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日本大学との裁判
練馬区が日本大学から「50億円を返せ」と訴えられていたのですが、その判決が9月17日に出ました。その判決の報告が今日、私の所属する医療・高齢者等特別委員会でありました。
日本大学は、2012年3月まで練馬光が丘病院を運営してきたのです。
日大撤退に関する経過は、私の過去のブログ(2011年9月13日の記事) を見ていただければと思いますが、以下に概略を書きます。
そもそも練馬光が丘病院は1986年、練馬区医師会立の病院として始まったのですが(区の土地に医師会が建物を建てた)、経営が厳しくなったために5年で医師会が撤退し、1991年度から日大に引き継ぎました。
引き継ぐ際、練馬区が医師会から建物を買い取りました。その土地建物を日大は練馬区から借りる形になったのですが、その賃貸借の保証金として50億円が日大から区に支払われました。契約内容は1991年から2021年までの30年間の公有財産貸付契約。契約が満了したら保証金は返す約束です。
日大は光が丘病院の経営が厳しく継続が困難であるとして2010年2月に撤退の意思を示しました。
しかし、練馬区はそのことは全然公表せず、水面下で交渉を続けました。ここで公表をしなかったのは、「公表することで継続の可能性を絶ってしまうかもしれないと思ったから慎重に交渉していたのだ」と区の担当者は言っています。
でも、2011年4月に区長選・区議選があったので、その直前にこういうもめごとが表に出るのを避けたかったのではないか?と疑えてしまうのです。
結局、日大との交渉はうまくいかず、日大は練馬光が丘病院から2012年3月で撤退をすることを決めました。この問題が公表されたのは、2011年7月のことでした。区長選・区議選が終わった直後の区議会定例会が終わって、閉会中の時期のことでした。
約束を守らず撤退する日大もひどいけど、情報を隠してこじれさせた練馬区にも問題があると思います。日大から撤退の意向が示された段階で公表していたら、もっと早い段階でみんなで日大に継続してもらう方法を考えたり、それがだめなら後継医療機関を考えたり、50億円の保証金をどうすべきかを考えられたはずだからです。
民法上、賃貸借契約は20年を超えられないことになっており、たとえ30年の契約をしていたとしても20年を超えれば撤退しても問題ないのだと日大は主張しました。早く保証金を返してほしいと言いました。
練馬区は、「病院運営を少なくとも30年は続ける約束をしていて、それを日大が破ったんだから、保証金は返せない」と言いました。それで日大は「いや、返せ」といって練馬区を訴えたという経過です。
結局、判決は、契約や協定内容よりも「賃貸契約は20年を超えることができない」という民法の規定が優先されるとして、練馬区が50億円返すように、というものでした。
また、日大が撤退後、「50億円返せ」という文書を出したのが2012年6月6日だったので、その翌日以降、区が日大にお金を返すまでの間の遅延損害金を年5分の割合(1日に換算すると68万5000円)で支払えというものでした。
遅延損害金の額は2012年6月7日から2014年9月末までと考えると約5億7900万円余だそうです。
今日の委員会では、「9月17日に判決が出て以降、練馬区として対応を検討したが、控訴をしても判決を覆すことはできないだろうという判断をして、判決は受け入れるという結論を出した」という報告でした。
日大が撤退すると言い始めた段階で公表して対策を考える、また日大が撤退を決めて裁判をすると言った時点でその前に解決させるなど、いくつかの節目で別の対応の仕方があったのではないかと思います。裁判の結果は民法に基づくというものであり、その結果を受け入れるというならば、そもそもこういう結果になることをはじめからもっと予測できなかったのだろうかとも思います。
それぞれの局面で区の対応が誤った結果、裁判費用を含めて6億円近いお金が余計に使われることになってしまったわけです。このお金は当然、区民のみなさんの税金から支払われます。
今となっては、これ以上の遅延損害金が発生しないよう、早急に収束させることは必要ですが、今までの対応の検証をし、区としての責任の所在の明確化をしてけじめをつける形を示すこと、そして今後同様な問題を繰り返さないようにすることが必要です。
区は、今後の練馬区の地域医療を充実させることが責任を果たすことなのだと言っていましたが、そんな曖昧な幕引きは許されないのではないでしょうか。
