Entries
自治基本条例について(一般質問)
なかなか終わらない一般質問の解説、残るテーマはあと2つです・・・・。書く私も大変だけど、読む皆さんも大変ですよね、たぶん(^^;
今日は「区民参加による行政サービスの構築」についての質問を書きます。
保育園の民間委託については以前書きましたが、そのこともそうだし、散々書いてきたホームレスの施設もそうだけれど、それ自体が悪いことではないわけです。
問題は、進め方なのです。自分の住むまちのことを、知らない間に行政が勝手に決めてしまったような気持ちが残ってしまう、不信感を持ってしまうプロセス。
例えば、前にも確か書いたと思いますが、ホームレスの施設が大泉学園高校の跡地にできるというその決定は、区役所内の担当職員による話し合いで決まっています。具体的に誰がいつ、どういう話し合いをしたのか、その記録は残っていないという。
なんでそんな重要な決定の記録が無いのか、と普通は思うわけですが、区の職員も都の職員も「だってそんな記録をわざわざ作っていたら仕事が進まないんだから、わざわざ記録を作るなんて聞いたことがない」と、本当に悪気は無い様子。
悪気が無くて悪いことをしているほど恐ろしいものはないと思いますが。
あと、若干思ったのは、薬害エイズの問題の時に記録はないと言っていたのに、しばらくしたら記録が出てきたことがありましたね。それをちょっと思い出しました。たとえなんらかの形で記録を残していたとしても「ない」と言い張ってしまえばそれで済んでしまうところに問題があるのかなと。
そしたら、区民の生活に密着する問題について、情報を残しておく義務を作らないと水掛け論になるのではないかと。
変な話、「犯罪」と呼ばれるものは、何が罪になるかを前もって決めてあるから犯罪と認識されるわけですね。物を盗ったとしても、仮にそれが罪だと決められていなければ、犯罪とは言われない。
区民に分かりやすい情報公開の方法を前もって具体的に定めておかなければ、どんなに区民が不利益をこうむっても「決まりに従ってやっているだけだ。記録を残さなくちゃいけないなんて決まりは無いんだもの」といって話は終わってしまう。
すべてのことがらに対する、情報公開と区民参加のきまりを作る必要があると、思いました。
で、よく調べてみたところ、練馬区では「自治基本条例」というのを作ろうという動きがある。
これは、情報公開はどうあるべきなのか、議会とはなんなのか、など、区民に関わりの深い区政について規定していくもの。区民にとっての最高法規として定めようということで、昨年度動いていたものです。http://www.city.nerima.tokyo.jp/kikaku/jichi/
公募した区民によって話し合いを進めて、まとめをして、それを受けて本当は昨年度のうちに条例案が出されるはずだったのに、なぜかそれが止まってしまっている。
担当した委員会の中で、「区民がほとんど知らないような話を、最高法規としての条例として定めてしまって良いのか」という議論があって、それをもとに話が止まってしまった模様。
しかしね、区民の理解が得られないから止める、という理屈が通じるなら、練馬区の行政は全部ストップですよね(^^;
誰にとっての都合で物事が動いているのか、よく分かりませんが、区民ではない誰かにとって自治基本条例が不都合な条例だったから止まっているような気がしてならないのです。
自治基本条例があることで不利益をこうむる区民はいないはずです。情報公開の透明性が図られたら、今まで区政に関心がなかった人も、アクセスしやすくなるかもしれない、というメリットの方が大きいと考えます。
ではなぜ止めるのかといったら、区民の区政参加が進むと、既得権が侵害される誰かがいるからだとしか私には思えない。区民の直接参加が進むと議員の存在意義がなくなるかもしれないと恐れる人がいるのかもしれない。区民の意識が高まると色々チェックされたり文句を言われたりするから嫌だと思う行政職員がいるのかもしれない。その両方の利益が重なったから、条例策定が止まったのかな。(・・・なんだか最近、ブログに過激なことを書いてしまいがちなので、いつも書きながらドキドキしているんですが)
そんなわけで質問をしたのです。
もし、区民に周知されてないことを理由にするのならば、例えばホームレスの問題のような具体的な葛藤が起きたときに「これを機に自治について一緒に考えませんか」と呼びかけるほうが有効だと思うのです。区報だとかホームページに「自治基本条例」とだけ書いたって、誰も身近に感じないでしょうから。
そんなことを含めて質問しましたが、答弁としては、
・平成22年度までの行政改革推進プラン素案に自治基本条例の策定を取り組み項目にして、条例骨子案の策定を現在検討しています。
・周知については、より身近に感じられるように臨時区報や区のホームページへの掲載を行うとともに説明会やパブリックコメントを実施します。
という、練馬区のホームページを見ればすでに書いてあるような、答弁する意味の無い返事をもらいました。
区民への周知をしたアリバイ作りというか、周知をしたという切り札は、ホームページや区報で出しました、ということなんですが、それで本当に良いのかというのは、ずっと気になっています。
だから、今回も「ホームページ以外の方法は?」と聞いたのに、返事は「ホームページで周知します」ですからね。中学1,2年で英語を習いたての頃の失敗のように、まるで会話になっていない。
腹が立つことです。
この件は、私が取り組みたい項目の一つである、区民参加の保障と不可分のことですので、今後もチェックしてご報告していきたいと思います。
前回のブログで、なんだか無意味に中島みゆきネタを出しましたので、今回は、最近の私の思いに近いような詩を紹介します。
「バラ色の未来」という歌の一節。
「今より未来のほうがきっと良くなっていく」という“バラ色の未来”をただ信じて待っている、という歌詞の後に・・・
だれも まだ見たことがない
バラ色 をまだ見たことがない
これだ と言われたら そうかな と思う
しだいに これじゃなきゃイヤだ と思い込むようになって
それ がないのがつらくなる
教えてよ 僕のあこがれてたあの頃
バラの色は どんな色だったというのか
自分が「正しい」と信じていることは、そもそも何に基づいているのか。誰かに言われたからそうだと信じているだけなのか。なぜ信じ続けるのか。他に考え方はないのか。
自分の行動と信念は、ほかの人の意見に耳を傾けながら、常に問い返していかなくてはいけないのではないかなと思っています。
0件のコメント
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://sakurakohappysociety.blog56.fc2.com/tb.php/123-cbb1e27e
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)