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顔のない街
6月20日にて定例会が終了します。
私はいまだに腸が痛いです。なぜか毎朝5時くらいに、腸に痛みが走って「いてぇー」と言って一度目覚めます。不健康な感じ。腸の検査をしたいです。
まるで関係ありませんが、ふと思い出した話。
私は9歳の時に中島みゆきのファンになったので、もう19年になります。
私が初めて中島みゆきを好きだと思ったときには、中島みゆきは37歳だったのに、今は56歳か。しみじみ。
中島みゆきは私の父と同じ年齢なんです。
で、議会で答弁をしてくださる部長さん課長さんも、大体そのくらいの年齢なのかなあと。
そう考えると、私が初めて中島みゆきを好きだと思った頃は、部長さん課長さんも30代だったのか、と意味の分からないことを考えてしみじみ(笑)
私が9歳の頃は、カラオケボックスがウワーッと流行り始めた頃だったと思います。
・・・思えばこれも、コミュニティの破壊のひとつだったのかな。
それまでは飲み屋さんで、知らない人同士も一緒になってカラオケをやっていたのに、この頃から、ボックスに閉じこもってカラオケをやるようになった。
だいたい、カラオケなんて、うるさくて、話ができないじゃあないですか。歌っている人の歌にきちんと耳を傾けていればまだコミュニケーションが成立するけれど、多くの場合は自分の歌いたい曲目を探すことに熱中しますしね。歌う人、曲を探す人に分断され、しかも大勢いるのに会話は成立しない。
だから私は今はカラオケは嫌いです。カラオケに行くことはあるけれど、好きではありません。(宣言。)
ま、でも、中島みゆきを知るきっかけは、カラオケだったのです。
子どものころ、家族と地域の人と皆でカラオケに行ったら、近所のお姉さんが中島みゆきの「悪女」を歌った。
「マリコの部屋へ 電話をかけて」という歌い出し。
・・・マリコって、誰だよ。
なんとなく、皆に連れて行かれたからというだけで消極的な気分で座っていた9歳の私は、この歌詞にふいと興味を惹かれたのでした。
ちょうど、CDというものができるかできないかという頃だったので、レンタル屋さんに行って中島みゆきのカセットテープを借りたのでした。小学校3年生の時。
それからずっと中島みゆきには関心があります。私も大学は国文学ですが、中島みゆきも国文学出身なんですね。「一体、何を言ってるんだろう・・・」と興味を惹かれることがとても多いのです。
1年位前に出たCDをこのところずっと聞いていたんですが、そこできまた興味のある歌詞が。
見知らぬ人の笑顔も 見知らぬ人の暮らしも
失われても泣かないだろう 見知らぬ人のことならば(全文は以下を見てください)
顔のない街の中で 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽
ニュースを見ているだけでも辛いことがいっぱいありますよね。
痛いことがいっぱいあるのに、痛いと訴えられない私達。
痛いことが多すぎて許容範囲を超えてしまっているのか、痛いと感じる想像力が欠如してきてしまっているのか・・・。
なんでだろう、と感じる理由を、上の歌詞は代弁してくれているような気がしました。
そもそも、タイトルにあるように、街や、国や、世界に顔が無いのかもしれないですね。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
私はいまだに腸が痛いです。なぜか毎朝5時くらいに、腸に痛みが走って「いてぇー」と言って一度目覚めます。不健康な感じ。腸の検査をしたいです。
まるで関係ありませんが、ふと思い出した話。
私は9歳の時に中島みゆきのファンになったので、もう19年になります。
私が初めて中島みゆきを好きだと思ったときには、中島みゆきは37歳だったのに、今は56歳か。しみじみ。
中島みゆきは私の父と同じ年齢なんです。
で、議会で答弁をしてくださる部長さん課長さんも、大体そのくらいの年齢なのかなあと。
そう考えると、私が初めて中島みゆきを好きだと思った頃は、部長さん課長さんも30代だったのか、と意味の分からないことを考えてしみじみ(笑)
私が9歳の頃は、カラオケボックスがウワーッと流行り始めた頃だったと思います。
・・・思えばこれも、コミュニティの破壊のひとつだったのかな。
それまでは飲み屋さんで、知らない人同士も一緒になってカラオケをやっていたのに、この頃から、ボックスに閉じこもってカラオケをやるようになった。
だいたい、カラオケなんて、うるさくて、話ができないじゃあないですか。歌っている人の歌にきちんと耳を傾けていればまだコミュニケーションが成立するけれど、多くの場合は自分の歌いたい曲目を探すことに熱中しますしね。歌う人、曲を探す人に分断され、しかも大勢いるのに会話は成立しない。
だから私は今はカラオケは嫌いです。カラオケに行くことはあるけれど、好きではありません。(宣言。)
ま、でも、中島みゆきを知るきっかけは、カラオケだったのです。
子どものころ、家族と地域の人と皆でカラオケに行ったら、近所のお姉さんが中島みゆきの「悪女」を歌った。
「マリコの部屋へ 電話をかけて」という歌い出し。
・・・マリコって、誰だよ。
なんとなく、皆に連れて行かれたからというだけで消極的な気分で座っていた9歳の私は、この歌詞にふいと興味を惹かれたのでした。
ちょうど、CDというものができるかできないかという頃だったので、レンタル屋さんに行って中島みゆきのカセットテープを借りたのでした。小学校3年生の時。
それからずっと中島みゆきには関心があります。私も大学は国文学ですが、中島みゆきも国文学出身なんですね。「一体、何を言ってるんだろう・・・」と興味を惹かれることがとても多いのです。
1年位前に出たCDをこのところずっと聞いていたんですが、そこできまた興味のある歌詞が。
見知らぬ人の笑顔も 見知らぬ人の暮らしも
失われても泣かないだろう 見知らぬ人のことならば(全文は以下を見てください)
顔のない街の中で 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽
ニュースを見ているだけでも辛いことがいっぱいありますよね。
痛いことがいっぱいあるのに、痛いと訴えられない私達。
痛いことが多すぎて許容範囲を超えてしまっているのか、痛いと感じる想像力が欠如してきてしまっているのか・・・。
なんでだろう、と感じる理由を、上の歌詞は代弁してくれているような気がしました。
そもそも、タイトルにあるように、街や、国や、世界に顔が無いのかもしれないですね。
※かとうぎ桜子を育てる会のホームページはこちら
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