日本大学は、2012年3月まで練馬光が丘病院を運営してきたのです。
日大撤退に関する経過は、私の過去のブログ(2011年9月13日の記事) を見ていただければと思いますが、以下に概略を書きます。
そもそも練馬光が丘病院は1986年、練馬区医師会立の病院として始まったのですが(区の土地に医師会が建物を建てた)、経営が厳しくなったために5年で医師会が撤退し、1991年度から日大に引き継ぎました。
引き継ぐ際、練馬区が医師会から建物を買い取りました。その土地建物を日大は練馬区から借りる形になったのですが、その賃貸借の保証金として50億円が日大から区に支払われました。契約内容は1991年から2021年までの30年間の公有財産貸付契約。契約が満了したら保証金は返す約束です。
日大は光が丘病院の経営が厳しく継続が困難であるとして2010年2月に撤退の意思を示しました。
しかし、練馬区はそのことは全然公表せず、水面下で交渉を続けました。ここで公表をしなかったのは、「公表することで継続の可能性を絶ってしまうかもしれないと思ったから慎重に交渉していたのだ」と区の担当者は言っています。
でも、2011年4月に区長選・区議選があったので、その直前にこういうもめごとが表に出るのを避けたかったのではないか?と疑えてしまうのです。
結局、日大との交渉はうまくいかず、日大は練馬光が丘病院から2012年3月で撤退をすることを決めました。この問題が公表されたのは、2011年7月のことでした。区長選・区議選が終わった直後の区議会定例会が終わって、閉会中の時期のことでした。
約束を守らず撤退する日大もひどいけど、情報を隠してこじれさせた練馬区にも問題があると思います。日大から撤退の意向が示された段階で公表していたら、もっと早い段階でみんなで日大に継続してもらう方法を考えたり、それがだめなら後継医療機関を考えたり、50億円の保証金をどうすべきかを考えられたはずだからです。
民法上、賃貸借契約は20年を超えられないことになっており、たとえ30年の契約をしていたとしても20年を超えれば撤退しても問題ないのだと日大は主張しました。早く保証金を返してほしいと言いました。
練馬区は、「病院運営を少なくとも30年は続ける約束をしていて、それを日大が破ったんだから、保証金は返せない」と言いました。それで日大は「いや、返せ」といって練馬区を訴えたという経過です。
結局、判決は、契約や協定内容よりも「賃貸契約は20年を超えることができない」という民法の規定が優先されるとして、練馬区が50億円返すように、というものでした。
また、日大が撤退後、「50億円返せ」という文書を出したのが2012年6月6日だったので、その翌日以降、区が日大にお金を返すまでの間の遅延損害金を年5分の割合(1日に換算すると68万5000円)で支払えというものでした。
遅延損害金の額は2012年6月7日から2014年9月末までと考えると約5億7900万円余だそうです。
今日の委員会では、「9月17日に判決が出て以降、練馬区として対応を検討したが、控訴をしても判決を覆すことはできないだろうという判断をして、判決は受け入れるという結論を出した」という報告でした。
日大が撤退すると言い始めた段階で公表して対策を考える、また日大が撤退を決めて裁判をすると言った時点でその前に解決させるなど、いくつかの節目で別の対応の仕方があったのではないかと思います。裁判の結果は民法に基づくというものであり、その結果を受け入れるというならば、そもそもこういう結果になることをはじめからもっと予測できなかったのだろうかとも思います。
それぞれの局面で区の対応が誤った結果、裁判費用を含めて6億円近いお金が余計に使われることになってしまったわけです。このお金は当然、区民のみなさんの税金から支払われます。
今となっては、これ以上の遅延損害金が発生しないよう、早急に収束させることは必要ですが、今までの対応の検証をし、区としての責任の所在の明確化をしてけじめをつける形を示すこと、そして今後同様な問題を繰り返さないようにすることが必要です。
区は、今後の練馬区の地域医療を充実させることが責任を果たすことなのだと言っていましたが、そんな曖昧な幕引きは許されないのではないでしょうか。
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- 2014-09-22
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