人たちはみんな家の前をかいているけれど、賃貸の集合住宅に住んでいるとあんまり周りをきれいにするのに関心がないものなのかなあ…。
集合住宅の敷地内に駐車場があって、そこも雪がいっぱい。
これもある程度かいておかないと、これから1週間は車が使えなくなるんじゃないかという状況。
しかし、日頃の運動不足がたたって、その時点で私はすでにヘトヘト。
私の頭の中に、「加藤木は、体力の限界だった―」という田口トモロヲのナレーションが流れました(´・ω・`)
もうだめだ、車はしばらく使うのを諦めることにして、もう今日は雪かきやめよう…と思っていたところに、お隣に住んでいる人が顔を出して、「今から手伝いに行きますよ」と言ってくれた。
「車が出せる程度に、かいちゃいましょうね」と話しながらやっていたら、ほかにも2軒ほどのおうちの人が出てきて、一緒にかきはじめた。
おかげで、絶望的な状態だった駐車場も、だいぶ車が動かせる程度にきれいになったヽ(*´∀`)ノ
みんなが出てきてくれてから2時間。
私は結局合計4時間雪かきして、体が痛いけど、でも周辺の道や敷地はだいぶ雪かきできたし、一生懸命やってたら協力してくれる人が増えてきたのも、なんだか嬉しい経験でした。
私は今日はヘルパーの仕事とボランティアに出かける予定だったけれど、バスも運休していて大泉の駅までも出られず、利用者さんやボランティア先にご了解いただいて外出を断念。
先週の雪よりも水分を含んで固まりやすそうな雪…今日はこれを片付けることに専念しようと自宅に戻り、雪かき開始。
雪かきって、ボランティア活動とか政治とか、そういう社会的な活動をするときと似ているなあ…としみじみ思いながら雪をかきました。
動機は、「自分自身が使う場所が少しでも良くなったら自分も快適になるし、同じ場所を使う他の人も快適になるだろう」と考えるところから始まる。
でも、あまりにも膨大な量に圧倒される。私一人がこの雪をかいても、街全体の多量な雪を全部片付けることはできないという絶望感を持つ。
そして、自分が始めた途端に、「なんで私はやってるのにほかの人は協力してくれないんだろう」という狭量な気持ちも芽生えたりする…(^^;
だけど、自分だって今日は用事ができなくなったから雪かきの時間が取れただけで、やらない人にはやれない事情があるんだと理解しなければいけないし、自分以外の人の行為を責めたところで何も状況は変わらない。
私に出来ることは目の前の雪を片付けることしかないわけで、最初は1㎡の小さな場所しかできていなかったのが、続けていけば一連の道がきれいになるのだという達成感とを感じられるようになると、だんだん楽しくなってくる。
例えば選挙なんかも同じで、今回の都知事選について一生懸命「都政を変えたい」と考えていると、なんで投票に行かない人がいるんだ、とか、なんで舛添さんに入れる人がいるんだ、とか思っちゃうけど、でもそうやって自分と違う行動をする人を責めてるだけでは世の中は変わらないわけで、自分にできる行動をすることで共感を広げていく方法を考えなくちゃいけないんだよなー、と。
そんなことを考えながら、私の住んでいる集合住宅の玄関周りと前の道を雪かきしていました。
ひとりでぽつぽつと雪かきを2時間。
それにしても同じ集合住宅に住んでいる人は他には誰も出てこない。
近隣の戸建ての家の人たちはみんな家の前をかいているけれど、賃貸の集合住宅に住んでいるとあんまり周りをきれいにするのに関心がないものなのかなあ…。
集合住宅の敷地内に駐車場があって、そこも雪がいっぱい。
これもある程度かいておかないと、これから1週間は車が使えなくなるんじゃないかという状況。
しかし、日頃の運動不足がたたって、その時点で私はすでにヘトヘト。
私の頭の中に、「加藤木は、体力の限界だった―」という田口トモロヲのナレーションが流れました(´・ω・`)
もうだめだ、車はしばらく使うのを諦めることにして、もう今日は雪かきやめよう…と思っていたところに、お隣に住んでいる人が顔を出して、「今から手伝いに行きますよ」と言ってくれた。
「車が出せる程度に、かいちゃいましょうね」と話しながらやっていたら、ほかにも2軒ほどのおうちの人が出てきて、一緒にかきはじめた。
おかげで、絶望的な状態だった駐車場も、だいぶ車が動かせる程度にきれいになったヽ(*´∀`)ノ
みんなが出てきてくれてから2時間。
私は結局合計4時間雪かきして、体が痛いけど、でも周辺の道や敷地はだいぶ雪かきできたし、一生懸命やってたら協力してくれる人が増えてきたのも、なんだか嬉しい経験でした。
- 2014-02-15
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